新日本
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スポーツ 2018年06月20日 21時15分
“悪の正太郎くん”ワカマツ登場に昭和ファン感涙!マシン引退で33年ぶり再合体!
新日本プロレス『KIZUNA ROAD 2018 〜スーパー・ストロング・マシン引退セレモニー〜』▽19日 東京・後楽園ホール 観衆 1,569人 新日本プロレス最古参レスラー、スーパー・ストロング・マシンの引退記念試合。この日のために販売された引退記念Tシャツは早々に完売。新日本はこの日が後楽園ホール3連戦の最終日だったが、当日券も試合開始前には完売となっていた。会場内を歩いていると「久々に来ましたよ」「やっぱりマシンの最後は見ておきたい」などの声が。最近、プロレスからご無沙汰しているかつてのファンも多く訪れていたようだ。 田口隆祐の「世紀の大オマージュ」として、かつて新日本マットを席巻したマシン軍団を召喚したという煽り映像が終わると、まずは内藤哲也率いるロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(ロスインゴ)がいつものように、ゆっくりと入場。BUSHIはオーバーマスクの裏にマシンのデザインを施していた。ロスインゴの入場が落ち着くと、新曲と思われるマシン軍団のテーマに乗って、マシン軍団がワンショルダー姿で登場。緑のNo.69、黒のドン、青のジャスティス、赤のバッファロー、そして白とピンクを基調としたカラフルなマスクのエースがリングインした。 サプライズはその直後に待っていた。赤コーナーの入場カーテンが開くと、鉄人28号が元ネタの“悪の正太郎くん”が現れたのだ。マシン軍団を“操縦”してきたマネージャーの将軍KYワカマツは、ハンドマイクにムチを持ち、帽子とサングラス、白装束のコスチュームから装飾品を身にまとう。当時に近い姿で元気よく登場した。これには昭和時代からのファンから「おー」とどよめきが起こった。ワカマツが何かを叫びながら先導する形で、黒いマスクを被ったマシン本人が最後に入場した。試合では1985年4月以来、約33年ぶりの再合体である。 試合が始まるとマシンが赤コーナーのリングサイドに椅子を置き、座りながら、マシン軍団に声援を送り続けた。ワカマツは当時よりは動きに制約はあったようだが、ロスインゴ勢を相手に罵声を浴びせ続け、マシン軍団がピンチになるとリングに上がろうとし、マシンに止められるなど元気な姿を見せてくれた。内藤との時空を超えた「遭遇」はなかなか刺激があり、現在のファンも楽しめたのではないだろうか。 マスクに慣れない?マシン軍団相手に、マスク剥ぎなどで撹乱し、試合を優位に進めていたロスインゴだが、ドンがヒロムをアルゼンチンバックブリーカーで担ぎ上げ、場外のSANADAとEVILに投げつけてからは形勢逆転。勝機と見たエースがBUSHIにボディスラムを放った。場外ではバッファローが内藤をハンマースルーで放り投げ、セコンドのマシンがラリアットを炸裂させ、内藤が半回転する形でダウン。大歓声に包まれる中、リングではエースがBUSHIにセントーン。そして、エースとNo.69がBUSHIを捕らえたところに、ドンが重量感のあるセントーン。最後はNo.69がBUSHIに魔神風車固めを決めた。必殺フルコースを畳み掛けたマシン軍団が勝利を収めた。 ワカマツは勝利を見届けると「新日本に骨太はいないのかー?どうだー?」と絶叫し、リング上で、マシン&マシン軍団とともに記念撮影をしていったん退場した。セレモニーが始まる前、コメントブースに現れた内藤は「スーパー・ストロング・マシン、彼が今まで何発ラリアットしたか知らないけどさ、おそらく今日のラリアットが最後のラリアットでしょ?彼の最後のラリアット、内藤哲也にできたんだよ?今、こんなに輝いてるレスラーはいないよ?そのレスラーにラリアットできたんだ。感謝しろよ」と内藤流の惜別のメッセージを送った。 セレモニー前には、マシンのヒストリー映像が流れた。「プロレスにはナンバー2の存在が重要」とマシンが力説する場面が印象的だった。映像が終わると名曲「ハリケーンズ・バム」とともに、マシンが玉虫色のマスクを被って再登場し、引退セレモニーがスタートした。ゲストはマシン軍団の将軍KYワカマツ、カルガリーハリケーンズ、長州軍団、ブロンドアウトローズ。さらにレイジングスタッフでマシンと行動をともにしたヒロ斎藤、元UWFインターナショナルの垣原賢人、魔界倶楽部の筑前りょう太、村上和成、柴田勝頼、青義軍の永田裕志と井上亘も。次々にリングへ上がり、マシンへ花束を贈った。最後は新日本の本隊選手が全員登場。真壁が花束、KUSHIDAが功労金の目録をマシンに手渡した。 マイクを渡されたマシンは、数々の軍団を渡り歩いたことを振り返るとストロングスタイルを貫いたこと、「みなさんの前でケジメをつけるために引退式を引き受けた」こと、「プロレス人生に悔いはない」こと、「コンディションを戻して第2の人生を見つける」目標などを赤裸々に語った。10カウント後に再びマイクを握ると、今年1月に他界した夫人に対して感謝の言葉を口にした。大きな拍手の中、「ハリケーンズバム」とともにリングを後にした。 インタビューブースでは「この引退を決意した理由の一つとして、最後にリング上でも言いましたけど、妻の死がありました」としみじみ語る。「ちょうど契約が終わる6日前に、妻が逝ってしまったんですけども、そのダブルショックというか、精神的にかなり落ち込んでいた時期がありました。そういうのを吹っ切るためにも、会社が勧めてくれた引退式で、キッパリと気持ちを切り替えて、次の人生に行きたいと、そういう思いで決断いたしました」と引退セレモニーに臨んだ経緯を口にした。 マシンは最後に「本当に、マスコミの方々も、ありがとうございました。マシンは今日で消えます。ありがとうございました」と頭を下げた。 少し切なさが残ってしまった引退セレモニーだったが、これはこれで不器用な性格のマシンらしい終わり方だったとも言える。「小学校5年からプロレスのことしか考えてこなかった」マシンが一番印象に残っているのは、憧れだったアントニオ猪木戦だという。あの時マシンになっていなかったら間違いなく実現していないカードなだけに、思いも強いのだろう。 私は“ある”選手と故・橋本真也さんのタッグも好きだった。これもマシンの物語の一部だったと思う。引退してしまったのは残念だが、歴史は永遠に残る。数々の感動を与えてくれたことに感謝したい。マシン引退により、新日本の現役最古参の座は獣神サンダー・ライガーに引き継がれた。取材・文・カメラ / どら増田
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スポーツ 2018年06月18日 15時00分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「永田裕志」毀誉褒貶にさらされ続けた“ミスターIWGP”
IWGP王座の10連続防衛と時期を同じくして、総合格闘技戦で2度の惨敗。一時はプロレス凋落の元凶とされながら、それでもどこか憎めず、ファンから愛され続けてきた永田裕志。そんな永田も今年で50歳を迎えることになった。 芸能人の不仲バトルなどに対し「どうせプロレスだよ」などといわれることがあるが、その真意は“裏で話がついているのに争うふりをしている”ということ。そんな物言いを不愉快に思うファンは多いだろう。 アンチは「プロレスは演劇の類いであり、だから大したことはない」と侮蔑するが、エンターテインメントショーであることを公言する米国のWWEは、現実にあらゆるスポーツコンテンツを上回るほどの人気を世界中で集めている。 そのWWEにしても、一つのミスが命に関わりかねない危険な側面は確実にあるわけで、それを茶番のようにいわれたのでは、レスラー当人にしたらたまったものではない。 さらに演劇との比較でいえば、役者は衣装を脱げば一個人に戻れるが、プロレスラーはリングを降りても王者は王者で、前座は前座扱いのまま。大舞台で敗れれば、即座に負け犬の汚名を着せられることになる。 かくも不条理なプロレスラーという職業にあって、毀誉褒貶にさらされ続けたのが永田であった。 1992年にレスリング・グレコローマン全日本王者の肩書を引っ提げて、新日本プロレスに勇躍入門。 '95年、UWFインターナショナルとの対抗戦メンバーに抜擢されると、アマレス技術に裏打ちされた骨太ファイトで桜庭和志らと互角に渡り合い、次代を担う有望選手としてファンから認知されることになる。 その後も順調にキャリアを重ね、'01年の夏には『G1クライマックス』を初制覇。同年秋にはノアの秋山準とのタッグで武藤敬司&馳浩に勝利し、トップ戦線に名乗りを上げた。 だが、そこで大きくつまずいてしまう。大みそかの『INOKI BOM-BA-YE 2001』で初の総合格闘技戦に挑んだ永田は、ミルコ・クロコップに左ハイキック一撃で秒殺KO負け(レフェリーストップ)を喫してしまったのだ。 「今になっては 無謀な闘いという関係者がほとんどですが、当時の下馬評は違っていた。ミルコと対戦経験のある藤田和之も、『永田さんなら楽勝ですよ』と言っていたようです」(プロレスライター) 永田戦の前には、すでに峠を越した感のあった高田延彦と引き分けに終わっているミルコ。この頃の総合格闘技ではレスリング出身選手の活躍が目覚ましかったこともあり、上り調子の永田ならばまさか無様な試合はしないはず、というのが大方の見方であった。 そんな永田のあっけない敗戦を新日フロントは単なる不運と捉えたのか、永田の“スター路線”はその後も続く。'02年4月に安田忠夫を破ってIWGP王者となると、橋本真也の連続防衛記録V9を上回るV10を成し遂げた。 「闘魂三銃士以降では、永田が最も質の高い試合をしていたのは事実です。ただ、ファンからすると、やはり“ミルコに負けた”という過去が引っかかる。永田が王者の新日が総合格闘技以下と見られたことは、永田にとっても新日にとってもマイナスとなりました」(同) '03年5月の東京ドーム大会で高山善廣に敗れ、王座陥落となった永田だが、そこからさらなる悲劇に見舞われる。 同年大みそかの『INOKI BOM-BA-YE 2003』において、エメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦した永田は、一方的に攻め立てられると、ミルコ戦に続いて秒殺TKOを食らってしまったのだ。 総帥のアントニオ猪木に頭を下げられて出場を断るわけにもいかず、直前まで対戦相手の決まらない準備不足のまま臨んだのでは、そもそも勝てるわけがない。 しかし、それはあくまでも楽屋話であり、IWGP歴代最多防衛の永田が総合格闘技戦で2連敗したという事実は、長らく“プロレス冬の時代”が続く大きな原因の一つとなってしまった。 '05年に新日復帰した長州力は、そんな永田を「天下を取り損ねた男」と評したが、そこから永田は驚異の復活を遂げる。 '06年の東京ドーム大会、村上一成戦で腕固めを仕掛けた際、永田としては渾身の…しかしてその白目をむいた表情がビジョンに大映しになると、観客から大爆笑が巻き起こったのだ。 だが、予期せぬ笑いに心折れないのが、永田の強さでありクレバーさ。以降は元からの技術の高さにコミカル要素を加えて、独自の存在感を発揮し続けることになる。 先の『G1』に加え、全日本プロレスの『チャンピオン・カーニバル』とプロレスリング・ノアの『グローバル・リーグ』という、メジャー3団体のシングルリーグ戦を制覇したのは永田だけである。 IWGP王者時代には華がないといわれ、総合格闘技でどん底を味わいながら、見事に興行の要として返り咲いた。そんな永田の軌跡こそが、プロレスというジャンルの奥深さではなかろうか。永田裕志1968年4月24日、千葉県出身。身長183㎝、体重108㎏。得意技/バックドロップ・ホールド、ナガタロック、白目式腕固め。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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スポーツ 2018年06月17日 06時30分
「メイド・イン・ジャパンじゃなきゃいけない」外国人天国の新日本に蝶野正洋が警鐘!
新日本プロレス6.9大阪城ホール大会は、11,832人(札止め)と、当日若干数販売された立ち見の券もすぐに完売するほどの盛況ぶりだった。試合内容も第1試合から素晴らしく、熱のこもったファイトの連続。会場は終始“できあがった”状態で、現在の新日本の勢いをさらに加速させるような大会だったと言えるだろう。 タイトルマッチは新日本が管轄しているタイトルのうち、IWGPジュニアタッグ王座(IWGP USヘビー級選手権とNEVER無差別級6人タッグ選手権は今回、開催されず)を除く全タイトルが移動する波乱の展開。しかもIWGPジュニアヘビー級王者を高橋ヒロムが奪還した以外は、いずれのタイトルも外国人選手がベルトを獲った。これで、IWGPジュニアヘビー級、IWGPジュニアタッグ王座以外のベルトは全て外国人選手の手に渡ったことになる。 これに警鐘を鳴らしたのが、当日ゲスト解説を務めていた新日本OBの蝶野正洋だ。蝶野は中継のエンディングトークで「きょうは外国人の社長が紹介(元タカラトミー社長のハロルド・ジョージ・メイ氏が新日本の新社長に就任)されたり、外国人選手がタイトルを取ったりして」と外国人の活躍に触れた。「インターナショナルな方向に行くのは悪くないけど」と前置きしつつ、「新日本はあくまでもメイド・イン・ジャパンじゃなきゃダメだよ」と苦言を呈した。私がこのコメントを聞いたのは『新日本プロレスワールド』で試合を見直したときだったが、昔から新日本を見ている一人としては「よくぞ言ってくれた!」という気持ちになった。 新日本は米国時間7月7日にアリーナクラスの歴史ある殿堂・カウパレス(サンフランシスコ)でビッグマッチを控えていることもあり、大阪城ホール大会でタイトルに挑戦する外国人選手は目の色が違った。カウパレスに凱旋するのに、IWGPのタイトルがあるとないとでは、世界に対するアピール度も違ってくる。あのクリス・ジェリコが「ベルト用にファーストクラスをもう一席買う」と発言したほど。日本人が思うよりIWGPブランドの世界的な知名度は高いのだ。 しかし、蝶野にはWWEと渡り合っていたWCWに新日本の選手として乗り込み、当時世界的な人気ユニットだったnWoを新日本のマットに逆輸入させ、日本列島でnWoブームを巻き起こした過去がある。しかも日本では蝶野がnWoジャパンのリーダーとして、外国人選手に主導権を握らせなかった。武藤敬司(もしくはグレート・ムタ)という相方や、天山広吉、ヒロ斎藤といった日本人の名選手が脇を固めていたのが大きかったのも事実だが、蝶野は「あくまでも新日本」という軸を崩すことなく、TEAM2000に発展しても団体を引っ張っていた。 大阪城大会のエンディングは感動的だったが、そこに「メイド・イン・ニュージャパン」の選手がいなかったのは寂しさもあった。オカダ・カズチカを倒し、初のIWGPヘビー級王者となったケニー・オメガも二夜明け会見で、「日本人選手は楽な試合をしている」と突き放すと「ナイトー・テツヤという男は、ワールドワイドのスーパースターではない。まさに、世界規模のスーパースターとしての思考がない」と会場一番人気の内藤哲也もバッサリと斬った。 エンディングでは厳しいコメントを出した蝶野だが、内藤対ジェリコの試合中「ジェリコは勝ち負け関係なく試合してるよ。自分の試合が世界に配信されればいいんだよ」とたたえた。試合後には「今、ジェリコと絡めば世界に名を売るチャンスだよ」と、最後に内藤を救出したEVILを評価するなど、今でも節々に新日本愛を感じさせる言葉を口にしたのは微笑ましかった。新日本の日本人選手の中からワールドワイドな選手は出てこないのか?いや、中邑真輔を超える選手はまだまだいるはずだ。【どら増田のプロレス・格闘技aID vol.12】写真 / 萩原孝弘
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スポーツ 2018年06月13日 21時15分
新日本、S・S・マシン引退記念試合は、マシン軍団vs.ロスインゴの10人タッグマッチ
新日本プロレスは11日、都内の本社で会見を開き、6月19日の後楽園ホール大会で引退セレモニーを行う、スーパー・ストロング・マシン引退記念試合の概要を発表した。 「僕が責任を持ってマシン軍団を連れてきます!」 4日の後楽園ホール大会の試合後、スーパーJr.の優勝を逃したKUSHIDAは気持ちを切り替えて、かつて一斉を風靡したマシン軍団の“再結集”を高らかに宣言した。 とはいえ、マシン以外の2号から4号は現役生活を続けているのかも分からない。消息も不明な選手が多いのだ。3号と4号に至っては“入れ替わり説”もあり、当時のメンバーを集めるのは至難の業だ。ただ他にも、故アンドレ・ザ・ジャイアントや、ハルク・ホーガンをはじめ、国内外でマシンのマスクを被った選手は多数いる。 そんな中、発表されたのは、スーパー・ストロング・マシン・エース、スーパー・ストロング・マシン・バッファロー、スーパー・ストロング・マシン・ジャスティス、スーパー・ストロング・マシン・ドン、スーパー・ストロング・マシン・No69の新生マシン軍団5人の参戦。マシン軍団は内藤哲也、EVIL、SANADA、BUSHI、高橋ヒロムの5人と10人タッグマッチを行う。マシン軍団には「with スーパー・ストロング・マシン」のクレジットもしっかり掲載されている。 昭和のファンは少しガッカリしたかもしれないが、マシンの全盛期を見ながら過ごした選手たちがマシン軍団になるのも悪くはない。当日は各マシンがどの色のマスクとコスチュームで現れるのか楽しみだ。また対戦相手の中に、空気を読む雰囲気が全くなさそうなロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンが入ったというのも興味深い。 引退セレモニーのゲストなどは発表されていないが、マシンにとって後楽園はアントニオ猪木の目の前で突然乱入してヤングライオンを吹っ飛ばし、初めて存在をアピールした会場だ。この大会のポスター(画像)もカッコイイと評判が高い。コンディションが許すならば、最後に魔神風車固めを見たいファンは多いだろう。あの名技だけは誰かに受け継いでもらいたい。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年06月12日 21時15分
新日本・内藤哲也、“IWGPブランド奪取”にこだわるクリス・ジェリコに敗北で王座流出
「IWGPのチャンピオンになるということは、自分にとっても素晴らしいこと。ずっと手に入れたいと思っていたし、『それが全てだ』と言ってもいいほどだ。日本に来るようになって26年、60回以上を数える日本遠征を経てようやく手に入れたものだ。(防衛戦は)誰であろうと、対戦する覚悟はできている」 内藤哲也からIWGPインターコンチネンタル王座を奪取したクリス・ジェリコは試合後、IWGPチャンピオンに長年抱いてきた思いをこのように表現した。 11,832人(札止め)の大観衆が集まった新日本プロレス6.9『DOMINION』大阪城ホール大会。内藤哲也にクリス・ジェリコが挑戦するIWGPインターコンチネンタル選手権試合はダブルメインイベントの第1試合に組まれた。 ジェリコは、入場した内藤を後ろから急襲。試合開始のゴングが鳴らないまま場外乱闘を繰り広げ、ゴングが鳴ってからも内藤はしばらくコスチュームを脱ぐことができなかった。この日のジェリコは、目に十字線のようなペインティングを施していた。1.4東京ドーム大会でのケニー・オメガ戦同様、WWEで見せているような華やかさを封印。破天荒なヒールファイトに徹しているように見えた。 「メッセージを聞いて安心したことは、彼がインターコンチネンタル王座にちょっとでも興味があるっていうことかな?彼の興味が内藤哲也にあるのなら、別にタイトルを懸ける必要はないと思っていたけど、彼の口からインターコンチネンタル王座がなんちゃらかんちゃらって出てきたんでね。タイトルマッチにする意味、タイトルマッチとして(試合を)行う意味があるんだなと。ほしいと言うから懸けようよ」 度重なる自撮りのビデオメッセージの中で、ジェリコは「IWGP」と「インターコンチネンタル」というワードを何度も出してきた。最初はタイトルマッチを拒んでいた内藤の気持ちも変化していったようだ。 試合後、ジェリコからはレスラー内藤を称賛するコメントも見られた。ジェリコにとって1月に“餌”をまいた内藤が、その後IWGPブランドのタイトルを奪取するとにらんだのは読みが鋭かった。 今思えばケニーとの試合にIWGP USヘビー級王座の権利が懸かっていたのもジェリコにとって大きなことだったように思える。FMW、そしてWARと日本の団体で育ってきたジェリコだが、WAR時代やアメリカWCWに移籍した後に新日本勢と対戦しながらも、長いキャリアの中でIWGPタイトルは一度も戴冠したことがなかったのだ。よって今回のタイトル奪取は、26年越しの“ジャパニーズドリーム”が叶った形になる。 ジェリコは「これから、明日、フロリダ・タンパに帰るためのファーストクラスの航空券をもう1枚購入する。俺の隣の席だ。その席にこのベルトを座らせる。それほど大事なものだ」とまで言い切った。入場時にベルトを花道に置き去りにした内藤は、IWGPヘビー級王座だけに価値があると思っている選手だ。レフェリーを突き飛ばしてから急所蹴りを放ち、コードブレイカーというフィニッシュはタイトルマッチの結末として決して褒められることではないが、このベルトに全く興味がない内藤と、IWGPブランドのタイトルを自身のキャリアに刻みたいジェリコの思い、価値観の差が結果に現れたのだろう。 WWEの同王座も含めて10度目のインターコンチネンタル王座を戴冠したジェリコの手によって、白いベルトが久々に海を渡ることになった。取材・文 / どら増田写真 / 舩橋諄
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スポーツ 2018年06月11日 21時45分
江幡塁、小笠原瑛作を完全KO!小野寺力プロデューサー「那須川天心戦を交渉する!」
キックスロード『KNOCK OUT SURVIVAL DAYS』▽8日 後楽園ホール 観衆1,850人(札止め) 肘ありのキックボクシングイベントKNOCK OUTが提供したスーパーバンタム級のドリームマッチに、後楽園ホールは試合前の煽り映像から、尋常ではない異様な空気と熱気に包まれていた。 江幡塁は双子の兄、睦とともに入場すると、瑛作はシルバーのコスチュームで華々しく入場。両者に大歓声が送られる中、運命のゴングが打ち鳴らされた。 試合は、1Rから瑛作が優位に進めていたように思われたが、開始早々に肘を合わせられて鼻から出血する。江幡陣営はこれを見逃さず「(瑛作の)鼻が折れてるぞ」「鼻で呼吸できてないぞ」とセコンドから声を飛ばす。1R、2Rとラウンド判定では瑛作がリードしていた。3R、早期決着を狙う瑛作が左ミドルの連打で江幡を押したが、江幡の左フックからの右ストレートがカウンターで見事にさく裂。瑛作はこの一発で大の字になり、セコンドが慌ててタオルを探す中、無情にも10カウント。江幡がスーパーバンタム級最強対決を最高の形で制した。 試合後、江幡は「コンパクトにKOしようと思っていた。狙っていた通りのKO勝利」と笑顔。「自分自身が一番だと思っているので、プレッシャーはなかった。これで宮元啓介選手、小笠原瑛作選手と、KNOCK OUTを引っ張ってきた選手を倒すことができた。まだKNOCK OUTにはいい選手がいる。那須川天心選手とはやりたいですね」と改めて天心戦をアピール。一方で「(所属している)新日本キックは『打倒ムエタイ』を掲げているので、そちらも並行する形で。KNOCK OUTでお客さんが喜ぶ試合をやりたい」と打倒ムエタイへの思いも口にした。 敗れた瑛作は「悔しいです。鼻は折れているかもしれない。あそこまでKOさせられたのは5年ぶりぐらい。まだ映像をちゃんと見返せてないので何とも言えないですが、ガードの低さと、集中力が少し切れたところが敗因だと思います。必ずここからはい上がります」と誓った。 この試合を観戦した木谷高明オーナーは「大満足!小笠原選手も素晴らしかった」とひと言だけコメントを残して会場を後に。小野寺力プロデューサーは「大会ベストバウト。想像以上の試合になった。瑛作は試合開始早々にダメージを負いながら、よく闘ってくれた。最後は江幡の勝負強さが出た」とお互いを評価した。江幡対天心の実現に向けては「天心選手のスケジュールやタイミングを見て交渉していきたい。これはやらなきゃいけないカードでしょう」と乗り気。「きょうは高橋亮も大阪からこの試合を見るために会場に来ていた。来年はスーパーバンタム級のトーナメントをやりたいですね」とコメントした。 ファンの間からは“年間ベストバウト”との呼び声も高く、SNSの反響も凄まじいものがあった。KOが決まった瞬間、後楽園ホール全体がスタンディングオベーション状態になったのは珍しい光景だ。夢のカードは出し惜しみしてはいけないことを証明した試合だったと言えるだろう。▼第4試合 55.5kg契約(3分5R)〇江幡塁(3R1分34秒 KO)小笠原瑛作●※右ストレート取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年06月11日 20時45分
IWGP新王者ケニー「ゴールデンELITEは新ブランド」初防衛戦はCodyと決着戦!
ケニー・オメガは9日の大阪城ホール大会の時間無制限3本勝負で、オカダ・カズチカからトータルタイム64分50秒で2本を先取し、IWGPヘビー級第66代王者に輝いた。 ケニーは11日、都内の新日本プロレス本社で二夜明け会見を開いた。 会見の前にはサンフランシスコの殿堂カウパレス大会(米国時間7月7日)で、Codyを相手に初防衛戦を行うことが発表された。Codyは9日の試合後に花道に姿を現し、無言で去っていた。ケニーは今年、ROHのリングでCodyに敗れている。「もうCodyと争うのは疲れた」とは言うものの、バレットクラブの内紛問題も含めて「決着を付けるべき」と言われても仕方ない。 そんな状況下でケニーは、9日の試合後に飯伏幸太、ヤングバックスと新たなユニット、ゴールデンELITEをスタートさせると発言した。今後、同ユニットとバレットクラブの活動を並行させるのか聞かれると「状況的には、何も変わっていない。自分はバレットクラブのリーダーだ。そして、この前発表したゴールデンELITEというのは、新たなブランドだと思ってもらいたい」と話した。 飯伏については「飯伏は“THE ELITE”のメンバーであると自分自身思っているが、バレットクラブではない」と強調。ただ、飯伏のことは評価している。「飯伏はこのプロレスの世界を新たな次元に持って行けて、新たな世界観をみせてくれる選手だと思っている。そして、飯伏はヤングバックスとも仲がいい。だから、『このメンバーで何か世界を変えていこう』ということも含めての新たなブランディングが、このゴールデンELITEだ」と新ユニットの趣旨を説明した。 「飯伏はバレットクラブのメンバーではないが、ヤングバックス、ケニー・オメガはバレットクラブに属している。そして、くしくもCodyもバレットクラブに属している。こういった状況を考えると、サンフランシスコ大会が終わった時に、しっかりとすべてが元に戻って、ファインな状態になればいいなと思っている」と説明した。 ケニーはバレットクラブのリーダーとして、チームを立て直すためにもCodyにしっかり勝ちたいところ。飯伏が超党派で名を連ねるゴールデンELITEの活動を通し、世界を変えていきたいという気持ちを持っているようだ。 最後に記者から、新日本が管轄する全てのヘビー級のタイトルが外国人選手に移動したことについて聞かれると、「ここで日本人に一言いっておきたい」と前置きをした上で、「日本人選手というのは、やはり楽な試合をしてるんじゃないかと思う」と口を開いた。 ケニーはその理由を説明する。日本人は「外国人選手のように長い移動もなければ、一回ベルトを獲られたところで、またすぐにチャンスがめぐってくる。そういう闘い方をしている選手と試合をする自分たちは、より強くなくてはならない」と外国人選手には“責務”があるとした。 「3人のカナダ人が今タイトルを持っていて、トップ2のベルトをウィニペグ出身のカナダ人が持っているというのは大変喜ばしい」としながらも、「国内の日本人選手には一つこれを警告だと受け止めてもらいたい」と警鐘を鳴らす。「別に悪い意味で言うつもりはないが、皆さんしっかりと自分自身をアピールして、より強くなるべきです。なぜならば、アナタたちは外国人選手にはまだ力が及びません。みんなで頑張ってほしい」と日本人選手に辛口エールを送った。 ケニーはCodyを倒せばIWGPヘビー級王者として真夏の最強決定戦『G1クライマックス』に参加できる。また、来年の1.4東京ドーム大会での自身2度目のメインイベント出場も現実味を帯びてくる。1.4ドーム大会のメインが史上初の外国人対決となっても不思議ではない。それを阻止する日本人レスラーは誰なのか?まずは9日の試合後、ノーコメントだったオカダの動きに注目したい。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年06月11日 18時00分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ボブ・サップ」“ザ・ビースト”の栄枯盛衰
2015年に行われた曙との再戦以降、日本における実戦から遠ざかっているボブ・サップ(サップのTKO勝利)。 プロレスや格闘界のみならず、芸能界まで股にかけたかつての活躍も今は昔。ウェブテレビなどでたまに見かけるだけというのは、いかにも寂しい話ではある。 しかし、日本で最も有名な外国人プロレスラー、もしくは格闘家と定義したとき、熱心なファンだけでなく一般の認知度までを含めたならば、サップはその上位に挙がってくるだろう。 '02年4月にPRIDE初参戦、同年6月にK-1初参戦を果たすと、粗削りながらも力感あふれる闘いぶりを披露。同年8月にはPRIDEヘビー級王者のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに挑戦し、総合格闘技ルールで敗れたとはいえ、三角締めをパワーボムで返すなどあわやの場面をつくり出した。 さらに同年10月には『K-1 WORLD GP』の開幕戦において、それまでに3度の優勝を誇るアーネスト・ホーストをパワーで圧倒。TKO勝利を飾って、一躍トップファイターとして名乗りを上げた。 勝利後にダンスを踊るなど陽気なキャラクターも親しまれ、そんな人気の高まりから11月にはサップをエースとしたプロレスイベント『ファンタジーファイトWRESTLE-1(レッスル・ワン)』(以下W-1)が開催された。 フジテレビ系で放映された際のサブタイトルは“ボブ・サップのプロレスエンターテイメントショー”で、メインイベントに登場したサップはザ・グレート・ムタを高さ十分のドロップキックで吹き飛ばすと、トップロープからのダイビング・ヘッドバットで3カウントを奪ってみせた。 かように日本マット界を蹂躙した“ザ・ビースト”ことサップは、それにとどまらず一般メディアにも進出することになる。 「W-1の平均視聴率は8.4%で、当時のゴールデンタイムとしては不合格。格闘界はともかく、一般へのサップの知名度はまだまだでした。しかし、同月末に放送された『ガキの使いやあらへんで』(日本テレビ系)への出演が、バラエティータレントとして人気爆発する呼び水となりました」(プロレスライター) 番組内の人気企画“七変化”に松本人志プロデュースで登場すると、たどたどしい日本語を駆使して一人コントを熱演し、これが歴代でもトップクラスのバカウケとなったのだ。 以降はK-1、PRIDE、W-1に芸能タレントと“4足のわらじ”を履き、まさに大車輪の活躍を見せたサップだが、翌'03年3月には、早くもその先行きに暗雲が立ち込める。 当時、上り調子にあったミルコ・クロコップに、K-1ルールで敗れたのは実力通りであったとはいえ、問題はその負け方。ミルコの左ストレートを右眼に食らうと、そのままリングにへたり込んだのだ。 「試合後の検査で眼窩壁骨折と判明しましたが、しかし、そのときのサップは失神したわけでも体力が尽きたわけでもない。ドクターストップに該当する重傷とはいえ、普通の格闘家であれば“痛いから”との理由で自ら試合を放棄することはない。そうした性格面でサップは格闘家向きではなかった」(格闘技記者) 同年夏には復帰して、大みそかには曙を相手に歴史的KO勝利を収めたものの、サップにかつての迫力が戻ることはなかった。体格差のある日本人選手などが相手なら一気呵成に攻め勝つことはあっても、一流どころとの対戦では、相手の攻勢に背を向けて逃げる仕草を見せるようになる。 '04年3月には新日本プロレスに参戦してIWGP王座を獲得したが、5月の総合格闘技戦で藤田和之に一方的にボコられると、やはり自らギブアップを宣して敗北。同時にIWGP王座を返上し、わずか2カ月ほどで新日のリングを去ることになった。 “プロレスは格闘技よりも楽”と本気で思っている人もいようが、まったくそんなことはない。一撃で致命傷となる危険性こそ低いとはいえ、長時間にわたり受け身を取り続けることから、肉体に蓄積されるダメージはむしろプロレスの方が上であり、サップはそうしたプロレスの厳しさを自らの選択で実証したわけだ。 「サップの低迷は性格面に加えて、キックでは素人同然の曙との試合や芸能活動などで、いわゆる“イージーマネー”を手にしたことの影響も大きかったでしょう。楽に稼ぐ方法を知ってしまったので、身を削るプロレスなどやってられないというわけです」(同) その後、サップはイージーマネーを格闘技の新たな側面に求める。世界各地で行われる格闘技イベントにおいて、地元エースの“噛ませ犬”となる道を選んだのだ。 「まずは攻める姿勢を見せて、相手が反撃に出ると特に効いた攻撃がなくとも即座にタップアウトするというのが、近年の定番スタイル。秒殺負けも度々という、まさしく“省エネファイト”に徹しています」(同) サップ当人がそれで満足ならば他者がとやかく言うことではないが、曲がりなりにも一世を風靡したファイターの末路としては、あまりに寂しい話ではある。ボブ・サップ1973年9月22日、アメリカ合衆国コロラド州出身。身長200㎝、体重145㎏。得意技/ビースト・ボム、ドロップキック文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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スポーツ 2018年06月09日 06時20分
キミは棚橋弘至の肉体を見たか?6.9大阪城でライガー&ミステリオと夢のトリオ結成!
4日の新日本プロレス後楽園ホール大会で選手のコメントを聞き終え、会場に向かう階段に足を運ぶと、入念にストレッチをしている棚橋弘至の姿があった。 アームサポーターを白に新調したことも相まって、先月のオカダ戦で見たときよりも、棚橋の上半身はさらにパンプアップされていた。先シリーズはジュニアヘビー級の大会が多く、イギリス遠征もあり、棚橋はシリーズ最終戦のみの出場だった。ただ5.4福岡国際センター大会で、最強王者と言っても過言ではないオカダをあと一歩まで追いつめていた。肉体のケアに充てた2月と比べてグングン状態を上げているのは、あの肉体を見れば明らかだった。 トーア・ヘナーレとタッグを組んだこの日の試合では高橋裕二郎&マーティー・スカルのバレットクラブを相手に敗れてしまったが、本来のキレが戻ってきていると思う。コンディションはここ数年でベストなのではないだろうか。ただ、IWGPヘビー級王座奪還に失敗した後に新たなテーマを見つけるのは、棚橋クラスの選手になると至難の業だ。6.9大阪城ホール大会ではどんなカードが用意されているのか、予想がつかなかった。 しかし、この日の試合後、その不安は杞憂に終わった。裕二郎とスカルはヘナーレにストンピングを連発し、棚橋がエルボーで裕二郎を食い止めるが、スカルは棚橋にカサ攻撃を仕掛けた。そしてチキンウィングフェイスロックで棚橋を絞め上げると、放送席の獣神サンダー・ライガーが乱入。これを見たスカルと裕二郎は慌ててリングから退散した。 会場から大きな「ライガーコール」が注がれる中、棚橋を救ったライガーはマイクを握ると「この『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア』、試合がなくてイライラしてんだよ!レイ・ミステリオJr.、連れてこい?連れてきてやろうじゃねえか!なんなら棚橋選手、俺、ミステリオ、3人。オマエも誰でも連れてこいや!」と衝撃発言。『怒りの獣神』が大音量で鳴り響いた。 共闘することに合意したライガーと棚橋は筋肉ポーズを見せ、バレットクラブを挑発しながらアピールした。ライガーは棚橋の腕を上げ、ライガーは実況席に、棚橋は控室にそれぞれ戻った。 「どうやら、新しい闘いの腕に身を任せられた。イギリス遠征を経て、久しぶりに新日本プロレスのリングに戻ってきたけど、まだ何も見せられてないから。次だね。大阪、見てろよ」 棚橋は意気揚々としていた。棚橋、ライガー、レイ・ミステリオJr.のトリオには、夢と華がある。翌日、新日本プロレスはCody&ハングマン・ペイジ&スカルのバレットクラブCody派を対戦相手とすることを発表した。ミステリオとCodyのWWE的な絡みや、棚橋とCodyの絡みにも注目したい。 おそらくこのカードを一番喜んでいるのはライガーだろう。棚橋にとってもいい機会だろう。昨年の大阪城大会では内藤哲也をテキサス・クローバー・ホールドで葬り、IWGPインターコンチネンタル王座を奪還しており、相性もいい。次のチャンスである『G1クライマックス』に向けて、レジェンドたちに埋もれることなく、しっかりとアピールしておきたいところ。 復帰直後に見られた不安が払拭されつつある。棚橋弘至は負けても負けても諦めず、進化を続けている。大阪城では明るく、楽しく、華のある試合を見せてもらいたい。【どら増田のプロレス・格闘技aID vol.12】写真 / 舩橋諄
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スポーツ 2018年06月08日 21時15分
「IWGPが最強だと世界に見せたい」新日本オカダ・カズチカ、いざ大阪城ホールへ!
新日本プロレスは6.9『DOMINION』大阪城ホール大会の調印式と直前会見を7日、都内の本社で行った。IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカと挑戦者のケニー・オメガが出席。2人はIWGPのタイトルマッチとしては前代未聞の「時間無制限3本勝負」という試合形式でメインイベントを闘う。 「オイ、ケニー!いないのは知ってるよ。オメエがいないから、俺はあえてベルトを置いてきたんだ。ここじゃないな、まだ。大阪城だな。6月9日、時間無制限3本勝負!そこで勝って、ベルトをしっかり巻いて、帰ってきます」 4日の後楽園ホール大会で、オカダはこう叫んだ。オカダはウィル・オスプレイとのIWGPチャンピオンタッグを結成し、ケニーの相方である飯伏幸太、チェーズ・オーエンズを相手に快勝していた。本人が言う通り、どの会場でも入場する際にIWGPヘビー級のベルトを腰に巻いてはいない。 王者はインタビュールームでも「いやぁ…ひっさしぶりの試合。約1ヵ月ぶり。間違いなくケニー・オメガ、出てこなかったねぇ!肩透かし。たまらないよ」と嘆く。「こんなにガッカリするのは久しぶりだけど、俺も抵抗させてもらうよ。子供がやるようなことかもしれないけど、ベルト、巻かねぇからな。6月9日、大阪城ホール、そこでは対戦相手はオマエだ」とケニーの思いをぶちまける。「しっかりベルト巻いて入場して試合して、時間無制限3本勝負、勝って、ベルトをまた巻いて、帰ってやる」と宣言した。 前シリーズでオカダは、飯伏、棚橋弘至らとともに最終戦のみ出場した。一方ケニーはシリーズを全休し、日本で大阪城決戦でのIWGPヘビー級王座初奪還に向けて練習に専念。本人はパートナーの飯伏と「限界を超えたトレーニング」を積んでいたと調印式の場で明らかにしている。 「ボクはただ、ホントに『このIWGPが最強なんだよ』ということを世界中に見せたいだけで。ボクがその新日本プロレスの先頭に立って、チャンピオンの素晴らしさ、新日本プロレスの素晴らしさというのをただ広めていきたい」と、世界にアピールする闘いを思い描くオカダ。これに対してケニーは「日本に来てから、俺は自分の目標を“リスト”にしてきた。『G1』優勝、『ベストバウト』をチェック、インディーベストバウト、タッグ王座、KO-D無差別級王座、IWGPジュニアタッグ王座、インターコンチネンタル王座…こうして考えると、全ての項目にチェックを入れてきて、『一番最後に残ったがこのIWGPヘビー級のベルトなんじゃないか?』と思う」と今回の一戦をキャリアの集大成と位置づけた。 3本勝負を提案したケニーは「時間よりフォールコントロールが重要。1本目、どちらがどれだけ早くフォールを取るか」をポイントに挙げた。過去の3本勝負の歴史をひもとくと、1本目は早期決着が多い。1本目を先取すると残る試合の主導権を握ることができ、精神的にも優位に立つことができる。ケニーのコメントは頭に入れておいた方が良さそうだ。 オカダのV13か?ケニーの初戴冠か?G1クライマックスにIWGPヘビー級王者として出場する選手が大阪城ホールで決まる。取材・文 / どら増田写真 / 舩橋諄
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