プロレスや格闘界のみならず、芸能界まで股にかけたかつての活躍も今は昔。ウェブテレビなどでたまに見かけるだけというのは、いかにも寂しい話ではある。
しかし、日本で最も有名な外国人プロレスラー、もしくは格闘家と定義したとき、熱心なファンだけでなく一般の認知度までを含めたならば、サップはその上位に挙がってくるだろう。
'02年4月にPRIDE初参戦、同年6月にK-1初参戦を果たすと、粗削りながらも力感あふれる闘いぶりを披露。同年8月にはPRIDEヘビー級王者のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに挑戦し、総合格闘技ルールで敗れたとはいえ、三角締めをパワーボムで返すなどあわやの場面をつくり出した。
さらに同年10月には『K-1 WORLD GP』の開幕戦において、それまでに3度の優勝を誇るアーネスト・ホーストをパワーで圧倒。TKO勝利を飾って、一躍トップファイターとして名乗りを上げた。
勝利後にダンスを踊るなど陽気なキャラクターも親しまれ、そんな人気の高まりから11月にはサップをエースとしたプロレスイベント『ファンタジーファイトWRESTLE-1(レッスル・ワン)』(以下W-1)が開催された。
フジテレビ系で放映された際のサブタイトルは“ボブ・サップのプロレスエンターテイメントショー”で、メインイベントに登場したサップはザ・グレート・ムタを高さ十分のドロップキックで吹き飛ばすと、トップロープからのダイビング・ヘッドバットで3カウントを奪ってみせた。
かように日本マット界を蹂躙した“ザ・ビースト”ことサップは、それにとどまらず一般メディアにも進出することになる。
「W-1の平均視聴率は8.4%で、当時のゴールデンタイムとしては不合格。格闘界はともかく、一般へのサップの知名度はまだまだでした。しかし、同月末に放送された『ガキの使いやあらへんで』(日本テレビ系)への出演が、バラエティータレントとして人気爆発する呼び水となりました」(プロレスライター)
番組内の人気企画“七変化”に松本人志プロデュースで登場すると、たどたどしい日本語を駆使して一人コントを熱演し、これが歴代でもトップクラスのバカウケとなったのだ。
以降はK-1、PRIDE、W-1に芸能タレントと“4足のわらじ”を履き、まさに大車輪の活躍を見せたサップだが、翌'03年3月には、早くもその先行きに暗雲が立ち込める。
当時、上り調子にあったミルコ・クロコップに、K-1ルールで敗れたのは実力通りであったとはいえ、問題はその負け方。ミルコの左ストレートを右眼に食らうと、そのままリングにへたり込んだのだ。
「試合後の検査で眼窩壁骨折と判明しましたが、しかし、そのときのサップは失神したわけでも体力が尽きたわけでもない。ドクターストップに該当する重傷とはいえ、普通の格闘家であれば“痛いから”との理由で自ら試合を放棄することはない。そうした性格面でサップは格闘家向きではなかった」(格闘技記者)
同年夏には復帰して、大みそかには曙を相手に歴史的KO勝利を収めたものの、サップにかつての迫力が戻ることはなかった。体格差のある日本人選手などが相手なら一気呵成に攻め勝つことはあっても、一流どころとの対戦では、相手の攻勢に背を向けて逃げる仕草を見せるようになる。
'04年3月には新日本プロレスに参戦してIWGP王座を獲得したが、5月の総合格闘技戦で藤田和之に一方的にボコられると、やはり自らギブアップを宣して敗北。同時にIWGP王座を返上し、わずか2カ月ほどで新日のリングを去ることになった。
“プロレスは格闘技よりも楽”と本気で思っている人もいようが、まったくそんなことはない。一撃で致命傷となる危険性こそ低いとはいえ、長時間にわたり受け身を取り続けることから、肉体に蓄積されるダメージはむしろプロレスの方が上であり、サップはそうしたプロレスの厳しさを自らの選択で実証したわけだ。
「サップの低迷は性格面に加えて、キックでは素人同然の曙との試合や芸能活動などで、いわゆる“イージーマネー”を手にしたことの影響も大きかったでしょう。楽に稼ぐ方法を知ってしまったので、身を削るプロレスなどやってられないというわけです」(同)
その後、サップはイージーマネーを格闘技の新たな側面に求める。世界各地で行われる格闘技イベントにおいて、地元エースの“噛ませ犬”となる道を選んだのだ。
「まずは攻める姿勢を見せて、相手が反撃に出ると特に効いた攻撃がなくとも即座にタップアウトするというのが、近年の定番スタイル。秒殺負けも度々という、まさしく“省エネファイト”に徹しています」(同)
サップ当人がそれで満足ならば他者がとやかく言うことではないが、曲がりなりにも一世を風靡したファイターの末路としては、あまりに寂しい話ではある。
ボブ・サップ
1973年9月22日、アメリカ合衆国コロラド州出身。身長200㎝、体重145㎏。得意技/ビースト・ボム、ドロップキック
文・脇本深八(元スポーツ紙記者)