新日本
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スポーツ 2018年07月04日 21時15分
中邑真輔が“永遠のライバル”棚橋弘至と台湾で再会しツーショットを公開!
WWEの日本人スーパースター中邑真輔。残念ながら6月29日、30日の東京公演では、警察犬に噛まれて負ったケガが完治せず、AJスタイルズとの試合はキャンセルされた。29日は会場に現れて挨拶し、30日はメインイベントの終盤、前日の挨拶中に乱入。襲撃してきたサモア・ジョーに急所攻撃を放ち、結果的にAJの勝利をアシストした。 東京公演に出場したスマックダウンのスーパースターたちは翌7月1日に台湾の台北公演に向かった。実は中邑の“永遠のライバル”である新日本プロレスの棚橋弘至も6月29日からファッション誌の撮影のため台湾入りしており、一部ファンの間では両者の再会が実現するのではないかと期待が高まっていた。 2日の深夜、棚橋は中邑と椅子に座り足を組みながら、それこそファッション誌の表紙を飾ってもおかしくないオシャレなツーショットをツイッターにアップ。台湾公演終了後に再会が実現したのだ。日本人女子スーパースターのアスカも2人と並んだ写真をツイッターにアップしており、食事をともにしたものと思われる。 2人は今年4月のWWE最大のビッグイベント『レッスルマニア』の直前にもアメリカで飯伏幸太を交えて再会を果たしており、今年2度目の再会となった。これには2人の関係性を知るファンから歓喜の声が殺到した。 新日本時代は中邑がCHAOSを結成してから、G1クライマックスの決勝で棚橋に敗れ、棚橋の手を上げて称えた場面が印象的だ。また、新日本ラストマッチの試合後、中邑との対戦を迫るケニー・オメガの前に立ち、中邑に代わり自分が対戦すると宣言した棚橋の肩にガッチリと手を置いた場面も忘れられない。両者はライバルとして認め合いながらも、公にツーショットを見せることはほとんどなかった。 しかし、昨年テレビ朝日系列で全国放送された『プロレス総選挙』で、棚橋が6位に選ばれると棚橋は「中邑も6位な」とツイート。これにランクインされなかった中邑が即座に反応するなど、離れていても2人の関係は永遠であることをさらに印象づけている。なお、この番組は侍ジャパンの中継が大幅に延び、放送時間が大幅に遅れたことでも話題になった。 棚橋はかつて鈴木健三(現・KENSO)と「タナケンタッグ」を結成した際、「ザ・ブッシュワッカーズみたいになりたい」と後にWWE殿堂入りを果たした名タッグチームの名前を出したことがあるほど、以前からアメリカンプロレスへの思いは強い。 棚橋はIWGPヘビー級王者時代に「不透明決着をしないリック・フレアー」とか「NWA世界王者のレスリングスタイル」と言われていたのは棚橋のプロレスの根底にアメリカンプロレスがあるからだ。まさかライバルの中邑がWWEに入り、大ブレイクするとは思わなかっただろう。アントニオ猪木流のストロングスタイルを“やらされていた”時代の中邑を近くで見てきた棚橋にとっては感慨深いのではないだろうか。 現在の中邑はWWEで重要なポジションを任されている。ヒデオ・イタミがプロレスリング・ノアに凱旋し、9月に両国国技館で丸藤正道とメモリアルマッチを行うのと同様に、中邑が新日本に凱旋して棚橋と対戦する可能性はゼロに近い。WWEは新日本を警戒しているし、新日本もWWEを刺激しようと積極的にアメリカ進出している。そもそも、今の2人が交わる意味合いもない。ただ、永遠のライバルはいつかまた交わる時が来るはずだ。個人的にはあのツーショットを見て、対戦するよりも2人がタッグを結成し、オカダ・カズチカ&内藤哲也と一夜限りのドリームタッグマッチのようなものを見てみたいと思った。 こうした妄想を勝手に膨らませることができるのは、本来プロレスが持っている最大の魅力だと思う。文 / どら増田写真 / 垪和さえ
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スポーツ 2018年07月03日 06時00分
GOING-UP旗揚げ第2戦、“18歳の新星”井土徹也に中高年ヒール軍団が返り討ち!
GOING-UPプロレスリング『middle edge シリーズ vol.1』▽6月30日 東京・王子BASEMENT MON☆STAR 5月に開催された旗揚げ戦で、メインイベント終了後、“中高年を元気にする鬼将軍”ガッツ石島を襲撃しリング上を占拠した、藤原秀旺率いる中高年ヒール軍団アライバル。そこに助っ人としてさっそうと現れアライバルを蹴散らしたのが、GOING-UPを運営するHEAT-UPプロレスから参戦した“18歳の新星”井土徹也だった。 井土はガッツにタッグ結成をお願いし、アライバルとの抗争に身を投じる気持ちをアピールした。アライバルもこれを受け入れた。旗揚げ第2戦目のメインで、ガッツ&井土の世代間超世代タッグが登場することに決まった。相手は藤原と松崎和彦だ。藤原はかつて新日本プロレスやWWEで活躍したバッドニュース・アレンも腰に巻いたCCWカナディアンヘビー級王者。そして松崎は、あの元NWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスが7回防衛し、リック・フレアーらアメリカンプロレス界のレジェンドが歴代王者に名を連ねる、NWAミズーリ州ヘビー級王者だ。“番長”の異名を持っている。 団体側が藤原の放送禁止用語も含めた暴言や、暴走を危惧したのか『中高年的世直し〜越えろ!コンプライアンスの壁』というタイトルが付けられたこの試合。先手を許すまいと、井土は藤原が被っている謎の黒覆面を剥ぎ取り、マスクにストンピングの連打を放ち、マスクを客席に投げ捨てた。井土は不敵な笑みを浮かべながら、アライバルを挑発した。しかし、親子ほどの年齢差があるであろう若手レスラーに舐められるわけにはいかない。アライバルの2人は、“プロレス界の人間国宝”級のテクニックを誇る松崎のレスリング技と、藤原のラフファイトを繰り出した。これがまだキャリアの浅い井土にダメージを与え、パートナーのガッツにもタッチをさせる余裕を与えなかった。 ようやくタッチを受けたガッツは、ラリアットやWARスペシャルを繰り出し、アライバルの2人をブレーンバスターで投げるなど、桁外れのパワーを披露。息を吹き返した井土も綺麗なジャーマン・スープレックスホールドで藤原からあわやカウント3の場面を作った。しかし、最後はアライバルが凶器攻撃を駆使し、松崎の“伝統芸能”ネックブリーカードロップ、直下式ブレーンバスターから秀旺が100%メロ〜ンジュース(高角度パワーボム)を食らわせて万事休す。“悪い”大人の洗礼を浴びてしまった。 試合後、旗揚げ戦と比べて出番がなかったガッツがマイクを掴むと「藤原秀旺、おもしれえじゃねえかよ!次の7.29王子でまたやろうじゃねぇか!」と再戦をアピール。すると藤原は北斗プロレスの参戦が前から決まっているとしてこれを拒否。客を毒づいてから松崎と控室へ引きあげた。 ガッツは大の字になっている井土に「今日の負けぐらいでへこたれるな!若いお前がへこたれてて、どうやって中高年に元気を与えられるんだ!立て!」と井土に喝を入れた。藤波辰爾の飛龍革命のときを彷彿とさせる張り手を放つと、井土が間髪入れずに張り返して、2人でアライバルにリベンジする覚悟を満員のファンの前で示した。次回大会では松崎がパートナーを引き連れて来ることになりそうだ。180センチの長身と恵まれた体、甘いマスクを兼ね備え、インディープロレス界の近い将来を担う存在として注目されている井土にとって、アライバルとの抗争は乗り越えなければならない壁であることは間違いないだろう。 セミファイナルでは、新日本プロレスのLION'S GATEにも参戦しているHEAT-UPユニバーサル王者の兼平大介が、ノンタイトルながらマスクドミステリーとのインディーヘビー級対決が実現。最後はHEATクラッチで兼平がチャンピオンの意地を見せたが、次回はタイトル戦で見たいと思わせる好勝負だった。 またGOING-UPだけではなく、HEAT-UPでもさらなる活躍が期待されている大谷譲二は、ジョシュ・オブライエンと日米タッグを結成。最後はHEAT-UPの若手選手でサンボを習得した飯塚優に、ミスター雁之助から伝授された腕極めノーザンスープレックスホールドでフォール勝ち。息もぴったりの日米タッグは、今後もタッグを組む意向を明らかにしている。GOING-UPではIWA熱波軍以外に本格的なタッグチームがいない。大谷にとっては良いところに目をつけたのかもしれない。 全体的に中高年よりも若い選手の台頭が目立った旗揚げ第2戦だが、第1試合では元FMWの黒田哲広が、黒田と同じPWCにも所属していたベテランの渡辺宏志とマニアがうなる好勝負を展開。メインでは中高年ヒール軍団が、前回喧嘩を売られた18歳の井土を返り討ちにした。今回もメインの客層である中高年のファンからは「元気になれました」という声が聞かれた。 プロレス界において世代闘争は数多くの団体で行われてきたが、『中高年を元気にする』というコンセプトは新鮮だ。次回、中高年を元気にするのは、中高年の選手か?若い選手か?場内実況もあり、プロレス初心者にも分かりやすいGOING-UPは十分に化ける可能性を秘めている。取材・文 / 増田晋侍写真 / T-サモハン
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スポーツ 2018年07月02日 21時45分
WWE東京公演最終日、ヒデオが柴田勝頼に捧げるあぐらパフォーマンス!締めは中邑!
アメリカ・WWE『WWE Live Japan TOKYO』(最終日)▽6月30日 東京・両国国技館 観衆 8,329人 初日にWWEでは格上のシェルトン・ベンジャミンを破ったヒデオ・イタミ。最終日はさらに格上で、初日にダニエル・ブライアンと激闘を繰り広げたザ・ミズと対戦した。この日も205 Liveで見せているラフファイトは封印。逆にミズがヒールファイトに徹していた。場内は試合前から大ヒデオコール。これは昨年や今年の初日には見られなかった光景だ。初日にヒールファイトを封印し、本来の魅力であるKENTAスタイルの試合を見せたことをWWEユニバース(ファン)が受け入れたのかもしれない。 この試合が最もわいたのは、場外に投げられたヒデオをミズが追うと、ヒデオがすぐにリングに戻り“盟友”柴田勝頼のようにあぐらをかくパフォーマンスでミズを挑発したシーンだ。中邑真輔の移籍に伴い、新日本プロレスのファンも多くWWEの日本公演に足を運ぶようになったが、このシーンを見て涙を流す女性ファンもいた。 ヒデオと柴田は2005年、プロレスリング・ノアに参戦しタッグを結成したことから意気投合。柴田がフリーになってからも何度かタッグを結成している他、プライベートでも仲が良いことを公にしている。ヒデオがWWEと契約した際に柴田は「彼の長年の夢だった」とエールを送っており、この試合でのあぐらパフォーマンスは、現在長期欠場中の柴田に対するエールなのだろう。今回のツアーは「ヒデオ」というより、やはり「KENTA」の色が強い。 試合は、ミズのラフファイトに苦戦していたヒデオが連夜のgo2sleepを狙ったが、ミズはキャッチし足4の字固め。大ヒデオコールの中、ヒデオが切り返すと大歓声が沸き起こった。最後はミズのビッグブーツにヒデオが張り手を放って担ぐとミズが着地。そのままバックを取るが、ヒデオのカサドーラで丸め込まれ3カウント。ヒデオが連夜の金星を挙げた。 ヒデオ勝利に沸く会場のスクリーンには、NXTのロゴがスクリーンに映し出され、スターダムを退団したばかりの紫雷イオが登場した。昨年は同じく元スターダムのカイリ・セインがスクリーンに登場し、WWEとの契約を発表したが、イオはリング上でマイクを握った。 「WWEユニバースのみなさん、はじめまして。紫雷イオです。きょう会場にいらしてるみなさん、私のことご存知でしょうか?皆さん!お待たせしました。この夏より、私はWWEに入団致します!」と入団発表。「この、世界一のリングで、私はこれから輝いていきます。みなさんぜひ、私と一緒に、夢を見てください。どうぞ楽しみにしていてください。よろしくお願いします」とファンに自ら報告した。カイリはウェルカムモードで、すでにSNSでイオの入団を歓迎している。アスカとは姉の紫雷美央も含めて、かつてともに行動をしていたが、喧嘩別れのような形(イオはスターダム移籍が原因)で終わっているだけに、今後の動向が気になるところだ。 そのアスカは、カーメラが保持するスマックダウン女子王座に挑戦。日本時間16日に開催される次回PPV『エクストリーム・ルールズ』でも挑戦が決定しているため、前哨戦の意味合いも込められたマッチメイクだったが、カーメラはアスカに場外でイス攻撃を放ち反則負けを喫した。反則による王座移動はないという大昔から続いている「アメリカンルール」により、アスカは王座奪取に失敗した。最後はカーメラにハイキックを放ち、16日のタイトル戦に向けて爪痕を残した。 中邑真輔欠場に伴い、メインはAJスタイルズのWWE王座に、ダニエル・ブライアンと、サモア・ジョーが挑戦する3WAYマッチに。AJはジョーのパワーファイトにまたもや苦戦するが、これを救ったのはなんと中邑だった!試合終盤、ジョーがコキーナクラッチを決めたところで中邑が乱入。カットしようとした。ジョーは中邑の松葉杖を取り上げたが、この隙を突いて中邑が急所攻撃!AJがジョーに連夜のフォノメナール・フォアアームをズバリと決めて王座防衛に成功した。 AJとギャローズ、アンダーソンはバレットクラブ時代のお約束・ウルフパックでタッチし、中邑に敬礼。昔の新日本の空気が漂う中、中邑は「アンダーソン、ギャローズ、AJスタイルズ、今夜は勝てたのはシンスケナカムラのおかげだ。ノースピークジャパニーズ。次回僕が日本に来る時はこのベルトを巻いて、もしくはここで巻くことを願って、再びこの両国のリングで試合をしたいと思います。まだWWEが日本に来る時は、WWEユニバースのみなさま、この両国にカモーン!」と叫んだ。最後は『イヤァオ!』の大合唱で中邑が締める形で、今年のWWE東京公演は幕を閉じた。 次回は8.31エディオン・アリーナ大阪(大阪府立体育会館)で『WWE Live Japan OSAKA』が開催される。ロンダ・ラウジー、ロマン・レインズ、ブラウン・ストローマン、フィン・ベイラー(プリンス・デヴィット)ら、ロウ所属のスーパースターが来日すると発表されている。“なんばから5分で行けるニューヨーク”も盛り上がるのは間違いないだろう。取材・文 / どら増田写真 / 垪和さえ
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スポーツ 2018年07月01日 21時15分
伝説のベイダー対ハンセンが無料公開も、タレントTの影響でノーカットではない!?
大型レスラー、ビックバン・ベイダーさんが日本時間18日に亡くなった。ベイダーさんは80年代後半から90年代前半にかけ、新日本プロレスの最強外国人としてIWGPヘビー級王者としても活躍。新日本離脱後はアメリカのWWE、WCW、日本のUWFインターナショナル、全日本プロレス、プロレスリング・ノアなどでもメインイベンターを務めた。 長らく糖尿病を患っていたベイダーさんは昨年3月末に心臓の手術をした際、自ら「余命2年」と衝撃の告白をしたが、命ある限り現役を続けると表明。翌月の4月には新日本時代のライバルであり、ベイダーさんがリスペクトしていた藤波辰爾のデビュー45周年記念大会に出場。試合後、ベイダーの師匠の一人とも言えるアントニオ猪木が挨拶を始めようとしたところ、リング上で倒れるハプニングもあった。死因は肺炎と言われているが、持病の糖尿病がうっ血性心不全を悪化させたものと思われる。享年63歳。今年も来日を希望していたと藤波夫妻に話していたそうで、とても残念だ。 新日本プロレスでは、動画配信ストリーミングサイト「新日本プロレスワールド」で、ベイダーさんを追悼し、ベストバウトと言われているスタン・ハンセンとのIWGPヘビー級選手権試合(1990年2月10日、東京ドーム)を無料公開した。ハンセンは80年代前半に“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントとともに、新日本の最強外国人としてファンの支持を得ていたが全日本に引き抜かれ、“超人”ハルク・ホーガンにその座を譲っている。 ここで、ハンセンとベイダーとの新旧新日本最強外国人対決の経緯を説明しよう。 当初発表されていた目玉カードであるNWA世界ヘビー級選手権試合、リック・フレアー対グレート・ムタを、当時両選手と契約していたWCWが突然キャンセルした。理由は同年4月にWCWのライバル団体だったWWF(現WWE)が、東京ドーム大会を合同で開催することに難色を示したからと言われている。 前述の通り、新日本と全日本は80年代、引き抜き合戦を繰り返していた。「プロレス界ベルリンの壁」と言われるほど険悪な関係にあったが、猪木が政界進出とともに社長から会長に、坂口征二が社長となったことで、全日本のジャイアント馬場社長(当時)と年明けから急接近した経緯がある。 フレアーは日本では全日本の管轄下にあった選手だが、新日本のスティーブ・ウィリアムスと一時トレードするという条件で、馬場社長はフレアーの新日本参戦を容認。ウィリアムスはテリー・ゴーディとのタッグで、全日本のツアーに参戦することが発表された。 しかし、WCWのドタキャンにより、メインカードが飛んでしまった新日本は、坂口社長が馬場社長に選手の貸し出しを「直訴」。馬場社長は旧知の坂口社長に対して「あぁいいよ。お前の社長就任祝いだ」と快諾。当時全日本のトップ選手だったジャンボ鶴田、天龍源一郎、谷津嘉章、タイガーマスク(三沢光晴)、そしてスタン・ハンセンを新日本の東京ドーム大会に派遣した。日本人選手は日本テレビと契約していた関係で、ノーテレビ、ノービデオ(後にDVDに収録)が両団体の間で約束されたが、ハンセンに関しては「テレビ問題は発生しない」として、テレビ朝日系列の特別番組を通じて、試合を全国放送した。 試合に関しては、新日本と全日本の最強外国人対決とあって、ど迫力のスーパーヘビー級対決が繰り広げられたが、試合を収録したVHS版、DVD作品、「新日本プロレスワールド」を見ていると音が消えたり、編集が不自然な場面が見受けられる。 この大会は“元横綱”北尾光司のデビュー戦があった。猪木も政界進出後初の参戦、翌月に引退を控えていた坂口も登場した。テレビ朝日はゴールデンタイムでの録画放送を決断。ゴールデンタイム用のゲストとして、タレントの田代まさしを起用した。田代のコメント部分は9割強カットされており、ビジョンにも大写しになった田代のアップは“カット”されているため、この試合の映像は“ほぼノーカット”という表現が正しい。そういう面も含めて伝説の一戦と言えてしまうのが、プロレスの面白さであり、奥深さである。【どら増田のプロレス・格闘技aID vol.14】
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スポーツ 2018年06月27日 21時15分
ジェリコ新日本参戦よりスゴイ!ノア9.1両国で丸藤正道がWWEヒデオ・イタミと激突!
6月26日に開かれたプロレスリング・ノアの後楽園ホール大会で、思わぬサプライズ発表があった。9月1日に両国国技館で開催する丸藤正道のデビュー20周年大会のメインイベントで、丸藤とヒデオ・イタミがシングル対決をするというのだ。ヒデオは2014年4月30日の後楽園大会を最後にアメリカWWEに移籍。現在はWWEの軽量級ブランド、205 Liveに所属し、ヒールに転向したばかり。今月29、30の両日に開催されるWWE東京公演への出場も決まっているWWEバリバリのスーパースターだ。 WWEの公式ホームページにもスーパースターとして掲載されているクリス・ジェリコも今年から新日本プロレスにスポット参戦し、プロレスファンに大きな驚きを与えている。ジェリコの場合は、WWEには参戦する時のみワンマッチ契約するフリー選手だったため、新日本参戦が実現したと言われている(ジェリコいわく、WWEのビンス・マクマホン代表の許可は得ているとのこと)。 しかし古巣のリングとはいえ、ヒデオ・イタミのようにWWEに本格参戦している選手が凱旋帰国するのは近年では異例中の異例。中邑真輔がWWE所属のまま新日本に凱旋し、棚橋弘至と対戦するようなものである。ただ、かつてのWWEはまたTAKAみちのく&ショー・フナキの海援隊が所属していた縁から、新崎人生が白使のリングネームで帰還したこともあった。ジ・アンダーテイカーもみちのくプロレスに派遣。海援隊を一時帰国させ、ザ・ロード・ウォリアーズのWWE時代のチーム名だったリージョン・オブ・ドゥームをバトラーツに派遣するなど、90年代はスポット的に所属選手を来日させることがたびたびあった。 ヒデオは全日本プロレス時代、本名の小林健太で活動していた。丸藤はデビュー戦の相手を務めてくれた先輩であり、一緒にプロレスリング・ノアの旗揚げに参加している。リングネームをKENTAに変えてからは、ノアのジュニアヘビー級戦線で活躍。タッグパートナーに丸藤を据え、闘う時は良きライバルとして、お互いに切磋琢磨してきた。2人は切っても切れない関係にある。 丸藤がジュニアでありながらGHCヘビー級王者になった際にはKENTAが挑戦し、丸藤が古巣の全日本で世界ジュニア王者になった際には、GHCジュニア王者だったKENTAが名乗りを上げ、初のダブルタイトルマッチを敢行。60分時間切れ引き分けの激闘を演じている。その後、ヘビー級に転向し、GHCヘビー級王座を奪取。ヘビー級転向後は反体制ユニットを立ち上げるなど、常に丸藤の対角線に立っていたが、ノアのラストマッチでは丸藤とのコンビを復活させファンを喜ばせた。 WWEは8月31日に大阪公演が決定しており、ヒデオはこちらにも出場する可能性は高い。ノアの交渉に応じたWWEの狙いが気になるところだが、今は夏の終わりに実現するドリームマッチに期待したい。なお、当日は丸藤と所縁のある選手(新日本からは不参加)が団体の枠を超えて多数参戦する。文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年06月24日 06時30分
新日本G1武道館大会、ケニー・オメガと飯伏幸太がDDT武道館大会以来6年ぶりに対決!
2012年8月18日、インディー団体DDTプロレスリングのKO-D無差別級王者だった飯伏幸太は、DDT初となる日本武道館大会のメインイベントで、ケニー・オメガを挑戦者に迎えた。ケニーとのシングルはビアガーデンプロレスでの初対決以来、4年ぶり2度目だった。試合は両選手ともに37分間動き続けた末、フェニックス・スプラッシュで飯伏が防衛に成功している。この試合中に飯伏が2階からムーンサルトを放った場面が、日本武道館サイドを激怒させたと言われている。飯伏自身も「G1クライマックスに出たいけど、武道館から出禁を食らっているから出られない」と自虐ネタをたびたび口にしていた。 あれから6年が経ち、2人はDDTを離れて、立ち位置も変わった。飯伏はフリー、ケニーは新日本プロレスでIWGPヘビー級王者にまで上り詰めた。変わっていないのは2人のプロレスに対する気持ちであり、価値観だろう。昨年は「決勝で闘いたい」とお互いに熱望しながら、飯伏は決勝に進出できなかった。しかし、ケニーが決勝で内藤に敗れると、ヤングバックスに肩を借りながら控室に戻る直前に近づき、飯伏はケニーに何やら声をかけている。ここから今年2月のゴールデン☆ラヴァーズ再結成につながった。 「8.11日本武道館!ケニー・オメガ対飯伏幸太!」 18日の後楽園ホール大会で『G1クライマックス』のブロック分けが発表された時点で、予想していたファンは多かっただろうが、19日の後楽園大会で各大会の主力カードが発表されたときの反響は大きかった。場内スクリーン映像とバロン山崎氏による力のこもったナレーションで、最後にこのカードが発表されると、後楽園は割れんばかりの拍手に包まれた。 中邑真輔対AJスタイルズは新日本マットから続くストーリーを世界のメジャー団体WWEで実現させている。ケニー対飯伏も、DDTの続きをメジャーの新日本で実現させる、という意味では似たシチュエーションだ。『G1クライマックス』は新日本プロレスワールドで全試合、世界配信することが決定している。試合順はその日までの得点経過などを見て決定するとしているが、新日本の武道館大会のメインでケニー対飯伏が実現したらこんなに痛快なことはない。 「自分もやらなきゃいけないことがある」 ケニーがIWGPヘビー級王座を、ヤングバックスがIWGPタッグ王座を奪取し、飯伏を加えた4人でゴールデン☆ELITEの結成を表明した際、メンバーで唯一丸腰の飯伏はこんな言葉を残した。ケニーとの間に因縁はいらない。2人にとっては、やりやすい環境ができた。そんな中、飯伏が「やらなきゃいけないこと」とはケニーに3連勝し、翌8.12武道館大会の優勝決定戦でも勝利を収め、G1を制覇することではないだろうか。 ケニーと飯伏による6年ぶりのシングルが待ちきれない。【どら増田のプロレス・格闘技aID vol.13】
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スポーツ 2018年06月22日 16時00分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ブロック・レスナー」“強さ”でプロレス界を制圧した特別な存在
『レッスルマニア34』の終了後にはWWE離脱とUFC再復帰を噂されたブロック・レスナーだが、WWEとの契約は継続しているようだ。 プロレスと総合格闘技のトップ団体をてんびんに掛けることのできる人間は、いま現在、レスナーをおいて他にない。 「最強のプロレスラーは誰か?」 いつの時代もファンの間では定番の問答だが、その正解に最も近いのがレスナーであろう。 学生時代には数々のアマレス大会で活躍し、猛烈なスカウトを受けてWWEに入団すると、下部団体で1年半ほど経験を積んだ後、2002年に一軍昇格。それからわずか5カ月後には、絶大な人気を誇ったザ・ロックを破って団体最高位であるWWE統一王座を獲得した。これは当時の最年少戴冠記録であった。 まさに筋肉の塊というべき肉体から繰り出されるパワフルかつスピーディーな技は圧巻の一言で、どんな巨漢が相手でも軽々と担ぎ上げて必殺のF5(旋回式フェイスバスター)を決めてみせる。 さらには、トップロープからのシューティングスター・プレスまでも繰り出す身体能力の高さもあって、そのあまりの強さからヒールでのデビューにもかかわらず、ベビーフェイス並みの人気を獲得することになった。 WWEでは不可欠ともされるマイクパフォーマンスのほとんどをマネージャーのポール・ヘイマンに任せ、リング上での闘いだけでトップに上り詰めたことも特筆に値する。 「この当時の最も有名な試合の一つが、ビッグ・ショーとの“リング崩壊マッチ”でしょう。試合終盤、コーナーポスト最上段に上ったレスナーが体重200キロのビッグ・ショーをブレーンバスターで投げ落とすと、その瞬間にリング自体が崩壊してしまったのです」(プロレスライター) むろんこれは事故ではなく、団体によって仕組まれた“演出”には違いない。バトルロイヤルでは10人以上の選手がその上で闘うこともあるのに、いくらトップロープからの衝撃があったとはいえ、それでリングが壊れることなどあり得ない。 これが他の選手であれば茶番と非難されそうだが、そんなことを思わせないだけの説得力がレスナーにはあるのだ。 「そもそも200キロの相手を簡単に投げることが、レスナー以外では考えられないことですから」(同) プロレスだけでなく総合格闘技にも進出したレスナーは、'07年の『Dynamite!! USA』でデビュー戦勝利を果たすと、'08年にはUFCに参戦。キャリア4戦目でランディ・クートゥアを破り、世界ヘビー級王座を獲得している。 レスリング仕込みのタックルで倒し、抑え込んでパウンドというのが、総合での必勝パターンであった。 「アマチュア時代から変わらず、週4ペースでハードなウエートトレーニングをしているらしく、ベンチプレスでは300キロ近くを上げるとも聞きます。余計な筋肉は体が重くなるため、格闘技においてはむしろ不利だともいわれますが、レスナーにそんな常識は関係ないようです」(格闘技記者) ただし、'16年に元K-1王者のマーク・ハントと対戦した後は、ドーピング違反が発覚して出場停止処分を受けているのだが…。 日本においては'05年から新日本プロレスに参戦。初登場でいきなりIWGP王座を獲得すると(藤田和之、蝶野正洋との3WAYマッチ)、中西学、永田裕志、中邑真輔、曙らを相手に防衛を重ねた。ただし、ギャラの高さゆえにビッグマッチ限定の参戦にとどまる。 「NFL挑戦のため'04年にWWEを退団したものの、夢を果たせなかったレスナーにとって、新日参戦は次の働き口が決まるまでのアルバイト感覚だったのでしょう。ファイト自体も懸命さが感じられず、大きなインパクトは残せませんでした」(前出・プロレスライター) さらに、'06年には棚橋弘至との防衛戦を拒否して、ベルトを持ったままトンズラをかましている。 「すでにこの時は総合参戦に向け特訓中で、おそらくは棚橋にベルトを渡すアングルだったはず。それが気に入らなかったというのもあるでしょう」(同) なお、棚橋の決めゼリフである「愛してます!」が生まれたのは、このレスナー戦の代わりに行われたIWGP王座決定戦に勝利したリング上でのことだった。 現在のレスナーの動向はその新日参戦時と似ており、ドーピング違反でUFCから出場停止処分を受けた謹慎中に、WWEのリングへ上がっているような状況だ。 それでもレスナーの格は落ちない。ビッグマッチ限定の参戦にもかかわらず、'17年度の年俸は団体中2位の650万ドル(約7億円=経済誌『フォーブス』による推定値)だという。 これほどの特別待遇は、やはりUFCでの実績があってのこと。エンターテインメントショーを明言するWWEにあって、なおその強さに対価が払われるということからも、レスナーがいかに特別な存在であるかがうかがえよう。 試合をすっぽかそうが、パートタイムでの出場であろうが、ファンや関係者も「レスナーなら仕方ない」と思わざるを得ない。強さでプロレス界を制圧したという意味では、歴史的にも希有な例と言えそうだ。ブロック・レスナー1977年7月12日、アメリカ合衆国サウスダコタ州出身。身長191㎝、体重130㎏。得意技/F5、キムラロック文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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スポーツ 2018年06月21日 11時40分
新日本プロレス90年代初期の“最強外国人”ビッグ・バン・ベイダー死す!
21日未明に突然の訃報が飛び込んできた。世界最大のプロレス団体WWEは日本時間21日0時41分にツイッターを更新。「ベイダーことレオン・ホワイトが月曜(米国時間18日)の夜に63歳で亡くなった」とツイート。これに先立ち、20日の23時47分にはベイダーの公式アカウントで息子さんが訃報を伝えている。新日本プロレスの最強外国人選手として90年代初期の黄金期を支えたベイダーの訃報に日本のレスラーや関係者は衝撃を受けている。ベイダーは学生時代からアメリカンフットボールの有望選手として期待され、NFLでも活躍している。膝の怪我が原因で引退すると、ブラッド・レイガンスにスカウトされ、当時アメリカ第3の団体だったAWAや、ヨーロッパマットで暴れていたところをマサ・サイトーが新日本プロレスにスカウト。1987年12月にあのビートたけし率いる、たけしプロレス軍団(TPG)の刺客として、たけしやたけし軍団とともに、永井豪がデザインした甲冑姿でアントニオ猪木の前に現れ、当日発表されていた猪木対長州力のシングルを強引に変更させてしまい、猪木をシングルで秒殺したが、このカード変更に激怒した観客が暴動を起こし、新日本はしばらく両国国技館を使用できなかった。時代が平成に入ると、体力的に落ちてきた猪木から、“飛龍革命”を宣言した藤波辰巳(藤波辰爾)を新たなライバルとし、数々の試合を繰り広げ、闘魂三銃士の、故・橋本真也、武藤敬司、蝶野正洋にとっては厚い壁として立ちはだかった。ファンはそんなベイダーの強さから“新日本愛”を感じ、1990年2月10日に行われた、当時全日本プロレスに所属していたスタン・ハンセンとの夢の新旧新日本最強外国人対決は、予想を遥かに上回る迫力満点の名勝負となり、結果は両者リングアウトの引き分けに終わったが、ベイダーが試合を押していたこともあり、全日本との対抗戦3連戦のうち2連敗していた新日本ファンの溜飲を下げて見せた。新日本の木谷高明オーナーもこの試合を「外国人対決ではハンセン対アンドレ・ザ・ジャイアントを超えるベストバウト。ああいう大会をまたやりたい」と新日本買収時に話している。新日本最強外国人としてIWGPヘビー級王座を3度戴冠しているベイダーだが、91年から新日本と当時アメリカでWWEと双璧をなしていたメジャー団体WCWが業務提携したことで、WCWはベイダーにオファーし、すぐにトップレスラー入りを果たし、WCW世界ヘビー級王者になったため、徐々に来日頻度が落ちていった。そんな矢先、1993年2月に新日本にとっては最も目障りだったUWFインターナショナルがベイダーの参戦を発表。Uインターに引き抜かれたベイダーはスーパーベイダーにリングネームを変更し、元IWGPヘビー級王者として、高田延彦、故・ゲーリー・オブライトらと「フォールとロープワークがない」UWFルールで戦い抜き、高田からプロレスリング世界ヘビー級王座(ルー・テーズベルト)も奪取している。1996年の1.4東京ドーム大会では、猪木引退カウントダウンの対戦相手として、新日本に一夜復帰を果たす。この試合はベイダーの投げっぱなしジャーマンで猪木が失神。その後も高角度チョークスラム、ベイダースプラッシュ、さらにはムーンサルトプレスまで放つも、猪木は全ての技を受けた上で、ベイダーに勝利を収めている。ベイダーにとっては、猪木の受けの凄さを引き立てる損な役回りになってしまったが、あの時、新日本を裏切った罪滅ぼしのようにも見えた。その後、全日本プロレスに移籍すると、かつての強さとキレが戻り、故・三沢光晴、川田利明、小橋建太らのライバルとして名勝負を量産。ハンセンや、スティーブ・ウィリアムスなどかつての盟友とも再会を果たし、新日本時代以来のタッグも結成している。2000年に三沢が全日本を退団し、プロレスリング・ノアを旗揚げすると、ベイダーも行動をともにしたが、素行不良が原因で早々に離脱。ノア離脱後は再びアメリカに戻りWWEにも参戦。日本でも自主興行をはじめ、インディー団体にも参戦するなど、一連の行動から、親日家としての一面が見られた。最後の来日は、昨年の4月。後楽園ホールと大阪で開催した藤波のデビュー45周年記念ツアーに出場。後楽園では、武藤、AKIRAと組み、藤波、長州、越中詩郎組と対戦。試合後、猪木も登場したセレモニー中、突然リング状にあおむけに倒れた。その後意識を回復し、自力で控室へ戻ったが、大阪大会では試合ではなく藤波とトークショーを行った。藤波がWWEの殿堂入りをした際も、笑顔で拍手を送る姿が世界に配信されるなど、ベイダーにとって藤波は大切な存在だったようだ。私にとって個人的に残念だったのは、新日本からUインターに移籍してしまったことである。ベイダーが出場した『G1クライマックス』は1991年8月の第1回大会のみ。もう何年か参戦していれば、まだまだ面白いカードが実現したかもしれない。蝶野はベイダー超えをできないまま移籍している。ベイダーの死去により、盟友だったクラッシャー・バンバン・ビガロ、スコット・ノートン、トニー・ホームの新日本外国人四天王で存命しているのはノートンのみ。ウィリアムスもオブライトも天国に旅立ってしまった。ベイダーはデカくて強くて上手い外国人だっただけに、新日本ファンにとっても誇れる存在だった。1991年3月に東京ドームで、ビガロを組み、WCWのドゥームと対戦した時の歓声は忘れられない。合掌文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年06月20日 21時15分
“悪の正太郎くん”ワカマツ登場に昭和ファン感涙!マシン引退で33年ぶり再合体!
新日本プロレス『KIZUNA ROAD 2018 〜スーパー・ストロング・マシン引退セレモニー〜』▽19日 東京・後楽園ホール 観衆 1,569人 新日本プロレス最古参レスラー、スーパー・ストロング・マシンの引退記念試合。この日のために販売された引退記念Tシャツは早々に完売。新日本はこの日が後楽園ホール3連戦の最終日だったが、当日券も試合開始前には完売となっていた。会場内を歩いていると「久々に来ましたよ」「やっぱりマシンの最後は見ておきたい」などの声が。最近、プロレスからご無沙汰しているかつてのファンも多く訪れていたようだ。 田口隆祐の「世紀の大オマージュ」として、かつて新日本マットを席巻したマシン軍団を召喚したという煽り映像が終わると、まずは内藤哲也率いるロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(ロスインゴ)がいつものように、ゆっくりと入場。BUSHIはオーバーマスクの裏にマシンのデザインを施していた。ロスインゴの入場が落ち着くと、新曲と思われるマシン軍団のテーマに乗って、マシン軍団がワンショルダー姿で登場。緑のNo.69、黒のドン、青のジャスティス、赤のバッファロー、そして白とピンクを基調としたカラフルなマスクのエースがリングインした。 サプライズはその直後に待っていた。赤コーナーの入場カーテンが開くと、鉄人28号が元ネタの“悪の正太郎くん”が現れたのだ。マシン軍団を“操縦”してきたマネージャーの将軍KYワカマツは、ハンドマイクにムチを持ち、帽子とサングラス、白装束のコスチュームから装飾品を身にまとう。当時に近い姿で元気よく登場した。これには昭和時代からのファンから「おー」とどよめきが起こった。ワカマツが何かを叫びながら先導する形で、黒いマスクを被ったマシン本人が最後に入場した。試合では1985年4月以来、約33年ぶりの再合体である。 試合が始まるとマシンが赤コーナーのリングサイドに椅子を置き、座りながら、マシン軍団に声援を送り続けた。ワカマツは当時よりは動きに制約はあったようだが、ロスインゴ勢を相手に罵声を浴びせ続け、マシン軍団がピンチになるとリングに上がろうとし、マシンに止められるなど元気な姿を見せてくれた。内藤との時空を超えた「遭遇」はなかなか刺激があり、現在のファンも楽しめたのではないだろうか。 マスクに慣れない?マシン軍団相手に、マスク剥ぎなどで撹乱し、試合を優位に進めていたロスインゴだが、ドンがヒロムをアルゼンチンバックブリーカーで担ぎ上げ、場外のSANADAとEVILに投げつけてからは形勢逆転。勝機と見たエースがBUSHIにボディスラムを放った。場外ではバッファローが内藤をハンマースルーで放り投げ、セコンドのマシンがラリアットを炸裂させ、内藤が半回転する形でダウン。大歓声に包まれる中、リングではエースがBUSHIにセントーン。そして、エースとNo.69がBUSHIを捕らえたところに、ドンが重量感のあるセントーン。最後はNo.69がBUSHIに魔神風車固めを決めた。必殺フルコースを畳み掛けたマシン軍団が勝利を収めた。 ワカマツは勝利を見届けると「新日本に骨太はいないのかー?どうだー?」と絶叫し、リング上で、マシン&マシン軍団とともに記念撮影をしていったん退場した。セレモニーが始まる前、コメントブースに現れた内藤は「スーパー・ストロング・マシン、彼が今まで何発ラリアットしたか知らないけどさ、おそらく今日のラリアットが最後のラリアットでしょ?彼の最後のラリアット、内藤哲也にできたんだよ?今、こんなに輝いてるレスラーはいないよ?そのレスラーにラリアットできたんだ。感謝しろよ」と内藤流の惜別のメッセージを送った。 セレモニー前には、マシンのヒストリー映像が流れた。「プロレスにはナンバー2の存在が重要」とマシンが力説する場面が印象的だった。映像が終わると名曲「ハリケーンズ・バム」とともに、マシンが玉虫色のマスクを被って再登場し、引退セレモニーがスタートした。ゲストはマシン軍団の将軍KYワカマツ、カルガリーハリケーンズ、長州軍団、ブロンドアウトローズ。さらにレイジングスタッフでマシンと行動をともにしたヒロ斎藤、元UWFインターナショナルの垣原賢人、魔界倶楽部の筑前りょう太、村上和成、柴田勝頼、青義軍の永田裕志と井上亘も。次々にリングへ上がり、マシンへ花束を贈った。最後は新日本の本隊選手が全員登場。真壁が花束、KUSHIDAが功労金の目録をマシンに手渡した。 マイクを渡されたマシンは、数々の軍団を渡り歩いたことを振り返るとストロングスタイルを貫いたこと、「みなさんの前でケジメをつけるために引退式を引き受けた」こと、「プロレス人生に悔いはない」こと、「コンディションを戻して第2の人生を見つける」目標などを赤裸々に語った。10カウント後に再びマイクを握ると、今年1月に他界した夫人に対して感謝の言葉を口にした。大きな拍手の中、「ハリケーンズバム」とともにリングを後にした。 インタビューブースでは「この引退を決意した理由の一つとして、最後にリング上でも言いましたけど、妻の死がありました」としみじみ語る。「ちょうど契約が終わる6日前に、妻が逝ってしまったんですけども、そのダブルショックというか、精神的にかなり落ち込んでいた時期がありました。そういうのを吹っ切るためにも、会社が勧めてくれた引退式で、キッパリと気持ちを切り替えて、次の人生に行きたいと、そういう思いで決断いたしました」と引退セレモニーに臨んだ経緯を口にした。 マシンは最後に「本当に、マスコミの方々も、ありがとうございました。マシンは今日で消えます。ありがとうございました」と頭を下げた。 少し切なさが残ってしまった引退セレモニーだったが、これはこれで不器用な性格のマシンらしい終わり方だったとも言える。「小学校5年からプロレスのことしか考えてこなかった」マシンが一番印象に残っているのは、憧れだったアントニオ猪木戦だという。あの時マシンになっていなかったら間違いなく実現していないカードなだけに、思いも強いのだろう。 私は“ある”選手と故・橋本真也さんのタッグも好きだった。これもマシンの物語の一部だったと思う。引退してしまったのは残念だが、歴史は永遠に残る。数々の感動を与えてくれたことに感謝したい。マシン引退により、新日本の現役最古参の座は獣神サンダー・ライガーに引き継がれた。取材・文・カメラ / どら増田
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スポーツ 2018年06月18日 15時00分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「永田裕志」毀誉褒貶にさらされ続けた“ミスターIWGP”
IWGP王座の10連続防衛と時期を同じくして、総合格闘技戦で2度の惨敗。一時はプロレス凋落の元凶とされながら、それでもどこか憎めず、ファンから愛され続けてきた永田裕志。そんな永田も今年で50歳を迎えることになった。 芸能人の不仲バトルなどに対し「どうせプロレスだよ」などといわれることがあるが、その真意は“裏で話がついているのに争うふりをしている”ということ。そんな物言いを不愉快に思うファンは多いだろう。 アンチは「プロレスは演劇の類いであり、だから大したことはない」と侮蔑するが、エンターテインメントショーであることを公言する米国のWWEは、現実にあらゆるスポーツコンテンツを上回るほどの人気を世界中で集めている。 そのWWEにしても、一つのミスが命に関わりかねない危険な側面は確実にあるわけで、それを茶番のようにいわれたのでは、レスラー当人にしたらたまったものではない。 さらに演劇との比較でいえば、役者は衣装を脱げば一個人に戻れるが、プロレスラーはリングを降りても王者は王者で、前座は前座扱いのまま。大舞台で敗れれば、即座に負け犬の汚名を着せられることになる。 かくも不条理なプロレスラーという職業にあって、毀誉褒貶にさらされ続けたのが永田であった。 1992年にレスリング・グレコローマン全日本王者の肩書を引っ提げて、新日本プロレスに勇躍入門。 '95年、UWFインターナショナルとの対抗戦メンバーに抜擢されると、アマレス技術に裏打ちされた骨太ファイトで桜庭和志らと互角に渡り合い、次代を担う有望選手としてファンから認知されることになる。 その後も順調にキャリアを重ね、'01年の夏には『G1クライマックス』を初制覇。同年秋にはノアの秋山準とのタッグで武藤敬司&馳浩に勝利し、トップ戦線に名乗りを上げた。 だが、そこで大きくつまずいてしまう。大みそかの『INOKI BOM-BA-YE 2001』で初の総合格闘技戦に挑んだ永田は、ミルコ・クロコップに左ハイキック一撃で秒殺KO負け(レフェリーストップ)を喫してしまったのだ。 「今になっては 無謀な闘いという関係者がほとんどですが、当時の下馬評は違っていた。ミルコと対戦経験のある藤田和之も、『永田さんなら楽勝ですよ』と言っていたようです」(プロレスライター) 永田戦の前には、すでに峠を越した感のあった高田延彦と引き分けに終わっているミルコ。この頃の総合格闘技ではレスリング出身選手の活躍が目覚ましかったこともあり、上り調子の永田ならばまさか無様な試合はしないはず、というのが大方の見方であった。 そんな永田のあっけない敗戦を新日フロントは単なる不運と捉えたのか、永田の“スター路線”はその後も続く。'02年4月に安田忠夫を破ってIWGP王者となると、橋本真也の連続防衛記録V9を上回るV10を成し遂げた。 「闘魂三銃士以降では、永田が最も質の高い試合をしていたのは事実です。ただ、ファンからすると、やはり“ミルコに負けた”という過去が引っかかる。永田が王者の新日が総合格闘技以下と見られたことは、永田にとっても新日にとってもマイナスとなりました」(同) '03年5月の東京ドーム大会で高山善廣に敗れ、王座陥落となった永田だが、そこからさらなる悲劇に見舞われる。 同年大みそかの『INOKI BOM-BA-YE 2003』において、エメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦した永田は、一方的に攻め立てられると、ミルコ戦に続いて秒殺TKOを食らってしまったのだ。 総帥のアントニオ猪木に頭を下げられて出場を断るわけにもいかず、直前まで対戦相手の決まらない準備不足のまま臨んだのでは、そもそも勝てるわけがない。 しかし、それはあくまでも楽屋話であり、IWGP歴代最多防衛の永田が総合格闘技戦で2連敗したという事実は、長らく“プロレス冬の時代”が続く大きな原因の一つとなってしまった。 '05年に新日復帰した長州力は、そんな永田を「天下を取り損ねた男」と評したが、そこから永田は驚異の復活を遂げる。 '06年の東京ドーム大会、村上一成戦で腕固めを仕掛けた際、永田としては渾身の…しかしてその白目をむいた表情がビジョンに大映しになると、観客から大爆笑が巻き起こったのだ。 だが、予期せぬ笑いに心折れないのが、永田の強さでありクレバーさ。以降は元からの技術の高さにコミカル要素を加えて、独自の存在感を発揮し続けることになる。 先の『G1』に加え、全日本プロレスの『チャンピオン・カーニバル』とプロレスリング・ノアの『グローバル・リーグ』という、メジャー3団体のシングルリーグ戦を制覇したのは永田だけである。 IWGP王者時代には華がないといわれ、総合格闘技でどん底を味わいながら、見事に興行の要として返り咲いた。そんな永田の軌跡こそが、プロレスというジャンルの奥深さではなかろうか。永田裕志1968年4月24日、千葉県出身。身長183㎝、体重108㎏。得意技/バックドロップ・ホールド、ナガタロック、白目式腕固め。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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