新日本
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スポーツ 2018年07月17日 21時45分
新日本、ジェイの大暴走でCHAOSも内紛か?ファレの選択はバレットクラブOG!
新日本プロレス真夏の最強決定戦『G1クライマックス28』が14、15の両日、東京・大田区総合体育館での2連戦で開幕した。 14日の対戦カード表を見ると、ケニー・オメガ、ハングマン・ペイジ、高橋裕二郎、チェーズ・オーエンズが「バレットクラブELITE」、バッドラック・ファレ、タマ・トンガ、タンガ・ロアが「バレットクラブOG」と所属表記されていた。先日行われたサンフランシスコ大会であった、タマ・トンガファミリーによる造反劇がさっそく反映された形。チーム名は開幕前日に行われた会見でも明らかになっていなかった。 14日の公式戦では、ハングマン・ペイジとバッドラック・ファレのバレットクラブ“別派対決”が早速実現した。試合の序盤はファレのパワー殺法に対し、ペイジが俊敏性を見せながら、空中殺法を駆使して対抗していた。しかし、試合の途中からロアとタマがファレのセコンドに現れ試合に介入。最後はリング上でレフェリーも突き飛ばして、3人がかりでペイジを襲撃。当然のことながら、ファレの反則負けとなった。 攻撃をやめる気配がないOBを見かねたケニー、オーエンズ、飯伏幸太が救出に入り3人を蹴散らしたが、ファレにとっては順当に行けば白星を獲得できる試合だっただけにもったいない。今年のG1は白星よりも、本来バレットクラブが持っていた凶暴さや、手段を選ばない冷酷さを取り戻すアピールをする方が先決なのだろうか。 15日にIWGP US王者ジュース・ロビンソンを相手に公式戦を行ったタマもロアの介入から勝利を収めている。ファレは「これで、俺がどこの所属か分かったか!バレットクラブOG、ザ・バレットクラブオリジナルだ!バレットクラブELITE?あんなヤツらはフ●ックだ!」と言い放った。タマも「バレットクラブのメンバーになりたいヤツは来ればいい。バレットクラブ、それは俺たちだ。俺たちこそが真実だ。そして、俺たちこそが全てである」とオリジナルメンバーの誇りを強調。OGにはタマが連れてきた石森太二も合流するものと思われる。21日に後楽園ホール大会で行われるケニー対タマの公式戦には注目だ。 内紛問題が起こっているのはバレットクラブだけではない。結束力の強さを誇ってきたCHAOSの“異端児”ジェイ・ホワイトが大暴れした。14日のメインイベントで行われた公式戦初戦で、オカダ・カズチカとの同門対決で、凶器攻撃を含むラフファイトで勝ってしまったのだ。 ジェイは会場が大ブーイングに包まれる中、マイクをつかんだ。「これまでずっと独走状態で強かったオカダ、お前の時代ももう終わりだな。お前ら(ファン)も全員くたばっちまえばいい!」と言い放った。「俺は言ったよな。2018年は俺の年にすると。そして、CHAOSは俺のもの、『G1クライマックス』も俺のものだ!お前らは否応なく俺と、そしてスイッチブレードとともにあるんだ!」とファンも挑発した。 インタビュースペースに現れたジェイは「勝利は最高の気分だ。1月6日から、オカダの下降が始まった。同時に俺の上昇が始まったんだ。そして、俺は次のレベルに上がった」と強調。「オマエら、今の試合を見ただろう?『DOMINION』以来、オカダの下降はとどまるところを知らない。今や“元”新日本プロレスの顔という存在になってしまった。俺こそが、新しい新日本プロレスの顔なんだよ!CHAOSは俺のものだ!『G1 CLIMAX』も俺のものだ!そしてこの団体全てが俺のものになるんだ!」とまくしたて、改めてオカダ超えと“CHAOS乗っ取り”を宣言して引き揚げた。 ダメージからかノーコメントだったオカダは翌15日に「昨日のジェイ。許してやるよ。同じチームだからな。良かったな、同じチームで。まぁ、とりあえずジェイのことは過ぎたことだから」と次のファレ戦に切り替えていた。大切なG1シリーズ中とあって、ジェイのことはひとまず水に流したかったようだ。 しかし、ジェイの奇行は止まらない。今シリーズ、公式戦が組まれていない大会のアンダーカードで、ジェイは「ロッポンギ3K」のYOHと連日タッグ(8.11日本武道館大会ではSHOも加えたトリオ)を組んでいる。ジェイのたび重なるラフ殺法をYOHがなだめたり、ジェイに渡されたイスをYOHが使わなかったりと、試合は常にギクシャクしている。15日の試合では、最後にジェイがカットに入らずYOHを見殺しにした。 ジェイは「なんでなんだ?なんでなんだよ!CHAOSのヤローどもは、YOHもそうだった。誰も俺の言うことを聞かない。俺の言うこと聞いていればいいのに、YOHは今日だってロッキーの言うことを聞く。SHOとオカダの言うことを聞く。俺のことなんか見向きもしない」と嘆いた。「俺の言うことを聞いていれば、これからどんどん強い選手に、良い選手になれるはずなのにな。スイッチブレードに仲間入りすれば、もっともっといい選手になれるのに」と憤りを隠せない様子だったが、表情を見ると、不思議と怒りのようなものが見られなかった。 CHAOSを乗っ取りたいのであれば、バレットクラブの内紛騒動のように、ある程度“ジェイ派”を作る動きがあってもいいが、そんな様子もなし。これは不気味だ。もともとジェイがオカダとともに出席したCHAOS入りの会見の時から不穏なムードはあった。ただ、これがCHAOS結成当初であれば、ジェイの行動は全く問題なしではあった。CHAOSはもともと武闘派のイメージが強いヒールユニット。あの中邑真輔ですら試合に乱入し、勝敗に影響をもたらす介入を繰り返していたのだ。 ともあれ、ジェイが現在のCHAOSに合わないのはハッキリしている。G1終了後に何だかの動きはあるだろう。ジェイをCHAOSに誘った責任もある。G1が終わればジェイの真意を確かめる意味も込めて、オカダが再度シングル戦を望むのではないだろうか。 G1終了後、軍団内抗争が活発化するかもしれない。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年07月17日 21時15分
新日本G1大荒れのAブロック、4年ぶり無冠で出場のオカダ・カズチカ連敗スタート!
新日本プロレス『G1クライマックス28』Aブロック▽14日 大田区総合体育館 観衆 3,907人(札止め)▽16日 北海きたえーる(北海道立総合体育センター) 観衆 6,489人(札止め) 4年ぶりに無冠でG1クライマックス(G1)に臨んだオカダ・カズチカが、まさかの連敗スタートだ。6月の大阪城ホール大会でケニー・オメガに敗れIWGPヘビー級王座を明け渡したオカダ。タイトルを再び奪取するためにもG1優勝は譲れないところ。実際、無冠で出場した2012、2014年は優勝しており、IWGPヘビー級王座の挑戦権を得ている。 しかし、14日の初戦ではCHAOSにオカダ自ら誘ったジェイ・ホワイトとの同門対決で、反則を駆使した暴走ファイトの前に敗戦。16日の2戦目では、今シリーズからバレットクラブOBとして名を連ねているバッドラック・ファレと対戦した。 もともとタイトルマッチを除けば、オカダにとってファレは相性が悪い相手。バレットクラブOBは、バレットクラブのオリジナルメンバーとして原点回帰を目指しているのか、結成当初によくあった試合への乱入、介入、反則行為が多く見られる。実際、ファレの初戦は普通に試合をすれば勝てるであろうハングマン・ペイジだったのにもかかわらず、タマとタンガ・ロアがレフェリーを突き飛ばしたため、反則負けを喫している。 この日もロアが最初からセコンドに入った。このあたりは想定内だったのか、オカダもトペ・コンヒーロで場外の2人をまとめて倒すなど、ロアを逆に利用しながら試合を進めていたが、レフェリーがダウンした隙に、タマがリング上のオカダの背後に現れ、ガン・スタンを決めると、ファレが楽々とオカダを担ぎ上げバッドラック・フォールで3カウントを奪った。 15日の前哨戦後に、オカダは「勝ちたいねぇ。負けてばっかりだけど、やっぱり、勝ちたい。勝たなきゃつまんないでしょう。オカダが勝たないと、新日本プロレス観に来たなって気にならないでしょう。ドロップキックを見ても満足できない。レインメーカーを見ても満足できない。勝たなきゃ満足できないでしょう」と語っていた。大会前日会見では髪を赤く染めて「笑顔をテーマに闘いたい」とも話していたが、武闘派と化した2人に連敗したことにより、笑顔を出す余裕はなくなってしまった。8.10日本武道館大会での棚橋弘至戦まで優勝戦線に残れるのか?厳しい船であるのは間違いない。 エース棚橋は、14日の初戦で苦手の鈴木みのると対戦。古傷の膝から足首を狙われ、関節技を6分以上にわたって浴び続けるなど大苦戦するも、一発逆転のハイフライアタックからハイフライフローを決めて辛勝。試合後はインタビュースペースで「痛い」と嘆いたが、その後、大の字になりながら「痛くない!」と言い聞かせて立ち上がり、控室に戻った。 16日の2戦目は、オカダ相手に暴走勝利を収めたジェイが相手だった。今年の1.4東京ドーム大会ではジェイの凱旋試合の相手を務め完勝した棚橋だが、ラフファイトに磨きをかけたジェイの成長は著しかった。みのるが痛めつけた膝に的を絞りながら的確な攻撃をするジェイに棚橋は防戦一方。ただ「ワンチャン」狙いの棚橋は、ジェイが場外から椅子を取り出した隙をついて逆転を狙った。
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スポーツ 2018年07月17日 20時45分
新日本G1、ケニー対内藤が昨年を超える大激戦!矢野は日大レスリング部OB魂が爆発?
新日本プロレス『G1クライマックス28』Bブロック公式戦▽15日 大田区総合体育館 観衆 3,826人(満員) Bブロックの開幕戦となったこの日は、石井智宏と矢野通のCHAOS同門対決で幕を開けた。リングアナに「日大レスリング部出身」とわざわざコールさせた矢野は、前日の前哨戦に引き続き、打撃の打ち合いなど最近ではめったに見せない“真面目な”スタイルを披露した。石井戦ではなんとフロントスープレックスまで飛び出し、日大レスリング部魂を見せつけた。 苦戦していた石井だが、真面目な中に少しずつ挟んでくる反則技や丸め込みをしのぎ、最後はレフェリーの死角をついて矢野のお株を奪う急所蹴り。そのままラ・マヒストラルで丸め込み3カウントを奪った。これにはファンも大爆笑。試合後、股間を押さえながらインタビュースペースに現れた矢野は「厳粛に受け止めます」と完敗を認めた。 IWGP US王者のジュース・ロビンソンは、バレットクラブOBのタマ・トンガと対戦。タンガ・ロアの介入もあり敗戦したが「『G1 CLIMAX』を9勝0敗で終わる選手なんて誰もいないんだ。時には勝ち、時には負ける。でも、できる限り勝数を増やしたい」と語ると「次の飯伏戦が楽しみだ」と前を向いた。 NEVER無差別級王者の後藤洋央紀は、SANADAとの接戦を制して白星発進。「SANADAはいい選手。ロス・インゴにいるのはもったいない」とSANADAの実力を高く評価した。前日も「武者震いがする」と話していたが、コンディションはかなり良さそうだ。 セミファイナルでは飯伏幸太が、ザック・セイバーJr.と、3月のニュージャパンカップで敗れて以来の再戦。前回「邪魔でしかなかった」と飯伏に言わしめたザックのセコンドには今回もTAKAみちのくがいた。TAKAみちのくはマネージャーとして、エプロンサイドからアドバイスを送るなどザックをサポートした。 今回は、前回の対戦以上にザックが関節技を決めている場面が多かった。カミゴェも3回続けて膝蹴りを合わせられてカットされるなど、ザック陣営はかなり飯伏を研究してきたようだ。前日にはTAKAが伝授したと思われるザックドライバー(形はみちのくドライバーⅡと同じ)を披露しフォール勝ちを収めていた。 飯伏はザックを「関節技だけの選手」と決めつけずに、一瞬の隙を狙っていたようだ。その隙は関節技の流れから自然に生まれた。ザックと腕の取り合いをしていたところ、飯伏がそのままザックの腕をクロスしてバックへ回り、クロスアームスープレックスホールドを狙った。これは2で返されたが、飯伏はそのまま両腕を離さず、遠心力を利用してカミゴェを決めて勝負あり。 試合後、飯伏は「結果だけで、満足はしていない。(ザックとは)またやることになると思う」と語ると「(カミゴェも)もうだいぶ研究されていると思うので、もうちょっと何かこの『G1』で出てくるんじゃないかなと。楽しみにしています。自分も追い込まれたら何か出てくると思うんで」とG1期間中に新技を披露する可能性を示唆した。 メインイベントでは、昨年の決勝カードが実現した。IWGPヘビー級王者のケニー・オメガと、昨年の優勝者・内藤哲也がいきなり激突したのだ。両者ともこの1年で、クリス・ジェリコ、そして当時IWGPヘビー級王者だったオカダ・カズチカと対戦している。ケニーはIWGPヘビー級王座奪取後の会見で、内藤を筆頭に日本人レスラーの「甘さ」を非難していた。 両者のG1での戦績も1勝1敗のイーブンというシチュエーションの中、2人対峙した。30分という試合時間を考えたのか、昨年のような序盤の探り合い(スカし合い)はなく、序盤から互いに技を惜しみなく披露するノンストップバトルになった。序盤、私は会場内を回りながら試合を見ていたのだが、ファンからは「これは決勝じゃないよね?」とか「最初からこんな試合が見られる今年のG1は凄すぎる」「いきなりベストバウト」といった称賛する声が聞かれた。プレスルームに戻ると、報道陣も2人のレベルの高い攻防にどよめいていた。完全に昨年の決勝を超えている。 最後は内藤の正調デスティーノを防ぎに防いだケニーが、変形のツームストンパイルドライバー、垂直落下式リバースタイガードライバーで、内藤の余力を消し去ると、Vトリガーから片翼の天使を炸裂させて3カウント。23分19秒という時間以上に長く感じる大激戦だった。この試合を生で観戦できたファンは幸せだったろう。 インタビュースペースに現れたケニーは「この団体のトップはこの俺様です。それは信じてます。飯伏さんは2番か、タイで私と並んで一番ですね」とアピール。「内藤さんは、3年前から偉そうなキャラをやってましたね。みんな、もう飽きちゃったですよね。目を覚ましてください!外国人ファンも飽きちゃって、日本のファンもすごい、飽きちゃってる。毎日見るからさぁ」と内藤を挑発した。 ケニーはゴキゲンな様子で話し続ける。「控室のみんな、ボーイズ、オマエのキャラクターはかなり好きじゃない。もしかしたら、クビになってほしい可能性もありますね。お前(内藤)と試合するのが好きですよ。だからさぁ〜、来年も、同じブロックか決勝戦で、お前が進化してください。もっと強い内藤さんと試合したいんですよ」と内藤に進化するよう呼びかけた。「これで、終わり。また来年、内藤。でも、『G1クライマックス』はまだほとんど残ってますよ。だから、私も精一杯頑張らないと。全部の試合を防衛戦みたいに試合するから、みんな、楽しんで見てください」と日本語でコメントした。IWGPヘビー級王者として、ベストバウトマシーンとして、務めを果たす覚悟を口にした。 今年はBブロックに激闘型選手が集中したこともあり、IWGPヘビー級王者のケニーでも苦戦する試合があるかもしれない。ただある意味、飯伏戦よりもハードルが高い内藤戦を制したことで、IWGP王者としては18年ぶり3人目、外国人選手としては初のG1優勝も見えてきたのではないだろうか。敗れた内藤にとっても今後につながる闘いだっただけに、今後の公式戦にも注目したい。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年07月17日 10時55分
追悼・マサ斎藤さん、28年前の闘強導夢で成し遂げた日本人プロレスラー2人目の快挙
元プロレスラーで、日本では主に長州力と行動をともにし、元プロレスラーでタレントの佐々木健介らを育てたマサ斎藤(マサ・サイトー)さんが、14日に亡くなられたことが発表された。マサさんは1999年2月14日に新日本プロレス日本武道館大会で、スコット・ノートンを相手に引退試合を行い、現役生活にピリオドを打つと、テレビ朝日系列『ワールドプロレスリング』の解説者としてファンからも親しまれた。マサさんはレスリングの日本代表として1964年の東京オリンピックにも出場しており、引退直後から患い始めたパーキンソン病と闘いながらも、2020年の東京オリンピックで聖火ランナーを務めたいという目標を立てて、容態が急変する直前までリハビリとトレーニングに励んでいたという。 マサさんといえば、『Go For Broke!!(当たって砕けろ!)』という格言が有名だが、最後まで諦めずに、それを貫き通したのは素晴らしいの一言だ。 私がマサさんの試合で好きな試合はいくつかあるのだが、長州や故・橋本真也さんとのタッグは非の打ち所がない名タッグだった。彼らはマサさんとのタッグでレスラーとしてのステータスを上げて、団体のトップを張れるレスラーに成長した。先日亡くなられたビックバン・ベイダーも、あのハルク・ホーガンもマサさんを慕っていた。彼らもマサさんと関わったことで世界のトップレスラーに登りつめていくことになる。 アメリカから帰国し、日本に生活拠点を移してからは日本人、外国人問わず、お目付役的な役割に徹していたマサさんだが、あの東京ドームでスーパースターになったことが1度だけある。それは今から28年前の1990年2月10日、新日本プロレスにとって2度目の東京ドーム大会となった『'90スーパーファイトIN闘強導夢』。アントニオ猪木が初めて「1、2、3、ダァー!」を行い、マサさんも練習を見た元横綱、双羽黒こと北尾光司のデビュー戦、ベイダー対スタン・ハンセンの最強外国人対決をはじめとする急転直下で決まった新日本と全日本プロレスの団体対抗戦などなど、とにかく当時のファンにとっては内容が盛りだくさんで、夢のある大会だった。新日本は当初、IWGP、NWA、AWAの世界3大ヘビー級タイトルマッチを大会の目玉にしていたが、NWA世界ヘビー級王座を管轄するWCWがリック・フレアーとグレート・ムタのタイトルマッチをキャンセル。その代わり全日本との対抗戦が実現するのだが、AWA世界ヘビー級王者、ラリー・ズビスコには藤波辰爾が腰痛からの復帰戦として挑戦すると発表されていた。しかし、藤波の復帰が間に合わず、新日本はAWAに精通しているマサさんに白羽の矢を立てたのである。 この試合は、新日本対全日本のドリームマッチ直前にラインナップされ、長州とともに新日本からジャパンプロレスに移籍し、全日本に参戦していたマサさんだが、アメリカマットでの活動を優先させ、ほぼ無罪にもかかわらず、事件に巻き込まれてしまい1年半の刑務所暮らしを送ったため、全日本に参戦できないまま、新日本にUターンを決めた長州に少し先行する形で新日本に復帰した経緯から、この日多数詰めかけた全日本ファンからもマサさんへのアレルギーはほとんどなく、まさに東京ドームはオールジャパンでマサさんのAWA王座奪取を声援で後押しした。ズビスコの殴る蹴るだけで成り立たせてしまうプロレスに、マサさんのパワーファイトがスイング。最後は必殺の捻りを加えたバックドロップ2連発から、首固めでマサさんが47歳にしてジャンボ鶴田さんに続く日本人で2人目となるAWA世界ヘビー級王者を戴冠した。余程気分が良かったのだろう。マサさんはホーガンのようにリングの四方でマッチョポーズのパフォーマンス。この試合を大会ベストバウトに挙げる声も多い。マサさんがベンチ裏に入ったと同時に、プロレスの会場では初めてウェーブが発生。私も外野席でこの大会を観戦していたが、ドームがあんなに揺れた大会は後にも先にもあの2.10ドーム大会しかない。マサさんの王座戴冠は、プロレスファンでいて良かったと思わせるものだった。 余談だが、もし藤波辰爾が復帰していたとしても、藤波は鶴田さんとのタッグマッチに回ることになっていたそうで、どちらにせよマサさんがAWA王座に挑戦する運命だったようだ。ホーガンやベイダー、ザ・ロード・ウォリアーズなど、マサさんと親交があった外国人選手はみんなAWA繋がりなだけに、当時既に価値は落ちていたが、かつてNWA、WWF(現WWE)とともに世界3大王座と言われていたAWA世界ヘビー級王座をAWA創始者である“帝王”バーン・ガニアが存命中に獲得できたというのはかなり嬉しかったはずだ。ちなみに、同年4月に東京ドームでWWF、全日本、新日本が3団体合同興行として開催した『日米レスリングサミット』には、マサさん、鶴田さん、リック・マーテル、カート・ヘニング、スタン・ハンセンとAWA世界ヘビー級の歴代王者5選手が出場している。 マサさんの遺伝子を持つレスラーは数多くいるが、最後の愛弟子となったプロレスリング・ノアのマサ北宮には、マサさんが達成できなかった日本の団体のトップのシングルベルトを奪取してもらいたい。 私はマサさんの試合から諦めない気持ちを学んだ。1987年10月4日の猪木との巌流島決戦は2時間5分14秒の死闘。この試合時間は永遠に破られないだろう。私も恐れることなく、当たって砕ける人生を送りたいと思う。合掌文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年07月16日 17時30分
WWEが8.31大阪公演の第1弾カードを発表!ノア参戦、ヒデオ・イタミの参戦は?
世界最大のプロレス団体WWEは日本時間13日、WWE大阪公演「WWE Live Osaka」(エディオンアリーナ大阪=大阪府立体育会館、8月31日)の対戦カード第1弾を発表した。先日開催され大盛況だった東京公演には主力ブランド、スマックダウン所属のスーパースターが来日したが、大阪公演ではもうひとつの主力ブランド、ロウ所属のスーパースターが登場する。 今年の大阪公演の目玉は、WWEのスーパースターで北京五輪柔道銅メダリストのロンダ・ラウジーだ。元UFC女子バンタム級王者として、WWEのユニバース(ファン)、プロレスファンのみならず、格闘技ファンにも名が知れた存在だ。東京公演で参戦が発表された際には大きな歓声が起こっていた。 ロンダは前ロウ女子王者のナイア・ジャックスと対戦する。さらにこの試合のスペシャルレフェリーは現王者のアレクサ・ブリスが務める。ロンダはナイアとのタイトル戦で勝利目前のところでアレクサに襲撃され、アレクサはマネー・イン・ザ・バンクの権利を行使(キャッシュイン)。ベルトを横取りする形でタイトル奪取に成功した。翌日のロウで怒り心頭のロンダは、カート・アングルGMの制止を振り切り、アレクサをパワーボムでテーブルクラッシュさせる大暴走。30日間の出場停止処分を命じられてしまった。この試合は対戦相手のナイアよりも、アレクサとの絡みに注目するべきだろう。 日本に凱旋という意味では元・新日本プロレスでバレットクラブの初代リーダー、プリンス・デヴィットことフィン・ベイラーの参戦にも注目したい。手下のスニル・シンをしたがえた“インドの怪人”ジンダー・マハルとシングルマッチを行う。ローマン・レインズはセス・ロリンズとの安定したタッグで、ドルフ・ジグラー&ドリュー・マッキンタイアと対戦。さらにマネー・イン・ザ・バンクのラダー戦に優勝し、ブロック・レスナー戦実現へ向けて絶好調の“巨獣”ブラウン・ストローマンはバロン・コービンとのシングル戦が決定した。 現時点では翌9月1日に、古巣のプロレスリング・ノア両国国技館大会のメインイベントで丸藤正道とシングルマッチを行う205 Live所属のヒデオ・イタミや、関西圏には強い人気を誇る元・ドラゴンゲートの戸澤陽ら日本人スーパースターの来日は発表されていない。しかし、東京公演でもヒデオの参戦は追加発表だった。来日するスーパースター数名は毎回必ず変更がある。カードに関しても試合順も含めて最終決定カードは選手が入場するまで分からない。これもWWE日本公演の楽しみ方のひとつでもあるので、今後の発表も楽しみに待ちたいと思う。◆第1弾発表カードローマン・レインズ&セス・ロリンズ 対 ドルフ・ジグラー&ドリュー・マッキンタイアブラウン・ストローマン 対 バロン・コービンロンダ・ラウジー 対 ナイア・ジャックス※スペシャルレフリー:アレクサ・ブリスボビー・ラッシュリー 対 アライアスフィン・ベイラー 対 ジンダー・マハル with スニル・シンエンバー・ムーン&デイナ・ブルック&ナタリヤ 対 ライオット・スクワッド(ルビー・ライオット&リブ・モーガン&サラ・ローガン)タイタス・ワールドワイド(タイタス・オニール&アポロ・クルーズ)ザ・リバイバル(スコット・ドーソン&ダッシュ・ワイルダー)▼WWEクルーザー級選手権試合<王者>セドリック・アレクサンダー 対 ドリュー・グラック<挑戦者>※王者は日本時間12日現在【その他出場予定】ブレイ・ワイアット、ボビー・ルード、ボー・ダラス、カーティス・アクセル、ベイリー、サーシャ・バンクス、ミッキー・ジェームズ 他取材・文 / どら増田写真 / ©2018 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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スポーツ 2018年07月16日 15時00分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「佐々木健介」北斗晶との結婚で真の一流選手に覚醒
新日本プロレスやWJでトップを張った佐々木健介だが、そのしょっぱい言動によりファンから“塩介”とけなされた時期もあった。真のトップレスラーへの劇的変化は、鬼嫁の内助の功があってのことだった──。 「無理偏に拳骨と書いて兄弟子と読む」 “厳しい上下関係の元で弟子を鍛える”ことを表現した古い相撲界の言葉である。今なら体罰や暴力として裁判沙汰にもなりそうだが、こうしたしごきが日常的に行われていた時代が確かにあった。 かつての新日本プロレスの道場における稽古もまた、これに似たものだったという。 「あまりに理不尽な厳しさから、若き日の藤原喜明はコーチ役の山本小鉄を『いつか殺してやる』と、夜中にナイフで刺す練習までしていたといいます」(プロレスライター) 何千回ものスクワットを課すような根性論がまかり通る特訓は、いわゆる科学的トレーニングとはかけ離れており、今なら「膝を壊す」と即座にストップされそうなものだが、しかし、これによって身についたものもある。 新日の選手に特有の、ぶ厚い肉体もその一つだ。 「ボディービルダーとはまた違う正しい筋肉の塊で、対抗戦では他団体の選手たちが『まともに当たればそれだけで壊されるんじゃないか』と、危惧していたと聞きます。普段はプロレスを馬鹿にしている人でも間近でその体を見れば、迫力に圧倒されてとても軽口など叩けませんよ」(同) その代表的な1人が佐々木健介だ。長州力に憧れてジャパンプロレスに入門した健介だが、身長が低く学生時代のスポーツ歴にも目立つものがないため、長州は当初「しごいて辞めさせてしまえ」との考えだったという。 しかし、しごきを「プロレスの稽古とはそういうものだ」と素直に受け入れた健介は、これに耐え抜き、人並み外れた肉体とパワーを手に入れた。 のちに新日道場のコーチを務めたときや自身の道場を開いたときには、過剰な指導ぶりを教え子たちから非難されることになるが、それは健介自身が通ってきた道であり、常軌を逸した鍛錬がプロレスラーにとって必要不可欠と信じてのことだったに違いない。 健介の素直さは、ファイトスタイルにも顕著である。直線的に攻め立てる師匠・長州譲りのハイスパート・レスリング。若手時代はそれもがむしゃらさの表れと評価されたが、中堅どころになると話は違ってくる。勝つときは一方的、負けるときはあっさりでは、プロレスの醍醐味を欠き味気ない。 「UWFインターナショナルとの対抗戦における垣原賢人戦が象徴的で、U側の次期エース候補とされた垣原に見せ場を譲るにしても、健介はまったく試合をつくることができなかった。垣原の好き勝手にさせた揚げ句に膝十字であっさりギブアップでは、新日ファンは納得がいかないし、勝った垣原の株も上がりません」(同) 格付け的には三銃士の次とされ、ホーク・ウォリアーのパートナーとしてパワー・ウォリアーのギミックを与えられるなど、会社からの期待は大きかったが、肝心なファンの支持が高まることはなかった。 そんな健介の転機となったのが1995年、北斗晶との結婚だった。 「nWoの人気に隠れがちでしたが、1997年にIWGP王座を戴冠した頃にはずいぶんと試合内容がよくなった。中でも2000年、全日本プロレスの川田利明との頂上決戦は、負けたとはいえゴールデンタイムの中継にふさわしい好試合となりました。この変化の裏には、きっと天才的なパフォーマーだった北斗のアドバイスがあったのでは?」(スポーツ紙記者) もっともマイクパフォーマンスにはまだ難があり、2001年にはスコット・ノートンに敗れてIWGP王座を失冠し、藤田和之に対する「正直、スマンかった」の迷言でファンからの失笑を買っている。名実ともにトップスターとなったのは、新日、WJを経て、フリーになってからのことだった。 「所属団体のしがらみがなくなり、北斗がセコンドに付くようになったことが大きかった。レッスルワンでの長州戦や藤田とのIWGP戦(チョークスリーパーをかけている藤田の肩がマットにつき、スリーカウントで健介が勝利)など、不可解な試合もありましたが、即座に北斗が怒鳴り込むなどして責任を相手側に押し付け、健介の格が落ちることを防ぎました。本当に見事な機転ですよ」(同) 嫁が出しゃばることを嫌がる男は多かろうが、そこは生来の素直さゆえか、健介は北斗プロデュースにより気は優しくて力持ち的なキャラが確立する。 これに伴い2007年には全日の三冠王座、2008年にはプロレスリング・ノアのGHCヘビー級王座を獲得。先のIWGP王座を含めて、史上初となる国内三大メジャー団体の頂点を極めるまでに至ったのであった。佐々木健介1966年8月4日、福岡県福岡市出身。2014年2月11日引退。身長180cm、体重115kg。得意技/逆一本背負い、ノーザンライト・ボム。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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スポーツ 2018年07月15日 21時15分
真壁刀義がスタイルを継承した“超獣”ブルーザー・ブロディ刺殺事件から30年!
“スイーツ真壁”としてワイドショーやバラエティ番組に数多く露出し、お茶の間にも名が知られている新日本プロレスの“暴走キングコング”真壁刀義。真壁は2006年頃から現在のキングコングスタイルになり、首からチェーンをぶら下げて、入場テーマ曲に布袋寅泰がカバーした『移民の歌』を使用している。 最近のファンにはあまり知られていないが、真壁の姿はかつて全日本プロレスと新日本プロレス、そして世界中で大活躍したプロレスラー“超獣”ブルーザー・ブロディのスタイルを継承したもの。真壁の必殺技であるキングコングニー・ドロップはブロディの必殺技でもあった。 「今年はブロディが死んでから30年なんですよ。ブロディが死んだってどうやって知った?」 フミさんこと、プロレスライターでコラムニストの大先輩、斎藤文彦さんが私にこんな質問をしてきた。ナイフで刺されて不慮の死を遂げたのが1988年7月17日だから、日本にそのニュースが伝わったのはその数日後。当時中学3年生だった私は通学路にあるコンビニに並んだ日刊スポーツの表紙を見てから学校に通うのを日課にしていた。同紙の一面でブロディの死を知ったのを今でも鮮明に覚えている。「信じられない」そんな気持ちを抱きながら教室に入り、プロレスファンの友だちに話すとみんなショックを受けていた。私がブロディの死を実感したのは、今ではあり得ない“デスマスク”を週刊専門誌がアップで掲載したのを見たときである。 あのブロディの優しく眠っているような表情は、チェーンを振り回しながら入場し、リング上ではキングコングのように吠えまくり、ドリー・ファンク・ジュニアの息子で当時20歳の素人であるディンク君にキングコングニー・ドロップを見舞い、血を吐かせた恐ろしい過去を持つブロディの面影はまるでなかった。 ブロディが刺殺された経緯については各所で触れられているし、フミさんも30年の区切りとして、過去のインタビューを収録した「ブロディ本」を発刊されたので、それらを見ていただけたらと思う。ブロディは日本だと全日本のイメージが強いが、私は生粋の新日派だった。全日本でスタン・ハンセンとのタッグで大暴れし、ジャンボ鶴田と名勝負を繰り広げたブロディも見ているが、新日本に電撃移籍してアントニオ猪木と“バーニングスピリット”をテーマに闘い続けていたブロディの方が印象に残っている。 私がブロディの技で一番好きだったのは、コーナーから助走して豪快に決めるギロチンドロップ。トップロープからのギロチンドロップは元女子プロレスラーのブル中野が一番の使い手だったと思うが、古舘伊知郎アナウンサー(当時)が「無重力状態」と称したジャンプ力のあるギロチンドロップの使い手は、ブロディの死後、残念ながら現れていない。ブロディのように、分かりやすいプロレスをする真壁が継承するのがベストだと思うが…。直前までニードロップなのか、ギロチンドロップなのか分からないドキドキ感も含めて、見ているファンに対してストレートに怖さを与えてくれた技だと思う。 子どもの頃、夜道で絶対に会いたくないと思っていたのは、アンドレ・ザ・ジャイアントと、ブルーザー・ブロディだった。今の時代に彼らのような怖さがプロレスラーに求められているかどうかは知る由もないが、少なくとも当時の外国人選手はファンから一目置かれる存在だったのは間違いない。それは正規軍(現在の本隊)サイドにいたころのハルク・ホーガンもそうだった。サインや写真撮影に応じてはいたが、近寄りやすい雰囲気は持っていなかった。時代が違うと言えばそれまでだが、取材中に今の時代にブロディがいたら?と考えてしまう自分がいるのも事実である。【どら増田のプロレス・格闘技aID vol.16】写真 / どら増田
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スポーツ 2018年07月13日 21時15分
新日本プロレス真夏の最強決定戦『G1クライマックス』がいよいよ開幕!優勝予想は?
新日本プロレス真夏の最強決定戦『G1クライマックス28』(G1)が14、15の両日、大田区総合体育館2連戦を皮切りに開幕する。A、B各ブロックから10選手、計20選手が参加。各ブロックで総当たりリーグ戦を行い最高得点を獲得した選手が、最終日の8月12日に開催される日本武道館大会で対戦、勝者が今年の“夏男”となる。優勝すると、IWGPヘビー級王座戦(2019年1月4日、東京ドーム)への挑戦権を得る。挑戦権利証が入ったジェラルミンケースが贈呈されるのが慣例になっているが、現IWGPヘビー級王者のケニー・オメガが優勝した場合はどうなるのか定かではない。 今年も最終日を含めて全19大会開催されるG1だが、開幕の大田区2連戦をはじめ、19〜21日は後楽園ホール3連戦、8月4、5日はエディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)2連戦、そしてラストは8月10〜12日の日本武道館3連戦と、後楽園以外は大会場での連戦が組まれている。強気の日程と言っていいだろう。初出場はジェイ・ホワイトと、バレットクラブのハングマン・ペイジのみ。昨年と組み合わせは変わっており、新鮮な顔合わせも多い。四天王時代の全日本プロレスのチャンピオンカーニバルのように、これだけのメンバーなら試合内容に外れはないだろう。会場を満員にできるという主催者側の自信が伝わってくる。 気になる優勝争いだが、8.10武道館の棚橋弘至対オカダ・カズチカ、8.11武道館のケニー・オメガ対飯伏幸太の2カードが大きな鍵を握っているのは間違いない。パッと見ればこの勝者同士が決勝で当たると予想するファンも多いのではないだろうか。 私は両国国技館に座布団が舞った第1回からG1を見ているが、G1ほど予想どおりいかない大会はない。これは第1回の優勝者・蝶野正洋の場合も同様だった。蝶野は戦前、大穴と言われていた。しかも当日に橋本真也と決勝進出者決定戦で激戦を繰り広げ、疲労困憊だったのだ。前日に当時最強だったビッグバン・ベイダーからムーンサルトプレスで完勝した武藤敬司を、蝶野が普段使わないパワーボムで破るとは誰もが思っていなかった。座布団を投げるだけの価値のある番狂わせから始まったのが、G1という大会なのだ。 武道館では10日にジェイ・ホワイトと対戦するEVIL、ファレと対戦する鈴木みのる、11日に今年のニュージャパンカップでザック・セイバーJr.と対戦する内藤哲也、ジュース・ロビンソンとのチャンピオン対決に臨む後藤洋央紀が気になるところ。ただ、ここは棚橋弘至対飯伏幸太の決勝になると予想し、優勝には棚橋弘至を推したい。 棚橋の衰えを心配する声も多いが、先日近くで体を見た時、さらにビルドアップされ、試合のキレも“あの頃”をも上回る動きをしていてビックリした。これはあくまでも私感だが、オカダとのIWGP戦で敗れはしたものの、あと一歩まで追い込んだことが棚橋の自信になっているのではないか。あの日敗れた悔しさを持ち続け、あの日の課題をクリアした結果、より強靭な肉体とキレのある動きを取り戻したのだと思う。引退をチラつかせていたアントニオ猪木が藤波辰爾と60分フルタイムドローの試合後に自信を取り戻したときの感覚と似ているのかもしれない。 というのも、私としては棚橋とケニーのIWGP戦を東京ドームで見てみたい気持ちがあるのだ。この2人はインターコンチネンタル王座をめぐって抗争になりかけたが、棚橋の怪我で頓挫した経緯があり、本格開戦には至っていない。 また来年の1月4日は金曜日なので、現在の新日本の勢いを考えればファンが大挙して押し寄せるのは確実な情勢だ。「俺の力で4万人入れたい!」と今年の1.4ドーム大会の会見後、悔しそうに叫んでいた棚橋。それを成し遂げるにはG1に優勝するしかない。もちろんそう簡単にはいかないのも事実だが、予想したり、あれこれ妄想するのはプロレスの楽しみ方のひとつ。この記事を読んで、みなさんも優勝予想をぶつけ合ってもらえたらと思う。取材・文 / どら増田写真 / 舩橋諄
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スポーツ 2018年07月09日 21時15分
ケニーがCodyに快勝し和解も、今度はタマ・トンガ家族が造反!内紛問題は新展開へ
新日本プロレス『G1 SPECIAL IN SAN FRANCISCO』▽8日(日本時間) アメリカ・サンフランシスコ・カウパレス 観衆 6,333人 新日本プロレスがアメリカ進出への大勝負を打った。サンフランシスコの“聖地”カウパレスでビッグマッチを開催したのだ。チケットは完売しなかったものの、6,333人の動員に成功。会場内からは熱気が充満していたこともあり、“満員感”を感じる大会となった。 メインイベントではケニー・オメガがCodyを迎え、IWGPヘビー級王座の初防衛戦を行った。バレットクラブのリーダーとしてケニーを否定し続けてきたCodyの意地が爆発し、予想以上の好勝負に。アメリカではCodyの方が格上であることから、ケニーも相当緊張していたよう。しかし1月にクリス・ジェリコを相手に勝利を収めたのがかなり自信になっているのだろう。最後は意地の張り合いから、ケニーがダブルアーム式パイルドライバーを決め、Vトリガーから片翼の天使の必勝パターンで、粘るCodyを振り切った。 Codyは敗れたものの、実父ダスティ・ローデス、実兄ゴールダスト(ダスティン・ローデス)と比べて、Codyのプロレスセンスはズバ抜けている。G1クライマックスにはエントリーされなかったが、スポットではなくレギュラー参戦に期待したい。 試合後、ケニーがCodyと握手を交わし、退場するCodyに対してケニーが感謝の気持ちを表すと、この日出場していたバレットクラブのメンバーがリングに上がった。ウルフパックで結束を確かめ合ったのも束の間、タマ・トンガがケニーを襲撃。これに弟のタンガ・ロア、父親のキング・ハクも加担した。 これにはヤングバックス、高橋裕二郎、チェーズ・オーエンズ、ハングマン・ペイジ、マーティ・スカルが仲裁に入るが、タマ・トンガらは彼らも蹴散らし大暴れ。騒動に気づいたCodyは再びリングに現れた。タマからパイプ椅子を渡されケニーを攻撃するように促されるが、Codyはタマ兄弟を攻撃。タマファミリーは「これがバレットクラブだ!」と叫んでリングを後に…。ケニーとCodyは再びガッチリ握手を交わし、他のメンバーもこれに加わった。 バレットクラブは現WWEのフィン・ベイラー(プリンス・デヴィット)が、バッドラック・ファレを用心棒に従えて立ち上げたユニット。ここに現WWEのカール・アンダーソンとタマ・トンガが加わり、ユニットとしての形を作り、勢力を拡大させていった。ファレやタマらサモア勢は、ケニーとCodyの間で起こっていた内紛問題に対して静観していたが、内心は「俺たちこそバレットクラブのオリジナルメンバー」という気持ちを持ち続けていたはず。ファレが加わるのはまず間違いないだけに、これはやっかいだ。 新日本はこの後、G1クライマックスに突入する。7.14大田区総合体育館大会では、ファレ対ペイジが、7.21後楽園ホール大会で、ケニー対タマの公式戦がある。試合の行方や試合後の行動、発言に注目が集まるところ。Codyとの問題を解決させたケニーにとっては頭の痛い話である。文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年07月09日 16時00分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ハルク・ホーガン」米国のプロレス観を一変させた“超人”
ハルク・ホーガンは、世界のプロレス史を書き換えたといっても過言ではない。1983年の『第1回IWGPリーグ戦』で、アントニオ猪木を失神KOに追い込んだシリアスな試合ぶりから一転、WWF(現・WWE)でのホーガンは、入場テーマ曲『リアル・アメリカン』に合わせたポージングで会場を沸かせるパフォーマーと化していった。 '83年、ニューヨークの有力プロモーションにすぎなかったWWFが、全米侵攻を開始すると、以後、アメリカのプロレス事情は一変する。 それまで西海岸なら西海岸、南部なら南部と各地のプロモーターがそれぞれのテリトリーを守り、ご当地の興行ビジネスとして行われていたものが、テレビ放送を軸としたメディア産業へと様変わりしたのだ。 全米制覇に向けて各地の人気レスラーが次々と引き抜かれる中で、そのトップに据えられたのがホーガンであった。 '79年〜'80年にかけてはWWFで連戦連勝を飾って、“マディソン・スクエア・ガーデンの奇跡”と評されたが、これを離脱してAWAに移籍。'82年には出演した映画『ロッキー3』が公開され、絶大な人気を獲得することになる。 しかし、AWAでは主宰のバーン・ガニアがレスリング技術に乏しい選手を軽視したため、パワーファイターのホーガンは王者になれず、そこに再び声を掛けたのがWWFだった。 WWF離脱の要因は、ビンス・マクマホン・シニアが映画出演に難色を示したことであったが、同団体を継いだジュニアの意向は違った。映画スターとして知名度を高めたホーガンこそ“全米進出の主役にふさわしい”と考えたのだ。 この見立ては、ズバリ的中する。'84年1月にアイアン・シークを破ってWWF王座を獲得すると、全米各地で防衛戦を行って、いずれも大盛況を収めた。だが、WWF&ホーガンの攻勢はこれにとどまらず、さらに加速していく。 そのきっかけとなったのが、当時、人気急上昇中だった歌手、シンディ・ローパーとのコラボだった。 まずはシンディが、女子レスラーのセコンドとしてWWFの興行に参加すると、続いてホーガンがシンディの土俵であるMTVに出演。音楽プロモーションビデオの全盛時で注目度抜群だった同チャンネルにおいて、ホーガンは流行に敏感な若者たちに“発見”されることになったのだ。 「それまでのアメリカのプロレス人気は、主に労働者層のストレス発散の場として、あるいはマッチョ好きの人々の趣味や性向に支えられていました。日本人のファンがアメリカでプロレス雑誌を買おうとしたら、友人から『おまえはゲイなのか?』と言われたという話もあって、いわゆる家族そろって楽しむような健全娯楽ではない、どこか特殊なジャンルだったのです」(プロレスライター) しかし、ホーガンがシンディと並んでMTVに出演したことにより、その陽気でマッチョなキャラクターが広く一般にまで浸透すると、これが一種のブームになっていった。プロレスの王者としてではなく、新たなテレビタレントとして人気を得た格好である。 そこでホーガンに求められたのは“分かりやすいプロレス”であった。試合そのもの以上に、入場時や勝利後のパフォーマンスが重視されたのだ。 MTVの視聴者層が新規ファンとして集まり始めたことにより、プロレス会場はリング上の“スター”と観客が一体になって盛り上がる、まるでロックコンサートさながらの様相を呈していった。 「ホーガンがスター街道を駆け上がっていった頃、日本のファンの間では『グリーンボーイだったホーガンが新日本に参戦し、プロレスを覚えて一流になった』などといわれましたが、実情は異なります。あくまでもキャラクターとしての人気だったわけです」(同) 日本で学んだ成果がないわけではない。グラウンドレスリングや間合いの取り方が、来日を重ねるたびに格段に進歩したのは事実である。しかし、それらはアメリカでの成功の主因ではなかった。 「インターネットもなくリアルタイムで試合を見られなかった当時、ホーガンがWWFで決め技として使っていたのは、猪木をKOした必殺のアックスボンバーではなく、日本では単なるつなぎ技にすぎないレッグ・ドロップ(ギロチン・ドロップ)でした」 これに違和感を持った日本のファンも多かったはずだが、観客を盛り上げながらフィニッシュの場面をたっぷり見せるためには、レッグ・ドロップの方がふさわしい。WWFでの試合は強さを競うというよりも、ホーガンによるヒーローショーの意味合いが大きかったのだ。 だが、そんなホーガンも日本での試合においては、日本流のグラウンドテクニックを披露することが常だった。ホーガン流の日本ファンへのサービスである。 時と場合によってスタイルを変えるその柔軟性は、プロレスと格闘技を闘い分けた猪木に通じるものであり、それこそが日本でホーガンが学んだ成功の秘訣だったのかもしれない。ハルク・ホーガン1953年8月11日、アメリカ合衆国ジョージア州生まれ。身長201㎝、体重137㎏。得意技/アックスボンバー、レッグ・ドロップ。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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