新日本
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スポーツ 2018年04月24日 12時10分
【追悼】全日本プロレス黄金期の番人、馬場元子元社長逝去
全日本プロレスの創立者で、1999年1月に亡くなられた故・ジャイアント馬場さんの夫人で、全日本の社長も務めていたこともある馬場元子さんが、14日に肝硬変で亡くなられていたと全日本が発表した。78歳だった。 元子夫人は馬場さんが存命中、長きに渡って全日本のハード面を仕切っていたこともあり、業界内では「怒らせてはいけない人物」と恐れられていた一方、外国人選手には「ミセスババ」として慕われる存在だった。しかし、選手のグッズなどは元子夫人が代表を務める別会社ジャイアントサービスが管理していたことなどから、日本人選手やスタッフとの衝突はたびたびあったとされ、それが原因となり、1990年の天龍源一郎らによるSWS(メガネスーパーが作った新団体)への大量離脱や、馬場さんが亡くなられた後に勃発した三沢光晴社長の退社と、プロレスリング・ノア旗揚げによる団体としては致命傷とも言える大量離脱劇を起こしている。 所属選手が川田利明と渕正信、太陽ケア、そして、スタン・ハンセンら外国人選手。スタッフもレフェリーの和田京平、リングアナの木原文人ら数名しか残留しなかったが、元子夫人は「馬場さんが作った全日本プロレスを潰すわけにはいかない」と、これまで決して許すことがなかった天龍源一郎と電撃和解。また、日本テレビが独占放映契約を打ち切ったことにより、馬場さんの時代からテレビ局の問題から鎖国路線を敷いていたため、WWEの訪日や、SWSショックが業界を席巻した1990年を除いて交流することがなかった新日本プロレスと対抗戦をスタートさせて、年間で押さえていた年6回の日本武道館大会も開催したのは、元子夫人の意地と馬場さんへの強い思い以外にないだろう。 後楽園ホールや日本武道館のチケットもぎり付近にはほとんど姿を見せており、常連客には声をかけ、おかしいなと思った客には警備員を通じて注意したり、中に入れなかったことを目撃したことが多々あった。元子夫人は全日本黄金期の番人である。 武藤敬司が新日本プロレスから移籍し、元子夫人から引き継ぐ形で社長に就任した後も、オーナーとしてしばらく携わっていたが、やはり現場との対立を繰り返すこととなり、全日本から手を引いた。その後も、2014年に秋山準が社長となり、全日本を新体制に改革すると、これをバックアップする姿勢を示していた。また、2016年には曙が立ち上げた新団体『王道』への協力も表明している。 元子夫人は現在の日本プロレス界にもしっかりと残っている馬場さんの遺伝子をもっと見届けたかったはずだ。現在のところ追悼セレモニーなどの予定は明らかにされていないが、生前、元子夫人が準備してきた馬場さん絡みのイベントに関しては、ご家族を中心に元子夫人の意向を汲んで準備が進められているという。ファンとしては、元子夫人(馬場家)が権利を持っているとされる全日本プロレスや日本プロレス時代の映像の作品化にも期待したいところ。 1999年5月に東京ドームで行われたジャイアント馬場引退試合に参加した選手、レフェリー、リングアナウンサーのうち、ザ・デストロイヤー以外の人物は全員天国に逝ってしまった。ジン・キニスキー、ブルーノ・サンマルチノ、ジョー樋口レフェリー、仲田龍リングアナ…。季節的に天国でもチャンピオンカーニバルが開催されているのではないだろうか。そして、大会を成功させるため、元子夫人は今でも目を光らせているはずだ。合掌文・どら増田
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スポーツ 2018年04月23日 21時40分
34回目にして最も日本人が注目したレッスルマニア
世界最大のプロレスイベントWWE『レッスルマニア34』(ニューオリンズ メルセデス・ベンツ・スーパードーム)が日本時間の4月9日に開催され、78,133人の大観衆を集めた。おそらくこれが10万人収容可能な会場だったら、10万人入っていたのだろう。 日本での格闘技イベントでは、2002年8月28日に旧国立競技場で開催された『Dynamite!!』の91,107人が最高と言われている。プロレスでは1998年4月4日に東京ドームで開催された新日本プロレス『アントニオ猪木引退試合』の7万人が最多動員記録と思われる。東京ドームでは後にK-1がこの記録を塗り替えたと発表しているが、当時の東京ドーム関係者に話を聞くと「回転扉にカウンターが付いていた(ため、数字は正確でない)。猪木さんの大会を上回った興行は現在までないと聞いています」とのこと。 プロ野球が実数発表になったことに伴い、プロレスでも新日本を中心に来場者数を実数で発表する流れになっているが、今年の1.4東京ドーム大会では、外野席以外はほぼ埋まっていたように見えたが、発表によると来場者数は34,995人とのことだった。新日本の関係者に「東京ドームで札止めになったときは何人で発表するのか?」と聞いてみると「フルハウスにしたら45,000人ぐらいじゃないですかね」との答えが返ってきた。それ以上を目指すなら新国立競技場を目指すということになるが、木谷高明オーナーは「少しでも見やすい会場でたくさんやった方がいい」という考えだ。今夏の日本武道館3連戦のように、大きい会場を続けて使い、トータルで東京ドーム以上の集客を目指していくのかもしれない。 ハルク・ホーガン、ランディー・サベージ、アルティメット・ウォリアー、ジ・アンダーテイカー、ブレット・ハート、ショーン・マイケルズ、“ストーンコールド”スティーブ・オースチン、ザ・ロック、トリプルH、クリス・ジェリコ、ジョン・シナ、ランディー・オートンなどなど、数多くのスーパースターの歩みに寄り添い続けてきたレッスルマニア。今年は中邑真輔とアスカという男女日本人スーパースターの活躍が功を奏し、レッスルマニア34回の中で、最も日本人ファンから注目された大会だったと言ってもいい。 中邑真輔は新日本でも1回シングルで対戦したAJスタイルズとのWWE王座戦がラインナップされた。残念ながらメインイベントにはならなかったものの、WWEでは大会直前までこのカードを“ドリームマッチ”として、メインのカード以上に煽り続けた。英語圏やスペイン語圏の選手に比べると、アジア人の中邑がWWEのトップベルトを獲得するには、われわれが想像するより高いハードルがあるのではないだろうか。 ただ、WWEに挑戦した日本人選手でここまでのチャンスを与えられたことはなかった。今後、中邑が言葉や人種の壁を越えて戴冠する可能性は大いにある。それは大阪弁を貫き通すアスカも同じ。1年後の2人に期待したい。また他の日本人スーパースターもこの輪の中に早く加わってもらいたい。 来年の『レッスルマニア35』は、米国時間2019年4月7日にニュージャージー州のメットライフ・スタジアムで開催されることが発表されている。【どら増田のプロレス・格闘技aID vol.6】写真提供・©2018 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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スポーツ 2018年04月23日 18時00分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「マサ斎藤」全米を股にかけた“獄門鬼”
アメリカでトップを張った日本人レスラーは何人もいるが、20年近く活躍を続けたとなるとマサ斎藤をおいて他にいない。 さらに日本マットでも、長州力率いる維新軍の参謀役やアントニオ猪木との巌流島決戦で強烈なインパクトを残すなど、まさしく国際派レスラーの先駆けであった。 1999年に現役引退となったその前後からパーキンソン病を発症し、以後は闘病生活を続けてきた斎藤。長らくリングを離れていたが、'16年12月に大阪・城東区で開かれた“斎藤激励”の大会ではメインイベントに出場した。 ただし、メインといっても試合ではなく、斎藤が観客にあいさつするという段取りであったが、そこはプロレスのお約束。アイスホッケーのマスクをかぶった海賊男風のレスラー(中身は武藤敬司)が乱入してきた。 「攻撃を受けたマサさんが立ち上がって反撃しようとするのですが、そのときにプルプル震えていた。それが現役時代の動きを再現したものなのか、病気の影響なのかよく分からない。全盛期には盛り上がりすぎて首が見えないほどだった筋肉も、すっかり落ちてしまっていて…」(当日に会場を訪れたファン) 斎藤の支援をうたうならば、なぜ住まいのある首都圏ではなく移動をともなう大阪だったのかという疑問はある。また、同大会の主催者が“新日本プロレス土下座外交時代”のブッカーで、退社後には前田日明らともめ事を起こしている上井文彦氏と聞くと、どこかいぶかしく感じるファンもいるだろう。 しかし、どんな形であれリングに上がることが闘病に向けての活力になるなら、かつてプロレスに熱狂したファンとしては応援する以外の選択肢はないだろう。 '64年の東京五輪に、明治大学在学中の斎藤はレスリング重量級フリースタイル日本代表として出場し、3回戦まで進出。翌年に大学を卒業すると日本プロレスに入団し、日本人オリンピアンとしては初のプロレスデビューを果たした。 '66年には猪木が旗揚げした東京プロレスに移籍。斎藤はデビューからわずか2年にもかかわらず猪木、豊登に次ぐナンバー3に格付けされ、このことからも期待のほどがうかがえる。 その東プロが崩壊すると、斎藤はフリーランスとして単身渡米する。 「人間関係のもつれに嫌気が差したというのもありますが、加えて東プロ時代、武者修行帰りの猪木から聞いたアメリカマット事情に、興味を持ったというのも大きかったようです」(プロレスライター) 太平洋戦争の記憶がまだ色濃く残っていた当時のアメリカにおいては、日系人でない純日本人ヒールの需要が高かった。また、この頃はプロモーター側がレスリング技術を重視したこともあって、斎藤は長年にわたり全米の主要テリトリーでトップヒールに君臨することとなる。 同時に日本でも、上田馬之助やヒロ・マツダらとともに、フリーランスによる『狼軍団』を結成し、新日本や国際プロレスに日本人ヒールとして参戦するようになった。 「その後、維新軍において参謀格になったことで日本での試合が増えましたが、これは新日側の仕組んだアングルではなく、長州が同じレスリング出身の斎藤に相談を持ち掛けたことがきっかけでした。頼られると断れない人のよさが出たわけです」(同) 長州らとともに全日本プロレスに移籍していれば、ジャンボ鶴田との五輪代表対決なども実現しただろうが、そうならなかったのには理由がある。直前にアメリカで、警官に暴行を働いたとして国外への移動が制限されていたのだ。 「長州ら維新軍の移籍については『好きなようにやればいい』と背中を押したマサですが、しかし、仮に暴行事件がなかったとしても果たしてこれに同調していたか。義理堅い人だけに、猪木の新日をそうそう裏切るとも考えづらい」(同) 真相はどうあれ、結果的に斎藤は1年6カ月の刑期を終えると、アメリカマット界がWWFの一人勝ち状態になっていたこともあり、新日本に本格参戦。伝説の巌流島決戦をはじめ猪木と死闘の数々を繰り広げることになる。 さらに斎藤は、長州復帰の際の橋渡し役となり、ビッグバン・ベイダーやスコット・ノートンら、のちにエース外国人となるレスラーたちをブッキング。自身が第一線から退いてからもテレビ解説を務め、この時期の新日本を陰に日向にと支えたのであった。 「まだキャリアの浅い時期に、アメリカでの試合中に眼球を負傷し、それ以来、片目が見えない状態だったそうですが、現役時代はそんな様子を少しも見せることはなかった。そんなマサさんであれば根治法が確立されていないパーキンソン病にも、決して屈することはないはずです」(同) 自身の出場した東京五輪から半世紀以上がすぎ、再びの東京五輪が2年後に迫った今、斎藤は「聖火ランナーとして参加する」ことを目標に掲げているという。マサ斎藤(本名:斎藤昌典)1942年8月7日、東京都出身。身長180㎝、体重120㎏。得意技/ひねり式バックドロップ、監獄固め。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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スポーツ 2018年04月19日 21時30分
アスカが前王者シャーロットを救出!スマックダウンに日本に馴染み深い選手が集結!
世界最大のプロレス団体WWEは日本時間18日、ロードアイランド州プロビデンスで主力ブランド、スマックダウンを開催した。日本人女子スーパースターのアスカが登場し、ロウからスマックダウンに移籍することが明らかになった。 アスカはレッスルマニアで所属しているロウではなく、スマックダウンの女子王座への挑戦を選択した。スマックダウンへの移籍が濃厚とされていたが、アスカはさっそく動き始めた。シャーロット・フレアーはレッスルマニアでアスカを破り王座を防衛し、アスカの連勝記録も止めたが、その2日後にカーメラの謀略にハマった。シャーロットはマネー・イン・ザ・バンクの権利を行使し急遽挑戦してきたカーメラ相手にわずか7秒で敗れ、王座から陥落するという大失態を演じた。 今週は観客から大ブーイングを受けながら、王者カーメラが見守った。前王者のシャーロットはアイコニックスのビリー・ケイと対戦。シャーロットが必殺のフィギュアエイト(足4の字固め)を決めて試合に勝利すると、カーメラが乱入。アイコニックスとともにシャーロットを襲撃した。 会場は再び大ブーイングに包まれたが、そこにアスカが登場。アスカはケイらを蹴散らしてシャーロットを救出したが、カーメラは味方を見捨て、ベルトを大切に守りながらそそくさと退散した。アスカはロウからスマックダウンに移籍するとサプライズ発表。ひとまず前王者シャーロットと共闘しながら、現王者のカーメラ、アイコニックスらヒール勢と対峙していく。 1年間の総決算大会のレッスルマニアが終了したことに伴い、アスカ以外でもロウとスマックダウンの間でスーパースター・シェイクアップ(選手の入れ替え)が行われた。 まず、ケビン・オーエンズ、サミ・ゼイン、ジンダー・マハルwithシン・ブラザーズ、ボビー・ルード、ドルフ・ジグラー、ドリュー・マッキンタイア、バロン・コービン、ブリーザンゴ、ザック・ライダー、ジ・アセンション、モジョ・ローリー、チャド・ゲイブル、マイク・ケネリス、ナタリア、ライオット・スクワッドがスマックダウンからロウに移籍すると発表した。 アスカ、ジェフ・ハーディ、サモア・ジョー、ビック・キャス、ザ・ミズ、日本でもおなじみのルーク・ギャローズ&カール・アンダーソン、ソーニャ・デヴィル&マンディ・ローズはスマックダウンに移籍する。ファームブランドのNXTのアンドラーデ“シエン”アルマス、サニティ、アイコニックスはスマックダウンに所属することが発表された。 中邑、AJ、ギャローズ&アンダーソンの元新日本プロレス勢に、アスカも加わったスマックダウンのメンバーは初夏の日本公演を控える。日本のユニバース(ファン)にとって今回のシェイク・アップは朗報と言えるかもしれない。文 / どら増田写真提供 / ©2018 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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スポーツ 2018年04月16日 21時50分
ミスター雁之助引退試合で、藤波辰爾が「お前、本田だろ!」ガッツワールド解散興行
ガッツワールド解散興行「ガッツワールド THE FINAL 武骨終焉」▽15日 新宿FACE 観衆 600人(超満員札止め)▼ミスター雁之助引退試合(60分1本勝負)●ミスター雁之助&影山道雄(16分41秒 飛龍裸絞め)○藤波辰爾&ヒロ斉藤 13年4ヶ月の歴史に幕を閉じるプロレス団体ガッツワールドの最後と、ミスター雁之助の引退を見届けようと、新宿FACEには定数いっぱいの600人(超満員札止め)のファンが駆けつけた。前売券は完売し、当日券もあっという間に売り切れ。マスコミも多数取材に訪れるなど、プロレス界でも注目度の高い大会となった。 セミファイナルにラインナップされた雁之助の引退試合は、雁之助にそっくりの影山道雄がパートナーに。ガッツワールド初参戦となる藤波辰爾と、2度目の参戦となるヒロ斉藤とのタッグマッチが行われた。雁之助と藤波がそれぞれトップバッターとして登場すると、会場の興奮は最高潮に達した。ターザン後藤に叩き込まれた全日本プロレスの流れをくむ雁之助と、カール・ゴッチやアントニオ猪木に叩き込まれた新日本プロレスの流れをくむ藤波、ヒロとのハイレベルなレスリングの攻防に、ファンはもちろん、花道から試合を見守った数多くのレスラーたちが酔いしれた。 試合も中盤に差し掛かったころ、雁之助と影山が場外で入れ替わり、影山に扮した?雁之助が藤波の前に立つと、藤波が「お前、本田だろ!」と雁之助の本名を暴露。雁之助はスーパー・ストロング・マシンに続いて、藤波に本名をリング上で暴露された2人目のレスラーとなった。 これにはファンも大喜び。藤波やヒロとのレスリング対決を影山はしっかりとフォローしていたが、今週末に“ニューヨークの帝王”ボブ・バックランドとタッグを結成する藤波は絶好調。最後は粘る雁之助にドラゴンスクリューを放ち、ヒロが必殺のセントーンを放つと、流れるようにドラゴンスリーパーで雁之助を捕獲。ギブアップを奪うと藤波は、引退する雁之助を介錯した。 試合後、ファンと握手しながら退場した藤波だが雁之助が「今もう1試合やってほしい」とマイクで訴えると、藤波は雁之助の前に再び登場。「次はシングルをやろう」と、この試合で引退するはずの雁之助と再戦を約束して笑顔で引き上げた。これには雁之助も「次回はないんですよ」と苦笑いを浮かべていたが、「藤波さんは優しい」と相手を務めてくれた藤波に感謝しながらリングを降りた。 全試合後に行われた引退セレモニーでは雁之助を送り出そうと唯我、ヤス・ウラノ、新納刃らが登場。アイスリボンの藤本つかさ、星ハム子、松本都、藤田あかね、内藤メアリ、新田猫子の6人もリングに上がった。真琴、日向小陽、雫有希、矢野啓太、よしえつねおにそっくりなミロ・ハダカラスも続いた。プロレスリングFREEDOMSからはGENTARO、マンモス佐々木、神威、矢口壹琅が現れた。FMWで一緒だった闘病中のチョコボール向井、後輩のgosaku、サプライズで新宿鮫も続き、最後は出場全選手を代表してガッツ石島が雁之助に花束を渡した。 最後にマイクを持った雁之助は「平成3年の2月、FMWにハヤブサと九州から上京して、寮に入り、あれから27年間。こんなに長くプロレスができるとは夢にも思っておりませんでした。この場で言うのはなんですが、プロレスから離れたくないです」と本音を漏らした。「大好きです、プロレスが。僕と一緒にプロレス界に入ったハヤブサはもういませんけど、彼がいなくなってからきょうの試合まで、リングに上がる時は彼の気持ちも背負って毎回リングに上がっていました」と2016年に亡くなった盟友・ハヤブサさんとの思い出を語った。 「彼と一緒にリングを降りられなかったのは、本当に残念ですが、僕は復帰するとき彼に『もう一回リングに上がろうと思ってる』って言った。彼は何も言わずに『おっさんの思った通りにやれ』と背中を押してくれた。『自分が歩けるようになったらリングでもう一回向き合おうね』と言われた。それは叶いませんけども、また、後々会った時にそれは実現しようと思います」と死後の「再会」を誓った。 ファンに向けては「今まで皆さん、こんな男を見て支えていただいて、本当にありがとうございました。FMW、WMF、ガッツワールドの3団体に所属して良かった。ファンの皆さんと知り合えて本当に幸せだった」と感謝。「これからもガッツワールドの選手たち、プロレスをよろしくお願いします。27年間ありがとうございました。ミスター雁之助はプロレスを愛してます。ありがとうございました」とラストメッセージを送った。 バックステージでは「ガッツワールドっていい団体だったよな。藤波さんがガッツワールドに上がるなんて考えられないことだったでしょ?」とポロリ。引退試合については「(師匠の)ターザン後藤さんも考えたけど、藤波さんと関節技とかレスリングを見せたいなと思った」と語った。「ガッツワールドは13年間ミソクソ言われた時代から考えると、それをメゲずにずっと続けて、最後これだけのお客さん呼ぶっていうのはなかなかできないこと」と感慨深げだった。 「13年も続いた団体って今そんなにないですよ。その名前を汚さないように、今後のプロレスに精進してください」とガッツワールド解散後も現役を続ける選手にエールを送った。 ガッツ石島代表は「近日中に今後について発表をする」と試合後の会見で語っている。マスクドミステリー、大谷譲二、室田渓人はガッツと行動をともにする模様だ。ドレイク森松は大阪・京橋を拠点に活動し、翔太は海外遠征後に今後の進路を明らかにする。ガッツワールドやミスター雁之助の魂は、所属選手や参戦選手、そしてファンの胸の中で生き続けることだろう。取材・文 / どら増田写真 / パーラー高野
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スポーツ 2018年04月15日 12時30分
WWEプロレス殿堂、今後の日本人受賞候補は?
世界最大のプロレス団体WWEが日本時間9日に開催した『レッスルマニア34』は78,133人(超満員札止め)もの大観衆を集めた。ツイッターでは日本をはじめ世界中でトレンドのトップを獲得。配信サイトWWEネットワークを通じてリアルタイムで世界中のファンが視聴した。中邑真輔やアスカの活躍により、過去の大会の中で最も日本人に注目されたレッスルマニアだったのではないだろうか。 レッスルマニアに先立ち現地時間6日、ルイジアナ州ニューオリンズのスムージー・キング・センターでWWEの殿堂入り記念セレモニー『ホール・オブ・フェーム』が開催された。 今年の目玉だったゴールドバーグは、ポール・ヘイメンに紹介され名物の入場シーンが流れる中、ステージに登場。ゴールドバーグはスピーチで感謝している人物としてロン・シモンズ、ビック・ショー、ジム・ロス、スティーブ・オースチンらの名前を挙げ、「ダイヤモンド・ダラス・ペイジとスティング。この2人がゴールドバーグに多大な影響を与えた」とWCW時代の盟友に対して感謝した。また2016年のWWE復帰を支えた家族、友人、にもお礼を述べた。 NFLからプロレスに転向したゴールドバーグは「NFLの殿堂入りをするのが夢だったが、WWEの殿堂入りの方が大きな名誉となった」とコメント。最後は決め台詞「Who’s Next?(次は誰だ)」と締めた。会場に集まったレスラー仲間や関係者、ファンからは盛大な拍手が送られた。 日本でも人気があり、新日本プロレスにも幾度となく参戦しIWGPタッグ王者チームとしても活躍したダッドリー・ボーイズは、WWE時代に『T(テーブル)・L(ラダー)・C(チェアー)・マッチ』を一緒に確立したライバルのハーディ・ボーイズ、エッジ&クリスチャンをステージに呼び込んだ。スタッフを相手にテーブルへパワーボムを放つ昔と変わらぬ暴挙に出て、大喝采を浴びていた。まだまだ元気そうだ。その他にも、新たに殿堂入りしたマーク・ヘンリー、アイボリー、ジェフ・ジェレット、ヒルビリー・ジムも登壇。その功績を讃えられた。 そしてレガシー部門では日本人としてヒロ・マツダが選ばれ、2010年のアントニオ猪木、2015年の藤波辰爾、2017年の力道山に続き、日本人4人目の殿堂入りを果たした。ヒロ・マツダは日本では日本プロレスから国際プロレスに移籍。国プロ創設期に活躍し、アメリカマットではダニー・ホッジを破り、日本人初のジュニアヘビー級王座(NWA世界ジュニア)を戴冠している。 新日本マットではフリーの大物として、上田馬之助、マサ斎藤、サンダー杉山とともに狼軍団を結成。猪木とも名勝負を繰り広げた。引退後はハルク・ホーガンらスーパースターを何人も育てた他、アメリカに遠征する日本人選手をサポート。武藤敬司や西村修などマツダを慕う選手は多い。近年は新日本とWCWの業務提携に尽力したことでも知られており、WCWではヒール軍団のマネージャーとしても活躍。マツダは1999年に67歳の若さで亡くなったが、過去の功績が認められ殿堂入りを果たした。 日本人は4人が殿堂入りしているが、今後の殿堂入り“候補”について触れてみたい。まずジャイアント馬場は選ばれるべき人物だろう。馬場はWWEがWWWFだった時代に参戦し、ブルーノ・サンマルチノの好敵手でもあり、1990年には『日米レスリングサミット』のホスト役としてWWE、全日本プロレス、新日本の3団体合同興行開催実現に尽力した。 また新日本と業務提携していた頃、ニューヨークのMSGで活躍した初代タイガーマスク、アンドレ・ザ・ジャイアントとの抗争でスーパースターにのし上がったキラー・カーンもいる。新日本の過激な仕掛け人として、マクマホンファミリーと親交があり、WWEの会長職にも就いていた新間寿、女子では日本人初にして唯一のシングル王者となったブル中野、タッグ王者となったJBエンジェルス(山崎五紀&立野記代)なども候補に挙げられる。 また、WWE以外で活躍した選手に範囲を広げると、ペイントレスラーのパイオニアであるザ・グレート・カブキや、カブキの息子という設定でWCWマットを席巻したザ・グレート・ムタ(武藤敬司)、元AWA世界ヘビー級王者のジャンボ鶴田、マサ・サイトー、ECWでチャンピオンになった田中将斗、そして天龍源一郎も候補になるだろう。SWS時代にWWEと提携してから、天龍はホーガンや、リック・フレアー、ランディー・サベージと日本マットで組み、闘っている。全日本時代にはザ・ロードウォリアーズとともに初代NWA世界6人タッグ王座も戴冠している。 ここに書いた以外でも佐藤昭雄(シンジャ)など、マツダのように裏方で世界のマット界を支えた日本人はたくさんいる。来年以降も誰が選出されるのか注目していきたい。(文中、敬称略)【どら増田のプロレス・格闘技aID vol.5】
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スポーツ 2018年04月14日 06時31分
“名選手”S・S・マシンが引退表明!「お前○○だろ?」「しょっぱい試合ですみません」
衝撃的なニュースが飛び込んできた。新日本プロレスは12日、所属選手としては最古参レスラーであるスーパー・ストロング・マシンが6.19後楽園ホール大会で引退セレモニーを開催すると発表した。マシンはケガの影響もあって2014年4月を最後にリングに上がらず、道場で若手選手のコーチ役を務めながら新日本の復活を支えていた。当日も試合には登場しない。 日本プロレス界のマスクマンレスラー第一人者がリングを降りる決意をした。マシンは1984年8月の新日本プロレス後楽園ホール大会で初登場。青いニット帽をかぶり、アメフトのプロテクターを着けた謎の覆面レスラーは、マネージャーの若松市政(将軍KYワカマツ)とともに乱入。リング上でヤングライオンを次々と吹っ飛ばし、テレビ実況席に座っていたアントニオ猪木との対戦をアピールした。 その模様は地上波でレギュラー放送していた金曜午後8時(現在の『ミュージックステーション』の枠。Mステの前番組はワープロだったのだ)の『ワールドプロレスリング』で全国に生中継された。青いニット帽は視界の部分が空いていて、ピンクのマスクがチラッと見えていた。マシンは超人気のテレビアニメ『キン肉マン』のマスクを被っていたと言われている。当時の新日本は初代タイガーマスクの電撃引退に伴い、「キン肉マン」の覆面レスラー化を水面下で進めていたとされる。 翌週から名前を「ストロング・マシン」として赤いマスクを被り、猪木ら新日本正規軍(現在の本隊)と対峙したが、マシンはその後、2号から4号まで増殖。「4号」として外国人選手と思われる選手が現れたこともあった。当時の新日本は前田明(当時)らUWF勢や、長州力ら維新軍団が大量離脱した団体の事情もあり、マシン軍団のリーダーであるマシン1号は、新日本のトップ選手に上り詰めた。 マシンは1985年4月、新日本にとって初の両国国技館大会で、藤波辰巳(当時)のWWF(現WWE)インナーナショナルヘビー級王座に挑戦するが、マネージャー若松のパウダー攻撃がマシンに誤爆。その隙を突いた藤波のドラゴン・スープレックス・ホールドを食らって敗れてしまう。これで若松と完全決別したマシンは、若松に「裏切り者」と罵られながらもマシン2号や3号と抗争を繰り広げた。 マシンは正規軍入りが濃厚と思われたが、藤波を助けた際「お前○○だろ?」とマイクで正体をストレートに言われる事件が勃発。これも金曜夜8時に全国に生中継されたため、学校や会社でしばらく「お前○○だろ?」というフレーズが流行した。その後、マシンは「スーパー・ストロング・マシン」に改名する。 1985年8月にはヒロ斎藤、高野俊二(当時)とともにカルガリー・ハリケーンズを結成し、新日本を離脱。長州が設立したジャパン・プロレスに合流し、長州と抗争しながら全日本プロレスに参戦し、ジャンボ鶴田や天龍源一郎とも試合している。1987年に、長州とともに新日本に復帰。しばらくは長州のサポート役を務めていたが、“ヤングライオン時代”に同期だった前田日明との再会で闘志に火がついたマシンは、前田と激闘を繰り広げた。 その後、同じく同期だったジョージ高野と烈風隊を結成。IWGPタッグ王座を戴冠するなど、正規軍の中堅のポジションを築いていたが、王座陥落後はジョージの移籍などもあり、盟友ヒロ斎藤に誘われる形で、ブロンド・アウトローズ入り。ユニット名をレイジング・スタッフに改名し、リーダーとして反体制の立ち位置に徹していた。途中、WARへのレンタル移籍(ザ・グレート・カブキとの一時的なトレード)など、新日本に籍を置きながらも他団体にも参戦。魔界1号、スーパー・ブラック・マシン、スーパー・ラブマシンなどマスクやリングネームも柔軟に変えて活動した。1994年には蝶野正洋と仲間割れした試合でプロレス史に残る名言「しょっぱい試合ですみません」を残した。2009年からは永田裕志率いる青義軍の参謀役として青いマスクを被り活躍した。 「今のコンディションではリングで闘うことはできず、今回はセレモニーという形で引退というケジメをつけさせて頂くことになりました」とマシンはコメントした。「現役生活の中ではさまざまなことがありましたが、悔いのないプロレス人生を送れたと思います。ファンのみなさんの応援があったからこそ、これだけ長く現役生活が送れたと思います。みなさん、長い間、本当にありがとうございました! ギギギッガガガッ」とファンに感謝している。 引退に際し「マシン語」でコメントを寄せたマシン。新日本への在籍期間は、ヤングライオンの時代から新日本ひと筋の獣神サンダーライガーの方が長いが、現役最古参となるとマシンが一番のキャリアを誇る。 何でもできる器用な選手だったがゆえ、シングル王座に縁がなかったのは残念だが、急きょ開催が決定した引退記念興行(6.19後楽園)には、藤波辰爾、長州力、天龍源一郎、アニマル浜口、前田日明、ジョージ高野、後藤達俊、保永昇男、そして好敵手だった蝶野正洋、越中詩郎らマシンとゆかりのある選手たちに駆けつけてもらい、盛大に送り出してあげてほしい。そしてマシンにはこれからも新日本のヤングライオン達を育て、私たちに素晴らしい選手を見せてほしいと思う。文 / どら増田
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スポーツ 2018年04月13日 18時00分
“ヒール”と化したWWE・中邑真輔 その姿に日本のあのレスラーを想起する人も?
4月8日(日本時間9日)に行われた米プロレス団体WWEの『レッスルマニア34』でAJスタイルズに敗れ、日本人初となるWWE世界王座獲得を逃した中邑真輔。試合後、AJに対し“ヒール”的な立ち振る舞いを見せたことも話題となったが、その姿に国内のあるレスラーを思い浮かべたファンもいるようだ。 今年1月に行われた『ロイヤルランブル』で初参戦初優勝の快挙を成し遂げ、王座挑戦権を獲得した中邑。この勢いのままベルトに手をかけると多くの人が期待していたが、注目のタイトルマッチはAJに敗北。しかも、試合終了後に急所攻撃を見舞うまさかの結末となった。 その後10日(日本時間11日)に行われた『スマックダウン』大会でも、中邑は蛮行を続けた。大会のメインイベントとして行われたAJ対ダニエル・ブライアンの一戦に突如乱入した中邑は、ブライアンに自身の必殺技“キンシャサ”を、AJに対してはキンシャサならぬ“チンシャサ”を2度にわたり敢行。観客に対し自身の「ヒールターン」を強烈に印象付けた。 今後はヒールレスラーとしてAJ、ブライアンとの抗争に突入することが濃厚となった中邑。会場に現れるたびに観客の大ブーイングを浴びる日々が続くことは想像に難くない。しかし、ネット上の反応を見ると「おいしい立ち位置をもらったな」、「今後がすごく楽しみ」、「むしろヒールの方がベルトを獲りやすいかも」と意外にもヒール転向に肯定的な声が多く挙がっている。一方で、中には「金的攻撃うまいな」、「矢野通仕込みか?」、「CHAOS時代の経験が活きてる?」と新日本プロレス所属のレスラー・矢野通を想起したファンも。2人は新日でヒールユニット“CHAOS”を結成し、長年行動をともにした“同志”だ。そして矢野の代名詞が急所攻撃であることが、ファンのユニークな視点につながっているようだ。 日米両国で得た経験を、これからどのようにリングで活かしていくのだろうか。ヒールと化した中邑には今まで以上に注目が集まりそうだ。
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スポーツ 2018年04月13日 17時45分
桜庭和志「殴り合いより面白い」新グラップリングイベントQUINTETが見せた可能性
『QUINTET.1-Grappling Team Survival Match-』▽11日 両国国技館 観衆 4,039人グレイシーハンターとして2000年代前半を牽引した“格闘技界のレジェンド”プロレスラー桜庭和志が11日、組み技や締め技で勝敗を決めるグラップリングルールによる新格闘技イベントQUINTETを両国国技館で旗揚げさせた。このイベントは、20人の選手が4チームに分かれて5対5の勝ち抜き戦を行う柔道の団体戦の要素を取り入れているのが特徴で、今回は桜庭和志、ジョシュ・バーネット、所英男、マルコス・ソウザ、中村大介のHALEO DREAM TEAM(HALEO)、石井慧、小見川道大、出花崇太郎、ユン・ドンシク、キム・ヒョンジュのJUDO DREAM TEAM(JUDO)、グレゴー・グレイシー、クレイグ・ジョーンズ、宇野薫、マーチン・ヘルド、ダン・ストラウスのPOLARIS DREAM TEAM(POLARIS)、マリウス・ザロムスキー、テオドラス・オークストリス、ミンダウガス・ベルツビカス、セルゲイ・グレチコ、ビクトル・トマセビッチのSAMBO DREAM TEAM(SAMBO)が出場した。トーナメント1回戦の第1試合で、最初に入場したJUDOは、全日本プロレスで引き分けのテーマとして使用されている『カクトウギのテーマ』で入場。HALEOは桜庭のテーマ曲『SPEED TK-REMIX』から『UWFメインテーマ』に繋がる合体テーマ曲。これには国技館に集まったファンから歓声が上がった。HALEOの先鋒は中村が、JUDOの先鋒は小見川が出て、QUINTETの歴史の幕を開けるゴングが鳴らされた。全試合8分1本勝負が原則だが、体重差が20kg以上ある場合に限り、4分1本勝負に。時間内に決着しない場合は両選手が失格となり、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将と選手が入れ替わり、大将に勝利または引き分けで失格させたチームが勝利となる。1回戦第1試合では、ジョシュ・バーネットを温存(1人残り)させて、JUDOの5選手を失格させたHALEOが勝利。JUDOの大将を務めた石井はルールに不満を漏らしながらも、ジョシュとの対戦を希望しリベンジを誓った。1回戦第2試合では、SAMBOがかつて新日本プロレスを席巻したソ連(当時)のレッドブル軍団や、PRIDEのイゴール・ボブチャンチンが使用していた『レッド・スペクタクル』で入場すると、POLARISは予想通りグレイシー一族のテーマとしてお馴染み、映画『ラスト・オブ・モヒカン』から『Fort Battle』で入場する。この試合は“グラップリングの新星”クレイグ・ジョーンズが驚異の強さで2人抜きをすると、急遽来日したマーチン・ヘルドが残る3人を消し去り、僅か2人で決勝進出を決めた。決勝はグレゴー・グレイシーを含む3人を温存しているPOLARISが圧倒的に有利な状況だったが、HALEOは1回戦に出場していないジョシュが先鋒で登場。POLARISは「HALEOのポイントゲッターであるジョシュをいかに消すか」という戦略から、大将格のグレゴーが先鋒を務めた。体重差が20kg以上あったことから試合時間は4分。グレゴーはこの役割をしっかり果たすと、次鋒のダン・ストラウスが、中村大介をリアネイキッドチョーク(チョークスリーパー)、所英男をギロチンチョークで続けて絞め落とし、「自分のアイドルだった」というHALEO副将の桜庭と初対決。桜庭は「足を捕まえても逃げるのが上手かった。8分間は疲れた」と振り返っていたが、引き分けで桜庭を失格させた。HALEO大将のマルコス・ソウザは、POLARIS中堅の宇野薫を腕ひしぎ十字固めで1本勝ちを収めるが、副将でこの日3試合目となるクレイグ・ジョーンズに膝十字固めを決められて万事休す。POLARISが圧倒的な強さを見せて、第1回大会を優勝した。試合後、プロデューサーも務めた桜庭にUWFメインテーマを使用した意味を聞いてみると「いろんな意見を聞いてああいう形になった。(狙い通りだった?)はい。沸いてくれてよかったです。プロレス同好会なんで」と笑みを浮かべ、隣りにいたジョシュも「僕はUWFチルドレンだから、あの曲で入場できてエキサイティングだったよ」と嬉しそうに話していた。「関節技のタップとは、相手に自らの意思で敗北を認めさせること。だから殴り合いより面白い」そんな桜庭の発想から生まれた新たな格闘技イベントQUINTET。桜庭は「まだまだ改善していく必要がある。もっと動きのある試合ができるはず」と今後の課題を口にしていたが、アマレスと同じ大きさのマットで繰り広げられた組み技や締め技の“決め合い”はとても新鮮で、進行もスムーズで興行時間もストレスを感じなかった。次回は海外での開催が濃厚だそうだが、グラップリングの可能性をこれからも追求し、楽しませてもらいたい。▼トーナメント1回戦(5対5勝ち抜き戦)○HALEO DREAM TEAM(5-4)JUDO DREAM TEAM●○POLARIS DREAM TEAM(5-2)SAMBO DREAM TEAM●▼トーナメント決勝戦(5対5勝ち抜き戦)○POLARIS DREAM TEAM(5-3)HALEO DREAM TEAM●※POLARIS DREAM TEAMが優勝取材・文 / どら増田写真 / 萩原孝弘
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スポーツ 2018年04月12日 21時30分
まるで飯塚高史?ヒール転向の中邑真輔が狂気の大暴走!
世界最大のプロレス団体WWEは日本時間の11日、ルイジアナ州ニューオーリンズで主力ブランド、スマックダウンを開催した。 日本時間9日に行われた『レッスルマニア34』で、AJスタイルズが保持するWWE王座に挑戦したが敗れた中邑真輔。試合後にはAJにひざまずいてベルトを渡し、「ノーサイド」の雰囲気を演出した直後、急所攻撃を食らわせた。その後、場外で必殺技のキンシャサを放ちAJを「KO」。約8万人の観客と世界中のファンに「ヒール転向」を印象づけた。 そんな中邑の言動や行動に注目が集まる中、スマックダウンのオープニングではレッスルマニアで中邑から王座を防衛したAJと、同じくレッスルマニアで復帰を果たしたダニエル・ブライアンの対戦が新GMのペイジより発表される。 人気者同士によるドリームマッチが急きょ実現することになったわけだが、AJとブライアンの試合は一進一退の攻防を繰り広げる好勝負に。これには会場のファンも大喜びで、会場の興奮が頂点に達しようとしたまさにその時だった。両者がリングにダウンし、試合が一息ついた“隙”を突いて突然中邑が現れたのだ。 赤をベースにダークな黒を入れた新コスチュームで現れた中邑はリングに入ると、復帰を歓迎していたブライアンにキンシャサを一撃。続いてAJに襲いかかり、レッスルマニアに続いて急所打ち。さらにコーナーでたぎり、AJにキンシャサを浴びせた。会場はもちろん大ブーイングに包まれるが、何かに取りつかれたかのような中邑は誰にも止めることができなかった。制止するレフェリーを振り切ってAJに2度目の急所打ちを見舞うと、ニタニタと笑みを交えながら狂気に満ちた表情を浮かべて中邑はリングを後にした。 まだケイオスが武闘派ユニットだった頃、中邑と行動をともにしていた新日本プロレスの飯塚高史にも似た怪奇なムードを漂わせている。AJだけではなく、ブライアンも標的にした中邑の無差別テロ行為はまだ続くのか?今後何か言葉を発することはあるのか?まだまだ読めない今後の行動に注目が集まる。文・どら増田写真提供・©2018 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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