元子夫人は馬場さんが存命中、長きに渡って全日本のハード面を仕切っていたこともあり、業界内では「怒らせてはいけない人物」と恐れられていた一方、外国人選手には「ミセスババ」として慕われる存在だった。しかし、選手のグッズなどは元子夫人が代表を務める別会社ジャイアントサービスが管理していたことなどから、日本人選手やスタッフとの衝突はたびたびあったとされ、それが原因となり、1990年の天龍源一郎らによるSWS(メガネスーパーが作った新団体)への大量離脱や、馬場さんが亡くなられた後に勃発した三沢光晴社長の退社と、プロレスリング・ノア旗揚げによる団体としては致命傷とも言える大量離脱劇を起こしている。
所属選手が川田利明と渕正信、太陽ケア、そして、スタン・ハンセンら外国人選手。スタッフもレフェリーの和田京平、リングアナの木原文人ら数名しか残留しなかったが、元子夫人は「馬場さんが作った全日本プロレスを潰すわけにはいかない」と、これまで決して許すことがなかった天龍源一郎と電撃和解。また、日本テレビが独占放映契約を打ち切ったことにより、馬場さんの時代からテレビ局の問題から鎖国路線を敷いていたため、WWEの訪日や、SWSショックが業界を席巻した1990年を除いて交流することがなかった新日本プロレスと対抗戦をスタートさせて、年間で押さえていた年6回の日本武道館大会も開催したのは、元子夫人の意地と馬場さんへの強い思い以外にないだろう。
後楽園ホールや日本武道館のチケットもぎり付近にはほとんど姿を見せており、常連客には声をかけ、おかしいなと思った客には警備員を通じて注意したり、中に入れなかったことを目撃したことが多々あった。元子夫人は全日本黄金期の番人である。
武藤敬司が新日本プロレスから移籍し、元子夫人から引き継ぐ形で社長に就任した後も、オーナーとしてしばらく携わっていたが、やはり現場との対立を繰り返すこととなり、全日本から手を引いた。その後も、2014年に秋山準が社長となり、全日本を新体制に改革すると、これをバックアップする姿勢を示していた。また、2016年には曙が立ち上げた新団体『王道』への協力も表明している。
元子夫人は現在の日本プロレス界にもしっかりと残っている馬場さんの遺伝子をもっと見届けたかったはずだ。現在のところ追悼セレモニーなどの予定は明らかにされていないが、生前、元子夫人が準備してきた馬場さん絡みのイベントに関しては、ご家族を中心に元子夫人の意向を汲んで準備が進められているという。ファンとしては、元子夫人(馬場家)が権利を持っているとされる全日本プロレスや日本プロレス時代の映像の作品化にも期待したいところ。
1999年5月に東京ドームで行われたジャイアント馬場引退試合に参加した選手、レフェリー、リングアナウンサーのうち、ザ・デストロイヤー以外の人物は全員天国に逝ってしまった。ジン・キニスキー、ブルーノ・サンマルチノ、ジョー樋口レフェリー、仲田龍リングアナ…。季節的に天国でもチャンピオンカーニバルが開催されているのではないだろうか。そして、大会を成功させるため、元子夫人は今でも目を光らせているはずだ。
合掌
文・どら増田