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伝説のベイダー対ハンセンが無料公開も、タレントTの影響でノーカットではない!?

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新日本2017.10.9両国国技館大会の会場映像より、ビックバン・ベイダー

大型レスラー、ビックバン・ベイダーさんが日本時間18日に亡くなった。ベイダーさんは80年代後半から90年代前半にかけ、新日本プロレスの最強外国人としてIWGPヘビー級王者としても活躍。新日本離脱後はアメリカのWWE、WCW、日本のUWFインターナショナル、全日本プロレス、プロレスリング・ノアなどでもメインイベンターを務めた。

 長らく糖尿病を患っていたベイダーさんは昨年3月末に心臓の手術をした際、自ら「余命2年」と衝撃の告白をしたが、命ある限り現役を続けると表明。翌月の4月には新日本時代のライバルであり、ベイダーさんがリスペクトしていた藤波辰爾のデビュー45周年記念大会に出場。試合後、ベイダーの師匠の一人とも言えるアントニオ猪木が挨拶を始めようとしたところ、リング上で倒れるハプニングもあった。死因は肺炎と言われているが、持病の糖尿病がうっ血性心不全を悪化させたものと思われる。享年63歳。今年も来日を希望していたと藤波夫妻に話していたそうで、とても残念だ。

 新日本プロレスでは、動画配信ストリーミングサイト「新日本プロレスワールド」で、ベイダーさんを追悼し、ベストバウトと言われているスタン・ハンセンとのIWGPヘビー級選手権試合(1990年2月10日、東京ドーム)を無料公開した。ハンセンは80年代前半に“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントとともに、新日本の最強外国人としてファンの支持を得ていたが全日本に引き抜かれ、“超人”ハルク・ホーガンにその座を譲っている。

 ここで、ハンセンとベイダーとの新旧新日本最強外国人対決の経緯を説明しよう。

 当初発表されていた目玉カードであるNWA世界ヘビー級選手権試合、リック・フレアー対グレート・ムタを、当時両選手と契約していたWCWが突然キャンセルした。理由は同年4月にWCWのライバル団体だったWWF(現WWE)が、東京ドーム大会を合同で開催することに難色を示したからと言われている。

 前述の通り、新日本と全日本は80年代、引き抜き合戦を繰り返していた。「プロレス界ベルリンの壁」と言われるほど険悪な関係にあったが、猪木が政界進出とともに社長から会長に、坂口征二が社長となったことで、全日本のジャイアント馬場社長(当時)と年明けから急接近した経緯がある。

 フレアーは日本では全日本の管轄下にあった選手だが、新日本のスティーブ・ウィリアムスと一時トレードするという条件で、馬場社長はフレアーの新日本参戦を容認。ウィリアムスはテリー・ゴーディとのタッグで、全日本のツアーに参戦することが発表された。

 しかし、WCWのドタキャンにより、メインカードが飛んでしまった新日本は、坂口社長が馬場社長に選手の貸し出しを「直訴」。馬場社長は旧知の坂口社長に対して「あぁいいよ。お前の社長就任祝いだ」と快諾。当時全日本のトップ選手だったジャンボ鶴田、天龍源一郎、谷津嘉章、タイガーマスク(三沢光晴)、そしてスタン・ハンセンを新日本の東京ドーム大会に派遣した。日本人選手は日本テレビと契約していた関係で、ノーテレビ、ノービデオ(後にDVDに収録)が両団体の間で約束されたが、ハンセンに関しては「テレビ問題は発生しない」として、テレビ朝日系列の特別番組を通じて、試合を全国放送した。

 試合に関しては、新日本と全日本の最強外国人対決とあって、ど迫力のスーパーヘビー級対決が繰り広げられたが、試合を収録したVHS版、DVD作品、「新日本プロレスワールド」を見ていると音が消えたり、編集が不自然な場面が見受けられる。

 この大会は“元横綱”北尾光司のデビュー戦があった。猪木も政界進出後初の参戦、翌月に引退を控えていた坂口も登場した。テレビ朝日はゴールデンタイムでの録画放送を決断。ゴールデンタイム用のゲストとして、タレントの田代まさしを起用した。田代のコメント部分は9割強カットされており、ビジョンにも大写しになった田代のアップは“カット”されているため、この試合の映像は“ほぼノーカット”という表現が正しい。そういう面も含めて伝説の一戦と言えてしまうのが、プロレスの面白さであり、奥深さである。

【どら増田のプロレス・格闘技aID vol.14】

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