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“超竜”スコット・ノートン11年振りの新日本プロレス参戦で怪力系外国人選手に期待すること

 1980年代後半から2000年代初頭にかけて、新日本プロレスは、ビッグバン・ベイダー、クラッシャー・バンバン・ビガロ、スティーブ・ウィリアムス、スコット・ノートン、トニー・ホームなど、当時スーパーヘビー級とも言われた怪力系の外国人選手が席巻し、日本人選手を苦しめていた。2000年代に入り、“レギュラー外国人選手”としては、怪力系のジャイアント・バーナードが棚橋弘至のライバルとして、激戦を繰り広げていたが、その後、カール・アンダーソンとのタッグ路線にシフトチェンジしたこともあり、至宝であるIWGPヘビー級王座には届かなかった。

 1・4東京ドーム大会の第0試合で行われたニュージャパンランボーでは、怪力系の外国人エースとして、IWGPヘビー級王座を2度戴冠したノートンがサプライズで登場。新日本マットへは約11年振りの参戦となったが、膝の調子の悪さが少し気になったくらいで、“冷蔵庫爆弾”といわれていた身体つきは当時と変わらず、その存在だけでノートンを知らない世代のファンからもため息が漏れていた。翌1・5後楽園ホール大会では、一世を風靡したnWoジャパン時代からの旧友である、天山広吉、小島聡、ヒロ斎藤に、ROHのチーズバーガーを加えて、TEAM2000を再結成している。

 バーナード退団後の新日本プロレスの外国人事情は、13年に当時IWGPジュニアヘビー王者だったプリンス・デヴィットが、外国人を中心としたユニット、バレットクラブを結成し新日本マットに新たな外国人旋風を巻き起こした。しかし、その後リーダー格を受け継いだAJスタイルズや、ケニー・オメガは外国人エースにはなっているが、日本人のオカダ・カズチカよりも小柄だったこともあり、怪力系の外国人エースではない。

 現在レギュラー参戦している怪力系の外国人選手の中で、エースになれる可能性を秘めているのは、2月11日に内藤哲也が持つIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦するマイケル・エルガン、たびたびオカダの前に立ちはだかるバッドラックファレ、さらに鈴木軍のK.E.S.(ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr.)もシングルプレーヤーに転向すれば、可能性は十分にある。特にスミスJr.は身体能力が高く31歳と年齢も若い。

 この中から、1・4ドーム大会ではエルガンが、1・5後楽園大会ではファレが、短い時間ながらもノートンと闘うことができた。1・4ドーム大会の試合後、エルガンに同じ怪力系の外国人選手で、IWGPヘビー級王座にまで上り詰めたノートンと肌を合わせた感想を聞いてみた。

 「これは大変大きな、そして光栄な事実だ。今日、私がスコット・ノートンと同じリングに上がるとわかったときはうれしかった。なぜなら私は彼を観て育ってきたからだ。彼のような存在、そしてハルク・ホーガンのようなレジェンドと呼ばれるファイターにあこがれてここまで来たので、その彼と同じリングに上がれたことは何事にも代えられないことだった。今日は特別な1日として記憶に残ると思う」

 その後、内藤への挑戦表明をすぐ行動に移したことを見ても、ノートンとの遭遇はエルガンにとって、とても刺激的でモチベーションを高めるには最高の出来事だったことが伺える。選手の技術の進歩に伴い、身体が大きくて怪力系の選手が簡単に勝てる時代ではないことは、AJやケニーという素晴らしい選手たちが証明している。しかし、長州力ら当時の主力日本人選手のあらゆる必殺技が全く通用しなかったノートンが初来日したときのインパクトは未だに忘れられない。

 「久しぶりの新日本のリング、最高だった。まだまだ味わい尽くしてないから、また戻ってきたい」

 これは1・5後楽園大会の試合後にノートンが残したコメント。今回ノートンが来日したことで、怪力系の外国人選手たちが刺激を受け、突き抜ける活躍をしてくれたらうれしい。

(どら増田)
写真:広瀬ゼンイチ
【新日Times Vol.53】

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