新日本
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スポーツ 2019年03月06日 11時33分
【訃報】“巨鯨”キングコング・バンディさん逝去、新日本で猪木とボディスラムマッチ!
世界最大のプロレス団体WWEは日本時間5日、かつて新日本プロレスやWWEなどで日米に渡って活躍した巨漢レスラー“巨鯨”キングコング・バンディさんが、現地時間の4日に亡くなられたと発表した。61歳の若さだった。 バンディさんが日本のお茶の間に初登場したのは、当時テレビ東京で放映されていたプロレス番組で、1982年に“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックの引退試合の相手を務めた時である。エリック一家のテリトリーだったダラス地区で活躍。1983年には同地区でジャイアント馬場が保持していたPWFヘビー級王座にも挑戦しており、全日本プロレスへの来日が有力視されていた。しかしその後、テリトリーを移動し、マスクド・スーパースターとのタッグで、あのロード・ウォリアーズからNWAナショナルタッグを奪取。テネシーのAWAエリアに移ると、数々のタイトルを獲得するなど、後にクラッシャー・バンバン・ビガロを輩出したラリー・シャープが主宰していたモンスター・ファクトリー出身とあって、若くて大きく動けるバンディさんが売れっ子になるのは、当然の流れだったように思う。 日本マットには1985年1月シリーズに待望の初来日。バンディさんが選んだ日本のリングは新日本プロレスだった。ロード・ウォリアーズのようにプロレス番組や専門誌での前評判が高かったため、初来日ながら同シリーズの外国人エース格に抜擢され、シリーズ終盤の愛知、大阪の2連戦では、アントニオ猪木と1万5000ドルを賭けたボディスラムマッチを行い話題となった。“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントをボディスラムで投げている猪木だが、170kgのバンディさんのひょうたんのような体型は投げ難かったようで、愛知では投げられない上にリングアウト負け、大阪は延髄斬りでフォール勝ちを収めたが、ボディスラムでバンディさんが投げて、猪木が試合に勝ってルールに負けたと言われている。 その後もアンドレとのシングル、“超獣”ブルーザー・ブロディとのキングコングタッグ結成、藤波辰巳(辰爾)とも抗争を繰り広げた。新日本との提携ラインで、WWF(WWE)とも契約し、アメリカではハルク・ホーガンのライバルとして対峙。第1回『レッスルマニア』でデビューするという破格な扱いを受けている。WWEでは、ボビー・ヒーナンをマネージャーにホーガンとの抗争に突入すると、ドル箱カードに。ホーガンと結託していたアンドレとも対戦している。しかし、体調を崩したため1988年に一旦引退。1994年から再びWWEに復帰。ジ・アンダーテイカーとも対戦したが、1996年に契約を解除され、1997年にはIWAジャパンに12年振りとなる来日を果たし、日本のファンを喜ばせた。 世界的に怪物レスラーが減少する昨今のプロレス界において、バンディさんの訃報は非常に残念。21世紀のモンスターレスラーの登場を期待したい。合掌※文中一部敬称略文 / どら増田写真 / 舩橋諄
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スポーツ 2019年03月05日 22時30分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「天山広吉」根が善人であることで頂点に立てなかった!?
アピール力満点の強面でありながら、ファンからは悪役としてよりも愛されキャラと認知されることが多い天山広吉。ややコミカルな髪形やコスチュームのせいもあるだろうか、いくら「エー! オラッ」とすごんでみせても、まず嫌悪の対象とされることはなく、悪評も聞こえてこない。 ※ ※ ※ ただ勝てばいいというわけではないのが、プロレスの面白いところであり、また難しいところであろう。 勝敗や記録にこだわらざるを得ない専門競技と違って、プロレスにおいて勝ち負けは二の次。結果のいかんにかかわらず、満場の観客から喝采を浴びたときに初めて真の勝者として認められる。 見るからに才気にあふれ、実際にも目覚ましい戦績を残しながら、結局は頂点に立てないというのも決して珍しいことではない。天山広吉などはその代表的な1人と言えようか。 IWGPヘビー級王座の戴冠4度は、回数だけなら武藤敬司と同数で長州力や蝶野正洋を上回る。G1クライマックス優勝3回は、蝶野の5回に次ぎ棚橋弘至と同数。タッグ王座の戴冠数となると他に比肩する者はない。さらに、会場での人気の高さも申し分ないが、それでいて明確に「天山が新日本プロレスのトップ」と見るファンは、決して多くないだろう。 新日トップの系譜としては、アントニオ猪木→藤波辰爾、長州力→闘魂三銃士から永田裕志を挟んで中邑真輔→棚橋弘至→オカダ・カズチカというのが大方の認識で、そこに天山の名が挙げられることはほぼない。「海外武者修行から凱旋帰国となった1995年、本名の山本から天山にリングネームを改めた頃は“近い将来に天山の天下がくる”と思ったんですが…」(プロレス記者) 学生時代からボディービルで鍛えたという分厚い肉体は力感がみなぎり、全身から強者のオーラを漂わせる。決して大柄な選手ではないが、それを感じさせないベビーフェイスとヒールの枠を超えるスケール感があった。いかにもパワーファイター風でありながら、ダイナミックにムーンサルトプレスを炸裂させる技量の高さも兼ね備えている。 凱旋時にはまだ23歳という若さで、その年齢でのIWGPヘビー級王座挑戦は、当時の最年少記録。王者の橋本真也に敗れはしたが、周囲から将来性を高く買われていたことには違いない。「しかし、今になって振り返れば、この時がレスラーとして天山のピークだったのかもしれません」(同) その後、天山は越中詩郎から平成維震軍入りの勧誘を受けるが、これを拒絶して蝶野と結託。その勢いのまま蝶野とのコンビで、IWGPタッグ王座にまで上り詰める。 '97年にnWoジャパンが立ち上げられると、天山はトップの蝶野に次ぐ二番手の若頭的ポジションに就いたのだが、しかし、新たに武藤や小島聡、さらにはスコット・ノートンら外国勢がメンバーに加わってnWoが勢力拡大すると、これにつれて徐々に天山の存在感は薄れてしまった。★実績だけ見ればトップレスラー '99年には小島との“テンコジ”コンビでタッグ王座を獲得して、永田&中西学らと抗争を繰り広げ、'00年にはプロレス大賞の最優秀タッグを受賞している。 しかし、この頃は多くの新日ファンの目が、小川直也と橋本真也の闘い、あるいは蝶野が新たに立ち上げたTEAM2000に向けられていた。 '02年には小島の全日本プロレス移籍に伴いタッグを解消。そこからシングルプレーヤーとして'03年にはG1初優勝を果たし、同年11月には初挑戦から9年弱、ようやくIWGP王座の戴冠も実現している。 結果だけを見れば完全にトップ選手のそれだが、しかし、これは一時的なものにすぎず、IWGP王座はすぐに中邑へと移動。総合格闘技の波に飲まれつつあった当時の新日において、会社が求めたエース像はこれに対応できる中邑であって、純プロレスラーの天山は脇に置かれることになってしまった。 その後、天山はIWGP王座に復帰し、全日で三冠ベルトを獲得したかつての盟友・小島との対決となるが、これもどちらかといえば小島が主役のストーリー展開となり、抗争自体も長くは続かなかった。 「チャンスを何度も与えられながら、どこか主役になりきれなかったのは、生来の人のよさによるものでしょう。ネットで“天山 いい人”と検索すれば、山ほどエピソードが出てきます。プロレスラーの多くは『俺が俺が』と、自分本位で前に出るタイプであるのに対し、天山はそこで道を譲ってしまうところがあるんですね」(同) 自身が軸になって組んだヒールユニットG・B・Hも、いつしか真壁刀義が主役となり、飯塚高史との友情タッグも裏切りにあって飯塚ヒール転身への踏み台とされた。 善人であることが必ずしもプラスに働くわけではない。それもまたプロレスの摩訶不思議なところなのである。天山広吉***************************************PROFILE●1971年3月23日生まれ、京都府京都市出身。身長183㎝、体重115㎏。得意技/モンゴリアン・チョップ、アナコンダ・バイス。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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スポーツ 2019年03月05日 06時00分
RIZIN榊原信行実行委員長、ミルコ・クロコップの引退表明を受け詳細を発表
2日に事実上の引退を表明したクロアチアの総合格闘家ミルコ・クロコップ。先月の25日、トレーニング中に倒れ脳卒中と診断されたことを自身のインスタグラムで明かし「これまで何度もこれが最後だと言いながらも復帰してきたが、これが本当の終わり」とし、「私の顔は麻痺や変形することがなかったが、3ヶ月後に回復して、トレーニングを続けたとしても、再び頭に衝撃を受けることはできない。これが現状です。非常に厳しいことだと受け止めている。いままで支えてくれた方々に感謝したい」と述べた。 本来であれば昨年の大晦日に日本で引退を予定していたが、ミルコが怪我をした関係で引退ロードを1年間先送りにしていた。今回の発表を受けて、日本で最後に主戦場としていた総合格闘技イベントRIZINの榊原信行実行委員長が自身のツイッターで、詳細を説明している。 「今週月曜から次戦に向け軽いトレーニング再開したところ頭痛が続き病院でMRI含め精密検査を受けました。診断の結果、脳内血管から微量の出血痕が確認され、正式に医師から引退勧告を受け、引退決意したとのことです」 最後の試合は今年2月16日。『Bellator 216: MVP vs. Dale』で行われたロイ・ネルソン戦で3-0の判定勝ち。日本最後の試合は昨年9月30日で、『RIZIN.13』のロッキー・マルティネス戦。圧巻のTKO勝ちを収めている。 ミルコといえばK-1ファイターだった2001年8月、猪木軍の藤田和之がタックルに行ったところを膝でカットし、藤田を大流血させたところから、総合格闘家としての才能が開花したと言ってもいいだろう。 PRIDEで行われた高田延彦戦は高田が何もできないままのドローだったが、同年大晦日には、新日本プロレスの永田裕志をKO。プロレスハンターとして、誰がミルコを止めるのか?とプロレスファンからも注目されるようになった。その後も桜庭和志、藤田との再戦で完勝しており、結果的にミルコに“負けなかった”プロレスラーは高田だけとなった。 2003年からはPRIDEに本格参戦。エメリヤーエンコ・ヒョードル、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとともにPRIDEの黄金時代を築いた。2006年、アメリカUFCに移籍。その間、PRIDEは消滅してしまうが、後継イベントであるDREAMで日本マットに復帰。2008年の大晦日にはハッスルに“公認凶器”としてサプライズ登場。クロダーマンをフロントスープレックスで投げ、キンターマンを右ハイキックで沈め、Dynamaite!!でチェ・ホンマン戦とダブルヘッダーもこなした。その後はUFCへの復帰を繰り返しながら、日本では古巣のK-1に復帰した他、猪木ルートでIGFにも参戦。石井慧を破りIGF王者を獲得している。 2015年に肩の負傷を理由に引退を表明したが、2016年RIZINのオファーを受けて来日。引退を撤回し、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメントに出場。見事、優勝を果たしている。 昨年5月に左足前十字靭帯を損傷し、7月大会を欠場。昨年末の引退試合を1年間スライドさせると榊原委員長が明らかにしていた。9月大会で復帰を果たしたがこれが日本ラストマッチになった。今でも根強い人気を誇るだけに残念だ。まずは治療に専念し、元気になったら日本格闘技界の功労者として、日本で引退セレモニーを行ってもらいたい。文 / どら増田写真 / 山内猛
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スポーツ 2019年03月04日 06時00分
新日本MSG大会、第1弾カードはG.O.D 対 ブリスコ兄弟のIWGP&ROHタッグ王者対決!
新日本プロレスはアメリカROHとの合同興行『HONOR RISING:JAPAN 2019』を22、23日の2日間、東京・後楽園ホールで開催した。 同シリーズは2016年から4年連続の開催。Codyやヤングバックス、ケニー・オメガら、新日本とROHを主戦場にしていた選手が、アメリカの新団体AEWに移籍し今年は心配する声もあったが、2日間とも満員。リングのターンバックルもキャンパスも、場外フェンスもROH仕様にした上で、試合は新日本勢が“サポート役”に徹し、ROH色が強い大会になりファンも酔いしれていた。 新日本とROHは、日本時間4月7日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)で合同興行『G1 SUPERCARD』の開催が決定している。MSGはROH単独では到底、たどり着けない会場。WWE以外でプロレス興行ができるアメリカの団体はないと言われていた中、新日本とタッグを組みWWEの“お膝元”に進出することができた。しかもチケットは現地販売分が発売と同時にほぼ完売したというのだから驚きだ。主力選手はAEWに引き抜かれてしまったが、ROHにはまだまだいい選手が残っており、新日本やメキシコCMLLとの提携を強化している効果も出始めている。 今回のツアーの初日には、タマ・トンガ&タンガ・ロアのG.O.Dと、ジェイ&マークのブリスコ兄弟が同じコーナーに立つカードが組まれた。このカードが発表された時から疑問に感じたファンは多かったはず。なぜなら、G.O.Dはバレットクラブ、ブリスコ兄弟はCHAOSとして、IWGPタッグ王座を争う関係だったからだ。しかし、試合前から同じコーナーに立ちながらももめ始め、試合では同士討ちのオンパレード。最後はマークがフォール負けを喫すると、バレットクラブがブリスコ兄弟をめった打ちに。 そして2日目、セミファイナルで、G.O.DがEVIL&SANADAからIWGPタッグ王座を奪取。メインイベントで、ブリスコ兄弟が、ジュース・ロビンソン&デビッド・フィンレーを下しROH世界ヘビー級王座を防衛すると、ブリスコ兄弟がG.O.Dをリングに呼び込んだ。 「さっきG.O.DがIWGPタッグ王者になったな。俺たちは4月6日(現地時間)にニューヨークで大会がある。だから俺たちは宣言する。IWGPタッグ王座に、俺たちはマディソン・スクエア・ガーデンで挑戦する!」 リングに上がったG.O.Dは対戦を受諾し、4人はそれぞれのベルトを掲げて最強タッグをアピールした。試合後、バックステージでは両チームともにダブルタイトルマッチをアピールしており、正式発表が待たれるところ。記念すべき新日本初となるMSG大会の第1弾決定カードは、内容が“ハズれる”心配がないタッグマッチとなった。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年03月02日 06時00分
新生ノアvsノアの象徴!新たな方舟の顔、清宮海斗のGHC王座に、丸藤正道が挑戦!
プロレスリング・ノアは25日、3.10横浜文化体育館大会のメインとなるGHCシングル選手権試合、清宮海斗対丸藤正道の調印式を都内で開いた。 ノアは今年1月29日、長州力プロデュース興行などを手掛けるリデットエンターテイメントによる新体制を発表。今回の横浜大会は新体制のもとで開く初のビッグマッチとあって注目が高まっている。 新生ノアの22歳の若きエース清宮は、ノアの創設者である故・三沢光晴さんに憧れて2015年にノアに入団。同年12月、三沢さんの最後の試合でパートナーを務めた潮崎豪と対戦しデビュー。180cm、100kgの恵まれた体格から、新日本プロレスから2年間殴り込みに来ていた鈴木みのるの鈴木軍にもまれた。2017年のカナダ遠征から帰国すると、ビジュアルもあか抜け、GHCタイトル戦線に抜擢される。 昨年12月16日の横浜大会で杉浦貴を破り、史上最年少、デビューから史上最短でGHCシングル王座を奪取し、晴れて第32代王者に輝く。緑のショートタイツにサポーターをまとう清宮はタイガー・スープレックス・ホールドが必殺技。三沢さんと重ねて見るファンも多いが、本人は『脱・三沢』を掲げ「新しいノアを背負っていく」と覚悟を示しており、新体制の顔として期待は大きい。 そんな清宮の壁になるべく「待った」をかけたのが、今やノアの象徴と言ってもいい丸藤正道だ。丸藤はかつて三沢さんの付き人を務めており、丸藤がGHC王座を獲得した際には、三沢さんが挑戦したことがあった。清宮が入団するとき丸藤は試験官を務めていた。似たようなシチュエーションに「時代は繰り返す」と苦笑いを浮かべた丸藤だが、「あの時は負けたけど今度は勝ちます」と、あの時の三沢さんのように、清宮の勢いを止めると誓った。 清宮は王座獲得後、ノア以外のマットで、長州力や藤波辰爾、越中詩郎といったレジェンドとも対戦。「まだまだ吸収すべきことがあった」と言いながら、GHCシングル王座のベルトを巻いて、“新しい”ノアの顔としてお披露目してきただけに、ここで負けるわけにはいかない。「腕が折れようが、足が折れようが、横浜文体の最後に俺がマットに立ちたいと思います」と話す清宮は目をギラつかせていた。前哨戦では丸藤の余裕を崩せていないが、タイトルマッチでは清宮が見せる“方舟”の未来に期待したい。文・写真 / どら増田、舩橋諄
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スポーツ 2019年03月01日 06時00分
新日本ウィル・オスプレイに漂う“ポスト”ケニーの風格、ジェイと王者対決へ!
新日本プロレスNEVER無差別級王者ウィル・オスプレイの勢いが止まらない。 1.4東京ドーム大会で飯伏幸太に失神KOで完勝し、NEVER無差別級王者となったオスプレイ。昨年まではIWGPジュニアヘビー級王座戦線を争っていたが、王座奪還以降はヘビー級戦士との試合が多く組まれるようになった。 「俺はジュニアヘビー級の域を超えた」 本人はこう語る。21日には棚橋弘至とのタッグで、ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr.のK.E.Sと対戦すると、オスプレイがスミスからオスカッターで3カウントを奪取した。22日にはROHのダルトン・キャッスルを相手にNEVER無差別級王座の防衛戦を行いストーム・ブレーカーで完勝防衛に成功。23日には後藤洋央紀とのタッグで、ROHのジェフ・コブ&キャッスルと対戦。ROH世界TV王者で119kgの巨漢レスラー、コブからストーム・ブレーカーで3カウントを奪ってみせた。後楽園ホールの対ヘビー級3連戦で自信を深めたオスプレイの次なる標的は1人しかいない。 「3月6日の『旗揚げ記念日』でジェイ・ホワイトと対戦したい。マジソン・スクエア・ガーデン(MSG)のメインに立つのは俺だ」 この後楽園3連戦で連日にわたり、IWGPヘビー級王者ジェイ・ホワイトとの対戦をアピールしてきた。ヘビー級のタイトルホルダー・コブから勝利を収め、23日は語気を強めて新日本プロレス『旗揚げ記念日』(大田区総合体育館)での対戦をアピールした。既にMSG大会では、メインでジェイがIWGPヘビー級王座の防衛戦を行うことを発表。次期挑戦者は『ニュージャパンカップ2019』の優勝者だと決まっている。『旗揚げ記念日』ではノンタイトルマッチになりそうだが、オスプレイにとってジェイは所属するCHAOSを裏切った存在でもある。対戦へ向けて障害はない。『旗揚げ記念日』は史上初の外国人同士によるメインイベントになることが濃厚だ。 元IWGPヘビー級王者のケニー・オメガが、主戦場をアメリカの新団体AEWに移した。新日本公式サイトの選手リストからは消されていないが、ジェイがケニーのポジションに収まりつつある。ただ、オスプレイの勢いはジュニアからヘビー級に転向した時のケニーと似たような雰囲気がある。“ポスト”ケニーの大本命はオスプレイなのではないだろうか。ファンからの支持もあり、本隊とCHAOSが友好関係にあることから生まれた棚橋とのタッグは、かなり噛み合っている。ヘビー級のタッグ戦線でも中心になり得る存在だ。 とはいえ現時点でジェイの牙城を崩すのは至難の業。オスプレイがIWGPヘビー級王者を相手にどこまで追い込むことができるのか?昨年は当時のIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカをかなり追い詰めていただけに、大いに期待したい。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年02月28日 19時30分
WWE紫雷イオ、レッスルマニアウィークでNXT女子王座挑戦のチャンス到来!
世界最大のプロレス団体WWEは日本時間28日、ファームブランドNXTを世界配信した。 NXTでともに女子王座への挑戦権をアピールしている日本人女子スーパースター・紫雷イオとビアンカ・ブレアが、バックステージで口論。これを受けてウィリアム・リーガルGMは、「2人とも王座挑戦権を主張するなら、両者の試合を2週間後に組む。そして勝者は『テイクオーバー ニューヨーク』で王者シェイナ・ベイズラーと対戦することになる」とツイッターで発言した。 先日行われた6人タッグマッチではイオが、スターダム時代の後輩カイリ・セインのアシストを受けて、王者のシェイナから直接ピンフォールを奪取。「私が次のチャレンジャーだ」と挑戦をアピールしていた。ビアンカ戦は両者の意地が激突する好勝負となるのは間違いない。また、この日は王者シェイナが日本マットでもおなじみのミア・イムをキリフダクラッチで仕留めて完勝。テイクオーバーに向けて女子王座戦線が一気に動き始めた。 『NXTテイクオーバー ニューヨーク』は日本時間4月6日に世界配信されるが、この週は世界最大のプロレスイベント『レッスルマニア』(日本時間8日、メットライフスタジアム=ニュージャージー州イーストラザフォード)のウィーク。7日には新日本プロレスがマディソン・スクエア・ガーデンに初進出、グレート・ムタが日本時間7日にニューヨークで復帰戦を行い、DDTも日本時間5日にニューヨーク大会を初開催するなど、日本のファンの目が例年以上にアメリカに集まる期間だ。 日本のスターダムで絶対王者だったイオにとっては、アスカ、カイリに続く日本人3人目となるNXT女子王座を1日でも早く奪還し、ロウやスマックダウンへの昇格を狙いたいところ。ニューヨークでチャンスをつかめるのか?まずは、挑戦者決定戦をしっかりと勝たなければいけない。文 / どら増田写真 / ©︎2019 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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スポーツ 2019年02月28日 06時00分
飯伏幸太の復帰戦は内藤哲也戦!MSGのメインを目指してNJC史上最多32選手が参加!
新日本プロレスは25日、3月8日に東京・後楽園ホール大会で開幕する春の最強戦士決定戦『ニュージャパンカップ2019』(NJC)の参加選手と概要を発表した。ここ数年は優勝者が、IWGPヘビー級、IWGPインターコンチネンタル、NEVER無差別級のいずれかのタイトルに挑戦できる権利が与えられていたが、今年は日本時間4月7日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)で開催するアメリカROHとの合同興行『G1 SUPERCARD』のメインイベントで、IWGPヘビー級王者ジェイ・ホワイトに挑戦することが決定している。 格闘家であれば世界的に誰もが立ってみたいニューヨークの殿堂、MSGのメイン出場枠「1」を狙って、今年は史上最多となる国内外から32選手が参加。参加を訴えていたIWGPインターコンチネンタル王者の内藤哲也は、3.10尼崎市記念公園総合体育館大会での1回戦で、1.4東京ドーム大会以降欠場していた飯伏幸太のシングル復帰戦の相手を務めることになった。1回戦最大の星の潰し合いとして注目される。内藤はIWGPヘビー級王座と史上初となるIWGPシングル王座二冠王を狙っており、飯伏も復帰早々インパクトを残したいところ。1回戦でどちらかが消えてしまうのはもったいないが、勝てば優勝候補筆頭になると言ってもいいだろう。 真夏の最強戦士決定戦『G1クライマックス』から卒業している天山広吉、小島聡、永田裕志、中西学の第3世代は揃って出場。注目は3.8後楽園大会の1回戦で実現する永田対石井智宏だ。両者は21日に行われたタッグマッチで試合後まで大乱闘を繰り広げており、バックステージでも永田は怒り心頭だった。激戦必至である。ヤングライオンからは海野翔太が大抜擢。3.10尼崎大会の1回戦でいきなり前IWGPヘビー級王者の棚橋弘至とシングル初対決を行う。このカードは数年後に価値が出てくる可能性が高い。 その他、NEVER無差別級王者ウィル・オスプレイ、デビッド・フィンレー、トーア・ヘナーレ、チェーズ・オーエンズ、久々の新日本マット登場となるCHAOSの新メンバー、マイキー・ニコルス、ヒクレオ、コルド・カバナが初出場。もちろんIWGP USヘビー級王者ジュース・ロビンソン、真壁刀義、本間朋晃、マイケル・エルガン、オカダ・カズチカ、後藤洋央紀、YOSHI-HASHI、EVIL、SANADA、バッドラック・ファレ、鈴木みのる、タイチ、ランス・アーチャー、デイビーボーイ・スミスJr.、そして前年度優勝者のザック・セイバーJr.も参加する。 トーナメント準決勝は3.23新潟・アオーレ長岡大会で、決勝は翌3.24長岡大会で行われる。MSGメインイベントへの切符を獲得するのは誰か?取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年02月27日 17時20分
長州力ファイナル興行、カード未発表も完売!
プロレスラー“革命戦士”長州力のファイナル興行『POWER HALL 2019』6.26後楽園ホール大会のチケットが、全席種完売した。27日、主催のリデットエンターテイメントが発表した。当日券で立ち見が販売されるかは未定だという。 「自分で歩けるうちにリングを降りたい」 長州はこう口にしていた。新日本プロレス時代、1998年の1.4東京ドーム大会で引退試合を行っているが、大仁田厚のたび重なるラブコールに折れる形で、大仁田とのノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ(2000年7月30日、横浜アリーナ大会)で復帰した。 新日本退団後は、WJを旗揚げしたが団体は崩壊。新日本に復帰を果たしたが、ここ数年は新日本の道場で練習をしながら、永遠のライバル藤波辰爾が主宰するドラディションや、後輩の武藤敬司がプロデュースするプロレスリング・マスターズなどにフリーで出場。変わらぬパワフルなファイトを見せていたが、長州力の動きができるうちにリングを後にしたいという気持ちが強かった。今年は「世話になった団体」であるマスターズや、DDTなど6月のファイナルマッチに向けて試合数を絞っている。 ファイナル興行の対戦カードは一切発表されていないが、長州は最後の相手について「藤波辰爾しかいないでしょう」と話しており、名勝負数え唄の最終章の実現が濃厚だ。また4月にグレート・ムタとして、ニューヨークで“先行復帰”を果たす武藤の国内復帰戦が行われることも発表されている。どんなメンバーが顔をそろえ、どういったカードが見られるのか非常に楽しみだ。 なお、長州は「一度引退している」ことから、「引退試合」ではなく「ファイナルマッチ」という言葉にこだわっており、ゲストを呼んだ引退セレモニーや10カウントゴングが鳴らされるのかは未定。数少ない残り試合で、白いリングシューズを目に焼きつけておきたい。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年02月26日 22時10分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ザ・シーク」老いてなお盛んな“アラビアの怪人”
一口に悪役レスラーといっても、ラフファイターか反則中心の選手かに二分される。後者の代表的な選手であるザ・シークは、漫画『プロレススーパースター列伝』などから“小悪党”の印象を持つファンも多いが、さて、その実相は? ※ ※ ※ ザ・シークの初来日は1972年の日本プロレス。当時のエース、坂口征二の持つUN王座に挑み、これを奪取している。翌日のリターンマッチに敗れて王座を返す格好にはなったが、参加はこの2戦のみというNWA王者ばりのVIP待遇であった。 '73年には初代王者のジャイアント馬場が持つPWF世界ヘビー級王座に、初防衛戦の相手として挑むため全日本プロレスに参戦。このときも日プロのときと同じく、2試合のみの特別参戦であった。 この頃、シークはすでに40歳を超えていたが、それでこの特別扱いはいかに大物であったかの証拠と言えるだろう。 アブドーラ・ザ・ブッチャーと組んだ史上最凶悪コンビの印象が強いが、この2人が'77年の世界オープンタッグ選手権で、ザ・ファンクスと伝説の大流血戦を繰り広げたとき、シークは51歳であった。 ちなみに、このときブッチャーは36歳(41歳説もあり)、ドリー・ファンク・ジュニアも同じく36歳、テリー・ファンクは33歳で、シークだけがひと回り以上も年上だったわけである。「最凶悪コンビではブッチャーばかりが目立っていた感もあり、シークについては“反則しかできないロートル”ぐらいに思っていた人もいるでしょう。しかし、年齢を考えればそれも仕方ありません。脂の乗りきった全盛期のブッチャーと、すでに峠を越えたシークだったわけですから」(プロレスライター) それでいて'79年あたりからは、ブッチャーと仲間割れ抗争を繰り広げるなど、シークは50代半ばになってもなおプロレス界の第一線で活躍している。 参考までに、日本人レスラーの50代半ばがどうであったかというと、馬場はファミリー軍団として悪役商会を相手に、前座で明るく楽しいプロレスに専念。アントニオ猪木は55歳で引退。長州力のWJが実質崩壊となったのは、52〜53歳あたりのことであった。 あらためて経歴を見直すと、シークは初来日のときにデビューから20年以上のキャリアを持つ大ベテランであり、言い換えればほとんどの日本のファンは、シークの全盛期を知らないということにもなる。★デビュー5年でNWA王座挑戦 アメリカのミシガン州でレバノンからの移民の家に生まれたシークは、17歳のときに陸軍へ入隊。第二次世界大戦に出征し、除隊後の'50年にスカウトを受けてプロレス界入りを果たした。 時期的にはイスラエル独立に伴う第一次中東戦争が停戦となった直後であり、シークがデビュー当初からアラビア人ギミックを採用したのは、そうした影響もあってのことだろう。なおシークとはアラビア語で首長や長老、賢人などを意味する言葉である。 デビュー5年目にはルー・テーズのNWA王座に挑戦しており、その後もディック・ザ・ブルーザーやドン・レオ・ジョナサン、バーン・ガニアといったビッグネームたちとの対戦記録が残っている。 アラブ文化を象徴する、輪っかで留めた薄布の頭巾(クーフィーヤ)をかぶり、侍女をはべらせるなどのアラブ王族スタイルは、この時期にシークが始めたものであった。 頂点であるNWA世界王座の戴冠こそなかったが、これに準ずる各地区のトップタイトルを数多く獲得していることからも、そのヒール人気は全米トップクラスであったことがうかがえる。 のちにその代名詞となるデトロイト地区の興行権を取得したのは、'64年のことである。「アラブ王族のギミックと『プロレススーパースター列伝』の印象から、金に物を言わせて権力を欲しいままにしたと思っているファンもいるでしょうが、自ら稼いだファイトマネーで興行権を買い取ったというのが実際のところ。新日本プロレス参戦時に同地区で選手引き抜きのクーデターが勃発したため、シリーズ途中で緊急帰国したように、決して絶対的なボスというわけでもなかった」(同) もしもシークが裏の顔役であったならば、そもそも自らリングに上がる必要はなく、それで血みどろの流血戦などを道楽にしては度がすぎる。 80年代頃から本拠地デトロイトが不況に見舞われ、興行打ち切りに追い込まれると、シークはフリーとして各地を転戦し、同時に実の甥であるサブゥーをはじめとした後進の育成も手掛けるようになる。 90年代に入ってからはFMWへ来日参戦。大仁田厚とのファイアーデスマッチでは、あまりの火勢にリング上が酸欠状態となり、他の選手たちが逃げ出しても最後までリング上に残っていたシーク。ギミックではなく、本当に救急車で病院に搬送されるほどギリギリの戦いを見せたのだった。 還暦をすぎてなお、それほどの過激マッチに挑むとは、よほどのイカレポンチか心底からのプロレス好きかに違いなく、それこそがシークの真の姿だったのかもしれない。ザ・シーク***************************************PROFILE●1926年6月9日〜2003年1月18日。アメリカ合衆国ミシガン州出身。身長183㎝、体重110㎏。得意技/火炎攻撃、凶器攻撃、キャメルクラッチ。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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