新日本
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スポーツ 2019年04月30日 22時30分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「カール・ゴッチ」“プロレスの神様”の作られた伝説
新日本プロレス旗揚げ時にアントニオ猪木と相まみえたとき、カール・ゴッチはすでに50歳手前であった。 以降、フロリダ州タンパのゴッチ道場において数多のレスラーを鍛え上げるとともに、自身も生涯トレーニングを欠かさなかったという。まさにレスリングの求道者であった。※ ※ ※ カール・ゴッチの初来日は1961年、日本プロレスの第3回ワールドリーグ戦。当時のリングネームはカール・クラウザーで、その緒戦はアメリカからの凱旋帰国となった吉村道明とのシングルマッチ、45分3本勝負であった。 ゴッチが日本初披露となるジャーマン・スープレックスで1本目を先取すると、吉村もこれまた日本初の回転エビ固めで2本目を奪い返し、その後は互いに一歩も引かないテクニック合戦の末、時間切れドローとなっている。 同シリーズに続いて開催された、ワールドリーグ選抜者による国際試合シリーズと合わせた約3カ月の間に、吉村とゴッチの対戦は都合13回も組まれていて、結果はゴッチの3勝1敗8分け1ノーゲーム(勝利は時間切れ判定勝ち2つを含む。ノーゲームは2本目のジャーマンで吉村が失神状態になったため、ゴッチの勝利とされながら、ゴッチがこれを拒否したもの)。 他の日本人選手との対戦では、力道山と1戦して1本ずつ取り合った後に両者リングアウトの引き分け。2番手格の豊登とは2勝1分け(不戦勝1を含む)。若手相手ではシングル28戦のうち20勝、反則負けが1回に時間切れ7回と、ほぼ完封の結果を残している。 また、シリーズ外国人エース格のミスターX(正体はビル・ミラー)には敗れているが、同じくシリーズの目玉とされたグレート・アントニオとは引き分けている。 力道山はゴッチと対戦した後に「強けりゃいいってもんじゃない」と吐き捨てたと言われ、以降は両者の対戦が組まれなかったことから“ゴッチは試合ぶりがつまらない”とする評価が一般的になっている。しかし、そうであれば、これから売り出そうという吉村のライバル役に抜擢したことの説明がつかない。 本当に面白味も華もないレスラーであったなら、アメリカマットでルー・テーズのNWA王座に9回挑戦したというのも不可解だ。 タッグも含めれば各テリトリーで世界王座に就いており、アメリカ進出が30代半ばと遅かったにもかかわらず、それだけの戦績を残したことを考えても、ゴッチがプロレス不適格者であったとは信じ難い。 「試合がつまらなくて観客ウケが悪かったわけではなく、対戦相手がゴッチを嫌がったというのが真相ではなかったか。ゴッチの試合映像を見ると、いったん相手の腕を取ればしつこくそれを離さないし、グラウンドでも簡単にブレークをせずに攻め続ける。ロープに振ったりもしないねちっこい戦いぶりで、対戦相手の疲労度は半端なものではないはず。しかも、極め技のジャーマンは当時としてはかなり危険なもので、力道山の言葉にしてもプロモーターの視点からではなく“疲れるし危ないしで、とても付き合いきれない”という、一選手としての嘆きのような気がしてならない」(プロレスライター)★プロレス的演出に寛容だった!? 「性格的に難あり」との評もあるが、そうであるならば日プロ、国際プロレス、新日本プロレスがゴッチに対してコーチ役を願って出るわけもなく、ゴッチ自身も己の技術を安易に授けたりはしなかっただろう。他にもルチャドールのエル・カネックや総合格闘家のジョシュ・バーネット、全日本プロレスの渕正信らのコーチ役も買って出ている。 「そのコーチングの内容自体がシビアであるために、厳しさばかりが喧伝されていますが、そうやって誰でもひょいひょいと受け入れるあたりは、むしろ人のいいおっちゃんのようにも見えます」(同) ゴッチの名前の由来からして、伝説のレスラーであるフランク・ゴッチにあやかったもので、またベルギー出身でありながら、当時のアメリカで敵役とされたドイツ人ギミックを受け入れていたあたりをみても、プロレス的演出に決して否定的ではなかったようだ。 国際プロ参戦時、モンスター・ロシモフの名前だった頃のアンドレ・ザ・ジャイアントにジャーマンを極めた伝説的一戦も、レフェリー不在でカウントが入らず、その後に逆転されるといういかにもプロレス的な結果に終わっている。“プロレスの神様”というのも、旗揚げ当初にゴッチしか目玉のなかった新日が、権威付けのために言い出しただけのこと。 「ゴッチにまつわるさまざまな伝説も、この頃に“作られた”ものが多い」(同) プロレス界での出世や名誉に対する欲が薄いので、ギャラさえ出れば選手ではなくコーチ役としての招聘も受け入れる。スターレスラーになることよりも技術の追求にばかり興味が向いていた、いわゆるオタク気質の人というのが、ゴッチの真の姿であったのかもしれない。カール・ゴッチ***************************************PROFILE●1924年8月3日〜2007年7月28日、ベルギー・アントワープ出身。身長184㎝、体重110㎏。得意技/ジャーマン・スープレックス。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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スポーツ 2019年04月30日 17時30分
プロレス黄金時代と暗黒時代、そして真・黄金時代へ〜平成の新日本プロレス〜
今日で「平成」が終わり、5月1日から新元号「令和」の時代が始まる。 新日本プロレスが最初に東京ドーム大会を開催したのは、平成元年4月24日。『'89格闘衛星☆闘強導夢』という大会名で初進出している。この大会は平日開催だったにもかかわらず東京ドームという目新しさもあり、53,600人(主催者発表)の観衆を集めた。翌年は2月10日に開催。絶対にあり得ないと思われた全日本プロレスの主力選手が電撃参戦しドームを札止めに。前年11月に開催したUWFの動員数を超える63,900人(同)を動員、4月13日には全日本、アメリカWWF(WWE)の3団体による合同興行を東京ドームで開催している。91年は3月21日にアメリカのWCWと全面対抗戦を開催。メインイベントで藤波辰爾がリック・フレアーを破り、NWA世界ヘビー級王座を奪取した。92年には1月4日に開催。以後、今年まで27年連続で同日開催し、「1.4ドーム」が世間的にもブランド化された。 東京ドーム大会の最高記録は、98年4月4日に行われた『アントニオ猪木引退試合』の7万人。この記録はその後、K-1が抜いており、実数発表となった現在ではあり得ない数になるが、田中ケロリングアナ(当時は新日本)が東京ドーム関係者から聞いた話によると、回転扉にカウンターが付いており「猪木引退試合を超える動員数はその後ない」という。当時のK-1は外野に大きなセットを組んでおり、猪木の引退試合はセットも最小限に留め、立ち見も含めてギッシリと埋まっていた。現在は消防法も厳しくなっていることから、あそこまで入れるのは現実的に難しいと思われる。 しかし、今では毎年当たり前のように1.4東京ドーム大会を開催しているが、2000年代に入り、東京ドーム大会の動員数が下降。暗黒時代の始まりである。まず両国国技館が入らなくなり、後楽園ホールですら空席が目立つようになった。そんな時、心が折れることなく、全力プロモーションをし続けたのが“100年に一人の逸材”棚橋弘至だ。棚橋は全国各地を隈なくプロモーションをすることで、プロレスから格闘技に流れた“信頼”を少しずつ取り戻していった。 この棚橋の努力が実り、2012年にブシロード傘下になってから新日本は盛り返し、昨年は日本武道館3連戦、来年は東京ドーム2連戦を開催するまでに回復した。これは黄金時代にも成し遂げられなかったことで、木谷高明オーナーが「ドームでやるのをやめようと思ったけど、一度やめたらまたやる時がシンドイ」と開催継続を判断したのが大きかった。もちろんユークス体制のときにも何度も「来年はやるかわからない」「来年は1.4にこだわらないかも」という声は新日本サイドから明らかにされており、ドーム大会の開催がいつ終わってもおかしくなかったのは事実。真夏の最強戦士決定戦『G1クライマックス』の両国3連戦は縮小したが、東京ドーム側が毎年1月4日は新日本のために他を入れない配慮をし続けてきたこともあり、継続してきた。これは真・黄金時代到来を語る上で大きなポイントだ。1.4ドーム大会は来年1.5ドームという未知の領域にチャレンジする。メイ社長は「ファンの皆さんへの感謝」と話していたが、平成の新日本プロレスにとって象徴とも言える東京ドーム大会や東京ドームより大きい新国立競技場への進出は、令和に時代が変わってもチャレンジしていくことだろう。盤石な真・黄金時代を築くために。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年04月25日 16時00分
「テメエ、俺と戦え」新日本ライガー引退ロードに鈴木みのるが名乗り
来年1月の新日本プロレス東京ドーム大会をもって引退すると表明している“世界の獣神”獣神サンダー・ライガーに、“プロレスの王様”鈴木みのるが待ったをかけた。 20日の愛知・愛知県体育館大会の第2試合、両者は10人タッグマッチで激突したが、みのるがライガーを挑発。試合後には2002年11月30日にパンクラス横浜文化体育館大会で、パンクラスルールでシングル対決した時のことを引き合いに出し「あの日のことを忘れたのか?あの時、お前はこう言った。『2年ぐらい時間よこせ』と。何を思い出に浸ってやめていこうとしてるんだ。俺はいつでもOK。何のルールだって構わない。テメエ、俺と戦え。やめるかどうかはその後に決めろ」と挑発。一方のライガーは試合後、興奮冷めやらぬ様子で「ケンカ売るなら買うぞ!このガキ!」と受けて立つ姿勢を示した。 今シリーズ、開幕戦からタッグマッチで対戦してきた両者だが、24日の後楽園ホール大会ではライガー&タイガーマスク&田口隆祐対みのる&金丸義信&エル・デスペラードというカードが組まれた。この日は1989(平成元)年にライガーが東京ドーム大会でデビューをした記念日で、ライガーのデビュー30周年を記念した試合だった。 記念試合でみのるはライガーとリングで対峙すると、改めてライガーを挑発。そして「30周年のプレゼントだ」と、パンクラスで対戦した時に使用していたオープン・フィンガー・グローブをライガーの足元に投げつけて試合開始。金丸がタイガーを丸め込み、鈴木軍が勝利したが、みのるのライガーへの挑発は止まらず、場内は大ライガーコールに包まれた。 みのるはオープン・フィンガー・グローブを口にくわえながら花道を退場。怒りが収まらないライガーは「ケンカしてやろうじぇねぇか」とマイクでアピールすると、みのるも引き返し、再び一触即発の状態に。ライガーは「お前のケンカなんて誰も見たくねぇわ。新日本、出ていけコラッ!」と吐き捨て、両者は控え室に戻っていった。 みのるがライガー戦にこだわるのには理由がある。みのるは、パンクラスから主戦場をプロレスのリングに移すきっかけになった試合が、2002年のパンクラス・ライガー戦だったとたびたび口にしている。この試合、当初は違う相手と戦う予定だった。新人時代に「東京ドームのメインで戦おう」と誓い合った佐々木健介氏が相手のはずだったが、当時の複雑な事情により、このカードが中止に。急遽、ライガーがパンクラスルールでみのると試合を行うことになったのだ。 準備期間が少ないライガーに勝ち目はなかったが、それでも明らかに準備をしてきたライガーの肉体を見たみのるには、感じるものがあったという。この試合を最後にみのるは総合格戦技の試合はしていない。ライガーの「2年ぐらい時間よこせ」という言葉が関連しているのかは定かでないが、ライガーが引退する前に決着をつけておくべき相手であることは間違いない。 一度口にしたら実現するまで追い続けるのがみのるのスタイル。2人のシングル対決はいつになるのか注目である。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年04月24日 22時30分
20人目の「X」は誰だ? 新日本プロレスBOSJの参加選手決定、鷹木信悟が初出場
新日本プロレスは23日の東京・後楽園ホール大会で、ジュニアヘビー級最強戦士決定リーグ戦の出場者を発表した。次期シリーズ『ベスト・オブ・ザ・スーパーJr.26』(BOSJ)で開催される。今年は20選手が参加、A、Bの2ブロックに分かれて総当たりリーグ戦を行い各ブロックの最高得点獲得者が優勝決定戦を闘う。 シリーズは5月13日宮城・仙台サンプラザホール大会で開幕。優勝決定戦は6月5日に東京・両国国技館で行われる。BOSJを両国で開催するのは今回が初めて。ただし獣神サンダー・ライガーがジュニアの顔となった前身の『トップ・オブ・ザ・スーパーJr.』では、1991、92年と2回使用しており、実に27年ぶりの開催となる(日本武道館では1997、99年に開催)。 なお、今シリーズ終盤の『レスリングどんたく2019』福岡国際センター大会(5月3日)のメインイベントで、石森太二がドラゴン・リーのIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦する。この試合の結末や試合後の展開によって、今年のBOSJに向けた選手間の関係は変わっていくだろう。 BOSJを「両国に連れて行く」と口にしていたKUSHIDAがWWEへ移籍したが、ジュニアの層は年々厚みを増している。昨年のBOSJは地方会場でも好勝負となり、全国のファンを熱狂させた。昨年覇者の高橋ヒロムはけがで長期欠場中だが、ヒロムの欠場で他のジュニア選手たちに「ヒロムが帰ってくるまでジュニアを盛り上げ続ける」という気持ちが芽生えたのは間違い。それは外国人選手にも波及している。 強豪ぞろいの今年のBOSJだが、注目は初出場の鷹木信悟だろう。鷹木はジュニア離れしたパワーの持ち主。BUSHIとのタッグでIWGPジュニアタッグ王座を獲得するなど、昨年10月の登場以降、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのメンバーとして、存在感を示してきた。本来はシングルプレーヤーなだけに、新日本ジュニアの強豪とシングルでどういう結果を残すのか注目したい。 鷹木が将来的にヘビー級への転向を視野に入れているとすれば、飯伏幸太、ケニー・オメガのようにIWGPジュニア王座の獲得は必須。BOSJで優勝すれば当然挑戦権が舞い込んでくるだけに、このチャンスは1回でつかんでおきたいところだろう。今年もBOSJは見逃せない闘いが全国で繰り広げられそうだ。出場選手は次の通り。田口隆祐(14年連続16回目、2012年優勝)タイガーマスク(18年連続18回目、2004年、2005年優勝)ロッキー・ロメロ(3年ぶり7回目)SHO(2年連続2回目)YOH(2年連続2回目)ウィル・オスプレイ(4年連続4回目、2016年優勝)石森太二(2年連続3回目、2018年準優勝)エル・デスペラード(3年連続4回目)TAKAみちのく(2年ぶり7回目)金丸義信(3年連続3回目)BUSHI(4年連続7回目)フリップ・ゴードン(2年連続2回目)ティタン(6年ぶり2回目)マーティー・スカル(3年連続3回目)ドラゴン・リー(3年連続3回目、現IWGPジュニアヘビー級王者)ロビー・イーグルス(初)ジョナサン・グレシャム(初)バンディード(初)鷹木信悟(初)X(20人目の出場者)※ブロック分け、対戦カードは後日発表される。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年04月23日 22時30分
長州力ファイナルマッチのカード決定!チケット完売につき全国ライブビューイング開催
『POWER HALL 2019』後楽園ホール大会(6月26日)で現役最後の戦いに挑むプロレスラー“革命戦士”長州力の対戦カードが決定した。 長州は最後の相手として、永遠のライバル藤波辰爾を指名していた。藤波に加え、古巣・新日本プロレスから真壁刀義と石井智宏が参戦。ここに国内復帰戦となる武藤敬司と、平成維震軍の越中詩郎も加わる。最後を飾るにふさわしいカードが実現した。 長州は越中、石井と、藤波は武藤、真壁とそれぞれトリオを結成、6人タッグマッチを戦う。長州の維新軍をモチーフに、越中が平成維震軍を結成するなど、越中は当時長州に抵抗する立場にいたが、平成維震軍解散後は長州の側近に。長州が新日本を退団しWJを結成すると越中も追随している。石井は天龍源一郎氏主宰のWARでデビューしているが、WARの解散に伴い、フリーとしてインディー団体を渡り歩いていたときに、長州がWJを設立すると弟子入りを志願。長州とともに新日本にも参戦し、現在に至っている。 武藤と長州は近年、バラエティー番組で共演し、武藤がプロデュースしているプロレスリング・マスターズに参戦するなど交流を深めている。新日本時代、武藤、蝶野正洋、故橋本真也さんの闘魂三銃士にとって長州と藤波の壁は高かった。武藤がシングルで長州に初めて勝ったのはグレート・ムタとしてだ。武藤はムタとしてIWGPヘビー級王座を奪取している。真壁は若手時代に長州の付き人を務め、タッグを組みIWGPタッグ王座に挑戦したこともあった。 長州と藤波のシングルを期待する声も多いようだ。ただ、21日のドラディション大阪大会では、2人が対峙しただけで「涙モノ」の空気感が会場に満ちあふれたそう。この2人が向き合いさえすれば、それだけで2人にしか作れない空気感を後楽園ホールでも感じることができるのは間違いない。今大会はカード発表前からチケットが完売してしまったが、「見たい」というファンからのリクエストに応える形で、全国の映画館を使いライブビューイングを開催することが急遽決定した。こちらもプラチナチケットになるのは確実だ。 5月19日には宮古島で試合を行う長州。怪我なく、万全な体調でファイナルマッチに臨んでほしい。なおファイナルマッチのレフェリーは長州と行動をともにし続けたタイガー服部が務める。取材・文 / どら増田写真 / ©️リデットエンターテイメント
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スポーツ 2019年04月23日 20時00分
飯伏幸太「棚橋さんが言ってた覚悟がわかった」新日本プロレスに“生涯”入団発表!
新日本プロレスは22日、東京・後楽園ホールで緊急記者会見を開き、飯伏幸太が新日本プロレスと20日付で契約を交わし、所属選手になったと発表した。 菅林直樹会長が同席した。飯伏は20日の愛知・愛知県体育館大会で、ザック・セイバーJr.を相手にIWGPインターコンチネンタル王座を防衛。その際、新日本の所属選手になったと“フライング”発表しており、それを受けての会見となった。飯伏は2013年から2016年にかけて、DDTプロレスと新日本の2団体に所属していた時期があったが、当時はスケジュールの兼ね合いもあり、新日本にはスポット参戦にとどまっている。 「3年前はダブル所属だったけど、今回は新日本専属。フル参戦を希望します。出られるところは出られるだけ出たい」 フリーになってからの3年間はインディー団体を渡り歩いてきたが「夢だった新日本プロレス所属」を諦めなかったという。フリーとして新日本に参戦した際、棚橋弘至から「プロレス界を背負っていく覚悟はあるのか?」と投げられたこともあった。 「棚橋さんが言っていた覚悟がやっと分かった。(団体に所属することで)責任感が生まれる。去年の段階で(再入団する)気持ちは決まってたけど、言えるタイミングが2月(の大阪大会)だった」 飯伏は棚橋から突きつけられた「覚悟」の意味を理解した上で、新日本に再入団する決意をし、2月の大阪大会では復帰のあいさつで「僕はどこにも行かない」と発言している。「自分のピークはココかなと。プロレスをどんどん広めていきたいので、新日本が広まればプロレスも広まるのかなと。今はインターコンチのベルトを防衛し続けることで精一杯」という飯伏は、会見の最後に「ここが最後。死ぬまで契約してください」と菅林会長に終身雇用を直訴した。 気になるユニットに関しては「どこでやってもできる自信はあるけど、本隊だと思います」と、再入団を後押しした棚橋とともに新日本本隊を盛り上げていく意向を示した。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年04月18日 22時00分
新日本プロレスが名古屋でビッグマッチ開催! メインは飯伏幸太の初防衛戦
新日本プロレスが久々に名古屋で春のビッグマッチ『SENGOKU LORD in NAGOYA』(20日、愛知県体育館=ドルフィンズアリーナ)を開催する。 新日本は過去に同体育館をはじめ、日本ガイシホール(名古屋レインボーホール)、ナゴヤドームでもビッグマッチを開催。近年は1年に3回前後、愛知県体育館大会をシリーズに組み込んできた。今回は高い動員力を維持してビッグマッチ開催につなげた形だ。 メインイベントでは、日本時間7日のマディソン・スクエア・ガーデン(MSG、米ニューヨーク)大会で内藤哲也を破り、IWGPインターコンチネンタル王座を獲得した飯伏幸太が登場。MSGのバックステージで逆指名したザック・セイバーJr.と初防衛戦を行う。 ザックはMSGで飯伏が「神」とあがめる棚橋弘至を破っているが、左肘を痛めた棚橋はそのまま無期限の欠場をしいられ、飯伏自身も2年連続で『ニュージャパンカップ』でザックにギブアップ負けを喫している。今回の一戦は「神の仇打ち」と自身の「リベンジ」という2つのテーマを掲げた闘いとなる。連日行われている前哨戦ではザックが優位に立つ。飯伏が「邪魔でしかない」と話していたザックのマネージャー、TAKAみちのくの策士ぶりにも磨きがかかっているだけに、まさかの3連敗をしてしまう可能性も決して低くはない。棚橋同様、飯伏にとっては「苦手」なタイプなのは間違いないだろう。飯伏は久々となる名古屋のビッグマッチをハッピーエンドで終わらせることができるのか?関節技対策に注目したい。 セミファイナルでは、IWGP USヘビー級選手権試合、チャンピオンのジュース・ロビンソンに、バレットクラブのバッドラック・ファレが挑戦する。 この2人はお互いに新日本の留学生だった共通点がある。時期は違うが、ファレは新日本の先輩だ。新日本で育った外国人対決はジェイ・ホワイトや、デビッド・フィンレーの間でも行われているが、後輩のチャンピオンに挑戦するファレの気持ちは複雑だろう。ましてやバレットクラブでも後輩のジェイがリーダー格を務めている。ファレとしてはシングルプレイヤーとして結果を出しておきたいところだ。 ノンタイトルマッチではオカダ・カズチカや棚橋弘至から何度も勝利を収めているファレだが、シングルのタイトルには不思議と縁がない。平成最後のタイトル挑戦で、シングル初戴冠となるのか?それともまだまだ成長が止まらないジュースが防衛するのか?大和魂を持った外国人対決に期待が高まる。 来年1月の東京ドーム大会での引退を表明している獣神サンダー・ライガーは第2試合に出場。愛知県体育館でライガーがあと何回見られるか分からない。名古屋のファンは見逃してはならないだろう。今年の春は名古屋がアツイ!取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年04月18日 21時30分
KUSHIDAのNXTデビューが5.2に決定! カイリ・セインはNXTラストマッチに敗れる
世界最大のプロレス団体WWEは日本時間18日、ファームブランドNXTを世界配信した。 先日、公式サイトWWE.comで公開契約を行ったKUSHIDAのNXTデビュー戦が、同5月2日にWWEネットワークを通じて世界配信されることが明らかになった。 WWEは同5日、今年1月限りで新日本プロレスを退団したKUSHIDAのWWE入りを発表。同日のNXT年間最大のビッグマッチ『NXTテイクオーバー:ニューヨーク』ではKUSHIDAをWWEユニバース(ファン)に紹介。COOのトリプルHは「彼がNXTに所属することにとても興奮している。世界的スターの一人だ」とKUSHIDAを称賛。新日本時代の先輩にあたる日本人スーパースター中邑真輔も「みんな、KUSHIDAがNXTにやってきた。ようこそクッシー!」と歓迎した。 KUSHIDAは「ライフ、国、トレーニング、すべてを変えていい状況だ。“KUSHIDAができる”ということをWWEユニバースに証明したい」とコメントしている。WWEのプロモーション写真を見ると新日本時代と変わらないキャラクターになりそう。デビュー戦に注目だ。 スマックダウンへの昇格が決まった“海賊姫”カイリ・セインは、シェイナ・ベイズラーのNXT女子王座に挑戦した。 試合はカイリのフライング・カブキ・エルボーが場外バリケードに誤爆してしまい右腕を負傷すると、シェイナがその右腕を関節技で集中攻撃。これを見かねたレフェリーが試合を止めてドクターチェックすると、心配した盟友の紫雷イオもリングサイドに駆けつけた。 シェイナはお構いなしにカイリを強引に捕まえ試合を強制続行させると、たまらずイオがシェイナを突き飛ばして試合はカイリの反則負けとなった。シェイナをにらみつけて対峙するイオだったが、セコンドのマリナ・シェファーとジェサミン・デュークに捕まると、シェイナは倒れ込んだカイリの右腕を踏みつけた。シェイナは痛すぎる“餞別”を与え、バックステージへ引き揚げた。 この非道な行為にイオは「ふざけるな!絶対に許さないぞ」と仇打ちを宣言。アスカもカイリもNXT女子王座を戴冠してスマックダウンへ昇格しているだけに、イオにとっても同王座の獲得は必須。NXTでイオの実力が発揮されるのか期待したい。文 / どら増田写真 / 舩橋諄
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スポーツ 2019年04月17日 17時30分
WWEカイリ・セインがスマックダウンへ昇格! アスカとジャパニーズタッグ結成!
世界最大のプロレス団体WWEは日本時間17日、カナダ・ケベック州モントリオールで主力ブランドのスマックダウンを開催し、所属選手を発表する「スーパースター・シェイクアップ」が開かれた。ペイジ率いるタッグチームとしてアスカ&カイリ・セインのタッグ結成が発表された。 ロウとスマックダウンの2冠王者ベッキー・リンチがリングに登場すると、王者を挑発するかのように次々と女子スーパースターが現れる。所属が決まったエンバー・ムーンとベイリーがサプライズ登場。WWE女子タッグ王者アイコニックスやマンディ・ローズ&ソーニャ・デビルも姿を現した。 そして、新タッグチームを送り込むと予告していたペイジが登場すると“革命的な新チーム”としてなんと“明日の女帝”アスカと“海賊姫”カイリ・セインの2人を紹介。晴れてファームブランドNXTからスマックダウンに昇格となったカイリは、アスカとともにベイリー&エンバーと組み8人タッグマッチに挑んだ。 8人が白熱の攻防を展開する中、アスカ&カイリのジャパニーズタッグは躍動。アスカがバックフィストからリバースDDTでペイトン・ロイスを沈めると、最後はカイリがインセイン・エルボーを炸裂させて3カウント。カイリはアスカとのタッグで初戦を飾り、その実力をファンに見せつけた。 試合後のインタビューでカイリは「尊敬するアスカさんとタッグを組んで出場できて本当にうれしいです。ベルト取りましょう!」と意気込めば、アスカも「いろいろ教えつつ、刺激も受けつつタイトル行きましょう」とタイトル奪取を宣言。『レッスルマニア35』直前にスマックダウン女子王座から陥落したアスカだが、今後はカイリとのタッグで、タッグ王座を狙うことになりそうだ。 この日はローマン・レインズのスマックダウン電撃移籍も発表された。エンディングに登場したビンス・マクマホン会長は歴史的な“獲得”を発表すると会場を煽ったが、登場したのはアライアス。「黙れ」とファンを挑発してアライアスがギターを弾き始めると、今度はそこにローマン・レインズがサプライズ登場。スマックダウンへの移籍が決まったレインズはアライアスとビンス会長をスーパーマンパンチで蹴散らすと、「今からスマックダウンは俺の庭だ」と言い放ちその存在をアピールした。 その他にもフィン・ベイラー、アライアス、ベイリー、エンバー・ムーン、カイリ・セイン、ラーズ・サリバン、バディ・マーフィー、リブ・モーガン、チャド・ゲイブル、アポロ・クルーズ、ミッキー・ジェームス、ヘビー・マシナリーのスマックダウン所属が発表された。フィン・ベイラーの来日は微妙な情勢。しかしスマックダウンには元新日本の中邑真輔ら、ベイラーとゆかりのあるにメンバーがいる。今後の展開に期待したい。文 / どら増田写真 / ©2019 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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スポーツ 2019年04月16日 22時30分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「藤波辰爾」“こんにゃく”の本性は強靱な意志を持つ頑固者
世の多くの会社員が定年を迎える65歳をすぎてもなお、主宰するドラディションや他団体へのゲスト参戦などでファイトを続ける藤波辰爾。来る4月26日、東京・後楽園ホール大会では懐かしのドラゴンボンバーズが再結成されるという。※ ※ ※ プロレスがテレビのゴールデンタイムで放送されていた時期とそれ以降の選手では、一般からの知名度に格段の違いがあるという。 「闘魂三銃士や四天王あたりの選手に聞いてみても、アントニオ猪木やジャイアント馬場はもちろんのこと、ジャンボ鶴田や長州力らの世代と比べても『天と地ほどの差がある』と言います。そうした選手は街を歩いていても名前で呼ばれるけれど、それより下の世代では、よくて“この人見たことある”レベルだそうです」(スポーツ紙記者) それほどまでにテレビ視聴率20%超の力は絶大で、佐山聡(初代タイガーマスク)のリアルジャパンプロレスや藤波辰爾のドラディションが息長く続いているのも、こうした影響があってのことに違いない。 そんなレジェンドレスラーの1人である藤波が、一昨年の秋に放送された『プロレス総選挙』(テレビ朝日系)でベスト20から漏れたことは、長年のファンをザワつかせることとなった。ネット上ではこれに異議が噴出し、不正選挙との声まで上がった。 「オカダ・カズチカや棚橋弘至、真壁刀義らがランクインしたあたり、主に今の新日本プロレスをテレビや会場で見ているファンが中心となったアンケート結果なのでしょうが、かつてドラゴンブームで一世を風靡した頃の藤波を知っているファンには、納得できない結果でした」(同) 藤波本人は、このことについて聞かれたスポーツ紙ネット版のインタビューにおいて、「僕自身は印象的なことを起こしていないからね。いてくれて当たり前で、印象が薄いのかもしれない」と答えている。 しかし、続けて「かえって外された方がよかった。中途半端に19位とか20位とかになるよりはね」と話したところをみると、やはり“自分は上位にランクされてしかるべき”との高い意識を持っていることがうかがえよう。 藤波にまつわる過去の出来事は、長州との「名勝負数え唄」にしても、藤原喜明との「雪の札幌テロリスト事件」にしても、本人が言うように藤波自身ではなく、他の選手の行動に巻き込まれた印象は強い。 「猪木に向かって自分の前髪を切り落としながら、ビッグバン・ベイダーとの対戦を直訴した『飛龍革命』にしても、その主題は“全盛期をすぎた猪木の去就”にありました。そのため“ベイダー越えよりも先に成すべきは猪木越えだろう”との空気が強かった。その上、藤波の言葉が不明瞭なこともあって、決意のほどとは裏腹に間の抜けた感じになってしまいました」(同) 柔和な笑顔を絶やさない好人物であり、振る舞いも紳士的。そのため、癖の強い面々に翻弄される善玉として、藤波を見てきたファンは多いだろう。しかし、それは表層的な見方にすぎず、実は相当な頑固者だと評する声もある。★馬場が画策した藤波の全日移籍 「ベイダー初登場となった1987年12月の両国国技館大会で、藤波は最初に対戦相手とされながら、これを断固拒絶。新顔であるベイダー&たけしプロレス軍団の踏み台にされることは、到底受け入れられないというわけです」(プロレスライター) それで猪木が折れて「俺がやりゃあいいんだろう」となったというから、実は両国暴動事件の黒幕は藤波であったとも言えようか。 そうした強い意志を持ちながら人当たりは極めて良好なため、相手側が勘違いすることも多いという。 「新日と全日の引き抜き合戦の際、長州維新軍に続いて馬場は藤波の移籍も画策していました。何度か話し合いが持たれた中、その様子を見た馬場は移籍を確信していたのですが、藤波自身は新日残留の意思を曲げていませんでした」(同) 全日側は移籍を見越して、発表会見の準備までしていたというから、交渉上手の馬場としては珍しく、まんまと一杯食わされる格好になったわけである。 また、新日の社長に就任してからの藤波は、朝令暮改の言動から“こんにゃく社長”と呼ばれたりもした。「集客のため、社長自身の引退カウントダウンを売り物にしたいと周囲に言われ、藤波自身が明解な答えを出さないうちにその方向で話が進んでいく。しかし、最後の最後になって“引退しない”ことを決断する。これが何度も引退発表が繰り返された真相です」(同) 藤波を“頑固者”と定義し直してプロレス史を眺めると、また新たな側面が見えてくる。藤波辰爾***************************************PROFILE●1953年12月28日、大分県出身。身長185㎝、体重108㎏。得意技/ドラゴン・スープレックス、ドラゴン・ロケット、ドラゴン・スリーパー。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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