菅林直樹会長が同席した。飯伏は20日の愛知・愛知県体育館大会で、ザック・セイバーJr.を相手にIWGPインターコンチネンタル王座を防衛。その際、新日本の所属選手になったと“フライング”発表しており、それを受けての会見となった。飯伏は2013年から2016年にかけて、DDTプロレスと新日本の2団体に所属していた時期があったが、当時はスケジュールの兼ね合いもあり、新日本にはスポット参戦にとどまっている。
「3年前はダブル所属だったけど、今回は新日本専属。フル参戦を希望します。出られるところは出られるだけ出たい」
フリーになってからの3年間はインディー団体を渡り歩いてきたが「夢だった新日本プロレス所属」を諦めなかったという。フリーとして新日本に参戦した際、棚橋弘至から「プロレス界を背負っていく覚悟はあるのか?」と投げられたこともあった。
「棚橋さんが言っていた覚悟がやっと分かった。(団体に所属することで)責任感が生まれる。去年の段階で(再入団する)気持ちは決まってたけど、言えるタイミングが2月(の大阪大会)だった」
飯伏は棚橋から突きつけられた「覚悟」の意味を理解した上で、新日本に再入団する決意をし、2月の大阪大会では復帰のあいさつで「僕はどこにも行かない」と発言している。「自分のピークはココかなと。プロレスをどんどん広めていきたいので、新日本が広まればプロレスも広まるのかなと。今はインターコンチのベルトを防衛し続けることで精一杯」という飯伏は、会見の最後に「ここが最後。死ぬまで契約してください」と菅林会長に終身雇用を直訴した。
気になるユニットに関しては「どこでやってもできる自信はあるけど、本隊だと思います」と、再入団を後押しした棚橋とともに新日本本隊を盛り上げていく意向を示した。
取材・文・写真 / どら増田