スモウアリーナに懐かしき「コニシキ」コールがこだました。特別レフェリーとして曙&ジャイアント・バーナード&吉江豊のボディースラム3WAYマッチを裁くはずだったが、試合に巻き込まれて想定外の事態に発展。よもやのリングデビューとなった。
ゴング前から不穏なムードが漂っていた。なかなか身体チェックに応じないバーナードとにらみ合い。それでも立会人の坂口征二氏やタイガー服部レフェリーになだめられ、序盤こそ気丈にレフェリングに徹していたが、試合途中でバーナードらに急所攻撃されて闘争本能に火がついた。
「ボクも男ですから、売られたケンカは買う」。黙っていられるはずがなかった。まずはバーナードに強烈なツッパリをお見舞い。さらにはグロッギー状態でコーナーに寄りかかるバーナード目掛けて強烈な左ラリアート2発をブチ込み、同じハワイ出身の後輩力士・曙の勝利をアシストした。
戦前には「ヒザが痛くて激しいことはできない」と漏らしていたものの、フタを開ければ土俵でならしたツッパリはおろか、スタン・ハンセンばりのラリアートまでサク裂させ、巨漢3選手をしのぐ存在感を誇示した。新日プロ菅林直樹社長を「また機会があれば出ていただきたい」と言わしめるほどの躍動ぶりだった。
小錦といえば、1997年11月に現役引退してから何度かプロレス参戦が取りざたされたことがあったが、今回の奮闘でプロレスラーとしての適性をまざまざと見せつけた格好。そんな小錦には新日プロ関係者から早くも「スケールのでかいドーム大会ではスーパーヘビー級の闘いが必須ですから、そういう意味で小錦さんのドームでのデビューはぴったり」と、この日開催が発表された来春1・4東京ドームでのレスラーデビューに白羽の矢が立つほどだ。
来春1・4参戦はあり得ない話ではない。小錦自身も「もっと体をメンテナンスして良くなって、お願いが来ればレフェリーじゃなく世界を相手に闘う。その日が来れば面白い」と語っており、闘う状態さえ整えばいつでもリングに立つ心構えでいる。
1984年には亡き兄アティサノエさんがセルリアンブルーのマットでアントニオ猪木と闘ったこともあり、いつかは兄に続きレスラーとして新日プロに参戦する可能性は十分。それどころか、試合後には新日最強外国人バーナードと一触即発になり、清算しなければならない遺恨も生じてしまった。
小錦のドームデビューが実現すれば、プロレス界に新たなムーブメントを起こすことにもつながりかねない。それこそプロレス転向がウワサされるあの朝青龍をソノ気にさせることになるかもしれない。いずれにせよ、小錦レスラー転向はあるのか、今後のセルリアンブルーのマットに要注目だ。