その中で、芸人とは思えない身体能力と技の数々で異彩を放っているのがアントニオ小猪木だ。これまで武藤敬司、高山善廣、ザ・グレート・カブキなど数々のトップレスラーと「名勝負」を繰り広げてきた。
芸人としてプロレスに交わっている男の笑いあり少し涙ありの人生にスポットを当てた。
埼玉県志木市出身の小猪木が初めてプロレスを見たのは小学4年生の時。
「親がプロレス観戦反対だったけど、兄が誕生日の前日に『誕生日プレゼントに見せてやって』と言ってくれたんですよ」。その日、大宮の会場で控室にいたスタン・ハンセンが今も心の中に残っている。
中学・高校ではプロレスごっこに明け暮れた。「中学生になったらクラスの連中とリーグ戦やってましたね。誰と誰が組んだら面白いか授業中に投票させて。さすがにバレて先生に投票用紙を奪われたけどね」。
高校生の時に役者を目指したが「才能はなかった」。それでも喜劇をやりたいと思い、卒業後芸人の道へ。
モノマネを得意としていた小猪木は新日本プロレスの大会にゲリラで出没。お客さんとともに「ダッー」をやるようになった。猪木引退興行の時には群衆と一緒に「大猪木コール」を巻き起こしたこともあった。
◎小猪木になった時
30歳になった2001年、同年旗揚げした西口プロレスから入団のオファーが来て、しばらくして入団、小猪木の人生が変わり始めた。西口プロで本格的にアントニオ猪木のモノマネに専念するようになったのだ。
旗揚げした西口プロレスは興行を開くので精いっぱいで「新宿のビアガーデンの興行のギャラがビールと唐揚げ。ビールは1人1杯、唐揚げは1人1個くらいでしたね」と当時を振り返る。
ようやく団体が軌道に乗り出した旗揚げ3年目の時、JDスターとコラボが実現。ここから名勝負の歴史が始まった。
◎ベイダー戦
まず、ビッグネームではビッグバン・ベイダーと対戦。「そりゃめちゃくちゃ怖かったですよ。あいさつに行ったら『ノープロブレム』って追い返されて」
リングに上がると「カモン、カモン」と手招きするベイダー。思いっきりぶつかっていくと本当にショルダータックルで倒された。最後は腕ひしぎ逆十字でタップも奪ったが、その後、ボコボコにされるオチがついた。
◎鈴木みのる戦
名勝負の中で対戦したレスラーからはさまざまなことを学んだ。「絶対遠慮するなよ」と言われていた鈴木みのるとの対戦では面白いやら恐いやらの心理戦があり、舌戦も展開した。「とにかくプロレスの魅せ方を教えてくれた」。今思うとお笑いプロレスで一番重要な間合いを引き出してくれたと感じるという。
◎武藤敬司戦
武藤敬司からはリングでの最初の1分間の大事さを学んだ。
「その1分で負けない気持ち、コンディションの良さ、そして自分のキャラクターを充分アピールしないといけない」
今でも最初の1分を意識してリングに上がる。
◎曙・新田戦
名勝負の中では、やりにくい人もいた。それが第64代横綱曙と全日本キックボクシング王者・新田明臣だ。「間合いがプロレスじゃなかったですね。相撲とキックボクシングの間合いで。新田さんも曙さんも立ち技の圧力があった。これぞ世界の間合いだった」
◎A・猪木戦?
このほかにも藤原喜明、小島聡、高山善廣らと戦ったが、まだ対戦したくても実現していない相手がいる。尊敬するアントニオ猪木だ。「猪木さんには今のレスラーにない心がある。ブルース・リーのように観客をひきつける。感情移入できる試合がしたいですよね」
◎今後の目標
目標はプロレスの面白さの入り口になること。「若者でプロレスを見る人間が減っている。彼らのきっかけになれれば」
お笑いプロレスというジャンルを開拓することを目指す。
「もっと認知されたいです。芸人さん達がいろいろとプロレスをやっているのでコラボできればいいですね」とやりたいことは数え切れない。「自分のやっていることが、いつか評価されればいいですね。猪木さんのマネをする芸人で僕が一番動けますよ」意気軒昂の小猪木である。
◎西口プロレス・小猪木興行日程
10月27日 西口DXプロレス東京・渋谷0-EAST 19時30分開始
11月5日 アントニオ小猪木芸能生活20周年記念イベント東京・新宿ロフトプラスワン歌舞伎町 19時30分開始
<プロフィール>
あんとにお・こいのき(本名=田村暢人)1971年8月22日の38歳。埼玉県志木市出身。158センチ、56キロ。血液型はB。西口プロレス所属。獲得タイトルは西口ヘビー王座、小IWチービーヘビー級王座など。趣味はダンス。好きな芸能人は天海祐希。年間試合数は120試合以上。