新日本
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スポーツ 2019年04月15日 22時30分
“新婚”オカダ・カズチカ、オールナイトニッポンでレインメーカー炸裂!
12日に人気声優の三森すずことの入籍を明らかにした新日本プロレスIWGPヘビー級王者“レインメーカー”オカダ・カズチカが13日深夜、ニッポン放送の『オールナイトニッポン0(ZERO)』にスペシャルパーソナリティとして生出演した。 この日のオカダは新シリーズ『Road to レスリングどんたく2019』の開幕戦(茨城・つくばカピオ・アリーナ)を終えてからスタジオ入り。つくば大会の会場ではファンから「おめでとう」と祝福されていたが、「ずっとやってみたかった」というオールナイトニッポンのパーソナリティに初挑戦したオカダは、翌日の大会が昼間からであるにもかかわらず、高いテンションで、早朝まで2時間話し続けた。 オカダが代表の一夜限りのプロレス団体「新オールナイトニッポンプロレス」(新ニポ)という、リスナーから入団者を募るコーナーでは、オカダの独断で合否を決めた。オカダは理不尽かつユーモアあふれるトークで、リング上では見られない一面を惜しみなく出していた。またニッポン放送のネットが切れた後の30分間で行われた「vsオカダ・カズチカ」では、リスナーから送られて来た対戦相手をどうやって倒すかシミュレーション。オカダがレインメーカーを放てば「勝ちましたー!」、逆に放てない相手には「負けましたー!」と叫ぶのだが、これがまた深夜ならではのメチャクチャぶり。リスナーの反応も良かった。 5月3、4の2日間、福岡国際センターで開催される『レスリングどんたく2019』のプロモーションの意味合いが強い番組だったものの、オカダの垢抜けたイメージが垣間見える貴重な2時間だったのではないだろうか。 これまでも現役のプロレスラーが何人かオールナイトニッポンのパーソナリティを務めているが、オカダには一夜限りとなった新団体、新ニポを復活させるためにもまたパーソナリティに挑戦してもらいたい。一回で終わらせるにはもったいないぐらい「レベル」が高い番組になったのは、オカダのエンターテイナーとしてのポテンシャルが、ラジオがマッチしたのだろう。文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年04月12日 17時00分
60代横綱「双羽黒」北尾光司氏急逝 狂瀾怒濤の55年史
「こんなちゃんこが食えるか」。大相撲第60代横綱北尾光司氏が、ちゃんこの味付けをめぐって師匠と激しく衝突し、24歳4カ月で廃業することになる。その引き金となったのがこの一言だった。 引退後、プロレスラーとしても活躍したが、2月10日に慢性腎不全のため亡くなっていたことが明らかになった。まだ55歳という若さだった。 北尾さんは中学卒業時点で195センチの長身を誇り、1979年に“金の卵”として角界に入門。師匠の立浪親方(元関脇羽黒山)に、“過保護”に育てられた。 「兄弟子たちが少し厳しく指導すると、親方はその兄弟子を叱っていたそうです。おかげで北尾は、自分の思うようにいかないと、すぐに『イタイ、イタイ』と言って稽古場や部屋を逃げ出すようになりました」(スポーツ紙相撲担当記者) 猛稽古とは無縁だったにもかかわらず、初土俵から7年後に大関に昇進。そのわずか4場所後には横綱へと駆け上がり、四股名を「双羽黒」に改めた。 だが、横綱昇進後も肝心なところで精神的な甘さが出て、なかなか優勝できない。その一方で、付け人をエアガンで撃つなど、問題行動が目立つようになり、'87年12月に「こんなちゃんこ食えるか」の問題発言騒動で立浪親方と衝突。仲裁に入ろうとした女将さんを突き飛ばして部屋を飛び出したのだ。 「立浪親方は、この女将さんへの暴力に激怒し、ただちに相撲協会に廃業届を提出。ほとぼりが冷めたら部屋に戻るつもりでいた北尾さんは戻る場所を失い、引退せざるを得なくなったのです。24歳4カ月のことでした」(同) 引退後は「スポーツ冒険家」という肩書でタレント活動を始め、廃業から2年後にはプロレスラーに転向。 「プロレスの基本もできていないのに、デビュー戦でハルク・ホーガンばりのパフォーマンスを披露。ファンからブーイングを浴び続けると、徐々に試合欠場が多くなり、しまいには現場責任者だった長州力を怒らせ、半年もたずに新日本プロレスを追われています」(元プロレス誌記者) その後もプロレスラーや格闘家として活動を続けたが、いずれも大成することなく'98年に引退を表明。'13年からは腎臓を患い、闘病生活を送っていたという。 優勝を31回している千代の富士も「もし双羽黒がいたら、こんなに優勝できなかった」と述懐している…。合掌。
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芸能ニュース 2019年04月12日 16時50分
「幸せの雨を降らせる」新日本オカダ・カズチカ、人気声優の三森すずこと入籍!
新日本プロレスのIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカが、人気声優の三森すずこと入籍したことが12日、明らかになった。 “レインメーカー”ことオカダはツイッターで「私事ですが以前よりお付き合いさせて頂いていた三森すずこさんと入籍したことをご報告させて頂きます。レインメーカーとして”幸せの雨”を家庭に降らせることができるようお互いに協力し合いながら、プロレス界にも変わらずに”カネの雨”を降らせ続けていきますので、今後とも宜しくお願い致します」とファンに報告。 三森は“皆さんへ”というタイトルでブログを更新。「私事で恐縮ですが、この度、新日本プロレスのオカダ・カズチカさんと入籍いたしましたことをご報告させていただきます」と報告。 「人としてまだまだ未熟な私ですが、私の母のように、明るく楽しく温かく家族を支える女性になれるよう努めていきたいと思います。そして、表現者・三森すずことしては、これからも変わらず精進し続け、さらなる高みを目指していきたいと思います。皆さん、いつもたくさんのご声援をいただき、本当にありがとうございます」と周囲に感謝した。 オカダの新日本プロレスと、三森の所属事務所の響は、同じブシロードグループ。三森が出演したアニメ『タイガーマスクW』にオカダがゲスト出演し、三森も新日本の会場に現れるなど、交流し合っており、昨年1月に交際が発覚した際には“社内恋愛”と話題になった。ブシロードの創始者で新日本プロレスオーナーの木谷高明氏は「祝 オカダ選手、三森すずこさん。ご結婚おめでとうございます。お互い家庭でも仕事でもベストパートナーとして最高のチャンピオンとトップスターを目指してください!!おめでとう!!」と祝福した。 オカダは日本時間7日、アメリカのニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデン大会のメインイベントでジェイ・ホワイトを破り、IWGPヘビー級王座を奪還。最高のタイミングでの発表となった。三森は今後も声優や舞台の仕事を続ける意向。オカダは「早く結婚したい」と交際前から結婚願望を口にしていた。さらなる飛躍を期待したい。文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年04月09日 22時30分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ニック・ボックウィンクル」父親から受け継いだ巧みなインサイドワーク
ダーティーチャンプと呼ばれながらも、金髪のオールバック姿には気品が漂っていたニック・ボックウィンクル。その卓越した“王座防衛技術”の根幹には、戦前・戦後にヒールレスラーとして活動していた父からの教えがあったという。※ ※ ※ 二世レスラーというのも案外と難しいもので、現在、日本では藤波怜於南(父・辰爾)、橋本大地(父・真也)、坂口征夫(父・征二)などがプロのリングで活動しているが、父親たちと比べたときにはどうしても格落ち感は否めない。力道山の息子である百田義浩&光雄兄弟にしても、結局、中堅どころの域を出ることはなかった。 明らかに父親以上に出世したと言えそうな日本人二世となると、柴田勝頼ぐらいだろうか。 「父親の柴田勝久は、選手よりもレフェリーとしてのほうが知られているぐらいで、新日本プロレスでいくつかのタイトルを獲得している息子は父親を越えたと言えるでしょう。実は、アメリカでも二世レスラーは、父親が地味なほうが成功している場合が多いんですね」(プロレスライター) 親子ともどもトップクラスとなると、WWEの頂点に立った三世レスラーのザ・ロックぐらいで、祖父のピーター・メイビアはサモア系レスラーの重鎮、父のロッキー・ジョンソンも70年代にトップファイターとして活躍しているが、これはあくまでもまれなケース。 父親の存在感が大きければ大きいほど、息子がその影響下から抜け出すことは困難で、一族悲願のNWA王座を獲得したケリー・フォン・エリックにしても、父フリッツの得意技であるアイアンクローを踏襲したあたりを見ると、父を越えたというよりも“七光り”で活躍できた感が強い。 一方、成功した二世では、やはりその父親は無名レスラーであるケースが目立つ。ドリー&テリーのザ・ファンクスの父であるドリー・ファンク・シニアの現役時代は、たまに覆面をかぶったりもする地味な悪役で、息子たちの活躍によってようやくトレーナーとして注目されることとなった。「息子のファンク・ジュニアと区別するため、父をシニアと呼ぶようになったという事実からしても、父親がいかに無名だったかが分かります」(同) ニック・ボックウィンクルとなると、その父親ウォーレンの名前すら聞いたことがないというファンがほとんどではなかろうか。「地味な選手の息子が大成するのには、それなりの理由がある。親が自分の成しえなかった夢を託して、子供が小さい頃からプロレスラーとしての英才教育を施すんですね」(同)★出世欲に乏しく41歳で王座獲得 ファンク道場で息子たちを鍛え上げたシニアのように、ニックの父ウォーレンもまた、息子が少年の頃から巡業に同行させて、実地でプロレスを学ばせていた。 15歳のデビュー戦において相手を務めたのが、かの“鉄人”ルー・テーズというのも、父親の威光があってのことに違いない。 とはいえ、あまりにプロレスが身近にあったせいなのか、ニック自身はどこか出世に無欲であり、20代の半ばまでは大学に通うなどしながらレスラー活動を続けていて、専業となったのは30歳手前のことだった。 のちにニックはこの頃について、「レスラーはスーツケースひとつで旅ができる仕事」と述懐している。その呑気な言い回しからしても、タイトル奪取などの野心とは無縁であったことが見て取れよう。 そんなレスラー生活に転機が訪れたのは、AWAに定着した30代半ばのこと。天賦の才を見込まれて世界王者に君臨することになるのだが、その王座を初めて獲得したのは’75年で、実にニックは41歳、相当な遅咲きであった。 だが、そこから50歳をすぎるまでに通算4回の王座獲得。在位期間はのべ7年にもわたり、文字通りAWAの顔となって第一線での活躍を続けた。 王者ニックの特徴としては、いわゆるダーティーチャンプのスタイルで、防衛の多くが凶器攻撃やセコンド乱入による反則負け。ただし、試合が終盤にさしかかるまではオーソドックスに試合を組み立てる、テクニシャンとしての一面も見られた。 「使う技は足4の字固めやスリーパーホールド、パイルドライバーなどで、一発で試合を決めるようなスープレックス系の投げ技を使わないのが、相手に花を持たせつつ防衛するニック流の“技術”です」(同) そうしたインサイドワークは、むろん父ウォーレンの教えから身に付けたもので、ニックの名言に「相手がワルツを踊れば私もワルツを踊り、ジルバを踊れば私もジルバを踊る」というものがあるが、これももともとは父親の言葉であったという。ニック・ボックウィンクル***************************************PROFILE●1934年12月6日〜2015年11月14日。アメリカ合衆国ミネソタ州出身。身長188㎝、体重120㎏。得意技/足4の字固め、パイルドライバー。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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スポーツ 2019年04月09日 17時40分
WWEレッスルマニア、今年は82,265人を動員!棚橋弘至や飯伏幸太も観戦!
世界最大のプロレス団体WWEは日本時間8日、プロレス界世界最大のイベント『レッスルマニア35』(メットライフ・スタジアム、ニュージャージー州イーストラザフォード)を開催した。 本戦開始前に行われるキックオフショーには、直前にスマックダウン女子王座から陥落した“明日の女帝”アスカと、NXTのカイリ・セインの日本人女子スーパースター2選手が登場。女子バトルロイヤルに挑んだ。 女子スーパースターたちが競い合う中、最後の3人に残ったアスカはヒップアタックからソーニャ・デビルの足を払って蹴り落としたが、その隙にサラ・ローガンに投げ飛ばされて脱落。サラが勝ち残ったかに思えたが、隠れ残っていたカーメラにスーパーキックを食らって脱落し、頭脳作戦を駆使したカーメラが優勝した。昨年は無敗のままタイトルマッチに挑み、注目されたアスカにとっては寂しい結果になった。 ロイヤルランブルを制してユニバーサル王座挑戦を決めたセス・ロリンズが、絶対的なユニバーサル王者ブロック・レスナーに挑んだ。先に待ち受けていたレスナーは入場してきたロリンズを不意打ちで襲撃すると、試合が始まってからも手を緩めない。レスナーは容赦なくスープレックスを3発繰り出してロリンズに攻め込んだ。しかし、ロリンズは隙を突きローブローを放つとレスナーが悶絶。これを勝機と見たロリンズが、スーパーキックを顔面に放ち、カーブ・ストンプ3連発でレスナーから3カウント。絶対王者の敗戦にファンは大喜びだった。 直前に『レッスルマニア35』への出場が決定した日本人スーパースター、中邑真輔はルセフとのタッグで、ウーソズが持つスマックダウンタッグ王座にフェイタル4ウェイルールで挑戦した。 すっかり息が合ってきた中邑はルセフと連携してアリスター・ブラックの顔面にハイキックを決めると、ジミー・ウーソズにもスピンキックを決めて攻め込んだ。終盤、中邑がキンシャサをブラックに炸裂させたが、最後はウーソズがダブル・スーパーキックからダブル・サモアンスプラッシュでシェイマスから3カウントを奪った。中邑&ルセフは直接敗れはしなかったものの、王座奪取に失敗。ウーソズが王座防衛に成功している。 日本でもおなじみのカート・アングルはバロン・コービンを相手に引退試合に臨んだ。コービンのエンド・オブ・デイスで3カウントを奪われたが、大「YOU SUCK!」コールを背に笑顔でバックステージに引き揚げた。 またコフィ・キングストンがダニエル・ブライアンに挑戦したWWE王座戦では、キングストンが渾身のトラブル・イン・パラダイスを決めて3カウントを奪取し、王座を戴冠する波乱が起こった。まさかの大金星にファンはスタンディングオベーション。キングストンは11年越しの夢をかなえて初の新WWE王者となった。 レッスルマニア史上初の女子メイン戦ではWWE2大ブランドの女子王座をかけてロンダ・ラウジー、シャーロット・フレアー、ベッキー・リンチが「勝者総取り」の三つ巴女子頂上決戦に挑んだ。 入場から3人は魅せた。特に父リック・フレアーをオマージュして空から降臨したシャーロットの入場はすごかった。試合は、全員が必殺技を繰り出す中、シャーロットがスピアーを狙うと、それを避けたロンダとベッキーはそのままシャーロットをテーブルに叩き付け、排除した。残ったロンダとベッキーは激しい殴り合いを展開すると、最後はロンダがパイパーズ・ピットを繰り出したところを、待ってましたとばかりにベッキーがロンダを丸め込んで3カウント。ファンもあっけに取られる結末だったが、それを打ち消すかのように花火が打ち上げられ、ベッキーのロウ&スマックダウン女子王座奪取という快挙を祝った。 今年のレッスルマニアには、前日に新日本プロレスがニューヨーク・マディソン・スクエア・ガーデンで大会を開催したこともあり、新日本のレスラー、関係者、日本のプロレスマスコミが多数訪れた。棚橋弘至は、AJスタイルズや中邑の入場時にリアルタイムでツイート。飯伏幸太も、中邑とのツーショットをアップしていた。彼らがレッスルマニアを観戦してどんな想いを抱いたのか気になるところである。文 / どら増田写真 / ©2019 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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スポーツ 2019年04月09日 10時20分
新日本退団のKUSHIDAがWWE入りでNXT所属へ! カイリ&イオ王座奪取失敗!
世界最大のプロレス団体WWEは日本時間6日、ニューヨーク市ブルックリンのバークレイズ・センターにて、ファームブランドNXTのビッグマッチ『テイクオーバー:ニューヨーク』を開催した。 WWEは1月末に新日本プロレスを退団した日本人レスラーKUSHIDAとの契約を発表した。KUSHIDAはCOOのトリプル・HとNXTゼネラルマネージャーのウィリアム・リーガルと共に調印式に出席。リーガルGMが「ついにスーパースターKUSHIDAがNXTに所属する」と話せば、トリプルHは「彼がNXTに所属することにとても興奮している。世界的スターの1人だ」とKUSHIDAの契約を喜んだ。 KUSHIDAは「このような機会をありがとう!ベストを尽くします」と英語で意気込みを語ると契約書にサイン。また、この発表に新日本時代の先輩でWWEスーパースターの中邑真輔は「みんな、KUSHIDAがNXTにやってきた!!! ようこそクッシー」とツイッターを更新。新たな日本人NXTスーパースターKUSHIDAの誕生で今後のNXTの展開に注目が集まる。 日本人が公開契約をするのはヒデオ・イタミ(KENTA)以来となるが、ヒデオは日本での興行だったのに対して、KUSHIDAはアメリカのNXTの会場、しかもビッグマッチとあってWWEの期待の高さが窺える。フィン・ベイラー、リコシェら新日本時代にIWGPジュニアヘビー級王座などを巡り、激闘を繰り広げてきただけに、中邑とAJスタイルズのように、新日本マットでの闘いがそのままWWEマットで行われる可能性もあるだろう。軽量級ブランド205Liveに昇格すればすぐにトップを取る実力は十分あるだけに、期待したい。 なお、今大会でNXT女子王座に挑戦したカイリ・セインと紫雷イオは善戦も悲願の王座にあと一歩届かず、シェイナ・ベイズラーが王座防衛に成功している。文 / どら増田写真 / 舩橋諄
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スポーツ 2019年04月09日 06時00分
元新日本“過激な仕掛け人”新間寿氏、ブルーザー・ブロディがWWE殿堂入り!
WWEが主催する世界最大のプロレスイベント『レッスルマニア』ウィークの日本時間7日、ニューヨーク市ブルックリンのバークレイズ・センターで『ホール・オブ・フェーム』の記念セレモニーが開催され、殿堂入りの表彰が行われた。 今年新たに殿堂入りしたD-ジェネレーションX、ホンキー・トンク・マン、トリー・ウィルソン、ハーレム・ヒート、ハート・ファウンデーションのブレット・ハート、ブルータス・ビーフケーキ、スー・エイチスン(アルティメット・ウォリアー賞)が登壇。功績を讃えた。同セレモニーはまさにプロレス版のアカデミー賞だ。 今年もレガシー部門は当日発表。元新日本プロレスの営業本部長でWWEの会長を歴任した新間寿氏、日本でも活躍した“超獣”ブルーザー・ブロディ、ジム・バーネット、ルナ・バション、”プレイボーイ”バディ・ローズ、プリモ・カルネラ、プロフェッサー・トール・タナカ、スペシャル・デリバリー・ジョーンズ、ワフー・マクダニエル、ジョー・コーエンが殿堂入りを果たした。 新日本参戦時に新日本とWWEが提携していたことから、WWEマット参戦を口にしていたブロディだが、結局実現せずに終わっていただけに、今回の殿堂入りは日本のファンにとってもうれしいニュースだろう。 また新間氏は、2010年のアントニオ猪木氏、2015年の藤波辰爾、2017年の力道山(故人)、2018年のヒロ・マツダ(故人)に続き、日本人5人目の殿堂入りとなった。 「猪木の片腕」として知られる新間氏は新日本時代、営業本部長としてテレビ朝日との関係を強化。さらにWWE、UWA、カナダのスタンピード・レスリング、ヨーロッパマットとも太いパイプを持ち、当時ジャイアント馬場(故人)率いる全日本プロレスに参画し、世界最高峰だったNWAに対抗する象徴としてIWGPを開催している。猪木氏とプロボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリ(故人)の異種格闘技戦や、いわゆるタイガーマスクのブームは新間氏が仕かけたものだ。 現在のビンス・マクマホンの父親と蜜月関係にあったことから、WWEとは家族ぐるみの付き合いで、WWEの副会長にも就いた。新間氏が新日本を退社し、第1次UWFを設立しても副会長の肩書はしばらく継続していた。そのため、第1次UWFでは新日本にも存在したWWEインターナショナルヘビー級王座をWWEマットで新設し、前田日明が初代王者になるという珍事が起こっている。 新間氏は初代タイガーマスクの殿堂入りを推していたが、自身が先に殿堂入りする形となった。文 / どら増田写真 / ©2019 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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スポーツ 2019年04月03日 22時30分
新日本がマイケル・エルガンと金光輝明の退団を発表。エルガンは世界で争奪戦か?
新日本プロレスは所属選手だったマイケル・エルガンと、金光輝明との契約が3月31日で終了したと発表した。 エルガンは2015年7月に新日本プロレス『G1クライマックス25』で初来日して以降、パワフルなファイトと愛嬌あるキャラクターでファンに愛される存在に。棚橋弘至とタッグを結成するなど、新日本本隊の助っ人外国人選手として活躍した。2016年3月3日には、新日本プロレスと複数年契約を結んだことを大田区大会のリング上で発表し、新日本へ入団。ヘビー級の強豪外国人選手として、数々の選手と好勝負を繰り広げた。 同年6月にはケニー・オメガからIWGPインターコンチネンタル王座を奪取。かつて新日本マットで大暴れしたクラッシャー・バンバン・ビガロや、スコット・ノートンを彷彿とさせるパワーでファンの度肝を抜いた。ちなみに翌年1月の東京ドーム大会では、時間差バトルロイヤルでノートンと同じリングに立っている。 エルガンは新日本との話し合いの末、新日本を退団することとなったという。最後に参戦した『ニュージャパンカップ2019』では1回戦でオカダ・カズチカに激闘の末敗退している。フリーとなったエルガンを世界の団体は放っておくわけもなく、WWEやAEWなど複数の団体が争奪戦を繰り広げるとみられる。新日本で肉体改造に成功し、テクニックにも磨きをかけたエルガンの次なるステージに期待したい。 また本格復帰へ向けて治療やリハビリに専念していた金光も退団という運びとなった。金光は大学時代に、アマレスリングのグレコローマンスタイルの全国大会で活躍した実績を持つ。2014年12月、新日本の入門テストを受けて合格。翌年、大学卒業とともに入団した。2016年1月3日に行われたディファ有明大会(大プロレス祭り)で、田中翔(現SHO)を相手にデビュー。端正な顔立ちで人気を集めていたが、同年11月に頚椎を損傷、長期欠場を余儀なくされた。昨年12月に復帰戦を行ったものの、本格復帰はかなわなかった。 金光は「今まで応援してくださったファンの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。ただこういう形で終わりを告げるのは自分としては不甲斐なく、申し訳ないというのが正直な気持ちです。これからは無期限武者修行という気持ちで、新日本プロレスの名に恥じぬよう別の道を歩み、精進致します。今後とも応援よろしくお願い致します」とコメント。今後は別の道を進むと明らかにしている。文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年04月03日 20時30分
「MSGのリングに立って何を感じるか?」藤波辰爾が新日本の後輩達に熱いエール!
新日本プロレス初となるマディソン・スクエア・ガーデン会(MSG=アメリカ・ニューヨーク、日本時間7日)まで、1週間を切った。日本の団体が世界最大のプロレス団体WWEのホーム・MSGで興行を行うというのは、5年前までは考えられなかったこと。80年代、90年代からのファンにとっては、今でも考えられないぐらいだろう。しかし今のファンからは「アメリカでやるならいつも通り、両国(国技館)でやってほしかった」という声が少なくない。 新日本は毎年4月に両国でビッグマッチを開催しており、「4月の両国は“何か”が起こる」と人気が高かった。このように今のファンには「MSG」というワード自体がイマイチピンと来ていないようだ。 前シリーズ『ニュージャパンカップ2019』では、棚橋弘至が2回戦で田口隆祐をドラゴンスープレックスで勝利を収める場面があった。 試合後、棚橋は「決まり手は、ドラゴンスープレックス。マディソン・スクエア・ガーデンの歴史を勉強して、藤波辰爾選手が初めてドラゴンスープレックスを出した場所。それから何十年経って、ドラゴンスープレックスで帰るのも粋だなと。“カムバック・サーモン”ってあるじゃないですか。海に出た鮭が戻ってくる。“カムバック・ドラゴン”!」とコメントしている。 新日本のOB、藤波辰爾は1978年1月23日にMSGで、カルロス・ホセ・エストラーダが保持するWWWF(WWE)ジュニアヘビー級王座に挑戦。初披露のドラゴンスープレックスで王座を奪取し、その後スター街道を歩み始めた。棚橋はこれを意識したと明かしたのだ。ちなみにこの試合は、来年1月に引退を表明している獣神サンダー・ライガーがプロレスラーを志すきっかけになった試合でもある。 MSGとはどんな会場なのか?新日本が初進出する感想も含めて藤波に聞いてみた。 「新日本がMSGでやるというのは大きい。日本の歴史を塗り替えていく。新日本が世界にMSGから発信する。あそこに立つのは夢ですからね。(後輩たちが)それを経験できるのは素晴らしいこと」 藤波が新日本を離れてから13年の月日が経つが、現在でも「新日本の試合はテレビで見ている」そう。新日本がMSGに進出するという話になると、まるで自分のことのようにうれしそうな表情を見せていた。 藤波は「あそこで何を感じるか。レスラーとしての質が問われるところ。『何だ、東京ドームの方が大きいじゃない』と思うか?何かを感じるか?そこは問われると思う。MSGというのはマンハッタンのど真ん中にあって、歌手のレディー・ガガもMSGに立つのが夢だったと話していた。アメリカの真ん中に自分が立ってるんだと、すごく感じるものがあったし、あの経験があったからWWEの殿堂入りもできた」と振り返る。 「俺はニューヨークのジェイ・スタジアムでもやってるから、初めて東京ドームでやった時にも特に驚かなかったんだけど、やっぱMSGは特別なところ」と強調。「チケットも売れたというし、新日本の選手も大きな自信と経験になるんじゃないかな。伝統ある会場だから、何かを感じてくれたらいいよね」そう藤波は選手に呼びかけた。 藤波は軽量級部門のパイオニアとして活躍。NWA世界ヘビー級王座を獲得したことなどが評価され、2015年にWWE殿堂入りを果たしている。26日には自身が主宰する団体ドラディションの後楽園ホール大会で、新日本からライガーを招聘し、越中詩郎とトリオを結成するなど、今でも健在だ。藤波は新日本の後輩たちに「何かを感じてほしい」「自信と経験になる」と熱いエールを送った。 MSGでスターダムにのし上がった藤波の言葉には説得力がある。新日本の選手が、MSGで何を感じるのか?それは日本に“凱旋”した時に分かるはずだ。新日本のMSG大会はリアルタイムで世界配信される他、7日の朝8時30分からCSのテレ朝チャンネル2で生中継される。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年04月02日 22時30分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「大木金太郎」“韓国の猛虎”波瀾万丈の頭突き人生
頭突きを武器に日韓で活躍した大木金太郎(キム・イル)。日本プロレスや国際プロレスのエースとしては成功しなかったが、再評価されてしかるべきレスラーの1人であろう。※ ※ ※ 1960年代あたりまでの生まれなら、頭突きのことを「チョーパン」と呼んだ記憶があるのではないか。 朝鮮パンチを略してチョーパン。今となっては真偽は不明だが、朝鮮学校のヤンチャな学生がケンカの際に頭突きを得意としたことで、この呼び名が広まっていったといわれている。 朝鮮半島出身者=頭突きというイメージは、かなり古くからあったようで、大木金太郎は’59年、日本プロレスに入門すると、力道山から直々に「おまえは韓国人だから頭を鍛えなさい」と言われ、以降、それを得意技とするようになった。 頭を鍛えるといっても筋トレでどうにかなるものでなし、ただひたすら額を壁や柱に叩きつけるのみ。頭突きの威力を高めるのと同時に、「自分が痛みに耐えられるようになる」ための特訓を積み重ねた。 そうするうちに、鉄柱に額からぶつかっていっても平気になったというのだから、常人には想像を絶するものがある。 「大木は後年、交通事故に遭ってそのとき頭蓋骨に食い込んだガラス片は手術でも取り除けず、以後は頭突きをするたびに流血するようになりました。さすがに大木自身も痛かったでしょうが、それでも頭突きを続けられたのは若い頃からの特訓のたまものでしょう」(プロレスライター) そうした頭突き一筋のスタイルを支えたのが、大木の信念とド根性だ。 力道山を尊崇し、日本に密入国したのはすでに30歳を間近に控えた頃で、日プロ入門後に20歳そこそこの馬場正平(ジャイアント馬場)やまだ10代だった猪木寛至(アントニオ猪木)とともに「若手三羽烏」としてしごかれたことは、肉体的にも相当な負担であったことだろう。それを耐え抜いた大木の精神力は並大抵のものではない。 力道山の死後には二代目力道山襲名の話も持ち上がったが、これを提案した豊登の失脚により立ち消えとなる。目標を失った大木は、韓国へ帰国して大韓プロレスを旗揚げし、一定の成功を収めたが、運命は大木の安定を許さなかった。 アントニオ猪木の東京プロレスへの参加により、日プロの選手層が薄くなったことで、その代役として大木が呼び戻されたものの、猪木の復帰により三番手以下に格下げられる。その後、猪木と馬場が立て続けに退団したことで、ようやくエースの座が巡ってきたが、頭突き一辺倒の試合ぶりは馬場や猪木に比べると華に欠け、ついには団体崩壊となる。 行き場を失った大木は、なし崩し的に全日本プロレスに入団するが、冷遇を不服として退団。ちょうどその頃に、国際プロレスを退団したストロング小林が猪木と名勝負を繰り広げたのを受けて、大木はターゲットを猪木に定める。★猪木と因縁対決激闘の末の涙! 大木はまず内容証明郵便で挑戦状を送りつけるが、当初、猪木はこれを無視することになる。 「これは猪木というよりも、日プロから新日本プロレスへ参加した坂口征二の意向によるもの。坂口にしてみれば日プロ崩壊直前、新日との合併話に猛反対して潰した大木が、何を今さらというわけです」(同) 猪木としても同じ釜の飯を食った先輩とでは、やりづらさはあっただろうし、後のない大木が何をやってくるか分からないという怖さもあったろう。 しかし、大木は猪木の自宅や宿泊先のホテルにまで押しかけて対戦を直訴。結局、猪木が根負けする格好で試合が組まれたが、大木は「勝利ではなく頭突きで猪木を破壊することが目的」と豪語した。 「ガチとアングルが微妙に混じり合った、のちの小川直也vs橋本真也みたいな状況だったようです」(同) 試合当日、大木は必殺の「原爆頭突き」に懸ける思いから、キノコ雲の絵柄をあしらったガウンで入場。猪木が徹底してこれを封じ込めようとする緊張感あふれる攻防が続く中、ついに頭突きが炸裂する。 防戦一方となり「猪木危うし」の空気が流れるが、中腰で立ち上がった猪木は「もっと打ってこい」と挑発のポーズをとってみせた。 「そのとき額からツーッと一筋の血が流れたのは、プロレス史上屈指の名場面。猪木のものまねで『来い! コノヤロー』とやるのは、これが元ネタです」(同) 大木は挑発に応じて頭突きを連発するが、これを耐え続ける猪木の形相に一瞬ひるんだところに、猪木のナックルパートが炸裂。乱打戦の中、バックドロップを決めた猪木が勝利を収め、激闘に感極まった両者は抱き合って涙を流した。 以後も大木は坂口との因縁マッチなどで、新日に活況をもたらすことになる。これに焦った馬場が、大木を全日に引き抜いたことで抗争は終結したが、それがなければ日本における大木の立ち位置は、また異なっていたに違いない。大木金太郎***************************************PROFILE●1929年2月24日〜2006年10月26日。大韓民国(日本統治時代の朝鮮)出身。身長185㎝、体重120㎏。得意技/頭突き。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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