プロレスが価値のない低い地位のもので終わるなら、私が育った新日本プロレスは全くあてはまらない。残念ながら現在のプロレスは、オーセンティックも内容も高いとはいえない。これでは落ちる一方である。
力道山対デストロイヤー、アントニオ猪木対ビル・ロビンソン、国民的レベルの闘いは、日本中がかたずをのんで見守った。今は進化したプロレス? とんでもない!
格闘の何かも知らずに観客にこび、技術や勝負以外で特別視してもらおうとする根性、本道から外れた自爆行為に他ならない。レスラーとして観客に支持されるにはどうする? プロであるなら当然考えることだろう。
野球のバッターなら、打率3割以上、ホームランを30本越える技術を高めようとするだろう。他のパフォーマンスも観客に喜ばれる要因になろう。
パフォーマンス? 選手は個人で観客の拍手喝采(かっさい)を浴びるため、ヒールでない者も馬鹿面さげて、簡単にマイクや態度でパフォーマンスをする。観客も「オーいいぞ!」とウケる。
しかし、これではオーセンティックに逆行しているのだ。観客は馬鹿ではない。ただ、その時は乗りたいだけなのだ。観客に受けるサービス? プロレスラーが熱い乗りだけを考えるなら、ショー丸出し、幼稚丸出しで、プロスポーツとしての価値観はあるはずもない。
確かに、そのときのノリを求める観客の心理はわかる。しかし、プロレス本来のファンは、地位を求めるのだ。
もし、アントニオ猪木会長なら、ぶん殴っているだろう。小さな小屋でアングラ的ショーを見るレベルでしかない今のプロレス、決して進化などではない。このままではどんどん衰退してしまうだけである。
意味のない派手な技やパフォーマンス。その場の受けは、将来の自爆につながる。一体誰が気づくのだろうか? 受けたいなら質で納得させなさい。
質は最高のパフォーマンスである。セメントとショーのバランス、そんな団体があったら天下を取るはずだ。