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RIZIN榊原信行実行委員長、ミルコ・クロコップの引退表明を受け詳細を発表

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RIZIN榊原信行実行委員長

 2日に事実上の引退を表明したクロアチアの総合格闘家ミルコ・クロコップ。先月の25日、トレーニング中に倒れ脳卒中と診断されたことを自身のインスタグラムで明かし「これまで何度もこれが最後だと言いながらも復帰してきたが、これが本当の終わり」とし、「私の顔は麻痺や変形することがなかったが、3ヶ月後に回復して、トレーニングを続けたとしても、再び頭に衝撃を受けることはできない。これが現状です。非常に厳しいことだと受け止めている。いままで支えてくれた方々に感謝したい」と述べた。

 本来であれば昨年の大晦日に日本で引退を予定していたが、ミルコが怪我をした関係で引退ロードを1年間先送りにしていた。今回の発表を受けて、日本で最後に主戦場としていた総合格闘技イベントRIZINの榊原信行実行委員長が自身のツイッターで、詳細を説明している。

 「今週月曜から次戦に向け軽いトレーニング再開したところ頭痛が続き病院でMRI含め精密検査を受けました。診断の結果、脳内血管から微量の出血痕が確認され、正式に医師から引退勧告を受け、引退決意したとのことです」

 最後の試合は今年2月16日。『Bellator 216: MVP vs. Dale』で行われたロイ・ネルソン戦で3-0の判定勝ち。日本最後の試合は昨年9月30日で、『RIZIN.13』のロッキー・マルティネス戦。圧巻のTKO勝ちを収めている。

 ミルコといえばK-1ファイターだった2001年8月、猪木軍の藤田和之がタックルに行ったところを膝でカットし、藤田を大流血させたところから、総合格闘家としての才能が開花したと言ってもいいだろう。

 PRIDEで行われた高田延彦戦は高田が何もできないままのドローだったが、同年大晦日には、新日本プロレスの永田裕志をKO。プロレスハンターとして、誰がミルコを止めるのか?とプロレスファンからも注目されるようになった。その後も桜庭和志、藤田との再戦で完勝しており、結果的にミルコに“負けなかった”プロレスラーは高田だけとなった。

 2003年からはPRIDEに本格参戦。エメリヤーエンコ・ヒョードル、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとともにPRIDEの黄金時代を築いた。2006年、アメリカUFCに移籍。その間、PRIDEは消滅してしまうが、後継イベントであるDREAMで日本マットに復帰。2008年の大晦日にはハッスルに“公認凶器”としてサプライズ登場。クロダーマンをフロントスープレックスで投げ、キンターマンを右ハイキックで沈め、Dynamaite!!でチェ・ホンマン戦とダブルヘッダーもこなした。その後はUFCへの復帰を繰り返しながら、日本では古巣のK-1に復帰した他、猪木ルートでIGFにも参戦。石井慧を破りIGF王者を獲得している。

 2015年に肩の負傷を理由に引退を表明したが、2016年RIZINのオファーを受けて来日。引退を撤回し、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメントに出場。見事、優勝を果たしている。

 昨年5月に左足前十字靭帯を損傷し、7月大会を欠場。昨年末の引退試合を1年間スライドさせると榊原委員長が明らかにしていた。9月大会で復帰を果たしたがこれが日本ラストマッチになった。今でも根強い人気を誇るだけに残念だ。まずは治療に専念し、元気になったら日本格闘技界の功労者として、日本で引退セレモニーを行ってもらいたい。

文 / どら増田
写真 / 山内猛

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