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プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ザ・シーク」老いてなお盛んな“アラビアの怪人”

 一口に悪役レスラーといっても、ラフファイターか反則中心の選手かに二分される。後者の代表的な選手であるザ・シークは、漫画『プロレススーパースター列伝』などから“小悪党”の印象を持つファンも多いが、さて、その実相は?
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 ザ・シークの初来日は1972年の日本プロレス。当時のエース、坂口征二の持つUN王座に挑み、これを奪取している。翌日のリターンマッチに敗れて王座を返す格好にはなったが、参加はこの2戦のみというNWA王者ばりのVIP待遇であった。

 '73年には初代王者のジャイアント馬場が持つPWF世界ヘビー級王座に、初防衛戦の相手として挑むため全日本プロレスに参戦。このときも日プロのときと同じく、2試合のみの特別参戦であった。

 この頃、シークはすでに40歳を超えていたが、それでこの特別扱いはいかに大物であったかの証拠と言えるだろう。

 アブドーラ・ザ・ブッチャーと組んだ史上最凶悪コンビの印象が強いが、この2人が'77年の世界オープンタッグ選手権で、ザ・ファンクスと伝説の大流血戦を繰り広げたとき、シークは51歳であった。

 ちなみに、このときブッチャーは36歳(41歳説もあり)、ドリー・ファンク・ジュニアも同じく36歳、テリー・ファンクは33歳で、シークだけがひと回り以上も年上だったわけである。
「最凶悪コンビではブッチャーばかりが目立っていた感もあり、シークについては“反則しかできないロートル”ぐらいに思っていた人もいるでしょう。しかし、年齢を考えればそれも仕方ありません。脂の乗りきった全盛期のブッチャーと、すでに峠を越えたシークだったわけですから」(プロレスライター)

 それでいて'79年あたりからは、ブッチャーと仲間割れ抗争を繰り広げるなど、シークは50代半ばになってもなおプロレス界の第一線で活躍している。

 参考までに、日本人レスラーの50代半ばがどうであったかというと、馬場はファミリー軍団として悪役商会を相手に、前座で明るく楽しいプロレスに専念。アントニオ猪木は55歳で引退。長州力のWJが実質崩壊となったのは、52〜53歳あたりのことであった。

 あらためて経歴を見直すと、シークは初来日のときにデビューから20年以上のキャリアを持つ大ベテランであり、言い換えればほとんどの日本のファンは、シークの全盛期を知らないということにもなる。

★デビュー5年でNWA王座挑戦

 アメリカのミシガン州でレバノンからの移民の家に生まれたシークは、17歳のときに陸軍へ入隊。第二次世界大戦に出征し、除隊後の'50年にスカウトを受けてプロレス界入りを果たした。

 時期的にはイスラエル独立に伴う第一次中東戦争が停戦となった直後であり、シークがデビュー当初からアラビア人ギミックを採用したのは、そうした影響もあってのことだろう。なおシークとはアラビア語で首長や長老、賢人などを意味する言葉である。

 デビュー5年目にはルー・テーズのNWA王座に挑戦しており、その後もディック・ザ・ブルーザーやドン・レオ・ジョナサン、バーン・ガニアといったビッグネームたちとの対戦記録が残っている。

 アラブ文化を象徴する、輪っかで留めた薄布の頭巾(クーフィーヤ)をかぶり、侍女をはべらせるなどのアラブ王族スタイルは、この時期にシークが始めたものであった。

 頂点であるNWA世界王座の戴冠こそなかったが、これに準ずる各地区のトップタイトルを数多く獲得していることからも、そのヒール人気は全米トップクラスであったことがうかがえる。

 のちにその代名詞となるデトロイト地区の興行権を取得したのは、'64年のことである。
「アラブ王族のギミックと『プロレススーパースター列伝』の印象から、金に物を言わせて権力を欲しいままにしたと思っているファンもいるでしょうが、自ら稼いだファイトマネーで興行権を買い取ったというのが実際のところ。新日本プロレス参戦時に同地区で選手引き抜きのクーデターが勃発したため、シリーズ途中で緊急帰国したように、決して絶対的なボスというわけでもなかった」(同)

 もしもシークが裏の顔役であったならば、そもそも自らリングに上がる必要はなく、それで血みどろの流血戦などを道楽にしては度がすぎる。

 80年代頃から本拠地デトロイトが不況に見舞われ、興行打ち切りに追い込まれると、シークはフリーとして各地を転戦し、同時に実の甥であるサブゥーをはじめとした後進の育成も手掛けるようになる。

 90年代に入ってからはFMWへ来日参戦。大仁田厚とのファイアーデスマッチでは、あまりの火勢にリング上が酸欠状態となり、他の選手たちが逃げ出しても最後までリング上に残っていたシーク。ギミックではなく、本当に救急車で病院に搬送されるほどギリギリの戦いを見せたのだった。

 還暦をすぎてなお、それほどの過激マッチに挑むとは、よほどのイカレポンチか心底からのプロレス好きかに違いなく、それこそがシークの真の姿だったのかもしれない。

ザ・シーク
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PROFILE●1926年6月9日〜2003年1月18日。アメリカ合衆国ミシガン州出身。
身長183㎝、体重110㎏。得意技/火炎攻撃、凶器攻撃、キャメルクラッチ。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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