スポーツ
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スポーツ 2015年07月01日 14時00分
横浜DeNA“ハッカー集団”の暗躍でペナント巻き返し
やはり、ベイスターズは馬群に沈むテレビ馬だったのか−−。交流戦終盤の連敗はペナント再開後の広島戦でも止まらず、首位陥落どころか最下位がすぐそこまで迫っている。 “名将”から一転、中畑清監督の評価は大暴落。ところが、球団首脳は「7月の再浮上」に揺るぎない自信を持っているという。それを如実に物語っていたのが、6月20日に都内で開かれた横浜DeNAベイスターズの親会社ディー・エヌ・エーの定時株式総会。株主から「地域貢献」を問われた南場智子オーナーはこう答えた。 「スタジアムのプレーで横浜を盛り上げていくのが一番。連敗していて心配を掛けているが、まだシーズンは半分も終わっていない。応援をお願いします」 詫びるどころか、DeNAのペナント制覇に自信を隠さなかった。南場オーナーは“強いのか弱いのか”正体不明のこのチームの全体像を掌握しているのだ。 交流戦前までは29勝19敗(貯金10)、巨人に2差をつけての首位。ところがパ相手の交流戦では3勝14敗1分け(借金11)の12位。ベイスターズの自滅でセの首位に浮上した巨人も、交流戦では7勝11敗の11位だった。これをパとセの実力の差と決めつけるのは早計。DeNA球団関係者は「パとセのスパイ能力の差」と一刀両断する。 コーチが相手選手の癖を盗むなどの勘に頼る手法はもはや過去の遺物。ベンチとは別チームの精鋭部隊がパソコンを駆使してあらゆる情報を入手、それをリアルタイムに選手にフィードバックするのが現代流で、まさにこれこそが“パ・リーグ流”。DeNAもソフトバンクや楽天に倣って選手個々の能力を数値化し、クラウドシステムで情報を一元管理する『ミナト・システム』を開発。相手、自軍の選手の状態、得手不得手を数値化した。序盤の快進撃はこれが奏功しての首位だった。 中畑監督は選手を鼓舞するのが役目で、実質采配はコンピューターが振るっていた。大本営はベンチではなく、横浜スタジアムに設けられたチーム戦略ルーム。ここに足を運べば、欲しい情報がすぐさまテレビ画面に登場。この様子は6月17日に放送されたNHK『クローズアップ現代』でも紹介された。 しかし、この『ミナト・システム』にはパ球団の詳細な情報は入っておらず、今回の交流戦では全く歯が立たなかった。これが連敗の原因で、リーグ戦に戻ればまた状況は変わってくる。 現在、DeNAのエンジニアたちがリーグ戦再開に合わせて最新の情報をインプット中。アップデートされたコンピューターが再起動することで、DeNAの7月反攻がリスタートすることになる。
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スポーツ 2015年07月01日 12時00分
【甦るリング】第13回・報道陣も恐れるほどヒールに徹したタイガー・ジェット・シン
プロレスは勧善懲悪の方が分かりやすい。ベビーフェイス(善玉)が光るためには、究極のヒール(悪役)が必要だ。日本ではタイガー・ジェット・シン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シークが外国人の3大ヒールとして、伝説に残っているが、なかでも、シンは特別な存在だった。 ヒールといっても、それはリング上でのことであり、リングを下りたら話は別。ヒールをやっている選手ほど、ふだんは温厚な人物であることが多かったりするのだが、シンの場合はちょっと事情が違った。シンはリング上だけではなく、ヒールを貫くため、報道陣の前でも徹底的に悪役に徹していたのだ。試合後、マスコミはシンの後を追って、バックステージへ向かうのだが、シンはリング同様、サーベル片手に報道陣を追い掛けてくるのだから怖いのなんの!なかには、シンに手を出されるマスコミもいたほど。それが、ヒールに徹するシンのやり方だと分かっていても、それでも怖かったのだ。 日本では全く無名だったシンは、新日本プロレス、そしてアントニオ猪木が育てたといっていい選手だ。ジャイアント馬場の米国修行時代の師匠だったフレッド・アトキンスから、正統派レスリングの手ほどきを受けたシンは、1960年代後半から、カナダ・トロントでベビーフェイスとして活躍していた。豪州遠征で知り合ったスティーブ・リッカードの紹介で、73年5月に初来日。観客席に座っていたシンは、試合中の山本小鉄を襲撃し、これをきっかけに、新日本のリングに上がるようになる。 当時、旗揚げ間もない新日本は、オポジションの全日本プロレス、国際プロレスのように、大物外国人選手を招へいすることができなかった。だが、シンという究極のヒールの誕生で、流れが変わった。猪木とシンの抗争はヒートアップ。同年11月には、夫人(倍賞美津子)とともに買い物中だった猪木を、新宿伊勢丹前の路上でシンが襲撃。警察沙汰になる事件が起きた。猪木は「リングで制裁する」との理由で被害届は出さなかった。結局、新日本への厳重注意で収まり、ことなきを得たが、プライベートで猪木を襲ったシンの悪名はまたたく間にとどろいた。両者の遺恨は深くなり、74年6月の対戦では、猪木がシンの腕を折る事態にまで発展した。 75年3月には、シンは猪木を破って、NWFヘビー級王座を奪取するなど、新日本のトップ外国人として君臨した。しかし、スタン・ハンセンの登場で、その立場は微妙なものになっていく。81年に入ると、新日本と全日本の仁義なき引き抜き戦争がぼっ発。同年5月に新日本が全日本のトップヒールだったブッチャーを引き抜くと、同年7月、全日本は報復としてシンを引き抜いた。シンは上田馬之助とのタッグで暴れ回り、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田からインタータッグ王座を奪取したこともあった。 ただ、シンの全日本移籍直後の同年12月にはハンセンも全日本に移籍。リング上の闘いはハンセン、ブルーザー・ブロディ、ドリー・ファンク・ジュニアとテリー・ファンクのザ・ファンクスらがメーンとなることが多く、シンの影は薄かった。88年には全日本に出戻ったブッチャーと凶悪タッグを結成するも、主役に躍り出ることはなかった。 全日本での役目を終えたシンは、90年9月、9年ぶりに新日本に復帰。猪木のデビュー30周年記念イベントで、恩讐を超え、猪木と一夜限りのタッグを結成した。その後も、新日本に参戦し続けたが、猪木より下の世代との対戦は大きなムーブメントとはならず、フェードアウトしていった。 新日本を去ったシンに触手を伸ばしたのは、新興団体FMWの大仁田厚だった。大仁田は関ヶ原(ノーピープル)、横浜スタジアムで2度、シンと電流爆破デスマッチを行うなど、シンの再生に成功した。その後、第2次NOWを経て、IWAジャパンに参戦。IWAではVIP待遇の扱いを受け、ベビーフェイスの役回りを与えられ、グッズ売店でサイン会を行ったりもした。昔とはファンの気質も変化しており、ファンもベビーフェイスのシンを歓迎。ただ、ファイトスタイルが変わることはなく、バックステージで報道陣を追い掛けるのは相変わらずだった。 晩年には、エンターテインメントプロレス団体ハッスルに参戦。小川直也、曙、ボブ・サップらとも対戦。ブッチャーとタッグを組んだり、一騎打ちを行うなどした。09年10月、同団体は活動を休止。シンが日本でファイトしたのは、これが最後となった。 自宅のあるカナダ・トロントに戻れば、シンは実業家、慈善事業家として有名な地元の名士であり。そこでは、ヒールとしての顔はなく、私生活では紳士として通っている。とはいえ、シンは日本のファンにとって、永遠にヒールであり、報道陣にとっては、限りなく“怖い”存在だった。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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スポーツ 2015年06月30日 14時00分
巨人・原監督が禁断の広島・黒田潰し采配で首位固め(2)
また、緒方カープの球宴明けの日程が興味深い。球宴が天候の影響を受けなかった場合、広島は第2戦翌日の19日を空けて、マツダスタジアムで続けて試合が組まれている。最初のカードは中日戦で、次は巨人戦。黒田の使い方に“小細工”を施せば、球宴明け後半の登板日が変わる…。 「黒田は5月15日から計5回先発していますが、『中6日』の登板間隔を守っていました。それが復帰最多となる8回を投げた6月12日の後は、『中6日』で出てきませんでした。7月から8月はどの先発投手も疲れてきます。黒田の場合、長いイニングを投げた疲れはもちろんですが、蓄積疲労も少し早く出たようですね」(在阪球団スコアラー) 緒方孝市監督は、黒田を先発ローテーションから1度外したわけだ。 「球宴までの1カ月は無理をさせず、後半戦に備えさせるつもり」(前出・記者) 広島浮上のカギを握っているのは、黒田と前田健太(27)だ。優勝候補の筆頭に挙げられながらも、緒方監督が開幕ダッシュに失敗した理由は打線の低迷だが、「昨季本塁打王のエルドレッドが復帰し、シアーホルツも日本の投手に慣れてきた」(球界関係者)との評価も聞かれる。「立て直すべきは、むしろ投手陣の方」なる声もある。 「緒方監督は最終的に、大瀬良大地をクローザーに回すつもりです。防御率2点台の先発投手は黒田、前田とジョンソン。中継ぎ投手が弱いので、彼らは長いイニングを無理やり投げようとしている。その反動が出そう」(前出・スコアラー) 球宴で投げた投手は、その次は「中2日」で出てくるのが“慣例”だ。原監督が黒田を球宴第2戦(18日)に回せば、中2日で、最初のカードの中日第2戦(21日)に出てくる計算。 しかし、第1戦に投げさせると、巨人にすればブミキさが増す。というのも、緒方構想では、「黒田をメジャー時代と同じ中5日で投げさせ、7回以降は救援投手に託す」やり方に変更したいと思っている。メジャー時代の中5日が体に染みついており、疲れもたまらないとみているからだ。第1戦に投げさせると、球宴明け初戦の20日中日戦、そこから中5日を計算すると、次の巨人3連戦の3試合目(26日)に黒田が出てくる。 緒方監督にすれば、本拠地6連戦を勝ち越し、上位浮上といきたいところ。それを原監督が阻止するには、やはり黒田を球宴第2戦まで温存すべきなのだ。 「前田も第2戦に温存するのでは? 前田も中日戦に回れば、2人とも巨人戦には投げません」(関係者) 緒方監督はコーチで球宴ベンチに入るが、采配の権限はない。全ては原監督の手中にあるというわけだ。
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スポーツ 2015年06月30日 12時00分
【記憶に残るプロ野球選手】第11回・“野球界の一発屋”1年で燃え尽きた剛速球投手・与田剛
お笑いの世界では、“一発屋”と呼ばれる芸人が数多く存在するが、野球界でも、“一発屋”といえるような選手がいる。その代表的な選手が、剛速球で鳴らした与田剛(49)ではなかろうか。ここでいう一発屋”とは、悪い意味ではなく、それだけブレイクした時のインパクトが強かったとの意味である。 千葉・木更津中央高校を経て、亜細亜大学に進学した与田は、故障がちで大学ではふるわず。NTT東京入りして、頭角を現すと、1989年のドラフト1位で指名され、中日ドラゴンズに入団。デビュー戦は90年4月7日の横浜大洋との開幕戦。同点の場面の延長11回表無死一、三塁の絶体絶命のピンチでリリーフ登板した与田は、2つの三振を含め、無失点に抑えて鮮烈なデビューを飾った。 そりゃもう与田の球は速かった! その後、新人ながら、クローザーとして起用された与田は、6月には月間MVPを獲得。オールスター戦にもファン投票で選ばれた。8月15日の広島戦では、当時日本最速となる157キロを記録した。後半戦になっても、与田の勢いは衰えず。シーズンを通して、50試合に登板(救援は48試合)。88回1/3を投げ、4勝5敗31セーブ、防御率3.26をマークした。同年、与田は新人王、最優秀救援投手のタイトルを獲得し、最高の年となった。この年にマークした新人での8戦連続セーブは当時の日本記録。今季、亜細亜大の後輩でもある山崎康晃(DeNA)が、この記録を塗り替えたが、25年間、誰も破れなかった偉大な勲章だった。 だが、登板過多の影響から、2年目(91年)は29試合の登板で、0勝3敗2セーブと不振だった。3年目(92年)は41試合に登板し、2勝5敗23セーブの成績を収めて、復活の兆しを見せた。ところが、4年目(93年)に右ヒジを痛め、わずか15試合の登板(1勝3敗3セーブ)に終わると、与田の辛い故障との闘いが始まる。 右ヒジの痛みはなかなか癒えることはなく、94年は7試合、95年は5試合投げたのみ。96年にはルーキーイヤーに監督だった星野仙一が、5年ぶりに監督復帰。与田は1軍での登板が1度もないまま、シーズン途中に、ギャオスこと内藤尚行との交換トレードでロッテに放出される。移籍後、米2Aのメンフィス・チックスに野球留学したが、同年、97年と1軍登板がないまま、ロッテから自由契約となる。 98年は日本ハムにテスト入団したが、キャンプ中に右ヒジを痛め、同年4月、遊離軟骨除去手術を受ける。その影響で、この年も登板できず。翌99年も2軍暮らしが続いたが、10月のシーズン最終戦で4年ぶりに1軍登板し、1回を投げたが、オフに戦力外となる。 あきらめきれない与田は、阪神にテスト入団し、野村克也監督(当時)から期待もかけられたが、同年も故障のため、1軍での登板機会はなく、オフに引退を決断した。プロ通算11年で残した成績は、148試合登板、8勝19敗59セーブ、防御率4.58。つまり、生涯登板の3分の1を1年目に投げたことになる。トレードされた96年以降、5年間で1軍登板は1試合だけだった。 引退後は、NHKの野球解説者となり、09年4月から2年間、NHK「サンデースポーツ」のMCを務めた。WBCでは、09年の第2回大会、13年の第3回大会で、ともに日本代表の投手コーチに招へいされた。01年から、社会人野球のクラブチーム、サウザンリーフ市原の投手コーチを務めているが、まだNPBでの指導歴はない。故障で苦しんだ与田だけに、故障者の気持ちはよく分かるだろう。それだけに、1度はNPBでコーチングするチャンスを、どこかのチームが与えてほしいものだ。 私生活では、ダンディなルックスで、モテ男。92年には、当時TBSの人気女子アナだった木場弘子アナと結婚している。まさに、ケガとの闘いの日々だった与田。それでも、ルーキーイヤーのインパクトは今なお鮮烈で、与田もまたレジェンドのひとりであることに違いはない。(ミカエル・コバタ=毎週火曜日に掲載)
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スポーツ 2015年06月29日 14時00分
巨人・原監督が禁断の広島・黒田潰し采配で首位固め(1)
巨人・原辰徳監督が“禁断の采配”に打って出る!? 11年目の交流戦はまたもや、セ・リーグの完敗だった(44勝61敗3分け)。セで勝ち越したのは10勝8敗の阪神だけで、首位争いを演じていた巨人と横浜DeNAは仲良く11、12位というブザマさ。その結果、ペナントレースはさらに混戦を深めた。 「交流戦を苦手としていた広島が9勝9敗の5割で乗り切ったのは大きい。昨季は開幕ダッシュに成功しても、交流戦で負け越してしまい、結果、巨人に優勝をさらわれました。徐々にだが、広島が本来のスタイルを取り戻しつつある」(スポーツライター・飯山満氏) 広島は「借金5」の5位だが、首位巨人との差はわずか3ゲーム(22日時点)。直接対決で叩けば、一気に首位戦線に浮上できるところまで盛り返した。 「原監督も広島カープを意識しつつあります。先発ローテーションによる巡り合わせとはいえ、黒田との対決が一度もないセ球団は、巨人だけなので」(スポーツ紙記者) 黒田博樹(40)はここまで6勝を挙げ、ハーラー2位タイ。防御率も2.61の好成績を残している。 その黒田とまだ直接対決のないブキミさが、巨人を精神的に追い詰めているようだ。しかし、黒田対策として、“禁断の采配”があった。原監督は昨季のリーグ優勝指揮官として、オールスターゲームの采配を振るう。原監督次第で、黒田のローテーションをいくらでも狂わすことができるのだ。 話は1カ月ほど前にさかのぼる。NPBは球宴の投票などを説明するPRイベントを開催(5月14日)。そこで雛壇に上がった原監督はパ・リーグの指揮を執る工藤公康監督と“舌戦”を繰り広げたが、気持ちが高揚したのか黒田を指して、意味シンなセリフを残している。 「(黒田が)投げるのは自分も楽しみ。監督としての持論で行くかどうか…」 “持論”とは、オールスターゲームの第1戦はファン投票で選ばれた選手を起用するというもの。投票開始以来、セ・リーグ先発投手部門で1位を独走しているのは黒田。この時点で“侠気投手”の選出が予想され、原監督が持論を貫いた場合、黒田は第1戦の先発となる。 今年の球宴は2試合のみ。第1戦(7月17日)は東京ドームで行われ、2戦目(同18日)の舞台は広島の本拠地・マツダスタジアムだ。黒田を第2戦の先発で使うとなれば、投票したファンに申し訳ないと思うのが原監督の考え方だが、今年も各ポジションで投票1位を争っているのは広島勢なのだ。黒田だけを第2戦に温存するのは不自然であり、そうなると、投票1位以下の監督推薦、選手間推薦で選出された“ジミどころばかり”となる。
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スポーツ 2015年06月29日 14時00分
球宴前の監督人事のゴタゴタ再現!? 大久保監督の命運は松井裕樹が決める…
オールスターゲームのファン投票結果が発表された6月26日時点で、東北楽天ゴールデンイーグルスは33勝34敗2分けで4位。首位ソフトバンクとのゲーム差は「9」。厳密に言えば、投票結果を聞いてから試合に臨んだので、33勝33敗2分けだった。「やっと勝率5割に戻したのに、再び借金生活に逆戻り」である。 「パ・リーグはソフトバンクが頭ひとつ抜け出ているが、それを追い掛ける2位・日本ハムは戦力的に見て、一枚も二枚も劣る。2位のチームがソフトバンクとのゲーム差をなかなか縮められないのだから、それ以下のチームはもっと苦しいと感じているはず」(プロ野球解説者) 楽天は大久保体制で戦っていくのだろうか。 交流戦中、オリックスは森脇浩司監督の途中休養を発表した。昨年の監督人事騒動は楽天で繰り広げられた。星野仙一監督(現シニアディレクター)が体調不良を訴え、年長の佐藤義則コーチが代行指揮を執ったが、チーム成績は上がらず、楽天は監督代行の代行を立てる“異常事態”となった。その後、「監督代行の代行」を務めた大久保博元二軍監督が、一軍指揮官に昇格した。 「大久保監督が正式就任する前後、地元ファンはそれに反対する声を上げましたが、観客数が落ちた、グッズの売上げが伸び悩んでいるなどの話は一切聞かれません」(前出・同) オリックス、そして、昨季の楽天といい、不振チームの監督人事はこの時期に動くようだ。プロ野球も人気商売である。親会社にすれば、ブザマな負け試合が続けばグループ全体の収益にも影響しかねない。6月の株主総会を意識してのことだろう。 「楽天は大久保体制を続けるのだろうか」 そんな疑問の声もグラウンド内外で囁かれている。たしかに途中休養させるほど悪い成績ではない。しかし、大久保監督の昇格を決めたとされる三木谷浩史オーナーには、容赦なく監督を切り捨ててきた過去もある。球界参入1年目、田尾安志監督を切り、野村克也氏の後を継いだマーティ・ブラウン監督も1年で見切りをつけられた。 「大久保はけっこう勉強家なんです。スポーツ生理学を始め、自衛隊経験者の講演も聞きに行ったり、栄養学、精神医学などの勉強もしています。それが三木谷オーナーの目に止まったのですが、大久保の評価は松井裕樹、安楽智大をどう育てるかで決まるでしょう。とくに松井裕樹の成長に関しては厳しく見られるはず」(球界関係者) 大久保監督は松井をクローザーで使っている。将来のエース候補でもあり、リリーフ転向にはチーム内にも反対の声が多かった。しかし、投手出身のプロ野球解説者からは「今の松井には(先発での)長いイニングは投げさせられない」とのことで、松井をチームに貢献させるにはクローザーのポジションしかなかったという。 もっとも、怖いのは救援投手の職業病ともいえる登板過多による故障。松井がクローザーとして故障せずにシーズンを乗り切れば、“長期政権”の可能性もあるというが、 「今は通用しなくてもいいから、先発でジックリ育ててくれ」 というのがファンの気持ちではないだろうか。
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スポーツ 2015年06月29日 11時00分
急死した(元関脇)貴ノ浪の豪快相撲の源になった酒豪ぶり
元大関貴ノ浪の音羽山親方(本名・浪岡貞博氏)が6月20日午前、滞在先の大阪市内のホテルで、急性心不全のため43歳という若さで死去。翌日、通夜が自宅のある名古屋市内の平安会館守山斎場でしめやかに営まれた。 音羽山親方は青森県三沢市出身で、中学時代に当時の藤島親方(のち二子山、元大関貴ノ花)にスカウトされ角界入り。1987年の春場所で浪岡の四股名で初土俵を踏み、'91年九州場所で新入幕を果たした。 「二子山親方は、浪岡は黙っていても強くなる、将来の大関、横綱は間違いないとまで踏んでいました。部屋は一人100番くらい稽古する荒稽古で知られていましたが、浪岡は身長196センチと体格にも恵まれ、とにかくよく稽古をしていた。親方が目をかけるのも当然の逸材でしたよ」(元力士) 十両に昇進すると、親方の貴ノ花と本名の浪岡から「貴ノ浪」とした。'93年5月場所には小結、続く7月場所で関脇に昇進。翌年初場所後に大関となり、3月場所では12勝3敗で、曙、貴闘力との優勝決定戦に進出したが、優勝は曙にさらわれた。貴ノ浪らしさを発揮して初優勝したのは、'96年の1月場所だった。 「貴乃花との同部屋対決の優勝決定戦では、貴乃花が切り替えしにくるところを河津掛けで制した。大事な一番で大横綱を大技で破るなんて、貴ノ浪にしかできない芸当ですよ。翌年の11月場所でも再度、貴乃花との同部屋決定戦に臨み上手投げで勝った。ただ、同じ部屋に強豪力士がひしめき合う状況が窮屈なのか、横綱への執念を感じなかったのが印象的です」(同) その後、2度の大関陥落を経験し、2004年3月に現役を引退。大関時代から心臓に持病があり、'06年には心房細動、敗血症などで生死をさまよったこともあった。 「とんでもない酒豪で、ピッチャーに氷を入れてブランデーを飲みまくっていた。そんな若い頃からの暴飲がたたったのか、大関時代はすでに心臓を患っていたんです。しかし貴乃花部屋の大番頭で、貴乃花親方が理事長になった暁には事業部長のポストも約束されていた。現役時代の取り口は豪快でしたが、核心をついた解説には定評があり、頭も切れ味抜群だったんです」(相撲関係者) 新しい時代を築く牽引車となる人材だっただけに、若くしての突然の死が惜しまれる。
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スポーツ 2015年06月28日 14時00分
緊急トレードは巨人新GMの挨拶代わり さらなる大型トレードも?
6月10日、巨人と北海道日本ハムの間で緊急トレードが成立した。巨人は北篤外野手(26)と矢貫俊之投手(31)を獲得し、矢野謙次外野手(34)と須永英輝投手(29)を日ハムへ譲渡した。日ハムはチームに合流したばかりの矢野をいきなりスタメンで起用し、かつ結果まで残している。 「巨人側から仕掛けたトレードでした。中継ぎタイプの投手がほしいと持ち掛け、交渉を進めていくなかで具体的な選手名が挙げられていきました」(球界関係者) トレードの期限は7月末まで。このトレードは先日、巨人GMに就任した堤辰佳氏(49)の“挨拶補強”とも言われている。そして、「存在感を見せるため、さらに大型トレードがあるのではないか」という見方が支配的だ。しかし、その一方でこんな声も聞こえてきている。 「前任の原沢敦氏の時代もそうだったが、ゼネラルマネージャーと言っても、経営面にはタッチしていません。つまり、巨人はGMが単独で補強、人事を決断することはできない組織形態になっています」(ベテラン記者) そのため、巨人GMは決められた人件費の範囲でしか選手補強ができない。トレードも同じで、獲得を目指す選手の現年俸を確認し、人件費の残高が足らなければ、それなりの年俸を払っている自軍選手を放出しなければならないのだ。トレードとは、放出する選手と獲得する選手の年俸バランスが重要で、限られた人件費の範囲でしかできないのだ。 「生え抜きで13年目の矢野を放出したのは、彼自身に試合に出るチャンスを与えるためでした。飼い殺しにするのは本人のためにもよくないと判断したからで、そういう配慮ができるのが堤氏だ、との見方もできます。堤氏は広報部に在籍していたときも選手から人望の厚い人でした」(同) また、交換要員として得た中継ぎ投手の矢貫についてだが、大学野球関係者から「目のつけどころがいい」という声が聞かれる。矢貫は強豪高校の仙台育英から常磐大学を経て社会人に進み、プロ入りした。しかし、常磐大学の所属する関甲新学生連盟によれば、「高校3年間は一度もベンチ入りできなかった補欠選手。本人が大学で努力してプロの目に留まった」という。 「努力家でキャプテンシーも持った好人物ですよ。将来は指導者としてだけではなく、フロント入りしてもきちんと仕事もできるはず」(前出関係者) 一方で、日ハムは以前から矢野の素質を買っていたという。しかし、その矢野を獲得した直後、「オフにきちんと話し合わなければ…」と、一抹の不安も見せていた。矢野はすでに国内FA権を獲得しており、日ハムに骨を埋める気があるのか否か、分からないのである。しかも、人的補強の発生しないCランク選手である。巨人帰還の意思が前提にあるトレードだったのだとすれば、堤GMはかなりのクセモノだ。 「トレードはその対象選手の転居、家族の問題もあり、どの球団もそれに配慮し、消極的な傾向も見られます。シーズン途中のトレードとなれば、家族の残しての単身赴任です。巨人は有名選手のトレードよりも再生可能な選手を見出す方向に変えようとしている」(同関係者) 人件費の予算、選手の家族問題、出場機会、人間関係、そして最終決定権はない。巨人のGMは苦労が多そうだが、諸々の条件をクリアして挨拶代わりのトレードを成立させた堤氏。矢貫や北の活躍次第だが、やり手GMの片鱗は見せている。
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スポーツ 2015年06月27日 18時00分
今年も広島勢で占拠されてしまったオールスター・ファン投票
NPB(日本野球機構)は6月26日、「マツダオールスターゲーム2015(第1戦=7月17日・東京ドーム、第2戦=同18日・マツダスタジアム広島)」ファン投票の最終結果を発表した。 セ・リーグでは広島東洋カープから、先発投手=黒田博樹、捕手=會澤翼、一塁手=新井貴浩、二塁手=菊池涼介、外野手2位=丸佳浩と5人が選出され、リーグ最多。 昨年は広島ファンが組織票に走って、全11枠(投手3人)中8枠をファン投票で占拠した。今年は開幕当初から最下位に長く沈むチーム状況だったが、それでも5人が選ばれ、2年連続でファン投票は広島勢が大挙して占める結果となった。 一方、一時は首位を走ったDeNAのファンも投票に躍起となり、抑え投手=山崎康晃、外野手1位=筒香嘉智、外野手3位=梶谷隆幸と3人が選ばれたが、DeNAの快進撃がなければ、今年もさらに多くの広島勢で占拠されていた可能性も高い。 他のチームからは、中継ぎ投手=山口鉄也(巨人)、三塁手=川端慎吾(ヤクルト)、遊撃手=鳥谷敬(阪神)が選出されたが、第1戦が本拠地で開催される巨人勢はわずか1人だけという寂しい投票結果となった。 昨年は広島から、規定打席に遠く及ばないキラ・カアイフエ(一塁手=退団)や堂林翔太(三塁手)がファン投票で選ばれて物議を醸した。今年はおおむね活躍している選手が選出されたため、さほど異論は出ないだろうが、広島ファンの投票行動は、他チームのファンにとって、来年も脅威になりそうだ。 なお、パ・リーグでは、先発投手=大谷翔平(日本ハム)、中継ぎ投手=エディソン・バリオス(ソフトバンク)、抑え投手=松井裕樹(楽天)、捕手=嶋基宏(楽天)、一塁手=中田翔(日本ハム)、二塁手=浅村栄斗(西武)、三塁手=中村剛也(西武)、遊撃手=今宮健太(ソフトバンク)、外野手1位=柳田悠岐(ソフトバンク)、外野手2位=秋山翔吾(西武)、外野手3位=糸井嘉男(オリックス)、指名打者=森友哉(西武)が選出された。 最多得票はセ・リーグでは、筒香の44万3313票、パ・リーグでは森の53万6267票で、中日、ロッテからは1人も選ばれなかった。 最も僅差だったのは、セ・リーグの捕手部門で、1位=會澤(27万9338票)と、2位・阿部慎之助(巨人=26万6885票)との差は1万2453票だった。 この後、選手間投票の結果が同29日に発表され、監督推薦を含む全出場選手は7月2日に発表される。2戦とも、テレビ朝日系列でテレビ中継される予定だ。(落合一郎)
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スポーツ 2015年06月27日 14時00分
球団買収候補の会社に大損益 パ球団関係者にも大打撃か
LIXILグループ(以下=リクシル)がドイツ子会社の破産手続きを進めている(5月22日発表)。傘下のドイツ・水栓金具製造会社『ジョウユウ』の財務内容を調べたところ、債務超過が発覚するなど、事業が継続できる状況ではないことが分かった。約410億円の損害が生じるとも伝えられた。 リクシルといえば、TBSが横浜ベイスターズを身売りする際に、候補になっていた会社の一つ。その後も球団身売り関係の報道が出るたびに名前が挙がる企業である。 「リクシルが球界参入に再挑戦するとの噂もありました。パ・リーグの球団が標的されているとかで、具体的な球団名が報じられたこともありました」(スポーツ紙デスク) リクシルが旧横浜ベイスターズの買収に乗り出し、失敗したのは2011年オフ。当時を知る関係者によれば、準備不足が原因だったとのこと。NPB内部には「ペナントレースの地方興行など、詳細を知らなすぎた」との声も聞かれた。しかし、その後に身売り報道が巻き起こった西武やロッテといった球団は、リクシルからの接触を完全否定している。 リクシルが球界参入へ再挑戦することがあるのならば、以前の準備不足を補い、それ相応の準備を整えてくるはずだ。 「リクシルが横浜買収を進められなかった原因に横浜スタジアムと球団の契約がありました。旧経営陣との間で使用契約年数を残しており、翌12年にDeNAが買収に成功したのはその契約が満了する年でもあったことが幸いしました。そして、リクシルがドイツの水栓金具大手のグローエ社を買収したのが13年。この時点でリクシルの球界参入の話は終了したとの見方もされていました。同時に、企業規模拡大の意味でグローエ社買収の次は球界参入だと予測する向きもありましたが」(同) 球団買収の動きに関する真偽はともかく、リクシルのターゲットとしてパ・リーグ球団の名前が出たのにはそれなりの理由があった。まず、交流戦の試合数が減少傾向にあったこと。そもそも、交流戦は旧オリックスと近鉄バファローズが合併した04年、同時審議された経営改革案だった。当初はホームとビジターで3試合ずつ、1球団あたりセの球団との試合は36試合あった。パ6球団は交流戦で実力を存分に発揮し、それに絡めたイベントやファンサービスも行い、交流戦で収益を増やしてきた。これに対し、セ・リーグ側は遠征先が増えるなどの出費面のほうが大きくのしかかり、かつ試合成績自体もパに押されることが大半だったため、交流戦の規模縮小を推し進め、現在の18試合制にすることに成功した。この規模縮小はパにとっては大きな損失だった。 「交流戦は開始当初の半分の試合数になり、将来的に交流戦そのものがなくなる可能性も否定できない状況になりつつあります。となれば、パ・リーグの収益アップで期待できるのはCSしかありません」(同) プロ野球全体で見ても、オールスターゲームや日本シリーズですら地上波放送権の売買では苦労させられている。12球団共有の新収益として侍ジャパンの常設も始めたが、「ベストメンバーを揃えたことがない」などの理由から、放映権料が伸び悩んでいる。 プロ野球界の収益モデルは全体で右肩下がり。中でもパ・リーグはさらに危機になってきている。リクシルはそのパ・リーグの起爆剤になれるかもしれない存在だっただけに、水面下で歯ぎしりをしている関係者がいるかもしれない。
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