スポーツ
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スポーツ 2015年06月07日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(37)第七部・ゴルフダイエット編「梅雨のゴルフ」
6月はゴルファーにとって悩み多い時期。ご承知の通り、梅雨のシーズンに突入します。 悪環境を好むプレーヤーも存在しますが、大半は「不良馬場」は苦手。劣悪のコース環境でのゴルフは避けたいところです。 今回もダイエット編ですが、梅雨入りを迎えた事から、梅雨のゴルフをメインにしていきたいと思います。 私は基本、通年でゴルフをします。夏は、海外又は北海道、軽井沢など、比較的涼しく、ゴルフのしやすい環境を求めます。 問題なのが、この時期です。過去、北海道に行きました。東京とは環境が著しく異なり、梅雨入りは7月過ぎ。カラッとしていて気温も高くなく、プレーするには快適でしたが、北海道は気温の変化が激しく、ゴルフウェア選びに苦労します。 やはり、北海道は8月。気温は25度から30度くらいまで上昇しますが、湿度は低い。雨の心配も少ないので、6月よりは8月をオススメします。 雨が降ると私もよくキャンセルするのですが、メンバーによってはキャンセル出来ない時もあります。そういう時は、気持ちを入れてプレーします。 というのも、雨中のゴルフは全然集中出来ない。そもそも傘を持ちながらのプレー。メンタルなスポーツなので、普段と違う環境になるとスコアが露骨に乱れるものなのです。雨中のプレーで印象的な話を一つご紹介しますね。 土砂降りの雨の中、その日はカートが無く、全て歩きでした。その影響で靴はビチョビチョ。しかもその日に限って、帽子を忘れました。傘を差すのが面倒なので、ずぶ濡れでゴルフに励みました。 濡れるとクラブをしっかり握れなくなります。それを防ぐ意味で予備のグローブを持っていく。これは効果的ですよ。 その日のスコアは散々でした。カート無しで雨中、ずぶ濡れで歩き通した為、普段以上に疲労しました。雨の日に行うゴルフはとにかく「集中」。普段通りのプレーはなかなか出来ないので、我慢が要求されます。 梅雨にベストスコアを求めてもいい結果には繋がりません。この時期は「不良馬場」…劣悪コースに慣れる練習だと思って、臨む事に徹しましょう。 尚、劣悪のコースで、疲労が濃い場合は自宅でケアをして下さい。ゴルフボールを足の裏、土踏まずに一個ずつ置いて、足でコロコロと転がします。痛気持ちいい(イタキモチイイ)という感じで、効果は絶大。リンパの流れが良くなり、疲労回復に持ってこいです。 是非、お試しあれ。小塚桃子オフィシャルブログ「季節はずれのももリンダ」http://ameblo.jp/koduka-momoko/
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スポーツ 2015年06月06日 14時00分
藤川球児はどうして帰って来ないのか 阪神ドタバタ交渉舞台裏
藤川球児(34=前レンジャーズ)の“古巣復帰”は秒読み段階と見られていたが、一転して四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに入団することを発表した。だが、その舞台裏はきな臭さが漂っていた。 5月24日に自由契約となってからの1週間。阪神タイガース帰還が自然な流れであったとはいえ、球団首脳は「状況調査中」とはぐらかし続けた。その理由は代理人である団野村氏との関係にあるという。 「アメリカで藤川との接触に成功した際、阪神球団側は“聞き役”に徹していました。藤川サイドは日本球界復帰にあたっての希望、生活環境などを伝えましたが、球団側はそれを持ち帰っただけです。まあ、藤川サイドが古巣阪神を困らせるような高待遇を突き付けたわけでもありませんが」(球界関係者) 藤川のタテジマへの愛着は疑うまでもなかったが、他球団のユニホームを着てしまう可能性も捨てきれなかったのだ。 「団氏は阪神に対し、不信感を抱いていましたし、また阪神も団氏が交渉の相手ということで、警戒心を強めていました」(同) 阪神は今シーズン、球団創設80周年のメモリアルを優勝、日本一で飾るため、大規模な補強を予定していた。しかし、中島裕之との交渉に失敗した他、国内FA組にも立て続けにヒジ鉄を食らう始末。一縷の望みを懸け、最後に残った“大物”金子千尋に超破格待遇を約束したが、それもかなわなかった。 「金子はFA宣言したものの、所属先のオリックス以外とは交渉しなかったことになっています。しかし、それは表向き。裏では代理人が内々に交渉を進めていたんです。その交渉役を務めたのが団氏です」(球団OBの解説者) 阪神も団氏の仲介で内々の交渉に参加していた。しかし、阪神と団氏は交渉を重ねても信頼関係を築けなかった。ついには「阪神に伝えた情報は全てマスコミに漏れている!」との電話抗議まで受けている。 「金子の交渉に最後まで付き合わされたのが阪神でした。他のFA選手に断られたせいもありますが、中日、ソフトバンクなどは金子のオリックス残留情報を早くに知らされ、撤退しています。団氏も阪神と接触するたびに、関西系メディアが『複数年契約の年数を変えて臨む』などと伝えてきたので、球団から情報が漏れていると不信感を抱いたようです」(ベテラン記者) 藤川は自身の故郷である高知を再出発の地に選んだ理由について、「未来のスーパースターになるチャンスを夢見る子供たちに、自分の投げる姿を見てもらいたい」とブログで語った。 補強失敗を繰り返す阪神に、ファンは怒り心頭だ。
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スポーツ 2015年06月05日 13時00分
ドリームマッチを日本で見られる? メイウェザーvs村田諒大が急浮上
5月2日(日本時間3日)、47戦無敗(26KO)で5階級制覇のメイウェザーと、64戦57勝(38KO)5敗2分けで6階級制覇のパッキャオの“夢の一戦”は、日本のボクシング界のみならずテレビ界にも大きな影響を与えたという。試合こそ3-0という大差でメイウェザーの判定勝ちに終わったが、巨額なファイトマネーが改めて世界中の人々を釘付けにしたのだ。 「米メディアの報道によると、2人の合計額は4億ドル(約480億円)。メイウェザーの取り分が60%の2億4000万ドル(約288億円)で、パッキャオが40%の1億6000万ドル(約192億円)にもなった」(関係者) そんな中、このドリームマッチを『なんとか日本でも開催できないのか!?』という声が大手広告代理店やテレビ局などから上がり始めたという。 「メイウェザーの次の対戦相手に、日本のWBC世界ミドル級7位、村田諒太(29)の名前が浮上しているんです。ウエルター級のメイウェザーが階級を二つアップする、あるいはメイウェザーも村田もそれぞれ階級を一つずつ上げ下げし、スーパーウェルター級で対決するというプランで、メイウェザーをジャパンマネーで口説き落とそうという作戦です。また、並行して“夢の一戦”のビジネスモデルを真似し、日本でも最高額となるファイトマネーや高額チケットを売り出そうというんです」(広告代理店関係者) いずれにせよ、全ては提示されるファイトマネー次第だという。 「スポンサーのCM料で入ってくる金額は約60億円。取り分はメイウェザーと村田で7:3、もしくは8:2。さらにチケットだが、最高額を50万円、最低を3万円という案が出ている」(事情通) 実現できるか!?
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スポーツ 2015年06月04日 13時00分
USA発 新聞、テレビではわからないMLB「侍メジャーリーガーの逆襲」 レンジャーズ在籍わずか2日で戦力外に… 藤川球児に関する五つの素朴な疑問
今の藤川球児には、わからないことが多すぎる。 開幕時は姿が見えなかったし、5月中旬にメジャーで投げ出したと思ったら、翌日には戦力外通告だ。それを受けてメディアは勝手に日本復帰と書き立てている。阪神ファンから『どないなっとるんや』というぼやきが聞かれるようになったので、今回は藤川に関する五つの素朴な疑問を書き出し、それに手短に答えていきたい。 Q1:大リーグの常識の一つに「トミージョン手術を受けた投手は2年後に100%の状態に回復する」というのがあるが、なぜ藤川は同手術後2年経っても元の状態に戻らないのか? A:術後2年で100%の状態に戻るというのは、大まかなイメージを述べているに過ぎない。実際のトミージョン手術は結果のバラツキが大きい。(1)2割くらいの投手は速球のスピードが以前より速くなり球威も増す(特に20代前半の投手)。(2)3〜4割の投手は一般に信じられているように術後2年くらいで以前の球速を回復する。 この二つを「勝ち組」とすれば、以下の二つは「負け組」と言っていい。 (3)3〜4割の投手は以前より球速が落ちキレも悪くなる。(4)1割強の投手は手術が失敗に終わり、再びマウンドに立てないまま引退に追い込まれる。 藤川のケースは(3)のパターンだ。昨年8月上旬にカブスでメジャーに復帰したあと一時期147キロがコンスタントに出たので、(2)になる可能性もあったが、今年のキャンプでは、150キロを期待されながら143キロ程度しか出ないため(3)であることが判明した。 Q2:レンジャーズはなぜ昨年防御率が4.85だった藤川とメジャー契約をしたのか? A:4.85という防御率はリリーフ投手の平均値(3.80前後)よりかなり悪い数字で、通常ならメジャー契約にはならない。実際、昨季在籍したカブスは契約更新を見送った。 そんな中、レ軍だけが興味を示したのは、過去に大塚晶則と上原浩治をクローザー、セットアッパーとして活用した実績があり、藤川もトミージョン手術の勝ち組になれば大きな戦力になると期待したからだ。 ただギャンブル的な契約で外れる可能性も高いので、年俸は100万ドル(1億2千万円)に抑えられた。 Q3:マイナーの成績がひどいのに5月15日にメジャーに昇格したのはなぜ? A:レンジャーズとの契約で今季、藤川は球団に命じられてもマイナー行きを拒否できる。にもかかわらず、しばらくマイナーでプレーしていたのは、DL入りしたメジャー登録選手に1カ月間認められている「リハビリ出場枠」で出ていたからだ。それが限度いっぱいになったのでレ軍はマイナーに置いておくわけにもいかず、メジャーで使わざるを得なくなったのだ。マイナー(2A、3A)では11試合に登板して10回1/3で四球を9つも出す乱調。防御率も4・35というひどさだったが、それでも5月14日にメジャーに引き上げられたのは、契約のおかげと言っていい。 Q4:レンジャーズ在籍わずか2日で戦力外になったのはなぜ? A:球団がこれほど早く見切りを付けたのは、球速もキレも期待とは程遠いレベルで、トミージョン手術の「負け組」になったことは明白であるため、実戦で使ってみてダメなら戦力外にするしかないとダニエルズGMが判断したからだ。 メジャーでは30代半ばのベテランがいとも簡単に戦力外通告を受けて球団を去っていく光景が日常的に見られる。40人枠に入っていないマイナーの有望株を引き上げるには、枠を一つ空ける必要が生じるからだ。 特に30代半ばの力の落ちたベテランは消耗品扱いなので簡単に放り出される。藤川は2試合投げただけで放り出されたが、日本人投手では'12年に五十嵐亮太(当時ブルージェイズ)がわずか2試合で解雇、'13年には当時カブスの高橋尚成が3試合に投げただけで戦力外通告を受けている。 Q5:日本復帰が取りざたされているが、クローザー復帰はあるのだろうか? A:ないだろう。トミージョン手術の影響でクローザーが務まるレベルではなくなっている。 今季藤川はマイナーで11試合に投げて防御率4.35だったが、これに近い成績だったのは井川慶だ。 井川はオリックスと「年俸1億円+出来高」で契約したが、日本球界に復帰後は、冴えない投球が続いた。藤川も似たようなパターンなるように思えてならない。 阪神は藤川が去った後、守護神に呉昇桓を獲得したが、呉は2年契約が切れる来シーズンも阪神で投げることを希望している。他球団も世代交代が進み生きのいいクローザーが機能しており、ネームバリューしか残っていない藤川をレッドカーペットで迎えるような物好きな球団はないだろう。スポーツジャーナリスト・友成那智ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は各媒体に大リーグ関連の記事を寄稿。'04年から毎年執筆している「完全メジャーリーグ選手名鑑」(廣済堂出版)は日本人大リーガーにも愛読者が多い。
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スポーツ 2015年06月04日 11時00分
白鵬が朝青龍のように追放される日 照ノ富士初V世代交代へ
大相撲夏場所は大混戦の末、関脇・照ノ富士(23)が初優勝。同時に大関昇進の切符も手中にした。 このニューヒーロー誕生の陰ですっかり株を下げたのが終盤、自滅して史上初の2度目の7連覇を逸した白鵬(30)。またも審判の裁定に“物言い”をつけ、抗議の無言を繰り広げるなど、その傲慢な土俵態度たるや、とても大横綱のイメージではなかった。 それは何とも冷ややかな光景だった。初日、白鵬は場所前に散々稽古でかわいがったモンゴルの怪物、逸ノ城の意表を突く突き落としにバッタリと左手を付いた。抜群の安定感を誇る白鵬が初日に黒星発進するのは平成24年夏場所に安美錦に敗れて以来、丸3年ぶり。呆然とした表情で引き揚げて来た白鵬は「恩返しされちゃったね」と苦笑いしたが、大本命が敗れたその瞬間、館内のあちこちで「ヨッシャーッ」と声高に叫び、ニヤリとする親方たちの姿が見られたのだ。 白鵬が物言い取り直しになった稀勢の里戦の裁定にクレームをつけ「(自分が)勝っている相撲。子供でもわかる」と審判委員たちを激しく批判したのは、史上最多33回目の優勝を果たした初場所直後のことだった。夏場所前には「親方を通じて北の湖理事長とも話した。もう終わったこと」と話し、既に一件落着したことを明かしたが、プライドを傷付けられた親方たちの怒りは収まっていなかった。と同時に、その後の動きを見れば、上っ面はともかく白鵬も腹の底では不信感がくすぶっていたことがよくわかる。 新たなトラブルが起こったのは12日目の豪栄道戦だった。この一番に勝てば単独トップに立つ、ということで気負っていたのかもしれない。白鵬がモロ差しになって寄った瞬間、豪栄道が放った捨て身のクビ投げに大きく傾き、右肘から土俵に落ちた。このことはビデオを見てもハッキリしている。白鵬の明らかな負けで、NHKで解説していた元横綱の北の富士勝昭氏も「物言いがついたとしても確認程度。これはクビ投げ。子供が見てもわかる」と、白鵬が使用したフレーズをそのまま使ってバッサリと切り捨てた。 勝負は明白。当然のことながら物言いもつかなかった。すると白鵬は、何で物言いがつかないんだ、おかしいだろう、と言わんばかりの表情で勝負が終わった後の礼もせずに土俵上に突っ立ち、さらに土俵下に降りてからもおよそ1分間、控えに入らずに周りを見渡して立ち続けた。 いくら軍配に不満があっても、これまでこんなにあからさまに無礼な抗議をした横綱はいない。支度部屋でも憮然として、これ以降、千秋楽までまるで先場所のビデオテープでも見るかのように報道陣に背中を向け、無言を貫いた。 「優勝が30回に近づいたあたりから、急に白鵬は傲慢になりました。増長していると言ってもいい。取材していても、自分に気に食わない質問をすると怒り出しますし、取材に応じないことすら度々。これじゃ、白鵬が比較されることを嫌っているトラブルメーカーの朝青龍と同じ。いや、陰湿な分、朝青龍以上にたちが悪い。大横綱ほど潔いものですが、これで勝負に汚いこともハッキリしましたね」(担当記者) この騒動が尾を引いて、この2日後にも稀勢の里に惜敗。優勝争いはにわかに混沌となり、千秋楽、照ノ富士の劇的な優勝につながる。白鵬が最も恐れていた世代交代の風がとうとう吹いたのだ。 つい1年くらい前まで白鵬は力士の鑑といわれ、みんなのお手本だった。それがどうしてこんなに暴走するようになったのか。宮城野部屋関係者が話す。 「白鵬が尊敬している大鵬にはニラミの利く師匠がいて、常に監督管理していました。しかし、白鵬には師匠はおれど、ニラミの利く人間がいない。全て白鵬の言うまま、するがままなんです。しかも、取り巻きはイエスマンばかり。だから自分から折れるということをしないんですね。前回の審判批判のときも、取り巻きの放送作家がプロデュースするテレビ番組で謝っただけで、それ以外では全く謝罪しませんでした。親方たちの見る目も、以前とは違って厳しくなる一方。これまで良き理解者だった北の湖理事長も、最近は持て余しています」 きらびやかな実績とは対照的に、協会内の評価はガタ落ちなのである。 白鵬は、9年前に横綱になったときから自分の部屋を持ち、弟子を育成したい意向をもらしていた。 「夢は、自分の息子も力士にして横綱に育て、モンゴル相撲の大横綱だった父、自分、そして息子の3代の横綱になることです。都心のど真ん中、東京・銀座に部屋を構え、総ガラス張りにして道行く人にも稽古ぶりを見てもらいたい。そんな壮大な青写真を披露したこともあります」(前出の担当記者) 既にこの“夢”を実現するための第一歩として、十両の石浦、元幕内で現三段目の山口ら内弟子も獲得し、手元で熱烈指導中。また年寄株については引退時に、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花に続く史上5人目の一代年寄が認められるのは確実で、後はその大前提となる日本国籍に帰化するだけだ。 しかし、こんな険悪な状態が続けば、協会内の反発の声は強まる一方。このままでは大相撲界を追い出された朝青龍の二の舞いになりかねない。 白鵬はどうやってこの“反乱”を収めるつもりなのか。夏場所は終わったが、こちらは全く終わりが見えない。
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スポーツ 2015年06月03日 13時00分
野球が五輪種目へ復活できるかの試金石 プレミア12の裏に潜む政治的綱引き
世界の12の国と地域によって、今年11月に開催される野球国際大会『第1回WBSCプレミア12』の予選グループ分け、開幕カードなどが5月12日に発表された。台湾との共催となっているが、開幕戦と準決勝、決勝戦は日本で行われる。大会の成否は日本で行う試合の観客動員力に掛かっているといっても過言ではないだろう。 「プレミア12も4年に1度、WBCの中間年に開催していく予定です。11月に始まるこの第1回大会が成功すれば、次大会は東京五輪の予選という位置づけになるかもしれない」(NPB関係者) WBSC(世界野球ソフトボール協会)のリカルド・フラッカリ会長は「私見だが」と前置きしつつも、「次大会は東京五輪の予選にしたい」と発言している。なぜならば、プレミア12が創設された理由はに、オリンピックが影響しているからだ。 五輪競技から野球が除外されたことにより、国際野球連盟(IBAF)は国際ソフトボール連盟(ISF)とスクラムを組み、WBSCと体制を新しくして、五輪復帰を目指している。2020年の東京大会からは、開催都市が種目を追加できることになった。野球ファンの多い日本が開催地となれば、またのない好機である。フラッカリ会長の「東京五輪の予選に…」発言は、まだ決定しない追加競技が野球とソフトボールに決まるのであれば、協力を惜しまないというメッセージでもあったのだ。しかし、東京五輪実行委員会は何も返答していない。 「追加競技を決める方法は2つ。開催都市の独断か、IOCにお伺いを立てるかです。東京五輪の実行委員会は後者を選んでいるため、欧州圏で競技者人口の少ない野球とソフトボールは劣勢になりました。現在、追加競技に立候補している各スポーツ種目のなかで、競技者人口と世界的普及率で有利なのは空手。自民党の有力者である荒川堯氏は全日本空手道連盟の会長であり、昨年6月に空手を応援する議員連盟も発足しています。菅義偉官房長官もそこへ名を連ねています」(JOC関係者) 野球とソフトボールが熱心なピーアール活動を行っても、東京都や実行委員会の反応がいまいちなのは“政治的事情”も影響していたのだろう。NPBの立場から見れば、侍ジャパンで収益を上げるためにもプレミア12を盛り上げなければならない。そのためには日本の決勝進出が最低条件となる。 「プレミア12の結果次第では、小久保(裕紀=43)監督の進退問題にも発展しかねません。契約は第4回WBCまでだが、今年3月に行った欧州代表との試合内容は悪すぎました。外国人投手特有の動くボールに対応できず、この課題は就任以来解消できていません」(ベテラン記者) フラッカリ会長の発言に無反応な東京五輪実行委員会の今後の出方も気になるが、小久保監督の双肩には東京五輪で野球とソフトボールが復活するという夢もかかっている。 「再来年、2024年五輪の開催都市が決まります。すでに立候補を表明しているアメリカのボストンでは追加競技を独断する方向性も示しており、早くも『アメフトが最有力』との情報も流れています。東京大会よりも先に追加競技が発表されることになれば、野球とソフトボールはさらに不利な立場に…」(米特派記者) ただの新たな国際大会を主催する、というわけにはいかないようだ。
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スポーツ 2015年06月03日 12時00分
【甦るリング】第10回・超大物プロレスラーのオーラが凄かった橋本真也
“破壊王”橋本真也が、この世を去って早10年が経とうとしている。 その死は、あまりにもショッキングだった。05年7月11日、知人宅で倒れた橋本は病院に救急搬送されたが、死亡が確認された。死因は脳幹出血とされた。享年40歳の若さで、プロレスラーとしては、まだまだこれからという年齢であった。 後に明らかになったが、橋本は同年3月に夫人のかずみさんと離婚。その後、03年3月19日に亡くなったプロレスラー・冬木弘道さんの未亡人・薫さんと交際。2人は結婚の約束もしていたというが、知人宅というのは、その愛の巣だった。恋愛は自由ではあるが、交際相手は冬木さんの奥さん。ちょっと、スキャンダルチックな最期にショックを覚えたファンも少なくなかっただろう。生きていれば、新たな伝説もたくさん残しただろうし、その意味では、あまりにも早すぎる死だった。 私はZERO-ONE時代に、1度だけ、単独でインタビューさせていただく機会に恵まれたが、その発するオーラはすさまじく、ただならぬものがあった。質疑応答のなかで、激しい感情を見せる場面もあり、今でも昨日のことのように覚えている。橋本はまさに、超大物プロレスラーの貫録、威厳を漂わせた男だった。 橋本にとって、ZERO-ONEとは何だったのか? 新日本プロレスにいれば、苦労することもなかったろう。逆に、独立したからこそ、新日本時代には見られなかった一面が引き出されたともいえる。 独立の遠因となったのは、柔道からプロレスに転向した小川直也のライバルに仕立て上げられたことだった。一連の小川との抗争がなければ、新日本を辞めることはなかったかもしれない。 新日本の象徴であるIWGPヘビー級王座に3度君臨し、通算20回の防衛に成功した橋本は“ミスター・IWGP”と呼ばれた。しかし、小川のデビュー戦の対戦相手に起用されたことで、その歯車が狂い出す。97年4月12日、東京ドーム。当時、IWGP王者だった橋本は、プロデビュー戦の小川に敗れた。同年5月3日、大阪ドームでの再戦にはタイトルが懸けられ、橋本がリベンジを果たす。 99年1月4日東京ドームでの3度目の対戦では、小川がケンカマッチを仕掛けた。不意を突かれた橋本は終始劣勢に回り、試合は無効試合の裁定が下った。同年10月の4度目の対戦では、小川に完敗。後がなくなった橋本は、00年4月に小川と5度目の対戦をすることになる。この一戦は、テレビ朝日の企画として、「橋本真也34歳小川直也に負けたら即引退スペシャル」と題して、ゴールデンタイムで放映されたが、橋本は再び敗れて引退を余儀なくされた。しかし、テレ朝の番組企画で、熱心なファンからのラブコールに心を動かせた橋本は引退撤回を決意。半年後の同年10月9日、東京ドームで復帰する。 カムバックした橋本は新日本内に別組織「新日本プロレスリングZERO」を設立したが、長州力ら団体上層部と対立し、同年11月に完全独立を宣言。これを受けて、新日本から解雇された。 新日本から大谷晋二郎、高岩竜一も追随し、ZERO-ONEを設立した橋本は、01年3月2日、両国国技館で旗揚げ戦を行った。メーンイベントは橋本&永田裕志(新日本)vs三沢光晴&秋山準(ノア)という夢のカード。それまで接点がなかった新日本系の選手とノア勢との対戦を実現させたのは画期的で、伝説の興行となった。試合後には、小川、藤田和之が現れ、ノア勢を挑発し、乱闘騒ぎとなった。同年4月の日本武道館大会では、三沢と小川の禁断の初対決(三沢&力皇猛vs小川&村上和成)を実現させた。 その後、かつてのライバル小川とは共闘の形を取って、「OH砲」を結成。同期生・武藤敬司率いる全日本プロレスとの対抗戦にも乗り出し、橋本は3冠ヘビー級王座にも就いた。よもやと思われた長州のWJプロレスとの対抗戦に臨んだこともあった。04年に設立されたハッスルにも、旗揚げから参戦し、エンターテインメントプロレスにも挑戦。メジャー団体と違って、フットワークが軽い点を生かして、様々な団体との交流や企画を実現させたのは、ZERO-ONEの功績でもある。 しかし、団体運営は決して楽なものではなかった。橋本が04年8月から古傷である肩の治療のため欠場に入ると、興行不振に陥り、経営難に拍車を掛けた。団体内での意見の対立も表面化してしまい、橋本は同年11月、負債約1億円を背負う形で団体の活動を停止した。その後、肩の手術に踏み切った橋本は、リハビリをしながら、フリーのプロレスラーとして復帰を目指していたが、そのさなかに帰らぬ人となった。 リングを下りると、その性格は破天荒でハチャメチャな性格で、いかにも昔気質のプロレスラーらしいタイプ。それでいて、子どもっぽい茶目っ気もあって、“破壊王”は憎めない愛すべきキャラクターだった。今さらながら、その早すぎる死は残念でならない。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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スポーツ 2015年06月03日 11時45分
古巣・阪神のオファー蹴った藤川球児 仰天の独立リーグ入りの背景にあるものは?
5月24日、レンジャーズから自由契約となっていた藤川球児投手(34)が、まさかの国内独立リーグ入りを決断し波紋を呼んでいる。 昨オフ、カブスからFAとなった藤川は今季、レンジャーズと年俸100万ドル(約1億2450万円)プラス出来高で契約。右足のケガで故障者リスト(DL)入りし、開幕には間に合わなかったが、5月に復帰。しかし、2試合に登板しただけで戦力外となった。成績は1回2/3を投げ、自責点3、防御率16.20。ウエーバーにかけられたが獲得を希望する球団はなく、マイナー行きを拒否したため自由契約の手続きが取られた。 藤川によると、その後、オファーしたメジャー球団もあったようだが、日本復帰を決意。古巣・阪神と接触したが、交渉は不調に終わった。 そして、6月1日、独立リーグの四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスが藤川の獲得を発表。同日、自身もブログで高知入りを表明した。藤川は「元気になったら、とにかく投げる喜びを一番に感じられる場所で腕を振りたい。必要とされる場所で投げたい。そして家族と一緒にいたい。今は、元気に投げられるようになりました!」「僕と妻の生まれ故郷の高知で、未来のスーパースターになるチャンスをもった子どもたちに、僕が投げる姿を見てもらって今後の夢につなげてもらいたい! 僕が投げることで喜んでくれる人たちの顔が見たい。僕を応援してきてくれた人たち、育ててくれた高知から野球人生を再スタートすることに決めました」などと記している。 NPBで獲得する球団がないため、やむを得ず、独立リーグ入りするわけではない。つい、この間まで、メジャーでプレーしていた選手が、国内独立リーグに入団するなど異例中の異例。 藤川は古巣への仁義を切って、阪神との交渉を最初に行ったが、待てば、NPBの他球団からもオファーはあったはずだ。それなのに、なぜ独立リーグを選択したのか? カブスでの1年目の13年6月に、藤川はいわゆるトミー・ジョン手術と呼ばれる右ヒジのじん帯再建手術を受けた。復帰できたのは昨年夏で、その後、15試合に登板し、13回を投げ、防御率4.85の成績だった。カブスは3年目の選択権を行使せず、FAとなった藤川はレンジャーズに移籍した。 現実として、右ヒジにメスを入れて以降、藤川の成績はパッとしない。年齢的なものもあり、全盛期の剛速球は、もう期待できないだろう。完全復活を果たしていないだけに、日本の球団としては、その評価が非常に難しいところ。藤川自身、右ヒジの状態を考慮して、先発転向も視野に入れているともいわれているが、それこそ全く未知数だ。 某スポーツ紙の野球担当記者・A氏によると、「阪神は故障禍への不安や、抑えには呉昇桓(オ・スンファン)がいることから、球団内で藤川の獲得に関して賛否両論あり、意思統一できなかったようです。起用法は中継ぎ、条件面も、藤川を満足させるような内容ではなかったのでしょう」と言う。 阪神時代、年俸4億円だった藤川だが、故障や年齢の問題もあり、どの球団も、高額な年俸を提示するのには二の足を踏むのは当然のこと。前述のA氏は「現在の評価が低いのなら、実績をつくって、評価を上げようと考えているのではないでしょうか…」と話す。 そこで浮上したのが、独立リーグだ。近年、四国アイランドリーグのレベルも上がり、12年に首位打者を獲得した角中勝也外野手(高知→ロッテ)や、昨季リリーフで9勝2セーブ24ホールドをマークした又吉克樹投手(香川→中日)らを輩出している。 高知には藤川自ら逆オファーをかけ、即決。条件面の細部は交渉中だが、同球団の選手の平均月給が10万円程度であることから、たかが知れているだろう。 1日深夜、フジテレビの「すぽると!」に出演した藤川は「ずっと四国アイランドリーグでやるか分からないし、NPBでまたやるかもしれない」と含みを持たせている。前述のA氏は「その狙いは、高知で健在ぶりをアピールし、評価を高めた上でNPBに復帰するという青写真ではないか?」と言う。 それでは、そのXデーはいつになるのか? NPBでは7月31日まで新規の契約が可能で、まだ2か月ある。ところが、四国アイランドリーグの前期は5月31日で終了しており、6月にはリーグの選抜チームが北米の独立リーグに遠征する。後期が開幕するのは8月1日だ。 さすがに、藤川も「僕と妻の生まれ故郷の高知で、未来のスーパースターになるチャンスをもった子どもたちに、僕が投げる姿を見てもらって今後の夢につなげてもらいたい!」と発言した以上、1度も公式戦で登板しないまま、高知を退団してNPBに復帰することはしないだろう。そうなると、藤川が目指すのは来季のNPB復帰。今回は決裂したが、状況に変化があれば、阪神も選択肢の一つに入ってくるだろう。 藤川にとっては、無報酬同然の独立リーグ入団だが、今より評価を高められれば、「損して得取れ」になる?※年俸はすべて推定(落合一郎)
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スポーツ 2015年06月02日 16時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈三沢光晴vs小橋健太〉
三沢光晴がリング禍で亡くなったのは2009年6月13日。今年は、その七回忌にあたる。広島で行われたGHCタッグ王座戦、王者の齋藤彰俊&バイソン・スミス組に、潮崎豪と組んで挑んだ試合中のことであった。 死因はバックドロップを受けた衝撃による頸髄離断。技を掛けた齋藤が特に危険な落とし方をしたわけではなく、また三沢も受け身を取り損なった様子はない。つまりは、マットに“正常に”落ちた際の衝撃による不測の事故であった。 原因として第一に言われたのは、長年のレスラー生活におけるダメージの蓄積だ。晩年の三沢は慢性的な首、腰、ヒザ等の痛みに苦しみ、日常生活にも支障を来すほどであったという。 「モノマネの神奈月がよく武藤敬司のヒザの悪さをネタにしていますが、三沢の場合、全身がそんな状態だったと思えばわかりやすいでしょうか」(プロレスライター) NOAHを旗揚げした後には社長業にも時間を割かれたためか、コンディションの悪さは傍目にも歴然で、これも事故原因の一つとなった。 「何しろ一気に太りましたからね。きっとトレーニングの時間もまともに取れなかったのでしょう。社長室で通販のダイエット器具みたいなものを見たこともあります」(同・ライター) それでも三沢は休むことをしなかった。対戦カードに三沢の名前があるとないでは興行の客入りからして違ってくるため、団体運営のためにも出場せざるを得なかったのだ。 やはり、全日本プロレス〜NOAHのために命を削った末の“戦死”であった、と言える。三沢の死に接した関係者やファンからは、全日本時代からの過剰な試合ぶりに対する批判的な声も聞かれた。“相手をアタマから落とす危険な技の連発が肉体を蝕んだ”と。 だが、それも三沢自身の選んだ道である。 天龍源一郎が退団、ジャンボ鶴田も内臓疾患により一線から退く中、エースの座を担う三沢は“鶴龍”を超える闘いを見せる必要があった。当時のジャイアント馬場社長からは“マイクアピールやギミックに頼らない、流血や反則もない、ピンフォール決着を”との要望もあり、そうして行き着いたのが、いわゆる『四天王プロレス』だった。 三沢、川田利明、田上明、小橋建太の4人をはじめとし、次世代の秋山準、外国勢では殺人バックドロップのスティーブ・ウィリアムスらも加わり繰り広げられた、世界中のプロレスシーンにも類を見ない激しい闘い模様−−。試合序盤からハードヒットの打撃と急角度の投げ技を互いに出し合い、カウント2.9の応酬で、終盤にはエプロンサイドから場外床に向けてパワーボムなどを放つこともしばしば。グラウンドの攻防などレスリング要素を欠く内容から「ただのタフマンコンテスト」と批判的に見る向きもあったが、出し惜しみも不完全決着もない好勝負保証付きの試合ぶりはファンからの熱烈な支持を得て、ビッグマッチは常に満員御礼。馬場、鶴田の影を払しょくしたのみならず、三沢は日本プロレス界のエースとして認知されることにもなった。 そんな四天王プロレスの最高峰といえば、馬場も解説席で涙を流した(副音声の実況アナとゲストの川合俊一氏が「馬場さんが泣いています」と叫んだ)1998年10月31日、日本武道館。三冠王者の小橋に三沢が挑戦した一戦が挙げられよう。 三沢自身、川田らとの試合との比較の中で「小橋戦こそ極限の力を見せられる」と語っていた、まさにその言葉通りの究極マッチとなった。 この試合でも序盤に頭から投げ落とすスープレックスを出し合い、中盤過ぎにはもう立っているのもやっとの状態に。そうなってなお、ギロチンドロップを放つ際の前動作にサマーソルトを加えるあたりが、常に華麗さを求めた三沢プロレスの真骨頂だ。 フィニッシュは派手な投げ技ではなく左右エルボーの連打で、43分29秒、精根尽き果ててマットに崩れた小橋を三沢が押さえ込んだ。 この一戦を含め三沢と小橋のシングル対決は、3度にわたりプロレス大賞(東京スポーツ新聞社制定)の年間最高試合賞を受賞している。 後にも先にも比類なき、日本プロレス史に残る文化遺産なのである。
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スポーツ 2015年06月02日 13時00分
交流戦ネット裏スクープ 大荒れ必至! 阪神「創設80周年」株主総会前にチーム大改造
阪神タイガースの親会社である阪急阪神ホールディングスの株主総会が近づき、球団首脳が頭を抱えている。優勝候補と期待されながら交流戦突入までの46試合(5月25日現在)を消化して21勝25敗。首位に7ゲーム差の5位。しかも今年は球団創設80周年の節目のシーズン。続投がかなった和田豊監督には「絶対優勝」の至上命令が出ているだけになおさらだ。 「一番の問題は選手年俸です。昨年、株主が俎上に上げたのは、33億円の年俸総額でした。セでは巨人の45億円に次ぐ2位。資金投入なしのカープ女子旋風で人気が爆発した広島と比べて高過ぎると。そこでこのオフは22億円まで総年俸をそぎ落とした。これを考えれば、クライマックスシリーズ(CS)進出が狙える順位にいるうちはまだいいのですが、今年は予想外のことが起きている。セで総年俸が最も低い15億円の横浜DeNAが首位に立っているからです。結果として球団首脳の手腕が、あらためて問われているのです」(スポーツ紙デスク) 貧すれば鈍す。セの打撃トップ10にトラ戦士は不在。防御率トップ10も藤浪晋太郎だけ。これでは、いずれ観客動員に陰りが出るのは必至。 「昨季2位の阪神はCSで巨人を破り、日本シリーズに出場したものの、公式戦主催試合の観客動員数は約269万人。この10年では最低の入りでした。2007年に就任して株主へ頭を下げることには慣れている南信男球団社長も、これ以上減ったら言い逃れは難しい。株主総会を前に、とにかく株主の皆さん、ファンに夢を抱かせるようなチーム作りに知恵を絞れ、と現場首脳の尻を叩いているのです」(同) とはいえ、主軸の鳥谷、ゴメス、マートンがそろって不調。昨年ブレイクした上本、大和も低迷。ここは一つ、大きなニンジンをぶら下げ巻き返しを図りたいところだが、「人件費はDeNAなみに」の指示もあり、そうもいかない。 そこで株主総会対策用に浮上したのが、米大リーグ、レンジャーズ藤川球児の呼び戻しだ。 藤川は'13年にカブス入りしたものの、同年6月に右肘の靭帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)を受けた。今季は1年契約でレンジャーズ入りしていたが、オープン戦終盤に右脚の張りを訴えて故障者リスト入り。結局、5月18日にメジャーでプレーできる40人枠から除外された。 藤川にはマイナー行きの選択肢もあったが、自ら自由契約を選んだことで日本の球団との交渉が可能になっている。この動きに呼応するように、チームの守護神・呉昇桓が試合前の練習でグラウンドに姿を現さないなど、微妙な動きをしている。これだけでも“藤川復帰”の動きが見てとれる。 何てことはない。要は、株主総会を乗り切るためだけの方策。視線をそらせるための緊急補強のアドバルーンである。 「編成の最高責任者でもある南球団社長の保身パフォーマンス以外の何物でもない。阪神は'09年秋にメジャー帰りの城島を取り、課題だった生え抜き捕手の育成を遅れさせた。さらに西岡、福留を獲得して若手の成長の芽を摘んだ。岩貞祐太、横山雄哉らせっかくのドラ1投手が育ってきているのに、藤川を取って一軍投手枠が一つ減れば若手の出番も減る。話題を作ってメディアをにぎわせ、甲子園の入場者を増やせるとアピールすることに汲々としているのです」(阪神担当記者) “にわかチーム改革”は野手陣にも及ぶ。起爆剤として掛布雅之DC(育成&打撃コーディネーター)を一軍に呼んで打撃コーチの役割を担ってもらうプランが浮上しているのだ。 阪神はこれまで和田監督に遠慮して掛布氏はチームに帯同させず、ファームでの若手指導に特化していた。その垣根を取り払い、ファンの前で堂々と選手指導をさせようというのだ。これは現首脳に反発を続けるマートン対策でもある。 「阪神の平均年俸は3558万円ですが、マートンの年俸は3年連続3割が評価され4億5000万円とケタ違いに高い。にもかかわらず、今季の打率は2割4分台に低迷し、本塁打はゼロ。そこでチーム低迷のスケープゴートにしてベンチに下げる。その分、掛布氏に若手を鍛えてもらい、戦力を底上げしようとしているのです」(阪神OBの野球解説者) 和田監督はこの案件に反発するかと思えたが、不思議なことに大歓迎。バックネット裏では、今秋8年ぶりに“政権奪還”を狙う岡田彰布元監督一派が手ぐすね引いており、和田監督は掛布氏と連合することで政権続投をもくろんでいるのだという。 昨年同様、リーグ優勝を逃してもCSに進出し、トラ旋風を起こせば信頼回復は可能。それ以上に怖いのが“最大関門”となる6月の株主総会。偽装と言われようが掛け声倒れと言われようが、これから1カ月、阪神のチーム改革が球界を大いに騒がせる。
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