スポーツ
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スポーツ 2015年08月10日 12時00分
解任なら菅野はポスティングでメジャー挑戦! 東海大相模のドラフト目玉も交渉材料!? 東海大派閥を「人質」に生き残りを図る原監督の“イスラム国戦略”(2)
今年のドラフトは大学生、社会人の当たり年とされている。しかし、巨人は内海哲也、杉内俊哉の両左腕の衰えが激しく、「即戦力の大学生を諦めて、左腕・小笠原を1位指名の最有力に挙げている」との情報も飛び交っている。他球団も小笠原は欲しいはず。菅野を抱え込んだときのように、「巨人しか行かない」と言わせるとすれば、原監督の残留が大前提となる。 「昨秋、育成枠で中日に指名された東海大相模の佐藤雄偉知投手が入団を拒否し、社会人のHONDA鈴鹿に入りました。原監督が落合GMを牽制したとも見ることができる」(前出・スポーツ紙記者) また、こんな情報も聞こえてくる。 「原監督はヘタなスカウトよりもアマチュア球児の情報を持っています。毎オフ、原監督の兄貴分で、東海大野球部の先輩にもあたる国際武道大学の岩井美樹監督を囲むコンペが開かれます。そのコンペには日本中に散らばった東海大グループ校の高校指導者、中学クラブチーム指導者が集まり、情報交換をしていますからね」(アマチュア球界要人) 蛇足だが、横浜高校の渡辺元智前監督の後継者に、国際武道大卒の平田徹部長が選ばれた。今後、名門・横浜高校は事実上の東海大グループとなり、原監督の情報網はさらに広まったとみていい。 「菅野は'14〜'15年オフ、自主トレに大田泰示と松本竜也を誘いました。大田は7年目、松本は4年目。ともに1位で入団したものの、伸び悩んでいます。プロ入りでは先輩でも、年齢的に後輩である2人の面倒を見たのは『原監督の指示』だったようですね。伸び悩んでいる2人を何とかしてくれ、と。大田は東海大相模の出身であり、原監督の期待も高い」(前出・ベテラン記者) 大田は、それまで阿部慎之助と自主トレを行ってきた。しかし、阿部が「自分で考えてやってみろ!」と“愛情”で突き放した。'13〜'14年オフは1人で頑張ってみたものの、むしろ逆効果だった。そこに救いの手を差し伸べたのが菅野で自ずと発言力を増したという。 「菅野は都内にマンションを購入。チームの主将・坂本勇人とはご近所で、酒に強い菅野が坂本を介抱することも多く、野手陣との信頼関係も構築されている」(前出・ベテラン記者) エース菅野を引き止め、ドラフト戦略を有利に進めるには「原監督の残留」が最良というわけだ。原監督が、東海大派閥を利用したイスラム国のような戦略をとった場合、巨人フロントは対応する手段がない。 「勝てない理由は長期政権によるマンネリ化」だと指摘する声もあるが、原監督はチーム内で絶大な影響力を持つ存在になっている。 エースとドラフト1位候補を“人質”にされ、フロントも4度目の続投要請をせざるを得ないようだ。
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スポーツ 2015年08月10日 11時45分
100周年 2015年夏の甲子園 高校野球とデータ解析
都道府県の地方大会が特にそうだが、ネット裏でビデオをまわす観戦者がいる。大半は40代の男性だが、“ママ友グループ”で撮影をしているのも見掛けた。「熱心なファンがいるんだなあ…」「自分の子供か、親戚の子が試合に出ているのかな」くらいに思っていたら、そうではなかった。 撮影している試合の勝利チームと、次に対戦する高校の父母会が撮影していたのだ。以前はベンチ入りできなかった部員が中心となって対戦校のデータ集めを行っていた。しかし、近年では「部員による撮影禁止」の場内アナウンスもされている。ビデオ撮影に関する規則はない。おそらく、都道府県の高野連は各校のデータ解析が度を越していると判断し、自粛を促したのだろう。野球部員が撮影できないため、父母会が代わりを務めていたようだ。高校野球にデータ収集と解析は必要だろうか−−。 今春、21世紀枠でセンバツ大会に出場した松山東(愛媛)は愛媛県下ではもっとも硬式野球部の歴史が古く、昭和25年、夏の甲子園大会(第32回大会)で優勝も勝ち取った伝統校である(商業科を併設したため、出場、優勝回数の記録は松山商と共有)。現在は、国公立大学に現役合格者を毎年何人も出す進学校としても有名だが、センバツ主催者の毎日新聞は「82年ぶり2回目の出場」と、大会史上最長のブランクであることも伝えていた。 その進学校が大会初戦で、東東京の強豪、二松学舎大付校に勝利した。インテリ集団の松山東ナインがどんな野球をやったのか、それは『データ解析』だった。対戦相手のスコアや学校の新聞記事などを集め、それを控え選手4人が中心となって徹底解析したという。相手投手の投球、球種によるフォームの違いを映像と重ね合わせ、レギュラー選手がひと目で分かるレポートを作り上げたそうだ。<データ班は(3月)26日夜から27日午前3時半ごろまで、大阪府吹田市内の宿舎にこもり、東海大四を分析。一回戦の映像を繰り返し再生して投手の配球や打者の特徴などを探した。データ班の野尻匠君(2年)は「次戦まで時間がなく深夜まで続いた。東高生は集中力があるのが長所。良い作業ができたと胸を張った>(2015年3月28日/産経ニュース) その3月26日とは、松山東ナインが二松学舎大付校に勝った翌日。大会中であり、どの学校が勝ちあがってくるのか分からず、こうした徹夜作業になることは覚悟していたとは思うが、その初戦の相手だった二松学舎大付校、2回戦の東海大四(北海道)の過去の新聞記事は、愛媛県ではなかなか入手できない。それを全国各地に散った卒業生たちが協力して集めたとも伝えられている。 全国の精鋭を集め、ハイレベルなチームを作るだけが高校野球の姿ではない。こういうデータ解析で戦う学校もあるのだ。 卒業生が協力するという点で、こんな話も聞けた。「センバツ出場を控えた北海道、東北、北信越などの高校は冬場の練習施設を確保するのに苦労させられています。室内練習を持つ強豪校はともかく、初出場、それも野球以外も評価対象となる21世紀枠で選ばれた学校は、とくに苦労しています。その際、郷里を離れ、都内の大手企業に務める卒業生が社会人チームのグラウンドを代わりに確保するなどして、サポートしています」(東北圏の私立高校指導者) 高校野球で地元、郷里を離れた卒業生もひとつになれる。 100年目の夏、出身地の代表校の勝敗が気になる。縁もゆかりもない高校でもその奮闘に心が打たれる高校野球ファンも少なくないはずだ。出場選手がバッターボックスに入るとき、テレビ画面で出身中学などの簡単なプロフィールを紹介される。「なんだ、他県から来た球児なのか」と冷めてしまうファンもいれば、郷里を離れてから今に至る自身のことを重ね、「頑張れよ」と思うファンもいる。高校野球はグラウンド外でもさまざまな影響を持つようだ。(了/スポーツライター・美山和也)
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スポーツ 2015年08月09日 12時00分
解任なら菅野はポスティングでメジャー挑戦! 東海大相模のドラフト目玉も交渉材料!? 東海大派閥を「人質」に生き残りを図る原監督の“イスラム国戦略”(1)
97試合目で首位奪還。これで、巨人は原辰徳監督(57)を“改めて評価”しなければならなくなった。 「阿部慎之助、村田修一、長野久義の不振に加え、アンダーソンなど故障者も続出。これで勝ち続ける要因を探せば、原監督の手腕としか言いようがない」(ベテラン記者) 原監督の契約は今季終了と同時に満了となる。'02年からの第一期政権に加え、指揮官として12年目のシーズンを戦い、通算1000勝も挙げている。 過去11年で「Bクラス1回」の好成績でもあるが、松井秀喜氏の現役引退後('12年)は、「適当な次期監督が見つからないので残留」といった雰囲気にもなっている。 しかし、ゴジラ松井が色良い返事をしない以上、来季の巨人指揮官の最有力候補は、やはり原監督なのかもしれない。 「巨人選手も、原監督以外の指揮官を知らない状態。原監督も現選手たちに愛情もあるでしょうし、『続けたい』というのがホンネでは」(前出・ベテラン記者) その一方で、「引き際を意識している」との見方もある。いずれにせよ、原監督の退任後、巨人は大きく変貌しそうだが…。 「菅野智之の今後が気になる」というのは球界関係者。菅野は一浪してまで巨人にこだわった投手で、いまやチームのエースである。 「7月30日、自身に勝ち星は付きませんでしたが、8回被安打4、無失点の投球はさすが。7月は4戦2勝。負けゼロの菅野の好投がチームを浮上させたといっても過言ではない」(スポーツ紙記者) 菅野の成長に目を細めているのは巨人首脳陣だけではない。メジャーリーグのスカウトは今季、マエケンこと広島・前田健太と菅野を重点チェックしている。 「前田は100球を超えても150キロ近い球速が出る。菅野は140キロ台後半。そういう意味で前田を評価するスカウトもいるが、投手としての総合力で『欲しいのは菅野の方』という声も少なくありません。菅野にはウイニングショットとなる変化球が二つあるのに対し、前田には一つしかない」(中部地区スカウト) 菅野は走者を背負うと、投球パターンを変えてくる。この修正力がメジャースカウトを唸らせているようだ。 「メジャースカウトの評価は菅野の耳にも届いているはず。原監督が退団すれば、彼の巨人に対する義理がなくなる。昨年、巨人入りの仕掛け人でもあった祖父の原貢氏も亡くなり、菅野も“自分の意見”を言えるようになるのではないか、と」(前出・球界関係者) 菅野はメジャー施設で自主トレを行う。練習の合間に現地の情報も仕入れているとすれば、これは近年、入札制度を使って米球界に挑戦したダルビッシュ有や田中将大のやり方を踏襲することになる。 そんな菅野に対し、原監督は興味深いアドバイスも送っている。去る7月26日、マエケンと投げ合った試合後のことだ。 原監督は“菅野称賛”の言葉を聞き出そうとした記者の誘導質問を見透かし、「マエケンは真っ直ぐが速い。菅野は昔、150キロ以上出ていたんだけど、最近は変化球でまとめようとしている」と苦言を呈している。 先のメジャースカウトの評価と重ねれば、米球界で成功するには「昔みたいにもっと速いボールを投げろ」と言っているようにも聞こえる。 菅野が「米球界に挑戦したい」と申し出れば、伯父・原監督退団後の巨人は引き止める言葉を失う。 原監督退団による“混乱”は、これだけではない。 「原監督の母校である東海大相模に、2人のドラフト1位指名候補がいます。左腕の小笠原慎之介、右の吉田凌はともに好投手。原監督が巨人に残るならば、抱え込むことも可能でしょう」(前出・スポーツ紙記者)
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スポーツ 2015年08月08日 12時00分
今年の「甲子園」の見どころズバリ! 注目の超高校級球児と“黒い監督”
100回目の夏−−どの時代にも熱戦譜があり、ヒーローが生まれた。この節目の大会で、超高校級右腕・高橋純平(県岐阜商)は地区予選で散り、1年生スラッガー清宮幸太郎(早実/西東京)がベールを脱ぐが、夏の主役候補は他にもいた。 高校野球の著書を多く持つスポーツライター・手束仁氏は、中京大中京(愛知)に注目していると言う。 「甲子園最多優勝数、最多勝利数を誇る中京大中京が、100周年の記念大会に出てきたことを嬉しく思っています。投手は左で2年生の長谷部銀次、3年生・上野翔太郎の二枚がいて、レベルの高いチームに仕上がっています。伊藤はプロ注目の打てる捕手。関東一(東東京)のオコエ瑠偉は強肩俊足の外野手で期待できます」 オコエはナイジェリア人の父を持つハーフ。日本人のコンパクトスイングと高い身体能力を持つ注目の打者だ。 「東海大相模(神奈川)の小笠原慎之介はナンバー1左腕かも。昨秋より球速が増し、低めへの制球力も評価できる。去年は“右腕・吉田凌の方が上かな?”と思ったんですが、オフに相当走り込んだんでしょう。下半身もひと回り大きくなっています」(スポーツライター・豊島純彦氏) この両エースは「史上初の1校2投手1位指名」も予想される逸材。同校は長打のイメージが強いが、神奈川県大会は犠打を絡めていた。この2人を投入し、僅差で逃げ切る新スタイルも見せてくるかもしれない。 「対抗する投手としては、専大松戸(千葉)原嵩投手が面白い。長身から投げ下ろすボールの角度、スピードは二重丸。スライダーにもキレがあり、藤浪晋太郎似。甲子園でもナンバー1を争う投手です」(スポーツライター・美山和也氏) 滝川二(兵庫)の根来祥汰は左打席から一塁まで3.1秒。イチローやプロの打者も3.4〜3.9秒。異次元の走力にスカウトも注目している。 学校でブキミなのは静岡高校(静岡)、東海大甲府(山梨)、明徳義塾(高知)だ。 「静岡は優秀な球児が他県に流れないよう行政が取り組んでおり、好選手が揃いました」(手束氏) 東海大甲府も日ハムの渡辺諒が3年生だったとき、『レギュラーの大半が1年生になるかも』と言われた世代が3年生になって、上位進出が期待されるチーム。 明徳義塾は昨夏までの投打の主軸・岸潤一郎なしでも甲子園に帰って来た総合力のチームで、名将・馬淵史郎監督は「清宮? 敬遠しないよ」と牽制していた。 また、地区予選で大阪桐蔭を下した大阪偕星の山本セキ監督は“異色の監督”として注目を集める。 「同校は“大阪桐蔭よりも倍の練習をする”と言われる猛練習で強豪を倒してきた新興勢力。ですが、山本監督は2010年に岡山県の私立高校野球部監督だったとき、詐欺容疑で逮捕されたグレーな人物。さらに、実力は折り紙つきながら、素行不良の選手をわざとかき集めたとの噂もあります」(スポーツ紙記者) 節目の大会は、いろいろな意味で“玄人好みする大会”になりそうだ。
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スポーツ 2015年08月07日 13時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈畑山隆則vs坂本博之〉
「はっきり言って強いチャンピオンではなかった」 現役引退後、畑山隆則は自身の王者時代を振り返ってそう語っている。 確かに世界王者としてはスーパーフェザー、ライトの2階級を合わせても防衛は3度。うち2度がドローの裁定で、歴代日本人王者との比較でも数字的には見劣りする。 しかし、だからと言ってその活躍が色あせることはない。 「脚を使ったアウトボクシングは“姑息”」とまで言い放ち、リングに上がればその言葉通り決して前進を止めることはない。そんな好戦的なファイトスタイルは従来ファンからの支持を受けると同時に、持ち前のイケメンぶりから多くの新規女性ファンも獲得した。 「表紙にすれば雑誌の部数が伸びるほどにアイドル的人気もあり、もちろん試合でも満足させる。ボクシング界のみならず、日本の格闘史においても稀有な存在のスター選手でした」(格闘技雑誌ライター) 1997年、初の世界挑戦はドロー判定で王座戴冠とはならなかったが、そこからの復帰戦として組まれた翌年のコウジ有沢戦が日本タイトル戦としては珍しく全国生中継となったのも、畑山人気があってのことだった。その際のファイトマネーは1000万円。一般的な日本王者のそれが100万円前後のところを、畑山はその10倍の価値を見込まれていたわけである。 同年、2度目の世界戦で王座獲得となった畑山だが、'99年には1度の防衛を経て陥落。いったんは引退を宣言する。だが、周囲からの「坂本博之との試合が見たい」との声を受けて、復帰を決意することになる。 畑山より5つ年上の坂本は、それまで3度世界に挑戦しながらいずれも敗退。それでも日本人離れしたパンチ力への評価は高く、当時日本最強との声は根強かった。 「特にパワーのある左フックが武器で、『和製ロベルト・デュラン』とも呼ばれたほどの実力者。世界を獲るのは間違いないと、ファンはみな思っていました」(同・ライター) そんな坂本との戦いは、引退後もわずかにくすぶっていた畑山の闘争心を再び燃え上がらせた。 茶髪をたなびかせながら相手の懐へ飛び込む華麗さの畑山。一方、教科書通りのしっかりとした構えから強打を繰り出す無骨さの坂本。一見すると両極端のスタイルながらも、その本質はいずれも根っからのファイターであり、両者が合いまみえれば好勝負は必至。 2000年10月11日、試合会場の横浜アリーナは1万6000人の大観衆で埋め尽くされた。 「“守り”はダセーからやめた」 復帰後、坂本戦を見据えての畑山のセリフである。その言葉通り、ゴングと同時に両者ともに激しい打ち合いが始まった。 前傾姿勢で隙をうかがいながらリードブローなしに飛び込んで左右を放つ畑山。1R早々からまぶたを切られながらもまったく怯むことなく、かつ冷静にずっしりとしたボディーを返していく坂本。 互いにクリーンヒットを放ちながら、いずれも決め手とはならず、休む間もないパンチの応酬が続く。 7R、ようやくボディーが効いてきたか、畑山の手数が減ると坂本はさらにボディーで追撃。しかしラウンド終盤、このうち一発がローブローとなったことでストップがかかり、ひと呼吸置けたのが畑山にとって幸いとなったか。 続く8R、再度気合いを入れ直した畑山のアッパーが連発で決まると、ここまで無尽蔵とも思えるスタミナと耐久力を見せてきた坂本の動きがついに鈍る。 それでもパンチを返す坂本だったが、9Rの1分過ぎ、畑山の右ストレートが決まると、それまで身体にみなぎっていた力がスッと抜けていった。 そうして10R。開始と同時にコーナーを飛び出した畑山の放つ左右の連打が坂本の顔面を捉えると、坂本はまるでスローモーションのようにゆっくりと、背中からマットに落ちていった。 セコンドからタオルが投げ込まれる。10R0分18秒、TKO。 勝利者インタビューで「次の夢は」と問われた畑山は「ありませんね」と即答した。自ら望んだ坂本戦で渾身の勝利を果たした畑山は『あしたのジョー』のごとく、真っ白に燃え尽きていた。
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スポーツ 2015年08月06日 16時00分
3億円もキャッシュ払い Jリーグを脅かす中国の選手“爆買い”
中国の日本に対する“侵略”は、領土問題だけではなかったようだ。 7月15日、サッカーのJ1川崎フロンターレ所属のブラジル人FW・レナト(26)が、中国1部リーグ・広州富力に引き抜かれた。年俸約1億円、川崎への違約金は3億円強と契約上では双方合意だが、実際は中国人お得意の“爆買い”だった。 「中国側からレナトが欲しいとの話が来たのは2日前。川崎側に中心選手のレナトを手放す気はなく、『どうせ違約金が払えないだろうから』とタカを括って、3億円を吹っ掛けたんです。通常、違約金は交渉を重ねて値切られていくものですが、いきなりのキャッシュ払いで移籍が決まってしまったんです」(専門誌記者) サッカーの世界で、主力選手の移籍は日常茶飯事。とはいえ、わずか2日で違約金を満額で払うなど、中国のやり方は尋常ではない。そこで思い当たるのが、今年3月、中国政府が発表した『サッカー改革発展全体案』だ。 「習近平国家主席は大のサッカー好き。『ワールド杯の出場、優勝、開催』を目指すと意気込んでいます。教育体制にもサッカーを加え、東京五輪の2020年には、サッカーに特化した小中学校を2万校、'25年までに5万校に増やすとしています」(海外特派記者) 前回W杯ブラジル大会でも、夜間や早朝に街頭テレビでの中継を見るため、大勢の人だかりができていた。自国が出場していないのに、グッズの売り上げも高く、スポーツウェアを含めた中国のスポーツ用品市場は急激な伸び率を見せている。 「中国のサッカークラブは、オーナー企業型から地域クラブ型に変わりつつあり、サッカー中継も国営放送一本の時代から広告収入の見込める民営放送へと拡大されました。かつて、Jリーグの外国人選手がオイルマネーを持つ中東のクラブチームに引き抜かれたのと同じく、民間放送による広告収入で戦力補強ができるようになったんです」(同) 大金にモノを言わせ、世界上位への進出を図る。こうした中国の脅威に最も驚いたのは日本だ。これまでは、Jリーグを「視察」名目で勉強しにきていた中国人スタッフを援助するなど“甘く見ていた”が、今回の引き抜きで青ざめているのである。 W杯アジア予選で中国に枠を奪われる日も、そう遠くないのかもしれない…。
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スポーツ 2015年08月06日 13時00分
夏の甲子園100周年 高校野球トリビア
1915年に全国高等学校野球選手権大会、いわゆる夏の甲子園が始まって今年で100周年。今年の同大会もこれまで以上の盛り上がりを見せることであろう。そこで、これまでの100年間の歴史を振り返るトリビアをご紹介。■甲子園の土を持ち帰った第一号は? 出場校が主に敗退時に甲子園の土を持って帰る習慣についてだが、その始まりには諸説ある。昭和23年、小倉中等学校(現・小倉高/福岡県)のエース、福嶋一雄氏が準々決勝で敗れた後、ひと握りの土をポケットに入れた。それが第一号だとされるが、それに意義を唱える“大御所”がいる。 昭和12年夏の決勝戦を戦った後、熊本工業高校の川上哲治元巨人軍監督(故人)が袋に入れて持ち帰ったそうだ。川上哲治記念球場、熊本工にはそれらしき品物は残されていないが、後年、故人は「母校のマウンドに撒いた」と話していた。 また、甲子園の土は島根県のグラウンドにも存在している。甲子園球場は定期的に土の入れ替え作業が行われており、のちに衆議院議員も務める岩國哲人氏が出雲市長だったころ、『出雲ドーム』が着工された。大阪府出身の氏は、その着工中に甲子園球場の土を入れ替えがあることを知り、使い古された土をそのまま譲り受けたのだ。島根県庁にも確認したが、出雲ドームのマウンドは甲子園の土で造られているという。■「整列、礼」は高校野球が発案した儀式 明治44年8月、東京朝日新聞は「野球とその害毒」なる連載を22回掲載した。その中にこのような一文がある。 〈〜省略〜野球商売人になるということは、学生としては目的の変換で学会の敗亡者である。父兄の意に添わぬものである〉 裏を返せば、当時の学生たちが、それだ野球に熱中していた証とも言える。また、中沢良夫高野連二代目会長と佐伯達夫同三代目会長は、昭和40年、高校野球の発展に長年尽くした功績が認められ、朝日賞に選ばれた。そのとき、中沢会長は第一回大会を振り返って、こう話している。 「〜省略〜あのころ、野球は“毬投げ”と蔑まれ、一般には不良がやるものと考えられていた。そこで私は、そんなに悪いものなら、批判した朝日新聞が先頭に立ってやり方を直し、野球を教育の場にしたら良いだろうと…」 夏の甲子園大会の前身、全国中等学校野球大会は教育行事として始まった。見る者にも“教育であること”を伝えるため、野球を発祥したアメリカにもない試合前の「整列、礼」を取り入れられた。それが今日も続いているのである。■何故、高校野球は戦後直後の昭和21年に復活できたのか? 昭和21年2月25日、朝日新聞大阪本社会議室で、現在の高野連の前身となる全国中等学校野球連盟を設立する総会が開かれた。その後、次のような社告が打たれた。 〈朝日新聞社主催全国中等学校野球大会は、昭和十七年第二十七回大会予選半ばで中止されたまま今日に至りましたが、全国各地から寄せられる同大会復活への力強き要望にこたえて、社会情勢の許す限り、今夏を期し復活開催することに決定しました。明朗健全たる国家の建設は、スポーツによってつちかわれるフェアプレーの精神、すなわちスポーツマンシップに…〉 昭和23年、学制改革により、中等学校は『高等学校』に改編された。それを受け、全国中等学校野球連盟は全国高等学校野球連盟(高野連)と改称され、今日に至っている。 昭和24年、全国高等学校体育連盟(高体連)が結成される。文部省(当時)は高野連も高体連に加えようとしたが、高野連は日本学生野球協会への加盟を選択した。同協会はGHQ教育部のJ・W・ノーヴィル少佐などが支援した。GHQは戦後の民主主義を繁栄させるため、独自の道を歩んできたのである。 高校野球とは近代日本の文化でもあるようだ。(スポーツライター・美山和也)
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スポーツ 2015年08月05日 16時00分
トップの座を巡る熾烈な攻防 プロ野球“セ弱”で監督総入れ替え! 仁義なきベンチ裏マル秘レポート(3)
今季で契約切れとなる監督がもう一人いる。広島・緒方孝市監督(46)だ。 現役引退と同時にコーチに就任し、満を持して登場した幹部候補生だが、「1年1年が勝負」との思いから、単年契約を自ら希望したという。 「今年くらい優勝を意識してシーズンに臨んだ年はありませんよ。1億円強の年俸を提示して獲得したグスマン、さらにエルドレッドの故障が長引くと見るやいなや、いきなりシアーホルツを獲得。黒田帰還もあり、これで負けるようなら、緒方監督も無傷ではいられない」(前出・ベテラン記者) 昨季活躍した若手野手が他球団に研究されたのが、開幕ダッシュ失敗の原因とされているが、後半戦には“救いの要素”も。 「先発投手が豊富で、夏場以降は広島が有利でしょう」(前出・飯山氏) クライマックスシリーズ進出が監督続投の最低条件だが、それを果たせても、広島は自らの首を絞めることになるかもしれない。 今オフ、WBCに次ぐ世界大会『プレミア12』が開催される。侍ジャパンの人選はこれからだが、NPB内部には「広島勢を多く」との声も出ているからだ。 「侍ジャパンの課題は人気です。テレビ視聴率が2ケタいくかいかないかで、観客数も芳しくない。その理由は若手中心の選出だからです。侍ジャパンは球界全体の新たな収入源であり、人気を上げるためにも、広島のレギュラー陣は不可欠」(前出・球界関係者) 標的は黒田博樹だ。黒田の性格を考えると、「球界全体のため、日本のため」と、腕がちぎれても全力投球するだろう。丸佳浩、菊池涼介、捕手の會澤翼も選出された場合、彼らは“ボロ雑巾”のように使われる。 広島は、CSに滑り込んでも地獄が待っているわけだ。 奇妙な空気がベンチに漂っているのは中日だ。 去る7月9日の阪神戦、谷繁元信兼任監督(44)と森繁和ヘッドコーチ(60)の間に行き違いが生じた。同点の11回表、谷繁が一塁に出るなり、森ヘッドの指示で控え捕手の桂依央利がベンチを飛び出し、谷繁のもとに走った。 「代走、桂」と思いきや、谷繁は「あっち行け」のポーズを見せたのである。 谷繁がグラウンドに出ているときは、森ヘッドが司令塔。それが両者の申し合わせのはずだが、谷繁はその裏の守り以降も、まだ自分が捕手としてマスクを被る気でいたのかもしれない。 谷繁はその回の攻撃が終わるなりバッテリーごと交代。追い返された桂が、その後、球団史上初の“後逸”でサヨナラ負けしたのだ。 「マスクを被らせるのなら、俊足の桂を代走から出した方が良かった」(担当記者) このギクシャクした空気は、8月に一軍昇格が予定され、同月11日に50歳を迎える山本昌の登板にも影響しかねない。 「50歳での公式戦登板はメジャーにも前例がなく、米メディアも注目しています。ただ、今の中日の状態では“世界記録”を消化試合で行うことになる。それでは山本を昇格させにくいという声がある反面、谷繁兼任監督と森ヘッドの仲を繕うことができるのは山本昌しかいないという意見もあるのです」(同) 一方、館山昌平が復帰したヤクルトの存在も不気味だ。安定感抜群のオンドルセク、ロマン、バーネットの外国人リリーバーに繋げればベンチは勝利を確信できるから、来季も安泰なのは真中満監督(44)だけだ。 とはいえ、勝率5割に満たないチームが日本シリーズに出れば、セは歴史的汚点を残す。セ6球団監督の首筋に流れるのは冷や汗か、それとも…。
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スポーツ 2015年08月05日 13時00分
甲子園100周年 知られざる「白球史」と「暗黒史」(4)
過去100年の間には、次世代に語り継ぐべきではない暗黒史も多くあった。 世相が原因で「大会中止」となったのは、大正7年、第4回大会。7月25日から地方大会が行われ、14代表(当時)が決まっていたにもかかわらず無念の決定だった。原因は「米騒動」。全国的な規模に拡大していた暴動には、甲子園も敵わなかった。 見事に優勝を果たし、地元・愛知に深紅の優勝旗を持ち帰った中京商(現・中京大中京)だったが、校長室に飾られていた優勝旗が突如紛失したのは昭和29年第36回大会後。40〜50人の刑事が動員され周囲の山狩りまで行われたが発見には至らず。しかし、捜索開始から85日目に付近の中学校の床下で発見。全国の高校野球ファンもホッと胸をなでおろした。だが、紛失の経緯など詳細はいまだに分かっていない。 石川・星稜高校の4番打者、松井秀喜の5打席敬遠事件が起こったのは、平成4年、第74回大会。「教育」を建前とする高校野球での「勝利至上主義」に対し、全国で議論が巻き起こった。 平成17年の第87回大会では、夏の甲子園出場を決めていた明徳義塾(高知)で上級生による1年生部員への暴力行為と集団喫煙が発覚し、出場を辞退した。代わりに、高知大会準優勝の高知高校が出場したが、準備不足が響いてか初戦(2回戦)で敗退した。 今年も何かが起きるのか…。目の離せない大会は間もなく開幕を迎える。
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スポーツ 2015年08月05日 12時00分
【甦るリング】第18回 反体制でスーパースターになった“夏男”蝶野正洋
時代背景の変化もあろうが、“反体制”の立場で、スーパースターになったプロレスラーは、そうそういない。その意味で、蝶野正洋(51)は稀有なケースだろう。 蝶野は高校時代、サッカーに熱中していたが、その一方でかなりの“ワル”だったといわれている。1984年4月、新日本プロレスに入門。武藤敬司、橋本真也(故人)と同期生に当たる。同期の武藤、橋本が柔道経験者であったのに対し、蝶野は格闘技の経験がなく、線も細かったため、練習生当時は目立つ存在ではなかった。同年10月5日、同期・武藤との一戦でデビュー(武藤もデビュー戦)。武藤は柔道の実力者で、運動神経やルックスも良かったことから、早くから期待されていた。旧UWFやジャパン・プロレスの設立に伴う大量離脱で、スター選手がごっそり抜けてしまったため、武藤はスター候補として、早々に米国武者修行に旅立ち、蝶野、橋本は、その後塵を拝することになる。 87年3月、若手の登竜門である「ヤングライオン杯」決勝戦で、橋本を破り優勝。海外修行の切符をつかみ、ドイツを経て、北米大陸に渡り、米国、カナダでファイト。中南米のプエルトリコにも遠征した。ドイツ遠征時には、現夫人のマルティナさんと知り合っている。88年7月に一時帰国し、武藤、橋本と「闘魂三銃士」を結成して、売り出されることになり、89年10月に本格的に凱旋帰国を果たした。ただ、正直いって、個性の強い武藤、橋本に対し、蝶野は地味なオーソドックスなスタイルであったため、人気の点では2人に劣っていた。 その立場を変えたのは、91年8月に初開催された“夏の祭典”「G1クライマックス」だった。最終戦の両国国技館大会で、蝶野はBブロック同点首位の橋本を破って決勝に進出すると、大方の予想を覆し、Aブロック首位の武藤を下して優勝を飾った。これを機に、蝶野は新日本のトップスターとして、ファンに認識されるようになる。また、第1回「G1」は三銃士が上位を独占し、長州力、藤波辰爾は予選リーグで脱落し、本格的な三銃士時代の幕開けとなった。 翌92年の第2回「G1」はトーナメントで開催され、蝶野は決勝でリック・ルードを破り、2連覇を成し遂げるとともに、NWA世界ヘビー級王座を奪取した。これにより、蝶野は“夏男”と称されるようになる。蝶野は第3回(93年=トーナメント)こそ、準決勝で敗退したが、第4回(94年=リーグ戦)では、決勝戦でパワー・ウォリアー(佐々木健介)を破って、「G1」V3を達成。その後、長いブランクがあったが、蝶野は02、05年の「G1」も制し、通算5度優勝。今年で「G1」は区切りの25回目を迎えたが、長い歴史のなかで、V5は他の追随を許さず。まさに、“ミスターG1”といえる。 94年夏、ヒールとしてファイトするようになると、95年には天山広吉、ヒロ斎藤と狼群団を結成し、本隊に対抗。96年には米WCWに遠征すると、帰国後、nWoジャパンを結成し、一大ムーブメントを巻き起こし、新日マットを席捲した。それほど悪いことをするわけではなかったが、ヒールの立場で、体制に噛みつく姿が、「かっこいい」として、ファンの共感を呼んだのだ。後にTEAM2000として活動するが、反体制の立場でスーパースターとなった蝶野は、日本プロレス史では異例なケースといえよう。 「G1」を5度制した蝶野だが、IWGPヘビー級王座には縁がなかった。98年8月、実に8度目の挑戦で、藤波を下して同王座に初戴冠したが、首の負傷のため、1度も防衛戦を行うことなく王座返上している。古傷である首の治療のためもあり、10年1月をもって、新日本を退団し、フリーとなった。ただ、フリー転向後は、IGFのエグゼクティブプロデューサーや、全日本プロレスのアドバイザーを務めたが、プレイヤーとしては表立った活動はしておらず、むしろタレント活動がメーンとなっている。 選手生活のかたわら、99年12月に夫人とともに、アパレルブランド・アリストトリストを設立し、東京都渋谷区では直営店を経営している。年齢的には、まだ51歳。老け込むには早い。プロレスラーにとっては、爆弾ともいえる首に故障を抱えているとはいえ、もう一花咲かせてほしい選手だ。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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