スポーツ
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スポーツ 2015年07月08日 15時00分
FIFAスキャンダルが日本政界に飛び火!? 懲りない男の新たな野望 橋下徹大阪市長仰天の“転職先”(1)
すべての始まりは国際サッカー連盟(FIFA)の副会長らが逮捕(5月27日)されたサッカー史上例を見ない汚職事件。米司法省はFIFAのジャック・ワーナー副会長を含む14人が24年間にわたり約1億5000万ドル(約185億円)の贈収賄に関与した容疑で起訴し、スイス司法当局がこのうち7人を逮捕した。 一連の不祥事を受けゼップ・ブラッター会長(スイス)は汚職事件の責任を取る形で「早期に次期会長を選ぶ臨時総会の開催を求める」と会見で語り、引退を表明した。 「辞任することで『司法取引があったのでは』との声もありますが、それはあり得ない。捜査当局の本丸はあくまでもブラッター会長です。同会長も捜査対象に含まれている。ワーナー副会長が2010年南アフリカW杯招致成功の謝礼として南ア側から1000万ドル(約12億円)を受け取った時の窓口がFIFAのジェローム・バルク事務総長だった。彼はブラッター会長の側近中の側近だけに、捜査当局もこの一件には深く関与していたと睨んでいるんです」(捜査消息筋) まさに泥沼の様相を呈してきたFIFA汚職事件。ところが、この火の粉が日本にも飛び火しようとしている。 6月19日、スペインのスポーツ紙アス(電子版)が、2002年日韓W杯招致の謝礼として2000年に南米サッカー連盟(CONMEBOL)へ、日本サッカー協会名誉会長(当時)の故・長沼健氏が150万ドル(約1億8500万円)を送金していたと報じたのだ。 「『当初、眉唾かと思った』と言うCONMEBOLの元職員A氏は、インタビュー動画などで『CONMEBOLの元会長でFIFAの副会長を務めていたニコラス・レオス氏が裏金を管理してきた』と証言した。事実、A氏はCONMEBOLで15年間働いていた実在する人物です。さらに裏金のやり取りを裏付ける書類もあり、書類にはレオス氏とその妻の署名があるというんです」(サッカージャーナリスト) スペインのスポーツ紙報道を受け、日本サッカー協会は即座に会見を開いた。小倉純二・名誉会長自らが「1996年に招致はすでに決まっていて、大会の準備をしていた。(裏金送金は)あり得ない。そもそも、そんなお金はない」と完全否定した。 「FIFA委員に対し裏工作を行うのは招致国のテレビ局やスポンサー企業、広告代理店から要請を受けたエージェント会社。PRの名目でウン十億円の資金を預かるんです。有名なのは日本の大手広告代理店とドイツのスポーツ用品メーカーが共同で設立したI社などです。事実、日韓W杯誘致でも暗躍したともっぱらの評判になっています。最悪、裏金の授受が問題になってもI社の責任としてかたを付ける。すでにI社は米司法当局の捜査対象リストにも掲載されています」(FIFA事件事情通) さらに、こんな情報も本誌は入手した。 「W杯招致委員会は莫大な付け届けをFIFA委員に渡していたといわれている。しかも、大会開催前に視察と称してやって来る委員をお土産漬けにするんです。例えば大型バスで銀座、新宿や秋葉原などに乗り付け、中国人の“爆買い”以上の買い物をしてもらう。もちろん、支払いは日本側です。この金額だけでも数億円になるなんて噂も囁かれている」(同)
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スポーツ 2015年07月08日 12時00分
【甦るリング】第14回・万年前座・藤原組長の運命を変えた長州テロ事件
“関節技の鬼”として知られる藤原組長こと藤原喜明(66)。映画やドラマ、CMなどにも多数出演していることから、プロレスファンでなくても、その存在を知る人は多いだろう。藤原といえば、忘れられないのが長州テロ事件だ。あれが、藤原のプロレスラーとしての運命を変えたといっていい。 岩手県出身の藤原は高校卒業後、サラリーマンなどをしていたが、1972年に新日本プロレスが旗揚げすると、23歳で入門。今でこそ、この年齢でのプロレス入りは珍しくなくなったが、当時では異例。同団体は当時、選手の数が足りず、藤原は柔道の経験があったとあって、同年11月にスピードデビューを果たす。 新人時代、“神様”カール・ゴッチにレスリングを学び、関節技を習得した藤原は、75年には若手の登竜門である「第2回カール・ゴッチ杯争奪リーグ戦」で優勝を果たすも、海外武者修行の機会は与えてもらえなかった。だが、グラウンドレスリングにたけていたため、アントニオ猪木に重宝され、スパーリングパートナー兼用心棒的役割を担い、道場では若手のコーチ役を務めた。 どんなにグラウンドでは強くても、その試合スタイルは関節技主体の地味なもので、なんせ華がなかった。風貌はあの通りのいかつい顔つきで、とても女性ファンから人気が出るようなタイプでもない。そんなわけで、キャリアを重ねても、藤原の役回りはもっぱら前座だった。 そんな万年前座選手の運命を変えたのは、84年2月3日、北海道・札幌中島体育センター大会。この日、藤波辰巳(現・辰爾)対長州力のWWFインター・ヘビー級選手権が組まれていたが、よりによって、藤原は入場時の長州を襲撃。金属状の凶器で長州を血だるまにしてしまったのだ。結局、長州は試合を行えるような状態ではなく、ビッグマッチでのタイトルマッチは不成立となってしまった。 この事件を機に、“テロリスト”と呼ばれるようになった藤原は、その後、前座戦線から抜け出し、長州率いる維新軍との抗争に駆り出されるようになり、一躍、大ブレイクを果たした。テロリストとなった藤原は、維新軍との闘いでは得意の関節技はあまり見せず、ヘッドバットや殴る蹴るといったケンカファイトが多かった。 一介の前座レスラーが、ある日、突然メインイベンターに大出世したわけだが、それは藤原が実力を備えていたからであって、そのバックボーンがなければ、一時的な話題作りで終わっていただろう。 テロリストとして名を売った藤原には、その直後に転機が訪れる。同年、旧UWFが設立され、弟子でもある前田日明が移籍。藤原は同年4月の旗揚げ戦に、新日本所属として参戦。6月には高田伸彦(現・延彦)を連れて、藤原も移籍した。同団体は格闘路線を標ぼうし、藤原も“関節技の鬼”の本領を発揮したが、経営難により、85年9月をもって活動を停止。新日本と業務提携する形となり、藤原も古巣に復帰した。 UWF軍が新日本のリングに上がるようになった86年初頭には、UWF勢による内輪のリーグ戦が行われ、藤原が優勝。藤原は同年2月6日、両国国技館で師・猪木と一騎打ちを行うが敗れた。その後、新日本とUWFのイデオロギー闘争は激化したが、前田が88年2月に新日本を解雇され、新生UWF設立に動くと、高田、山崎一夫らが追随。藤原は新日本に残ったが、89年に船木誠勝、鈴木実(現みのる)を伴って、同団体に合流した。 ところが、同団体はフロントと選手との衝突で、90年12月で活動停止。前田はリングス、高田らはUWFインターナショナルを設立。藤原は船木、鈴木らとともに、プロフェッショナルレスリング藤原組を旗揚げした。 かくして、団体の長となった藤原だが、それは険しい道だった。当初は、メガネスーパーがスポンサーとなって、SWSとも交流したが、試合は噛み合わず。後に、経営者・藤原と、所属選手の溝が深くなり、ほとんどの選手が離脱し、パンクラスを設立。藤原と石川雄規の2人だけになった藤原組には、池田大輔、モハメドヨネ、田中稔、アレクサンダー大塚らが入門し、所帯も大きくなったが、団体運営に窮するようになり、95年に活動を停止した。 藤原はその後、フリーとして活動していたが、07年には胃がんが見つかり手術を受ける。がんから奇跡の生還を果たした藤原は、66歳となった今でもなお、リングに上がり続け、健在ぶりをアピールしている。そのかたわら、学校法人・日本医科学総合学院「専修学校 朋友柔道整復専門学校」(東京都荒川区)で理事長を務めている。また、関節技セミナーを主宰し、一般の人に指導を行うなど、精力的に活動している。 あの長州テロ事件がなければ、生涯前座の実力者で終わっていたかもしれない藤原。それを思うと、人の人生とはどこでどうなるか分からぬものだ。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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スポーツ 2015年07月07日 15時00分
オリックス球界支配の秘策 星野GM&イチロー監督 誕生!(2)
チーム生え抜きのイチローを兼任監督でマイアミ・マーリンズから呼び戻し、星野仙一氏をGMに招聘すれば人気面でも阪神に匹敵する。 もともと中日ドラゴンズOBの星野氏と愛知県出身のイチローは良好な関係にあり、コンビは組みやすいという背景もある。この動きに拍車を掛けているのが、パ・リーグという“商品力”の急騰だ。 “パ強セ弱”現象の頂点を極めたのが6月23日。その日、巨人と阪神がセ・リーグ首位に並んだのだが、勝率はともにちょうど5割。60試合を消化した時点でリーグの全チームが「貯金0」というのはプロ野球史上初の珍事となった。翌24日に阪神が「貯金1」で単独首位に躍り出たが、その阪神はチーム打率、チーム防御率の両方がリーグワースト。いかにセが劣化しているかがわかる。 それもこれも、交流戦でパに「借金17」したことが原因。リーグ間にこれだけ実力差があると、当然、摩擦が生じる。毎年、オールスター期間中にオーナー会議が開かれるが、早くも「来年以降の日本シリーズの存続」を危ぶむ声まで出ているという。 「パがセを実力で凌駕しているのが明白な以上、日本シリーズを開催する意味がないというのです。パにすればリーグ優勝を果たせば、それが“日本一”を手にしたのと同じ意味を持つ。そこでリーグ上位3チームがそれぞれ出場するクライマックスシリーズを“公式戦とは別物”と位置づけ、アジア・シリーズ→リアルワールドシリーズ(世界一決定戦)の日本予選にしようというのです」(スポーツ紙記者) これまではセの人気にぶら下がる形で存在してきたパが、人気も逆転しつつあることで見事な手のひら返し。今度はこっちから袂を分かつというのだ。 この“日本予選”にしてもセとパでは温度差がある。 「実力が低下しているセは、2020年東京五輪の復活デモンストレーションを目的に韓国、台湾、中国、豪州、欧州と連携してメジャーリーグのワールドシリーズに対抗する世界選手権の設立を思い描いている。一方、パは単独でメジャーのワールドシリーズ地区予選に加わろうとしている。そのためにもイチローの日本復帰はリーグを挙げて歓迎。大低迷でメンツ丸つぶれの宮内氏にすれば、20年ぶりのリーグ優勝よりワールドチャンピオンで溜飲を下げたい。これが本音でしょう」(同) 41歳のイチローの目下の目標は「メジャー通算3000安打」にある。6月29日現在でメジャー通算2886安打を記録し、史上30人目となる通算3000安打にあと114本と迫ってきた。しかし、1試合1打席の代打が中心では今シーズン中の達成は難しく、早くても来シーズンまでかかる。それを見込んでか、マーリンズはイチローとの契約を最大2017年まで延長する方針というが、そうすんなりいきそうにない。 マーリンズはナ・リーグ東地区で最下位争いをしており、しかもイチローは“4番目の外野手”。古巣シアトル・マリナーズのファンからは「来年移籍してウチで3000本安打を」というラブコールもあり、マイアミでじっとその時を待つとは思えない。 「それより、50歳までプレーしてピート・ローズの記録を超えたい、とイチローは親しいメディア関係者に話しています。メジャーの代打稼業より、日本に戻ってフルにプレーしたいと。これまでは、今さら日本復帰では彼のプライドが許さないとみられていたが、監督兼任なら話は違う。オリックスならDHもある。自分の体と相談しながら自分の考えでプレーすることで“ローズ超え”を思い描いているようです」(メジャー担当のテレビ局スタッフ) 一方、星野仙一氏は今季から5年総額5億円で東北楽天ゴールデンイーグルスのシニアアドバイザーに就任。球場には特別室が設けられ“院政”を敷いていた。だが、三木谷浩史オーナーがデータ解析の専門家・山本一郎氏を“チーム戦略室アドバイザー”として球団に送り込んできた。 年俸を約束されている星野氏が一歩下がれば済む話だったが「野球経験のないパソコン屋に何がわかる」と反発。両者の関係は一触即発で、しかも山本氏は本業に忙しい三木谷オーナーに代わって実質チーム管理をしており、球団内では星野氏がケツをまくるのは時間の問題とみられている。 そこを狙ってくるのがオリックスだ。宮内氏は、三木谷氏からすれば政商としても、球団オーナーとしても大先輩。オリックスが星野氏を“強奪”にきても、そうそう拒めないだろう。 「三木谷氏も、身内で揉めるより、すんなり星野氏を引き渡したほうが得策だと考えるかもしれません」(前出のテレビ局スタッフ) 星野GM&イチロー監督が実現すれば、宮内氏の球界支配も夢じゃない!?
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スポーツ 2015年07月07日 14時00分
心理戦に突入! 注目右腕・高橋純平投手を巡る12球団の駆け引き
7月5日、注目の超高校級投手、高橋純平(県岐阜商=3年)が温存された。試合は6対1の快勝だったが、ネット裏に集まった10球団約20人のスカウトはお目当ての高橋投手が見られず、ガッカリしていた。この高橋投手の“肩すかし”は、今年のドラフト指名を予想するのに重要な出来事ともなったようだ。 「ヤクルトの小川淳司シニアディレクター(前監督)の姿も確認されています。このクラスが直接視察に訪れたわけですから、ヤクルトはガッカリだったでしょう」(地元関係者) エースを初戦で温存したのは同校監督の甲子園出場を目指すうえでの戦略であり、プロ側の予定に合わすわけには行かない。 「高橋クンは12球団が1位指名候補に上げている好投手です。この時期は誰を1位指名するか最終決定していませんし、中京地区担当のスカウトは高橋クンに張り付かなければなりません」(メディア関係者) しかし、この温存策についてはこうも解釈できる。この試合に駆けつけたのは10球団。この日、初戦視察を見送った2球団の動向が、肩すかしを食らった10球団の話題となった。今年は大学、社会人にも好投手が多い。強豪の可能性がもっとも高い高橋の入札を見送り、「堅実な指名路線に切り換えたのではないか?」との声も聞かれた。 「いや、欠席した2球団は高橋に関する新たな情報ルートを得たのではないか。初戦は投げないという確実な情報を得て、この日の視察を見送ったのではないか」(在阪球団関係者) 高橋は「この球団でなければならない」という、“指名球団に関する強い希望”は出していない。1位指名は入札抽選となるため、「スカウトの熱意よりもクジ運」の現実もある。「12球団OK」の選手に密着する必要性はなくなっているのだ。 肩すかしを食らった球団の関係者がこう反論していた。 「高橋クンは主将でもあります。試合に出ないときの態度というか、自分が登板しない試合だからこそ見えてくるものがあるんです。今日の高橋クンのチームメイトに接する態度、声を掛けるタイミング、ベンチでの立ち振る舞いなど、本当に良いものを見せてもらいましたよ」 高橋に対する調査は終わっており、『特A』の評価は変わらないだろう。視察を見送った2球団に対してだが、「指名するか、しないか」で他球団を迷わすための陽動作戦ではないかとの声がもっとも多く聞かれた。甲子園の代表校が決まるのはまだ先の話だが、ドラフト1位候補を巡る駆け引きは佳境を迎えている。
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スポーツ 2015年07月07日 12時00分
【記憶に残るプロ野球選手】第12回 強烈なインパクト残した“悪童”伊良部秀輝
なにかとトラブルが多く、“悪童”と呼ばれたりもしたが、どこか憎めない存在で、強烈なインパクトを残したのが伊良部秀輝だった。伊良部は1969年、当時在日米軍の兵士だった父と、日本人の母との間に、沖縄県コザ市(現沖縄市)で生まれた。出生後間もなく、父親は本国に帰国。一家は兵庫県尼崎市に移り住み、伊良部は中学卒業後、香川の強豪校・尽誠学園高に野球留学する。持ち前の速球は、高校生レベルでは、なかなか打てず、86、87年には夏の甲子園出場を果たした。 同年のドラフト会議で、高校生ながら1位指名され、ロッテに入団。とにかく、球は速く、まさに剛速球で鳴らし、1年目(88年)から1軍昇格。ただ、コントロールは悪く、カウントを悪くして、ストライクを取りにいった球を打たれるケースが多かった。成績は14試合登板で、2勝5敗1セーブだった。 2年目(89年)は、ほぼリリーフに専念し、33試合に登板し、0勝2敗9セーブ。以後、90年が8勝5敗、91年が3勝8敗、92年が0勝5敗と、なかなか殻を破れなかったが、93年後半に7連勝を含む8勝(7敗)1セーブをマークして、きっかけをつかむ。同年5月3日の西武戦での清原和博との対決では、当時の日本球界最速の158キロを記録した。 それまで、先発、リリーフの併用だったが、翌94年は先発ローテーションに固定され、27試合に登板し、207回1/3を投げ、15勝(10敗)、防御率3.04の好成績を挙げ、7年目で大器の花を咲かせた。同年は最多勝、最多奪三振(239個)の2冠を獲得。初のオールスター戦出場を果たし、ベストナインにも選ばれた。 95年も200投球回(203回)を突破し、11勝(11敗)をマークし、2年連続奪三振王(239個)となり、最優秀防御率(2.53)のタイトルを獲得し、この年も2冠王となって、ベストナインにも選出された。96年は12勝(6敗)で3年連続2ケタ勝利を記録し、防御率はキャリアハイとなる2.40で、2年連続最優秀防御率のタイトルを獲るなど、堂々たるロッテのエースに君臨。その一方、同年には降板司令に怒って、スタンドにグラブと帽子を投げ込むトラブルも起こした。 同年オフ、FA権のない伊良部はメジャー移籍を熱望する。当時はポスティングシステムが確立されておらず、ロッテ球団はパドレスの選手を獲得することを目的に伊良部の保有権を譲渡。ところが、ヤンキース入りを希望していた伊良部側は、これを拒否し、日米を股に掛けた大騒動に発展。最終的には三角トレードの形で、97年5月に伊良部のヤンキース移籍が決まったが、国内では「わがままを通した」とのイメージがぬぐえなかった。 MLBで迎えた1年目の同年7月、伊良部は初登板初先発で勝利投手となった。しかし、この年は13試合登板、5勝4敗、防御率7.09の成績に終わる。98年は5月に月間MVPを受賞するなど、前半戦で大活躍し、13勝(9敗)をマーク。同年、チームはワールドシリーズを制覇したが、伊良部は後半戦不振のため、ポストシーズンで登板することはできなかった。99年も11勝(7敗)を挙げ、2年連続2ケタ勝利。ヤンキースに欠かせないローテーション投手となったものの、同年オフ、エクスポズにトレードされる。 エクスポズでは故障との闘いだった。00年は右ヒザ半月板、右ヒジ遊離軟骨の手術を受けるなど散々。結局、11試合の登板にとどまり、2勝(5敗)しか挙げられず。翌01年は、右ヒジ痛に苦しみ、8月26日には酒の飲み過ぎで意識不明となり、救急搬送される失態を起こした。球団は謹慎処分にした後、伊良部を解雇した。同年はわずか3試合しか登板できず、0勝2敗だった。 02年はレンジャーズとマイナー契約を交わし、開幕メジャー入りを果たす。この年はリリーフに転向し、フル回転。38試合に登板し、3勝8敗16セーブをマークしたが、7月に肺血栓が見つかり、そのままシーズンを終え退団。失意の伊良部の元には、地元・兵庫を本拠地とする阪神の星野仙一監督からラブコールがあり、7年ぶりに日本球界に復帰。先発で13勝(8敗)を挙げ、7年ぶりにオールスター戦に出場するなど活躍し、チームの18年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。ところが、翌04年はわずか3試合の登板で0勝2敗、防御率13.11の成績で、オフに戦力外を通告される。 伊良部には、どの球団からもオファーはなく引退を決断。米国に戻って、実業家に転身し、カリフォルニア州ロサンゼルスで、うどん店を開業する。09年には、古傷のヒザに負担がかからない投球フォームを編み出して、5年ぶりの現役復帰を決意。4月に米独立リーグ、ゴールデン・ベースボールリーグのロングビーチ・アマンダに入団。8月には四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスに入団するも、右手首腱鞘炎のため、退団。登板したのは2試合だけだった。独立リーグで投げたものの、MLB、NPBへの復帰はかなわず、2度目の引退となった。 私生活では、08年8月、大阪市のバーでクレジットカードが使えなかったことに腹を立て、店舗を破壊、店長に暴行したとして、現行犯逮捕され、書類送検されたり(不起訴処分)、10年5月にはロサンゼルス郊外で飲酒運転の疑いで逮捕されたりと、お騒がせ続きだった。 そして、11年7月27日、ロサンゼルス近郊の自宅で、首を吊った状態で死亡しているのが発見された。地元警察の捜査では自殺と判断した。享年42歳の若さだった。事業の失敗や、妻子との別居などが自殺の原因との説もあるが、遺書も残されておらず、真相は本人のみぞ知るところ。伊良部は指導者として、日本球界に戻りたいとの願望もあったようだが、それはかなわず。非業の死を遂げた。 生涯成績はNPBで72勝69敗11セーブ、MLBで34勝35敗16セーブと、それほど秀でたものではない。だが、伊良部の剛速球は、その成績以上に強烈なインパクトを残した。(ミカエル・コバタ=毎週火曜日に掲載)
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スポーツ 2015年07月07日 11時00分
USA発 新聞、テレビではわからないMLB「侍メジャーリーガーの逆襲」 日本とはまったく違うメジャー球団のオーナーたち 大リーグの球団に親会社が存在しない理由
日本において、球団経営は大赤字が当たり前で、実質的に黒字を計上している球団は巨人、阪神、広島だけ。他の9球団は毎年10億円以上の赤字を計上している。それに対しメジャーでは黒字が当たり前で、30球団中25球団は黒字だ。そのうち12球団は2500万ドル(30億円)以上の黒字を計上している。 五つある赤字球団もドジャースやタイガースのように観客動員はトップクラスで営業収支は大幅な黒字なのに、関連事業への巨額の投資で赤字を計上しているケースが多い。 各球団の収支報告を見て気付くのは、昨季地区最下位で観客動員もワーストレベルのアストロズやマーリンズも1500〜2200万ドル(18〜26億円)の黒字を計上していることだ。 不人気で成績も悪い弱体球団がどこも大幅な黒字を計上できる直接的な要因は、三つの放送網(FOX、ESPN、ターナー)から入る全国放送のテレビ放映権料(年間15億ドル=1800億円)が30球団に公平に分配されるからだ。この制度により、どのチームも年間5千万ドル(60億円)くらいの分配金を受けており、地方都市の球団の場合、それがチーム経営の土台になっている。 しかし、大リーグ球団の多くが黒字なのは、この全国放映権料の分配が最大の要因ではない。一番大きな要因は、どの球団もプロのスポーツ事業家によって運営されていることに尽きる。 日本のプロ野球球団には必ず親会社がある。親会社は球団を持つことで10〜30億円の赤字が出ることを覚悟しており、それを親会社の宣伝予算から補てんしている。 大リーグにはそんな球団は一つもない。球団のオーナーの大半はスポーツ事業をメーンに展開している企業家で、道楽で経営している者は一人もいない。 ヤンキースを所有するスタインブレナー家の先代、ジョージ・スタインブレナーは造船事業で成功した人物だが、同家はとっくの昔に事業主体を儲からない造船業から面白いように儲かる球団経営に移行。現在35億ドル(4200億円)と見積もられる同家の総資産のうち9割はヤンキースと、それに関連した事業によるものだ。 2代目のハル・スタインブレナーはニューヨークのシンボル的な建造物の一つであるヤンキースタジアムを最大限活用してスポーツ・コングロマリットを作ることに注力しており、その手始めとして英プレミアリーグの強豪マンチェスター・シティと合弁でプロサッカーチーム、ニューヨークFC(NYFC)を起ち上げ、今年からヤンキースの試合がない時は同スタジアムをサッカー場に変身させ、平均2万4千人の観客を集めている。 レッドソックスのオーナー、ジョン・ヘンリーは以前NHK特集で「ヘッジファンド業界の大立者」「金融界で培った情報解析法を球団経営にも応用して成功している」と紹介されたので、日本ではいまだにそれを真に受けている人が多い。しかし、ヘンリーはすでにヘッジファンド業から撤退し、事業の主体をレッドソックスを中心にしたスポーツ事業に移している。 リーマン・ショックで痛めつけられたうえ、ヘッジファンドは元々ウォールストリートでまま子扱いされている聞こえの悪いビジネスだ。レッドソックスのオーナーとなって地元きっての名士になり、大統領とも会えるようになったヘンリーにとって、続ける理由はどこにもなかったのだろう。 フォーブス誌の「大富豪ベスト400」の327位にランクされるヘンリーの現在の総資産16億ドル(1900億円)で、そのうちの約7割はレッドソックスとその関連事業によるものだ。ヘンリーは'10年に英プレミアリーグの名門リバプールを4.7億ドル(約572億円)で買収して話題になったが、それが可能になったのもレッドソックスという金の成る木を所有しているからだ。ヘンリーがレッドソックスを買収したのは'02年のことだが、それ以降チームはワールドシリーズを3度制し、人気、実力ともヤンキースを凌ぐ球団になった。それに伴い球団の資産価値も13年間で480万ドルから2100万ドルに上昇。ヘンリーは球場周辺の不動産事業でも莫大な利益を上げており、リバプールの買収資金はそこから生まれているのだ。 大リーグのオーナーは、今やほとんどがスタインブレナー家やジョン・ヘンリーに代表されるプロのスポーツ事業家で占められるようになった。例外的な存在はマリナーズだ。 この球団は昨年亡くなった任天堂の元会長・山内溥元会長が実質的なオーナーだった球団だ。山内氏はイチローや大魔神・佐々木の活躍を喜んでいたが野球自体には関心がなく、球場を訪れたのはたった1回で、球団経営は自分の米国に於ける利益代表だったハワード・リンカーン氏(任天堂アメリカの元会長)に任せきりだった。マ軍は'02年以降13年間もプレーオフ進出がないが、リンカーン氏は現在も球団社長の座にある。米国ではあり得ないことだが、日本のような感覚で球団経営が行われてきたので地位を保っていられるのだろう。スポーツジャーナリスト・友成那智ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は各媒体に大リーグ関連の記事を寄稿。'04年から毎年執筆している「完全メジャーリーグ選手名鑑」(廣済堂出版)は日本人大リーガーにも愛読者が多い。
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スポーツ 2015年07月06日 15時00分
オリックス球界支配の秘策 星野GM&イチロー監督 誕生!(1)
日経平均株価が15年ぶりに2万円台を回復し、2000年のITバブル期の高値も超えた。6月の株主総会はいずこも順風満帆。中でも話題になったのが、6月23日に東京・虎ノ門ヒルズで開かれたオリックスの株主総会だ。新たに竹中平蔵氏(小泉政権での経済財政担当大臣)が取締役に就任し「一目見よう」とばかり、立ち見も出て土産品が不足するほどだった。 「取材陣の最大の関心は昨年6月に役員を退任し、シニア・チェアマンに就いた宮内義彦前会長(79)の巨額の役員報酬です。総額で54億7000万円。これはソフトバンクのロナルド・フィッシャー取締役(17億9100万円)、日産自動車のカルロス・ゴーン会長兼社長(10億3500万円)と比べても飛び抜けて多い。株主からどんな質問や反発が出るのか、興味津々でした」(全国紙経済部記者) 会社側によれば、宮内氏の役員報酬額のうち44億6900万円が功労金。小泉政権時代に『総合規制改革会議』の議長として精力的に規制の改革を行い、それに伴って、リース業が本業だったオリックスは保険、銀行、かんぽの宿、水族館などマルチ企業に飛躍した。その功績を評価してのものだという。 出席した株主によれば、この“超高額慰労金”の支払いに異議を述べる者はなく、逆に宮内氏を称賛する声が相次いだそうだ。 もう一つ注目されたのがパ・リーグ断トツ最下位に低迷するオリックス・バファローズの売却問題。先んじて行われた阪急・阪神ホールディングスの株主総会では、所有球団の阪神タイガースについて株主から辛辣な意見が続出した。 「球団創設80周年の節目のシーズンだというのに全然ダメ。お客さんも入っていない。来シーズンは岡田彰布さんに監督復帰してもらったらどうか」 「補強を判断する中村勝広GMの立ち位置がいまひとつわからない」 このように現場への非難が集中。総会が開催された時点では勝率5割のメドも立ち、その後、巨人を抜いてセ・リーグ首位(6月29日現在)に躍り出た阪神さえこうだったのだから、パの借金を全て抱えるほど大きく離された最下位のバファローズの現場に対して株主はもちろん、宮内オーナー自身も怒り心頭に違いないと思われた。 今季は19年ぶりの優勝を目指し、日本ハムからFAした小谷野栄一、米球界から中島裕之、DeNAからブランコ、広島からバリントンを獲得。一方でエース金子千尋のFA残留にも成功した。12球団で最も活発な補強を敢行し、優勝候補の筆頭に挙げられたものの、開幕ダッシュに大失敗。5月31日には早々と自力優勝が消滅。宮内オーナーは森脇浩司監督の解任を決断した。このことで「とうとう嫌気が差して球団売却を検討」と一部で囁かれていたのだ。 「オリックスは毎年のように企業の買収や売却を行い、資産の入れ替えを頻繁に繰り返すことで成長し続けてきた会社。それを考えれば、赤字を垂れ流す野球部門を、宮内さんがトップから退いたのを機に切り捨てると思われていたのです。しかし、その流れを見越してか、一般株主の方から『オリックスのスーパースター・イチローを兼任監督にしてほしい。そうすれば株主が毎試合観戦に行く』『フロントには星野さんのようなカリスマ性のある男が必要』との要望が上がり、宮内オーナーの球界支配の野望の背中を押したのです。普通ならいくら功労者とはいえ、44億円もの額なんて株主は許さない。それをあえて容認したのは、その資金を『星野GM&イチロー兼任監督』の体制作りに充ててほしい、と願ったからです。一方、オリックスという会社は外国人投資家が6割で、個人比率が5.4%といういびつな株主構成。これを変えるにはバファローズの人気アップが一番の近道。宮内氏もそう判断したのでしょう」(オリックス事情に詳しい経済評論家)
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スポーツ 2015年07月06日 11時00分
元大関貴ノ浪の急死で各界に広がる禁酒・健康ブーム
ショックは大−−。6月20日、わずか43歳という若さで急性心不全のために亡くなった音羽山親方(元大関貴ノ浪)急死の余波は、まだ収まる気配がない。 貴ノ浪といえば190センチ超の長身を生かし、まるでクレーン車のように相手をつり上げ、あるいは抱きかかえて振り回す基本無視の相撲でファンを沸かした規格外の力士だった。平成8年初場所と翌9年九州場所の2度、いずれも貴乃花を優勝決定戦で破って優勝。未完の魅力に溢れ、もう少し理にかなった相撲を取っていれば横綱も十分に望めたといわれている。 「私生活も豪快そのもの。同部屋の若貴らとは対照的に“斗酒なお辞せず”のタイプで、日本酒なら3升はペロリ。『ブランデーもいいけど、あれはストレートでやるとノドが痛くなる。夕べも10本はイケたけど、その手前で止めた』という話を聞いてビックリしたことがあります。おまけにヘビースモーカーで、そんな破天荒な生活を続けていれば、当然、体のあちこちに赤ランプがともるのは明白でした」(担当記者) 平成16年夏場所限りで引退。貴乃花部屋付きの親方になって以降は病気がちで、去年1月に胃がんが見つかって緊急手術し、3カ月間の入院生活を送っていた。 「いい人間ほど早死にするという言葉の通り、どちらかというと近寄り難かった若貴に比べ、貴ノ浪は開けっぴろげで飾り気がなく、慕っている力士も少なくなかった。最近も、新大関の照ノ富士らに積極的に助言していました。いずれ貴乃花親方が理事長になった暁には、右腕として活躍するとみられていただけに、この早過ぎる死を惜しむ声は多いですね」(同) いまや親方たちの健康管理が進み、力士経験者は短命というイメージを払拭しつつあったが、これでまた禁酒・健康熱がエスカレートするのは確実。引退したらまず痩せろ、を合言葉に、貴乃花親方をはじめ玉ノ井親方(元大関栃東)、錣山親方(元関脇寺尾)ら、一般人と変わらない体型の親方がゾロゾロ。せめて人間のスケールだけは“大器”のままでいてほしいものだが…。
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スポーツ 2015年07月05日 14時00分
中日本社の株主総会でオーナー続投決定 蜜月関係の落合GMもこれで安泰? それとも…
株式会社中日新聞社の株主総会で、白井文吾会長の留任が決まり、兼任していた球団オーナー職の継続も承認された。この白井オーナーの続投によって、落合博満GM(61)の長期政権も予想されるであろうが、必ずしも既定路線であるとは言い切れないようだ。 「白井オーナーは落合GMを信頼し、落合GMも白井オーナーの期待に応えようと思っています。もともと、落合氏を監督に招聘するときもその後ろ楯となったのが白井オーナーでした。二人三脚の関係は続くはず」(球界関係者) このように、落合GM体制の安泰を伝える声も多いが、問題なのは今年のチームの成績と観客動員数だ。交流戦を終え、セ・リーグペナントレースが再開されたが、中日はAクラスはおろか、広島と最下位争いを続けている。もっとも、首位とは5ゲーム差であり、大きく引き話されているわけではない。だが、今季の戦力補強とチーム編成は落合GMの主導で行われた。特にドラフトは異例の高校生指名無し。外国人選手の獲得にしても、落合GMが絶大な信頼を寄せる森繁和ヘッドコーチが決めている。ペナント敗戦の責任を問われた場合、落合GMだけが無傷でいられるはずがない。 「交流戦終了時点での入場者数は前年対比で0.2%減です。昨季も主催最終戦でようやく総入場者数200万人に到達したことからも分かるように、観客動員の長期減少傾向が解消されていません」(地元関係者) 昨年オフも落合GMによる辛口査定に泣かされた選手は少なくない。しかも、「チームスタッフや裏方さんの給料も上がっていない」(同)という。現場を支えるスタッフの士気低下はチームの致命傷になりかねない。 「昨オフに解雇された堂上裕剛は巨人に拾われ、勝利を決める一打を放つなど頑張っています。堂上は地元出身であり、堂上兄弟は外様の多い、いまの中日と地元ファンや地元企業を繋ぐ存在でもありました」(同) 落合GMは監督時代、「勝つことが最大のファンサービス」とし、それを実行してきた。しかし、勝利至上主義のため、マスコミに情報を遮断することもあり、ファンとの交流の場も減ったため、チーム成績と観客増が直結しなかった年もあった。 いまはチームが低迷している。お客が来ないうえに「勝てない」となれば、落合GM体制にメスを入れなければ、他の球団スタッフとの“調和”が取れない。というのが、安泰説を否定する根拠とされている。 「今年も基本的に落合GMがドラフト候補を絞り込む予定です。大学生、社会人の選手が多くなりそうで、中日スカウトは地元中京地区の超高校生右腕である高橋純平の1位入札に参加したいとしていますが、それも叶わないかもしれない」(スポーツ紙記者) 中日は地元有望選手の流出を嫌う。落合GMがこの高橋をどう評価しているのかはまだ分からないが、白井オーナーが説得役となって、“妥協”を求めてくる可能性は高い。 「出場記録で野村克也氏を抜いた谷繁監督が現役を続けるのか、また、2000安打を達成した和田一浩の去就も焦点になるでしょう」(同) チーム低迷、観客減、戦力補強に地元との関係。落合GMはこの状況をどう打開するのか、その手腕は実に見物である。
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スポーツ 2015年07月05日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(39)第八部・「ラウンド中の素振りについて」
ゴルフのワンショットは、生涯ゴルフを続けていくうえで、同じ天候、同じライで、2度と同じ条件でのショットを打てる事はありません。 多くの方は、ラウンド中にボールを打つ前に素振りをすると思います。 素振りは何のためにしていますか? 身体をほぐすために素振りをする人、癖で素振りをする人、その他諸々…。 私は、アプローチパターの素振りの場合、打球の未来をイメージする素振りはできていますが、ドライバーなどライがよっぽど悪くないセカンドショット前の素振りはただただ癖で素振りをしている感じになってしまいます。 ですので、こう振り返るとアプローチパターは、ショットに比べて打球の未来のイメージがかなりできているので、ショットに比べてミスがとても少ないです。 ドライバーも、ショットも、アプローチも、パターもきちんとイメージを膨らませながら素振りをして打つ事ができるといいですね。 そしてラウンド中の素振り、皆さんは何回素振りをしますか? 私はドライバー、ショットは1回。アプローチパターは、2〜3回素振りをしてから速やかに打ちます。中には素振りを10回〜15回してから打つ人も。 素振りは迷いを引き出す…という側面もありますので、素振りをすればするほど、『ん?』と、なってしまいますし、プレーの遅延行為になってしまったりもするので、程々に。苦しむのは練習場で、楽しむのはコースで。 練習場では、素振りを全くせずにボールばかり打っているのに、コースに出ると素振りをしたがる人。練習は本番のように。本番は練習のように。 私は、ラウンド前の練習場で素振りを2回ぐらい、あとはずっと素振りをせずにボールを打ち続けます。 素振りを全然しないのにどのクラブもナイスショットの連続! 練習場ではプロアマみたいだな…と自分でいつも自分のボールをみて感心します。が、いざ本番になると、やはり良い球を打ちたい、ベタピンしたい、飛ばしたい等々…欲が出て練習場の様にはいきません。 これこそ、「本番は練習のように」ですね。 軽井沢に名門ゴルフコースがあり、そこのゴルフ場は何と『素振り禁止!』なんです。えええええ!! って叫びたくなりますよね(笑)。皆さん、それぞれ自分のルーティーンがあって安心して打つ…ですよね。 でも、ここのゴルフ場は素振り禁止。皆さん、素振りをせずに本番へ。しかし、ここでベストスコアを出す人が続々と! 素振りをしないということは、良い緊張感を持ちながら、未来の打球をイメージして打つ事ができて、素振りをしない事によって何の迷いも無く打てるので逆に良いのかもしれませんね。 私は、ここのゴルフ場へは行った事が無いのですが、この話を聞いて『よし! じゃぁ今日私も素振りしないで打つ!』と決めて、1回も素振りをせずにラウンドを前回してきました。 いつも1ラウンドでパー3以外の14ホールはドライバーを使うのですが、14ホール中4〜5回ぐらいは、ダフったり、てんぷらだったりがありますが、素振りをせずに打ったら14ホール中14ホールがドライバーがナイスショットでした。 「素振りをせずに打つ」ということは、イメージを膨らませて自分自身を信じて打つので、これをきっかけに素振り無しでも良いかなと思いました。 でも、何より1番心掛けたいことは、プレーファストです!
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