スポーツ
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スポーツ 2015年07月04日 14時00分
打率、本塁打、得点、失点、セ・リーグ最下位 それでも阪神が首位に立ったのはある選手のおかげ?
阪神タイガースが6月24日の広島戦に勝ち、4月4日以来のセ・リーグ単独首位に立った。 「1点差ゲームをコツコツ拾い(14勝9敗)、着実に勝ち星をモノにしてきた」(在阪記者) しかし、トラがこのまま快走できるかといえば、疑問符が出るという。トラの内情は惨憺たる数字が並んでいるのだ。 チーム打率2割3分5厘、チーム総得点215、本塁打34本、盗塁23。全てリーグワーストの数字なのである。投手陣にしても、チーム防御率3.79、総失点287もリーグ最下位である。この数字で、よく首位に立てたものだ…というのが正直な感想である。 「今成が報道陣に『首位浮上だが?』と質問され、素っ気ない対応で通りすぎていきました。けれど、後から慌てて戻ってきて、聞き直していましたよ(笑)」(同) 今成もチーム状況を考えたら「リーグ首位」と言われても、ピンと来なかったのだろう。おそらく、他の阪神ナインもそう思ったはずだ。 たしかに、首位に立った68試合を消化した時点での勝敗は、34勝33敗1分で貯金は1しかない。リーグ首位の成績としてはお粗末すぎる。最下位チーム(同時点では広島)とのゲーム差も3.5しかない。3連戦の直接対決で肉薄可能な数値である。セ・リーグが全体的に差がなく紙一重の差で順位が決まっているというわけだ。 「今年のセパ交流戦は、パ・リーグが61勝44敗3分で終了し、セ・リーグを圧倒しました。今年のセは開幕前から混戦になると予想されたように、どのチームも首位独走になるような決め手に欠いている。そこで、元から交流戦にいいイメージを持っているパのチームに、セの6球団が揃って餌食にされたわけです。交流戦でパ・リーグがセ・リーグに負け越したのは過去に一度しかないですから」(プロ野球解説者) ここで、なぜ阪神が1点差ゲームで高勝率を挙げられる背景に改めて注目してみよう。チーム防御率はリーグワーストでも、セ・リーグトップのセーブ数を稼いでいるのは呉昇桓で、ホールドポイントのトップも阪神の福原忍だ。また、奪三振王も藤浪晋太郎である。藤浪、福原、呉昇桓という“個々の力”が勝因なのかもしれない。 「セ6球団のなかで絶対的なクローザーを持っていないのは広島だけ。DeNAの山崎と、巨人の澤村は息切れし始めており、阪神が1点差ゲームに強いと言われるのは、福原から呉昇桓に繋ぐスタイルが確立されているからともいえます」(同) 開幕から不振が続いていたマートンと、メッセンジャーも本来の調子を取り戻しつつある。他球団が夏場にさしかかるこの時期に、お疲れモードに入っているのに対して、阪神はようやくエンジンが掛かってきたとも言えなくはない。 チーム関係者がこう続ける。 「いや、怪我で出遅れていた今成が一軍ベンチに帰って来たのがいちばん大きい。今成は声だし要員であり、ムードメーカーです。彼のおかげ」 ただ、虎ファンはリーグワーストの部門が軒並み多い現在の状況に、やや悲観的だという。虎のベンチにムードメーカーが復帰して状況が改善したのであれば、虎ファンの中にもムードメーカーが必要だと言われてしまうかもしれない。
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スポーツ 2015年07月03日 15時30分
波紋呼ぶのは必至! 原監督がセ・リーグ2冠王のヤクルト・畠山を球宴に選出せず
これは、ちょっとした遺恨を生みそうだ。 巨人・原辰徳監督が「マツダオールスターゲーム2015(第1戦=7月17日・東京ドーム、第2戦=同18日・マツダスタジアム広島)」の監督推薦において、セ・リーグ打撃部門で2冠王の畠山和洋内野手(ヤクルト=一塁手)を選出しなかったのだ。 NPBは7月2日、オールスター戦の監督推薦選手を発表したが、そのなかに、19本塁打、57打点で両部門の2冠王である畠山の名がなかったのだから驚きだ。 昨年、監督推薦発表時にリーグの首位打者だったエクトル・ルナ内野手(中日)が選ばれない波乱があった。これは、ファン投票、選手間投票の時点で外国人枠がいっぱいになったためで、やむを得ない事態だったが、今回は事情が違う。 畠山は同2日現在、トップを走る本塁打、打点のみならず、打率も.280(リーグ11位)で文句なしの成績を残している。ファン投票は新井貴浩内野手(広島)に次いで2位、選手間投票でもホセ・ロペス内野手(DeNA)に次ぎ2位だった。 当然、監督推薦で選ばれるものと思われたが、まさかの落選に畠山は「1度も出たことがない人なら出てみたいと思うだろうけど、僕は2度(11、12年)出ているから」と感情を押し殺した。ヤクルト・真中満監督は「残念だけど仕方ない。試合に出続けているから、ゆっくり休んでもらえれば」と大人の対応をしたが、両者ともに内心では怒り心頭であるのは間違いない。 原監督はヤクルトからは、抑えのトニー・バーネット投手、中村悠平捕手、山田哲人内野手(二塁手)を選出し、帳尻を合わせた。 畠山が選ばれなかった要因は、ポジションの重複問題とされている。一塁手は新井、ロペスがいる上、捕手の選手間投票で選出された阿部慎之助捕手(巨人)を、原監督が一塁手で起用したいためだ。他のポジションとの兼ね合いを考えると、一塁手を4人も入れるわけにはいかないわけだ。 その一方、原監督は監督推薦で自軍の足のスペシャリスト・鈴木尚広外野手を選出する仰天行動に出た。鈴木の今季成績(同2日現在)は、31試合出場、9打数3安打1本塁打3打点6盗塁、打率.333。原監督は「(全セの)監督という立場でなくても、我が軍で推薦できる選手ではナンバー1」と話した。 某スポーツ紙の野球担当・A記者によると、「原監督が鈴木を選ぶのではないかというウワサは、監督推薦発表の前に広がっていました。ポジション問題を言うなら、阿部は自軍の選手ですから、オールスターでは我慢してもらって捕手で出ればいいわけですし、指名打者制で使うのもいいでしょう。畠山が外野もできることはファンでも知っていることで、一塁ではなく、外野で使えばいいのです。ポジションのバランスは、鈴木を選びたいがための口実にしか聞こえません」と語る。 オールスター戦は選手のためでもあるが、ファンのためのものでもある。チケット代を払うのはファンだ。2冠王・畠山の選考漏れには、ヤクルトファンのみならず、野球ファン全体が首を傾げるだろう。畠山の豪快なバッティングを、オールスター戦で見たかったファンは多いはずだ。 同7日から、東京ドームで巨人対ヤクルトの2連戦が行われるが、このカードが“遺恨試合”となる様相を呈してきた。(落合一郎)
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スポーツ 2015年07月03日 14時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈アントニオ猪木vsモハメド・アリ〉
“世紀の一戦”と称されるものは数あれども、その中でも筆頭に挙がるのがアントニオ猪木vsモハメド・アリ、格闘技世界一決定戦だろう。試合当時は悪評紛々だった猪木の寝転んでの戦いぶりも、今になっては“格闘技的に正しい戦術”との理解が進んでいる。 「どちらも傷つかない形で引き分けに持ち込むために猪木があのような戦法を取ったという見方から“茶番”と言われたりもしましたが、現実にはアリは帰国後、試合中に蹴られた脚に血栓症を起こし入院。それで引退を早めたともいわれています」(格闘技ライター) 試合に際し、アリ側はWWFで鳴らした敏腕マネージャーのフレッド・ブラッシーを帯同するなど、あくまでもプロレスの範疇としてのエキシビションマッチを意識していたことがうかがえる。 アメリカ各地では同時開催で“プロレス”のビッグマッチが組まれており、これも猪木アリ戦が“プロレス界の出来事”と捉えられていた故だろう。 だが、猪木とその片腕である新間寿氏だけは違い、一貫してアリに真剣勝負を求め続けた。 「ビッグイベントとして見栄えのする試合を求めるのであれば、むしろ段取りを決めた八百長をする方が良かった。しかし、そうでなかったことが真剣勝負の証とも言えるでしょう」(同ライター) 試合内容について“猪木は戦いが実現した時点で満足だったから、あえて危険を冒さずに安全運転をした”との見方もあるが、これも正しいとは言えない。勝つためにスライディングキックを採用したのが、格闘技理論的に正しい手段の一つであったことは前述の通りである。 試合後半、ロープ際で両者もつれて倒れ込んだ際に「反則負けになってもいいからアリをつぶしにかかるべきだったし、そうして見せ場を作るのがプロレスラーというものだ」との論もあったが、これも現実的には不可能だ。 それこそ、文字通りの“命懸け”−−。アリの腕一本、折ることはできたかもしれないが、アリの取り巻きには拳銃を所持した連中もいたというまことしやかな噂もあった。そんな中で反則の暴挙に出たとき、その代償は猪木自身の“命”となった可能性は十分に考えられる。 いくら観客でも猪木に「命を捨てよ」という権利はない。それとは逆に、むしろ“いくら見栄えが悪くとも、勝ちを追求したことこそプロレス的だった”とは言えまいか。 プロレスとはすなわち格闘興行であり、一戦毎の盛り上がりも重要ながら、それ以上に興行として後につなげていくことが求められる。こう考えたとき、猪木にとって、アリ戦での「負け」は何の意味もない。 いくら見世場たっぷりであっても、結果、猪木が負ければ「プロレスなどボクシング世界王者の敵ではない」との世間からの評価が下されることになる。試合そのものが“アリのお遊び”の一環としか受け取られなかっただろう。 アリへのファイトマネー支払いのため大借金を背負ってまで実現させた以上、これをその後の興行に生かすことこそがプロレスラーにとっての命題であり、そうとなれば勝ち、もしくは最悪でも引き分けに持ち込まなければならなかった。 どんな手を使ってでも相手を退け、後の興行につなげていくというのは、アメリカンプロレスのダーティーチャンプの系譜に連なるものであり、それに猪木も則ったという見方もできるのではないか。 「実際、アリ戦では不興を買った猪木ですが、その一方でジャイアント馬場を差し置き“日本のトップレスラー”と世間一般から認識されるようになったのも事実です。このことが、'80年代の新日本プロレス黄金期にもつながったと言えるでしょう」(スポーツ紙記者) 猪木のキャリア最晩年、イラクや北朝鮮での興行を実現できたのも、猪木が“偉大なるアリと引き分けた男”であることの影響は大きかった。そのころ参議院議員の肩書があったとはいえ、スポーツ平和党のような弱小野党党首というだけでは、イラクや北朝鮮との直接交渉の場に立てるはずがない。 1976年6月26日−−。大借金と世間の不興という代償はありながら、結果的に猪木は大博打に勝ったのである。
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スポーツ 2015年07月02日 14時00分
USA発 新聞、テレビではわからないMLB「侍メジャーリーガーの逆襲」 日本で花開く恐るべきハングリー精神 デニング(ヤクルト)とセラテリ(西武)
今週はハングリー精神を武器に日本のプロ野球で活躍し話題になっているデニングとセラテリを取り上げる。それにより、日本の読者に米国のマイナーリーグ選手がいかに過酷な環境でプレーしているか知っていただきたいからである。■ミッチ・デニング(東京ヤクルト) 5月26日、ヤクルトはBCリーグ新潟に所属するミッチ・デニング(26歳)と年俸360万円で契約、極端に低い年俸が話題になった。にもかかわらずデニングは入団後瞬く間にレギュラーに収まり、打率は低いが勝負強さをいかんなく発揮。6月7日のロッテ戦では借りたバットで試合を決める第2号満塁アーチを放ち脚光を浴びた。 デニングの異色な点は、ヤクルトと契約するまでずっと「貧困ライン(一人当たりの年間所得が125万円)」以下の生活をしてきたことだ。 表(本誌参照)にあるように17歳でレッドソックスのマイナー球団と契約して以来、デニングはヤクルトと契約するまで、春夏は米国のマイナーリーグ、米国の独立リーグ、日本の独立リーグでプレーし、秋冬は母国オーストラリアのプロリーグでプレーしてきた。 1年を通して給料が支払われる日本のプロ野球では1年間に二つのリーグでプレーする選手はいないが、米国のマイナーリーグでは公式戦期間中の4月から8月までしか月給が出ないためキャンプ期間とオフシーズンは無給となる。そのため選手はスポーツクラブの受付係、スーパーの倉庫係、土木作業員など、さまざまな仕事に精を出して生活を維持する。しかし一部の熱心な選手は微々たる報酬しか出ない中南米のウインターリーグや豪州リーグでプレーして技術の向上に努める。デニングもその一人で母国のシドニーやアデレードのチームでプレーしている。 豪州リーグの月給は日本円で7万円程度だが、野球後進国のオーストラリア出身で経験の蓄積がないため、オフシーズンも自分を野球漬けにする必要があると思って精進していたのだ。 デニングはマイナーリーグでは2A止まりで、少しの間米国の独立リーグでプレー後、BCリーグの新潟と年俸80万円(月給15万円×6カ月分)で契約したが、もともと貧困ライン以下の生活をしてきたので「住居は家賃月4万円の6畳一間(風呂なし)。昼と夜は行きつけの『ラーメン酒場どさん亭』で食べる500円のワンコイン定食。贅沢は大好きな餃子を食べること」という超プアな生活も全く苦にならなかった。 球団との契約は基本年俸360万円に加え、一軍在籍1日当たり7万6千円が加算されるので懐具合はだいぶ良くなったが、それでも10月まですべて一軍に在籍しても1500万円にしかならない。 すでにキャサリンさんという豪州美人と事実婚状態で彼女はデニングの両親と暮らしている。今年ヤクルトで活躍すれば年俸が5000万円くらいになって家を買う金もできるので、デニングの一試合ひと試合にかける意気込みは、日本人選手の比ではない。■アンソニー・セラテリ(埼玉西武) もう一人、ハングリー精神をむき出しにしたプレーで注目されているのが西武のアンソニー・セラテリだ。 セラテリは31歳までメジャーで一度もプレーした経験がないベテラン・マイナーリーガーで、今季西武と契約。年俸は日本のメディアの推定では7500万円になっているが、西武はメジャー経験がまったくないメヒアと初年度(昨年5月契約)3750万円で契約しているので、それ以下の評価だったセラテリは3000万円程度のはずだ。 このセラテリ、序盤は二軍でプレーしていたが5月22日に一軍昇格後はライトのスタメンで頻繁に起用されている。プレースタイルの特徴は日本人選手より日本人的なことで、バントは名人級。パワーはないがボール球に手を出さず四球をよく選ぶ。 このセラテリがキャンプ中「11刀流選手」として話題になったことがあった。投手、捕手以外の七つのポジションをすべてこなせる「守備の7刀流」に加え、スイッチヒッターで左打者にも右打者にもなれる「2刀流」、さらに2年前に「ArS*1プロダクション」という映像制作会社を設立し、オフには社長兼俳優の「2刀流」をやっているので、しめて「11刀流」というわけだ。 それを報じる日本のメディアの記事を見ると、多くの日本人は、セラテリは超人的に器用な人間で、野球以外の才能に恵まれていると思うはずだ。しかし、七つのポジションをこなせるようになったのは、守備力が並で固定できるポジションがないため、故障が出たポジションを転々とした結果、レベルを問われなければたくさんのポジションを守れるようになったに過ぎない。自分の会社を設立して映像関係のスモールビジネスを始めたのは、オフにスーパーやガソリンスタンドの店員をやるよりは多少カネになると思ったからであり、自ら俳優もやるようになったのはプロの俳優を雇う金がなかったからだ。それだけハングリーな生活をしてきた選手なので、日本でもしぶとく生き残るような気がしてならない。スポーツジャーナリスト・友成那智ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は各媒体に大リーグ関連の記事を寄稿。'04年から毎年執筆している「完全メジャーリーグ選手名鑑」(廣済堂出版)は日本人大リーガーにも愛読者が多い。
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スポーツ 2015年07月01日 14時00分
横浜DeNA“ハッカー集団”の暗躍でペナント巻き返し
やはり、ベイスターズは馬群に沈むテレビ馬だったのか−−。交流戦終盤の連敗はペナント再開後の広島戦でも止まらず、首位陥落どころか最下位がすぐそこまで迫っている。 “名将”から一転、中畑清監督の評価は大暴落。ところが、球団首脳は「7月の再浮上」に揺るぎない自信を持っているという。それを如実に物語っていたのが、6月20日に都内で開かれた横浜DeNAベイスターズの親会社ディー・エヌ・エーの定時株式総会。株主から「地域貢献」を問われた南場智子オーナーはこう答えた。 「スタジアムのプレーで横浜を盛り上げていくのが一番。連敗していて心配を掛けているが、まだシーズンは半分も終わっていない。応援をお願いします」 詫びるどころか、DeNAのペナント制覇に自信を隠さなかった。南場オーナーは“強いのか弱いのか”正体不明のこのチームの全体像を掌握しているのだ。 交流戦前までは29勝19敗(貯金10)、巨人に2差をつけての首位。ところがパ相手の交流戦では3勝14敗1分け(借金11)の12位。ベイスターズの自滅でセの首位に浮上した巨人も、交流戦では7勝11敗の11位だった。これをパとセの実力の差と決めつけるのは早計。DeNA球団関係者は「パとセのスパイ能力の差」と一刀両断する。 コーチが相手選手の癖を盗むなどの勘に頼る手法はもはや過去の遺物。ベンチとは別チームの精鋭部隊がパソコンを駆使してあらゆる情報を入手、それをリアルタイムに選手にフィードバックするのが現代流で、まさにこれこそが“パ・リーグ流”。DeNAもソフトバンクや楽天に倣って選手個々の能力を数値化し、クラウドシステムで情報を一元管理する『ミナト・システム』を開発。相手、自軍の選手の状態、得手不得手を数値化した。序盤の快進撃はこれが奏功しての首位だった。 中畑監督は選手を鼓舞するのが役目で、実質采配はコンピューターが振るっていた。大本営はベンチではなく、横浜スタジアムに設けられたチーム戦略ルーム。ここに足を運べば、欲しい情報がすぐさまテレビ画面に登場。この様子は6月17日に放送されたNHK『クローズアップ現代』でも紹介された。 しかし、この『ミナト・システム』にはパ球団の詳細な情報は入っておらず、今回の交流戦では全く歯が立たなかった。これが連敗の原因で、リーグ戦に戻ればまた状況は変わってくる。 現在、DeNAのエンジニアたちがリーグ戦再開に合わせて最新の情報をインプット中。アップデートされたコンピューターが再起動することで、DeNAの7月反攻がリスタートすることになる。
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スポーツ 2015年07月01日 12時00分
【甦るリング】第13回・報道陣も恐れるほどヒールに徹したタイガー・ジェット・シン
プロレスは勧善懲悪の方が分かりやすい。ベビーフェイス(善玉)が光るためには、究極のヒール(悪役)が必要だ。日本ではタイガー・ジェット・シン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シークが外国人の3大ヒールとして、伝説に残っているが、なかでも、シンは特別な存在だった。 ヒールといっても、それはリング上でのことであり、リングを下りたら話は別。ヒールをやっている選手ほど、ふだんは温厚な人物であることが多かったりするのだが、シンの場合はちょっと事情が違った。シンはリング上だけではなく、ヒールを貫くため、報道陣の前でも徹底的に悪役に徹していたのだ。試合後、マスコミはシンの後を追って、バックステージへ向かうのだが、シンはリング同様、サーベル片手に報道陣を追い掛けてくるのだから怖いのなんの!なかには、シンに手を出されるマスコミもいたほど。それが、ヒールに徹するシンのやり方だと分かっていても、それでも怖かったのだ。 日本では全く無名だったシンは、新日本プロレス、そしてアントニオ猪木が育てたといっていい選手だ。ジャイアント馬場の米国修行時代の師匠だったフレッド・アトキンスから、正統派レスリングの手ほどきを受けたシンは、1960年代後半から、カナダ・トロントでベビーフェイスとして活躍していた。豪州遠征で知り合ったスティーブ・リッカードの紹介で、73年5月に初来日。観客席に座っていたシンは、試合中の山本小鉄を襲撃し、これをきっかけに、新日本のリングに上がるようになる。 当時、旗揚げ間もない新日本は、オポジションの全日本プロレス、国際プロレスのように、大物外国人選手を招へいすることができなかった。だが、シンという究極のヒールの誕生で、流れが変わった。猪木とシンの抗争はヒートアップ。同年11月には、夫人(倍賞美津子)とともに買い物中だった猪木を、新宿伊勢丹前の路上でシンが襲撃。警察沙汰になる事件が起きた。猪木は「リングで制裁する」との理由で被害届は出さなかった。結局、新日本への厳重注意で収まり、ことなきを得たが、プライベートで猪木を襲ったシンの悪名はまたたく間にとどろいた。両者の遺恨は深くなり、74年6月の対戦では、猪木がシンの腕を折る事態にまで発展した。 75年3月には、シンは猪木を破って、NWFヘビー級王座を奪取するなど、新日本のトップ外国人として君臨した。しかし、スタン・ハンセンの登場で、その立場は微妙なものになっていく。81年に入ると、新日本と全日本の仁義なき引き抜き戦争がぼっ発。同年5月に新日本が全日本のトップヒールだったブッチャーを引き抜くと、同年7月、全日本は報復としてシンを引き抜いた。シンは上田馬之助とのタッグで暴れ回り、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田からインタータッグ王座を奪取したこともあった。 ただ、シンの全日本移籍直後の同年12月にはハンセンも全日本に移籍。リング上の闘いはハンセン、ブルーザー・ブロディ、ドリー・ファンク・ジュニアとテリー・ファンクのザ・ファンクスらがメーンとなることが多く、シンの影は薄かった。88年には全日本に出戻ったブッチャーと凶悪タッグを結成するも、主役に躍り出ることはなかった。 全日本での役目を終えたシンは、90年9月、9年ぶりに新日本に復帰。猪木のデビュー30周年記念イベントで、恩讐を超え、猪木と一夜限りのタッグを結成した。その後も、新日本に参戦し続けたが、猪木より下の世代との対戦は大きなムーブメントとはならず、フェードアウトしていった。 新日本を去ったシンに触手を伸ばしたのは、新興団体FMWの大仁田厚だった。大仁田は関ヶ原(ノーピープル)、横浜スタジアムで2度、シンと電流爆破デスマッチを行うなど、シンの再生に成功した。その後、第2次NOWを経て、IWAジャパンに参戦。IWAではVIP待遇の扱いを受け、ベビーフェイスの役回りを与えられ、グッズ売店でサイン会を行ったりもした。昔とはファンの気質も変化しており、ファンもベビーフェイスのシンを歓迎。ただ、ファイトスタイルが変わることはなく、バックステージで報道陣を追い掛けるのは相変わらずだった。 晩年には、エンターテインメントプロレス団体ハッスルに参戦。小川直也、曙、ボブ・サップらとも対戦。ブッチャーとタッグを組んだり、一騎打ちを行うなどした。09年10月、同団体は活動を休止。シンが日本でファイトしたのは、これが最後となった。 自宅のあるカナダ・トロントに戻れば、シンは実業家、慈善事業家として有名な地元の名士であり。そこでは、ヒールとしての顔はなく、私生活では紳士として通っている。とはいえ、シンは日本のファンにとって、永遠にヒールであり、報道陣にとっては、限りなく“怖い”存在だった。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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スポーツ 2015年06月30日 14時00分
巨人・原監督が禁断の広島・黒田潰し采配で首位固め(2)
また、緒方カープの球宴明けの日程が興味深い。球宴が天候の影響を受けなかった場合、広島は第2戦翌日の19日を空けて、マツダスタジアムで続けて試合が組まれている。最初のカードは中日戦で、次は巨人戦。黒田の使い方に“小細工”を施せば、球宴明け後半の登板日が変わる…。 「黒田は5月15日から計5回先発していますが、『中6日』の登板間隔を守っていました。それが復帰最多となる8回を投げた6月12日の後は、『中6日』で出てきませんでした。7月から8月はどの先発投手も疲れてきます。黒田の場合、長いイニングを投げた疲れはもちろんですが、蓄積疲労も少し早く出たようですね」(在阪球団スコアラー) 緒方孝市監督は、黒田を先発ローテーションから1度外したわけだ。 「球宴までの1カ月は無理をさせず、後半戦に備えさせるつもり」(前出・記者) 広島浮上のカギを握っているのは、黒田と前田健太(27)だ。優勝候補の筆頭に挙げられながらも、緒方監督が開幕ダッシュに失敗した理由は打線の低迷だが、「昨季本塁打王のエルドレッドが復帰し、シアーホルツも日本の投手に慣れてきた」(球界関係者)との評価も聞かれる。「立て直すべきは、むしろ投手陣の方」なる声もある。 「緒方監督は最終的に、大瀬良大地をクローザーに回すつもりです。防御率2点台の先発投手は黒田、前田とジョンソン。中継ぎ投手が弱いので、彼らは長いイニングを無理やり投げようとしている。その反動が出そう」(前出・スコアラー) 球宴で投げた投手は、その次は「中2日」で出てくるのが“慣例”だ。原監督が黒田を球宴第2戦(18日)に回せば、中2日で、最初のカードの中日第2戦(21日)に出てくる計算。 しかし、第1戦に投げさせると、巨人にすればブミキさが増す。というのも、緒方構想では、「黒田をメジャー時代と同じ中5日で投げさせ、7回以降は救援投手に託す」やり方に変更したいと思っている。メジャー時代の中5日が体に染みついており、疲れもたまらないとみているからだ。第1戦に投げさせると、球宴明け初戦の20日中日戦、そこから中5日を計算すると、次の巨人3連戦の3試合目(26日)に黒田が出てくる。 緒方監督にすれば、本拠地6連戦を勝ち越し、上位浮上といきたいところ。それを原監督が阻止するには、やはり黒田を球宴第2戦まで温存すべきなのだ。 「前田も第2戦に温存するのでは? 前田も中日戦に回れば、2人とも巨人戦には投げません」(関係者) 緒方監督はコーチで球宴ベンチに入るが、采配の権限はない。全ては原監督の手中にあるというわけだ。
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スポーツ 2015年06月30日 12時00分
【記憶に残るプロ野球選手】第11回・“野球界の一発屋”1年で燃え尽きた剛速球投手・与田剛
お笑いの世界では、“一発屋”と呼ばれる芸人が数多く存在するが、野球界でも、“一発屋”といえるような選手がいる。その代表的な選手が、剛速球で鳴らした与田剛(49)ではなかろうか。ここでいう一発屋”とは、悪い意味ではなく、それだけブレイクした時のインパクトが強かったとの意味である。 千葉・木更津中央高校を経て、亜細亜大学に進学した与田は、故障がちで大学ではふるわず。NTT東京入りして、頭角を現すと、1989年のドラフト1位で指名され、中日ドラゴンズに入団。デビュー戦は90年4月7日の横浜大洋との開幕戦。同点の場面の延長11回表無死一、三塁の絶体絶命のピンチでリリーフ登板した与田は、2つの三振を含め、無失点に抑えて鮮烈なデビューを飾った。 そりゃもう与田の球は速かった! その後、新人ながら、クローザーとして起用された与田は、6月には月間MVPを獲得。オールスター戦にもファン投票で選ばれた。8月15日の広島戦では、当時日本最速となる157キロを記録した。後半戦になっても、与田の勢いは衰えず。シーズンを通して、50試合に登板(救援は48試合)。88回1/3を投げ、4勝5敗31セーブ、防御率3.26をマークした。同年、与田は新人王、最優秀救援投手のタイトルを獲得し、最高の年となった。この年にマークした新人での8戦連続セーブは当時の日本記録。今季、亜細亜大の後輩でもある山崎康晃(DeNA)が、この記録を塗り替えたが、25年間、誰も破れなかった偉大な勲章だった。 だが、登板過多の影響から、2年目(91年)は29試合の登板で、0勝3敗2セーブと不振だった。3年目(92年)は41試合に登板し、2勝5敗23セーブの成績を収めて、復活の兆しを見せた。ところが、4年目(93年)に右ヒジを痛め、わずか15試合の登板(1勝3敗3セーブ)に終わると、与田の辛い故障との闘いが始まる。 右ヒジの痛みはなかなか癒えることはなく、94年は7試合、95年は5試合投げたのみ。96年にはルーキーイヤーに監督だった星野仙一が、5年ぶりに監督復帰。与田は1軍での登板が1度もないまま、シーズン途中に、ギャオスこと内藤尚行との交換トレードでロッテに放出される。移籍後、米2Aのメンフィス・チックスに野球留学したが、同年、97年と1軍登板がないまま、ロッテから自由契約となる。 98年は日本ハムにテスト入団したが、キャンプ中に右ヒジを痛め、同年4月、遊離軟骨除去手術を受ける。その影響で、この年も登板できず。翌99年も2軍暮らしが続いたが、10月のシーズン最終戦で4年ぶりに1軍登板し、1回を投げたが、オフに戦力外となる。 あきらめきれない与田は、阪神にテスト入団し、野村克也監督(当時)から期待もかけられたが、同年も故障のため、1軍での登板機会はなく、オフに引退を決断した。プロ通算11年で残した成績は、148試合登板、8勝19敗59セーブ、防御率4.58。つまり、生涯登板の3分の1を1年目に投げたことになる。トレードされた96年以降、5年間で1軍登板は1試合だけだった。 引退後は、NHKの野球解説者となり、09年4月から2年間、NHK「サンデースポーツ」のMCを務めた。WBCでは、09年の第2回大会、13年の第3回大会で、ともに日本代表の投手コーチに招へいされた。01年から、社会人野球のクラブチーム、サウザンリーフ市原の投手コーチを務めているが、まだNPBでの指導歴はない。故障で苦しんだ与田だけに、故障者の気持ちはよく分かるだろう。それだけに、1度はNPBでコーチングするチャンスを、どこかのチームが与えてほしいものだ。 私生活では、ダンディなルックスで、モテ男。92年には、当時TBSの人気女子アナだった木場弘子アナと結婚している。まさに、ケガとの闘いの日々だった与田。それでも、ルーキーイヤーのインパクトは今なお鮮烈で、与田もまたレジェンドのひとりであることに違いはない。(ミカエル・コバタ=毎週火曜日に掲載)
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スポーツ 2015年06月29日 14時00分
巨人・原監督が禁断の広島・黒田潰し采配で首位固め(1)
巨人・原辰徳監督が“禁断の采配”に打って出る!? 11年目の交流戦はまたもや、セ・リーグの完敗だった(44勝61敗3分け)。セで勝ち越したのは10勝8敗の阪神だけで、首位争いを演じていた巨人と横浜DeNAは仲良く11、12位というブザマさ。その結果、ペナントレースはさらに混戦を深めた。 「交流戦を苦手としていた広島が9勝9敗の5割で乗り切ったのは大きい。昨季は開幕ダッシュに成功しても、交流戦で負け越してしまい、結果、巨人に優勝をさらわれました。徐々にだが、広島が本来のスタイルを取り戻しつつある」(スポーツライター・飯山満氏) 広島は「借金5」の5位だが、首位巨人との差はわずか3ゲーム(22日時点)。直接対決で叩けば、一気に首位戦線に浮上できるところまで盛り返した。 「原監督も広島カープを意識しつつあります。先発ローテーションによる巡り合わせとはいえ、黒田との対決が一度もないセ球団は、巨人だけなので」(スポーツ紙記者) 黒田博樹(40)はここまで6勝を挙げ、ハーラー2位タイ。防御率も2.61の好成績を残している。 その黒田とまだ直接対決のないブキミさが、巨人を精神的に追い詰めているようだ。しかし、黒田対策として、“禁断の采配”があった。原監督は昨季のリーグ優勝指揮官として、オールスターゲームの采配を振るう。原監督次第で、黒田のローテーションをいくらでも狂わすことができるのだ。 話は1カ月ほど前にさかのぼる。NPBは球宴の投票などを説明するPRイベントを開催(5月14日)。そこで雛壇に上がった原監督はパ・リーグの指揮を執る工藤公康監督と“舌戦”を繰り広げたが、気持ちが高揚したのか黒田を指して、意味シンなセリフを残している。 「(黒田が)投げるのは自分も楽しみ。監督としての持論で行くかどうか…」 “持論”とは、オールスターゲームの第1戦はファン投票で選ばれた選手を起用するというもの。投票開始以来、セ・リーグ先発投手部門で1位を独走しているのは黒田。この時点で“侠気投手”の選出が予想され、原監督が持論を貫いた場合、黒田は第1戦の先発となる。 今年の球宴は2試合のみ。第1戦(7月17日)は東京ドームで行われ、2戦目(同18日)の舞台は広島の本拠地・マツダスタジアムだ。黒田を第2戦の先発で使うとなれば、投票したファンに申し訳ないと思うのが原監督の考え方だが、今年も各ポジションで投票1位を争っているのは広島勢なのだ。黒田だけを第2戦に温存するのは不自然であり、そうなると、投票1位以下の監督推薦、選手間推薦で選出された“ジミどころばかり”となる。
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スポーツ 2015年06月29日 14時00分
球宴前の監督人事のゴタゴタ再現!? 大久保監督の命運は松井裕樹が決める…
オールスターゲームのファン投票結果が発表された6月26日時点で、東北楽天ゴールデンイーグルスは33勝34敗2分けで4位。首位ソフトバンクとのゲーム差は「9」。厳密に言えば、投票結果を聞いてから試合に臨んだので、33勝33敗2分けだった。「やっと勝率5割に戻したのに、再び借金生活に逆戻り」である。 「パ・リーグはソフトバンクが頭ひとつ抜け出ているが、それを追い掛ける2位・日本ハムは戦力的に見て、一枚も二枚も劣る。2位のチームがソフトバンクとのゲーム差をなかなか縮められないのだから、それ以下のチームはもっと苦しいと感じているはず」(プロ野球解説者) 楽天は大久保体制で戦っていくのだろうか。 交流戦中、オリックスは森脇浩司監督の途中休養を発表した。昨年の監督人事騒動は楽天で繰り広げられた。星野仙一監督(現シニアディレクター)が体調不良を訴え、年長の佐藤義則コーチが代行指揮を執ったが、チーム成績は上がらず、楽天は監督代行の代行を立てる“異常事態”となった。その後、「監督代行の代行」を務めた大久保博元二軍監督が、一軍指揮官に昇格した。 「大久保監督が正式就任する前後、地元ファンはそれに反対する声を上げましたが、観客数が落ちた、グッズの売上げが伸び悩んでいるなどの話は一切聞かれません」(前出・同) オリックス、そして、昨季の楽天といい、不振チームの監督人事はこの時期に動くようだ。プロ野球も人気商売である。親会社にすれば、ブザマな負け試合が続けばグループ全体の収益にも影響しかねない。6月の株主総会を意識してのことだろう。 「楽天は大久保体制を続けるのだろうか」 そんな疑問の声もグラウンド内外で囁かれている。たしかに途中休養させるほど悪い成績ではない。しかし、大久保監督の昇格を決めたとされる三木谷浩史オーナーには、容赦なく監督を切り捨ててきた過去もある。球界参入1年目、田尾安志監督を切り、野村克也氏の後を継いだマーティ・ブラウン監督も1年で見切りをつけられた。 「大久保はけっこう勉強家なんです。スポーツ生理学を始め、自衛隊経験者の講演も聞きに行ったり、栄養学、精神医学などの勉強もしています。それが三木谷オーナーの目に止まったのですが、大久保の評価は松井裕樹、安楽智大をどう育てるかで決まるでしょう。とくに松井裕樹の成長に関しては厳しく見られるはず」(球界関係者) 大久保監督は松井をクローザーで使っている。将来のエース候補でもあり、リリーフ転向にはチーム内にも反対の声が多かった。しかし、投手出身のプロ野球解説者からは「今の松井には(先発での)長いイニングは投げさせられない」とのことで、松井をチームに貢献させるにはクローザーのポジションしかなかったという。 もっとも、怖いのは救援投手の職業病ともいえる登板過多による故障。松井がクローザーとして故障せずにシーズンを乗り切れば、“長期政権”の可能性もあるというが、 「今は通用しなくてもいいから、先発でジックリ育ててくれ」 というのがファンの気持ちではないだろうか。
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