スポーツ
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スポーツ 2015年07月29日 12時00分
【甦るリング】第17回 とにかく記者泣かせだった田上明
私の20余年にわたるプロレス・ライター生活のなかで、難儀だった男の一人は、文句なしで田上明(54)だ。なぜか? って…。とにかく、田上は見出しが立つようなコメントをしてくれないプロレスラーの代表格だったからだ。 決して、寡黙というわけでもないが、マイペースな田上は、試合後、まともな話をしてくれない。いつも、「くたびれた」といったような調子。それが、たとえ大一番の前であっても、「絶対に勝ちます!」なんて、大きなこともなかなかいってくれないものだから、記者としてはお手上げだったのだ。 そんな田上が、三沢光晴が亡くなった後、プロレスリング・ノアの社長に就任するなど、その数年前に誰が予想したか? 田上は192センチという日本人としては類まれな長身を生かし、大相撲の押尾川部屋に入門し、1980年初場所で初土俵を踏む。後に、師匠の押尾川親方の現役時代のしこ名(大麒麟)から“麒麟”をもらって、玉麒麟と改名し、将来を大いに嘱望された。86年夏場所で新十両に昇進。新入幕が期待されたが、87年名古屋場所の直前に廃業した。その理由は師匠との確執といわれている。当時まだ26歳で、その素質からして、相撲を続けていれば、幕内昇進はかなり高い確率で果たしていたはずだ。 浪人となった田上は、その体格を生かすべく、プロレス転向を決意。天龍源一郎ら多くの大相撲出身者のいる全日本プロレス入りを決め、同年8月にプロレス界の門を叩く。しかし、当初は長州力率いるジャパン・プロレスに入門する。これは、あくまでも“表向き”の措置。前年に全日本は相撲界とトラブルを起こした元横綱・輪島大士を入団させたばかりとあって、相撲界とのあつれきを避けるためだった。 88年1月、予定通り、全日本に移籍すると、同月2日、前座をすっ飛ばして、ジャイアント馬場とのタッグで、外国人選手相手に破格のデビューを果たす。しかし、田上は伸び悩み、ふがいないファイトが続いていた。転機となったのは、新団体SWS設立に伴う、天龍らの大量離脱騒動だった。ジャンボ鶴田のタッグパートナーに抜てきされた田上は、三沢、川田利明、小橋健太(現・建太)らの超世代軍や、スタン・ハンセンら大物外国人選手とのビッグマッチで力をつけていき、92年3月、鶴田とのタッグで世界タッグ王座に初戴冠。その後、鶴田が肝炎のため、第一線を退くと、川田らと聖鬼軍を結成。川田とのタッグでは、「世界最強タッグ決定リーグ戦」を2度制し、世界タッグ王座には実に6度就くなど、後にプロレス史に残る名コンビとなった。 シングルプレーヤーとしても、メキメキ実力を上げ、96年春には「チャンピオン・カーニバル」を初制覇。同年5月には、三沢を破って、3冠ヘビー級王座を初めて奪取。三沢、川田、小橋と並ぶ“四天王”として活躍した。生来、マイペースで、欲があまりなく、自己アピールなど、とんと縁がなかったが、ここ一番の大勝負となると、大爆発することから、その様は“田上火山”と称された。 2000年にノアに移籍してからは、力皇猛、森嶋猛ら、若手選手の台頭もあり、タッグパートナーに恵まれなかったこともあって、なかなかチャンスがなかった。だが、05年11月、ファンの後押しを受けて、力皇の持つGHCヘビー級王座に挑戦。見事にチャンスをモノにして、同王座を奪取した。これが、シングル、タッグを通じ、唯一のGHC王座戴冠となった。 三沢の不慮の死後、09年7月に2代目ノア社長に就任すると、その性格もあって、あっさりトップ戦線から退き、後にスポット参戦となる。そして、13年12月7日、東京・有明コロシアムで引退試合を行い、現役生活に別れを告げた。 現役を退いてからは社長業に専念している。社長になってからも、マスコミやファンの前で、しゃべるのは好まず。必要最低限のことしか話さないため、今でも記者泣かせであるのは変わらない。 “田上火山”が爆発しない時は、ファンをやきもきさせることも多かったが、田上もまた、日本プロレス史に残るレジェンドだ。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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スポーツ 2015年07月28日 14時00分
佐々木800万円、バカンス満喫ハリル2億円の監督年俸格差に上がる皮肉の声
サッカー界の“男尊女卑”はまだ解消されていない。 サッカー日本代表、バヒド・ハリルホジッチ監督(63)が、8月2日から始まる東アジア杯を戦うメンバー50人を発表した(予備登録含む)。国内組中心での選考となったが、「メンバーが代わり映えしない」との声が会見会場に溢れていた。 「ハリル監督は約1カ月間、自宅のあるフランスでのんびりとバカンスでしたからね。東アジア杯を国内組で戦う方針は以前から決まっており、本来ならばJリーグの試合をもっと直接観戦すべきだった。3月の就任以来、無休で働いて疲れていたというのが協会側の説明でしたが…」(担当記者) スタッフが代理視察し、そのレポートを見ただけだから、選手選考にサプライズがなかったわけだ。 ハリル監督が休暇を満喫していた間、必死の戦いを繰り広げていたのが、女子代表・なでしこの面々。W杯2大会連続で決勝戦に進出した佐々木則夫監督(57)の手腕は日本サッカー協会も認めているが、監督自身、「次の(女子代表の)監督になる人には僕の(給料の)10倍は上げてほしい」とも話している。 実際、年俸はハリル監督が2億円なのに対し、佐々木監督は「1000万円にも満たない」(協会関係者)とのことで、その“格差”は歴然としている。 「本当は800万円ぐらいとの話もある。その内訳は協会からの年俸だけではなく、講演やサッカー指導などもこなし、ようやくその金額に届くそうです」(同) 女子選手がギリギリの貧乏生活を送っていることも有名だ。 国際試合、リーグ戦での集客力の差が“生活の差”となっているようだが、FIFA世界ランキングを見れば、女子は4位で男子は50位(7月20日現在)。仮に男子が東アジア大会でブザマな試合しかできなければ、佐々木監督となでしこは“待遇改善”を訴えてもいいはずだ。 「東アジア大会の舞台となる中国の武漢は、特に反日感情が強いことで有名。ただし、カナダで好成績を残した女子を考えれば、完全アウェーは言い訳にもなりません」(前出・担当記者) 佐々木監督の契約はリオ五輪まで。協会は続投の方向だが、役員待遇をチラつかせるJチームへの転向説も囁かれている。女子サッカー界のためにも、もう少し弾んでもいいのでは?
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スポーツ 2015年07月27日 15時23分
“角界のレジェンド”旭天鵬が大記録達成目前で引退
大相撲名古屋場所(7月12日〜26日=愛知県体育館)は、横綱・白鵬が14勝1敗で、2場所ぶり35度目の優勝を飾ったが、その影で、白鵬も”大先輩“として尊敬する“角界のレジェンド”旭天鵬(40)が現役引退を表明し、年寄・大島を襲名した。 名古屋場所を西前頭11枚目の地位で迎えた旭天鵬は、6勝が幕内残留の目安となっていたが、初日から4連敗を喫し、出足につまずいた。足がなかなか出ず、土俵際でも粘れず、あっさり土俵を割ることが多かった。終わってみれば3勝12敗で、十両陥落が濃厚となっていた。 かねて、「幕内に残留できなかったら引退」を公言してきた旭天鵬は、千秋楽の取組終了後、涙を流して花道を引き揚げ、引退を覚悟していた。 これもなにかの因縁か、場所中には通算勝利でモンゴルの後輩・白鵬に抜き去られた。最後の場所で、その白鵬が優勝し、パレードの車に同乗した。 秋場所初日の9月13日で、41歳の誕生日を迎える旭天鵬は、あと1場所、幕内を維持できていれば、史上2人目の幕内在位100場所の大記録を達成するところだった。これは、元大関・魁皇(浅香山親方=107場所)しか成し遂げていない偉大な記録だったが、99場所でついえた。 周囲では、「十両で巻き返して幕内復帰を目指したら」との声もあったようだが、旭天鵬は十両で相撲を取ることをよしとはしなかった。 旭天鵬はモンゴル人力士のさきがけとして、92年2月に元小結・旭鷲山とともに来日し、同年春場所で初土俵。98年初場所で新入幕を果たし、02年初場所で新三役(小結)、03年名古屋場所で最高位の関脇に昇進した。12年夏場所には、平幕で史上最年長(37歳8カ月)優勝の偉業を達成。14年秋場所では、年6場所制以降では初となる40代での幕内を成し遂げた。 通算勝利は927勝、幕内勝利は697勝。幕内出場1470回は歴代最多。 04年1月に日本国籍を取得しており、今後は友綱部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たる。モンゴル出身力士が年寄名跡を襲名するのは史上初となる。(落合一郎)
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スポーツ 2015年07月27日 14時00分
フェンシング太田に女性の影 ファンの女性をとっかえひっかえ?
ロシアで行われていたフェンシング世界選手権で、太田雄貴(29)が男子フルーレ個人の金メダルを獲得した。フェンシングでの金メダルはオリンピック、世界選手権を通じて全種目を見渡しても日本勢で初。快挙を達成した太田には絶賛の声が挙がっている。しかし、その一方で女性問題での評判がよろしくないというのだ。 滋賀県で生まれた太田は、親の勧めで小学3年生からフェンシングを始める。小学生全国大会での優勝を足掛かりに、その後もインターハイや全日本選手権で優勝を重ね、世界で活躍できる選手へと成長した。そして、2008年の北京五輪で銀メダルを獲得し、マイナースポーツだったフェンシングに注目を集めることに成功した。そして20年の東京五輪招致プレゼンターとしても大活躍。日本のフェンシングと五輪の顔として活躍している。 だが、その影で泣いている女性が多いという。その一人がモデルのDという女性。二人は出会ってから急接近し、1年後に同棲生活が始まった。 「Dと太田選手は、太田選手の知人の紹介で出会いました。太田選手が『結婚を前提に付き合おう』と、熱烈に口説いて交際がスタートしています。厳格な家庭に育った真面目な彼女が、同棲していたくらいなので、彼女は太田選手と結婚するつもりだった。しかし、1年後には、彼に新しい恋人ができたということで同棲解消。結婚願望の強かったDは、突然の破局を突きつけられたそうです。我慢強いDが気の毒だった」(Dの友人) その新しい恋人とは渋谷に住む一般女性だそうで、昼間の路上でキスする場面も目撃されていたが、長くは続かなかったという。 「太田選手は爽やかな顔立ちだからモテるんです。最近はフェンシングの会場にも女性ファンが増えた。まるでアイドルタレントとファンとの関係のようになっている。だから、彼の周囲にはいつも女性がいて、いつでも選び放題の環境。それも手伝ってか、太田選手の女性問題でいい話は聞かない。いままでの女性やDみたいに我慢する女ばかりじゃないだろうから、スキャンダルになる日もそう遠くないと思うよ」(女性週刊誌記者) 太田は次の目標に「次は、五輪の団体で金メダルを獲って、みんなで勝利の喜びを分かち合いたい」と話している。その前に、中心選手の自分のスキャンダルで台無しにならなければいいが。
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スポーツ 2015年07月26日 14時00分
カープ不振で緒方監督一時休養説も 代行監督に目されるのはあの男?
シーズン前には優勝候補の筆頭と目されていた広島東洋カープが波に乗り切れない。スタートダッシュに失敗し、「いつか浮上してくるだろう」と言われながらも、エンジンが掛からないまま前半戦を終え、後半戦は黒星スタートで迎えてしまった。この期待外れの連続は、緒方孝市監督(46)の去就問題に発展するかもしれない。 「緒方監督は引退してすぐにコーチ業に転身するなど、将来の指揮官として期待されていました」(スポーツ紙記者) そして昨年オフ、緒方監督は万を持して監督に就任した。しかし、その任期は1年だったことが判明した。 「緒方監督自身、一年一年が勝負ということでそういう契約になりました。フロントは3年以上やってもらうつもりでいましたが」(球界関係者) だが、いまは当時から状況が変わりつつある。というのも、広島が近年、これほどまでに優勝を意識して臨んだシーズンはない。補強にも力を入れた。推定年俸100万ドルという、初年度では球団史上最高となる契約でヘスス・グスマン(31)を獲得した。そのグスマンが開幕で躓き、前年本塁打王のエルドレッド(35)の復帰が予定以上に遅れると分かるやいなや、前レンジャーズのネイト・シアーホルツ(31)を入団させた。シアーホルツは推定年俸116万2千ドルと、グスマンをさらに上回る年俸だった。 投手も黒田博樹(40)の帰還でローテーションの柱を手に入れた。FA宣言者を引き留めないという、本来は財布の紐の固い広島がここまで出資したのは、「今年逃したら、いつ優勝するんだ!?」の思いもあるからだろう。前年Aクラスの戦力に上積みをし、優勝の気運も高まっていたはずだった。しかし、気運も高額出資も勝ち星に繋がってこない。ここまではタブーとされていた緒方監督に対する批判も、チラチラと聞こえ始めた。 「緒方監督はマジメ。球場入りは早出特打ちの選手よりも早く、監督室にこもってデータを調べたり、VTRを観たり。番記者たちもこの熱心さを間近で見てきたから誰も批判しなかったんですが」(スポーツ紙記者) 緒方監督の采配が不味くて負けたという試合はほとんどないかもしれない。だが、現有戦力を使いこなせていないという見方が浸透しつつある。 「緒方監督は二軍コーチ時代、丸(佳浩=26)などの若手を指導してきました。壁にぶつかっている堂林(翔太=23)にも、結果が出ないのにチャンスを与え続けるなど、鬼になりきれない部分もある。どちらかというと、仕掛けて攻める監督ではなく、選手を信じて待つタイプです」(同) また、黒田博樹の帰還が逆効果だったとも考えられる。黒田は全ての変化球のクオリティーが高い。よって、「打たれたら、捕手のリードが悪い」と考えがちになる。守っている野手陣にしても、 「黒田さんが投げる試合は勝たなければ」と妙な緊張感が走り、本来の力が発揮できないでいる。そのためか、黒田ほどの投手にもかかわらず、6勝4敗(7月21日時点)とあまり貯金を稼げずにいる。 こうしたチームの精神状態を上手にコントロールするのが監督の役目のはずだ。 「クライマックスシリーズ進出なら辛うじて続投。それを逃せば、緒方監督自身が責任を感じて辞表掲出なんてことにもなりかねない」(前出関係者) 球団が緒方監督という人材を大事に考えているのであれば、傷つかないように一度休養させる案が考えられなくはない。その際には、カープ女子を喜ばせ、目の肥えた地元ファンを納得させる必要がある。そのためには黒田兼任監督か、それとも前田智徳氏の登板か。緒方監督で優勝するのがベストなのだが、やむを得ないことがあるかもしれない。
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スポーツ 2015年07月26日 12時00分
100周年 2015年夏の甲子園 「甲子園出場のお値段は?」(後編)
高校野球とは、学校全体がスクラムを組んで応援するものでもあるようだ。したがって、応援団、ブラスバンド部、チアガールたちが甲子園球場に持ち運ぶものは野球部員たちの用具同様、試合に欠かせないものとなる。 意外と嵩むのが、運搬費だという。野球部員が使う練習用具を始め、打撃マシン、ブラスバンド部が手荷物として運べない大型の楽器などの運搬費も計算しなければならない。また、雨天順延となったときも想定し、試合をする野球部員の予備宿泊費も計算に入れておく。しかも、大半の高校は甲子園本番に備え、ユニフォームを新調する。バッグ、グラウンドジャンバー、汗出しのウインドブレーカーなども同時注文するため、野球部員「1人あたり約10万円」の出費となる。 常連校のなかには「甲子園用ユニフォーム」を伝統として継承するところもあるが、その都度作り替える学校もある。同じデザインでも、だ。 その際、帽子のイニシァルを少しだけ大きくするなどのマイナーチェンジがされている。甲子園用のユニフォームを作らない、地区予選と同じユニフォームを使うという選択もできるが、学校にも“お付き合い”がある。 「学校に出入りしている地元のスポーツ用品店が、普段、ボール、バットなどを割安で売ってくれます。他運動部にも配慮してもらっているので、お礼の意味合いもある」(同) 平成10年代の話だが、センバツ大会に出場した関東圏のA高校は「2回戦進出を想定し、総予算7800万円」の予算を組み、お隣の県から出場したB私立高校は、「3回戦まで進出し、9200万円以上の出費があった」と話していた。 「関東圏の高校が決勝戦まで進めば、1億円強の出費は当たり前」 こうした“多額の甲子園費用”は学校予算だけでは当然賄えず、学校OB、地元企業、父母会の寄付のほか、学校職員が地元自治体に頭を下げ、補助予算を組んでもらって対応する。先のA高校だが、地元自治体に200万円を出してもらったそうだ。また、強豪校の多い関東圏西北の市は、地元名門校を応援するため、500万円を出したという。 どの高校からも出たのは「不況で地元企業、商店街の財布のヒモが固い」なる言葉だ。 先のA高校教員が「今では笑い話だが」と前置きし、当時の様子を教えてくれた。 「ウチの高校は野球留学生のいない、普通の公立高校です。地元企業、商店街などに寄付金のお願いに行ったら、『隣町のM市、F市、I市から通っている部員も多い』と叱られ、寄付金を渋られました。M市、F市、I市は学区内ですよ」 地元市民は応援したくても、不況などで学校側の希望する額が出せず、思い付きで心にもないことを口にしたのだろう。 野球部が善戦して、予算を立てた時よりも勝ち進んだ場合は『予算オーバー』となる。その場合は、急きょ生徒から5000円を徴収し、一般市民にも寄付をお願いするつもりでいたそうだ。 寄付金は自治体を含めた地元関係者に頼るところが大きい。したがって、寄付金を集める際、高校職員は「地元」という言葉を強く意識させられる。野球留学生の多い高校であれば、“寄付を頼みにくい状況”となる。 「宗教法人系の高校は、比較的寄付金が集まりやすいと聞いているが」 そう語る指導者もいた。 センバツ、夏の甲子園大会ともに大会本部から「ベンチ入り18選手、監督、責任教師(部長)、記録員(女子も可)」の合わせた21名分の費用は大会本部が支給している。宿泊代は一人1泊約7500円、往復交通費、雑費として、チームに一日一律2万円の計算で、開会式リハーサルの前日から試合で負けた日までが支給される(夏の大会は「登録選手数は一校18選手以内」という書き方)。野球部員が50人いる場合、ベンチ入りできなかった32人分の宿泊費、往復交通費などは出場校の“自腹”となり、2回戦まで試合をしたとすれば、約320万円の計算だ。 支給する側の高野連、主催新聞社にしても、1回戦が終了するまでの間、センバツ大会なら約6000万円、夏の大会なら1億円近い出費となる。1回戦が全て終了するまでの間、雨天順延が続けば、高野連も泣きたい心境だろう。(スポーツライター・美山和也)※甲子園出場に関する経費は取材当時の金額であり、地域によって移動費は大きく異なります。当サイトが記載した金額は、関東圏の高校数校を取材した限りのものです。
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スポーツ 2015年07月26日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(42) 第八部・ 「ハワイでのラウンドについて」
みなさんこんにちは。最近は暑くて、ゴルフ中のラウンドも途中で暑すぎて、集中力が切れてしまうのではないでしょうか?? 余談になりますが、私はこの時期のゴルフが本当に苦手で、スコアもなかなかまとまりません。ですので、いつも売店で、ビニール袋に氷をたくさん入れてもらい、それを頭に乗せたり、脇の下や、首の後ろを冷やしながらゴルフをしています(笑)。 そうすることで、クールダウンして涼しくなり、集中することができます。 さて、これから本題に入っていきます。先日、ハワイでゴルフをしてきました。ハワイは気候がとても良くて、湿度も低いため、気温が高くてもカラッ! としているので、日本に比べて全然暑くなく、気持ち良くプレーできます。 ハワイのゴルフ場は比較的、簡単なコースが多くて平らです。アップダウンのコースも少なく、何が良いかと言ったら、カートでフェアウェイの中までそのまま入れる事です。全く歩きません(笑)。 ボールの近くまでカートで行って、打ったらまたカートに乗り、次のボールの目の前まで行くことができます。気候がとても良く、カートでその場のボールまで行けて歩くのはグリーン周りだけです。 ハワイでのゴルフは、お昼休憩が無いので、そのままラウンドします。順調にいけば、3時間程でラウンドすることができます。午前中にゴルフ場に行き、午前中にラウンドが終わり、午後から違う事が出来るということも良い点の一つです。 日本の場合は、お昼休憩があるので午前中に行ってもなかなか午前中にラウンド終了…という事は滅多にないですね。 ハワイでは、ラウンド中におにぎりや飲み物を売りに来てくれる人がいます。そこで、いつも私はスパムおにぎりと飲み物を買って、ラウンドしながらスパムおにぎりを食べます。これが、「美味しくて最高」です!! 1番のデメリットと言えば、とにかく風が強い!風がアゲンストやフォローの場合は、番手にそこまで困りませんが、待っているとクラブの番手に迷います。でもハワイに居て気分も浮かれているので、この辺の番手でもいいや…って打つと上手くいくことが多いです。 そこまで真剣にやっていないのに、日本でのラウンドで真剣にやる時のスコアと大差が変わらないのは何故でしょうか…時間があったら是非、ハワイでのゴルフを楽しんでみては如何でしょうか。 その際は絶対、スパムおにぎりを食べながらラウンドしてください(笑)。 売ってないゴルフ場は無いので(笑)。小塚桃子オフィシャルブログ「季節はずれのももリンダ」 http://ameblo.jp/koduka-momoko/
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スポーツ 2015年07月25日 18時00分
ペナントレース混戦の責任は誰にある?
セ・リーグは混戦、パ・リーグも首位ソフトバンクが独走態勢を固めたとは言い難い状況だ。混戦、低迷の理由はどこにあるのか。各チームとも、監督の期待を裏切った選手がいたはず。そう思って前半戦を振り返ってみたら、ひとつの仮説が出てきた。○松坂大輔(ソフトバンク) 一軍登板なし○杉内俊哉(巨人) 6勝6敗(17試合)○村田修一(巨人) 打率2割3分4厘○木佐貫洋(日本ハム) 一軍登板なし○永川勝浩(広島) 1勝1敗9H(23試合)○新垣渚(ヤクルト) 3勝8敗(13試合)○久保裕也(巨人) 一軍登板なし○館山昌平(ヤクルト) 1勝0敗(2試合)○小谷野栄一(オリックス) 打率2割9分5厘○後藤武敏G.(DeNA) 打率1割9分2厘○矢野謙次(日本ハム) 打率3割1分6厘○江草仁貴(広島) 一軍登板なし*(7月22日時点) 松坂世代(1980年4月−81年3月末)の劣化だ。14−15年オフ、松坂はメジャー復帰目指すのと同時に先発起用に強いこだわりを見せていた。先発での起用を確約したのがソフトバンクだけで、一気に契約までたどり着けたという。ソフトバンクは選手層も厚いが、昨季は外部補強の中田賢一、スタンリッジが先発ローテーションを支えた。外部補強した選手が活躍しないと、苦しい状況に追い込まれる。もし、松坂が戦力になっていれば、ローテーションのやり繰りはもっと楽になってきたはずだ。 巨人にしても、推定年俸5億円の杉内が勝率5割では困る。村田は二軍落ちも経験した。リーグ打率順位表を見れば、巨人選手は10傑に誰も入っていない。チーム最高打率が2割7分台の坂本勇人では『決定力不足』と非難されても、反論のしようがない。 巨人から移籍した矢野謙次のように、環境を変えて活躍した選手もいるが、松坂世代の全体的な劣化がペナントレースを混乱させたのではないだろうか。また、これに続く田中将大、巨人坂本たちの世代(1988年4月−89年3月末)もハツラツとしたプレーを見せていない。田中のライバルになると期待されていた斎藤佑樹は完全に伸び悩んでいる。彼らの世代がチームの主力になりきれていない現状が、松坂世代の劣化をさらに強調しているようだ。 夏の甲子園大会予選もいよいよ佳境を迎えようとしている。某地方球場でスカウトがこんな話をしてくれた。 「今年は社会人、大学生に即戦力の投手、野手が多い。甲子園に高橋純平クン(県岐阜商=3年)が出場したら、楽しみが増えるね。でも、来年のドラフトはもっと面白いと思うよ。大谷(翔平=日本ハム)、藤浪(晋太郎=阪神)の同級生たちが大学で鍛えられ、けっこうなレベルまで成長しているからね」(7月22日時点/在京球団スカウト) これからは田中たちの世代が球界を牽引していかなければならない。94年生まれの大谷たちの世代が主役になるのは、ちょっと早すぎる感もしないではないが…。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2015年07月25日 16時49分
100周年 2015年夏の甲子園 「甲子園出場のお値段は?」(前編)
学校にすれば、甲子園出場が決まってからが本当の戦いなのかもしれない。 甲子園出場は、学校にとっても名誉なこと。しかし、何故、出場決定後が本当の戦いなのかと言えば、遠く離れた甲子園球場で試合をするためには“多額な交通宿泊費”が掛かる。さらに、応援団やブラスバンド部、チアガール、ベンチ入りから外れた野球部員、引率教員の移動費も加わり、OBや父母会の移動に関しても予算を投じなければならない。 甲子園に出場すると、その高校は一体、いくら用意しなければならないのか、リサーチしてみた。 「前年秋ごろから『出場の可能性がある』との報告が野球部の責任教諭から出れば、いちおうその準備は始めます」(関東圏の公立校教員) 準備とは『甲子園出場に関する支出の見積もり』だ。出場経験のある学校、県高野連に相談し、「だいたい、これくらいは…」という金額を聞く。本格的に動き出すのは夏の地方予選でベスト8か、ベスト4に進出してからだそうだが、この時点で、どんな用意をしなければならないのか、具体的に『支出項目』を教えてもらうという。 まず、常連、初出場ともに出場各校が頭を悩ませているのが、応援団の遠征費。出場校は移動バス、食事、グッズなどの費用を用意しなければならない。応援団員、ブラスバンド部、チアガール、ベンチ入りから漏れた野球部の補欠、引率職員はもちろんだが、ここにOBや父母会が加わると、約1000人が移動する計算になる。 移動バスは地元観光会社、修学旅行などでお付き合いのある旅行代理店を介し、チャーターで20台を確保。応援団らを甲子園近郊で宿泊させるわけにはいかないので、試合の度に日帰りとなる。関東圏の学校であれば、「往復ともに車中泊としても、高速代を含めて1台あたり約30万円」とのこと。仮に2回戦まで進んだとして、「30万円×20台×2試合=1200万円」の計算になる。 「試合当日の早朝、もしくは前日深夜に学校に集合させ、そこから出発します。食事は申し訳ないが、1食しか用意できない。地元業者に割引交渉をし、1人500円くらいで幕の内弁当とお茶を人数分注文して」(前出・同) グッズ代というのが、実は重要なのである。 学校によっては別の支出項目名を使っているそうだが、先の約1000人分の応援団ご一行分の帽子、メガホン、そして、横断幕などの製作費も捻出しなければならない。また、センバツ大会であれば、防寒対策も兼ねたウインドブレーカー、夏の大会ならTシャツが人数分製作される。これに「アルプススタンド席の入場料300円×1000人×2試合=60万円」が加わる。 これだけではない。寄付をしてくれた地元関係者、OB、父母へのお礼としてキーホルダー、タオルなどのグッズも製作しなければならない。これらの経費が800万円強とされ、 「学校の出入り業者、お付き合いのある地元業者のほかに、突然、卒業生が就職先の上司を連れてきて、売り込みをすることも少なくありません。卒業生も無下にできませんし、『タオルはこちらの業者、メガホンは向こうの企業、帽子は卒業生の会社に』といったような配慮するのもひと苦労でした」とも語っていた。 2回戦まで戦うとして、野球部員の移動費、宿泊滞在費も加えて約2000万円という計算だ。しかし、出場校の出費はこれだけではない。(スポーツライター・美山和也)※甲子園出場に関する経費は取材当時の金額であり、地域によって移動費は大きく異なります。当サイトが記載した金額は、関東圏の高校数校を取材した限りのものです。
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スポーツ 2015年07月25日 14時00分
松坂大輔チームを離れ単独リハビリ 家族の来日に合わせた“夏休み”か?
無期限調整中である福岡ソフトバンクホークスの松坂大輔投手(34)が、単独行動になることが分かった。 松坂は6月30日に福岡・西戸崎の合宿場で工藤公康監督(52)と直接会談し、来季に向けて調整することで合意した。その後、50メートルほどのキャッチボールを再開させたが、今度は右肩の違和感が“痛み”に変わったという。 「再び、県外のリハビリ施設で治療に専念することになりました。今度の治療はかなり長引くと思います」(地元紙記者) 7月上旬、松坂は県外のリハビリ施設に移動した。それまでは遅々としてではあるが、あくまでも復帰へ向けた調整だった。しかし、痛みが申告されてからは、治療を優先とした調整へ変わった。工藤監督が直接階段で本人に告げた「無理をする必要はない」の言葉が、単独行動を許した形となってしまったのだ。 「夏休みになったら、アメリカに残してきた倫世夫人と子供たちが来日する予定でした。『家族にカッコイイところを見せて』という周囲の期待もあったんですが」(同) そもそも、松坂の日本球界復帰が決まった際、福岡が倫世夫人の地元であることから、家族も一緒に帰国すると思われていた。しかし実際は、松坂が単身赴任で福岡へとやってきた。松坂に近い関係者が夫人の考えをこう代弁する。 「松坂の第一希望はメジャーリーグで先発投手として復帰することでした。先発起用を確約したことでホークスとの契約が一気に進み、今日に至りました。夫人はメジャーリーグ時代、シーズン中に家族水入らずで過ごせる時間は1カ月もないとし、日本へ復帰してもそれは変わらないと話していました。だったら、住み慣れたアメリカでの生活を続け、夏休みに帰国すれば1カ月強を一緒に過ごすことができる。そう考え、松坂も了解しました」 家族が帰国する時期にチームを離れるのだから、より密度の濃い時間が過ごせそうだ。作為的な離脱ではないと思うが、次に松坂がチームに合流したとき、マウンドに立てる状態まで戻っていなければ、様々な批判を浴びるであろう。 「ホークスは近年、外部補強した選手が確実な戦力となって、昨季は3年ぶりの優勝を果たしています。実際、昨季の先発ローテーションを支えたのは、生え抜きの攝津ではなく、移籍してきたスタンリッジや中田賢一でした。そのため、今季移籍してきた松坂も、復帰に関しては悲観的な声も多かったのですが、中盤戦以降にはローテーションの谷間を埋めてくれるのではないかとも目されていました」(スポーツ紙記者) 前出の関係者によれば、リハビリ中と二軍調整中の選手に関しては、一軍首脳陣へ定期的に状況を報告しているという。しかし、松坂は県外のリハビリ施設にいるため、定期的に報告できない状況だ。松坂はリハビリの進捗具合についても自己申告しなければならず、回復の兆しが全くないと判断されれば、工藤監督も優しい言葉ばかりをかけてやるわけにはいかなくなる。 家族と水入らずの時間をのうのうと過ごしているわけにはいかないだろう。
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スポーツ
ハッスル消滅!? 小川H軍休止宣言
2006年12月27日 15時00分
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スポーツ
大みそかボビー弟と対戦 金子賢 前田道場入り
2006年12月14日 15時00分
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スポーツ
珍指令 KID 秒殺禁止
2006年12月12日 15時00分
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スポーツ
生還小橋に捧ぐ 三沢 GHC奪還
2006年12月11日 15時00分
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スポーツ
猪木 緊急提言 想定外プロレスをやれ!
2006年12月05日 15時00分
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スポーツ
1・4東京D「レッスルキングダム」 新日本 全日本“乗っ取り”へ秘策 長州3冠戦出撃
2006年11月16日 15時00分
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スポーツ
復活1・4東京D大会へ秘策 新日本最終兵器サイモン猪木 IWGP挑戦!?
2006年11月07日 15時00分
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スポーツ
来春ビッグマッチ パンクラス芸能人最強決定戦 坂口憲二 今田耕司 押尾学
2006年10月31日 15時00分
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スポーツ
大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
特集
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岡平健治「19」解散は「お金の問題じゃない」 岩瀬敬吾、地元に戻るのを「止められてよかった」 今後はバラエティーで「ポンコツっぷりを見て笑ってほしい」
芸能
2025年08月05日 23時00分
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野球人生“燃え尽きた”元プロ野球選手・宮國椋丞氏 今後は「周りの人に頼られたり、笑顔にしたい」
スポーツ
2025年07月25日 23時30分
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豊ノ島、YouTubeチャンネルで若乃花とコラボ熱望 タレントとして相撲番組で「冠番組」持ちたい
芸能
2025年07月21日 12時00分
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宮迫博之「雨上がり決死隊」再結成は「蛍原さん次第」 ドジャース始球式の裏話も明かす
芸能
2025年07月14日 17時00分
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元ザブングル松尾陽介、沖縄で芸人のセカンドキャリアサポート 芸人引退に「心境の変化」
芸能
2025年04月28日 19時03分