スポーツ
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スポーツ 2015年06月17日 16時00分
W杯日韓大会に捜査網拡大 ジーコVS鄭夢準 次期FIFA会長をめぐる責任転嫁の代理戦争(1)
日本サッカー協会関係者の間では、2002年日韓共催ワールドカップ(W杯)招致に伴う「巨額マネー」がいずれ取り沙汰される、と危惧する声は以前からあった。1991年6月にW杯招致委員会が発足して以来、大会開催後も新たな招致を目指して、毎年“スポーツマフィア”ともいえるFIFA(国際サッカー連盟)首脳に対する“付け届け”に苦慮してきたからである。 「今回、アンタッチャブルだったFIFAの巨大な闇に切り込んだのは、先日、アフリカ系アメリカ人として初めて女性司法長官に任命されたロレッタ・リンチ氏ですが、各国協会は困惑しつつも、アメリカさん、よくやったと歓迎する声の方が強い。これを機会に全てのドス黒い膿を取り除き、クリーンでお金の掛からない組織に生まれ変わってほしい、というのが本音だからです」(日本サッカー協会関係者) テロリストへの資金供与対策を強化するオバマ大統領は、司法長官に初の黒人女性を抜擢した。ハーバード大法科大学院卒のリンチ長官は国際的な金融犯罪に実績を持ち、大統領の期待に応え、次々に資金源を寸断してきた。 その多くの舞台になったのが、厳格な守秘義務をうたい文句にし、富裕層の資金を手厚く保護し続けてきたスイスの銀行だ。リンチ長官による隠し資産に伴う脱税口座の追及は厳しく、廃業に追い込まれたプライベートバンクは少なくない。 「新たなターゲットにしているのが、国際スポーツ競技の各連盟です。スイスにはFIFA、IOC(国際オリンピック委員会)をはじめ、65もの国際スポーツ競技連盟の本部がある。さして便利でもないチューリッヒに本部を構えるのは、資産隠し目的以外の何ものでもありません。大会招致やテレビ放映料の仲介による賄賂で得た“闇金”を隠し持つためです。これに自国に大口のスポンサーを数多く抱える米国司法当局が目を付け、スイスの銀行に脱税容疑で巨額の罰金を科し、それを看過する見返りに司法取引で顧客情報の提供を求めているのです。既に2002年の日韓W杯招致に関する資金の流れも入手しているといわれ、表面化するのは時間の問題。そうなったら日本の有力政治家、大手企業幹部、協会首脳の名前が出る可能性もある。当時のW杯招致関係者は、毎日のように米国司法当局の発表を報じる米有力紙を翻訳してもらい、目を凝らしていますよ」(大手広告代理店担当者) FIFA首脳に捜査のメスが入ったのは5月27日。米国司法当局の要請を受けたスイスの司法当局が、理事会出席のためチューリッヒ入りしていたFIFAの副会長2人を含む7人を贈収賄容疑で逮捕した。真のターゲットは、同30日に行われたFIFA会長選で5選を目指したゼップ・ブラッター会長(スイス)にあり、立候補断念に持ち込むことにあったとされる。 しかし、ブラッター氏はこのケンカを受けて立つ戦術を選び、FIFA首脳の旧守派を味方に付けることで、ライバルで革新派のアリ・ビン・フセイン王子(ヨルダン)を下し、当選を果たした。これで安泰かとホッとしたのもつかの間、6月3日に突然辞任を表明。年末から来春の間に新たに会長選挙を行い、自身は身を引くというのだ。 「周辺の幹部連中が捜査対象者になったことで、このままでは自身にも及ぶと判断したのでしょう。中でも北中米カリブ海サッカー連盟のチャールズ・ブレイザー元事務局長が2010年開催地決定の際に賄賂をもらっていたことを認め、これで万事休す。しかし、そこは老獪な男。自ら司法取引を働きかけ、辞任を表明することで“疑惑”を2010年の南アフリカW杯招致までの問題にとどめようと画策したのでしょう」(全国紙運動部記者)
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スポーツ 2015年06月17日 12時00分
【甦るリング】第12回・再々ブレイク果たした大仁田厚 繰り返した引退、復帰は自分に正直に生きた証し
決して活況とはいえない現在のプロレス界にあって、フリーの立場ながら、再々ブレイクを果たしているのが、“邪道”大仁田厚(57)だ。本項で取り上げている“レジェンド・プロレスラー”の年齢はおおむね50代後半から60代。今も現役としてリングに上がっていても、第一線を退いているケースがほとんどだが、大仁田はバリバリの選手として活躍しているのだから驚くばかり。 故橋本真也さんの流れを汲むZERO1で運営されている超花火実行委員会が主催する「超花火シリーズ」では、毎月3〜5回程のペースで、“お家芸”の電流爆破デスマッチを敢行。同シリーズは、“地方創生”をテーマに掲げ、全国の田舎町を回り、ファミレス(ファミリー・レスリングの略)と称して熱戦を繰り広げ、ファミリー層やおじいちゃん、おばあちゃんたちを大いに喜ばせている。つい最近では、5月23日、東京・大田区総合体育館で、引退している女子プロレス界のカリスマ・長与千種を復帰させて、タッグを組んで電流爆破デスマッチを行うなど、オールドファンを巻き込んで、話題を振りまいたばかり。また、この4月にはかつて大仁田が創設したFMWという名の団体(超戦闘プロレスFMW)が13年ぶりに復活。大仁田は同団体の象徴として、全国を巡業中。 ストロングスタイルのプロレスを掲げ、全くポリシーが異なる初代タイガーマスク(佐山聡)主宰のリアルジャパン・プロレスにも戦争を仕掛け、タイガーとの異次元マッチを実現させ、元関脇・貴闘力(元大嶽親方)をリングに引っ張り上げることにも成功した。さらには、メジャー団体のプロレスリング・ノアを始め、大小さまざまな団体から声が掛かるなど、引っ張りだこで、まさに、縦横無尽にいろんなリングで暴れ回っている。 凄いところは、57歳という年齢にして、全盛期とそれほど変わらない動きをキープ。どこのリングに行っても、ゲスト的な顔見せではなく、“主役”として登場している点である。大仁田は60歳で還暦電流爆破デスマッチを行って、プロレスにひと区切りつけるつもりでいる。10月25日で58歳となる大仁田に残された期間はあと2年4カ月。その間、突っ走って幕引きを図ろうというのだ。 大仁田は引退、復帰を繰り返したことで有名だ。その回数はもはやマスコミ、ファンはおろか、本人もよく把握できていないが、正確には4回のようだ。 全日本プロレス時代、試合後のアクシデントで左膝蓋骨を粉砕骨折。完治しないまま見切り発車的に復帰したものの、満足なファイトができず。84年12月2日、引退を懸けたマイティ井上との一戦で敗れ、85年1月3日に引退式を行い、リングを去った。引退後、タレントや実業家として活動したが、88年12月3日、ジャパン女子プロレスのリングでのグラン浜田戦で復帰。89年10月、所持金5万円でFMWを設立。当時、格闘路線のスポーツライクなプロレスで隆盛を築いた新生UWFのアンチテーゼとして、ノーロープ有刺鉄線デスマッチなどを敢行。電流爆破デスマッチが大ヒットし、大仁田は大ブレイク。試合後のマイクアピールで感極まって泣くことから、“涙のカリスマ”として、一躍、プロレス界の風雲児となった。 95年5月5日、川崎球場での愛弟子・ハヤブサ戦を最後に2度目の引退。タレント活動は順調だったが、かつてのライバルだったミスター・ポーゴから「引退試合で大仁田とタッグを組みたい」とのラブコールを受け、96年12月11日、限定復帰。その後、古巣のFMWへスポット参戦を続けたが、98年11月、FMWを離脱し、新日本プロレスをターゲットに定める。 単身で新日本に乗り込んだ大仁田は、蝶野正洋、グレート・ムタとの電流爆破デスマッチを実現させた。たった一人で、メジャー団体に立ち向かった姿がファンの共感を得て、再ブレイクを果たしたのだ。大仁田は当時、引退して現場監督だった長州力戦を叫び続けた。当初は完全拒絶していた長州だが、その熱意に負ける形で、大仁田の挑戦を受諾。00年7月30日、神奈川・横浜アリーナで大仁田対長州のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチが実現した。長州はその後、復帰し、今でもリングに上がっているのだから、人の人生は分からぬものだ。 プロレスのみならず、タレントとしてもブレイクしていた大仁田は01年7月29日投開票の参議院選挙に自民党から出馬し、当選。公務に専念するため、05年3月26日、「プロレス卒業試合」を行い、3度目の引退。06年4月1日、「国のために死んでいった方々に礼を尽くす記念すべき大会。もし良かったら参加させてほしい」として、ZERO1の靖国神社奉納プロレスで限定復帰。07年、6年の任期をもって、政界は引退。その後もリングに上がり続けたが、10年2月の長崎県知事選に出馬するにあたり、周囲のアドバイスもあり、「当選したら知事職に専念する」として、引退を表明。同21日投開票の同知事選では、9万8200票を得るも落選。当選しなかったため、もはや引退する必要性はなくなっていたが。選挙前の約束通り、同年5月5日、新FMW(現スーパーFMW)の興行で引退試合を行った。 その後、4度目の復帰を果たしたものの、表立った活動はしていなかったが、12年初頭、「もう一度プロレスを真剣にやりたい」と宣言。ターゲットに初代タイガー、元横綱・曙の名を挙げた。何度も浮き沈みを繰り返した大仁田だが、当時は底。ここから、再々ブレイクを果たすとは、どれほどの人が思っただろうか? よもやと思われた初代タイガー、曙との抗争を実現させた行動力はさすがだった。この2人をデスマッチの世界に引きずり込むと、曙とは電流爆破デスマッチも実現。同年8月にスタートした「大花火シリーズ(現・超花火)」で、3度、曙と電流爆破で相まみえた。曙が全日本の所属となって、対戦が困難になると、ターゲットを3冠、IWGP、GHCを制したグランドスラム男の高山善廣に変えて、名勝負を展開。メジャー3団体のヘビー級のベルトを巻いた高山をも、電流爆破の世界に引き込んでしまった。 気が付けば、再びプロレス界の中心人物となった大仁田。何度も引退、復帰を繰り返したが、それは、その時の自身の感情に正直に従った結果だった。突拍子もない行動をすることや、“邪道”と呼ばれるプロレスのスタイルから、大仁田を嫌う人も多いが、自分を慕ってくる人間に対しては、極めて好意的で、後輩の面倒見もいい。リングを下りたら、年下の選手でも、「さん」づけする心配りも持ち合わせているし、マスコミへの気配りも決して忘れない。 全日本時代に負傷した左膝は悲鳴を上げているが、還暦電流爆破デスマッチ実現まで、全速力で突っ走ることだろう。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)★超花火プロレスhttps://www.z-1.co.jp/zero1/★超戦闘プロレスFMWhttp://www.fmwjapan.com/
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スポーツ 2015年06月16日 16時00分
広島・マエケン我慢の限界「これじゃメジャーに行けん!」(2)
こんな試合もあった。6月6日の対楽天戦、5回の攻撃で3点のビハインド。1死一、二塁、1発出れば同点の場面。だが、二塁走者の鈴木誠が三盗を試みてタッチアウト。その後、代打のシアーホルツがセンター前にクリーンヒットを放って1点を返したが、「鈴木誠が暴走しなければ、チャンスが続いたのに…」と嘆いたファンが多かった。 好機を生かせずの敗北。試合後、緒方監督に代わって、永田利則総合コーチがこう釈明した。 「鈴木誠にはスキがあれば走っていいと伝えてある」 俊足選手は“フリーパス”というわけだ。 「緒方監督は鈴木誠を信用し過ぎたのでしょう。フリーパスの選手はどの球団にもいますが、“走れ”のサインがない代わりに“走るな”のサインはある。相手バッテリーに読まれているときは“走るな”のサインを出すものです」(球界関係者) 鈴木誠を二塁に置いた後、楽天バッテリーは鈴木誠が走ったときだけクイック投球をした。無警戒を装って盗塁死を誘ったのである。 鈴木誠の若さ、経験値の少なさも大きいが、“走るな”の指示を出さなかった緒方監督にも責任はある。 「緒方監督は黒田帰還後、繰り返し語っているのが、『練習熱心な黒田の背中を見るだけでも、若手の勉強になる』の言葉です。しかし、精神面でのそんなプラスを、技術面でどう生かすかは本人次第。技術的な指導は緒方監督以下コーチ陣の仕事です」(前出・ベテラン記者) 黒田博樹の帰還については、こんな指摘も出ている。 「黒田はコントロール、変化球全て平均値以上です。つまり黒田が打たれれば、サインを出した捕手のせいになります。守っている野手も妙な緊張感が漂っていて、それが先発陣を見殺しにする原因にもなっています」(同) 6月5日に黒田と対峙し、1-2で敗れた楽天の大久保博元監督は「一球一球、魂がこもっていた。みんな感じるものがあったと思う」と話していた。そう、黒田の熱投は相手のベンチにもアドレナリンを出させるのだ。それが対戦相手の投打の刺激となり、広島打線はその上を行かなければ勝てない。緒方監督も「若手を信頼する」だけでは、無策に等しいのだ。 「マエケンは救援陣が勝ち星をフイにしてしまった後、ブログでいたわっていました」(前出・担当記者) しかし、マエケンは優しいだけではない。天性のリーダーシップを持った野球人でもある。在京球団スカウトがこう証言する。 「高校時代、打撃力もあったマエケンは登板しない試合では外野を守ることもありました。攻守交代の際、味方投手のもとに近づき、アドバイスを与え、ベンチからも人一倍声を出していました。リーダーシップを兼ね備えた逸材は少ない。当時、田中マー君よりもマエケン指名にこだわったスカウトも少なくなかった」 プロ入り後も、ふがいない内野陣に「反省しろ!」と怒鳴りつけたこともあった。今のチームに一番憤っているのはマエケン自身であり、メジャー挑戦の人生プランを取り戻すためにも、今こそ“喝”を入れるべきだ。
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スポーツ 2015年06月16日 12時00分
【記憶に残るプロ野球選手】第9回・人気先行のイメージ強いが実力も備えていた定岡正二
“甲子園のアイドル”といえば、最近では斎藤佑樹投手(早稲田実業→早稲田大→日本ハム)が思い浮かぶ。今から約40年前、まさに“元祖・甲子園のアイドル”として、大フィーバーを巻き起こしたのが鹿児島実業の定岡正二(58)だった。1974年夏の甲子園、同校3年でエースだった定岡は、これまた注目の的だった原辰徳(当時1年生)擁する優勝候補の東海大相模と対戦。延長15回の攻防の末、鹿児島実業は東海大相模を破り、ベスト4に進出した。定岡は防府商業との準決勝戦で、手を負傷し途中交代を余儀なくされ、鹿児島実業は準決勝で敗退した。投手としての実力に加え、甘いルックスで女性ファンから熱狂的な人気を得た定岡は、甲子園のアイドルとなったのだ。 プロ側も定岡の実力を高く評価し、同年のドラフト会議で読売巨人ジャイアンツが1位指名し、プロ入りした。実のところ、定岡は巨人ファンではなく、阪神入りを希望していたという。1年目の自主トレでは、多摩川グラウンドに約2万人のファンが押し掛けるほどの人気だった。だが、甲子園で活躍した定岡にとっても、プロの水は甘くはなく、2年間は2軍暮らしが続いた。3年目の77年に初めて1軍に昇格したが、なかなか、1軍に定着することはできなかった。 その素質がようやく開花したのが、入団6年目の80年。定岡はプロ初勝利を挙げると、主に先発で9勝(8敗)をマーク。翌81年には初の2ケタ勝利(11勝7敗)を挙げ、4年ぶりのリーグ優勝、日本シリーズ制覇に貢献。すっかり、巨人のローテーション投手に定着した定岡は、82年には江川卓、西本聖とともに3本柱として活躍し、自己最多の15勝(6敗)をマークした。定岡が投げる時は打線も活発に援護していた印象があるが、だとしても15勝はそう簡単にはできない。実力があってこそのものだ。 ところが、同年をピークに、その後、下降線をたどり、83年は7勝7敗、84年は5勝10敗に終わった。85年には、ローテーションから外され、リリーフ専門となり、自己最多の47試合に登板。4勝3敗2セーブ、防御率3.87の成績を収めたが、斎藤雅樹や槙原寛巳の台頭もあり、王貞治監督(当時)の構想外となる。同年シーズン終了後、定岡は近鉄・有田修三捕手との交換トレードを通告される。ところが、これを拒否した定岡は、野球を続けることは許されず任意引退の措置が取られる。まだ29歳の若さだった。 定岡がトレードを拒んだ理由は、元木大介のように「巨人で現役を終えたいから」といったものではなかったようだ。定岡なりに巨人に貢献してきた自負があった。82年には先発で15勝もしたし、この年は中継ぎという黒子に徹し、47試合に登板した。しかし、トレード通告は電話一本だった。球団の非情さに態度を硬化した定岡はトレードを拒否した。後日、定岡は「せめて球団事務所で直接言ってくれたら、あそこまで頑なにならなかったかもしれない」と語っている。 現役に未練がなかったわけではない。事実、翌86年にはドジャースの春季キャンプに参加。トミー・ラソーダ監督からは「3Aなら」と誘いを受けたが、これを断った。当時、定岡は右ヒジ痛を抱えており、マイナーからのメジャー挑戦には二の足を踏んでしまったのだ。ユニフォームを脱いだ定岡はTBSのスポーツキャスターとなった。その後、「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」に出演するようになると、その天然ぶりがウケてブレイク。バラエティ番組に引っ張りだことなる時期もあった。しかし、芸能界にすがりつくことはなく、地元・鹿児島で野球指導者としての道を歩み始める。05年、アマチュア野球チーム「鹿児島ホワイトウエーブ」の監督に就任。翌06年には、社会人野球のクラブチーム「薩摩」の設立に動き、初代監督となり、現在は総監督を務めている。 最近ではテレビで見かけることも減って、「芸能界から干された」とも言われるが、実際には野球の仕事を優先させるためで、指導者の他、今もTBSラジオ「エキサイトベースボール」では解説者の仕事もこなしている。高校時代の流れから、“人気先行”のイメージが強い定岡だが、80年〜82年の3年間はしっかり実績も上げた実力派だった。通算勝利数は51勝(42敗)に過ぎないが、巨人に貢献した選手の一人だ。(ミカエル・コバタ=毎週火曜日に掲載)
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スポーツ 2015年06月16日 11時00分
北島康介の去就も左右した水連・競泳委員長に平井伯昌氏内定の裏
競泳界のスーパースター北島康介の周辺が、またもや騒がしくなってきた。5月のジャパン・オープン平泳ぎ100メートル決勝では、平凡なタイムで5位に終わったのだが…。 「辞めたくても辞められないのでしょう。今も競泳界は北島の知名度で協賛企業が集まっているので」(日本体育協会詰め記者) それだけではない。日本水泳連盟(水連)もお家騒動に揺れていた。強化担当のトップである上野広治委員長を交代させ、平井伯昌ヘッドコーチを次期委員長にする方針を決めたのだ。 「平井ヘッドは北島をはじめ、寺川綾、荻野公介などを育てた名コーチ。東洋大水泳部の監督を務め、スイミングクラブの指導者も兼任している。有力選手を自身のチームに誘い続け、その発言力は水連内でも無視できないほど大きくなってきました。狙いは上野-平井ラインを崩して、平井さんの影響力をそごうということでしょう。委員長になれば、現場からはどうしたって距離を置かざるを得ませんから」(同) 平井氏の発言力がここまで増したのは、教え子に北島がいたからこそという面もある。その師弟関係を指してこんな声も聞かれた。 「このままでは北島はリオ五輪代表から落選してしまう。北島が復活しなければ、平井氏の影響力は自ずと失墜するものと思われます。他クラブから移籍した荻野は北島と違って、無名時代からの二人三脚ではありませんので」(関係者) 北島はトレーニング機器を扱う会社の社長に就任している。世界大会で解説を務めるなどし、すでに“第2の人生”を歩みつつあるが、本人の未練とスポンサー問題でロンドン五輪後も現役を続けてきた。そして今後は、師匠の立場にも影響が及んでくる。 「浅田真央の現役復帰を望んだのは、羽生結弦を公私で支える元強化部長、城田憲子氏の復権を阻みたい連中。競技は違っても、メダリストの去就には連盟幹部の進退が絡むようですね」(同) 北島も浅田と同じように、自分以外のために復活を期することになりそうだ。
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スポーツ 2015年06月15日 16時00分
広島・マエケン我慢の限界「これじゃメジャーに行けん!」(1)
広島のエース・前田健太(27)の怒りが爆発寸前! 今季のカープは優勝候補の筆頭に挙げられていたが、いまだ最下位付近に低迷している。開幕ダッシュに失敗したころは「そのうちエンジンがかかってくるだろう」とファンも大目に見ていたが、鯉のぼりのシーズンが過ぎ、交流戦も終盤を迎えたというのにもたついたままだ。その敗因は打てない打線に尽きるが、「最少失点に抑えても報われない先発投手陣の集中力も切れ掛かっている」と“内部崩壊”の危機も囁かれ始めた。 火薬庫は、粘投しても勝ち星が増えないマエケンだ。 「前田はメジャー挑戦の夢をいったん封印し、チームの優勝に懸けています。松田元オーナーとも話し合い、『優勝し、誰からも応援してもらえるような活躍を見せてから渡米する』という気持ちで挑んでいます。でもチームは一向に浮上せず…。このままではポスティングによるメジャー挑戦は夢のまま終わってしまいます」(担当記者) 6月8日現在、チームは25勝32敗、首位巨人から6.5ゲーム差を付けられての最下位。前田個人は4勝4敗だが、防御率はリーグ2位の1.76、奪三振数も73で同じく2位の好成績である。既に82イニングを投げているが、被本塁打はたったの『1』。先発投手に対するメジャーリーグの評価項目でもあるクオリティー・スタート(6回を自責点3以内に抑える)に当てはめれば、11試合の登板全てでそれをクリアしている。 今シーズン、マエケンが登板した翌日のスポーツ新聞には『見殺し』なる見出しがよく躍る。 「5月26日の千葉ロッテ戦では勝利したものの、救援陣が失点を重ね、マエケンの勝ち星が消える寸前でした。6月2日の日本ハム戦は8回2失点の好投もむなしく、救援陣が最終回に逆転を許してしまいました」(同) 昨季の快進撃とは大違いである。「打てない」のはある程度、予想されていた。しばらくの間、本塁打王のエルドレッドを欠き、得点力のダウンは否めなかった。 「緒方孝市監督は二軍監督も経験しており、今の主力選手の若手時代を知っています。彼らをかわいい、一人前に育ててやりたいと思う気持ちが裏目に出ている感じです」(ベテラン記者)
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スポーツ 2015年06月15日 11時00分
オリックス宮内オーナーが泣きつくイチロー・田口次期監督の可能性
交流戦の最中、オリックス・バファローズの森脇浩司監督が成績不振の責任を取り休養宣言した。 まるで1年前のプレイバック。西武ライオンズ・伊原春樹監督がほぼ同じ時期、同じ理由で休養を発表し、その後は田辺徳雄打撃コーチ(当時)が監督代行を務め、今季はそのまま監督に昇格した。オリックスは当面、福良淳一ヘッドコーチが采配を振るうが、こちらはもうひと波乱起こりそうだ。 「昨季は西武だけでなく、楽天も星野仙一監督が途中で抜けた。佐藤義則投手コーチを星野監督の代行に立てた後、成績が振るわず“代行の代行”で当時の大久保博元二軍監督が呼ばれました。福良ヘッドでチームが浮上しなければ、楽天の二の舞いも十分にあり得ます。ましてオリックスは大型補強をし、優勝を狙うつもりでシーズンインしていますからね」(在阪記者) 最低でもAクラス、クライマックスシリーズ進出が経営陣の要望だろう。 「今のオリックスに適した新監督を探すのは困難ですよ。チームは大型補強の影響で若手の台頭はなく、一発狙いの大砲をそろえただけの打線です。こういう戦力の扱い方に慣れていて、かつ若手の育成もできる指揮官となると、監督経験を持つ年長のOBに限られてくる」(スポーツ紙デスク) チームOB・田口壮氏の名前が報じられていたが、宮内義彦オーナーの大本命はイチローだという。だが、今は監督経験ゼロの青年指揮官を迎える時期ではない。 「宮内オーナーは優勝を切望していますが、その前にチームの抜本的な改革が必要」(前出・在阪記者) オリックスは阪急の有力OBとの距離を縮めていない。「ブレーブス」の名前が消滅し、また近鉄とも合併したが、バファローズOBとの距離も同様に縮めていない。ブレーブス、バファローズの両有力OBが協力すれば、危機的状況は打開できるのだが…。 「関西圏は阪神人気と対抗しなければならないので、経営的に非常に厳しい。阪急、近鉄の両OBに冷たいのは、彼らの名前でお客が増えないからです。まあ、森脇監督は機動力野球の指揮官なのに、大砲ばかりそろえた補強では何もできないのと同じ。チーム低迷の責任はフロントにもあります」(同) 現役メジャーリーガーのイチローはもちろんだが、OB冷遇のチームでは、たとえ頼まれても田口氏も二の足を踏むことだろう。
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スポーツ 2015年06月14日 16時00分
復帰の目処が立たない松坂大輔 育成枠契約で再契約か?
福岡ソフトバンクホークスの松坂大輔(34)がますます苦しい立場に追いやられた。5月20日に二軍戦で登板したものの、出遅れた原因の右肩痛が再び悪化。リハビリ生活に逆戻りしてしまったのだ。球団はここまで松坂に復帰までの調整プランを全て任せてきたが、状況次第ではその特権も白紙に戻すという。 「そうはいっても、松坂にもプライドがある。いまさら復帰のメドが立たないからと言って、コーチが命令口調で『ああしろ、こうしろ』と指示しても逆効果です。復帰までの十分な時間を与えてやるしかない」(球界関係者) ホークスは優勝を目指すチームである。松坂というビッグネームを使い、人気目当ての集客をするために、一軍で調整登板させることもできた。しかし、工藤公康監督(52)が松坂を二軍調整させてきたのは、右肩の故障のせいだけではなく、勝てる要素が少ない投手を投げさせられないからだ。 「今年のパ・リーグは120試合を過ぎても、優勝チームが決まらないのではないか。上位チームがピンポイントの補強を狙って、駆け込みトレードを仕掛ける球団も出てくるでしょう。ホークスは選手層の厚いチームですが、復帰のメドが立たない投手をいつまでも待っているほど余裕があるわけではない」(スポーツ紙記者) 松坂に対しては、復帰までの十分な時間を与えてやるのが妥当なようだが、そうなると、ホークスは大事な70人の支配下登録枠を1人分無駄にしていることになる。そこで浮上してきたのが、第2の斎藤和巳といえるような策だ。 斎藤は2007年シーズン中に右肩腱板損傷で戦線を離脱した。その後、長いリハビリ生活に入ったが、業を煮やした球団は11年に支配下登録を外し、リハビリ担当コーチとして、現役復帰を目指すよう通達した。その措置に斎藤は憤ったが、受け入れざるを得ず、復帰を目指したが13年途中に引退を表明した。つまり、松坂も近々の復活が難しいようであれば、いったん支配下登録から外し、育成選手契約にする計画があるというのだ。 「松坂も今の状況に焦りを感じているのは間違いありません。一度、支配下登録から外してやった方が、追々は本人のためかもしれない」(前出関係者) ホークスは三軍制を敷いている。支配下登録を外れれば、自動的に三軍扱いとなり、二軍戦に出場するチャンスはさらに少なくなる。ホークスの三軍選手は主にプロアマ交流戦に出場しており、松坂が社会人、大学生相手に投げることになるかもしれない。 「右肩が本調子ではないからかもしれないが、二軍戦で登板した際に球速は月並みでした。右肩の開きも早いため、もし一軍戦で投げていたならば、釣瓶打ちにされた可能性もある」(同) しかも、松坂はリハビリだけでは体力を持て余してしまうからか、体重過多にも陥っている。支配下登録を外れるのは屈辱以外の何者でもないが、じっくりと時間をかけてリハビリに取り組んだ方が良策かもしれない。もっとも、アマチュアに痛打されたときには、立ち直れなくなるかもしれないが…。
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スポーツ 2015年06月14日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(38)第七部・ゴルフダイエット編「水分補給は必須」
6月の折り返しを迎えました。一年の早さを実感しますね。 夏は汗をかくので、ダイエットに最適−−とお考えの方が多いと思います。実はこの考え方、間違いなんです。 確かに夏は発汗が多く、体内の水分値が低くなります。分かりやすく言えば、脱水気味になります。そうなると脳が「水を飲め」という指示を出し、喉が渇く。ダイエッタ−では無い場合、ここで水分補給をします。 ところが夏の暑さを利用して痩せようとしている方は、そこで水分補給を自重する。すると、脳は血液を分解して、それを水分の代わりにするよう指示します。結果、半脱水し、血液中にある水分が不足、血液もドロドロになり、身体に負担がかかります。 何より、脳へのダメージが計り知れない。最悪のケースは、くも膜下出血を誘発するそうです。 ですから、6月から9月まではダイエットを意識しない事。ゴルフ場は日陰が少ないので、熱中症になりやすい。こまめな水分補給は絶対、行うようにして下さい。水よりもスポーツドリンク、熱中症予防のドリンクがいいでしょう。 さらに日傘や帽子も必需品。特に帽子は直射日光の影響で頭皮が焼けるので、サンバイザーよりもしっかりしたモノ(帽子)の方が良いと思います。 一方、女性の夏ゴルフ対策は日焼け止めを忘れない事。ウェアは日焼け防止で長袖になるのは仕方がありません。が、前述の通り、熱中症と背中合わせになっている事は心して下さい。水分補給は必須です。 どうしてもダイエットが必要な場合はプレー中の食事を控え、移動を歩きでは無くジョギングにすると効果的。結構、アップダウンがあり、足への負担が大きい。勿論、スポーツドリンクを片手に補給しながらのジョギングになります。 心掛け一つで無理のないダイエットが出来る事は忘れないで下さいね。ただ、このジョギングもキツイと言えば、キツイです。脱水を促進する様な「ラク」に思えるダイエットは効果が薄く身体へのダメージが大きい。その逆でしっかりした運動はキツイですが、身体へのフォローをすれば、効率の良いダイエットに直結します。 私は夏場、標高の高いゴルフ場でプレーします。涼しい事がその理由ですが、酸素が薄い為からか、ボールが良く飛ぶ。打球=球筋を見るには絶好で、秋の本格シーズン前の調整には最高です。 コールドスプレーと氷嚢は必ず持参します。「夏は無理をしない」。当たり前の事を当たり前にする。簡単な様で難しい事ですね。小塚桃子オフィシャルブログ「季節はずれのももリンダ」http://ameblo.jp/koduka-momoko/
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スポーツ 2015年06月13日 16時00分
阪神補強連敗いまだ継続中 藤川球児が独立リーグを選んだ真相
藤川球児(34)が日本復帰のステージとして、古巣の阪神ではなく、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスを選んだのは既報通り。同チームはかつて、実兄がゼネラルマネージャーを務めていたとはいえ、誰も予想できなかった移籍になった。 「藤川サイドから高知球団に連絡が入り、入団が可能か否かを探ってきました。対応に当たったのは同球団の一部の幹部だけ。藤川サイドの売り込みと聞かれればその通りなのですが、高知側も半信半疑でした」(地元関係者) 「帰って来てくれるはず」と信じていた阪神の落胆は計り知れない。しかも、阪神の入団オファーに対する正式な断りの電話が藤川サイドから来たのは、高知入団発表のあととも言われている。一方で、阪神上層部には事前に連絡を入れていたとの情報もあり、藤川の律儀な性格を考えると筋は通したと思われるが、阪神は2014〜15年オフの補強でも全敗しており、編成部門を根底から見直さなければならなくなった。 「藤川のトラ帰還が実現しなかったのは、ショックですよ。藤川が帰ってくれば、チームの起爆剤になったはずですから」(在阪記者) 藤川の高知入りが正式に発表されたのは、6月1日。前出の地元関係者によれば、藤川サイドから売り込みがあったのは5月25日前後。ちょうどその時期、藤川の代理人を務める人物は阪神幹部と会っており、特命を受けた在米有力者が藤川本人とも会談している。要するに、阪神が帰還オファーを進めていた真っ最中に、自らを高知球団に売り込んだわけだ。 「阪神時代の藤川は米球界挑戦の相談を何度もしていますが、上層部は頑として首を縦に振ろうとしなかった。憶測に過ぎませんが、ひょっとしたら、わだかまりがあったのかもしれない」(前出記者) 6月8日、藤川は高知のユニフォームに袖を通し、無報酬で投げることも発表した。しかも、高知球団は藤川が登板した試合の入場者収益の10%を児童施設に寄付することも決めた。高知県出身の藤川らしい、心憎い配慮である。 「NPBよりも地元愛を選んだ、藤川流の男気に高知は盛り上がっています」(前出関係者) 阪神は藤川の高知入りが決まった後の対千葉ロッテ戦(2日)で、クローザーの呉昇桓がまさかの逆転満塁弾を浴びた。和田監督はガックリと肩を落とし、藤川を「球団の宝」と賞していた坂井信也オーナーも、厳しい表情を浮かべたまま球場を後にした。藤川にフラれ、かつての藤川と同じ背番号を付ける呉が敗戦投手になる。泣きっ面に蜂とはこのことであろう。 藤川が阪神を選ばなかった理由は他にもあるようだ。 「藤川は一昨年6月に右肘にメスを入れています。そのトミー・ジョン手術から完全復帰を果たすには約1年半を要するとされ、この復帰イヤーとなると目されていたのは今季でした。藤川は高知で自分のピッチングを取り戻し、来季、メジャーに再挑戦するのではないか」(球界関係者) 藤川は阪神のなかでも選手別グッズの売上が高く、トラ復帰が実現していれば、営業的にもウマミはあったはず。独立リーグでの契約は基本的に1年。メジャー復帰を目指すのならば、古巣阪神よりも郷里の方が都合がよかったのかもしれない。
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