スポーツ
-
スポーツ 2015年08月01日 18時37分
駆け込みトレード期限終了間際 日本人選手は戦力になれず?
7月31日。この日はMLBの各球団フロントが目の回るような忙しさに見舞われる日だ。 メジャーリーグの慣例では、優勝戦線から脱落したチームはシーズン中でも早々に来季に向けた戦力編成に入る。下位チームは高額年俸のベテラン、今季限りで複数年契約が切れる慰留不可能と判断された主力選手などを放出し、交換要員として有望な若手選手を獲得する。対照的に、優勝圏内にいるチームはピンポイントで弱点を補強し、終盤戦を少しでも優位に戦おうとする。そんなシーズン途中のトレードが可能な期限が7月31日までであり、この時期に移籍する選手はペナントレースの行方を左右すると言っても過言ではないのだ。 「ドジャース、ブルージェイズ、ナショナルズなどのスカウトが、岩隈久志の登板を見ていました。岩隈のいるマリナーズはワイルドカード争いでも7ゲーム差の10位や11位というところ。岩隈が駆け込みトレードの標的にされる可能性もありましたが、具体的なアクションはありませんでした。今回、日本人メジャーリーガーはトレード市場からは完全に蚊帳の外状態です」(現地特派記者) 2011年に上原浩治(40)がこの時期のトレードを経験している。オリオールズからレンジャーズへ移籍し、レ軍のポストシーズン進出に貢献した。今季も駆け込みトレードの標的は主に投手のため、上原や田澤純一の動向にも注目が集まると思われた。だが、レッドソックスは苦戦が続いているものの、プレーオフ進出を諦めていない。上原と田澤を手放さないとの見方が支配的で、唯一の可能性が伝えられていた岩隈も前述の通りである。しかも、岩隈に関しては、 「マリナーズのジャック・ズレンシックGMは慎重すぎる性格なので、他球団はトレードを申し込みにくいと見ています」(同) そんな慎重すぎるGMの性格を物語るエピソードがある。現マリナーズは外野守備に難があり、一番打者を任せられる選手も欠いていた。そこへ、6月28日付けシアトル・タイムズ紙が〈短い期間に限定し、イチローを呼び戻すべきだ〉という記事を出したのだ。たしかに、イチローがヤンキースに移籍した12年7月以降、マリナーズは一番打者を固定できていない。さらに同紙は、イチローを呼び戻すべきか否かという緊急読者アンケートを行い、68.59%がYESの回答だったとも掲載している。慎重なGMを動かすため、「地元ファンも臨んでいる」とトレードを訴えたわけだが、実現には至らなかった。 「ズレンシックGMはパワー重視の打線に舵を切ったため、指名打者タイプばかりの打線になってしまいました。当然ながら守備難や失策による失点が増えています。しかし、ここでイチローを呼び戻せば、自身の判断が間違っていたことを認めたことになる。ズレンシックGMのメンツが邪魔をしたという面もあったようです」(米国人ライター) マーリンズもイチローを残留させる方向ではあるが、「交換要員次第ではどうにでもなった」(同)という。ひょっとしたら、岩隈を放出しないのも、「ローテーション投手喪失後の若手起用」の度胸がなかったからではなかろうか。 この時期のトレード市場に日本人メジャーリーガーの名前が出ないということは、同時にポストシーズンに誰も進めない可能性が高まっているということになる。
-
スポーツ 2015年08月01日 18時28分
「余命数カ月」の情報も… 角界上層部がひた隠す 北の湖理事長“重病説”(1)
大相撲名古屋場所は、横綱白鵬の史上最多35回目の優勝で幕を閉じた。 このところの相撲人気はとどまることを知らず、今年に入ってずっと満員御礼の垂れ幕が下がりっぱなし。4場所連続で“15日間オール満員”を記録し、千賀ノ浦・名古屋場所担当部長(元関脇舛田山)は、「ここで記録を途絶えさせるわけにはいかないと思っていた。最高の結果を出せてホッとしている」と満面の笑みを浮かべていた。 名古屋場所の15日間連続大入りは、若貴フィーバーで盛り上がっていた平成10年以来、実に17年ぶりのこと。幕内の取組にかかる懸賞の数も計1509本と場所最多を記録するなど、人気沸騰を物語る現象も相次いだ。つい3年前には、八百長問題の影響から48億円もの巨額の赤字を出し、協会首脳が青い顔をしていたのがウソのような人気ぶりなのである。 しかし、そんなわが世の春を謳歌する輪の中に、昭和の大相撲界を彩った大横綱、北の湖理事長(62)と九重親方(元横綱千代の富士=60)の姿はなかった。 いずれも病気入院していたのだが、北の湖理事長には“重病説”も流れ、活況の裏で大相撲界は怪しく揺れ動いている。 「体調を崩した北の湖理事長は7日目に緊急帰京し、都内の病院に入院しました。当初は病名も発表されず、千秋楽までには再び名古屋に戻って表彰式に出席するということだったのですが、結局はナンバー2の八角事業部長(元横綱北勝海)が代行しました。『両側水腎症』という病名が公表されたのは入院から4日後。千秋楽翌日の横綱審議委員会の欠席もギリギリまでアナウンスされず、この慌ただしさにも事態の深刻さが表れています」(担当記者) 両側水腎症というのは、尿が体外に排出されず、腎臓にたまる病気で、北の湖理事長はただちに尿管を広げる手術を受けたという。理事長に近い関係者が次のように明かす。 「理事長は3年前に直腸がんになり、内視鏡による除去手術を受けています。また一昨年末にも大腸ポリープを切除する手術を受け、腸閉塞を併発して去年の初場所を途中まで休みました。さらに、これは伏せられていますが、去年の秋には膀胱がんも見つかったそうです。体質的に“がん持ち”で、どんどん広がり、病状は深刻化する一方。今回の入院も、一連の病気に関連があるのではないかと心配しています」 一部では、「がんは肝臓や肺などに転移している」とのウワサもあるという。“怪童”と呼ばれ、史上最年少で横綱に駆け上がった北の湖理事長だけに、いまだ体力は一般人とは比べものにならないが、「余命数カ月」という情報まで駆け巡っているというのだ。
-
スポーツ 2015年08月01日 11時45分
100周年 2015年夏の甲子園 「プロ野球経験者の指導は高校野球を変えるか?」
『学生野球資格に関する協議会』で、学生野球資格回復の条件緩和が検討されたのは、平成25年1月17日だった。それまでプロ野球経験者が高校球児を教える場合、教員免許の取得と2年以上の在職実績が必要とされていた。セカンドキャリアに学生球児の指導者を選んだ元プロ野球選手は、まず教員免許を取得するのに苦労していた。高校卒でプロ入りした元選手は大学に入り直す。大学卒の元選手も母校に編入・再入学して教職課程を取得する。大学卒の編入組は『学生2年+教務実績2年』で4年、高卒組は6年の遠回りとなる。それが手続きを加えても数日程度の座学で、指導者資格が取れるのだから、元プロ野球選手たちは喜んだ。 しかし、こうも考えられなくはないだろうか。研修、座学を受講した程度で高校球児を正しく導くことができるのか、と…。 先頃、横浜高校監督・渡辺元智氏が神奈川県大会決勝戦で指導者人生の幕を閉じた。渡辺氏は春夏甲子園通算51勝を上げた名将だが、歴代3位となるその勝ち星の内訳が興味深い。氏は1967年秋に横浜高校監督に就任しているが、70年代、80年代、90年代、2000年代のそれそれで日本一になっている。 渡辺氏は横浜高校から神奈川大学に進んだが、肩を故障して選手を断念。大学も辞めてしまったが、コーチの打診があり、横浜高校に戻った。しかし、同氏は76年に大学に入り直している(夜間)。73年センバツですでに日本一を経験したのに、である。教員を兼ねたのは「グラウンドだけでは、生徒たちの気持ちを把握しきれない」と思ったからだという。 「他校の年長監督に経験談を聞き、練習方法で自分なりにアレンジし、野球以外の識者とも積極的に話をしていました。野球に生かせるものがあればとの思いからでしょう」(関東圏私立高校指導者) 横浜高校OBに聞いても、『監督・渡辺像』は世代によって違う。40、50代のOBは「怖かった」と話すが、30代や20代後半は「よく話し掛けてくれた」と言い、30代の一部は「寡黙なイメージ」とも語っていた。年代ごとに日本一を経験しているが、世代や生徒たちの性格に合わせ、教え方を変えていたのではないだろうか。そのために、先輩指導者や識者の話を積極的に聞いていたのかもしれない。 野球技術は元プロ野球選手の方が優れているが、高校野球の指導はそれだけでは成り立たない。研修、座学を受けただけで、人間形成や生活指導に携われるのだろうか。高校野球の監督とは着任してからが「始まり」であって、過去の栄光や経歴は通用しない世界とも言えそうだ。(スポーツライター・美山和也)○昭和59年 日本学生野球協会は高校教諭の在職が10年を越えれば(実習教員、臨時講師を除く)で元プロのアマ資格復帰の申請を認め、さらに日本高野連の審査を経たうえで高校野球の指導ができる規定を作った。○平成6年 教諭在職を5年以上に改正。○平成9年 教諭在職を2年以上に改正。○平成23年 高校教諭だけでなく、臨時講師の在職期間もカウントできることになった。○平成24年 高校教諭、同臨時講師だけでなく、特別支援学校や中学校の教諭、臨時講師の在職期間もカウントできるようになった。○平成25年 教員在職2年間の条件をなくす緩和案が出される。
-
-
スポーツ 2015年07月31日 14時00分
USA発 新聞、テレビではわからないMLB「侍メジャーリーガーの逆襲」 速球の威力では日本人投手No.1、上原の後継者へ… 田澤純一が克服すべきブルージェイズ恐怖症
日本のプロ野球ではセ・リーグが史上まれに見る団子レースになっているが、米大リーグでも人気球団ひしめくア・リーグ東地区が、首位ヤンキースから最下位レッドソックスまで6ゲーム差しかない大混戦になっている。 レッドソックスは開幕前、優勝候補と目されていたが、オフに補強した先発投手が揃って不調。自慢の強力打線も長距離砲のオーティズとナポリがスランプ。守備でも大事な場面でエラーが頻発といった悪材料が重なり、シーズン前半は苦戦を強いられた。それでも、まだ優勝の望みがある5つの負け越しで前半戦を終えることができたのは、8回を田澤純一、9回は上原浩治という黄金リレーがしっかり機能したからだ。 それに伴い田澤の見事な働きにスポットライトを当てた記事も散見されるようになった。人気スポーツサイトの『SOSH』は「見過ごされている男・田澤純一」という見出しの記事を掲載し「田澤は優れたセットアッパーからトップレベルのセットアッパーに成長した」と賞賛した。 他の日本人大リーガーと比較して田澤が特に秀でているのは「速球の威力」だ。 米国のアナリスト集団の中には、被打率、ストライク率、奪三振率などいくつかのキーデータを組み合わせて各投手の持ち球のレベルを評価しているところがある。その代表格である『ファングラフス』のピッチバリュー(球種評価)を見ると(表参照)、日本時代は、「日本球界1のストレート」と見なされていた田中将大やダルビッシュの速球は、平均よりかなり低い点が付いている。この2人ほど低くはないが、空振りを取れることで知られた和田毅の速球もマイナス2.6という「中の下」レベルの点数だ。 そんな中でただ1人、プラス5.4という高い評価を受けているのが田澤だ。 田澤の速球は大半がフォーシームの速球(通常の速球、日本でいうストレート)で、強烈なバックスピンがかかっているため全盛時の江川卓のようにホップする軌道を描く。ピッチングの基本線はこれを高目に、スプリッター(フォークボール)を低目に投げ分けて打者を空振りかフライアウトに仕留めるパターンだが、今季はスプリッターの制球が悪いこともあり、速球主体のパワーピッチングで凡フライに仕留めることが多くなった。これで効率よく凡フライに仕留め、決め球はスプリッターではなくフォーシームになった感がある。 日本人大リーガーでは一番と評価されるようになった田澤の快速球は、'09年のレッドソックス入団時にはなかったものだ。レ軍1年目である'09年、田澤の速球の平均スピードは144.4キロだったが、'10年3月にトミージョン手術を受けた結果、復帰後に球速がアップし、術後2年目の'12年こそ平均球速は144.4キロだったが、'13年には150.4キロにアップして、日本人投手きっての速球派に成長した。 これまで渡米後トミージョン手術を経験した日本人投手は6人いるが、結果がこれほど大きなプラスになったのは田澤だけだ。 田澤のもう一つの長所は「酷使に耐えるラバーアーム」という点だ。 ラバーアームは「ゴムの腕」という意味で、どんなに酷使しても使い減りも故障もしない投手をさす。日本人投手はここ数年、ヒジや肩の故障で長期欠場するケースが多くなっており、米国では壊れやすい投手の代名詞になっている。そんな中で田澤は昨年チーム最多の71試合に登板。今季もここまでチーム最多の39試合に登板しており、最終的に70試合以上登板するのは確実な情勢だ。 田澤のこうしたタフさは、日本人投手にも酷使に耐える男がいることを知らしめる結果になっており、彼のラバーアームぶりはもっと評価されてもいいように思う。 田澤に期待されているのは上原浩治の跡を継いでレッドソックスのクローザーになることだ。上原は来期まで契約があり、アクシデントがなければ'17年から後任を任されることになるが、上原は来季41歳。来季の途中で故障し、そのまま田澤にバトンタッチとなる可能性もある。 だが、それまでに克服しておくべき課題が一つ。「ブルージェイズ恐怖症」だ。 ブ軍は同地区のライバルで打線にホームランバッターを並べて相手を打ち負かす攻撃野球のチームだ。フライボール・ピッチャーの田澤は、このチームとやると外野フライがホームランになってしまうため以前から苦手にしていて、'13年以降、打たれた17本塁打のうち9本はブ軍相手に打たれたものだ。 それを知っているためレ軍のファレル監督は、ブ軍戦では逃げ切りパターンになっても8回に田澤を起用しないケースが見られるようになった。 クローザーになれば、ブ軍だけはパスというわけにはいかなくなる。今後は、点差が開いた場面などで志願して登板し、苦手意識をなくしておく必要がある。スポーツジャーナリスト・友成那智ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は各媒体に大リーグ関連の記事を寄稿。'04年から毎年執筆している「完全メジャーリーグ選手名鑑」(廣済堂出版)は日本人大リーガーにも愛読者が多い。
-
スポーツ 2015年07月31日 12時10分
100周年 2015年夏の甲子園 「高校野球の転機は金属バット導入」(後編)
1974年第56回夏の甲子園大会で、金属バットが解禁された。解禁年を大会全体で見てみると、同年の大会総本塁打数は11。木製バットのみだった前年は10本である。たった1本の違いしかないのに、なぜ、この年が「高校野球=攻撃、大量得点」のイメージを定着させたのだろうか。 私見だが、金属バット解禁の前年第55回大会決勝戦と試合内容があまりにも対照的だったからかもしれない。 73年夏の大会を征したのは、広島商(広島県)だった。迫田穆成監督(現広島県如水館高校監督)の率いる広島商といえば、「犠打、エンドラン、スチール」などの小技を巧みに絡めて勝ち上がっていくスタイルだった。地方大会では相手校のスクイズを警戒し、外野手1人を呼び、「内野5人体制」で備えたこともあるという。 勝ち上がっていけば、好投手とぶつかる。お互い、点が取れない。だから、1点を必死に守る攻防になる。73年、広島商が夏の甲子園大会決勝戦を、スリーバントスクイズでサヨナラ勝ちしている。 それに対し、金属バットの反発力の高さを存分に発揮したのは、池田高校(徳島県)である。打って、打って、打ちまくる豪快なスタイル。82年夏、池田高校は全国の頂点に立つが、その決勝戦の相手が広島商だったのは、単なる偶然だろうか。 同年、広島商も金属バットを使っていたが、池田に18安打の猛攻を浴び、2対12で敗れている。広島商の高度、かつ緻密な野球スタイルを築き上げた迫田監督は、このとき、同校の指導から一線を退いていたが、後のインタビューなどで、 「細かい野球ならいくらでも対応できるが、『ホームラン行け』の指示で本当に長打を打ってくるチームには対応のしようがない。金属バットだからこそできる野球」 と回顧している。 高校野球では3点差でリードしていても、決して“安全圏”ではない。金属バットのせいばかりではないが、高校野球は下位打線でも一発が出る。プロ野球はもちろんだが、大学、社会人の野球は木製バットを使っている。金属バット独特の「カキーン」という打撃音も悪くないが、1点を必死に守る攻防を見てみたいと思う。(スポーツライター・美山和也)
-
-
スポーツ 2015年07月30日 17時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈藤田和之vsミルコ・クロコップ〉
2001年8月19日、『K-1アンディ・メモリアル2001』での藤田和之vsミルコ・クロコップ。およそ全ての格闘技ファンが、藤田の勝利を疑っていなかった−−。 猪木軍vsK-1軍の大将戦として組まれたこのカード。藤田はこの頃、新日本プロレスを主戦場としていたが、前年PRIDEグランプリでは“霊長類ヒト科最強”マーク・ケアーを下すなど、日本の総合格闘技におけるヘビー級のトップと目されていた。 片やミルコは総合初挑戦。この試合に向けてアメリカで総合用の特訓を積んだとはいうが、付け焼刃の感は拭えない。 選手の格で見ても、このころのミルコはK-1においてピーター・アーツ、ジェロム・レ・バンナらトップ勢に次ぐ2番手グループの扱いであった。 つまりミルコは、今後繰り広げられるであろう抗争の序章として猪木軍に捧げられた“生け贄”であり、藤田vsアーツや藤田vsバンナの前哨戦…これが偽らざる周囲の評価であった。 「さらに言えば、当時の総合格闘技においては日本なら桜庭和志、UFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)でもティト・オーティズなどのレスリング出身選手がトップを張っていた。グレイシー柔術の神話も根強く残っていて“寝技有利、立ち技不利”が定説だったのです」(格闘技ライター) そのためK-1など立ち技の経験しかないミルコが、まさかレスリングベースの藤田に勝つなどとは、プロレスファンでなくとも想像していなかったのだ。 そうした予想の通り、ゴングが鳴ると藤田は特に警戒する様子もなく、何度かタイミングを計ったところでミルコの脚にタックルを決める。サイドポジションを取られたミルコはなすすべもない。 このまま勝負は決するかと思われたところで、レフェリーのストップがかかる。 「寝技から逃れようとしたミルコが、ロープをつかむ反則でも犯したのだろうと思ったのですが…」(スポーツ紙記者) 立ち上がった藤田の額からはマットに滴るほどの大出血。タックルが決まる直前に放たれたミルコのヒザ蹴りによるものだった。 結果、ドクターストップでミルコに凱歌が上がる。藤田は納得のいかない様子で抗議を続けるが、裁定が覆ることはなかった。 「完全に藤田の勝勢だっただけに“K-1にハメられた”というプロレスファンもいました。互いの身体が血で染まるような試合はテレビ向きではないという判断もあったかもしれない。だけど後に映像で確認すると、狙い済ましたヒザ蹴りがものすごい勢いで額を直撃している。あれを間近に見て、さらにおびただしい出血となれば、レフェリーがストップをかけたのも仕方がない」(同・記者) それでも、この試合に対する大方の見解は「アクシデントさえなければ藤田の勝ち」であった。 確かにあのまま試合が続いたならば、藤田がミルコを決めて勝つ可能性も高い確率であっただろう。しかし、それは“頭蓋骨の厚さが常人の2倍”ともいわれる藤田の頑丈さがあってのこと。普通の選手ならばヒザ一撃で失神KOとなっても不思議はなかった。 それを「ミルコに総合の技術なし」「くみしやすし」と判断したことが、プロレス界に悲劇を招くことになる。 「脚へのタックルに対し、ミルコは狙ってヒザを合わせてきたわけで、そうなると安易に飛び込むことはできない。ならば、まずパンチやキックでミルコの態勢を崩す必要があるけれど、立ち技はミルコの得意分野であり、普段本格的な打撃練習をしていないプロレスラーの手に負えるものじゃない。タックルもできない、立ち技でも勝てないとなれば、実はプロレスラー側には攻め手がないのです」(格闘誌記者) ところが、次にミルコと戦った高田延彦は、試合中に足を骨折したため終始グラウンド状態で引き分け。「寝転ぶ高田に何もできないミルコはやはり総合適正なし」と勘違いを増幅させることになった。 そうして迎えた大みそか。永田裕志はミルコのハイキックの前に一撃KOの敗北を喫する。 以後、プロレスは冬の時代を迎え、一方のミルコは総合格闘家としての才能を開花させていった。
-
スポーツ 2015年07月30日 14時00分
“延長戦撤廃”“9回打ち切り制導入”の裏に隠された「プロ野球くじ」の黒いカネ(2)
ただし、実際に『プロ野球くじ』導入を検討していく上で、「八百長対策」と同じくらい難題となるのが「試合数の少なさ」だ。 一般的なサッカーくじ『toto』の場合、J118チームとJ222チームの試合の中から、指定された13試合の結果に賭ける。しかも、もともと競技の特性上、「勝ち」「負け」以外に「引き分け」の試合も多く、これがギャンブル性を高めているのである。 一方、12球団で構成されるプロ野球は1日6試合が限界。戦力面や相性、ホーム・ビジター、主力選手の故障者などを総合的に検討しても、Jリーグに較べて、すべての勝敗を予想することが比較的容易でギャンブル性は低い。 また、現在のプロ野球では“12回打ち切り制”が導入されているが、これを“9回打ち切り制”に引き下げると、「引き分け試合」が飛躍的に増えて、ギャンブル性を高めることができるというわけだ。 「結果、試合時間も短くなり、テレビ中継の時間内にプロ野球くじの結果も分かるとなれば、スポンサーも付いて地上波放送も復活。ファンも増えるという皮算用なんです」(前出の広告代理店関係者) 一方、日本プロ野球選手会にも、首脳陣と同様の理由で反対意見が根強かったようだが、こちらは“セカンドキャリア”という問題に直面しており、状況が変わってきたのだという。 「セカンドキャリアとは、プロ野球選手になったものの、ケガや実力不足で退団を余儀なくされた若手選手の再就職問題です。現在のプロ野球界には、退団した選手をケアする組織も費用も不足している。そこで期待されているのが『プロ野球くじ』の収益金。一部を選手会に分配してもらい、セカンドキャリア対策に充てたいというのが本音です」(前出のスポーツ紙デスク) 前半戦を終了し、セ・リーグは「全球団貯金なし」。パ・リーグの強さばかりが際立つが、その要因の一つが「セ・パの試合時間の違い」だと指摘する声もある。 近年、テレビ放映を意識したセ球団はバントを多用し、一発長打よりヒットでつなぐ戦術にスイッチした。一方、パは依然として試合時間に無頓着で、打撃戦にこだわっている。実は、これがパ強セ弱の要因にもなっているというのだ。 「気の毒なのは巨人の原辰徳監督です。圧倒的な戦力を抱えながら、空中戦を封印された結果、能天気な野球を続ける中畑DeNAに首位を奪われている。前半戦を借金ターンしたことで白石興二郎オーナーは原監督の来季に関し、『後半戦が終わってから』と言葉を濁している。実は、プロ野球くじ導入には巨人も賛成で、それを前提にするなら、落合博満・前中日監督の下でスモールベースボールを学んだ川相昌弘ヘッドの監督昇格こそ適任だからです」(別のスポーツ紙記者) さらに、巨人がプロ野球くじ導入に前のめりなのにはもう一つの理由がある。本誌既報通り、東京五輪・パラリンピック後に「新国立競技場」を本拠地球場にしようという狙いがあるからだ。 安倍晋三首相は17日、総工費が予算の2倍以上の2520億円に膨れ上がり、国民の批判が高まったとして、新国立の建設計画を白紙撤回した。これで、森喜朗元首相の悲願だった'19年9月のラグビー・ワールドカップでの“柿落とし”は夢と終わったが、ここにも巨人の影がちらつくのだ。 「安倍首相は1カ月ほど前から見直しの検討に着手していたと説明していますが、この時期はちょうど“巨人の新国立への本拠地移転”が表面化した頃でした。巨人からすれば、天然芝の育成に屋根は不要。それなのに2520億円で建設されては、レンタル料も高額になる。そこで、建設費の充当に検討されていたプロ野球くじの実施に読売グループが協力することで、建設計画の白紙撤回を政府筋に促したという情報もあるんです」(政治部記者) ここに、巨人以外の各球団の思惑なども複雑に絡み合い、『プロ野球くじ』導入に向けて舵を切ったのである。計画実現のために、ベンチ裏では多額の“黒いカネ”も動いているはずだ。
-
スポーツ 2015年07月30日 12時10分
100周年 2015年夏の甲子園 「高校野球の転機は金属バット導入」(前編)
高校野球は今年100年を迎える。その長い歴史のなかで、現場指導者たちが「最大の転機」と位置づけているのが『金属製バット』の導入だ。 高校野球の世界で金属製バットが解禁されたのは、1974年第56回夏の甲子園大会だった。同年8月6日付の毎日新聞に興味深いコラムが掲載されていた。タイトルは『金属バット賛否』−−。 「出場34校を平均すると、ほぼ2人に1人が“金属打者”」 正式に解禁が通達されたのは同年3月だが、センバツ大会でお披露目とならなったのは生産が間に合わなかったからで、製品が十分に出回っていない状況も配慮し、「夏の大会から」となったのである。 木製バットは芯を外すと折れてしまうことが多々ある。また、雨天などで湿気を吸ってしまえば使い物にならなくなってしまう。金属バットはその弱点を完全に補っており、耐久性も高い。バットの材料となる特殊な木材の量も限られている。自然保護環境への配慮も含め、導入時点ではもう一つの特徴である『反発力の高さ』はさほど懸念されていなかったようだ。 また、材質、色などに制限が掛けられての解禁となったため、夏の大会で実際に使用できたのは米国社製品だけだった。コラムでは「使用者が2人に1人の割合」とあったが、地方大会を含め、ほぼ全員が金属バットを使用している現在では考えられない。同時期の朝日新聞、読売新聞によれば、解禁元年の同大会で、「東海大相模(神奈川県)だけは全員が金属バットを使用」と紹介されていた。 その東海大相模は3回戦(対盈進/広島県)で16安打13得点と圧勝し、金属バットの快音を甲子園に響かせた。原辰徳・現読売ジャイアンツ監督が一年生ながらベンチ入りしており、翌年春、津末英明(日本ハム−巨人−現巨人職員)とのクリーンアップで攻撃野球を繰り広げていく。 当時を知る元私学職員が東海大相模の攻撃野球を、こう回顧する。 「故・原貢さん(監督/当時)は攻撃的な野球を好む指導者でしたが、金属バットの怖さみたいなことも話しておられました。同校の野球場で、金属バットでのフリー打撃練習をさせたら、ライナー性の打球を追う外野手がフェンスに激突したそうです。その外野手は『捕れる』と判断したから全力で追い掛けたわけで、金属バットで放たれた打球は低い弾道でも外野フェンスまで届くという怖さを認識されていました。外野フェンスにラバーを貼るなど、緊急措置がされました」 しかし、元在京球団スカウトもこんな話をしてくれた。同年、もっとも高く評価されたバッターは銚子商(千葉県)の篠塚利夫(現・和典)だったという。 「2年で4番。彼が使っていたのは木製バット。これまで使っていた木製バットとの違和感で金属バットを使わなかったと聞いたように記憶している。体は細かったが、木製バットをしならせるというか、材質の特徴を存分に生かした打撃を見せてくれた」 調べてみたが、篠塚は同年夏、大会第5号の本塁打を放っていた。 同大会の総本塁打数は11。前年は10本。数値では大きな変化はないが、その後、高校野球は打撃マシンの定着などもあって、1982年に史上初、総本塁打数が30本を越える。当然、金属バットは全球児に浸透していた。(スポーツライター・美山和也)
-
スポーツ 2015年07月29日 14時35分
“広島のプリンス”新婚・堂林 期待に応えられず、またも2軍降格
昨季、オールスター戦のファン投票(三塁手部門)で選出されるなど、“広島のプリンス”として、カープ女子に絶大な人気を誇るプロ野球・広島東洋カープの堂林翔太内野手(23)が苦しいシーズンを送っている。 今季、オープン戦中の不振で2軍に落とされた堂林は、開幕を2軍で迎えた。4月5日に1軍昇格したが、結果を収められず、5月30日に2軍降格。7月12日に再昇格を果たし、同日の中日戦では三塁で即スタメン起用されたが、5打数無安打。その後、2度代打で使われ、2打数1安打だった。オールスター戦後は1試合の出場機会もなく、同27日、出場選手登録を抹消され、再び2軍生活を送ることになったのだ。 今回の1軍での成績は7打数1安打。結果が出せなかったというよりも、チャンスがまともに与えられなかった印象が強い。今季の通算成績(同28日現在)は、21試合出場、31打数6安打0本塁打0打点、打率は.194で2割にも満たない惨状。 12年に1軍に初昇格した堂林は、野村謙二郎前監督の期待を受け、全試合(144)に出場し、14本塁打45打点、打率.242の成績を残し、非凡な長打力を発揮。近い将来、広島の中心選手になることを予感させた。しかし、故障もあって、13年は105試合、昨季は93試合と年々出場試合数が減っていた。 野村前監督と違って、緒方孝市新監督はシビア。結果が出ない堂林を使いながら育てようとの意思はなく、三塁は主にベテランの梵英心内野手が起用されており、堂林にとっては厳しいシーズンとなっている。 広島の残り試合は56(同)で、今後、堂林が巻き返しても、自己ワーストの成績に終わることは間違いなさそうで、厳しい冬が待ち受けることになる。 昨年12月25日には、当時TBSの人気女子アナだった枡田絵理奈さんと結婚。枡田さんは堂林をサポートするために、6月18日付で同局を退社し、主婦業に専念。今秋には第1子が誕生予定だ。扶養家族が増えたことで、より一層頑張らなければならない堂林だが、もどかしい状況が続いている。なんとか後半戦で奮起して、来季につなげてほしいものだが…。(落合一郎)
-
-
スポーツ 2015年07月29日 14時00分
“延長戦撤廃”“9回打ち切り制導入”の裏に隠された「プロ野球くじ」の黒いカネ(1)
プロ野球オールスターゲームの第1戦(東京ドーム)が開催された7月17日、都内のホテルで9年ぶりに「監督会議」が開かれた。 同日は「労組・プロ野球選手会総会」も行われ、会場こそ違うが、日本球界のリーダーたちが、それぞれ“密室”に籠もって会合していたのである。 スポーツ紙デスクが言う。 「今回の監督会議は、熊崎勝彦コミッショナーの呼びかけで決まったのですが、これは異例中の異例の事態です。というのも、オールスター期間中は、後半戦のチームの立て直しに向けて、監督自身のクビをかけて戦略を練る大事な時期。それを無視して全監督を集合させたところに、よほどの緊急性と“秘めた意図”が透けて見えるのです」 この監督会議の最大のテーマは、熊崎コミッショナーが就任時から推進してきた「試合時間の短縮」だった。 元東京地検特捜部長の熊崎コミッショナーは、かねてより「3時間を超すダラダラした試合がファン離れの要因だ」と見ており、テレビの地上波放送に合わせ、全試合6時半開始、9時終了という理想を掲げている。 これに対し、座長を務めたDeNAの中畑清監督は“総論賛成”とした上で、「無駄な時間とは何かということを意見交換し、理解し合う時間になった」とコメント。徹底してスピードアップを図ることを申し合わせたという。 「これまでは、野球は“球試合(だましあい)”などと言ってはばからず、『試合時間が長くてなぜ悪い』と反対する球界の長老たちもいて、なかなか慣習を打ち崩せなかった」(某球団幹部職員) しかし、ソフトバンクの孫正義オーナーをはじめ、楽天、DeNAなどの若手オーナーの台頭で状況は一変。ある球団幹部からは、「三振をストライク3から2に減らすとか、四球を4から3に減らせばいい」などという“迷案”も出るほど様変わりしている。 「しかし、これはメジャーリーグの規則にならう日本のプロ野球界では実現不可能。そこでひねり出したのが、延長戦撤廃の“9回打ち切り案”なのです。まだ公には誰も口にしていませんが、監督会議でも密かに協議されたようです」(同) この“9回打ち切り制”の表向きの理由は、熊崎コミッショナーが提唱する「時短で人気回復」だが、真の狙いは別にあるという。 広告代理店の関係者が声を潜めて語る。 「球界首脳はこれまで、興行的にサッカーのJリーグを見下していました。ところが、新国立競技場の建設費が2520億円になるという報道を受けて、あることに気付いた。その財源として、年間総売上が1107億円のサッカーくじ『toto』が検討されていると報じられると、“これがプロ野球に導入されれば、その何倍も売れる”と算盤をはじいたのです」 とはいえ、過去に「黒い霧事件」を経験した球界には、『プロ野球くじ』の導入に拒否反応を示す根強い抵抗勢力があったという。しかし、前述のようにオーナーの世代交代が進み、一気に導入に向けて走り出したというのだ。 「この問題の話し合いが、今回の監督会議の“裏の目的”だったのです」(同)
-
スポーツ
ハッスル消滅!? 小川H軍休止宣言
2006年12月27日 15時00分
-
スポーツ
大みそかボビー弟と対戦 金子賢 前田道場入り
2006年12月14日 15時00分
-
スポーツ
珍指令 KID 秒殺禁止
2006年12月12日 15時00分
-
スポーツ
生還小橋に捧ぐ 三沢 GHC奪還
2006年12月11日 15時00分
-
スポーツ
猪木 緊急提言 想定外プロレスをやれ!
2006年12月05日 15時00分
-
スポーツ
1・4東京D「レッスルキングダム」 新日本 全日本“乗っ取り”へ秘策 長州3冠戦出撃
2006年11月16日 15時00分
-
スポーツ
復活1・4東京D大会へ秘策 新日本最終兵器サイモン猪木 IWGP挑戦!?
2006年11月07日 15時00分
-
スポーツ
来春ビッグマッチ パンクラス芸能人最強決定戦 坂口憲二 今田耕司 押尾学
2006年10月31日 15時00分
-
スポーツ
大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
特集
-
岡平健治「19」解散は「お金の問題じゃない」 岩瀬敬吾、地元に戻るのを「止められてよかった」 今後はバラエティーで「ポンコツっぷりを見て笑ってほしい」
芸能
2025年08月05日 23時00分
-
野球人生“燃え尽きた”元プロ野球選手・宮國椋丞氏 今後は「周りの人に頼られたり、笑顔にしたい」
スポーツ
2025年07月25日 23時30分
-
-
豊ノ島、YouTubeチャンネルで若乃花とコラボ熱望 タレントとして相撲番組で「冠番組」持ちたい
芸能
2025年07月21日 12時00分
-
宮迫博之「雨上がり決死隊」再結成は「蛍原さん次第」 ドジャース始球式の裏話も明かす
芸能
2025年07月14日 17時00分
-
元ザブングル松尾陽介、沖縄で芸人のセカンドキャリアサポート 芸人引退に「心境の変化」
芸能
2025年04月28日 19時03分