スポーツ
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スポーツ 2015年06月29日 11時00分
急死した(元関脇)貴ノ浪の豪快相撲の源になった酒豪ぶり
元大関貴ノ浪の音羽山親方(本名・浪岡貞博氏)が6月20日午前、滞在先の大阪市内のホテルで、急性心不全のため43歳という若さで死去。翌日、通夜が自宅のある名古屋市内の平安会館守山斎場でしめやかに営まれた。 音羽山親方は青森県三沢市出身で、中学時代に当時の藤島親方(のち二子山、元大関貴ノ花)にスカウトされ角界入り。1987年の春場所で浪岡の四股名で初土俵を踏み、'91年九州場所で新入幕を果たした。 「二子山親方は、浪岡は黙っていても強くなる、将来の大関、横綱は間違いないとまで踏んでいました。部屋は一人100番くらい稽古する荒稽古で知られていましたが、浪岡は身長196センチと体格にも恵まれ、とにかくよく稽古をしていた。親方が目をかけるのも当然の逸材でしたよ」(元力士) 十両に昇進すると、親方の貴ノ花と本名の浪岡から「貴ノ浪」とした。'93年5月場所には小結、続く7月場所で関脇に昇進。翌年初場所後に大関となり、3月場所では12勝3敗で、曙、貴闘力との優勝決定戦に進出したが、優勝は曙にさらわれた。貴ノ浪らしさを発揮して初優勝したのは、'96年の1月場所だった。 「貴乃花との同部屋対決の優勝決定戦では、貴乃花が切り替えしにくるところを河津掛けで制した。大事な一番で大横綱を大技で破るなんて、貴ノ浪にしかできない芸当ですよ。翌年の11月場所でも再度、貴乃花との同部屋決定戦に臨み上手投げで勝った。ただ、同じ部屋に強豪力士がひしめき合う状況が窮屈なのか、横綱への執念を感じなかったのが印象的です」(同) その後、2度の大関陥落を経験し、2004年3月に現役を引退。大関時代から心臓に持病があり、'06年には心房細動、敗血症などで生死をさまよったこともあった。 「とんでもない酒豪で、ピッチャーに氷を入れてブランデーを飲みまくっていた。そんな若い頃からの暴飲がたたったのか、大関時代はすでに心臓を患っていたんです。しかし貴乃花部屋の大番頭で、貴乃花親方が理事長になった暁には事業部長のポストも約束されていた。現役時代の取り口は豪快でしたが、核心をついた解説には定評があり、頭も切れ味抜群だったんです」(相撲関係者) 新しい時代を築く牽引車となる人材だっただけに、若くしての突然の死が惜しまれる。
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スポーツ 2015年06月28日 14時00分
緊急トレードは巨人新GMの挨拶代わり さらなる大型トレードも?
6月10日、巨人と北海道日本ハムの間で緊急トレードが成立した。巨人は北篤外野手(26)と矢貫俊之投手(31)を獲得し、矢野謙次外野手(34)と須永英輝投手(29)を日ハムへ譲渡した。日ハムはチームに合流したばかりの矢野をいきなりスタメンで起用し、かつ結果まで残している。 「巨人側から仕掛けたトレードでした。中継ぎタイプの投手がほしいと持ち掛け、交渉を進めていくなかで具体的な選手名が挙げられていきました」(球界関係者) トレードの期限は7月末まで。このトレードは先日、巨人GMに就任した堤辰佳氏(49)の“挨拶補強”とも言われている。そして、「存在感を見せるため、さらに大型トレードがあるのではないか」という見方が支配的だ。しかし、その一方でこんな声も聞こえてきている。 「前任の原沢敦氏の時代もそうだったが、ゼネラルマネージャーと言っても、経営面にはタッチしていません。つまり、巨人はGMが単独で補強、人事を決断することはできない組織形態になっています」(ベテラン記者) そのため、巨人GMは決められた人件費の範囲でしか選手補強ができない。トレードも同じで、獲得を目指す選手の現年俸を確認し、人件費の残高が足らなければ、それなりの年俸を払っている自軍選手を放出しなければならないのだ。トレードとは、放出する選手と獲得する選手の年俸バランスが重要で、限られた人件費の範囲でしかできないのだ。 「生え抜きで13年目の矢野を放出したのは、彼自身に試合に出るチャンスを与えるためでした。飼い殺しにするのは本人のためにもよくないと判断したからで、そういう配慮ができるのが堤氏だ、との見方もできます。堤氏は広報部に在籍していたときも選手から人望の厚い人でした」(同) また、交換要員として得た中継ぎ投手の矢貫についてだが、大学野球関係者から「目のつけどころがいい」という声が聞かれる。矢貫は強豪高校の仙台育英から常磐大学を経て社会人に進み、プロ入りした。しかし、常磐大学の所属する関甲新学生連盟によれば、「高校3年間は一度もベンチ入りできなかった補欠選手。本人が大学で努力してプロの目に留まった」という。 「努力家でキャプテンシーも持った好人物ですよ。将来は指導者としてだけではなく、フロント入りしてもきちんと仕事もできるはず」(前出関係者) 一方で、日ハムは以前から矢野の素質を買っていたという。しかし、その矢野を獲得した直後、「オフにきちんと話し合わなければ…」と、一抹の不安も見せていた。矢野はすでに国内FA権を獲得しており、日ハムに骨を埋める気があるのか否か、分からないのである。しかも、人的補強の発生しないCランク選手である。巨人帰還の意思が前提にあるトレードだったのだとすれば、堤GMはかなりのクセモノだ。 「トレードはその対象選手の転居、家族の問題もあり、どの球団もそれに配慮し、消極的な傾向も見られます。シーズン途中のトレードとなれば、家族の残しての単身赴任です。巨人は有名選手のトレードよりも再生可能な選手を見出す方向に変えようとしている」(同関係者) 人件費の予算、選手の家族問題、出場機会、人間関係、そして最終決定権はない。巨人のGMは苦労が多そうだが、諸々の条件をクリアして挨拶代わりのトレードを成立させた堤氏。矢貫や北の活躍次第だが、やり手GMの片鱗は見せている。
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スポーツ 2015年06月27日 18時00分
今年も広島勢で占拠されてしまったオールスター・ファン投票
NPB(日本野球機構)は6月26日、「マツダオールスターゲーム2015(第1戦=7月17日・東京ドーム、第2戦=同18日・マツダスタジアム広島)」ファン投票の最終結果を発表した。 セ・リーグでは広島東洋カープから、先発投手=黒田博樹、捕手=會澤翼、一塁手=新井貴浩、二塁手=菊池涼介、外野手2位=丸佳浩と5人が選出され、リーグ最多。 昨年は広島ファンが組織票に走って、全11枠(投手3人)中8枠をファン投票で占拠した。今年は開幕当初から最下位に長く沈むチーム状況だったが、それでも5人が選ばれ、2年連続でファン投票は広島勢が大挙して占める結果となった。 一方、一時は首位を走ったDeNAのファンも投票に躍起となり、抑え投手=山崎康晃、外野手1位=筒香嘉智、外野手3位=梶谷隆幸と3人が選ばれたが、DeNAの快進撃がなければ、今年もさらに多くの広島勢で占拠されていた可能性も高い。 他のチームからは、中継ぎ投手=山口鉄也(巨人)、三塁手=川端慎吾(ヤクルト)、遊撃手=鳥谷敬(阪神)が選出されたが、第1戦が本拠地で開催される巨人勢はわずか1人だけという寂しい投票結果となった。 昨年は広島から、規定打席に遠く及ばないキラ・カアイフエ(一塁手=退団)や堂林翔太(三塁手)がファン投票で選ばれて物議を醸した。今年はおおむね活躍している選手が選出されたため、さほど異論は出ないだろうが、広島ファンの投票行動は、他チームのファンにとって、来年も脅威になりそうだ。 なお、パ・リーグでは、先発投手=大谷翔平(日本ハム)、中継ぎ投手=エディソン・バリオス(ソフトバンク)、抑え投手=松井裕樹(楽天)、捕手=嶋基宏(楽天)、一塁手=中田翔(日本ハム)、二塁手=浅村栄斗(西武)、三塁手=中村剛也(西武)、遊撃手=今宮健太(ソフトバンク)、外野手1位=柳田悠岐(ソフトバンク)、外野手2位=秋山翔吾(西武)、外野手3位=糸井嘉男(オリックス)、指名打者=森友哉(西武)が選出された。 最多得票はセ・リーグでは、筒香の44万3313票、パ・リーグでは森の53万6267票で、中日、ロッテからは1人も選ばれなかった。 最も僅差だったのは、セ・リーグの捕手部門で、1位=會澤(27万9338票)と、2位・阿部慎之助(巨人=26万6885票)との差は1万2453票だった。 この後、選手間投票の結果が同29日に発表され、監督推薦を含む全出場選手は7月2日に発表される。2戦とも、テレビ朝日系列でテレビ中継される予定だ。(落合一郎)
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スポーツ 2015年06月27日 14時00分
球団買収候補の会社に大損益 パ球団関係者にも大打撃か
LIXILグループ(以下=リクシル)がドイツ子会社の破産手続きを進めている(5月22日発表)。傘下のドイツ・水栓金具製造会社『ジョウユウ』の財務内容を調べたところ、債務超過が発覚するなど、事業が継続できる状況ではないことが分かった。約410億円の損害が生じるとも伝えられた。 リクシルといえば、TBSが横浜ベイスターズを身売りする際に、候補になっていた会社の一つ。その後も球団身売り関係の報道が出るたびに名前が挙がる企業である。 「リクシルが球界参入に再挑戦するとの噂もありました。パ・リーグの球団が標的されているとかで、具体的な球団名が報じられたこともありました」(スポーツ紙デスク) リクシルが旧横浜ベイスターズの買収に乗り出し、失敗したのは2011年オフ。当時を知る関係者によれば、準備不足が原因だったとのこと。NPB内部には「ペナントレースの地方興行など、詳細を知らなすぎた」との声も聞かれた。しかし、その後に身売り報道が巻き起こった西武やロッテといった球団は、リクシルからの接触を完全否定している。 リクシルが球界参入へ再挑戦することがあるのならば、以前の準備不足を補い、それ相応の準備を整えてくるはずだ。 「リクシルが横浜買収を進められなかった原因に横浜スタジアムと球団の契約がありました。旧経営陣との間で使用契約年数を残しており、翌12年にDeNAが買収に成功したのはその契約が満了する年でもあったことが幸いしました。そして、リクシルがドイツの水栓金具大手のグローエ社を買収したのが13年。この時点でリクシルの球界参入の話は終了したとの見方もされていました。同時に、企業規模拡大の意味でグローエ社買収の次は球界参入だと予測する向きもありましたが」(同) 球団買収の動きに関する真偽はともかく、リクシルのターゲットとしてパ・リーグ球団の名前が出たのにはそれなりの理由があった。まず、交流戦の試合数が減少傾向にあったこと。そもそも、交流戦は旧オリックスと近鉄バファローズが合併した04年、同時審議された経営改革案だった。当初はホームとビジターで3試合ずつ、1球団あたりセの球団との試合は36試合あった。パ6球団は交流戦で実力を存分に発揮し、それに絡めたイベントやファンサービスも行い、交流戦で収益を増やしてきた。これに対し、セ・リーグ側は遠征先が増えるなどの出費面のほうが大きくのしかかり、かつ試合成績自体もパに押されることが大半だったため、交流戦の規模縮小を推し進め、現在の18試合制にすることに成功した。この規模縮小はパにとっては大きな損失だった。 「交流戦は開始当初の半分の試合数になり、将来的に交流戦そのものがなくなる可能性も否定できない状況になりつつあります。となれば、パ・リーグの収益アップで期待できるのはCSしかありません」(同) プロ野球全体で見ても、オールスターゲームや日本シリーズですら地上波放送権の売買では苦労させられている。12球団共有の新収益として侍ジャパンの常設も始めたが、「ベストメンバーを揃えたことがない」などの理由から、放映権料が伸び悩んでいる。 プロ野球界の収益モデルは全体で右肩下がり。中でもパ・リーグはさらに危機になってきている。リクシルはそのパ・リーグの起爆剤になれるかもしれない存在だっただけに、水面下で歯ぎしりをしている関係者がいるかもしれない。
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スポーツ 2015年06月26日 17時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈ドン・フライvs高山善廣〉
日本では一時期ほどの隆盛にないものの、世界的にはUFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)を筆頭に人気の定着した感のある総合格闘技。 「競技としての発展も急で、現在活躍するトップファイターは、総合のルールに適合した打撃も寝技も高レベルでこなせる選手ばかり。かつてはレスリングのタックルや、グレイシー柔術の寝技など、それぞれのバックボーンが重視されましたが、今はそれら全てをこなせないと通用しない状況です」(格闘技ライター) 何でもできるコンプリートファイター同士が競い合う。それは総合格闘技の進化に違いないが、その一方で異種格闘技的色合いの濃い闘い模様を好むファンもきっと少なくないだろう。 2002年6月23日、さいたまスーパーアリーナで開催された『PRIDE21』。このメーンイベント、ドン・フライvs高山善廣が今なお名勝負の一つに数えられるのは、ファンが高度な技術戦ばかりを好むわけではないということの表れだ。 レフェリーチェックの間も互いに一切目を離さない激しい睨み合いを続けた両者は、ゴングと同時に突進。互いに相手の頭を押さえると、もう一方の手でひたすら殴り合ってみせた。 一切ガードなしでぶん殴る、極めて原始的なその戦いぶりは多くの格闘技ファンの心をわしづかみにした。 「この大会ではエメリヤーエンコ・ヒョードルのPRIDE初参戦が話題となったものの、セミファイナルに組まれたセーム・シュルト戦は判定決着で、ぶっちゃけ退屈な試合に終わりました。そんな鬱屈とした会場の空気を2人は一気に吹き飛ばしたのです」(同) ボクシング技術では経験者のフライに一日の長があり、高山の顔面はみるみるうちに変形していく。しかし、高山もやられる一方ではない。コーナーに詰めたところからフロントスープレックスを放つと、起き上がりざまに膝蹴り一閃。フライの額を切り裂いた。その威力からして、もう一歩深く当たっていれば一撃KO勝利もあり得ただろう。 「当初、高山は得意のヒザをコツコツ当てていく作戦でいたそうです。しかし、同じNOAHからの初参戦で判定負けとなった杉浦貴も含め、すっきりしない試合が続く中“観客を沸かせたい”というプロレスラー魂が騒いだのでは?」(同) 試合後のインタビューでは「会場の“高山コール”に乗せられた」と語ったが、それだけではないプロとしての計算も、きっとあったに違いない。そして、同じくプロレス経験豊富なフライもこれに呼応したことによって、今も伝説と語り継がれる試合が成立した。 ちなみに高山は、当初出場を予定していたマーク・コールマンの欠場のため急きょの代役参戦でもあった。 試合開始から5分が過ぎたころには高山の顔面は完全に崩壊。見かねてドクターチェックが入ったものの、試合に戻ればまたもやノーガードの殴り合いだ。劣勢挽回を期した高山は再度スープレックスを狙うものの、これが崩れてフライが馬乗り。マウントパンチのラッシュでレフェリーストップの決着となった。 1R6分10秒。その試合時間の大半をハードヒットで殴り合うなどは、ボクシングでもなかなか見られるものではない。 試合後の腫れ上がった顔面が専門誌などに大きく掲載されたため、高山のやられっぷりばかりが目立ったが、フライも決して無傷ではなかった。帰国後には肩が上がらなくなり、全身の痛みから入院を余儀なくされたという。 「後にフライはこれを振り返り“バーリ・トゥードにピリオドを打つのにふさわしい試合だった”と語っています」(同) 現実には、その後もフライは総合格闘技を続け、PRIDEでの吉田秀彦戦やHERO'Sでの曙戦などを行っている。それでいて高山戦を“ラストファイト”というのは、当人にとってもそれほどまでに強烈なインパクトを残したということか。 一方の高山は、'02年大みそかの格闘技興行合戦の際、なかなか選手のそろわなかった『イノキボンバイエ』への出場が最後の総合参戦となった。しかし、ボブ・サップを相手に打撃ではなく、腕ひしぎ十字固めで完敗を喫する。 高山も、あるいはフライ戦で既に総合格闘家としては燃え尽きていたのかもしれない。
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スポーツ 2015年06月26日 14時00分
F1「日本版モナコ・グランプリ」開催すっぱ抜く
集団的自衛権行使を限定容認する安全保障関連法案をめぐってスッタモンダする国会で、興味深い動きがある。自民党の『モータースポーツ振興議員連盟』(古屋圭司会長)が「モータースポーツ推進法案」を今国会に提出し、成立を目指しているのだ。狙いはF1モナコ・グランプリのような首都圏の公道を使ったフォーミュラカーの世界大会。2020年の東京五輪に向けスポーツイベントの機運が盛り上がり、経済も右肩上がり。「法案出すなら今でしょ!」というわけだ。 同議員連盟は昨年1月に活動開始。衛藤征士郎元衆院副議長が音頭を取り、元レーサーでもある三原じゅん子参院議員が事務局長。宮崎政久、笹川博義、神田憲次、島田佳和各衆院議員ら会員38人で発足した。元F1ドライバーの中嶋一貴氏、元世界GPライダーの平忠彦氏など日本を代表する4輪、2輪レース関係者がサポートしている。 「表向きには自動車文化の向上、モータースポーツを通じた社会貢献をうたっていますが、本音は日本の自動車、オートバイ輸出の底上げです。また、観光庁が推進するスポーツツーリズムの狙いとも合致する。東京五輪で日本を訪れる世界各国からの観光客を一過性で終わらせず、毎年アピールしようというものです。特にモータースポーツに興味を持ち始めた中国、東南アジアの富裕層を首都圏に呼び込もうという狙いがある」(全国紙経済部記者) これまで日本で行われたF1レースは鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)、富士スピードウェイ(静岡県駿東郡)、岡山国際サーキット(岡山県美作市)と、いずれも市街地から遠く離れた場所で開催されてきた。「モナコ・グランプリのように都心で華やかな公道レースを」と望む声はかなりあったが、障害も多々あり、実現は夢のまた夢の話だった。 ネックになっていたのが“レースのための道路使用”と“騒音”。この問題がともにクリアされる見通しが立ったことで、にわかに法案成立に走りだしたのである。 「自動車に深くかかわる国の中で、公道レースが認められていない国は日本だけ。バブル期に大分県知事がモナコ・グランプリをまねて別府温泉の公道を使ってF1を開催する計画を打ち出したのですが、道路の使用許可が下りず断念した。その際、『日本は公道使用はおろか、ポリスエスコート(警察の先導)もできない』という話を聞いたFOCA(F1製造者協会)のバーニー・エクレストン会長は、怒りより先に笑いだしたそうです。しかし、元国家公安委員長の古屋圭司氏がモータースポーツ振興議員連盟の会長に就き、状況は大きく変わった。道路使用許可などの行政手続きを円滑化する『モータースポーツ推進法案』を取りまとめ、障害を取り除いた。古屋衆院議員は安倍首相の成蹊大の先輩で昵懇の関係。野党にも賛同する議員がおり、成立するのは確実です。東京、横浜の中心部で自動車レースをやれば、興行的な成功が約束されたようなもの。やろうと思えば、来年にも実現するでしょう」(大手広告代理店担当者) F1の醍醐味は、恐竜が咆哮するような甲高いエキゾーストノート(排気音)にある。これが騒音問題となり、都市部での開催が難しかった。 「昨年9月からEV(電気自動車)エンジンを使ったフォーミュラカーレース『フォーミュラE』が始まり、人気を集めている。このレースは市街地が条件でベルリン、ロンドン、北京、リオデジャネイロの公道を使い、先週もモスクワで開催されたばかり。エンジン音がほとんど出ず、都心で開催しても問題はない」(連盟所属議員秘書) テレビ局では、早くも日本初の本格的公道レース開催の綱引きが始まっているという。“お台場=フジテレビ”と“横浜=テレビ朝日”の2陣営で、どちらにも可能性がある。 視聴率低下による広告収入の低迷に悩むフジテレビは、三井不動産、鹿島建設と3社でお台場のフジテレビ本社前にショッピングモールやホテルなども建設し、“お台場カジノ”を計画してきた。しかし、東京五輪を抱える舛添要一都知事はカジノには消極的で、林文子横浜市長が旗を振る“横浜カジノ構想”に横取りされた格好。そこでカジノには見切りを付け、日本版のモナコ・グランプリをお台場で開催することで、収益アップの起爆剤にしようとしているのだ。 「確かにフジはF1開催に実績があり、FIA(国際自動車連盟)の覚えもめでたいが、フォーミュラEにいち早く目を付け、現在全戦中継しているのはテレビ朝日です。こちらも日本開催を目指し、カジノ解禁に合わせて横浜グランプリを計画している。テレビ朝日は朝日新聞、日産自動車などと主に11月に横浜国際女子マラソンを主催してきましたが、昨年で終了した。関係者の間では、このマラソン大会のスタート・ゴール地点だった山下公園周辺の公道を自動車レース用に様変わりさせるのでは、と噂されています」(横浜地区財界関係者) 現在、フォーミュラEに日本人ドライバーは参戦していないが、次戦ロンドン大会(6月27、28日)から元F1ドライバーの山本左近が鈴木亜久里氏率いる『アムリン・アグリ』から参戦することが決まった。 まさに、機を見るに敏。2020年東京五輪に乗じて、F1“日本版モナコ・グランプリ”開催が本格的に動きだしている。
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スポーツ 2015年06月25日 14時00分
記録達成の露出増が目的? 中日が超ベテラン選手たちで戦い続ける理由
中日の和田一浩外野手(42)が6月11日の対千葉ロッテ戦で通算2000安打を達成した。大学、社会人野球を経ての大台突破はプロ野球史上3人目、42歳11カ月での達成は最年長記録になった。 「敵陣営のスタンドからも拍手が贈られました」(スポーツ紙記者) これが、中日経営陣の求めていた光景でもあった。苦労人のベテランが長い歳月を掛けて大記録を達成する。その姿にファンが共鳴し、観客増員へと繋がっていく…。 「次の目玉は、山本昌ですよ。49歳、50歳での先発勝利となればギネス級です。昨年オフの時点で、山本のもとには海外メディアからの取材も殺到していました」(中京地区在住記者) いまさらだが、中日には“レジェンド”が多い。いや、多すぎる。和田、山本昌のほかにも、川上憲伸(40)、岩瀬仁紀(41)、荒木雅博(38)、森野将彦(37)、小笠原道大(42)といったところが在籍している(年齢は今季誕生日のもの)。谷繁元信兼任監督も今年45歳になるが、現役引退説は否定している。チーム関係者によれば、契約更改の席で「本人から引退を言い出さない限り、契約続行です。もっとも、落合(博満=62)GMは容赦なく減俸提示しますが」とのこと。一方で、2014年オフには15名の中堅や若手選手が戦力外になっている。 「全ては落合GMの考え方次第。可能性がないと見た中堅、若手は容赦なく切り捨てますし、練習をしない選手は大嫌い。レギュラーになるまで苦労しても、長くレギュラーポジションを確保できる選手になれとも考えています」(球界関係者) その通りだとすれば、中日の世代交代がなかなか進まなかった理由はベテランを脅かせなかった中堅、若手にも責任があるというわけだ。 「大袈裟な話ではなく、中日のベテランは目の下にクマを作って球場入りします。『疲れた、ダメだ』を連呼していますが、練習をしながら精気を取り戻していく。生き残ったベテランたちは『疲れた』とは言うものの、球場入りする時間も早いし、岩瀬や山本昌は一年中練習しているんじゃないかな」(前出チーム関係者) 生き残ったベテランたちはもっと評価されてもいいのではないだろうか。彼らの姿は共感を呼ぶ。2000安打を達成した和田にしても、西武時代にレギュラーポジションを獲ったのは30歳になってからだった。 しかし、ベテランの頑張りが観客動員数のアップに直結するかといえば、必ずしもそうではない。昨季は200万912人を動員したが(主催ゲーム)、主催最終戦でやっと200万人を突破したのが実情だ。ベテランが健在なだけでは人気に繋がらない。しかし、そのベテランが記録を達成すれば、箔付けがされる。マスコミへの露出度も増え、経営陣も「球団の宣伝になれば」と考え方を変えてきた。ベテランたちは練習熱心さが評価されて契約更改となった部分もあるが、今季は和田の2000安打、谷繁兼任監督の最多出場記録、山本昌のギネス挑戦が掛かっていた。こうした状況が他のベテランの残留にも繋がったのだろう。 しかし、この先の何年もベテランたちがチームで成績を残せるわけではない。戦力、経営ともに、ベテランに頼りきった状況を打破する若手が現れなければ、中日のペナントレース後半戦はつまらないものになってしまいそうだ。
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スポーツ 2015年06月24日 14時00分
内海、村田、フランシスコ… 巨人二軍のビッグネームはシーズン終盤の秘密兵器だ
原巨人が交流戦期間にセ・リーグの首位に立った。とはいえ、交流戦前まで首位だったDeNAの大失速のおかげで、巨人自体も交流戦を7勝11敗の負け越しで終えている。故障者続出や主力選手の不振によってベストメンバーを組めないのが原因だが、ライバル球団は、「ベテランが帰って来たら不気味。彼らも実績があるだけにこのまま終わらないでしょう」と警戒を解いてはいない。 「内海(哲也=33)が復調して帰って来たら厄介です。近年は変化球に頼りすぎた配球で失敗していますが、真っ直ぐのキレが戻ればすぐにでも復活します」(在阪球団スタッフ) その左前腕部炎症で出遅れていた内海は、今季の58試合目、6月5日の対福岡ソフトバンク戦で初先発した。しかし、4回途中5失点でノックアウト。だが、こんな指摘があった。 「この日の内海の投球を結果だけ見れば最悪ですが、初回の投球内容はよかった。復活の可能性はありましたし、内海がセットアッパーに配置換えされるようなことになれば…」(プロ野球解説者) 内海の配置換えは十分に考えられる。この日の内海の先発登板は、これまで5勝を挙げているポレダがクイックモーションの再調整のためにローテーションを飛ばしたために回ってきた。ポレダがローテーションに戻り、さらに新外国人マイコラス、新人の高木勇、2年目左腕の田口ら、これまでに勝ち星を挙げている投手の健闘を考えると、内海の先発復帰は考えにくい。そして、内海は翌6日に再び二軍降格した。 「内海は先発へのこだわりがまだあるのかもしれない。しかし、『4年総額16億円』の大型契約が来季まで残っており、このままでは契約満了と同時に解雇、よくても大幅減は避けられません。先発投手として復帰できなければ、生き残る新たな道を模索した方がいい」(前出・プロ野球解説者) 内海が二軍で救援投手として再調整し、春先からブルペンと支えてきた投手たちに疲れが見え始める夏場に、内海がブルペンを支えるようになれば、巨人の追い風になりそうだ。 そして、打撃に関してはホアン・フランシスコ(27)と村田修一(34)がカギを握りそうだ。 「フランシスコは二軍戦で計5本のホームランを放ちましたが、ベンチ裏の素振り室に入るとそのまま座っているだけ。セペダにしても、ほとんど同じです」(球界関係者) こんな調子だけに、「フランシスコとセペダはこのまま消える」と見るスコアラーも少なくない。だが、二軍戦とはいえ、フランシスコに一発が出たのは日本人投手の配球に適応しつつあるからだろう。ペナントレース佳境に代打で起用された場合、これまでと同じ配球では一撃を食らう危険性がある。二軍で日本流の配球に慣れてきたら、一軍でも大きな当たりを連発する可能性だってあるのだ。 そう考えると、目下、戦線から離脱している内海たちは、シーズン終盤へ向けた秘密兵器と言えるだろう。そして、そういう切り札のカードを多数抱えている巨人は、他のセ・リーグ5球団に対して、心理状態を揺さぶることができる。 シーズン後半に秘密兵器たちは起爆剤になれるだろうか。
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スポーツ 2015年06月23日 14時00分
巨人新GMのお粗末手腕「イージートレード」に隠された陰謀
巨人が2対2の交換トレードを成立させたのは6月10日のこと。外野手の矢野謙次(34)と左腕投手の須永英輝(29)を放出し、北海道日本ハムファイターズから中継ぎタイプの矢貫俊之(31)と左打ちの外野手・北篤(26)を獲得した。 ひと月前に新GMに就任した堤辰佳氏の“お手並み拝見トレード”にしては、何とも小粒と言わざるを得ない。 「日ハムと巨人は、菅野智之“強行指名”以外はこの10年、友好関係にあります。堤GMでなくても成立できたはず。出場機会に恵まれなかった矢野を思っての温情放出だと見る向きもありますが」(ベテラン記者) このトレードにはウラがありそうだ。 まず、堤氏がGMに就任した際、注目されたのは学生時代の経歴。慶応大学野球部元主将ということは高橋由伸(40)の直系の先輩であり、「矢野が放出されたことで高橋由の出番が増える」と思われた。 「放出された矢野もアヤシイ。矢野はFA権を取得しており、日ハム内部からは『オフに話し合わなければ』と懸念する声も聞かれました」(球界関係者) 後輩・高橋由の働き場を確保し、帰還可能な人員を一時異動させる策略だとすれば、とても“イージートレード”とは言えない。 「巨人が矢貫を獲った理由も勘ぐりたくなりますね。彼は仙台育英の出身ですが、3年間ベンチに入れず、常磐大学で努力して這い上がった投手。キャプテンシーもあり、引退後はコーチもフロント要職も託せる好人物ですよ」(関甲信新学生野球連盟の1人) 矢貫は昨季15試合しか投げていない。北も日ハムの外野定位置争いに敗れている。移籍即スタメンで大活躍の矢野と比較して、混戦のセ・リーグを抜け出すプラス要素とはとても思えない。 「ここ最近、巨人の外部補強は他球団の控えや2番手以降の投手ばかり。是非はともかく、チームが小粒になってしまいました。その流れを止められるか否かで堤GMの真価が問われると思われたのですが…」(前出・ベテラン記者) 無名選手を獲得して活躍すれば、編成スタッフとGMは評価される。中日はホークスの育成でくすぶっていた亀澤恭平(26)を見出し、正二塁手に押し上げた。そういう落合博満GMのような眼力が求められるのだが、今回のトレードからは政治的謀略のにおい以外は伝わってこない。 「主砲・阿部の離脱が長期化しそうなので、第2、第3の補強トレードがある」との噂も駆けめぐっているが、第2の亀澤を探すより大型トレードを仕掛けなければ、チームに緊張感を与えられないだろう。 その方が巨人らしい。
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スポーツ 2015年06月23日 12時00分
【記憶に残るプロ野球選手】第10回・“弱小球団”大洋の光だったオバQ・田代富雄
野球ファンの皆さんは、大洋ホエールズ(後に横浜大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ→横浜DeNAベイスターズ)にどんな印象をお持ちだろうか? 1980年代、90年代前半まで、大洋はまさに暗黒時代だった。80年から96年までの17年間で、Aクラスは83年、90年(ともに3位)の2度だけ。78年に本拠地を神奈川県の川崎から横浜に移転し、79年に2位になったが、その後、なかなかチーム状態が上向くことはなかった。 そんな中、松原誠(大洋→巨人)とともに、“弱小球団”大洋を支えたのが、オバQのニックネームで親しまれた田代富雄内野手(60)だった。そう呼ばれた由来は、プロ入りした当初、天然な受け答えをしていたからとの説がある。2000安打も達成し、好打者で“柔”のイメージがあった松原に対し、豪快な特大ホームランをかっ飛ばす田代は、まさに“剛”。負けてばかりの大洋にあって、田代が放つホームランは希望の光であったのだ。 田代は73年のドラフトで3位指名され、神奈川・藤沢商業から大洋に入団。2年間、2軍暮らしが続いた後、76年に1軍初昇格。77年は4月に11本塁打を放って、月間MVPを獲得。三塁のレギュラーの座を奪い、全試合(130試合)に出場し、35本塁打、88打点、打率.302をマーク。以後、長年、大洋の主力打者として活躍した。80年の36本を最高に、77年から10年連続2ケタ本塁打を記録。通算278本塁打は歴代49位(15年6月10日現在)。その一方で、3割を打ったのは77年の1度だけで、通算打率は.266と高くはなかった。また、三振が多く、77年、80年、82年にはセ・リーグの最多三振を記録している。 86年6月、左手首を骨折し、その影響で成績は下降。出場機会は激減することになり、91年シーズン限りで引退。同年10月に組まれた引退試合では、満塁ホームランを放ち、田代らしい最後を飾った。9年間、大洋のレギュラー三塁手として活躍した田代だが、同時期に掛布雅之(阪神)や衣笠祥雄(広島)らがいたため、好成績を収めても、1度もベストナインに輝いたことがなく、オールスター戦にも77年の1回しか出場していない。その意味では、なんとも不運な選手だった。 指導者としても、田代は有能だった。引退後はテレビ、ラジオの野球解説者やラーメン店経営をしていたが、97年に2軍打撃コーチとして、古巣・横浜に復帰。4年間、同職を務め(00年〜10年まで、横浜の2軍は湘南シーレックスと称していた)、村田修一内野手(現巨人)、吉村裕基外野手(現ソフトバンク)といった和製長距離砲を育てた他、多村仁志外野手、金城龍彦外野手(現巨人)らを一流の打者に育成した。02年は1軍打撃コーチになり、03年は2軍打撃コーチ、04〜06年は1軍打撃コーチを務め、07年から2軍監督に就任。09年5月18日、大矢明彦監督の無期限休養に伴い、1軍の監督代行になったが、チーム状態は上向かず、ぶっちぎりの最下位。田代が指揮を執った107試合の成績は、38勝69敗、勝率.355と悲惨なものだった。当時のチーム力を考えると、いたしかたない結果だったが、田代は育成能力にたけていても、監督には向いていなかったのかもしれない。 翌10年には2軍監督に復帰し、同年オフには、その功績を評価され、球団からフロント入りを打診されたが、現場にこだわった田代は、これを辞退し退団。11年には韓国に渡って、SKワイバーンズのコーチに就任。12年には楽天の2軍打撃コーチとなり、13年より1軍の打撃コーチを担当。同年のパ・リーグ初制覇、日本一に指導者として貢献した。古巣の横浜が“大魔神”佐々木主浩を擁して、98年に38年ぶりのリーグ優勝、日本一を果たした年、田代は2軍担当。つまり、選手、指導者時代を通じ、田代にとっては、1軍で味わう初めての優勝となった。 今年のDeNAは開幕から好調で、10年ぶりのAクラスを視野に入れるが、同球団は田代のような優秀な指導者を流出させてしまった。暗黒時代の大洋にあって、豪快なホームランで光を放った田代もまた、忘れることができないレジェンドの一人である。(ミカエル・コバタ=毎週火曜日に掲載)
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