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【甦るリング】第10回・超大物プロレスラーのオーラが凄かった橋本真也

 “破壊王”橋本真也が、この世を去って早10年が経とうとしている。

 その死は、あまりにもショッキングだった。05年7月11日、知人宅で倒れた橋本は病院に救急搬送されたが、死亡が確認された。死因は脳幹出血とされた。享年40歳の若さで、プロレスラーとしては、まだまだこれからという年齢であった。

 後に明らかになったが、橋本は同年3月に夫人のかずみさんと離婚。その後、03年3月19日に亡くなったプロレスラー・冬木弘道さんの未亡人・薫さんと交際。2人は結婚の約束もしていたというが、知人宅というのは、その愛の巣だった。恋愛は自由ではあるが、交際相手は冬木さんの奥さん。ちょっと、スキャンダルチックな最期にショックを覚えたファンも少なくなかっただろう。生きていれば、新たな伝説もたくさん残しただろうし、その意味では、あまりにも早すぎる死だった。

 私はZERO-ONE時代に、1度だけ、単独でインタビューさせていただく機会に恵まれたが、その発するオーラはすさまじく、ただならぬものがあった。質疑応答のなかで、激しい感情を見せる場面もあり、今でも昨日のことのように覚えている。橋本はまさに、超大物プロレスラーの貫録、威厳を漂わせた男だった。

 橋本にとって、ZERO-ONEとは何だったのか? 新日本プロレスにいれば、苦労することもなかったろう。逆に、独立したからこそ、新日本時代には見られなかった一面が引き出されたともいえる。

 独立の遠因となったのは、柔道からプロレスに転向した小川直也のライバルに仕立て上げられたことだった。一連の小川との抗争がなければ、新日本を辞めることはなかったかもしれない。

 新日本の象徴であるIWGPヘビー級王座に3度君臨し、通算20回の防衛に成功した橋本は“ミスター・IWGP”と呼ばれた。しかし、小川のデビュー戦の対戦相手に起用されたことで、その歯車が狂い出す。97年4月12日、東京ドーム。当時、IWGP王者だった橋本は、プロデビュー戦の小川に敗れた。同年5月3日、大阪ドームでの再戦にはタイトルが懸けられ、橋本がリベンジを果たす。

 99年1月4日東京ドームでの3度目の対戦では、小川がケンカマッチを仕掛けた。不意を突かれた橋本は終始劣勢に回り、試合は無効試合の裁定が下った。同年10月の4度目の対戦では、小川に完敗。後がなくなった橋本は、00年4月に小川と5度目の対戦をすることになる。この一戦は、テレビ朝日の企画として、「橋本真也34歳小川直也に負けたら即引退スペシャル」と題して、ゴールデンタイムで放映されたが、橋本は再び敗れて引退を余儀なくされた。しかし、テレ朝の番組企画で、熱心なファンからのラブコールに心を動かせた橋本は引退撤回を決意。半年後の同年10月9日、東京ドームで復帰する。

 カムバックした橋本は新日本内に別組織「新日本プロレスリングZERO」を設立したが、長州力ら団体上層部と対立し、同年11月に完全独立を宣言。これを受けて、新日本から解雇された。

 新日本から大谷晋二郎、高岩竜一も追随し、ZERO-ONEを設立した橋本は、01年3月2日、両国国技館で旗揚げ戦を行った。メーンイベントは橋本&永田裕志(新日本)vs三沢光晴&秋山準(ノア)という夢のカード。それまで接点がなかった新日本系の選手とノア勢との対戦を実現させたのは画期的で、伝説の興行となった。試合後には、小川、藤田和之が現れ、ノア勢を挑発し、乱闘騒ぎとなった。同年4月の日本武道館大会では、三沢と小川の禁断の初対決(三沢&力皇猛vs小川&村上和成)を実現させた。

 その後、かつてのライバル小川とは共闘の形を取って、「OH砲」を結成。同期生・武藤敬司率いる全日本プロレスとの対抗戦にも乗り出し、橋本は3冠ヘビー級王座にも就いた。よもやと思われた長州のWJプロレスとの対抗戦に臨んだこともあった。04年に設立されたハッスルにも、旗揚げから参戦し、エンターテインメントプロレスにも挑戦。メジャー団体と違って、フットワークが軽い点を生かして、様々な団体との交流や企画を実現させたのは、ZERO-ONEの功績でもある。

 しかし、団体運営は決して楽なものではなかった。橋本が04年8月から古傷である肩の治療のため欠場に入ると、興行不振に陥り、経営難に拍車を掛けた。団体内での意見の対立も表面化してしまい、橋本は同年11月、負債約1億円を背負う形で団体の活動を停止した。その後、肩の手術に踏み切った橋本は、リハビリをしながら、フリーのプロレスラーとして復帰を目指していたが、そのさなかに帰らぬ人となった。

 リングを下りると、その性格は破天荒でハチャメチャな性格で、いかにも昔気質のプロレスラーらしいタイプ。それでいて、子どもっぽい茶目っ気もあって、“破壊王”は憎めない愛すべきキャラクターだった。今さらながら、その早すぎる死は残念でならない。

(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)

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