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【甦るリング】第9回 “タイガーマスクブーム”巻き起こした佐山聡の人柄

 近代プロレス史において、ジャイアント馬場、アントニオ猪木は“別格”として、まさに強烈なインパクトを残したのが、初代タイガーマスク(佐山聡)だ。タイガーマスクのデビューは、そりゃもうプロレス界の常識を覆すような鮮烈なものだった。時は81年4月23日、場所は蔵前国技館。対戦相手はジュニア・ヘビー級の雄であったダイナマイト・キッド。

 もちろん、タイガーの正体は不明とされていた。そこに現れた虎の覆面の男は、アニメの「タイガーマスク」をはるかに上回る四次元殺法を披露し、強豪のキッドに勝ってしまったのである。とても、常識では考えられないような空中殺法に私は魅了された。いや、多くのプロレスファンが、そのとりこになったのだ。

 私的なことで恐縮だが、当時、私は大学生。飲食店でアルバイトしていたのだが、タイガー見たさもあって、新日本プロレスのテレビ中継「ワールドプロレスリング」がある金曜日は休みにしてもらったりしていた。その頃、ビデオデッキなどという高価なものを、大学生ごときが所有できるような時代ではなく、リアルタイムで見るしかなかったからだ。飲食店といえば、金曜夜は稼ぎ時で、バイト先の社長からは「忙しいのに…」と苦言を呈されたものだ。

 タイガーはキッド、ブラック・タイガー(マーク・ロコ)、小林邦昭といったライバル相手に、名勝負を繰り広げたうえで、連戦連勝。WWFジュニア・ヘビー級王座、NWA世界ジュニア・ヘビー級王座に君臨。シングルマッチはおろか、タッグマッチにおいても、1度もフォールやギブアップを奪われたことはなかった。敗れたのは1試合だけで、キッド戦での反則負けだった。

 当時の新日本は人気絶頂の頃。テレビ視聴率はゆうに20%を超え、どこに行っても連日超満員の観衆が集まっていた。タイガーがその新日ブームに大いに貢献したのは、いうまでもない。ところが、タイガーはあっけなく、その覆面を脱ぎ捨ててしまう。83年8月、新日本に対して、契約解除を一方的に通告し、引退を宣言した。タイガー側によると、その人気で得られた収益を、猪木が経営難の個人事業であった「アントン・ハイセル」に流用させていたとして批判。さらに、営業本部長だった新間寿氏と、タイガーの個人マネージャーが対立していたとの背景もあった。

 その直後に、一部スポーツ紙が素顔の写真を掲載し、その正体が佐山であることを報じた。タイガーはテレビ出演した際にも、迷うことなく素顔を公開した。こうして、大ブームを巻き起こしたタイガーマスクは、わずか2年4カ月でリングを去った。

 そして、引退したタイガーは「タイガージム」を設立し、ジム生を集めて格闘技の指導にあたる。引退から約1年後の84年7月、同年4月に旗揚げした新団体・旧UWFで復帰。もともと、格闘技志向が強かったタイガーは、従来のプロレスとは一線を画し、新たなルール作りに着手した。ところが、タイガーの方向性を疑問視する選手も多く、団体のエースであった前田日明との確執もあって、85年10月に離脱した。これ以降、タイガーはプロレス界と絶縁し、新格闘技・シューティング(後の修斗)を設立。プロレス界の暴露本を出版したこともあった。むろん、プロレス界からの反発も強く、もはや2度とプロレス復帰はあり得ないと思われた。

 一から立ち上げたシューティングは徐々に普及し、日本の総合格闘技の礎となった。あの“400戦無敗の男”ヒクソン・グレイシーを選手として、初めて招聘したのもタイガーだった。その存在がなければ、その後の日本での総合格闘技ブームはなかったわけで、その意味でも大功労者である。タイガーは96年に修斗の運営から手を引いたが、プロレス記者となった私が初めて、単独インタビューを行ったのは、まだ修斗時代。ファンだった頃、魅了された存在であり、かなり、緊張して赴いた記憶があるが、現れたタイガー、いや佐山さんはとても腰が低く、気さくで柔らかい人当たりの好人物でホッとしたのだった。とにかく、タイガーの話は面白く、その後、何度もインタビューさせていただいたが、その人当たりの良さは今でも変わらない。

 94年5月には、永島勝司取締役のオファーを受け、古巣・新日本のリングに上がり、獣神サンダー・ライガーとエキシビションマッチを行い、9年ぶりにプロレス界と接点をもったタイガーは、翌95年に、まさかの復帰を果たす。プロレス界に舞い戻ったタイガーは、猪木とも和解し、98年に創設されたUFOに参画。プロレスに転向した小川直也を指導したが、猪木との方向性の違いから離脱。99年5月には、再び新たな格闘技・掣圏真陰流を設立し、桜木裕司や瓜田幸造らを育てる。その一方で、05年6月にはリアルジャパン・プロレスを旗揚げした。

 全盛期はビルドアップされた体をしていたが、大の“甘党”が災いしてか、復帰後は常に体重オーバー。本人はことあるごとに、「○○キロまで減量する」と言うのだが、実現できたことはないのでは?
 かつては、変幻自在の空中殺法を繰り出していたが、今はキックや関節技が主体。たまに、飛ぶこともあるが、もう57歳だ。バリバリの20代の頃と比較するのは野暮ってものだ。プロレスを一度捨てていなかったら、新日本の大エースになっていたかもしれない。しかし、タイガーがプロレスを離れたからこそ、日本に総合格闘技が根付いた。いろんなことがあったタイガーだが、リングに上がっただけでも、“華”がある。“初代”タイガーマスクの名は絶対的なもので、レジェンドであることに変わりはない。

 なお、リアルジャパン・プロレスでは6月11日(木)に、東京・後楽園ホール(18時半開始)で10周年記念興行を開催する。ただし、タイガーは現在、心臓疾患を抱えており、出場できるかどうかは微妙だという。

(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)

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