スポーツ
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スポーツ 2015年05月22日 14時00分
USA発 新聞、テレビではわからないMLB「侍メジャーリーガーの逆襲」 観客動員はリーグ最低だったが… マーリンズの視聴者数が50倍に “イチロー効果”に注目せよ
マーリンズがストーブリーグ終盤の今年1月になって、行き先が決まっていなかったイチローと契約したのは、独特のチーム編成方針があるからだ。それは、レギュラー陣を自前で育てた優秀な若手で固め、それに実績のある大ベテランを一人付けてお手本、ないしは助言者として活用するというもので、球団は最終候補に41歳のイチローと31歳のネイト・シアーホルツをリストアップし、最終的にまったく接点がなかった日本のマーケットや球界と関係を切り開くチャンスにしようということでイチローを4人目の外野手として迎え入れた(シアーホルツは広島カープでプレーすることに)。 この判断を下したのは、ワンマンオーナーのジェフリー・ロリアだ。 マーリンズはメジャーきっての不人気球団だ。'12年に新球場ができたのに'13年'14年と2年連続で観客動員がリーグ・ワーストだったのは、ロリアオーナーが住民の税金で新球場を建ててくれれば我が球団は補強に大金をつぎ込むと約束していながら、約束を守らなかったからだ。地元ファンはこれに怒って球場観戦ボイコット運動まで繰り広げたため、新球場は閑古鳥が鳴くことになった。 地元ファンに愛想を尽かされた影響はテレビ視聴者の激減にもつながり、地元局のマーリンズ戦実況中継の視聴者数は一時2万以下になった。その後、スタントン、イェリッチ、オスーナら魅力的な若手の台頭で多少盛り返したとはいえ、昨年も視聴者数は3〜6万人台にとどまっている。 イチロー効果が真っ先に表れたのは、テレビ視聴者数と広告収入だ。 今季NHKはイチローの移籍に合わせてマーリンズ戦の実況中継を90試合前後、放映する予定だ。イチローは4人目の外野手という立場で、スタメン出場するのは50試合程度と予想されていたが、それでも他の日本人選手より視聴率が稼げるため、マーリンズ戦が優先されることになったのだ。 NHK-BS放送の大リーグ中継の視聴率は、10年くらい前には松井とイチローが直接対決する試合で10%を超えたことがあったが、最近は休日で2〜3%台、平日は1.5〜2%程度と見積もられている。それでも視聴者数は150〜300万人に達する。それにより、マーリンズのテレビ視聴者数は一気に50倍になった。 日本で90試合もマーリンズ戦が放送されるとなると、スポンサーもテレビに映るバックネット・フェンスの広告に魅力を感じる。イチローをCMに起用している佐藤製薬は機敏に動いて開幕からユンケルの広告を展開。他の日本企業からの引き合いも来ているようだ。 こうした「イチロー効果」は、悲願であるメジャー3千本安打達成の大きな助けになるだろう。なぜなら3000本まで150本を切った今のイチローにとって、一番必要なのは「今季の330打数」と「来季の200打数」だからだ。 年齢的な衰えが進行するイチローに打率3割を期待するのは酷というものだ。しかし2割6分ないし7分くらいなら十分可能だ。今季330打数欲しいのは、2割7分なら89安打、2割6分なら86本安打を加えて今季末の時点で通算2940本くらいまで持っていくことが可能になり、さらに、来季の契約も手繰り寄せることができるからだ。 今季330打数を確保するには、先発出場が70試合前後、代打出場が80試合前後必要になるが、マーリンズはイチローを毎試合出すことを自分たちの義務であるかのように開幕から毎試合代打で起用。オスーナが練習に遅刻したときは、イチローにスタメン出場の機会を与えた。さらに昨年ゴールドグラブの左翼手イェリッチが4月下旬、腰に張りが出てDL入りすると、ジェニングスGMは無理に早期復帰させずイチローをしばらくスタメンで使い続けた。こうした判断はイチローを優先的に使うという球団の意思が働いているように思えてならない。 マーリンズは1993年創設の歴史の浅い球団なので、チームに在籍する選手が球史に残る大記録を達成したことがない。それもあって先日イチローが王貞治の通算得点記録を更新したときは、他球団だったら無視したと思われるのに、電光掲示板でそのことを知らせ、イチローがスタンドのファンのオベーションを受けられるよう配慮している。チームメートの態度も敬意に満ちたものだった。メディアの扱いも破格の大きさで、大記録慣れしていないことを窺わせた。 それを考えれば、米国でも大記録と見なされている3千本安打達成のときは、かなりの騒ぎになることは容易に察しが付く。抜け目のない経営で知られるロリアオーナーは、日本のマーケットを睨みながら、それを営業面での切り札としてフルに活用するのではないだろうか。スポーツジャーナリスト・友成那智ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は各媒体に大リーグ関連の記事を寄稿。'04年から毎年執筆している「完全メジャーリーグ選手名鑑」(廣済堂出版)は日本人大リーガーにも愛読者が多い。
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スポーツ 2015年05月22日 11時00分
幕内出場歴代最多 角界のレジェンド旭天鵬の脅威の身体能力
大相撲夏場所(両国国技館)は終盤戦に突入。優勝争いも佳境だが、その奮闘ぶりがひときわ光っているのが、サッカーのカズ、野球のイチロー、スキージャンプの葛西などと並ぶ角界のレジェンド、幕内の最高齢力士、旭天鵬(40)だ。 今場所で幕内在位98場所目。あと2場所で史上2人目(1位は魁皇の107場所)の100場所に到達する。今場所5日目には魁皇の持つ幕内出場回数1444回を上回り、こちらは史上1位に躍り出た。 「そのうちに大相撲界の記録は全部、モンゴル力士に塗り替えられてしまうよ」 ある大相撲関係者はそう言うが、ほぼいつ十両に落ちるかわからない平幕で暮らしながら、これだけの出場回数を積み重ねてきたのだから、やはり素直に褒め称えるべきだろう。この旭天鵬の長持ちの秘密はどこにあるのか。 「本人は次の3つを挙げています。一つ目は決して無理をせず、食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲む。次に常に前向きでいること。年齢のことを言われても、逆によくやっているじゃないかと褒められていると受け取ることにしているとか。そして決して怠けないこと。毎日、必ず稽古場に降りて体を動かすようにしている。汗をかくと心が落ち着くそうです。どれも納得できることばかりで、中高年の人にはぜひ参考にしてほしいですね」(担当記者) 次々に塗り替えていく記録も、今では大きな活力剤になっている。 「どんなものであれ、次はこうしてやると目標を持っていた方がいい。そうしないと、気持ちが動かないこともあるから」と旭天鵬は話し、身近に置いているティッシュの箱に達成できそうな記録を紙に書いて貼っている。こんないつまでも年齢を感じさせない旭天鵬に、これまたさまざまな記録を更新中の横綱・白鵬も「2人でゆっくり話してみたい。きっと参考になることも多いはずだから」と一目置き、魁皇の記録に肩を並べた4日目の夜にはさっそく夕食を共にした。 モンゴル人同士の連帯感もバッチリ。これでは日本人力士の出る幕がない。
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スポーツ 2015年05月21日 14時00分
大相撲人気復活の陰で… 日本人力士のホープ・遠藤「引退危機」(2)
しかし、この早過ぎる復帰には周囲から疑問の声も上がっている。 自身も左膝の靭帯を痛めたことがあるベテランの若の里も「周りの筋肉を鍛えるといっても限界があるし、膝の関節がグラつくことで他の部分も痛めやすい。引退間近の力士ならともかく、まだ20代前半なんだから、思い切って手術して根本からしっかり治した方が絶対にいい」と話している。 過去に膝の故障が原因で大成できず、引退に追い込まれた有望力士は、それこそ枚挙にいとまがない。遠藤もその危険性が十分にあるのだ。果たして、この強行出場が吉と出るのか、それとも凶なのか。もし凶と出れば、せっかく盛り上がっている大相撲人気に頭から冷水を浴びせることにもなりかねない。 そうでなくとも、白鵬、照ノ富士、逸ノ城ら、話題になるのは相変わらずモンゴル人力士ばかり。これでは相撲協会も、ブーム再来と喜んでばかりはいられないだろう。 史上初の2度目の7連覇に挑む横綱・白鵬も、いまひとつスッキリしない。 初場所、ご法度ともいえる審判部批判をして逆に自分が批判されると、一転して報道陣に背中を向け、千秋楽まで無言で通したのはまだ記憶に新しい。以来、報道陣との関係が修復されたとはとても言えない。 「むしろ陰にこもってますます不穏になったといえるでしょう。何しろ白鵬は、例の審判部批判問題に加えて新たに愛人問題を抱えていますから。これまで大相撲界きっての愛妻家で通っていたのに、都内の渋谷のマンションに同じモンゴル出身の若い女性を囲っていた、という報道は衝撃的でした。現役の横綱にこんなスキャンダルが持ち上がるのは非常に珍しいことですよ。白鵬からは、このことについて何の反応もなく、また報道陣もあまりにも生々しくて切り込めずにいますが、もしも変な形で優勝が途切れたり、もう一度トラブルでも起こしたら一斉に叩きに出るでしょう。朝青龍のような土俵の去り方だけは見たくはありませんが…」(担当記者) 白鵬は、きらびやかな実績とは裏腹に評価は急降下する一方で、もはやこれまでのような優等生ではない。そうかと言って他の2人の横綱である2場所連続休場の鶴竜や8場所も優勝から遠ざかっている日馬富士では代役は務まらないし、話題の若手、照ノ富士や逸ノ城らも、スージョのハートを遠藤並みに熱くはできないだろう。 日本人力士の優勝は平成18年初場所の栃東を最後に途切れたまま、もう9年も現れていない。八百長、新弟子暴行死事件、野球賭博問題などを乗り越え、ようやく回復した大相撲人気も、その実態は実に危ういものなのだ。 この夏場所で、関取の象徴である大銀杏を初めて結うことができた遠藤には、ますます協会からの重圧がのしかかりそう。一日でも長く、その勇姿を見ていたいのだが…。
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スポーツ 2015年05月20日 14時00分
大相撲人気復活の陰で… 日本人力士のホープ・遠藤「引退危機」(1)
スージョ(相撲女子)なる新たなファンも出現し、相撲の街、東京・両国が沸き立っている。今年に入ってずっと続いている大入り満員は、5月10日から始まっている夏場所も継続するのは確実な状況だ。 幕内の取組を盛り上げる懸賞も天井知らず。これまでの1場所の最多懸賞数は今年初場所の1625本だが、この夏場所はこれを軽く更新して1800本台に達する勢い。その恩恵を最も受けそうなのが大関・稀勢の里で、ジャポニカ学習帳のショウワノートや、集英社の漫画雑誌グランドジャンプの『喝風太郎!!』、ユンケルの佐藤製薬などが新たにスポンサーに名乗りを挙げ、かかる懸賞数は先場所から倍増する。 まさに相撲協会も力士も笑いが止まらないといった感じだが、そんな中で悲壮感漂うのが、この大相撲人気を演出し支えてきた遠藤である。 遠藤が左膝の半月板と前十字靭帯を損傷する重傷を負ったのは、先場所5日目の松鳳山戦だった。ただちに大阪・堺市内の病院に担ぎ込まれ、全治2カ月と診断されてそのまま入院。千秋楽を待って埼玉県草加市内の追手風部屋に松葉づえをついて戻った。 当初は都内の病院に再入院して手術する予定だったが、思ったよりも痛みがなく腫れも少なかったため手術を回避し、4月初めにはまわしを締めて土俵に降り、トレーニングを開始した。 その後も稽古を続け、直前の5月5日に「思ったよりも動けている。これからもドンドン良くなることを想定し、いいふうに、いいふうに考えて出場することを決めました」と強行出場することを表明した。 表向きには誠に順調な回復ぶりでめでたい限りだが、内実は決してそうではない。この膝の治療には手術して根底から直す方法と、膝の周りの筋肉をトレーニングで強化する方法の2つがあり、遠藤が選択したのは後者の筋肉強化法。これは完全に治すまでには時間がかかり、また痛めた靭帯は手付かずのため、なかなか完治は難しい。どうして遠藤はこのやっかいな手術回避策を選んだのか。 「ひと言で言えば、時間を惜しんだんですよ。手術すれば長期休場は避けられない。最近も栃ノ心が4場所連続休場して、幕内から西幕下55枚目まで急降下しています。今場所、ライバルの照ノ富士が優勝か、14勝以上すれば大関の声が掛かるでしょうし、逸ノ城も小結に昇進し、後に続けと燃えている。遠藤はベッドの上で彼らの活躍を見るのは忍びなかったんじゃないですか。もう一つ下衆の勘繰りをすれば、幕内にいれば人気者ですから毎日10本以上、お金にして40万円もの懸賞がかかります。そんな優雅な幕内の生活を捨て切れなかったこともあるでしょう」(大相撲関係者)
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スポーツ 2015年05月20日 12時00分
【甦るリング】第8回・寡黙で硬派だった川田利明がエンターテイナーに大変貌した驚がく
川田利明…“全日四天王”と称され、三沢光晴、小橋建太、田上明とともに、全日本プロレスで一時代を築いた伝説のプロレスラーである。現在は、東京都世田谷区に飲食店「麺ジャラスK」を開店したこともあり、プロレス活動は休止状態となっている。 全日本時代の川田の印象は、とにかく寡黙で硬派。とはいえ、無口というわけでは決してなく、あまり試合のことを口でしゃべりたがらないタイプ。ジャイアント馬場が嫌ったこともあるが、リング上でマイクアピールをすることもほとんどない。従って、記者としては、非情に原稿が書きづらい選手であった。その反面、時として、試合後、冗舌になって、立て板に水のごとくコメントすることもあった。そんな時は、原稿を書くのもスラスラとはかどったものだ。リング上のイメージと反するが、川田は大のお笑い好きで、ダチョウ倶楽部とも親交があり、タレント活動する際は太田プロダクションの所属となっている。 そんな寡黙で硬派の川田が、エンターテインメント性を追求したプロレス団体・ハッスルに身を投じ、まさしくエンターテイナーに大変貌を遂げたのには正直驚きを隠せなかった。ハッスル参戦に至るまで、紆余曲折があった。99年1月に馬場が亡くなると、全日本では三沢が社長、川田が副社長を務めていたが、三沢と馬場元子夫人との意見が対立。三沢ら大半の選手が00年6月に離脱し、プロレスリング・ノア設立に動いた。残されたフル参戦の日本人選手は、川田とベテランの渕正信の2人だけだった。 全日本は川田らが新日本プロレスとの対抗戦などに活路を見出していたが、02年9月に元子夫人から、元新日本の武藤敬司に禅譲された。川田は参戦を続けたが、05年3月に無所属を宣言した。馬場の死後、正式な契約は交わしておらず、事実上フリーの状態だった。後に川田は当時、長期間に渡って、ギャラが支払われていなかったことを明かしている。その後、全日本への参戦も続けたが、主戦場はハッスルに移す。それは好んで、そうしたわけではなく、食っていくための選択だったようだ。ハッスルではハッスルK、モンスターKとして、エンターテインメント・プロレスにまい進する。 ふだんはガチガチのハードな試合を展開する川田だが、ハッスルではタレントのインリン様(インリン・オブ・ジョイトイ)や、大食い王のジャイアント白田を始め、タレントとの絡みも多く、歌や踊りを披露するなど、硬派な川田しか知らないファンをあ然とさせたものだ。私自身も、「何が川田をこうさせたのか?」と驚くしかなかった。 「ポリシーを変えてほしくない」と思ったりもしたものだが、今思えば、当時の川田にとっては、エンターテインメントをまっとうするのが仕事であり、生きていくためにはやむを得ないことだったのだろう。 そんな川田に相次いで、ショッキングなことが起きる。09年6月、足利工業大学附属高校レスリング部の1年先輩である三沢が、リング禍により死去。川田は三沢の後を追って全日本入りし、ずっと三沢の後ろ姿を見続けていた。不幸にして、上がるリングは変わったが、05年7月18日、ノア初の東京ドーム大会では、シングルマッチで三沢と対戦。その後、三沢存命時に再びノアのリングに上がることはなかったが、川田自身は再戦を熱望していたのだ。 川田にとって、立場が変わっても、ずっと目標であった三沢が亡くなったことで、プロレスを続けるモチベーションに変化があったのは確かのようだ。さらに、主戦場のハッスルは09年10月に事実上の活動停止に陥る。 転機となった川田は10年6月、世田谷区に飲食店「麺ジャラスK」を開店。オープン当初はプロレス活動もしており、三沢没後のノアのリングにも上がったが、同年後半からはフェードアウトし、店の経営に専念。ふたつのことを同時にこなすのが苦手で、ひとつのことに集中するタイプの川田は、店を軌道に乗せるために汗を流し、トレーニングをする暇もなく激ヤセしてしまった。今ではリングに上がれるようなコンディションではない。なお、同店はラーメン屋と思われがちだが、川田曰く居酒屋。客には唐揚げなどのつまみで酒を飲み、締めでラーメンを食べてもらうのが理想だという。 現在51歳の川田。このままプロレスラーとしては終わってしまうのか? 中途半端なことはしない性分なだけに、ちょっとやそっとのことでリングに上がることはないだろうが、いつか、もう1度、“デンジャラスK”の勇姿をリング上で見たいものである。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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スポーツ 2015年05月19日 18時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈千代の富士vs貴花田〉
大相撲中継の最高視聴率は1981年初場所に記録された52.2%。当時、関脇の千代の富士が全勝優勝を懸けて臨んだ千秋楽のことだった。 この数字自体はスポーツ中継全体で見ると歴代18位にとどまるが、夕方という放送時間帯や、視聴者の目当てである千代の富士の取組が約1時間半の中継のうち、ほんの数分にすぎないことを考えれば十分にすごい数字だと言える。 結果、千代の富士は横綱・北の湖との本割に敗れたものの、両者による優勝決定戦で勝利。このとき、瞬間視聴率は65.3%にまで跳ね上がった。仕事中のお父さん方を除いた国民の大半が、テレビの前に集まったといっても決して過言ではなかろう。 体格に勝るあんこ型の力士たちを、正面からの力勝負でなぎ倒す−−。そんな強さに生来の精悍な顔つきも加わって“ウルフフィーバー”と称される一大ブームが巻き起こった。 「千代の富士が革命的だったのは、それまでは伝統芸能のカテゴリーともされてきた大相撲の世界にスポーツの概念を持ち込んだところです。脱臼しやすい肩を筋肉で守るためという必要に迫られたこととはいえ、従来の相撲界では軽視されたウエートトレーニングに励み、そうして作り上げた筋肉隆々の身体は、大相撲を格闘技としてファンに再認識させることになりました」(スポーツ紙記者) しかし、近代的トレーニングは“もろ刃の剣”ともなった。 通算1045勝。31場所の幕内優勝に53連勝、さらには国民栄誉賞。そうした数々の記録から「常勝横綱」と記憶する人もあろうが、実際には横綱昇進後も度々故障に見舞われている。 その都度「引退危機」を囁かれ、そこから不死鳥のごとく復活して幾多の記録を成し遂げてきたのが実際のところであった。 そんな千代の富士の横綱在位10年目となった1991年。初場所では幕内通算805勝の大相撲記録(当時)を樹立したものの、その後の取組で左腕を痛めて途中休場。翌場所も全休したことにより、何度目かの限界説を世間が言う中で迎えた復帰の5月場所。その初日の相手が貴花田、後の貴乃花であった。 元大関・貴ノ花の実子という血統のみならず、入門前から関取としての才を見込まれた逸材。前場所では12勝3敗の成績で技能賞と敢闘賞をW受賞し、前頭筆頭まで番付を上げていた。 千代の富士とは初顔合わせ。才能開花目前の新鋭対復活を期す古豪…。 「前評判では貴花田に期待する声も多かったけれど、相手は相撲史に名を刻む大横綱。勝敗の予想はまったくの五分でした」(同・記者) 呼び出しを受けて両力士が土俵へ上がる。 この数場所でどんどん力士らしい身体付きとなり、体格で大きく上回る貴花田。一方、休場明けでいくらか覇気を欠くようにも映る千代の富士。 行司の軍配が返ると貴花田は迷わず頭から突っ込む。出足で後れを取った千代の富士は素早い前さばきでまわしを取ろうとするも、貴花田がこれを許さない。逆に前まわしに手を掛けた貴花田はここを勝負どころと一気に前に出て、倒れ込むようにして全体重を浴びせたところで千代の富士が土俵を割った。 いかにも新鋭らしい懸命な相撲ぶりに、館内は割れんばかりの歓声に包まれた。視界を遮るほど次々と座布団が宙を舞う。18歳9カ月での、史上最年少金星でもあった。 敗れた千代の富士に対しては、またもや引退説が持ち上がったものの、取組直後の会見ではこれを言下に否定する。 「このときの千代の富士にはまだ“土俵勘が戻らないところを若手の勢いにやられただけ”という気持ちがあったのでしょう」(同) だが、二日目は勝ち星を挙げたものの納得のいく内容とはいえず、三日目、貴花田の兄弟子・貴闘力に“とったり”で土俵下に投げ飛ばされるという横綱らしからぬ敗戦を喫すると急転直下、引退会見を開いた。 初日、貴花田の勢いに負けたのではなく、自身が衰えたのだという現実を受け入れるまで、二日の間を要したとも言えようか。 「気力、体力の限界」 昭和最後の名横綱から次世代の俊英へ、新時代を託された瞬間だった。
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スポーツ 2015年05月19日 14時00分
巨人の敵はベンチ裏にあり! ポスト原で大混戦となった監督レース(2)
ところが、職人肌の川相ヘッドは読売内の改革派とともに、有事に際しては落合博満氏(中日GM)の擁立に動くとみられている。両氏は実は縁浅からぬ関係にあるからだ。 現役時代、533犠打の世界記録を打ち立てた川相ヘッドだが、この記録にはエピソードがある。'03年オフ、一度は現役を引退し一軍コーチに転身することになっていた川相ヘッドだったが、当時の原監督が電撃辞任をしたことで、このコーチ就任が白紙撤回され、現役引退を発表していた手前、行き場を失った。そこに助け船を出したのが中日の新監督に就任した落合氏だった。引退を撤回し、巨人を退団して中日にテスト移籍している。 「その後、川相氏は'10年オフに中日の二軍監督を辞め、巨人に出戻りました。巨人サイドから毎年のように、川相氏を返してほしいという要望があったようです。そこで落合氏が快く送り出したのです。川相氏には落合氏に2度助けられた恩があり、それに報いたいのでしょう」(中日球団関係者) 一方、次期監督の期待がかかる松井秀喜氏も、今オフの巨人監督就任の可能性は物理的に難しい。ヤンキースのフロントに入り、修業中の身だからだ。そこで自身の代役に推挙しているのが、長嶋茂雄氏の門下生で兄弟子に当たる中畑清DeNA監督だという。 「これまでならジョークで終わった話ですが、今季のDeNAは首位争いを展開しており、有力候補に躍り出た。昨シーズンも巨人戦には勝ち越しており、今季も勝ち越して優勝なんてことになれば誰も反対できない。長嶋さんが後ろ盾で松井が推薦。次の次を目指す松井にはちょうどいいワンポイントなのでしょう」(前出の巨人OB解説者) 昭和30年生まれの江川卓氏は今年が還暦。阪神の掛布雅之氏も同級生で、ともにスーパースターと称えられながら監督は未経験。二人は日本テレビとつながりが深いことから、同局首脳の間では「還暦を機に巨人、阪神のダブル監督誕生」を画策する動きがある。新鮮で監督としての伸び代も十分。他局からも、視聴率復活の起爆剤に期待する声があり軽視できない。 桑田真澄氏も候補の一人だが、このところの本人の興味はプロ野球独立リーグに向けられている。長男・真樹外野手が昨年のルートインBCリーグのドラフト会議で、新潟から2位指名されたからだ。今は巨人のことより息子をプロ野球に押し上げることで頭がいっぱいだという。 もっとも原監督には辞める意思など微塵もなく居座りの構えだが、選手やOBたちがそれを許しそうもない。今季で監督通算12シーズン目。これ以上続けられては順番待ちの監督候補が腐ってしまう。それに群がるコーチ予備軍たち。彼らが一斉蜂起することで、夏を待たずに巨人のベンチ裏は大混乱必至だ。
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スポーツ 2015年05月19日 12時00分
【記憶に残るプロ野球選手】第5回・スターにはなれなかったがインパクト抜群の男・元木大介
若い世代の人にとって、元木大介(元巨人)はいったいどんなイメージだろうか? やはり、時折、バラエティ番組に出てくる大して売れないタレントといった印象か? 元木はれっきとした元プロ野球選手で巨人OB。現在は大手芸能事務所ケイダッシュ・グループのアワーソングス・クリエイティブに所属。芸能活動の他、巨人ブランドを生かして、しばしば、TBSラジオの「エキサイトベースボール」、日本テレビ系のCS放送ジータスの「週刊ジャイアンツ」に解説者として登場している。 元木といえば、ダイエー(現ソフトバンク)への入団を拒否した事件は避けて通れない。大阪・上宮高校時代、3度甲子園に出場。高校通算24本塁打、甲子園通算6本塁打を放つなど、超高校級スラッガーとして鳴らしただけに、“清原二世”をほうふつとさせたものだ。マスクもなかなかのものであったため、多くの女性ファンのハートをつかんでいた。 熱狂的な巨人ファンだった元木は巨人入りを熱望し、巨人も指名を約束していたが、困ったことに巨人が上位指名を予定していた慶應大の大森剛内野手が「高校生より下の指名なら行かない」と発言。やむなく、巨人は大森を1位指名し、野茂英雄を抽選で外したダイエーが外れ1位で元木を指名してしまったのだ。 巨人入りの夢を断ち切れなかった元木は、ダイエーの指名を拒否。それが原因で、かつての江川卓よろしく、マスコミや野球ファンのバッシングを受けるハメになってしまった。大学や社会人に進んでしまうと、プロ入りが遅れてしまうため、元木は浪人を選択。マスコミに追われるのを避けるため、海外に渡り、ハワイで野球留学をする。しかし、留学とは名ばかりで、練習環境は最悪だった。 1年後、1990年のドラフト会議で巨人から念願の1位指名を受け、入団。しかし、ブランクが響き、1年目は2軍暮らしが続いた。2年目の92年に1軍初出場。内野ならどこでも守れるユーティリティープレーヤーとして活躍。8年目(98年)にようやくレギュラーの座を奪い、114試合に出場し、打率.297、9本塁打、55打点のキャリアハイの成績を収める。以降、2002年まで巨人の主力選手として活躍するが、故障もあって、03年から出場機会が激減。05年後半には、堀内恒夫監督(当時)の構想から外れ、2軍降格。同年9月には戦力外通告を受けた。他球団からトレードの打診もあったものの、「巨人が好きで、1年間待ってまでユニフォームを着たこともあり、入団した時からユニフォームが着られなくなったら引退すると決めていた」として、33歳の若さで引退を決断した。 初志貫徹ではないが、獲得を希望する球団がありながら、巨人でのプレーにこだわってユニフォームを脱いだ元木。他球団に移籍していれば、また違った野球人生があっただろうが、今も野球関係の仕事ができているのは、生涯巨人をまっとうした“巨人ブランド”があったからこそか…。野球センスの良さは群を抜き、守備も決して、悪くはなかったが、シーズンを通してレギュラーとしてフル出場した年はなく、それが響いてか、スター選手になれそうでなれなかった。 高校時代はスラッガーだったが、プロ入り後は1度も打率3割(規定打席到達で)、2ケタ本塁打もなかった。通算安打891本、通算本塁打66本と平凡な成績。高校の同級生であり同じ内野手で、中日に6位指名されてプロ入りした種田仁(中日→横浜→西武)の方が、プロでは成績を残したのはなんとも皮肉か…。 プロ15年間で積み重ねた成績は、それほどたいしたものではなく、スター選手にはなれなかった元木だが、ことチャンスでの勝負強さは抜群。98年には得点圏打率1位となるなど、試合を決める一打を放つ機会が多く、ヒーローインタビューに呼ばれるケースも多々あった。そのため、記録よりファンの記憶に残る選手だった。 高校時代の元木を知っている者からしたら、プロ入り後の姿はなんとももどかしく映った。くしくも、元木の巨人入りを遠回りさせた大森はプロでは大成しなかった。あの時、巨人が大森ではなく、元木を1位指名していれば、元木の野球人生も変わったものになっていたかもしれない。(ミカエル・コバタ=毎週火曜日に掲載)
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スポーツ 2015年05月18日 18時00分
野村克也と長嶋茂雄 厳戒「リハビリ闘病記」 〜スポーツジャーナリスト・吉見健明〜(2)
思えば、ノムさんの「生きる執念」や、現役にこだわり続ける姿は、私がずっと以前から見続けてきたものだった。それはミスターこと、長嶋茂雄(79)の姿である。私の11年間にわたるミスターのリハビリ取材は、この5月5日で3733日目になった。 当初、ミスターの辛い姿をファンに見せたくないという故・亜希子夫人の意向もあって、そのリハビリの様子はほとんど伝わってこなかった。亜希子夫人はミスターの極秘トレーニングのため、最新のリハビリ施設を備えた都内の高級マンションを用意し、そこでは壮絶なリハビリが行われていた。 リハビリは現在も続いており、火曜から土曜までは、マンションの近くにある国立自然教育園がその舞台。そして、特筆すべきは月曜日。この日だけは、自宅近くの多摩川台公園でリハビリをしているのだが、ここは一般の人たちも自由に出入りできる普通の公園である。そのためミスターが姿を現すと通勤、通学中のサラリーマンや学生がサインや写真を求めて次々と声をかけ、ミスターも時間の許す限り快く応じている。 毎週、近くの御婦人が朝の散歩に連れてくるワンちゃんと戯れ、無邪気に大声を出すこともリハビリの一環だ。ミスターは誰かれとなく「おはようございます!」と公園中に響き渡るような声で挨拶をするのだが、その声を聞いているだけで幸せな気持ちになる。 現役時代はミスターがくしゃみをしただけでニュースなると言われていたが、現在もミスターが犬にボールを投げただけで、その写真が誌面になるなど、華やかな存在感は変わらない。 「本当に野球が好きなんですね。まだ、現役の監督になりたいという願望があるようで、今のミスターの生きがい、リハビリへのモチベーションはそこにある。だから、周囲も長嶋さんの現場復帰という奇跡を信じているんです」(スポーツ紙幹部) それを象徴する光景として、土曜日のリハビリでは、決まって見せる動きがある。バットの素振りだ。 「毎回リハビリの最後に必ず10スイングすることが続いています」(同) 奇跡を信じてリハビリを続けるこのポジティブさこそ、ミスターのミスターたるゆえんである。 ノムさんとミスターは、現役時代から「月見草」と「ひまわり」の比較で語られてきたが、病気から現役復帰を目指してリハビリに励む現在は、双方とも家族の事情があって、親子関係は良好とはいえない。 「ノムさんは、団野村氏やケニー氏(サッチーの子供)との折り合いはよくない。ただ、団氏の会社が傾いた際にサッチーがこっそり援助した経緯などもあって、車の運転手の手配などは団氏の事務所がやっています。そしてなにより、克則がずっとそばにいますからね。克則の孫と一緒に食事をするのが一番の楽しみのようで、子供の日も孫と一緒だったと聞いています」(テレビ局関係者) 一方、ミスターの事情はさらに複雑だ。長男・一茂は奥さんの言いなりでミスターとは歯車が合わないといわれており、次女の三奈さんが面倒を見ている。 「この正月、ミスターのリハビリの様子がテレビで初公開されましたが、これは三奈さんの企画で、番組では一茂の存在が完全に無視されていた。この一点から見ても、長嶋家の確執の根深さがうかがえます」(同) それでも、2人の復帰にかける壮絶な執念は衰えることはない。79歳の2人のスーパースターはいまなお、その生き様で、私に希望を見せてくれている。
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スポーツ 2015年05月18日 14時00分
巨人の敵はベンチ裏にあり! ポスト原で大混戦となった監督レース(1)
ゴールデンウイークが終わると同時に、読売首脳が“有事”に備え出した。きっかけは4月15日に原辰徳監督がインフルエンザで離脱したことだが、拍車を掛けているのがアウェーでの弱さだ。 今季は開幕2カード目のナゴヤドームの中日戦で3連敗。先週もマツダスタジアムの広島戦で3タコ。チームは35試合で19勝16敗(5月9日現在)の2位につけてはいるが、ことアウェーでは7勝12敗(同)と大きく負け越している。 「チームのタガが緩んでいるのです。3連覇した昨年までの3シーズンはホーム、敵地とも勝ち越している。しかし、Vを逸したその前の2011年、'10年は、ホームでの勝ち星は同じくらいあるのにロードで負け越し。東京ドームの試合はチケットもグッズもビールも売れるし、テレビ視聴率にも跳ね返ってくる。収益は全て巨人だから全選手がベストを尽くし、査定も高い。一方、敵地での収入は当然巨人には反映されない。だからフロントも選手も手抜きになるのでしょうが、それをホーム同様に、緊張感を植え付けて士気を高めるのが監督の手腕というもの。体調不良で試合を休むのも自己管理責任。そこを問題視しているのです」(スポーツ紙デスク) そんなチームで際立っているのが、川相昌弘ヘッドコーチの指導能力の高さだ。突然の代行にもかかわらず、5試合を4勝1敗で難なくしのぎ、原監督にバトンを返した。川相ヘッドの評価は上がりに上がった。その後に起きたのが、あの広島での赤っ恥3連敗。ケチの付き始めは新外国人フランシスコの失態だ。 インフィールドフライなのに三塁走者にタッチせず、サヨナラ負けという珍プレーを演出したかと思えば、翌日には一塁後方へのファウルフライに追い付きながら捕球をミスし、そのまま悪い流れを呼び込んで球団初の初回10失点を“お膳立て”。その翌日もバント処理ミスでエース菅野がボロボロに…。原監督から即刻二軍落ちを命じられた。 一方、DeNAはなぜか絶好調。5月以降の首位は8年ぶりのことで、これまたOBの中畑清監督の評価は上がったが、当然、原監督の株はさらにダウン。憂慮した読売首脳はシーズン中の休養も視野に入れ、次期監督の選定作業を再燃させているという。 もっとも、シーズンの途中交代は川相ヘッドに限られるが、オフでも一部フロントからは「川相を次期監督に」という待望論が湧き上がっている。 「二軍監督時代('11、'12年)の指導能力が素晴らしい。キャンプで全力疾走を怠った選手は迎えのバスに乗せず、球場から宿舎まで平気で罰走を命じた。早出や居残り練習は当たり前。当時の二軍は読売ドラゴンズと呼ばれたものです。絶頂を誇った中日の落合イズムが注入され、その落合氏の監督手腕はナベツネさんも高く評価していた。今の原巨人に欠けているものを川相に求めているのでしょう」(巨人OBの野球解説者)
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