スポーツ
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スポーツ 2015年06月20日 17時06分
巨人・原監督の憂うつ 「阿部よ、オールスターファン投票で選ばれないで!」
「マツダオールスターゲーム2015(第1戦=7月17日・東京ドーム、第2戦=同18日・マツダスタジアム広島)」のファン投票が、いよいよ大詰めを迎えた。 ファン投票は6月20日で締め切られるが、同19日、NPB(日本野球機構)は最後の中間発表を行った。 セ・リーグでは、抑え投手部門の山崎康晃(DeNA)=26万3974票、一塁手部門の新井貴浩(広島)=22万5938票、二塁手部門の菊池涼介(広島)=25万614票=は、2位に大差をつけており、ほぼ当確。 3枠ある外野手部門では、1位=筒香嘉智(DeNA)=32万9127票、2位=丸佳浩(広島)=21万3083票、3位=梶谷隆幸(DeNA)=19万5952票=と続き、4位の平田良介(中日)=14万9589票=とは4万票以上の差がつき、この上位3人で決まりそうな気配だ。 その他の部門は、まだ予断を許さない。先発投手1位の黒田博樹(広島)=14万2283票=は、2位と約2万7000票差。中継ぎ投手1位の山口鉄也(巨人)=17万4290票=は、2位と約1万8000票差。三塁手1位のアーロム・バルディリス(DeNA)=14万3659票=は、2位と約1万6000票差。遊撃手1位の鳥谷敬(阪神)=21万1756票=は、2位と約2万3000票差となっている。 なかでも、シビアな闘いになっているのが捕手部門。1位は阿部慎之助(巨人)=17万4109票=で、2位の會澤翼(広島)=15万9833票とは、わずか1万4276票差しかなく、最後の1日で逆転の可能性も十分ありそうだ。 阿部といえば、今季は一塁にコンバートされたが、開幕早々、相川亮二が故障で離脱すると、捕手に復帰。今度は阿部が首を痛めて2軍落ちすると、原辰徳監督は体への負担を考慮して、一塁への再コンバートを決断。阿部は同19日に1軍に戻ったが、一塁手で起用されている。 その状況下で、阿部が捕手部門のファン投票で選出されるとなると、オールスターで指揮を執る原監督は、その起用法で頭を痛めることになりそうだ。原監督は「99%捕手はない」と断言しているだけに、阿部を捕手としては使いたくないはず。そうなると、監督推薦で捕手を多めに選ばなければならなくなる。阿部を捕手としてカウントした場合、使いたくなくても、捕手で使わざるを得なくなる。 本来なら、故障を抱える阿部はオールスターは休ませたいところ。だが、ファン投票で選ばれてしまったら、そうもいかない。原監督のホンネは、阿部がファン投票で選出されないことを願っているのでは?(落合一郎)
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スポーツ 2015年06月20日 14時00分
ペナントレース再開「隠し球」 広島カープ動く! 絶好の中継ぎ藤川球児獲得(1)
6月8日、独立リーグ・四国アイランドリーグplus、高知ファイティングドッグスへの入団会見−−。 「自分がバリバリ投げられるうちに、地元の子供たちに見てもらいたかった」 藤川球児(34)のこの郷土愛に、高知県民は大いに盛り上がった。チーム初合流となった13日、いきなりシート打撃に登板し、打者9人と対戦して「被安打1、与四球1、奪三振2」と、まずまずの内容を披露。“練習”にもかかわらず、約500人のファンがグラウンドに駆け付けた。チーム関係者によれば、「普段の100倍」とのことだ。 「最後のバッターにライト前に運ばれました。高めの甘い球でしたが、この1球は新しいチームメートに花を持たせた感じも受けました。独立リーグでやっている選手と、ほんの1カ月ほど前までメジャーにいた投手とでは、やはり力の差があり過ぎます」(地元紙担当記者) 藤川の郷土愛にウソはない。しかし、NPBつまりは“プロ野球”復帰の可能性は、むしろ高まったと見るべきだろう。 「独立リーグ行きを決めた理由の一つに、古巣阪神の説得失敗もあります。彼もこのまま独立リーグで終わるつもりはないでしょう」(球界関係者) 藤川の高知入りに至るまでの経緯には、不可解な点が多い。まず、テキサス・レンジャーズから事実上の戦力外通告を受けたのは、5月17日(現地時間)。その後、ウエーバー公示されたが、獲得の意思を示す米球団は現れず、日本球団との交渉も可能となった。 「古巣阪神の反応は早かったですよ。特命を受けた現地関係者が藤川との接触に成功し、帰還に関する条件も聞き出しています」(在阪記者) また、国内では藤川の代理人を務める人物とも接触。前向きな回答は得られなかったが、この時点で「藤川は阪神に帰ってくる」と思ったファンも多かったはず。 「'14〜'15年のオフ、実は巨人渉外担当者が藤川の獲得に動いていました。シカゴ・カブスからレンジャーズ入り後もメジャー昇格の厳しい競争にさらされ、巨人だけでなく、横浜DeNAもその推移を見守っていました」(前出・関係者) 6月1日に高知入りが発表されたわけだが、その際、本誌は水面下の興味深い情報をキャッチした。 「藤川サイドから売り込みがあったんですよ。5月25日、電話で『入団は可能か?』と。大慌てでしたよ」(四国リーグ関係者) 藤川の代理人は高知に売り込みをする一方で、阪神首脳陣とも会っていたわけだ。また、藤川自身も高知入団会見で、「(阪神入りが)決まったみたいな報道もあった。何で、勝手に話が進んでいくのか…」と、首をかしげた。満面の笑顔だったが、このときだけは憤った表情を見せた。しかも、阪神以外のNPBチームからもオファーがあった旨も明かしている。 「高知では登板試合ごとにチケット収益の10%が児童養護施設に寄付されることも決まりました。藤川の契約は『1試合ごと』で、登板日が事前告知されます」(前出・在阪記者)
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スポーツ 2015年06月19日 18時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈沢村忠の真空飛び膝蹴り〉
“キックの鬼”沢村忠。 その全盛時の人気は凄まじく、1973年には初めて三冠王を獲得した王貞治を抑えて、日本プロスポーツ大賞を受賞したほどであった。 そのいかつい顔付きと試合毎キレイにそろえられた角刈りの印象から“ストイックな格闘家”とも思われがちだが、キックボクサーとしてプロデビューする以前には芸能の仕事にも関わっていた。中学3年時には新東宝のニューフェースに合格し、以降何本かの映画やドラマに出演している。 後に沢村人気が絶頂のころ、ゲストの形で何度か映画やテレビドラマに出演した際に素人離れした演技を披露したのも、こうした下地があってのことだった。 また高校卒業後には映画スタッフを志して大映に入社している。 その大映での研修として日本大学芸術学部映画学科へ入学することになるが、これによって沢村の運命は大きく変わった。 大学でのクラブ活動として始めた剛柔流空手でめきめき頭角を現すと、日本初となるキックボクシング興行の立ち上げ準備をしていた野口修氏のスカウトを受け、プロへの道を歩むことになったのだ。 結果的には給料を支払いながら大学生活を支えた大映を裏切る形になったが、映画というエンターテインメントの世界で積んだ経験は、その後の沢村に大きな影響を与えることになる。例えば沢村の代名詞である“真空飛び膝蹴り”だ。 「もともとはデビュー戦で相手のノド元へ決めた飛び上がっての前蹴りを指して“真空飛び蹴り”と呼ばれたのが始まりだった。しかし、これでは語呂が悪いからと“飛び膝蹴り”の呼び名が生まれ、それに合わせて沢村も膝蹴りを出すようになったのです」(キック関係者) まず技名ありきで、その後に必殺技を開発するなどは、およそファンを意識せずにはあり得ない。ただ強さを求めるだけの格闘家とは一味違い、こうした姿勢が沢村人気の下支えとなった面は大いにありそうだ。 1966年4月に大阪府立体育館で行われたデビュー戦、さらに同年6月の2戦目も“空手vsムエタイ”と銘打たれた興行色の強いもので、沢村はいずれも空手代表として道着でリングに上がっている。このとき沢村は既にムエタイをビデオで研究していて、実際の試合での動きもキックボクシングのそれであったが、あえて空手を前面に出したあたりは、やはり話題性を最優先に考えていたことがうかがえる。 だが、その2戦目において、沢村はさらなる転機を迎えることになる。 相手のサマン・ソー・アディソンはタイの由緒正しきルンピニースタジアムでフェザー級8位のランカー。そんなムエタイの実力者に対して沢村はまったく歯が立たず、都合16度のダウンを奪われ、4R2分53秒KO負けを喫した。全身に打撲を負い、奥歯も数本折られる完敗だった。 この敗戦により、沢村は本気でキックボクシングに取り組むことになる。国内ではボクシング技術の習得に励み、これに並行してタイでのムエタイ修行にも取り組んだ。 そうして'67年、敵地タイで強豪相手のムエタイマッチで引き分けたことを自信とし、ここから沢村の快進撃が始まった。 以後の活躍は、その記録だけを見ても、とうてい現在の格闘技の常識では計れるものではない。 毎週のテレビ中継に合わせて少なくとも月間3試合、多いときには月に10試合という過酷なスケジュールをこなしつつ、“100連続KO勝利”“134連勝”等々、前人未到空前絶後の大記録を次々と打ち立てていった。 '76年7月2日に行われた最終試合までの約10年、通算成績は公式のものだけでも全241戦232勝5敗4分(うち228戦がKO勝利)。実際には、これ以上の試合を闘ったともいわれている。中には、いかにも未熟な相手を一蹴するような試合もあったが、派手な打ち合いから沢村がダウンを喫する場面もしばしば。 「とんでもない試合数や、ハデな闘いぶりから、沢村の試合を八百長とする声は当時からあったが、いったい沢村以外の誰に同様の闘いができるのか」(前出の関係者) 唯一無二の偉大な格闘家であったことに間違いはない。
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スポーツ 2015年06月19日 16時00分
W杯日韓大会に捜査網拡大 ジーコVS鄭夢準 次期FIFA会長をめぐる責任転嫁の代理戦争(3)
そこでブラッター氏が米国司法当局と取引しているのが、2018年ロシアW杯と2022年カタールW杯の招致。こちらには、同氏と反目するプラティニ氏が深く関わっているからだ。舞台裏を誰よりもよく知るのは、他ならぬFIFA会長なのである。 「カタールW杯が決まった2010年、プラティニ氏はエリーゼ宮殿に招かれ、サルコジ・フランス大統領からカタールへの投票を要請されたのです。当時、フランスはユーロ危機に見舞われ、経済状況が悪化していた。しかし、カタールW杯が決まれば、スタジアム建設をはじめ、インフラ整備でもフランス企業が参入できる。フランスの名門チーム、パリ・サンジェルマンにカタールの政府系投資ファンドが出資するという話もあった。結局、それまで2022年米国W杯を指示していたプラティニ氏はカタール支持に寝返った。そのときのプラティニ氏の豹変が不正取引の証拠とされ、“カタールゲート”として報じられている。ブラッター会長はこの情報を差し出す見返りに、日韓W杯を封印しようとしているのです」(同) この構図がそのまま形となって現れたのが、次期FIFA会長選。日本はアヴェランジェ前会長、ブラッター会長の後継者として“神様”元日本代表監督のジーコ氏を擁立する構え。一方、韓国もFIFA元副会長の鄭夢準氏が手を挙げている。 「ともに2002年日韓W杯の招致が問題になった場合、相手国に疑惑をなすり付けようという魂胆です。ああ見えて、ジーコ氏はスキャンダルには無縁の男。浮いた女の噂さえない。クリーンで、本業のサッカー以外のカネは受け取らない。南米と欧州が贈収賄でもめている今、選挙をすれば、かなりの支持が集まるでしょう。そうなっては困る韓国は、鄭夢準を使ってプラティニ氏に急接近し、日韓W杯招致がそうだったように日本案をひっくり返そうとしているのです。日韓共催に至った招致合戦の“闇”があるだけに、双方引くに引けないのです」(日韓W杯招致関係者) 疑惑は2018年ロシアW杯の招致にもあるが、こちらはプーチン大統領が毅然と構えているだけに米国司法当局も手が出せない。果たして、捜査の網を日韓W杯へ向けるか、カタールW杯に進路を取るか、予断を許さないのだが、こんな見方もある。米国政府の真の狙いは「2022年W杯の強奪にある」と。 「中東のカタールではさすがに夏開催は難しく、11月〜12月開催にしてもらう見返りに数百億円の放映権料をFIFAに支払った。この資金がFIFA幹部に流れ、2022年のカタールW杯開催につながった。これを立件できれば、カタールはW杯を返上せざるを得ず、一度は敗れた米国W杯が復活する。2022年W杯は日本も代替開催を狙っていますが、米国捜査当局に足元をつかまれており、身動きが取れない。落とし所は、2022年米国W杯、ジーコ新会長、そんな情報も流れてきています」(チューリッヒのFIFA本部を取材するスポーツジャーナリスト) とにもかくにも、スイスで噴出した“火砕流”が、日韓W杯に流れて来ないことを祈るばかりである。
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スポーツ 2015年06月18日 16時00分
W杯日韓大会に捜査網拡大 ジーコVS鄭夢準 次期FIFA会長をめぐる責任転嫁の代理戦争(2)
2018年ロシアW杯、2022年カタールW杯、そして以前の2002年日韓大会に延焼することを避けたかったのか−−。 確かに今取り沙汰されているのは、2010年に開催された南アフリカW杯について。招致に絡み、ブラッター会長は元副会長と共謀し1000万ドル(約12億円)を受け取った疑いがあるとされるが、そこから透けて見えるのが、FIFA内部の利権争いだ。 ブラッター会長追い落としの急先鋒になっているのが、FIFAの改革を求めるUEFA(欧州サッカー連盟)のミシェル・プラティニ会長(フランス)。UEFAのFIFA離脱や、W杯ボイコットの可能性を示唆するなどして揺さぶりをかけている。 「問題の根底にあるのが、アジア・アフリカ問題です。ご存じのようにW杯開催国を決めるFIFA理事や会長は各国の協会の票がものをいう。そうなると断然数の上で多いのが、アフリカやアジアの国々です。そこでブラッター氏はアジア、アフリカの新興国に資金を使い、支持を集めてきた。原資は米国や欧州から集めたW杯の放映権料です。このお金はもっと米国や欧州に使うべきというのが、プラティニ氏らの考え。そこで贈収賄事件の責任を取る形でブラッター会長を退陣させ、主導権を欧州に呼び戻したいのです」(サッカーライター) 思惑通り、ブラッター会長が辞任を表明したことで、にわかに注目されることになったのが次期会長選。本来であれば、ブラッター氏を辞任に追い込み、現役時代に「将軍」の異名を誇ったプラティニ氏が最有力視されるが、すんなりと進まないところにFIFAが抱える“闇”がある。今回の「贈収賄事件」が2010年の前に戻るか、以降に発展するかで、捜査当局とFIFA首脳の間でせめぎ合いが続いているからだ。 現時点では、米国の捜査当局は「1991年以降の贈収賄だけでも計180億円の疑惑がある」とし、過去にさかのぼる方向性を示唆している。先にも書いたが、'91年は日本が2002年W杯招致活動を始めた時期と重なる。狙いを定めているのは、熾烈を極めた揚げ句、予想外の共催で落着した日本と韓国の招致争いという見立てである。 「トヨタカップの実績に加えて当時のジョアン・アヴェランジェFIFA会長(ブラジル)の後押しもあり、当選確実とみられたのにもかかわらず、日本より招致活動が遅れていた韓国が、鄭夢準韓国サッカー協会会長を先頭に、政財界を挙げて招致活動に乗り出し、これをひっくり返した。アヴェランジェ氏の後のFIFA会長を狙っていた当時のUEFA会長、レナート・ヨハンソン氏(スウェーデン)に接近し、欧州を味方に付けたのです。結果、2002年W杯は日韓の一騎打ちとなり、アヴェランジェ氏の側近だったブラッター事務局長(当時)が韓国との共催にする案を持ち出し、韓国を懐柔するとともに日本にも恩を売り、FIFA会長に就いた経緯がある。このドンデン返しには、双方で巨額の金が動いたとされています。日本は各国協会や国にドーンと資金援助したのに対し、韓国は21人いたFIFA理事個人にベンツ1台分相当の資金が流れたと噂になったものです。米国司法当局は、このときの資金の流れを掌握している。アヴェランジェ政権の金庫番がブラッター氏だったわけですから、これは過去の話として封印したいのです」(ベテランサッカー記者)
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スポーツ 2015年06月17日 18時00分
USA発 新聞、テレビではわからないMLB「侍メジャーリーガーの逆襲」 今季絶好調で念願のオールスター出場へ… 地元メディアが称賛する青木宣親“本当の評価”
青木宣親(ジャイアンツ)に対する評価が日に日に高まっていて、地元サンフランシスコのメディアは「ノリ・アオキ、ジャイアンツの新しい起爆装置」(ゴールデンゲート・スポーツ)、「青木は打撃成績の数字以上の値打ちがある男」(MLBコム)といった見出し付きで活躍を伝えている。メディアが称賛しているのは次の四つの点だ(評価の高い順)。(1)際立って高い出塁率 青木は今季打撃好調で打率3割1分1厘(6月3日現在)はナ・リーグ打撃十傑の9位。そのうえ選球眼がいいため四球が多く出塁率が際立って高い。ジャイアンツは昨季ワールドシリーズ制覇を果たした強豪チームだが、トップバッターだけは適材が不在で、一番打者の出塁率はリーグ平均より多少低い3割1分4厘だった。それが、今季は出塁の鬼=青木の加入で様相が一変。ジ軍の一番打者の出塁率は6月3日現在3割8分9厘でリーグ1位だ。(2)メジャー1三振をしない男 青木は追い込まれても相手投手の決め球をカットしてしのぎ、滅多に三振しない。ブリュワーズに在籍した一昨年は三振に倒れる頻度が16.9打席に1回で「メジャーで一番三振しない男」になった。ロイヤルズでプレーした昨季はやや三振が多かったが今季は一昨年のペースに戻り、三振数がリーグ最少。5月8日から6月1日まで85打席連続無三振も記録し「メジャーで一番三振しない男」に返り咲く可能性が高くなっている。ジャイアンツは本拠地(AT&Tパーク)がメジャー屈指の広い球場であるため、一発ではなく打線のつながりで勝つチームだ。そのため青木の「三振しない能力」は球団首脳から高く評価されている。(3)1点が欲しいときのキーマン ジャイアンツはリリーフ陣が強力で接戦に強いチームだが、機動力を発揮できる打者が不在で昨年は盗塁と送りバントの数がリーグ最少だった。そのため1点を欲しい場面で足や小技を使った攻撃ができなかったが、今季は盗塁とバントに長けた青木の加入でチームの盗塁数と送りバント数がリーグ平均レベルに増加している。(4)意外に広い守備範囲 青木は昨年ロイヤルズでプレーしたが、4人目の外野手に守備範囲が驚異的に広いダイソンがいたため、ゲーム終盤にダイソンが青木に代わって守備固めに入ることが多かった。それによって守備力が過小評価されることになり、ジャイアンツも守備に関しては期待していなかった。ところがレフトで使ってみると肩は並だが守備範囲の広さは予想していたよりずっと広く、広いAT&Tパークにピッタリで、守備面での貢献も大きい。 ジャイアンツファンの多くは開幕前、青木に大きな期待をいだいていなかった。年俸がメジャーの平均レベル(400万ドル=4.8億円)で、年齢も30代半ば、オープン戦での成績も悪かったので、レギュラーが務まる選手のようには見えなかったためだ。 ところがいざシーズンが始まると、走攻守すべてでハイレベルな活躍を見せ、不動のリードオフマンとなったため、青木ファンが急増。現在進行中のオールスター投票では6月2日時点で101万票を獲得しナ・リーグの外野手部門の次点(4位)に付けている。 外野のイスは三つあり、順位を一つ上げて3位に入ればオールスターにスタメンで出場できる。6月2日現在、3位は昨年の本塁打王ジャンカルロ・スタントンで差は20万票ほどだ。 スタントンは今季も打点王レースの先頭を走っているが所属するマーリンズは不人気球団だ。しかも今季は負けが込んでファンの意気も上がらない。それに対し、人気球団のジャイアンツは今季も好調なのでファンも応援に熱が入っており、オールスター投票の締め切り前には大量の駆け込み票を期待できる。 それが不十分でファン投票で選出されなくても、現在の打撃成績を7月初旬までキープしていれば、監督推薦で出場できる可能性もかなりある。今年のオールスターはジャイアンツ、ボウチー監督がナ・リーグの指揮を執るからだ。 大リーグは球団数が日本の2.5倍あるため、メンバーに選出されることは容易ではない。年俸1000万ドル超の名のある選手でも、出場経験のない選手がゴロゴロいる。 青木が選出されれば、大きな名誉になるだけでなく、来季以降の契約にも好材料になるだろう。 ジャイアンツとの契約では今季550打席をクリアすれば、来期は年俸550万ドルでジャイアンツに残留できることになっている。しかし、それは今季の活躍に見合った金額ではない。青木が欲しいのは3年3000万ドルレベルの複数年契約だと思うが、メジャーでは30代半ばになった選手は極端に冷遇されるので、複数年契約はたやすいことではない。それを勝ち取るためにも、オールスターに出場して箔を付けておきたいところだ。スポーツジャーナリスト・友成那智ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は各媒体に大リーグ関連の記事を寄稿。'04年から毎年執筆している「完全メジャーリーグ選手名鑑」(廣済堂出版)は日本人大リーガーにも愛読者が多い。
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スポーツ 2015年06月17日 16時00分
W杯日韓大会に捜査網拡大 ジーコVS鄭夢準 次期FIFA会長をめぐる責任転嫁の代理戦争(1)
日本サッカー協会関係者の間では、2002年日韓共催ワールドカップ(W杯)招致に伴う「巨額マネー」がいずれ取り沙汰される、と危惧する声は以前からあった。1991年6月にW杯招致委員会が発足して以来、大会開催後も新たな招致を目指して、毎年“スポーツマフィア”ともいえるFIFA(国際サッカー連盟)首脳に対する“付け届け”に苦慮してきたからである。 「今回、アンタッチャブルだったFIFAの巨大な闇に切り込んだのは、先日、アフリカ系アメリカ人として初めて女性司法長官に任命されたロレッタ・リンチ氏ですが、各国協会は困惑しつつも、アメリカさん、よくやったと歓迎する声の方が強い。これを機会に全てのドス黒い膿を取り除き、クリーンでお金の掛からない組織に生まれ変わってほしい、というのが本音だからです」(日本サッカー協会関係者) テロリストへの資金供与対策を強化するオバマ大統領は、司法長官に初の黒人女性を抜擢した。ハーバード大法科大学院卒のリンチ長官は国際的な金融犯罪に実績を持ち、大統領の期待に応え、次々に資金源を寸断してきた。 その多くの舞台になったのが、厳格な守秘義務をうたい文句にし、富裕層の資金を手厚く保護し続けてきたスイスの銀行だ。リンチ長官による隠し資産に伴う脱税口座の追及は厳しく、廃業に追い込まれたプライベートバンクは少なくない。 「新たなターゲットにしているのが、国際スポーツ競技の各連盟です。スイスにはFIFA、IOC(国際オリンピック委員会)をはじめ、65もの国際スポーツ競技連盟の本部がある。さして便利でもないチューリッヒに本部を構えるのは、資産隠し目的以外の何ものでもありません。大会招致やテレビ放映料の仲介による賄賂で得た“闇金”を隠し持つためです。これに自国に大口のスポンサーを数多く抱える米国司法当局が目を付け、スイスの銀行に脱税容疑で巨額の罰金を科し、それを看過する見返りに司法取引で顧客情報の提供を求めているのです。既に2002年の日韓W杯招致に関する資金の流れも入手しているといわれ、表面化するのは時間の問題。そうなったら日本の有力政治家、大手企業幹部、協会首脳の名前が出る可能性もある。当時のW杯招致関係者は、毎日のように米国司法当局の発表を報じる米有力紙を翻訳してもらい、目を凝らしていますよ」(大手広告代理店担当者) FIFA首脳に捜査のメスが入ったのは5月27日。米国司法当局の要請を受けたスイスの司法当局が、理事会出席のためチューリッヒ入りしていたFIFAの副会長2人を含む7人を贈収賄容疑で逮捕した。真のターゲットは、同30日に行われたFIFA会長選で5選を目指したゼップ・ブラッター会長(スイス)にあり、立候補断念に持ち込むことにあったとされる。 しかし、ブラッター氏はこのケンカを受けて立つ戦術を選び、FIFA首脳の旧守派を味方に付けることで、ライバルで革新派のアリ・ビン・フセイン王子(ヨルダン)を下し、当選を果たした。これで安泰かとホッとしたのもつかの間、6月3日に突然辞任を表明。年末から来春の間に新たに会長選挙を行い、自身は身を引くというのだ。 「周辺の幹部連中が捜査対象者になったことで、このままでは自身にも及ぶと判断したのでしょう。中でも北中米カリブ海サッカー連盟のチャールズ・ブレイザー元事務局長が2010年開催地決定の際に賄賂をもらっていたことを認め、これで万事休す。しかし、そこは老獪な男。自ら司法取引を働きかけ、辞任を表明することで“疑惑”を2010年の南アフリカW杯招致までの問題にとどめようと画策したのでしょう」(全国紙運動部記者)
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スポーツ 2015年06月17日 12時00分
【甦るリング】第12回・再々ブレイク果たした大仁田厚 繰り返した引退、復帰は自分に正直に生きた証し
決して活況とはいえない現在のプロレス界にあって、フリーの立場ながら、再々ブレイクを果たしているのが、“邪道”大仁田厚(57)だ。本項で取り上げている“レジェンド・プロレスラー”の年齢はおおむね50代後半から60代。今も現役としてリングに上がっていても、第一線を退いているケースがほとんどだが、大仁田はバリバリの選手として活躍しているのだから驚くばかり。 故橋本真也さんの流れを汲むZERO1で運営されている超花火実行委員会が主催する「超花火シリーズ」では、毎月3〜5回程のペースで、“お家芸”の電流爆破デスマッチを敢行。同シリーズは、“地方創生”をテーマに掲げ、全国の田舎町を回り、ファミレス(ファミリー・レスリングの略)と称して熱戦を繰り広げ、ファミリー層やおじいちゃん、おばあちゃんたちを大いに喜ばせている。つい最近では、5月23日、東京・大田区総合体育館で、引退している女子プロレス界のカリスマ・長与千種を復帰させて、タッグを組んで電流爆破デスマッチを行うなど、オールドファンを巻き込んで、話題を振りまいたばかり。また、この4月にはかつて大仁田が創設したFMWという名の団体(超戦闘プロレスFMW)が13年ぶりに復活。大仁田は同団体の象徴として、全国を巡業中。 ストロングスタイルのプロレスを掲げ、全くポリシーが異なる初代タイガーマスク(佐山聡)主宰のリアルジャパン・プロレスにも戦争を仕掛け、タイガーとの異次元マッチを実現させ、元関脇・貴闘力(元大嶽親方)をリングに引っ張り上げることにも成功した。さらには、メジャー団体のプロレスリング・ノアを始め、大小さまざまな団体から声が掛かるなど、引っ張りだこで、まさに、縦横無尽にいろんなリングで暴れ回っている。 凄いところは、57歳という年齢にして、全盛期とそれほど変わらない動きをキープ。どこのリングに行っても、ゲスト的な顔見せではなく、“主役”として登場している点である。大仁田は60歳で還暦電流爆破デスマッチを行って、プロレスにひと区切りつけるつもりでいる。10月25日で58歳となる大仁田に残された期間はあと2年4カ月。その間、突っ走って幕引きを図ろうというのだ。 大仁田は引退、復帰を繰り返したことで有名だ。その回数はもはやマスコミ、ファンはおろか、本人もよく把握できていないが、正確には4回のようだ。 全日本プロレス時代、試合後のアクシデントで左膝蓋骨を粉砕骨折。完治しないまま見切り発車的に復帰したものの、満足なファイトができず。84年12月2日、引退を懸けたマイティ井上との一戦で敗れ、85年1月3日に引退式を行い、リングを去った。引退後、タレントや実業家として活動したが、88年12月3日、ジャパン女子プロレスのリングでのグラン浜田戦で復帰。89年10月、所持金5万円でFMWを設立。当時、格闘路線のスポーツライクなプロレスで隆盛を築いた新生UWFのアンチテーゼとして、ノーロープ有刺鉄線デスマッチなどを敢行。電流爆破デスマッチが大ヒットし、大仁田は大ブレイク。試合後のマイクアピールで感極まって泣くことから、“涙のカリスマ”として、一躍、プロレス界の風雲児となった。 95年5月5日、川崎球場での愛弟子・ハヤブサ戦を最後に2度目の引退。タレント活動は順調だったが、かつてのライバルだったミスター・ポーゴから「引退試合で大仁田とタッグを組みたい」とのラブコールを受け、96年12月11日、限定復帰。その後、古巣のFMWへスポット参戦を続けたが、98年11月、FMWを離脱し、新日本プロレスをターゲットに定める。 単身で新日本に乗り込んだ大仁田は、蝶野正洋、グレート・ムタとの電流爆破デスマッチを実現させた。たった一人で、メジャー団体に立ち向かった姿がファンの共感を得て、再ブレイクを果たしたのだ。大仁田は当時、引退して現場監督だった長州力戦を叫び続けた。当初は完全拒絶していた長州だが、その熱意に負ける形で、大仁田の挑戦を受諾。00年7月30日、神奈川・横浜アリーナで大仁田対長州のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチが実現した。長州はその後、復帰し、今でもリングに上がっているのだから、人の人生は分からぬものだ。 プロレスのみならず、タレントとしてもブレイクしていた大仁田は01年7月29日投開票の参議院選挙に自民党から出馬し、当選。公務に専念するため、05年3月26日、「プロレス卒業試合」を行い、3度目の引退。06年4月1日、「国のために死んでいった方々に礼を尽くす記念すべき大会。もし良かったら参加させてほしい」として、ZERO1の靖国神社奉納プロレスで限定復帰。07年、6年の任期をもって、政界は引退。その後もリングに上がり続けたが、10年2月の長崎県知事選に出馬するにあたり、周囲のアドバイスもあり、「当選したら知事職に専念する」として、引退を表明。同21日投開票の同知事選では、9万8200票を得るも落選。当選しなかったため、もはや引退する必要性はなくなっていたが。選挙前の約束通り、同年5月5日、新FMW(現スーパーFMW)の興行で引退試合を行った。 その後、4度目の復帰を果たしたものの、表立った活動はしていなかったが、12年初頭、「もう一度プロレスを真剣にやりたい」と宣言。ターゲットに初代タイガー、元横綱・曙の名を挙げた。何度も浮き沈みを繰り返した大仁田だが、当時は底。ここから、再々ブレイクを果たすとは、どれほどの人が思っただろうか? よもやと思われた初代タイガー、曙との抗争を実現させた行動力はさすがだった。この2人をデスマッチの世界に引きずり込むと、曙とは電流爆破デスマッチも実現。同年8月にスタートした「大花火シリーズ(現・超花火)」で、3度、曙と電流爆破で相まみえた。曙が全日本の所属となって、対戦が困難になると、ターゲットを3冠、IWGP、GHCを制したグランドスラム男の高山善廣に変えて、名勝負を展開。メジャー3団体のヘビー級のベルトを巻いた高山をも、電流爆破の世界に引き込んでしまった。 気が付けば、再びプロレス界の中心人物となった大仁田。何度も引退、復帰を繰り返したが、それは、その時の自身の感情に正直に従った結果だった。突拍子もない行動をすることや、“邪道”と呼ばれるプロレスのスタイルから、大仁田を嫌う人も多いが、自分を慕ってくる人間に対しては、極めて好意的で、後輩の面倒見もいい。リングを下りたら、年下の選手でも、「さん」づけする心配りも持ち合わせているし、マスコミへの気配りも決して忘れない。 全日本時代に負傷した左膝は悲鳴を上げているが、還暦電流爆破デスマッチ実現まで、全速力で突っ走ることだろう。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)★超花火プロレスhttps://www.z-1.co.jp/zero1/★超戦闘プロレスFMWhttp://www.fmwjapan.com/
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スポーツ 2015年06月16日 16時00分
広島・マエケン我慢の限界「これじゃメジャーに行けん!」(2)
こんな試合もあった。6月6日の対楽天戦、5回の攻撃で3点のビハインド。1死一、二塁、1発出れば同点の場面。だが、二塁走者の鈴木誠が三盗を試みてタッチアウト。その後、代打のシアーホルツがセンター前にクリーンヒットを放って1点を返したが、「鈴木誠が暴走しなければ、チャンスが続いたのに…」と嘆いたファンが多かった。 好機を生かせずの敗北。試合後、緒方監督に代わって、永田利則総合コーチがこう釈明した。 「鈴木誠にはスキがあれば走っていいと伝えてある」 俊足選手は“フリーパス”というわけだ。 「緒方監督は鈴木誠を信用し過ぎたのでしょう。フリーパスの選手はどの球団にもいますが、“走れ”のサインがない代わりに“走るな”のサインはある。相手バッテリーに読まれているときは“走るな”のサインを出すものです」(球界関係者) 鈴木誠を二塁に置いた後、楽天バッテリーは鈴木誠が走ったときだけクイック投球をした。無警戒を装って盗塁死を誘ったのである。 鈴木誠の若さ、経験値の少なさも大きいが、“走るな”の指示を出さなかった緒方監督にも責任はある。 「緒方監督は黒田帰還後、繰り返し語っているのが、『練習熱心な黒田の背中を見るだけでも、若手の勉強になる』の言葉です。しかし、精神面でのそんなプラスを、技術面でどう生かすかは本人次第。技術的な指導は緒方監督以下コーチ陣の仕事です」(前出・ベテラン記者) 黒田博樹の帰還については、こんな指摘も出ている。 「黒田はコントロール、変化球全て平均値以上です。つまり黒田が打たれれば、サインを出した捕手のせいになります。守っている野手も妙な緊張感が漂っていて、それが先発陣を見殺しにする原因にもなっています」(同) 6月5日に黒田と対峙し、1-2で敗れた楽天の大久保博元監督は「一球一球、魂がこもっていた。みんな感じるものがあったと思う」と話していた。そう、黒田の熱投は相手のベンチにもアドレナリンを出させるのだ。それが対戦相手の投打の刺激となり、広島打線はその上を行かなければ勝てない。緒方監督も「若手を信頼する」だけでは、無策に等しいのだ。 「マエケンは救援陣が勝ち星をフイにしてしまった後、ブログでいたわっていました」(前出・担当記者) しかし、マエケンは優しいだけではない。天性のリーダーシップを持った野球人でもある。在京球団スカウトがこう証言する。 「高校時代、打撃力もあったマエケンは登板しない試合では外野を守ることもありました。攻守交代の際、味方投手のもとに近づき、アドバイスを与え、ベンチからも人一倍声を出していました。リーダーシップを兼ね備えた逸材は少ない。当時、田中マー君よりもマエケン指名にこだわったスカウトも少なくなかった」 プロ入り後も、ふがいない内野陣に「反省しろ!」と怒鳴りつけたこともあった。今のチームに一番憤っているのはマエケン自身であり、メジャー挑戦の人生プランを取り戻すためにも、今こそ“喝”を入れるべきだ。
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スポーツ 2015年06月16日 12時00分
【記憶に残るプロ野球選手】第9回・人気先行のイメージ強いが実力も備えていた定岡正二
“甲子園のアイドル”といえば、最近では斎藤佑樹投手(早稲田実業→早稲田大→日本ハム)が思い浮かぶ。今から約40年前、まさに“元祖・甲子園のアイドル”として、大フィーバーを巻き起こしたのが鹿児島実業の定岡正二(58)だった。1974年夏の甲子園、同校3年でエースだった定岡は、これまた注目の的だった原辰徳(当時1年生)擁する優勝候補の東海大相模と対戦。延長15回の攻防の末、鹿児島実業は東海大相模を破り、ベスト4に進出した。定岡は防府商業との準決勝戦で、手を負傷し途中交代を余儀なくされ、鹿児島実業は準決勝で敗退した。投手としての実力に加え、甘いルックスで女性ファンから熱狂的な人気を得た定岡は、甲子園のアイドルとなったのだ。 プロ側も定岡の実力を高く評価し、同年のドラフト会議で読売巨人ジャイアンツが1位指名し、プロ入りした。実のところ、定岡は巨人ファンではなく、阪神入りを希望していたという。1年目の自主トレでは、多摩川グラウンドに約2万人のファンが押し掛けるほどの人気だった。だが、甲子園で活躍した定岡にとっても、プロの水は甘くはなく、2年間は2軍暮らしが続いた。3年目の77年に初めて1軍に昇格したが、なかなか、1軍に定着することはできなかった。 その素質がようやく開花したのが、入団6年目の80年。定岡はプロ初勝利を挙げると、主に先発で9勝(8敗)をマーク。翌81年には初の2ケタ勝利(11勝7敗)を挙げ、4年ぶりのリーグ優勝、日本シリーズ制覇に貢献。すっかり、巨人のローテーション投手に定着した定岡は、82年には江川卓、西本聖とともに3本柱として活躍し、自己最多の15勝(6敗)をマークした。定岡が投げる時は打線も活発に援護していた印象があるが、だとしても15勝はそう簡単にはできない。実力があってこそのものだ。 ところが、同年をピークに、その後、下降線をたどり、83年は7勝7敗、84年は5勝10敗に終わった。85年には、ローテーションから外され、リリーフ専門となり、自己最多の47試合に登板。4勝3敗2セーブ、防御率3.87の成績を収めたが、斎藤雅樹や槙原寛巳の台頭もあり、王貞治監督(当時)の構想外となる。同年シーズン終了後、定岡は近鉄・有田修三捕手との交換トレードを通告される。ところが、これを拒否した定岡は、野球を続けることは許されず任意引退の措置が取られる。まだ29歳の若さだった。 定岡がトレードを拒んだ理由は、元木大介のように「巨人で現役を終えたいから」といったものではなかったようだ。定岡なりに巨人に貢献してきた自負があった。82年には先発で15勝もしたし、この年は中継ぎという黒子に徹し、47試合に登板した。しかし、トレード通告は電話一本だった。球団の非情さに態度を硬化した定岡はトレードを拒否した。後日、定岡は「せめて球団事務所で直接言ってくれたら、あそこまで頑なにならなかったかもしれない」と語っている。 現役に未練がなかったわけではない。事実、翌86年にはドジャースの春季キャンプに参加。トミー・ラソーダ監督からは「3Aなら」と誘いを受けたが、これを断った。当時、定岡は右ヒジ痛を抱えており、マイナーからのメジャー挑戦には二の足を踏んでしまったのだ。ユニフォームを脱いだ定岡はTBSのスポーツキャスターとなった。その後、「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」に出演するようになると、その天然ぶりがウケてブレイク。バラエティ番組に引っ張りだことなる時期もあった。しかし、芸能界にすがりつくことはなく、地元・鹿児島で野球指導者としての道を歩み始める。05年、アマチュア野球チーム「鹿児島ホワイトウエーブ」の監督に就任。翌06年には、社会人野球のクラブチーム「薩摩」の設立に動き、初代監督となり、現在は総監督を務めている。 最近ではテレビで見かけることも減って、「芸能界から干された」とも言われるが、実際には野球の仕事を優先させるためで、指導者の他、今もTBSラジオ「エキサイトベースボール」では解説者の仕事もこなしている。高校時代の流れから、“人気先行”のイメージが強い定岡だが、80年〜82年の3年間はしっかり実績も上げた実力派だった。通算勝利数は51勝(42敗)に過ぎないが、巨人に貢献した選手の一人だ。(ミカエル・コバタ=毎週火曜日に掲載)
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