スポーツ
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スポーツ 2015年06月04日 11時00分
白鵬が朝青龍のように追放される日 照ノ富士初V世代交代へ
大相撲夏場所は大混戦の末、関脇・照ノ富士(23)が初優勝。同時に大関昇進の切符も手中にした。 このニューヒーロー誕生の陰ですっかり株を下げたのが終盤、自滅して史上初の2度目の7連覇を逸した白鵬(30)。またも審判の裁定に“物言い”をつけ、抗議の無言を繰り広げるなど、その傲慢な土俵態度たるや、とても大横綱のイメージではなかった。 それは何とも冷ややかな光景だった。初日、白鵬は場所前に散々稽古でかわいがったモンゴルの怪物、逸ノ城の意表を突く突き落としにバッタリと左手を付いた。抜群の安定感を誇る白鵬が初日に黒星発進するのは平成24年夏場所に安美錦に敗れて以来、丸3年ぶり。呆然とした表情で引き揚げて来た白鵬は「恩返しされちゃったね」と苦笑いしたが、大本命が敗れたその瞬間、館内のあちこちで「ヨッシャーッ」と声高に叫び、ニヤリとする親方たちの姿が見られたのだ。 白鵬が物言い取り直しになった稀勢の里戦の裁定にクレームをつけ「(自分が)勝っている相撲。子供でもわかる」と審判委員たちを激しく批判したのは、史上最多33回目の優勝を果たした初場所直後のことだった。夏場所前には「親方を通じて北の湖理事長とも話した。もう終わったこと」と話し、既に一件落着したことを明かしたが、プライドを傷付けられた親方たちの怒りは収まっていなかった。と同時に、その後の動きを見れば、上っ面はともかく白鵬も腹の底では不信感がくすぶっていたことがよくわかる。 新たなトラブルが起こったのは12日目の豪栄道戦だった。この一番に勝てば単独トップに立つ、ということで気負っていたのかもしれない。白鵬がモロ差しになって寄った瞬間、豪栄道が放った捨て身のクビ投げに大きく傾き、右肘から土俵に落ちた。このことはビデオを見てもハッキリしている。白鵬の明らかな負けで、NHKで解説していた元横綱の北の富士勝昭氏も「物言いがついたとしても確認程度。これはクビ投げ。子供が見てもわかる」と、白鵬が使用したフレーズをそのまま使ってバッサリと切り捨てた。 勝負は明白。当然のことながら物言いもつかなかった。すると白鵬は、何で物言いがつかないんだ、おかしいだろう、と言わんばかりの表情で勝負が終わった後の礼もせずに土俵上に突っ立ち、さらに土俵下に降りてからもおよそ1分間、控えに入らずに周りを見渡して立ち続けた。 いくら軍配に不満があっても、これまでこんなにあからさまに無礼な抗議をした横綱はいない。支度部屋でも憮然として、これ以降、千秋楽までまるで先場所のビデオテープでも見るかのように報道陣に背中を向け、無言を貫いた。 「優勝が30回に近づいたあたりから、急に白鵬は傲慢になりました。増長していると言ってもいい。取材していても、自分に気に食わない質問をすると怒り出しますし、取材に応じないことすら度々。これじゃ、白鵬が比較されることを嫌っているトラブルメーカーの朝青龍と同じ。いや、陰湿な分、朝青龍以上にたちが悪い。大横綱ほど潔いものですが、これで勝負に汚いこともハッキリしましたね」(担当記者) この騒動が尾を引いて、この2日後にも稀勢の里に惜敗。優勝争いはにわかに混沌となり、千秋楽、照ノ富士の劇的な優勝につながる。白鵬が最も恐れていた世代交代の風がとうとう吹いたのだ。 つい1年くらい前まで白鵬は力士の鑑といわれ、みんなのお手本だった。それがどうしてこんなに暴走するようになったのか。宮城野部屋関係者が話す。 「白鵬が尊敬している大鵬にはニラミの利く師匠がいて、常に監督管理していました。しかし、白鵬には師匠はおれど、ニラミの利く人間がいない。全て白鵬の言うまま、するがままなんです。しかも、取り巻きはイエスマンばかり。だから自分から折れるということをしないんですね。前回の審判批判のときも、取り巻きの放送作家がプロデュースするテレビ番組で謝っただけで、それ以外では全く謝罪しませんでした。親方たちの見る目も、以前とは違って厳しくなる一方。これまで良き理解者だった北の湖理事長も、最近は持て余しています」 きらびやかな実績とは対照的に、協会内の評価はガタ落ちなのである。 白鵬は、9年前に横綱になったときから自分の部屋を持ち、弟子を育成したい意向をもらしていた。 「夢は、自分の息子も力士にして横綱に育て、モンゴル相撲の大横綱だった父、自分、そして息子の3代の横綱になることです。都心のど真ん中、東京・銀座に部屋を構え、総ガラス張りにして道行く人にも稽古ぶりを見てもらいたい。そんな壮大な青写真を披露したこともあります」(前出の担当記者) 既にこの“夢”を実現するための第一歩として、十両の石浦、元幕内で現三段目の山口ら内弟子も獲得し、手元で熱烈指導中。また年寄株については引退時に、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花に続く史上5人目の一代年寄が認められるのは確実で、後はその大前提となる日本国籍に帰化するだけだ。 しかし、こんな険悪な状態が続けば、協会内の反発の声は強まる一方。このままでは大相撲界を追い出された朝青龍の二の舞いになりかねない。 白鵬はどうやってこの“反乱”を収めるつもりなのか。夏場所は終わったが、こちらは全く終わりが見えない。
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スポーツ 2015年06月03日 13時00分
野球が五輪種目へ復活できるかの試金石 プレミア12の裏に潜む政治的綱引き
世界の12の国と地域によって、今年11月に開催される野球国際大会『第1回WBSCプレミア12』の予選グループ分け、開幕カードなどが5月12日に発表された。台湾との共催となっているが、開幕戦と準決勝、決勝戦は日本で行われる。大会の成否は日本で行う試合の観客動員力に掛かっているといっても過言ではないだろう。 「プレミア12も4年に1度、WBCの中間年に開催していく予定です。11月に始まるこの第1回大会が成功すれば、次大会は東京五輪の予選という位置づけになるかもしれない」(NPB関係者) WBSC(世界野球ソフトボール協会)のリカルド・フラッカリ会長は「私見だが」と前置きしつつも、「次大会は東京五輪の予選にしたい」と発言している。なぜならば、プレミア12が創設された理由はに、オリンピックが影響しているからだ。 五輪競技から野球が除外されたことにより、国際野球連盟(IBAF)は国際ソフトボール連盟(ISF)とスクラムを組み、WBSCと体制を新しくして、五輪復帰を目指している。2020年の東京大会からは、開催都市が種目を追加できることになった。野球ファンの多い日本が開催地となれば、またのない好機である。フラッカリ会長の「東京五輪の予選に…」発言は、まだ決定しない追加競技が野球とソフトボールに決まるのであれば、協力を惜しまないというメッセージでもあったのだ。しかし、東京五輪実行委員会は何も返答していない。 「追加競技を決める方法は2つ。開催都市の独断か、IOCにお伺いを立てるかです。東京五輪の実行委員会は後者を選んでいるため、欧州圏で競技者人口の少ない野球とソフトボールは劣勢になりました。現在、追加競技に立候補している各スポーツ種目のなかで、競技者人口と世界的普及率で有利なのは空手。自民党の有力者である荒川堯氏は全日本空手道連盟の会長であり、昨年6月に空手を応援する議員連盟も発足しています。菅義偉官房長官もそこへ名を連ねています」(JOC関係者) 野球とソフトボールが熱心なピーアール活動を行っても、東京都や実行委員会の反応がいまいちなのは“政治的事情”も影響していたのだろう。NPBの立場から見れば、侍ジャパンで収益を上げるためにもプレミア12を盛り上げなければならない。そのためには日本の決勝進出が最低条件となる。 「プレミア12の結果次第では、小久保(裕紀=43)監督の進退問題にも発展しかねません。契約は第4回WBCまでだが、今年3月に行った欧州代表との試合内容は悪すぎました。外国人投手特有の動くボールに対応できず、この課題は就任以来解消できていません」(ベテラン記者) フラッカリ会長の発言に無反応な東京五輪実行委員会の今後の出方も気になるが、小久保監督の双肩には東京五輪で野球とソフトボールが復活するという夢もかかっている。 「再来年、2024年五輪の開催都市が決まります。すでに立候補を表明しているアメリカのボストンでは追加競技を独断する方向性も示しており、早くも『アメフトが最有力』との情報も流れています。東京大会よりも先に追加競技が発表されることになれば、野球とソフトボールはさらに不利な立場に…」(米特派記者) ただの新たな国際大会を主催する、というわけにはいかないようだ。
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スポーツ 2015年06月03日 12時00分
【甦るリング】第10回・超大物プロレスラーのオーラが凄かった橋本真也
“破壊王”橋本真也が、この世を去って早10年が経とうとしている。 その死は、あまりにもショッキングだった。05年7月11日、知人宅で倒れた橋本は病院に救急搬送されたが、死亡が確認された。死因は脳幹出血とされた。享年40歳の若さで、プロレスラーとしては、まだまだこれからという年齢であった。 後に明らかになったが、橋本は同年3月に夫人のかずみさんと離婚。その後、03年3月19日に亡くなったプロレスラー・冬木弘道さんの未亡人・薫さんと交際。2人は結婚の約束もしていたというが、知人宅というのは、その愛の巣だった。恋愛は自由ではあるが、交際相手は冬木さんの奥さん。ちょっと、スキャンダルチックな最期にショックを覚えたファンも少なくなかっただろう。生きていれば、新たな伝説もたくさん残しただろうし、その意味では、あまりにも早すぎる死だった。 私はZERO-ONE時代に、1度だけ、単独でインタビューさせていただく機会に恵まれたが、その発するオーラはすさまじく、ただならぬものがあった。質疑応答のなかで、激しい感情を見せる場面もあり、今でも昨日のことのように覚えている。橋本はまさに、超大物プロレスラーの貫録、威厳を漂わせた男だった。 橋本にとって、ZERO-ONEとは何だったのか? 新日本プロレスにいれば、苦労することもなかったろう。逆に、独立したからこそ、新日本時代には見られなかった一面が引き出されたともいえる。 独立の遠因となったのは、柔道からプロレスに転向した小川直也のライバルに仕立て上げられたことだった。一連の小川との抗争がなければ、新日本を辞めることはなかったかもしれない。 新日本の象徴であるIWGPヘビー級王座に3度君臨し、通算20回の防衛に成功した橋本は“ミスター・IWGP”と呼ばれた。しかし、小川のデビュー戦の対戦相手に起用されたことで、その歯車が狂い出す。97年4月12日、東京ドーム。当時、IWGP王者だった橋本は、プロデビュー戦の小川に敗れた。同年5月3日、大阪ドームでの再戦にはタイトルが懸けられ、橋本がリベンジを果たす。 99年1月4日東京ドームでの3度目の対戦では、小川がケンカマッチを仕掛けた。不意を突かれた橋本は終始劣勢に回り、試合は無効試合の裁定が下った。同年10月の4度目の対戦では、小川に完敗。後がなくなった橋本は、00年4月に小川と5度目の対戦をすることになる。この一戦は、テレビ朝日の企画として、「橋本真也34歳小川直也に負けたら即引退スペシャル」と題して、ゴールデンタイムで放映されたが、橋本は再び敗れて引退を余儀なくされた。しかし、テレ朝の番組企画で、熱心なファンからのラブコールに心を動かせた橋本は引退撤回を決意。半年後の同年10月9日、東京ドームで復帰する。 カムバックした橋本は新日本内に別組織「新日本プロレスリングZERO」を設立したが、長州力ら団体上層部と対立し、同年11月に完全独立を宣言。これを受けて、新日本から解雇された。 新日本から大谷晋二郎、高岩竜一も追随し、ZERO-ONEを設立した橋本は、01年3月2日、両国国技館で旗揚げ戦を行った。メーンイベントは橋本&永田裕志(新日本)vs三沢光晴&秋山準(ノア)という夢のカード。それまで接点がなかった新日本系の選手とノア勢との対戦を実現させたのは画期的で、伝説の興行となった。試合後には、小川、藤田和之が現れ、ノア勢を挑発し、乱闘騒ぎとなった。同年4月の日本武道館大会では、三沢と小川の禁断の初対決(三沢&力皇猛vs小川&村上和成)を実現させた。 その後、かつてのライバル小川とは共闘の形を取って、「OH砲」を結成。同期生・武藤敬司率いる全日本プロレスとの対抗戦にも乗り出し、橋本は3冠ヘビー級王座にも就いた。よもやと思われた長州のWJプロレスとの対抗戦に臨んだこともあった。04年に設立されたハッスルにも、旗揚げから参戦し、エンターテインメントプロレスにも挑戦。メジャー団体と違って、フットワークが軽い点を生かして、様々な団体との交流や企画を実現させたのは、ZERO-ONEの功績でもある。 しかし、団体運営は決して楽なものではなかった。橋本が04年8月から古傷である肩の治療のため欠場に入ると、興行不振に陥り、経営難に拍車を掛けた。団体内での意見の対立も表面化してしまい、橋本は同年11月、負債約1億円を背負う形で団体の活動を停止した。その後、肩の手術に踏み切った橋本は、リハビリをしながら、フリーのプロレスラーとして復帰を目指していたが、そのさなかに帰らぬ人となった。 リングを下りると、その性格は破天荒でハチャメチャな性格で、いかにも昔気質のプロレスラーらしいタイプ。それでいて、子どもっぽい茶目っ気もあって、“破壊王”は憎めない愛すべきキャラクターだった。今さらながら、その早すぎる死は残念でならない。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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スポーツ 2015年06月03日 11時45分
古巣・阪神のオファー蹴った藤川球児 仰天の独立リーグ入りの背景にあるものは?
5月24日、レンジャーズから自由契約となっていた藤川球児投手(34)が、まさかの国内独立リーグ入りを決断し波紋を呼んでいる。 昨オフ、カブスからFAとなった藤川は今季、レンジャーズと年俸100万ドル(約1億2450万円)プラス出来高で契約。右足のケガで故障者リスト(DL)入りし、開幕には間に合わなかったが、5月に復帰。しかし、2試合に登板しただけで戦力外となった。成績は1回2/3を投げ、自責点3、防御率16.20。ウエーバーにかけられたが獲得を希望する球団はなく、マイナー行きを拒否したため自由契約の手続きが取られた。 藤川によると、その後、オファーしたメジャー球団もあったようだが、日本復帰を決意。古巣・阪神と接触したが、交渉は不調に終わった。 そして、6月1日、独立リーグの四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスが藤川の獲得を発表。同日、自身もブログで高知入りを表明した。藤川は「元気になったら、とにかく投げる喜びを一番に感じられる場所で腕を振りたい。必要とされる場所で投げたい。そして家族と一緒にいたい。今は、元気に投げられるようになりました!」「僕と妻の生まれ故郷の高知で、未来のスーパースターになるチャンスをもった子どもたちに、僕が投げる姿を見てもらって今後の夢につなげてもらいたい! 僕が投げることで喜んでくれる人たちの顔が見たい。僕を応援してきてくれた人たち、育ててくれた高知から野球人生を再スタートすることに決めました」などと記している。 NPBで獲得する球団がないため、やむを得ず、独立リーグ入りするわけではない。つい、この間まで、メジャーでプレーしていた選手が、国内独立リーグに入団するなど異例中の異例。 藤川は古巣への仁義を切って、阪神との交渉を最初に行ったが、待てば、NPBの他球団からもオファーはあったはずだ。それなのに、なぜ独立リーグを選択したのか? カブスでの1年目の13年6月に、藤川はいわゆるトミー・ジョン手術と呼ばれる右ヒジのじん帯再建手術を受けた。復帰できたのは昨年夏で、その後、15試合に登板し、13回を投げ、防御率4.85の成績だった。カブスは3年目の選択権を行使せず、FAとなった藤川はレンジャーズに移籍した。 現実として、右ヒジにメスを入れて以降、藤川の成績はパッとしない。年齢的なものもあり、全盛期の剛速球は、もう期待できないだろう。完全復活を果たしていないだけに、日本の球団としては、その評価が非常に難しいところ。藤川自身、右ヒジの状態を考慮して、先発転向も視野に入れているともいわれているが、それこそ全く未知数だ。 某スポーツ紙の野球担当記者・A氏によると、「阪神は故障禍への不安や、抑えには呉昇桓(オ・スンファン)がいることから、球団内で藤川の獲得に関して賛否両論あり、意思統一できなかったようです。起用法は中継ぎ、条件面も、藤川を満足させるような内容ではなかったのでしょう」と言う。 阪神時代、年俸4億円だった藤川だが、故障や年齢の問題もあり、どの球団も、高額な年俸を提示するのには二の足を踏むのは当然のこと。前述のA氏は「現在の評価が低いのなら、実績をつくって、評価を上げようと考えているのではないでしょうか…」と話す。 そこで浮上したのが、独立リーグだ。近年、四国アイランドリーグのレベルも上がり、12年に首位打者を獲得した角中勝也外野手(高知→ロッテ)や、昨季リリーフで9勝2セーブ24ホールドをマークした又吉克樹投手(香川→中日)らを輩出している。 高知には藤川自ら逆オファーをかけ、即決。条件面の細部は交渉中だが、同球団の選手の平均月給が10万円程度であることから、たかが知れているだろう。 1日深夜、フジテレビの「すぽると!」に出演した藤川は「ずっと四国アイランドリーグでやるか分からないし、NPBでまたやるかもしれない」と含みを持たせている。前述のA氏は「その狙いは、高知で健在ぶりをアピールし、評価を高めた上でNPBに復帰するという青写真ではないか?」と言う。 それでは、そのXデーはいつになるのか? NPBでは7月31日まで新規の契約が可能で、まだ2か月ある。ところが、四国アイランドリーグの前期は5月31日で終了しており、6月にはリーグの選抜チームが北米の独立リーグに遠征する。後期が開幕するのは8月1日だ。 さすがに、藤川も「僕と妻の生まれ故郷の高知で、未来のスーパースターになるチャンスをもった子どもたちに、僕が投げる姿を見てもらって今後の夢につなげてもらいたい!」と発言した以上、1度も公式戦で登板しないまま、高知を退団してNPBに復帰することはしないだろう。そうなると、藤川が目指すのは来季のNPB復帰。今回は決裂したが、状況に変化があれば、阪神も選択肢の一つに入ってくるだろう。 藤川にとっては、無報酬同然の独立リーグ入団だが、今より評価を高められれば、「損して得取れ」になる?※年俸はすべて推定(落合一郎)
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スポーツ 2015年06月02日 16時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈三沢光晴vs小橋健太〉
三沢光晴がリング禍で亡くなったのは2009年6月13日。今年は、その七回忌にあたる。広島で行われたGHCタッグ王座戦、王者の齋藤彰俊&バイソン・スミス組に、潮崎豪と組んで挑んだ試合中のことであった。 死因はバックドロップを受けた衝撃による頸髄離断。技を掛けた齋藤が特に危険な落とし方をしたわけではなく、また三沢も受け身を取り損なった様子はない。つまりは、マットに“正常に”落ちた際の衝撃による不測の事故であった。 原因として第一に言われたのは、長年のレスラー生活におけるダメージの蓄積だ。晩年の三沢は慢性的な首、腰、ヒザ等の痛みに苦しみ、日常生活にも支障を来すほどであったという。 「モノマネの神奈月がよく武藤敬司のヒザの悪さをネタにしていますが、三沢の場合、全身がそんな状態だったと思えばわかりやすいでしょうか」(プロレスライター) NOAHを旗揚げした後には社長業にも時間を割かれたためか、コンディションの悪さは傍目にも歴然で、これも事故原因の一つとなった。 「何しろ一気に太りましたからね。きっとトレーニングの時間もまともに取れなかったのでしょう。社長室で通販のダイエット器具みたいなものを見たこともあります」(同・ライター) それでも三沢は休むことをしなかった。対戦カードに三沢の名前があるとないでは興行の客入りからして違ってくるため、団体運営のためにも出場せざるを得なかったのだ。 やはり、全日本プロレス〜NOAHのために命を削った末の“戦死”であった、と言える。三沢の死に接した関係者やファンからは、全日本時代からの過剰な試合ぶりに対する批判的な声も聞かれた。“相手をアタマから落とす危険な技の連発が肉体を蝕んだ”と。 だが、それも三沢自身の選んだ道である。 天龍源一郎が退団、ジャンボ鶴田も内臓疾患により一線から退く中、エースの座を担う三沢は“鶴龍”を超える闘いを見せる必要があった。当時のジャイアント馬場社長からは“マイクアピールやギミックに頼らない、流血や反則もない、ピンフォール決着を”との要望もあり、そうして行き着いたのが、いわゆる『四天王プロレス』だった。 三沢、川田利明、田上明、小橋建太の4人をはじめとし、次世代の秋山準、外国勢では殺人バックドロップのスティーブ・ウィリアムスらも加わり繰り広げられた、世界中のプロレスシーンにも類を見ない激しい闘い模様−−。試合序盤からハードヒットの打撃と急角度の投げ技を互いに出し合い、カウント2.9の応酬で、終盤にはエプロンサイドから場外床に向けてパワーボムなどを放つこともしばしば。グラウンドの攻防などレスリング要素を欠く内容から「ただのタフマンコンテスト」と批判的に見る向きもあったが、出し惜しみも不完全決着もない好勝負保証付きの試合ぶりはファンからの熱烈な支持を得て、ビッグマッチは常に満員御礼。馬場、鶴田の影を払しょくしたのみならず、三沢は日本プロレス界のエースとして認知されることにもなった。 そんな四天王プロレスの最高峰といえば、馬場も解説席で涙を流した(副音声の実況アナとゲストの川合俊一氏が「馬場さんが泣いています」と叫んだ)1998年10月31日、日本武道館。三冠王者の小橋に三沢が挑戦した一戦が挙げられよう。 三沢自身、川田らとの試合との比較の中で「小橋戦こそ極限の力を見せられる」と語っていた、まさにその言葉通りの究極マッチとなった。 この試合でも序盤に頭から投げ落とすスープレックスを出し合い、中盤過ぎにはもう立っているのもやっとの状態に。そうなってなお、ギロチンドロップを放つ際の前動作にサマーソルトを加えるあたりが、常に華麗さを求めた三沢プロレスの真骨頂だ。 フィニッシュは派手な投げ技ではなく左右エルボーの連打で、43分29秒、精根尽き果ててマットに崩れた小橋を三沢が押さえ込んだ。 この一戦を含め三沢と小橋のシングル対決は、3度にわたりプロレス大賞(東京スポーツ新聞社制定)の年間最高試合賞を受賞している。 後にも先にも比類なき、日本プロレス史に残る文化遺産なのである。
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スポーツ 2015年06月02日 13時00分
交流戦ネット裏スクープ 大荒れ必至! 阪神「創設80周年」株主総会前にチーム大改造
阪神タイガースの親会社である阪急阪神ホールディングスの株主総会が近づき、球団首脳が頭を抱えている。優勝候補と期待されながら交流戦突入までの46試合(5月25日現在)を消化して21勝25敗。首位に7ゲーム差の5位。しかも今年は球団創設80周年の節目のシーズン。続投がかなった和田豊監督には「絶対優勝」の至上命令が出ているだけになおさらだ。 「一番の問題は選手年俸です。昨年、株主が俎上に上げたのは、33億円の年俸総額でした。セでは巨人の45億円に次ぐ2位。資金投入なしのカープ女子旋風で人気が爆発した広島と比べて高過ぎると。そこでこのオフは22億円まで総年俸をそぎ落とした。これを考えれば、クライマックスシリーズ(CS)進出が狙える順位にいるうちはまだいいのですが、今年は予想外のことが起きている。セで総年俸が最も低い15億円の横浜DeNAが首位に立っているからです。結果として球団首脳の手腕が、あらためて問われているのです」(スポーツ紙デスク) 貧すれば鈍す。セの打撃トップ10にトラ戦士は不在。防御率トップ10も藤浪晋太郎だけ。これでは、いずれ観客動員に陰りが出るのは必至。 「昨季2位の阪神はCSで巨人を破り、日本シリーズに出場したものの、公式戦主催試合の観客動員数は約269万人。この10年では最低の入りでした。2007年に就任して株主へ頭を下げることには慣れている南信男球団社長も、これ以上減ったら言い逃れは難しい。株主総会を前に、とにかく株主の皆さん、ファンに夢を抱かせるようなチーム作りに知恵を絞れ、と現場首脳の尻を叩いているのです」(同) とはいえ、主軸の鳥谷、ゴメス、マートンがそろって不調。昨年ブレイクした上本、大和も低迷。ここは一つ、大きなニンジンをぶら下げ巻き返しを図りたいところだが、「人件費はDeNAなみに」の指示もあり、そうもいかない。 そこで株主総会対策用に浮上したのが、米大リーグ、レンジャーズ藤川球児の呼び戻しだ。 藤川は'13年にカブス入りしたものの、同年6月に右肘の靭帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)を受けた。今季は1年契約でレンジャーズ入りしていたが、オープン戦終盤に右脚の張りを訴えて故障者リスト入り。結局、5月18日にメジャーでプレーできる40人枠から除外された。 藤川にはマイナー行きの選択肢もあったが、自ら自由契約を選んだことで日本の球団との交渉が可能になっている。この動きに呼応するように、チームの守護神・呉昇桓が試合前の練習でグラウンドに姿を現さないなど、微妙な動きをしている。これだけでも“藤川復帰”の動きが見てとれる。 何てことはない。要は、株主総会を乗り切るためだけの方策。視線をそらせるための緊急補強のアドバルーンである。 「編成の最高責任者でもある南球団社長の保身パフォーマンス以外の何物でもない。阪神は'09年秋にメジャー帰りの城島を取り、課題だった生え抜き捕手の育成を遅れさせた。さらに西岡、福留を獲得して若手の成長の芽を摘んだ。岩貞祐太、横山雄哉らせっかくのドラ1投手が育ってきているのに、藤川を取って一軍投手枠が一つ減れば若手の出番も減る。話題を作ってメディアをにぎわせ、甲子園の入場者を増やせるとアピールすることに汲々としているのです」(阪神担当記者) “にわかチーム改革”は野手陣にも及ぶ。起爆剤として掛布雅之DC(育成&打撃コーディネーター)を一軍に呼んで打撃コーチの役割を担ってもらうプランが浮上しているのだ。 阪神はこれまで和田監督に遠慮して掛布氏はチームに帯同させず、ファームでの若手指導に特化していた。その垣根を取り払い、ファンの前で堂々と選手指導をさせようというのだ。これは現首脳に反発を続けるマートン対策でもある。 「阪神の平均年俸は3558万円ですが、マートンの年俸は3年連続3割が評価され4億5000万円とケタ違いに高い。にもかかわらず、今季の打率は2割4分台に低迷し、本塁打はゼロ。そこでチーム低迷のスケープゴートにしてベンチに下げる。その分、掛布氏に若手を鍛えてもらい、戦力を底上げしようとしているのです」(阪神OBの野球解説者) 和田監督はこの案件に反発するかと思えたが、不思議なことに大歓迎。バックネット裏では、今秋8年ぶりに“政権奪還”を狙う岡田彰布元監督一派が手ぐすね引いており、和田監督は掛布氏と連合することで政権続投をもくろんでいるのだという。 昨年同様、リーグ優勝を逃してもCSに進出し、トラ旋風を起こせば信頼回復は可能。それ以上に怖いのが“最大関門”となる6月の株主総会。偽装と言われようが掛け声倒れと言われようが、これから1カ月、阪神のチーム改革が球界を大いに騒がせる。
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スポーツ 2015年06月02日 12時00分
【記憶に残るプロ野球選手】第7回・“幸運”を引き寄せる魔力を持った宮本和知
失礼ながら、現役時代はさほど、たいしたことはなかったのに、なぜかやたら印象に残っているのが、元巨人投手の宮本和知だ。いったい、何がそうさせたのか? 宮本は学生時代、決して注目されていた選手ではなかった。投手に転向したのは高校2年の時。山口県立下関工業高等学校を卒業後、社会人野球の川崎製鉄水島製鉄所へ入社し、投手として頭角を現した。84年にロサンゼルス五輪で野球が公開競技として初開催されると、宮本は日本代表として出場し、金メダル獲得に貢献した。 五輪での活躍がスカウト陣の目に留まり、同年秋のドラフト会議で3位指名され、巨人に入団した。当初は主に中継ぎでの登板が多かったが、藤田元司氏が新監督に就任した89年から、先発での起用が多くなった。同年はわずか5勝しか挙げていないが、リーグ優勝時、日本シリーズ制覇時に胴上げ投手となっている。これに代表されるように、宮本はとにかく“幸運”を引き寄せる魔力を持った選手だったのだ。 胴上げ投手になった自信からか、翌90年には大きく飛躍。28試合に登板し、190回1/3を投げ、初めて規定投球回に到達。14勝(6敗)をマークし、チームのリーグ優勝に貢献。同年もリーグ優勝時の胴上げ投手になる幸運に恵まれた。ただ、14勝して、7割という高い勝率の割に、防御率は3.69と決して良くはなかった。これは、宮本が投げた試合では、打線が援護してくれた何よりの証拠。「宮本が投げるんだから、打ってやろう」という雰囲気が野手陣にあったようだ。それも宮本の人望がなせるワザだったのかもしれない。 91年も10勝(11敗)をマークして、2年連続2ケタ勝利を記録。しかし、92年は9勝(9敗)に終わり、年々成績は下降していった。頸椎を痛めたこともあり、97年は4勝(4敗)どまりで、同年シーズン限りで現役引退した。残した通算成績は287試合に登板し、66勝62敗4セーブ、防御率3.60。100勝にも遠く及ばず、9年間、ローテーション投手としてプレーした割には、正直たいした成績は残していない。にもかかわらず、鮮烈な印象を残した宮本。それは、やはり何度も胴上げ投手になったインパクトが強く、5度のリーグ優勝、2度の日本シリーズ制覇に貢献し、明るいキャラクターでファンに愛されたからであろう。 引退後の宮本はタレントに転向して開花した。元プロ野球選手となると、そのプライドが邪魔をして、うまくいかないケースも多いが、宮本はしっかり、そのポジションを確保している。現在、タレント活動をしている元プロ野球選手の中では、いちばん売れているのが宮本といってもいいだろう。所属事務所は業界大手のホリプロで、巨人OBの顔を生かして、日本テレビ系CS放送・ジータスで中継解説や試合前の「プレゲームショー」、試合後の「ポストゲームショー」など、巨人関連番組を数多く担当。ニッポン放送でも、「ショーアップナイター」の解説者を務めている。それ以外にも、「ズームイン!!サタデー」(日テレ)、日テレのバラエティ番組「妻にはショナイで!」にもレギュラー出演している。 また、「ぶらり途中下車の旅」(日テレ)では旅人として街を歩き、読売テレビ制作の「情報ライブ ミヤネ屋」では準レギュラーでコメンテーターを務めている。出演番組のほとんどが、日テレ、読売テレビ系で、“巨人ブランド”を存分に生かしてはいる。だが、それだけではなく、野球関連のみならず、コメンテーター、旅人などを器用にこなしている。その振り幅の広さ、しゃべりのうまさがあるからこそ、野球以外の仕事も入っているのだ。明るいキャラクターも、その人気の源となっている。 現役時代はスター選手ではなかったにもかかわらず、引退後のタレント活動が成功したのも、その人柄によるところも大きい。巨人時代、リーダーシップに秀で、投手会長、選手会長を務めた。性格も明るく人望もあるからこそ、オファーもあるのだろう。元プロ野球選手としてのプライドを引きずっていない点もプラスに作用したようだ。 引退して、もう18年が経ち、すっかり、タレントとして定着した宮本。愛すべきキャラクターだけに、第2の人生を頑張ってほしいものだ。(ミカエル・コバタ=毎週火曜日に掲載)
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スポーツ 2015年06月01日 16時30分
オールスター・ファン投票で異変! 監督業にほぼ専任の中日・谷繁が捕手部門1位に
プロ野球オールスター戦のファン投票で異変が起きた。今季は監督業にほぼ専任している中日ドラゴンズ・谷繁元信兼任捕手(44)が、捕手部門でトップに立ったのだ。 5月29日、NPB(日本野球機構)は「マツダオールスターゲーム2015(第1戦=7月17日・東京ドーム、第2戦=同18日・マツダスタジアム広島)」ファン投票の中間発表をした。 同25日に、第1回中間発表がされたが、セ・リーグでは全11枠中、9枠が前回と同じ顔触れとなった。首位を走るDeNAベイスターズからは、田中健二朗(中継ぎ投手)、山崎康晃(抑え投手)、アーロム・バルディリス(三塁手)、筒香嘉智(外野手1位)、梶谷隆幸(外野手2位)の5人。広島東洋カープ勢は、黒田博樹(先発投手)、新井貴浩(一塁手)、菊池涼介(二塁手)の3人が1位。他の球団では、阪神タイガースの鳥谷敬(遊撃手)がトップを守り、外野手部門で丸佳浩(広島)を抜いて、中日・平田良介が3位に食い込み、圏内の3枠目に入った。 捕手部門では、会沢翼(広島)をかわして、谷繁が3万169票を得て、トップに立った。野村克也がもつ出場試合最多記録(3017試合)まで、あと10試合に迫った谷繁だが、今季は若手捕手に任せることが多く、ここまでわずか16試合の出場で、27打席しか立っていない。成績だけを見ると、とてもオールスター戦に出場するようなものではない。 その谷繁は同28日のソフトバンク戦で腰を痛め、皮肉にも、ファン投票中間発表がされた同29日に、出場選手登録を抹消された。これは、監督兼任となった昨季以来、初めての事態。ケガは重症ではないようだが、監督として指揮を執らなければならず、治療に専念できないのが実状で、再登録までは少々時間がかかるかもしれない。 当の中日は25勝29敗の借金4で4位に低迷。最下位・広島には0.5ゲーム差に迫られており、いつ最下位に転落してもおかしくない状況。そんななか、中日ファンの「勝つために谷繁にもっと試合に出てほしい。“選手”谷繁を見たい!」との切なる思いが、この投票行動につながったようだ。 ただ、2位の会沢(2万9417票)とは、わずか752票差。その他に、3位の阿部慎之助(巨人)らも控えており、いつ逆転されてもおかしくない状況だが、もし谷繁が最終的にファン投票のトップに立つようなことがあれば、出場試合日本記録達成のご祝儀と解釈すべきか? なお、ファン投票は6月20日で締め切られ、最終結果は同26日に発表される。※記録はすべて5月31日現在(落合一郎)写真:横浜DeNAベイスターズ、梶谷隆幸
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スポーツ 2015年06月01日 13時00分
大谷翔平は球宴負担も二人分 打者と投手で2試合フル出場か?
プロ野球オールスター戦のファン投票が始まった。そのピーアールを兼ねたイベントに、セ・リーグとパ・リーグそれぞれの指揮を執る巨人の原辰徳監督(56)とソフトバンクの工藤公康監督(52)が登場し、ペナントレースの行方を決めかねない爆弾発言が飛び出した。 「セパの代表監督はペナントレースのライバル球団の主力選手を預かります。意図的に特定球団の選手を潰すようなことはしないが、結果的に球宴明けのペナントレースに影響を与えることもないとは言い切れない」(ベテラン記者) 1998年に、その年の前半戦を牽引した巨人の趙成は、球宴で自ら降板を申し出たが、受け入れられなかった。その後に趙成は、右肘の故障の原因は球宴にあったと話している。あくまでも趙成サイドの一方的な証言ではあるが、主力選手を預ける側の指揮官の本音は「怪我だけではしてくれるな」だろう。 今夏の球宴で懸念されるのは、日本ハムの大谷翔平(20)の起用法だ。工藤監督は投手としての大谷の活躍と、打者としての大谷の人気を踏まえて次のように語っていた。 「投げないときは守って打ってもらう」 二刀流での起用法である。隣にいた原監督も「2試合投げてもらう手もあるよ」と、大谷のフル回転を支持した。 今年の球宴は全2試合の開催。投手の大谷が先になるか、打者の大谷から披露されるのかは日本ハムのローテーションを見てからの判断になるが、球宴で他の選手の2倍の出場をしてから後半戦に臨むことになる。 「今季の序盤、大谷は先発登板して何試合か続けて足をつることがありました。投手と打者は使う筋肉が違う。二刀流の是非とは別に、大谷が疲れているのは間違いありません」(スポーツ紙記者) プロ野球選手である以上、ファンを楽しませなければならない。また、球宴全試合がテレビ中継をされなかった年もある。NPBはその失敗を繰り返してはならないと、近年は懸命な営業活動を続けている。大谷が確実に2試合とも出るとなれば、テレビ局側も前向きに捉えるはずだ。原、工藤両監督のコメントはそういった側面も念頭に入れてのリップサービスでもあり、コーチとしてベンチ入りする保護者役の栗山英樹監督(54)も強く反対することはできないだろう。 大谷が趙成の二の舞にならなければいいのだが…。
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スポーツ 2015年05月31日 13時00分
交流戦ネット裏スクープ 甲子園のヒーロー 松坂大輔と斎藤祐樹が直面する「引退」(2)
自己流の落とし穴にはまったのは斎藤佑樹も同じだ。斎藤は現在、二軍で“クローザーの適性テスト”を受けている。5月4日にプロ初セーブを挙げたが、「ボールが野手の正面に飛び、救われたようなもの」というのが本当の評価だった。 「栗山英樹監督は、何も抑え投手として斎藤を蘇生しようとは思っていません。クローザー起用の目的は、斎藤に必死さを植え付けるためです」(担当記者) しかし、このクローザー試験に合格しなければ、斎藤は“厳しいオフ”を迎えることになるだろう。 「斎藤をリリーフに転向させる案は、前季オフに栗山監督が実際に口にしていたことなんです。捕手だった近藤健介を三塁手で使ったシーズン後でもあったので、本気かなと思いましたが、クローザーの適性を語っていたのではなく、本当は先発で通用しないから、斎藤を生かす方法としてリリーフに転向させようと考えていたようです」(日ハムOBのプロ野球解説者) 斎藤は今季、開幕ローテーション入りを果たしたが、連続KOを食らって二軍落ち。初セーブ後の成績は以下の通りだ。【5月10日対DeNA、1回失点0、対戦打者数5、被安打1、与四球1、2セーブ目】【5月16日対ヤクルト、1回失点2、対戦打者数6、被安打3、与四球0】【5月20日対西武、1回失点2、対戦打者数5、被安打1、与四球1】 「ストレートが速いわけではないし、ウイニングショットになる変化球もないから、苦しいピッチングしかできないんです」(前出の担当記者) 斎藤の二軍登板を観戦したスポーツライター・飯山満氏はこう言う。 「常に走者を背負い、薄氷の登板でした。ゲームセットの瞬間まで気が抜けないので、むしろ、斎藤が投げて試合は面白くなった。そういう意味では、さすがエンターテイナー」 ファイターズの二軍にはクローザー候補が他にもいる。プロ2年目の白村明弘と6年目の大塚豊だ。ともにチャンスは限られているが、防御率は2点台。対して斎藤は7.16。クローザーとして4試合を投げ、計4失点だから、先発で投げていたときよりも防御率は悪くなった。 「大卒5年目の投手が二軍でモタモタしているようではヤバイ。これまで斎藤が救われてきた最大の要因は人気です。日ハムは各先発投手の観客動員数やマスコミ露出度も査定に加えますが、斎藤は入団以来、営業面での貢献度が大きかった。でも、その役目も大谷翔平の活躍によって終わりました」(ベテラン記者) 前出の飯山氏が皮肉ったように“薄氷のリリーバー”に徹すれば、営業的な貢献度は回復できるかもしれないが…。 「松坂にしても斎藤にしても、プライドが捨てられないのか、自分から教えを請うような姿が見られない。2人とも性格的には好人物だが、特に斎藤はエリート街道を歩んできたせいか、這い上がるすべを知らない。松坂は自分を過信しすぎです」(同) 我流の代償は自己責任。引き際も自分で決めるしかない。
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