スポーツ
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スポーツ 2015年05月16日 14時00分
次の侍ジャパンはスカウト大集合の見本市 大学代表VS二軍選抜で力量テスト
6月29日に侍ジャパンがNPB選抜チームと試合を行うことが発表された。しかし、今回、『侍ジャパン』のユニフォームを着るのはプロ側ではない。大学生の選抜チームだ。 今回招集されるのは『夏季ユニバーシアード光州大会』(7月3日〜)に出場する大学生選抜チームの選手たち。ユニバーシアード代表の壮行試合が目的だ。NPBはイースタンリーグ(二軍)の選手を中心に選出する予定だという。 在京球団スカウトがこう言う。 「今年は大学生の当たり年。即戦力投手が多いだけではなく、レベルの高い野手も少なくない。ドラフト1位候補が一堂に集まり、かつ二軍選手と試合をするとなれば、彼らの真の実力をチェックすることが出来る。12球団が複数態勢でスカウトを派遣するでしょう」 投手では、駒大の今永昇太、明大の上原健太、早大の吉永健太朗、富士大の多和田真三郎、仙台大の熊原健人といった選手がプロから注目を集めている。野手も、明大の高山俊、慶大の谷田成吾、青学大の吉田正尚らがドラフト候補として挙げられている。当然、彼らが年齢もさほど変わらない二軍選手たちと実戦に臨むとなれば、スカウトにとってこれ以上ない視察の場となる。もっとも、試合を主催する日本野球機構(NPB)はプロアマ交流の一環であって、ユニバーシアード大会に挑む大学生たちへのエールだと強調している。 「今年のドラフトの特徴をもう一つ挙げるならば、東京六大学といった有名な強豪リーグだけではなく、地方リーグにも1位候補の投手がいることです。そこへ春のセンバツ甲子園でも活躍した高橋純平(県岐阜商)などの高校生投手も加わる。この侍ジャパンの試合で、各球団は本命を抽選で外したあとの、外れ1位候補の力量も確認することができる」(前出スカウト) NPBは“純粋”にエールを送るつもりなのかもしれないが、各球団スカウトが控えるネット裏は謀略で満ち溢れる一戦となりそうだ。 また、侍ジャパンの事業会社であるNPBエンタープライズを指して、こんな指摘も聞かれた。 「当然、侍ジャパンは興行に危機意識を持っています。3月の対欧州代表戦では集客に苦しみ、今後の興行も危ぶまれました。春と秋の年2回興行を続けていくにあたって、ドラフト候補たちとの試合は、プロ野球ファンの興味を惹くのではないか、と期待する向きもないわけではない」(ベテラン記者) 今回の壮行試合だが、過去にも例となるような試合があった。2009年11月に、26歳以下のNPB選手と、大学日本代表チームが試合を行っている。当時は、早大の3年生だった斎藤佑樹がプロ相手に投げ、翌年秋のドラフト会議までこの試合は話題となった。こうしたドラフト候補生たちとの試合は、プロ野球のニュースを盛り上げるきっかけ作りにもなるかもしれない。 「国際試合で盛り上がるのがベストとはいえ、NPBは海外代表チームの招致に苦しんでいます。海外チームは遊び半分の来日になることが多く、真剣勝負にはならない」(球界関係者) ドラフト候補との試合であれば、渡航費などの経費も掛からない。ドラフト候補との試合に期待するのは間違っていないが、商売っ気が過ぎると、侍ジャパンという日本代表が安く軽くなってしまうのではないか。
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スポーツ 2015年05月15日 16時00分
松坂大輔復帰のメド立たず 状態はキャンプ前の自主トレ以下
福岡ソフトバンクホークスの松坂大輔(34)が投球練習を再開した。オープン戦終盤に右肩の違和感を訴え、その後はリハビリの専門医の指導の下、二軍選手とも別行動を続けていたが、二軍施設の西戸崎練習場で2日連続のブルペン入りを果たした。 変化球も織り交ぜて投球練習を行ったため、早期復帰を期待する声も聞かれたが、これに対して投手陣を統括する佐藤義則コーチ(60)が衝撃的な発言をした。 「(故障離脱する)前といっしょだったら、苦しい…」 要するに、このままでは通用しないというわけだ。 佐藤コーチは千葉ロッテとの試合前(5月6日)、報道陣から松坂のブルペン入りについて質問され、球団スタッフが撮影するビデオで投球フォームをチェックしている旨を明かした後で次のようにも答えた。 「ファームで長い期間の調整が必要になると思う。しっかり修正してほしい」 その後、右肘が上がらず、踏み出す側の左足の膝を外側に折れる悪癖が全く直っていないとも話していたそうで、事実上の戦力外通告になりかねない内容だった。 「松坂自身もまだ修正段階であることは明かしていました。リハビリのためとはいえ、チームを離れたことで“自己流の調整”がさらに色濃くなり、的確なアドバイスをできる人が周りにいなくなってしまった」(球界関係者) さらに、ブルペン入りをしたといっても、松坂はまだ捕手を座らせていない。今後は、マウンドと同じ傾斜での投球、さらには実戦に必要なスタミナを養うため、100球以上の投球を重ねていかなければならない。松坂の現状を冷静に考えれば、2月のキャンプイン前に行う自主トレレベルの体の状態でしかないのだ。 「いまのソフトバンク投手陣を見渡すと、松坂が割って入る余地はありません。自主トレからここまで、全て自己流で調整したので、復活できなければその責任は全て自分ということに…」(同) 佐藤コーチがダメ出しした同日、工藤公康監督(52)は「(今後は)調子が落ちることもあるので、先のことまでは計画は立てられない。余裕を見てあげた方が…」と語ったが、その口ぶりからして戦力として見ていないことは明らか。ソフトバンクは優勝を争っている。一戦も無駄にできない以上、温情で松坂をなげさせるわけにはいかない。 「松坂にもプライドがある。キャンプ序盤から少年野球のように、衆目の前で手取り足取りの指導をされれば、悔しいと思うはず。そのへんが自己流調整を加速させたのではないか」(スポーツ紙記者) 佐藤コーチは「松坂の考えも大事にしてあげたいが、いまのフォームをどうにかしないと…」とも語っていた。松坂が投球フォームを崩したのはレッドソックス時代にさかのぼる。その後も移籍先の米球団で投球フォームの指導をされてきたが、悪癖は完全に体に染みついており、佐藤コーチも手を焼いているようだ。 4年16億円とも言われる契約だが、はたしてこれからどのくらいの価値を見出すことができるだろうか。
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スポーツ 2015年05月14日 15時30分
集客に苦しむ侍ジャパンの未来像
侍ジャパンの存在価値も考えるべきではないだろうか。 来る6月29日、侍ジャパンがNPB選抜チームと試合を行うことになった(神宮球場)。しかし、『侍ジャパンのユニフォーム』を着るのは、大学生の選抜チームの方だ。『夏季ユニバーシアード光州大会』(7月3日〜)に出場する大学生選抜チームの“壮行試合”であり、NPBの選手は主に二軍・イースタンリーグから選出される予定だという。 この壮行試合の決定を喜んだのは、12球団のスカウトマンたちかもしれない。今秋のドラフト会議は「大学生の当たり年」とされており、投手だけではなく、高評価を受けている野手も多い。スカウトの側にすれば、対プロの一戦はドラフト候補の力量を測る絶好の機会となる。 そこで思い出されるのが、2009年11月の『セ、パ誕生60周年記念イベント』だ。U-26NPB選抜選手対大学日本代表の一戦が行われ、大盛況に終わっている。観客も4万人強を集めたが、同試合で登板した斎藤佑樹、澤村拓一らを箔付けさせる一戦ともなった(翌2010年ドラフト会議指名)。 大学生は即戦力の宝庫だが、ネームバリューでは今春センバツで好投した高橋純平(県岐阜商)のほうが上だ。駒大・今永昇太投手、明大・上原健太投手、富士大・多和田真三郎投手、明大・高山俊外野手、慶大・谷田成吾外野手などの上位指名候補が同試合で活躍すれば、今秋ドラフト会議から来春のキャンプ、オープン戦まで、プロ野球への関心は高まるはずだ。 『代表チーム・侍ジャパン』はどうあるべきなのだろうか。 前述のユニバーシアード大会は大学生によって『侍ジャパン』が編成される。WBCや今年11月開催の世界大会・プレミア12は、プロ野球選手が招集される。サッカーのように年代別の代表チームがあってもおかしくないのだが、プロ野球選手対象の侍ジャパンに関しては、選手編成を根底から見直すべきである。前回WBCは“MLBの都合”もあって、日本人メジャーリーガーは一人も招集できなかった。また、小久保裕紀・代表監督は次回WBCを見越し、若手中心のチームを編成している。 今年3月の対欧州代表戦も「開幕直前」のため、全球団ともエース級の投手を出し惜しみした。 侍ジャパンを事業会社であるNPBエンタープライズは「毎年、春秋2回の国際試合を行っていく」とも語っていたが、集客率の低さが課題となっている。特に、欧州代表チームとの興行では相当苦戦させられた。某関係者は「アメリカ、キューバといった強豪チームを招聘すれば」とも話していたが、もっと手っ取り早い集客アップ策がある。ベストメンバーを揃えることだ。ベストメンバーの侍ジャパンが結集されれば、対戦チームがどこであろうと、ファンは「絶対に観たい」と思うはずだが…。
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スポーツ 2015年05月13日 16時00分
USA発 新聞、テレビではわからないMLB「侍メジャーリーガーの逆襲」 大谷翔平に大リーグのスカウト20人が張り付く理由
日本ハムの大谷翔平が投手・打者として出場する試合には、いつも大リーグ球団のスカウトが15〜20人来て、スタンドで熱心にデータを取っている。大谷はまだ20歳。同じ日ハムに在籍していたダルビッシュがポスティングでメジャーに挑戦したのは25歳のときなので、まだ5年ある。今から大勢が張り付かなくてもよさそうなものだ。 大リーグ球団のスカウトが本気モードで張り付いているのにはわけがある。 彼らの多くは、早ければ3年後には日本ハムがポスティングにかける可能性がある…と見ているからだ。 「花巻東の3年生のとき、大谷はメジャー行きを希望してメジャー数球団のスカウトとも面談している。それを日ハムが強行指名して『将来メジャーに行くためにも、まずうちに来てやらないか』と説得し入団させた経緯がある。難航が予想されたわりに、すんなり入団したので、5年くらい在籍すればメジャーに行かせるという約束があったとしても不思議じゃない」(大リーグ球団の駐日スカウト) 大谷に対するメジャー球団の評価はどの程度なのだろうか? 「去年までは、素質は凄いけど、メジャーですぐに通用するレベルではなかった。162キロが出たって日本では大騒ぎしていたけど、3Aには160キロを投げる若いのがゴロゴロいるから、それで評価が跳ね上がるようなことはなかった。でも今は違う。彼は今季、ハイ・ファストボール(高目の速球)とスプリッター(フォーク)を高低に投げ分けてハイペースで三振を取れるようになった。このパターンは大リーグには一番有効だから、評価額が昨年の6千万ドル(72億円)くらいから、一気に1億ドル(120億円)くらいになった感がある」(同スカウト) 読者の中には1億ドルと聞いて、田中将大より5500万ドル(66億円)少ないと思われる方がいるかもしれないが、大谷はまだ完成度は7割程度で、まだ制球のバラツキが大きく、立ち上がりも不安定だ。それを考えれば、最上級の評価だと言っていい。 大谷はメジャーのどの球団に迎えられる可能性が高いのだろう。 本人の希望はメジャーでも「二刀流」でやることだが、今のように先発投手とDHを兼任するのはメジャーでは不可能だ。 大谷のパワーレベルではメジャーのDHはとても務まらないからだ。日本のレベルでは大谷のパワーは「上」レベルだが、メジャーのレベルでは「中の下」レベルだ。メジャーでDHをやるのはヤンキースのアレックス・ロドリゲスやレッドソックスのデービッド・オーティズに代表される守備力は落ちたが、パワーと勝負強さは依然トップレベルで30本100打点を期待できる打者だ。 昨季大谷は打者として87試合に出場し、打率2割7分4厘、本塁打10、打点31という数字を出しているが、これをメジャーに置き換えると、投手の球威や球場の広さが違うので、打率2割2分か3分、本塁打2〜3本、15打点くらいの数字しか出せなかったと思われる。だから「DH兼任」はあり得ないのだ。 打者へのこだわりを満足させる形で移籍を考えるなら、いちばん現実的なのは指名打者制のないナ・リーグのチームに行くことだ。 ナ・リーグの先発投手は年間、打席に立つ機会が80回くらいある。バッティングが自慢の投手も結構いて、そうした投手は日頃から打撃練習もしている。こうした「強打の投手」は代打で使われることも珍しくないので、大谷もそのタイプの投手になればいい。 メジャーにはポジションごとにその年のベストヒッターを選んで表彰する『シルバースラッガー賞』があり投手部門もある。日本人投手は候補になったことすらないので、大谷に、その第一号の期待がかかるが「6番打者レベル」の打力が必要なので、そう簡単にはいかないだろう。 最後にメジャーに行く場合、どの球団が有力か考えてみたい。 条件は三つある。(1)ナ・リーグのチームであること(2)1億ドル規模の契約を交わせる資金力があること(3)日本人が住みたがる西海岸の都市か、東海岸の大都市のチームであること この三つの条件に当てはまるのはロサンジェルス・ドジャースとサンフランシスコ・ジャイアンツだ。ドジャースは資金力がメジャーでダントツの1位。大谷が高校3年生のとき、もっとも熱心に獲得に動いた球団でもあるので、大本命はドジャースだろう。 そして2番手がジャイアンツ。大穴はパドレスだ。 ヤンキース、レッドソックスは投手が打席に立たないア・リーグのチームなので、今のところは圏外にあるように見える。スポーツジャーナリスト・友成那智ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は各媒体に大リーグ関連の記事を寄稿。'04年から毎年執筆している「完全メジャーリーグ選手名鑑」(廣済堂出版)は日本人大リーガーにも愛読者が多い。
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スポーツ 2015年05月13日 15時30分
記録ラッシュの谷繁兼任監督に囁かれるアノ噂の真相
記録達成後、監督業に専念というのが、周囲の一致した見方だった。 中日・谷繁元信兼任監督(44)が4月30日の巨人戦で『史上2人目』となる通算3000試合出場を達成した。しかし、このメモリアル・ゲームが、選手・谷繁の今季初めてのスタメン出場を果たした一戦であった。試合後、谷繁兼任監督は自身の初スタメンについて、こう語っている。 「若い捕手も出てきていますが、少しずつ経験を積み重ねている中で、少し間を置いてあげた方がいいと思った。9連戦中に自分がアタマ(先発)からいけるように、準備はしていた」 交流戦前のハードな日程を見越しての戦略だったと、記者団に説明した。谷繁兼任監督もこの“質問の真意”は分かっていたはずだ。『記録達成=監督業専念』となるのか否か、それを確かめたかったのである。 選手・谷繁はすでに2000本安打も達成している。3000試合出場の先にあるのは、野村克也氏が持つ日本記録・3017試合だ。順調に行けば、交流戦の最中に新記録が達成されるのではないだろうか。 また、今季2度目のスタメン出場となった5月4日(阪神戦)、谷繁は自身の持つ記録を『27年連続安打、同本塁打』に更新。この日、4打数4安打と大当たりだったが、3本目のヒットを打った時点で、44歳4カ月での猛打賞はセ・リーグ最年長記録となり、『1試合4安打』は落合博満GMの持つプロ野球最年長記録を上回った。さらに通算安打数も古田敦也氏を抜いた。この“記録ラッシュ”について聞かれると、 「これで(記録を)気にせず、出来ます」 と笑っていた。 記者団に『監督業専念』の真意を聞かれる前に先手を打ち、そう答えたのだろう。 谷繁兼任監督の現役生活は、落合GMの出方次第と見る向きもある。落合氏のGM就任が決まった直後の13−14年オフ、「講演会で谷繁兼任監督の記録達成後の現役引退をほのめかした」との一報もあった。記録達成とは、野村氏の持つ出場試合数の日本記録を指していたそうだが、真相は分からない。谷繁兼任監督も自身の去就については落合GMに相談するはずだが、こんな声も聞かれた。 「中日は40代のベテランが多い。彼らが活躍すると(スポーツ新聞などで)大きく報じられます。経営サイドがベテランに長く現役を続けさせようとする向きもある」(関係者) 今季、50歳を迎える山本昌もいる。50歳の現役投手はNPB初。その偉業は米メディアでも取り上げられ、50歳で勝ち星を挙げれば、「世界記録」となる。ほかにも、今季40歳以上を迎える選手は、川上憲伸(40)、岩瀬仁紀(41)、小笠原道大(42)、和田一浩(43)がいる。レジェンドなる言葉が浸透して久しい。彼らの努力、体調管理には頭が下がるが、昨季、主催ゲーム最終戦で観客動員数をなんとか200万人の大台に乗せた事情も考えると、レジェンドの奮闘はファンアピールにもなる。 「数値だけ見れば、谷繁の盗塁阻止率は落ちています。だが、バント処理などの機敏なフットワークはとても44歳とは思えない」(プロ野球解説者) 谷繁兼任監督から『兼任』の二文字が消えるのは、もっと先の話ではないだろうか。
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スポーツ 2015年05月13日 12時00分
【甦るリング】第7回・正真正銘の“練習の虫”小橋建太
どんなスポーツでも、練習は自身を高めるために必要なこと。しかし、アスリートとて人間だ。練習が好きな選手もいれば、嫌いな選手もいる。そんな中、小橋建太は“練習の虫”として有名だったが、それはもう、偽りなく正真正銘のトレーニング好きだ。 プロレスリング・ノアに所属していた当時のとある日、東京・ディファ有明内にあるノア道場にて、マスコミ向けの小橋の公開練習が行われた。小橋が、その練習をマスコミに公開するのは、その頃では異例のことだった。その日、私は小橋の行動に絶句したのであった! プロレスに限らず、多くのプロ格闘技では、その興行のプロモーションのため、頻繁に公開練習を行う。それが記事になることで、興行のPRとなるからだ。ただ、あくまでも、マスコミ向けの場合は、絵作りや選手のコメントがメーンで、実は濃密な練習をするわけではない。それが、業界の常識でもあり、プロレス界の場合は特に顕著だ。 ところが、その常識を見事に覆した男が、何を隠そう小橋なのだ。ぶっちゃけ、マスコミ的には練習はそこそこに、各媒体で掲載する写真撮影用の絵作り、そして試合に向けてのコメントをしてくれればいいのだが、小橋だけはそれを許してはくれなかった。 「取材向けの練習はしない。ちゃんと練習を見せるのが公開練習なんだから」と言った小橋は、マスコミの前でビッチリと練習した。報道陣も心の中では、「絵作りしてくれればいいのに…」と思いながらも、相手は天下の小橋建太だ。誰も文句を言える者などいない(笑)。その真意は「俺は絵作りのための練習など絶対にしない。ふだんの練習をそのまま見せるのが公開練習」といった小橋なりのプライドだったのだろう。これこそ、“練習の虫”たる小橋らしいエピソードだ。 小橋を語る上で、トレーニングについては切り離すことができないものだ。1967年3月27日生まれ、京都府福知山市出身の小橋は、高校卒業後、一般企業に就職するも、プロレスへの夢が断ちがたく、体を鍛えていた。サラリーマンを約2年で辞めた小橋は、87年6月にジャイアント馬場率いる全日本プロレスに入門する。 全日本の場合、ジャンボ鶴田、三沢光晴、川田利明、秋山準らがアマレス、天龍源一郎、田上明らが大相撲の元関取といった具合で、トップ戦線に浮上した選手はほとんどがプロレス入り前に、格闘技で名を馳せた猛者だった。そんななか、唯一、格闘技で特段実績がなかったにもかかわらず、小橋がエース格までに登り詰めることができたのは、人一倍練習に明け暮れたからにほかならない。小橋は師である馬場の教えに習い、全日本時代、欠場することを良しとしなかった。ただその代償は大きかった。ヒザのじん帯は切れたまま、ガッチリ、テーピングして試合を続けたため、まさに満身創痍の体となった。 2000年6月に全日本を退団し、ノアへの移籍を発表した後、ヒザの手術をしたが、ノア時代は全日本での無理がたたって故障が相次ぎ、ヒザやヒジなどの手術を何度も受けざるを得なかった。06年6月には右腎臓にがんが見つかり、同年7月に摘出手術を受けた。正直、がんの手術を受けた小橋が、復帰できるとは多くの者が予想しなかっただろう。しかし、“鉄人”小橋はがんをも克服し、手術から1年5カ月後の07年12月、奇跡の復活を果たした。それは不屈の闘志、そして節制の賜物以外の何物でもない。だが、度重なるケガで欠場も多くなり、納得いくファイトができないと判断した小橋は、12年12月に引退を表明。13年5月11日、日本武道館で引退興行を開催し、26年に及ぶ現役生活にピリオドを打った。 極端な話、“客寄せパンダ”よろしく、負担を軽くして、前座戦線でファイトすることを選択すれば、まだまだ現役は続けられただろう。しかし、あくまでもトップレスラーとして、全力ファイトできなければ、リングを下りるというのが小橋の哲学だったに違いない。流した汗は、積み重ねた練習はウソをつかない。これまでも、この先も、小橋ほどトレーニングに励んだプロレスラーはおそらく二度と現れないであろう。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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スポーツ 2015年05月12日 12時00分
【記憶に残るプロ野球選手】第4回・ブッ飛んだ言動! “超天然”な新庄剛志
記録より記憶に残るプロ野球選手といえば、1990年代、2000年代に日米を股に掛けてプレーした新庄剛志(43=阪神→メッツ→ジャイアンツ→メッツ→日本ハム)も、決して忘れられない存在だ。そんなに秀でてイケメンというわけではないが、男として抜群のプロポーション、プロ野球選手としては異例な派手なファッションで女性ファンのハートをつかんだ。さらには、天然ぶりを大いに発揮した数々の言動は常に注目の的となった。その上で、選手としても並みのプレーヤーではなかったわけだから、鮮烈に記憶に残る選手だ。 新庄は長崎県の離島・対馬で生まれ、福岡県福岡市で育つ。「プロ野球選手になってほしい」との父親の強い要望で、野球を始めた。西日本短期大学附属高等学校時代、3年生の夏の福岡県予選で決勝まで進むが、福岡大大濠に敗れ、惜しくも甲子園出場を逃した。しかし、その足の速さと肩の強さは各球団のスカウトの間で定評があり、89年のドラフト会議で阪神から5位指名を受ける。もともと巨人ファンだったという新庄は指名順の低さもあり、プロ入りを迷っていたが、父親から「行けなかった甲子園でプレーできるだろう」との進言を受け、阪神入りを決意した。 プロ入り後、当初は外野手だったが遊撃手に転向。2年目(91年)の9月に1軍初昇格を果たす。92年5月、三塁手のトーマス・オマリー(現阪神コーチ)の故障をきっかけに、“代役三塁手”としてチャンスをつかむ。オマリー復帰後も、その活躍が認められて、ポジションは遊撃手を経て、本来の中堅手に戻り、スタメン起用が続いた。この年、新庄は95試合に出場し、規定打席には達しなかったが、打率.278をマーク。高卒3年目ながら、2ケタ本塁打(11本)を放ち、レギュラーへの大きな足掛かりをつかんだ。 93年にはレギュラーに定着。初めて4番を打つなど、102試合に出場し、規定打席にも到達。打率.257ながら、23本塁打を放ち、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を初受賞し、阪神のスタープレーヤーの仲間入りを果たす。その後、順調な野球生活を送るも、ピンチが訪れたのが95年のこと。同年7月、新庄を買っていた中村勝広監督が休養となり、藤田平が代理監督を務めることになったのだが、新庄の成績は下降。故障の影響もあって、わずか87試合の出場に終わり、打率.225、本塁打7本と最悪な成績に終わった。 同年オフの11月、契約更改交渉後の会見で、新庄は「野球センスがないからやめます」と突然の引退宣言。2日後には発言を撤回し、契約を更改したが、まだ23歳のバリバリのプレーヤーの引退発言は大騒動となったのだ。これが、新庄のぶっ飛んだ発言の始まりともいえる。後に明らかになったところによると、引退すると言い出したのは、藤田代行監督との確執が最大の原因とされる。撤回したのは実家から「父親の病気が悪化している」と伝えられ、「ユニフォームを着ている姿を見せるのが、オヤジへのいちばんの薬だと思った」として翻意した。しかし、当時父親が病気であったのは確かだが、新庄に引退を思いとどまらせるため、実際の病状より深刻に伝えたようだ。 その藤田監督代行は96年に監督に昇格したが、成績不振のため、途中休養となった。この年、新庄は113試合に出場し、打率.238ながら、19本塁打をマークした。97年に吉田義男が新監督に就任すると、新庄は初の全試合(136試合)出場を達成。打率は.232と、この年も低かったが、4年ぶり2度目の20本塁打をマークした。98年オフには、野村克也新監督が誕生。新庄の肩の強さに目を付けた野村監督は、投手との二刀流を発案。練習を積んだ新庄は99年のオープン戦で、投手として登板もしたが、左ヒザを故障し、二刀流は断念。公式戦でマウンドに上がることはなかった。同年6月12日、甲子園での巨人戦では、同点の場面の12回裏一死一、三塁で、投手・槙原寛巳が敬遠しようとしたが、新庄は敬遠球を打ってサヨナラヒットとなり、これも“新庄伝説”のひとつとなっている。 00年には131試合に出場し、打率.278、28本塁打、85打点と自己最高の成績を収めた。これも、野村ID野球の成果かと思いきや、後に「ID野球は理解できなかった」といった“らしい”発言を残している。同年オフ、新庄はFA権を行使。ヤクルト、横浜(現DeNA)が獲得に乗り出し、阪神も5年12億円(推定)の破格な条件で慰留したが、新庄が選択したのはニューヨーク・メッツだった。年俸は20万ドル(当時のレートで約2200万円)で、日本に残った場合の10分の1。これについて、「新庄は1ケタ金額を間違えたのではないか?」との逸話もある。01年、当時メッツの監督は元ロッテ監督で日本通のボビー・バレンタインとあって、新庄は開幕メジャー入りを果した。当初はベンチを温める機会が多かったが、じょじょにスタメン出場も増え、4番を打つこともあった。この年、123試合に出場し、打率.268、10本塁打、56打点の成績を挙げた新庄の年俸は135万ドルに上がり、日本円換算で初めて年俸が1億円を超えた。 ところが、同年オフにジャイアンツにトレードされ、02年は118試合出場、打率.238、9本塁打、37打点の成績で、日本人として初めてワールドシリーズにも出場した。同年オフにはFAとなり、古巣のメッツに復帰。年俸は60万ドルに下がった。この年は故障の影響もあって、不振が続き、マイナー落ちも経験。わずか62試合の出場にとどまり、FAとなる。 新庄が新天地に選んだのは、翌年から本拠を札幌に移転する日本ハムだった。新庄は試合前のシートノックで、被り物をして受けるなどのパフォーマンスで、ファンサービスに精力を注いだ。同年、オールスター戦に出場した新庄はホームスチールを成功させるなど、ド派手な活躍が目立った。9月20日のダイエー戦(札幌ドーム)では、同点の9回裏二死満塁の場面で、ホームランを放ったが、うれしさのあまり、二塁の手前で一塁走者を追い越す形となり、アウトとなり、幻のホームランを記録した。幸い、三塁走者の本塁生還は認められたため、チームはサヨナラ勝ち。これまた、新庄らしいエピソードだ。 この年、移転1年目で日本ハムはプレーオフに進出し、新庄は観客動員に大いに貢献。自身も123試合出場、打率.298、24本塁打、79打点の好成績を残した。そして、06年4月18日、東京ドームでのオリックス戦。ヒーローインタビューの際、「今日、ヒーローインタビューという最高の舞台でみんなに報告したいことがあります タイガースで11年、アメリカで3年、ハムで3年…。今シーズン限りでユニフォームを脱ぐことを決めました」と、シーズンが開幕したばかりなのに、突然の引退表明。同年、日本ハムは快進撃を続け、25年ぶりのパ・リーグ制覇。さらに、中日との日本シリーズも制し、新庄にとっては最高の花道となった。 引退後は野球界とは一線を引き、タレント、実業家として活動していたが、10年にはインドネシア・バリ島に移住し、絵画制作やモトクロス競技の練習に没頭。元スタープレーヤーとは思えぬ浮き世離れした生活を送っている。打者としては、1度も3割を打ったことがなく、2000安打にも遠く及ばない(日米通算1524本)新庄だが、ゴールデングラブ賞10回の抜群の守備力、サービス精神、天然キャラで多くのファンに愛された。指導者向きではないかもしれないが、いつの日か何らかの形で野球界に戻ってきてほしい人材だ。(ミカエル・コバタ=毎週火曜日に掲載)
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スポーツ 2015年05月11日 15時00分
レッドソックス上原浩治が日本人2人目の日米通算100勝&100セーブの偉業達成!
MLBレッドソックスに所属する上原浩治投手(40)が、5月10日(日本時間11日)のブルージェイズ戦で今季6セーブ目を挙げ、日米通算100セーブを達成した。 すでに、日米通算129勝をマークしており、日本人では史上2人目となる日米通算100勝&100セーブの偉業到達となった。過去にこの記録を達成した日本人投手は斎藤隆(楽天=112勝139セーブ)ただひとりだけ。日米通算381セーブを挙げた佐々木主浩(横浜など)でさえ、勝利数は50しかなく、なし得ていない大記録なのだ。 NPBでは、江夏豊(阪神など)、山本和行(阪神)、斉藤明夫(横浜)、郭源治(中日)、大野豊(広島)、佐々岡真司(広島)の6人しか達成していない。 上原の記録の内訳は、NPB(巨人)で112勝33セーブ、MLB(オリオールズ→レンジャーズ→レッドソックス)で17勝67セーブ。 佐々木の場合、入団2年目からリリーフに転向し、以降、日米でクローザーとして活躍したため、勝ち星が伸びなかった。100勝&100セーブは、先発、抑えの両方で、活躍しなければ成し遂げられない偉大な記録だけに、日米を股に掛けて、それを成し遂げた上原は立派というしかない。 上原は巨人時代の07年に抑えに転向し、32セーブをマーク。08年オフにFA権を行使して、オリオールズ入り。1年目は先発だったが、2年目の10年はリリーフに回って、13セーブを記録。以降、MLBではリリーフに専念。レッドソックスに移籍した13年途中から守護神となり、同年のワールドシリーズ制覇に大きく貢献。13、14年と2年連続20セーブを挙げている。(落合一郎)*写真はレンジャーズ時のもの
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スポーツ 2015年05月10日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(33)特別編 対談「パンチ佐藤」
ゴールデンウィークも終わり、風は春仕様から夏仕様に変わり始めました。間もなく梅雨。ジメジメした時季に入りますが、それが終われば夏です。ゴルフファンには最高の季節に突入します。 さて、事前予告では今回から「ダイエット編」に入る予定でしたが、今回は特別編。元プロ野球選手でタレントのパンチ佐藤さんと先日、お話しする機会に恵まれました。そこで、本連載にもパンチさんとの会話を反映したいと思い、今回に限り「特別編」としてパンチ佐藤さんとの対談をお届けします。 パンチさんは会話の達人。結構、タメになるお話しですよ。 パンチ佐藤(以下、パンチ)・桃子ちゃんは学生時代、スポーツは何をしていましたか? 小塚桃子(以下、小塚)・テニスとチアリーディングをやっていました。 パンチ・テニスは軟式? 硬式? 小塚・軟式です。 パンチ・テニスとゴルフって共通点があります? 小塚・ありますね。球技という…。 パンチ・球技は勿論だけど…他には? ちなみにゴルフの魅力は何ですか? 小塚・思い通りにいかない事ですね。 パンチ・へええ。この年で思い通りにいかないのが楽しいって言えるの!? 小塚・ある程度の事は思い通りにいくことが多いのですが、ゴルフと仕事は思い通りにいかない…。 パンチ・桃子ちゃんは申年? 小塚・いえ、乙女座…じゃなくて未年です。 パンチ・ウチの娘は申年。(娘の)一コ上だね。娘はそんな事言えないなあ。(ゴルフに)ハマった理由は何ですか? 小塚・両親がゴルフをやっているので。 パンチ・自宅はゴルフ場が近いんだ。 小塚・そうですね。近い所だと車で20〜30分のところにあります。 パンチ・ご兄弟は? 小塚・弟がいます。弟もゴルフをやります。 パンチ・一緒に回るんだ。それはいいねえ。お父さんは娘と回れるなんていうのは夢だねえ。 小塚・家族旅行はゴルフです。 パンチ・いいねえ。(旅行場所は)どこが好き? 小塚・タイが好きですね。 パンチ・えっ!? 海外に行くの!? それもゴルフ旅行で!? それは本格的だ。とはいえ、タイはいいよね。あそこに行くと王様になった気持ちだよね。 小塚・そうですよね! 大好きです! パンチ・桃子ちゃんのスコアはいくつなの? 小塚・アベレージは90くらいです。 パンチ・それは凄い。桃子ちゃんはどういうゴルフをするんですか? よくお酒を飲むとその人の本当の姿が出ちゃうと言うけれど…。 小塚・ゴルフもそうなんですよ! パンチ・お酒はある程度、我慢出来るけど、ゴルフはハッキリ出るよね。 小塚・本当にそうです!。私のゴルフは真剣で、喋れなくなっちゃいます。 パンチ・真剣ゴルフ? 僕はスネスネゴルフ。「なんだよ〜!」とすぐ、スネてしまう。暴れたり大きな声を出したりしないけれど、自分で落ち込んでいっちゃうタイプ。僕は負けず嫌いだから真面目に練習をしたら上手くなる自信があるけれど、練習し過ぎちゃって、本職(タレント業)を放ったらかしにしてしまいそうなので、ゴルフはたまにしかやらない。本来、左バッターだけど、(ゴルフは)右でやる。道具も中古の安いモノ。極めそうだから…。こんな僕にはどんなアドバイスを? 小塚・考え込まない。ポジティブに。ホール毎に気分を変える事が大事です。 パンチ・引きずるんだよね〜。1カ月くらい引きずる。 小塚・ええ? そこまで、ですか!? パンチ・「どうして、あそこで(気持ちが)切れちゃったのかなあ…。クラブを換える余裕はあったハズなのに」とかね。桃子ちゃんは(アベレージが)90なんだ。僕は桃子ちゃんの様な性格になりたいね。お父さんの平均ストロークは? 小塚・80台前半です。 パンチ・凄いね。野球もゴルフも切り替えだね。長所は切り替えの上手い所かな? 小塚・ハイ。(切り替えは)すぐに出来ます。 パンチ・逆に短所は? 小塚・(物事を)あまり考えない…。 パンチ・そんな事は無いと思うな〜。この場合、「短所は気が付いていない」と言った方が良いかもね。いつか僕にゴルフの指導をして下さい。 小塚・分かりました! パンチ・僕は適当にはなれないから…。以前、プロのレッスンを受けた事があるんだけど、「パンチ君はボールを見ないで」と言われて…。適当に打てと言われても適当に出来ない。打とうとした瞬間、「ストップ! まだ適当じゃない」と言われやり直し。今度は頭の中をリラックスさせて打とうと思い、スイングをしたら、又「ストップ!」。さすがにカチンときて「このジジィ、ウルセーな…」と思いならが打ったら、ピューンとまっすぐ飛んだ。皆さんはドライバーが一番楽しいでしょ? ところが、僕はそれが一番憂鬱なの。 小塚・えっ!? どうしてですか? パンチ・偶然でもピーンと飛んだらパーとかボギーで上がれるけれど、「ヒュルーン」や「シュウー」と左右に飛んでいくので、ドライバーは面白くない。 小塚・そうですか? パンチ・先ほどの続きだけど、プロに教えてもらったらまっすぐにすごく飛んだ。これで僕は「掴んだ!」と思ったけれど、これは大間違い。「ヨシ!」と意気込んで次を打とうとしたら、プロから「ストップ! また真剣になっている!」。上手くいかないものだね。 小塚・なるほどですね〜。パンチさんにはドライバーを伝授しますね。 パンチ・切り替えられるような言葉でお願いします。小塚桃子オフィシャルブログ「季節はずれのももリンダ」http://ameblo.jp/koduka-momoko/
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スポーツ 2015年05月09日 18時00分
空のF1「レッドブル・エアレース」日本戦へ向けて室屋選手らが会見
16、17日の両日に千葉県で行われる軽飛行機の世界最高峰レース「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ2015」に出場するパイロットたちが8日、記者会見を行った。 会見には2014年ワールドチャンピオンのナイジェル・ラム選手、今年からレースに参戦しているフランソワ・ルボット選手、そして日本人として唯一レッドブル・エアレースに参戦している室屋義秀選手が出席。レースの魅力や、日本の印象について、和やかな雰囲気でトークを展開した。 2009年より日本人として、そしてアジア人として唯一、同レースに参戦している室屋選手は、日本で初開催となるレースヘの気持ちを「デビュー当時から日本でレースをしたいと強く思っていた。6年たったができることが嬉しい」と語った。また、会場となる幕張海浜公園は、かつて何度も練習で飛んだ場所とのことで、「アドバンテージはあると思う。風の状況もわかるのでリラックスして飛べる」とレースに向けての意気込みを語った。 そんな室屋選手をよく自宅に招待するというラム選手は、「室屋は非常に高い技術があり、手ごわいライバルだ」とコメントしつつも、室屋選手を簡単には活躍させないことを宣言し、「コースの分析、時間をマネージするなどチームはよい状況だ」と、直線の多い今回のコースを、メカニックや情報分析チームと共に、徹底調査していると明かした。 今回千葉県で日本で初開催されるレッドブル・エアレースは、「空のF1」とも呼ばれる飛行機レースで、機動性に優れた軽量のレース専用飛行機を使い、25メートルの高さに設置されたパイロン(エアゲート)で構成する低空の空中コースを周回してタイムを競う。(斎藤雅道)
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