スポーツ
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スポーツ 2015年05月31日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(36)第七部・ゴルフダイエット編「夏場は薄着でもOK」
6月に入り、梅雨の時季を迎えます。湿度が高くなり、発汗量が多くなります。気温の割には汗をかくのでゴルフのプレー中は水分補給を必ず行いましょう。 汗といえば、私は今年のGWに軽井沢でラウンドしてきました。その時は気温こそ、高くありませんでしたが、大量の汗をかきました。湿度が高かったです。もう、あり得ないほどの汗が出ました。もっとも、「軽井沢=標高が高い」という意識があったので、暑さよりも寒さ対策を実施。ヒートテックを着てプレーしました。汗をかくのは当然ですね。 スコアは前半47、後半40。トータル87でベストスコアタイでしたが、実は80台前半が出てもおかしくない状況でした。 何と、後半のスタートがパー。続く2ホール目もパー。3ホール目がバーディー。4ホール目はパー。5ホール目がバーディー…と出だし快調。本気で「30台が出る!」と意識しました。こうなると気持ちは「30台」。意識しない方がおかしい位です。結果、ボギー、ダボを叩き、30台は「水の泡」となりました。とはいえ、40で上がれたので上出来ですが…ね。 因みに、後半スタート直後、一瞬だけですが、「30台」が見えたので、ゴルフ友達にオンタイムで「ヤバい、今アンダーなんだけど」と、LINEをしちゃいました。すると、「そのまま30台で回りなよ」「お祝いしようね!」という返信がきて、逆にこれが大プレッシャー。正直、「送んなきゃ良かった…」。私は、ロングパットが得意なんですが、緊張のせいで、全然思うように行かなかった。 ただ、その日は3人で回っていたのですが、そのうちの一人が絶不調。それも後半が酷く、彼女を持ち上げながらのラウンド。途中から私の事はどうでも良くなり、スコアを意識する事を忘れていました。「私の事はどうでもいいや」という気分でした。 結局、後半は40。スコアを意識した時としない時でハッキリした格好です。不調の彼女をフォローした時から、スコアが上がりました。「ゴルフはホントにメンタルなスポーツ!」−−本気で、思い知らされた瞬間でしたね。私は、まだまだ未熟者です。 さて、ダイエット。この時期は日焼けを警戒して厚着になる女性が多いですが、これは熱中症になりやすく危険。日焼け止めをくまなくし、厚着にならない様にして下さい。 なぜ、この話をダイエットにつなげたか、というと男性も敢えて着込んでプレーしている方が多い。こちらは完全に発汗を意識した厚着。ダイエット目的です。しかも、水分補給しないでプレーをする。熱中症予備軍となる事、必至。絶対、止めましょう。 夏場のゴルフは、薄着でもダイエット効果が高い。スポーツドリンクを片手に、途中にある「お茶屋」「レストラン」でアルコールを摂取しなければ、普通に2キロは落ちます。間食をしないゴルフを心掛けましょう。 それと、普段は素振りを毎日、100回。これを習慣化させるだけでいいと思います。毎日が難しいようでしたら、週3回を素振り。週末の一日をラウンド又は練習場でみっちり、打ち込む。これ以上は、ストレスになるので、やらなくていいと思います。 いずれにしても熱中症を警戒して、無意味な厚着や練習過多は避けて下さいね。小塚桃子オフィシャルブログ「季節はずれのももリンダ」http://ameblo.jp/koduka-momoko/
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スポーツ 2015年05月30日 13時00分
交流戦ネット裏スクープ 甲子園のヒーロー 松坂大輔と斎藤祐樹が直面する「引退」(1)
福岡ソフトバンクホークスの松坂大輔(34)と北海道日本ハムファイターズの斎藤佑樹(26)が『引退』の危機に晒されている。振り返れば、彼らは夏の甲子園を制した優勝投手。あまりに過去の栄光が輝かしいためなのか“今の自分”が見えていないようなのだ。 「松坂、斎藤は一軍復帰を目指して頑張っていますが、それぞれ復帰に関する手応えや調整の順調ぶりを口にするたびに落とし穴が見え隠れする。2人を見たいというファンは多い。人気選手だから使わなければならない。でも、今の状態で使えば、今度は監督に批判が集まる。そういう状況がわかっていないのか、いまだに自己流の調整を続けているのです」(球界関係者) 松坂は5月20日の対オリックス二軍戦で実戦復帰した。6回から2番手で登板し、2イニングを投げ被安打2、失点1。「とりあえず投げられたので、ひと安心」と笑顔を見せたが、試合後、ホークス内部から衝撃的なコメントが聞かれた。 「次回の登板は松坂本人が決めることになると思う」 一般論として、二軍投手の実戦登板は限られている。チャンスは平等に与えられるので他投手との兼ね合いもあり、その順番から逆算して5月24日が有力だった。二軍首脳陣は「24日を空けておく」としたものの、最終判断は松坂本人に委ねられたわけだ。 そして、心配が現実になる。予定通りの24日、広島二軍戦。ブルペンで肩をつくったものの、調子が上がらず、コーチとの話し合いで登板回避が決まった。 松坂は「まだこういう状態なので、いい時も悪い時もあるだろうと思っていた。今日は試合前からあまり調子が良くなかったので、回避することにした」と話した。 右肩筋疲労の故障から復帰を目指している過程なので、自己流の調整には慎重を期する意味合いもあるようだが…。 「球団と契約した時点から自己流調整は認められていました。実績のあるベテランですし、他意はなかったはずです」(地元紙記者) どうにも練習内容と調整段階に関して、首脳陣との食い違いが目立つ。こんなこともあった。ゴールデンウイーク最後の5月5日と同6日、松坂は2日連続でのブルペン入りを果たす。もっとも、捕手を立たせたままではあったが、両日とも変化球を交えて40球強を投げた。記者団の「順調ですか?」の問いに、「そうですね」と答えている。同じくリハビリ中で、西武時代を知る捕手の細川亨も「いいんじゃないですか」と手応えを語っていた。 しかし、これを伝え聞いた工藤公康監督は「肩の状態はいいと聞いている」と話しただけ。佐藤義則投手コーチに至っては「踏み出す左足は着地の部分までしっかりと修正すべきだが、できていないから下半身と左足の動きに合わせて右腕がスムーズに前に出てこない。それが問題」と具体的に厳しい評価を下した。 松坂の実戦復帰への思いとは裏腹に、首脳陣は全くそのレベルに達していないと見ていたのだ。 「ホークス内部からは『見守るしかない』と言う声さえ聞かれます。自分で考えた調整法を全く疑わず、我流を過信しているのを心配しているようでした。20代のころとは肉体も違う。30代半ばの身体を自覚し、それに適した練習をしているようには見えない。故障や不振から這い上がった経験を持つ工藤監督と比較する報道もあるが、松坂とは比べ物になりません。工藤監督はベテランになるにつれ練習量も増え、内容も変わっていきましたから」(前出の球界関係者) 日米通算164勝も挙げておきながら“野球の頭脳”の方は成長していないというわけか。 「交流戦最終週の6月9日からの本拠地6連戦、対阪神、広島戦で、松坂を一度、一軍登板させるかもしれない。佐藤コーチは、ここで投球フォームのチェックをするつもりです。もちろん今の状態では、本拠地で火ダルマになってそのまま二軍落ちする可能性もあるので、指導も何もできないかもしれませんが」(前出の地元紙記者)
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スポーツ 2015年05月29日 13時00分
USA発 新聞、テレビではわからないMLB「侍メジャーリーガーの逆襲」 不安説が吹き荒れる中で三振の山を築く 「2年22億円」の契約は快挙 40歳の守護神・上原浩治
今シーズンの上原浩治を語る上でまず触れておかなくてはいけないのは、2年1800万ドル(21億6千万円)という破格の契約だ。 上原は昨季8月中旬まで、レッドソックスのクローザーとして安定した投球を見せていた。しかし8月16日の試合から突然最大の武器であるスプリッターが落ちなくなり、甘く入って痛打されるケースが続いた。 炎上はすぐに収まらず6試合で被本塁打4、自責点10という大荒れのピッチングが続いたため、チェリントンGMはファレル監督と相談し、9月初旬に上原をクローザーから外すことを決定。上原は中継ぎに回されてシーズン終了まで投げた。 クローザーを外すときは「一時的な措置」であることが強調されるが、実際に復帰するケースはそう多くないため、アナリストや野球記者の多くは、レ軍が40歳になる上原を再度クローザーで使う可能性は、ほとんどないと見ていた。 「上原に関しては、シーズン終了後、FAになって1年600〜800万ドルくらいの契約でBクラスの球団と契約することになると見る向きが多かった」(スポーツ専門局のアナリスト) ところがオフに入るやいなや、レ軍が真っ先に契約したのは上原だった。しかも2年1800万(21億6千万円)という破格の条件での契約だった。 「これはビッグ・サプライズだった。それまで40歳以上で2年契約にサインしたリリーフ投手はマリアーノ・リベラ(元ヤンキースの守護神)しかいない。まさか上原が2人目になるなんて、思ってもみなかったからね」 レ軍は上原を9月初旬、クローザーから外している。にもかかわらず、わずか50日後に年俸225%アップの2年契約で再契約したのは、8月下旬の大乱調の原因を正確に把握していたからだ。腰の不調が原因だった。腰が悪いと投げ込む際に下半身を十分使うことができず、上半身だけで投げるようになる。それがスプリッターの著しい威力低下につながっていたのだ。 そのことを理解したレ軍は腰の不調さえ防げば、まだまだクローザーで使えると判断し2年契約を交わして囲い込むことにしたのだ。 この球団の判断をメディアはどう受け止めただのろうか? 「2年契約は長すぎるという声が多かった。上原は今年40歳だけど、肉体的な衰えが急速に進む年齢なので、途中で機能しなくなると危惧していたよ」(同) こうした年齢的な衰えに対する危惧は、今シーズンが開幕すると「もう一人のクローザーを獲得せよ」という声に変化していった。 そのような声が出るようになったのは、開幕後、上原がスプリッター75%、速球25%という極端にスプリッターに依存したピッチングを見せるようになったからだ。昨年までは速球50%、スプリッター50%だったが、速球のスピードが142キロから138キロに落ちたため、スプリッターへの依存度が高くなったのだ。 上原懐疑派の目には、こうした苦し紛れのピッチングではとてもクローザーは務まらないと映った。そこで「もう一人クローザーを獲得せよ」という主張になった。4月25日の5試合目の登板で上原が2失点して敗戦投手になると、上原懐疑派はさらに勢いを増し、「ジョナサン・パペルボンを呼び戻せ」という論調まで現れた。 パペルボンは'06年から'11年までレッドソックスのクローザーを務めた豪腕タイプで、現在はフィリーズのクローザーを務めている。ワガママな言動が多い悪ガキ・タイプのためフィリーズは手を焼いており、トレードで放出することを画策しているので、レッドソックスファンの中には、うちで引き取れという声が出ているのだ。 こうした「守護神交代待望論」は4月中、勢いがあった。しかし5月に入って上原が無安打ピッチングを続けるようになると鳴りを潜め、上原に対する逆風は止んだように見える。 しかし、これは一時的なもので、2度連続してセーブに失敗するようなことがあれば、年齢的な衰えを過度に強調した「クローザー交代論」がまた出現するだろう。 ボストンは、メディアもファンも辛辣で、味方の選手に対しても無遠慮な言葉を平気で浴びせかける。レ軍にいた頃、松坂大輔は「投資金額の半分も働かない役立たず」「いつも同じ失敗ばかりするブタ頭」と酷評されている。こうした雑音を最小限に抑えるには、カネに見合った働きをするしかない。米国のファンは対費用効果を重視する傾向が顕著だからだ。 上原の場合「カネに見合った働き」の線引きは以下のようになる。(1)セーブ成功率90%以上(2)WHIP(1イニングあたりの「被安打+与四球」)0.80以内(3)防御率2.20以下(4)奪三振率(9イニングあたりの奪三振)11.50以上 これらの数字をすべて満たしていれば、フェンウェイパークのファンはブルペンを出てマウンドに向かう上原を「コージ、コージ」の大合唱で迎えてくれるだろう。スポーツジャーナリスト・友成那智ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は各媒体に大リーグ関連の記事を寄稿。'04年から毎年執筆している「完全メジャーリーグ選手名鑑」(廣済堂出版)は日本人大リーガーにも愛読者が多い。
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スポーツ 2015年05月28日 11時45分
藤川を獲るのか!? トラが積極的になれないアノ事件
阪神タイガース首脳陣が定例の報告会を行った(5月26日)。『定例の報告会』とは、定期的に坂井信也オーナーのもとに集まり、南信男球団社長、中村勝広GMなどトップ幹部がペナントレースの戦況や経営、収支決算などを伝え、善後策も話し合っている。 この時期の報告会となれば、真っ先に思い浮かぶのが、テキサスレンジャーズを自由契約となった元守護神・藤川球児の獲得策だが、球団幹部の口ぶりは重たかったという。 「阪神は藤川の代理人を務める人物との接触に成功しています。帰還に関する藤川サイドの要望を、すでに阪神は把握していると見るべきでしょう」(球界関係者) 藤川はもちろんだが、その代理人を務める有力者も帰還に関する条件事項は口にしていない。藤川が一部報道の取材に応じた限りでは日本帰還を前向きに捉えているようでもあったが、「先発転向を希望している」説など、2年余の米球界での動向とは関連性のないものも報じられている。 藤川は古巣に帰還するのか−−。 定例報告会後、坂井オーナーは関西系メディアに「(藤川の話は)全くない」と答え、足早に立ち去ってしまったという。藤川獲得を狙っているのは阪神だけではない。DeNAはかなり熱心な調査を行ってきたとされ、14−15年オフだが、巨人渉外担当者も藤川サイドにアタックしていた。藤川争奪戦はマネーゲームに発展する可能性も高い。そう考えれば、阪神首脳陣が慎重を期してダンマリを決め込むのも当然だろう。 「藤川に往年の力があるか否か、評価が分かれるところです。DeNA、巨人は守護神としてフル回転してくれとは思っていません。DeNAには山崎、巨人には澤村がいて、両球団とも投手継投策の選択肢を広げるため、経験豊富な藤川を必要としているんです。阪神だけは事情が違って…」(プロ野球解説者の1人) 阪神にも呉昇桓という絶対的な守護神がいるが、「呉昇桓>藤川」なる評価で交渉に臨めば、渡米前の功績を「否定された」との誤解も与えかねない。また、先発転向説が本当ならば、ローテーションのやり繰りにも困っている戦況を救ってくれるかもしれない。いや、岡田彰布監督の時代から“救援一筋”だったため、「先発・藤川」がどこまでやれるかは未知数だ。下位に低迷する戦況からして、藤川に調整で先発登板する余裕はないはず。 前出の球界関係者もこう言う。 「藤川の代理人を務める人物と阪神はイザコザがあったんです。その人物は14〜15年オフ、国内FA権を行使した金子千尋(オリックス)の『相談役』ともなり、交渉に当たろうとした球団の窓口役を務めていました。阪神は金子の希望を聞きたいとし、その代理人と直接会って話をしてきました。でも、『その内容が報道に漏れている』と抗議されていました」 阪神フロントには機密事項をバラすような輩は一人もいない。両者の間に誤解があるのかもしれない。 長く、阪神のブルペンを支えた藤川が再びタテジマのユニフォームを着れば、チームはもちろん、ファンも鼓舞するはず。しかし、「交渉しにくい」という現状を打破する話は聞こえてこない。
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スポーツ 2015年05月27日 14時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈マービン・ハグラーvsトーマス・ハーンズ〉
世紀の一戦とうたわれたフロイド・メイウェザーとマニー・パッキャオの一戦は、試合後の会場にブーイングが飛び交うなど消化不良な内容となった。これまで絶対的なキャリアを築き上げてきた両者の対戦では、ともに守るものが大きいだけに、この結果も仕方のないところか。 だが、そんなもっともらしい言説も、'80年代“黄金の中量級”を知るファンには通用するまい。 アメリカのボクシングシーンに登場したキラ星のごとき天才たち。かのガッツ石松も下した“石の拳”ロベルト・デュラン。モントリオール五輪金メダリストのシュガー・レイ・レナード。強打のラッシュでデビューからKOの山を築いた“ヒットマン”トーマス・ハーンズ。そして稀代のテクニシャン“マーベラス”マービン・ハグラー。 圧倒的なパフォーマンスを誇る彼らによる戦い模様は「ボクシング界の頂点はあくまでもヘビー級」とされてきた歴史すら書き換え、米国内にとどまらず全世界を熱狂の渦に巻き込んでいった。 「当時は日本でもテレビ東京系で中継があったので、それを見たという人も多いでしょう」(ボクシング雑誌記者) デュランがレナードを下せば、次にはハーンズがデュランをKO。そのハーンズに今度はレナードが勝利するといった具合に勝者は目まぐるしく入れ替わる。 「そんな中でも最も人気が高かったのはハーンズ。長いリーチから繰り出されるフリッカージャブで相手を翻弄しながら、強打のラッシュで仕留めるファイトスタイルは見た目もハデで、さらにリングを下りてもビッグマウスでファンの関心を集めました。その一方、関係者の間で評価が高かったのはハグラーです」(同) ミドル級王座獲得はプロデビューから7年を経た54戦目と時間のかかったハグラーだが、これはあまりの強さを恐れた王者に対戦を拒否されたり、ようやくたどり着いた王座戦では泥仕合の引き分けに持ち込まれるなどがあってのこと。その当時に付けられたあだ名は“無冠の帝王”。それでもくじけず、地道なトレーニングを続けた結果の戴冠であった。 王座奪取後のハグラーは遺憾なくそのテクニシャンぶりを発揮し、デュランらの強豪を次々と退けていく。そこに挑戦者として名乗りを上げたのが、ウェルター、スーパーウェルター級王座を制覇し、三冠目のミドル級に狙いを定めたハーンズであった。 一度はレナードに敗れたハーンズだが、そこからまた連勝街道を突き進むと、'84年にはボクシング専門誌『リング』で年間最優秀選手に選ばれた('83年の最優秀選手はハグラー)。 '85年2月、2人の対戦が発表されると、全米各地の都市を巡る両者のプロモーションツアーが組まれる。試合に付けられたキャッチフレーズはシンプルに“The Fight”。余計な装飾はいらない、ボクシングの神髄がここにあるというわけだ。 そうして迎えた'85年4月15日、大歓声が包み込むラスベガスの名門ホテル、シーザーズ・パレス特設リング。運命のゴングは鳴った。 テクニックのハグラーvs強打のハーンズという前評判を覆すかのようにハグラーが開始早々からラッシュに出ると、これに気圧されて引き気味ながらハーンズも応戦。第1Rから両者の間で激しくパンチが交錯する。ハグラーは揉み合いの中で額から出血。それでも前進を止めることなくハーンズの懐に潜り込むと、ボディーを中心にパンチを放ち続ける。 第3R、コーナーを出たハグラーは、それまでのサウスポーからオーソドックスに構えをチェンジ。 「基本、試合中はサウスポーなのですが、私生活では右利きで、オーソドックススタイルもスムーズにこなす。気を付けて見ていないと構えが変わったことにも気付かないほどです」(同) そんな変調にハーンズは調子を狂わされたか、ハグラーの放った右ストレートが顔面を捉える。さらにハグラーは飛び込むようにして大振りの右ストレートを3連発。このすべてをクリーンヒットされ、ハーンズはあえなくマットに沈んだ。 ファンはおろか、専門家からも「地味」と評されたハグラーが世紀の一戦で見せた意地のハードファイトに、いつまでも歓声は鳴りやまなかった。
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スポーツ 2015年05月27日 12時00分
【甦るリング】第9回 “タイガーマスクブーム”巻き起こした佐山聡の人柄
近代プロレス史において、ジャイアント馬場、アントニオ猪木は“別格”として、まさに強烈なインパクトを残したのが、初代タイガーマスク(佐山聡)だ。タイガーマスクのデビューは、そりゃもうプロレス界の常識を覆すような鮮烈なものだった。時は81年4月23日、場所は蔵前国技館。対戦相手はジュニア・ヘビー級の雄であったダイナマイト・キッド。 もちろん、タイガーの正体は不明とされていた。そこに現れた虎の覆面の男は、アニメの「タイガーマスク」をはるかに上回る四次元殺法を披露し、強豪のキッドに勝ってしまったのである。とても、常識では考えられないような空中殺法に私は魅了された。いや、多くのプロレスファンが、そのとりこになったのだ。 私的なことで恐縮だが、当時、私は大学生。飲食店でアルバイトしていたのだが、タイガー見たさもあって、新日本プロレスのテレビ中継「ワールドプロレスリング」がある金曜日は休みにしてもらったりしていた。その頃、ビデオデッキなどという高価なものを、大学生ごときが所有できるような時代ではなく、リアルタイムで見るしかなかったからだ。飲食店といえば、金曜夜は稼ぎ時で、バイト先の社長からは「忙しいのに…」と苦言を呈されたものだ。 タイガーはキッド、ブラック・タイガー(マーク・ロコ)、小林邦昭といったライバル相手に、名勝負を繰り広げたうえで、連戦連勝。WWFジュニア・ヘビー級王座、NWA世界ジュニア・ヘビー級王座に君臨。シングルマッチはおろか、タッグマッチにおいても、1度もフォールやギブアップを奪われたことはなかった。敗れたのは1試合だけで、キッド戦での反則負けだった。 当時の新日本は人気絶頂の頃。テレビ視聴率はゆうに20%を超え、どこに行っても連日超満員の観衆が集まっていた。タイガーがその新日ブームに大いに貢献したのは、いうまでもない。ところが、タイガーはあっけなく、その覆面を脱ぎ捨ててしまう。83年8月、新日本に対して、契約解除を一方的に通告し、引退を宣言した。タイガー側によると、その人気で得られた収益を、猪木が経営難の個人事業であった「アントン・ハイセル」に流用させていたとして批判。さらに、営業本部長だった新間寿氏と、タイガーの個人マネージャーが対立していたとの背景もあった。 その直後に、一部スポーツ紙が素顔の写真を掲載し、その正体が佐山であることを報じた。タイガーはテレビ出演した際にも、迷うことなく素顔を公開した。こうして、大ブームを巻き起こしたタイガーマスクは、わずか2年4カ月でリングを去った。 そして、引退したタイガーは「タイガージム」を設立し、ジム生を集めて格闘技の指導にあたる。引退から約1年後の84年7月、同年4月に旗揚げした新団体・旧UWFで復帰。もともと、格闘技志向が強かったタイガーは、従来のプロレスとは一線を画し、新たなルール作りに着手した。ところが、タイガーの方向性を疑問視する選手も多く、団体のエースであった前田日明との確執もあって、85年10月に離脱した。これ以降、タイガーはプロレス界と絶縁し、新格闘技・シューティング(後の修斗)を設立。プロレス界の暴露本を出版したこともあった。むろん、プロレス界からの反発も強く、もはや2度とプロレス復帰はあり得ないと思われた。 一から立ち上げたシューティングは徐々に普及し、日本の総合格闘技の礎となった。あの“400戦無敗の男”ヒクソン・グレイシーを選手として、初めて招聘したのもタイガーだった。その存在がなければ、その後の日本での総合格闘技ブームはなかったわけで、その意味でも大功労者である。タイガーは96年に修斗の運営から手を引いたが、プロレス記者となった私が初めて、単独インタビューを行ったのは、まだ修斗時代。ファンだった頃、魅了された存在であり、かなり、緊張して赴いた記憶があるが、現れたタイガー、いや佐山さんはとても腰が低く、気さくで柔らかい人当たりの好人物でホッとしたのだった。とにかく、タイガーの話は面白く、その後、何度もインタビューさせていただいたが、その人当たりの良さは今でも変わらない。 94年5月には、永島勝司取締役のオファーを受け、古巣・新日本のリングに上がり、獣神サンダー・ライガーとエキシビションマッチを行い、9年ぶりにプロレス界と接点をもったタイガーは、翌95年に、まさかの復帰を果たす。プロレス界に舞い戻ったタイガーは、猪木とも和解し、98年に創設されたUFOに参画。プロレスに転向した小川直也を指導したが、猪木との方向性の違いから離脱。99年5月には、再び新たな格闘技・掣圏真陰流を設立し、桜木裕司や瓜田幸造らを育てる。その一方で、05年6月にはリアルジャパン・プロレスを旗揚げした。 全盛期はビルドアップされた体をしていたが、大の“甘党”が災いしてか、復帰後は常に体重オーバー。本人はことあるごとに、「○○キロまで減量する」と言うのだが、実現できたことはないのでは? かつては、変幻自在の空中殺法を繰り出していたが、今はキックや関節技が主体。たまに、飛ぶこともあるが、もう57歳だ。バリバリの20代の頃と比較するのは野暮ってものだ。プロレスを一度捨てていなかったら、新日本の大エースになっていたかもしれない。しかし、タイガーがプロレスを離れたからこそ、日本に総合格闘技が根付いた。いろんなことがあったタイガーだが、リングに上がっただけでも、“華”がある。“初代”タイガーマスクの名は絶対的なもので、レジェンドであることに変わりはない。 なお、リアルジャパン・プロレスでは6月11日(木)に、東京・後楽園ホール(18時半開始)で10周年記念興行を開催する。ただし、タイガーは現在、心臓疾患を抱えており、出場できるかどうかは微妙だという。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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スポーツ 2015年05月27日 11時45分
藤川の日本帰還に積極的になれないトラの事情
テキサスレンジャーズから事実上の戦力外通告を受けた藤川球児(34)の周辺が、慌ただしくなってきた。 古巣阪神の坂井信也オーナーが関西系メディアの取材を受け、「向こうからのお話しがなかったら、こっちも何も動くことはできない。それからの話ですね」(5月18日)と答えた。額面通りに受け止めれば、藤川獲得の意思ナシということになるが、実際は違う。阪神も、今季中に藤川が獲得可能な選手リストに入ってくる情報を把握していたのだ。 「藤川はメジャーに昇格しにくい、あるいはマイナーに落とされやすい状況にあったと言っていいでしょう。レ軍は右の救援投手層が厚く、本当に欲している戦力は、左のリリーバーでした」(米国人ライター) レ軍は先発陣が不振。今後、先発か、左のリリーバーを補強するにあたって、メジャー昇格可能な40人の選手人数枠に『空き』を作らなければならない。右のリリーフである藤川は現有戦力と重なるので弾き出されたというわけだ。 藤川はレ軍入りする際、契約に「本人の合意がなければマイナー落ちさせることはできない」とする条文を入れていた。そのため、レ軍はまずマイナー降格を藤川に打診。藤川サイドが拒否したため、事実上の戦力外通告となり、ウェーバー公示となった。今後、藤川獲得の意思を示す米球団が現れなければ、日本球界とも交渉できる。その交渉解禁は現地時間で5月21日だが−−。 「カブスを退団した14−15年オフ、巨人が藤川獲得に動いていました。巨人、DeNAが交渉解禁と同時にラブコールを送るものと思われますが(19日時点)、古巣阪神がどう出るのか…」(球界関係者) 坂井オーナーの口ぶりは消極的だが、阪神も藤川が右の救援投手層の厚いレ軍と契約した時点で、“生き残りレース”を強いられるのは分かっていた。 「藤川は阪神と喧嘩別れしたわけではないので、『帰って来い』のひと言で(交渉は)まとまるのではないか。近年、クローザーの呉昇桓に繋ぐセットアッパーがいなかった。そこに藤川をはめれば」(球界関係者) しかし、悲観的な声も聞かれた。 資金力豊富なDeNAも藤川に興味を示しているという。一部報道でも伝えられたが、中畑監督はグリエルとの再契約を進めていた昨年オフ時点から、「グリエルがダメなら、ケツ(クローザー)を獲ってくれと言おうと思っている」と何度か口にしていた。そのグリエルと再契約を交わしたものの、来日を拒むようなゴタゴタがあり、契約は破棄された。そのグリエルに用意した年俸5億円が“手付かず”のまま、球団にストックされているという。 「藤川サイドが先発での起用を要望しているとの情報も交錯しています。その通りだとすれば、巨人、DeNA、阪神は救援での起用を予定しているのでスンナリとまとまらないかもしれない。DeNAが交渉に乗り出せば、藤川争奪戦はマネーゲームになる」(同) 阪神は藤川の付けていた背番号22を呉昇桓に渡している。守護神の絶対的地位もそうだ。阪神サイドから交渉に積極的な言動が聞かれないのはそのためだろう。 藤川サイドにも日本帰還に関する条件、要望はあるかもしれないが、阪神は球団創設80周年のメモリアルだというのに、下位に低迷したまま。巨人、DeNAにかつての守護神を奪われたとなれば、精神的ダメージも大きい。トラはオフの補強に失敗したので、その軍資金でDeNAに対抗すればいい。上位チームとのゲーム差が広がり、諦めムードが漂う前に『藤川帰還』をまとめるべきだと思うが…。
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スポーツ 2015年05月26日 15時30分
最下位でも組織票に走る広島ファン
NPB(日本野球機構)は5月25日、「マツダオールスターゲーム2015(第1戦=7月17日・東京ドーム、第2戦=同18日・マツダスタジアム広島)のファン投票第1回中間発表をした。 オールスター戦のファン投票といえば、昨年は広島東洋カープのファンが組織票に走り、セ・リーグの11枠中8枠を広島勢で占める異常事態となった。 今季の広島は開幕から低迷が続き、なかなか最下位から脱出できない状況。それでも、今年は地元・広島でゲームがあることもあって、広島ファンは組織票に走っているようだ。 第1回中間発表で、各ポジションのトップに立った広島勢は、黒田博樹(先発投手)、会沢翼(捕手)、新井貴浩(一塁手)、菊池涼介(二塁手)、丸佳浩(外野手)の5人。活躍している黒田、会沢、菊池の3人はいいとして、新井は規定打席不足、丸は打率.239と低調だ。 ただ、今年は首位を独走するDeNAベイスターズのファンも黙っていない。田中健二朗(中継ぎ投手)、山崎康晃(抑え投手)、アーロム・バルディリス(三塁手)、筒香嘉智(外野手)、梶谷隆幸(外野手)と、広島勢と同じ5人がトップに立った。広島と違うのは、この5人はしっかり結果を残しており、他球団のファンも異論をはさむ余地がない点だ。 残りの1枠は、阪神タイガースの鳥谷敬(遊撃手)で、第1戦が本拠で開催される読売巨人ジャイアンツからは1人もトップに立っていない。 昨年は組織票の影響で、規定打席に遠く及ばなかったキラ・カアイフエ(一塁手)、堂林翔太(三塁手)がファン投票で選出されてしまう事態に陥っている。 オールスター戦はまさに“夢の球宴”で、その名の通り、活躍しているスター選手が出るべきものだ。ファンには、“夢の球宴”にふさわしい選手への投票を望むばかりだ。 なお、ファン投票は6月20日で締め切られ、その最終結果は同26日に発表される。(落合一郎)*写真はグラビア界のカープ女子・菜乃花
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スポーツ 2015年05月26日 14時00分
安藤美姫の二の舞か 浅田真央を現役続行させた「3人の女」(2)
現在、フィギュア関係者の間で最有力とみられているのがトヨタ自動車だ。浅田には約10社の企業スポンサーが付いており、1社あたり推定年3000万円の契約とされているが、トヨタは破格の10億円を用意するとの噂もある。 「浅田は各企業との契約途中で長期休養に入りました。このセミリタイアしていた時期の分を、各企業関係者は取り戻そうと意気込んでいますが、世界のトヨタが相手では現状継続が精いっぱいかもしれません」(名古屋在住記者) トップ選手の引退、セミリタイアは大きな痛手となる。経済事情が異なるため一概には比べられないが、同年齢の永遠のライバル、キム・ヨナを失った韓国では3兆ウォン(約3000億円)の経済損失があったという。 そのキム・ヨナは次回冬季五輪・平昌大会(韓国)で、広報大使を務める。平昌大会が競技施設の建設も滞るなど行き詰まっているのは既報通りで、もし「ライバルの浅田がキム・ヨナと手を取り合って金メダルを目指す」の図式となれば、日本企業が同大会を援助する可能性も出てくる。そんなキム・ヨナ周辺の事情も、今回のカムバックにつながったようだ。 「荒川と浅田の関係、ブランクによる実力減はキム・ヨナともにある。いくら人気があっても、競技引退後の活動に影響が出ることは浅田自身も実感しているようです」(スポーツ紙記者) とはいえ、浅田の復帰を最も望んでいたのは日本スケート連盟だ。同連盟が開示する正味財産によれば、浅田がシニアデビューした'06年6月時点では、約4億6000万円。だが、浅田がソチ大会を終えた後の'13年6月には13億円強に膨れ上がっている。現金預金も9億円ほどまで増えた。まさに“浅田バブル”なのである。 「各競技を支援する文科省のマルチサポート事業が見直され、女子フィギュアはトップのAからCに格下げされました。Cとは、メダル獲得の見通しナシとの評価です。男子はAを維持しましたが、中心選手の羽生結弦を公私にわたってサポートしているのが、元フィギュア強化部長の城田憲子氏。城田氏には'06年の不正会計問題で連盟の理事を引責辞任した過去があります。連盟は羽生の活躍を喜びつつも、城田氏の復権を快く思っていません。再度の浅田バブル、城田阻止のためにも浅田を呼び戻したかったのです」(前出・関係者) 浅田はソチ五輪のフリー演技が完璧だったため、燃え尽き症候群になって休養が長引いた。さらに、平昌五輪を目指すとなればルールに従い、予選から戦わなければならない大会もある。 “カネとオンナ”に振り回される真央−−。未婚出産後に復帰してズタボロになった安藤美姫の二の舞いにならなければいいのだが…。
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スポーツ 2015年05月26日 12時00分
【記憶に残るプロ野球選手】第6回 ずんぐりむっくりの体型でファンに愛されたドカベン香川
“おデブちゃん”のプロ野球選手といえば、最近では“おかわりくん”こと中村剛也内野手(西武)がいるが、まさにずんぐりむっくりの肥満体型でファンに愛されたのが、“ドカベン”こと香川伸行(南海→ダイエー=現ソフトバンク)だ。アスリートにとって、太るのはご法度であるが、香川は相撲取り並みの体型と明るいキャラクターで、関西のファンに親しまれた。晩年の江夏豊投手は腹が大きく突き出していたが、それとはまた違って、長いプロ野球の歴史上、これだけ太っていた選手は、香川のほかにはいないだろう。 香川は高校時代から注目の的だった。水島新司の人気野球漫画「ドカベン」の主人公・山田太郎と同じポジション(捕手)で、かつ体型が似ていることから、“ドカベン”のニックネームが付けられたのだ。浪商(現・大体大浪商)高校では、横浜で監督も務めた牛島和彦(中日→ロッテ)とバッテリーを組み、3年の春には甲子園で準優勝。夏の甲子園では準決勝で敗れたが、香川は3試合連続本塁打を放つなど、体型とともに、その豪打は強烈なインパクトを残した。 しかし、なんせあの体型だ。バッティングは良くても、超鈍足。肩も決して強くはなく、打つだけの香川に対するプロ側の評価は厳しいものがあったが、79年のドラフト会議で地元・南海が2位指名して、プロ入りする。高卒ルーキーながら、1年目(80年)の7月に1軍昇格すると、初打席で日生球場の場外へ特大の本塁打を放ち、非凡な打撃センスを披露。この年は50試合に出場し、8本塁打、打率.282をマークした。 その才能が開花したのが、4年目(83年)で、105試合に出場。規定打席には到達しなかったが、15本塁打、61打点、打率.313を記録して、ベストナインに選出され、初のオールスター戦出場も果たした。鈍足ながら、意外にも盗塁も5個成功させている。豪快な一発が、その魅力であったが、あの体型でシュアな打撃技術も持ち合わせていた。だが、まだ22歳時のこの年の成績がキャリアハイとなってしまったのは、なんとも悲劇というしかない。その後の香川は体重の増加に苦しむことになる。 一人前の野球選手となった香川のもとには、関係者から夜のお誘いも多く舞い込むようになる。食の誘惑には勝てず、体重はドンドン増加していき、ピーク時には150キロまで増えたともいわれている。それに伴い、成績は下降。球団もダイエット作戦に取り組んだが、なかなか思うように減量は図れなかった。86年には捕手失格のらく印を押され、三塁コンバートに挑戦したが、うまくいかなかった。南海がダイエーに身売りし、本拠地が福岡に移転した89年を最後に香川は戦力外通告を受け、28歳の若さで引退を余儀なくされた。 10年間で残した成績は、714試合出場、460安打、78本塁打、270打点、打率.255と平凡なもの。しかし、その人気はピカイチで、まさに記憶に残る選手だった。バッティング技術は卓越したものがあったが、守備、走塁面に難があり、レギュラーとして定着することはできなかった。もっと、ちゃんとダイエットに取り組んでいれば、とんでもないバッターになっていたかもしれない。 引退後は福岡に残り、野球解説者の他、事業にも乗り出し、少年野球の指導や社会人野球の監督を務めるなどしたが、ユニフォームを脱いだ後の香川は不運続きだった。私生活では2度の離婚を経験。01年には腎臓病を発症し、08年からは人工透析を受けなければならなくなっていた。療養のため、経営していた飲食店は閉店し、自宅は差し押さえられ、09年には自己破産した。さらに、腎臓の他、心臓の病気も患い、昨年9月26日、心筋梗塞のため、52歳の若さで帰らぬ人となってしまった。 球団の管理が行き届いた近代野球では、香川ほど太った選手はもう2度と出ないのではないだろうか? その意味では今後、不世出の愛すべキャラクターであった。(ミカエル・コバタ=毎週火曜日に掲載)
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