スポーツ
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スポーツ 2015年04月25日 11時00分
遠藤が手術回避で5月場所強行出場か
春場所5日目に左膝を痛め、途中休場した人気者の遠藤(24)。診断は半月板と前十字靭帯損傷で、全治2カ月の重傷だった。 当初は内視鏡を入れて手術をする予定だったが「もう歩けるようになっているし、痛みもない。考えていたよりもずっと順調なので、手術はしない方向で進めている」と師匠の追手風親方(元幕内大翔山)が話している。 まだ春巡業が行われていた最中の4月11日、遠藤は四股を踏むなどして体を動かした。膝にテーピングは巻かれていない。まさに驚異のスピード回復で、夏場所(5月10日初日、両国国技館)の出場も視野に入れているという。しかし、関係者の間からは、「焦るな」「じっくり治せ」という声がしきりだ。 「出たい気持ちはわかりますけどね。夏場所、また照ノ富士、逸ノ城の2人が大きな注目を集めるのは間違いありませんからね。このまま休場していると、遠藤の出る幕がいよいよなくなってしまいます。でも、中途半端な状態で出るのが一番まずい。ひざに不安を抱えていては、出る力も出ませんから。出る以上はしっかり治して、不安を完全に取り去ってからでないと危い」(担当記者) 大相撲に限らず、あらゆるプロスポーツ界では、靭帯のケガは骨折よりもやっかいといわれている。骨折は回復すれば完全に元に復するが、靭帯は時間がかかり、元の状態にはなかなか戻らない。 春場所、日馬富士を破って初金星を挙げ、会心の笑みを見せた栃ノ心も右膝の靭帯を痛め、思い切って手術。4場所連続休場して幕下55枚目まで落ちたが、そこからまた4場所かけて幕内に復帰し、うれしい金星獲得につなげた。回り道のように見えて、意外に近道だったのだ。 果たして遠藤の場合はどうなるか。追手風親方は、「まだ出場するかどうか、微妙。出るとなれば、幕内で十分に力を出せるぐらいまで戻っているかどうか、よく見極めて判断する」と慎重だ。 遠藤の心は今、嵐の中の小枝のように揺れている。
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スポーツ 2015年04月24日 16時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈篠原信一vsダビド・ドゥイエ〉
このところテレビのバラエティー番組への出演が増え、早くも「今年一番ブレイクした人物」との声すらある篠原信一。だが、その現役時代はどこか“脇役”のイメージが付いて回った。 1997年から全日本体重別選手権95キロ超級で5連覇、無差別級の全日本選手権も'98年から3連覇。講道館杯でも'97年に優勝と、その実績は歴代の名選手たちと比べても全く遜色のないものだったが、この当時「もはや日本柔道の重量級は世界にかなわない」というのが世間一般からの見方だった。 「篠原も世界選手権で優勝するなど世界トップクラスの柔道家でしたが、一般ファンはどうしてもオリンピックの結果ばかり注目しがちです。'92年バルセロナ、'96年アトランタと2大会連続で重量級からの優勝がなく、一方、中軽量級では古賀稔彦、吉田秀彦、野村忠宏、中村兼三など続々と金メダリストが誕生した。重量級への注目が薄れたのも仕方ありませんでした」(スポーツ紙記者) また日本のファンは「柔よく剛を制す」との格言に慣れ親しんでいることもあり、日本人離れした巨躯の篠原には感情移入しづらい面もあっただろう。篠原並みに高身長の小川直也も、精神面の弱さを指摘されるなど、どこか否定的な論調が付いて回ったものだった。 そんな篠原の現役中、日本中から最も多くの声援が集まったのが、2000年シドニー五輪100キロ超級決勝戦であろう。 対するダビド・ドゥイエは前回五輪の同級覇者で、世界でも有数の柔道愛好国の一つであるフランスの英雄的存在。だが今大会は腰痛による長期欠場明けで、大会出場自体も危ぶまれていたような状態だったことから、直近世界選手権優勝の篠原が有利というのが大方の評価であった。 とはいえ、さすがドゥイエも実力者。いざ試合となれば一進一退互角の攻防が続いたが、それでも徐々に篠原が組手などで優位に立ち始める。 そうして残り時間1分15秒、後に柔道競技のルールを変えるきっかけにもなった大事件が起こる。 押され気味のドゥイエが強引に左内股を仕掛けたところを篠原は冷静に見切り、左脚をピンと宙にあげてその技をかわす。そうして残した上半身で力を加えると、ドゥイエの身体はきれいに一回転して背中から畳に落ちた。 これを見てテレビの実況では「内股すかしで一本!」と断言している。 しかし、入ったポイントは有効。それもドゥイエの側への加点だった。 それを見てもなおテレビ解説では「(篠原の)有効ですか」と残念そうで、さらに「得点の入れ間違い」とまで言ったほど。専門家の目からすれば、明らかに篠原の技が決まったと映ったのだ。 しかし、斉藤仁コーチが試合場の畳の脇から審判に向かって猛抗議を始めたことで、ようやく「ドゥイエの内股が有効とされた」ことがわかってくる。 VTRのリプレイ映像には、確かに主審と副審の1人がドゥイエに旗を揚げる様子が映っている。しかし同時に、篠原の内股すかしもはっきりと映し出されていた。 審判の裁定が覆ることのないまま試合は進み、一度はドゥイエの消極的姿勢に注意が与えられたことでポイントは並んだものの、決め手を欠いた篠原は再びドゥイエの技に有効を許してしまう。これにより金メダルはドゥイエの手に渡った。 篠原は表彰台で悔し涙を流すような様子を見せながらも「勝てなかったのは気持ちの切り替えのできなかった自分の弱さ」と、決して誤審を責めようとはしなかった。柔道界ではこの試合以降、ビデオ判定が取り入れられることになった…。 そんな篠原が悲劇のヒーローとして柔道界の主役となったのかといえば、さにあらず。同じシドニーの100キロ級金メダリスト井上康生が日本柔道界の顔となっていったのだった。 ちなみに篠原が最近、テレビ番組の中で「自身のベストバウト」としたのは件のドゥイエ戦ではなく、現役最後の試合となった'03年、全日本選手権準決勝の鈴木桂治戦。1対2の判定で敗れたその試合を挙げた理由は「柔道界でヒール扱いされてきた自分が、初めてお客さんたちから温かい声援を受けたから」というものであった。
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スポーツ 2015年04月23日 16時00分
USA発 新聞、テレビではわからないMLB「侍メジャーリーガーの逆襲」 FAになれば100億円規模の契約も可能!! 岩隈久志に「18勝以上」を期待できる4つの理由
日本のメディアの関心は相変わらずヤンキース・田中将大の方に向いているが、日本人投手の中で今季、大勝ちする可能性があるのは田中ではなくマリナーズの岩隈久志だ。なぜなら今季岩隈にはプラス要素が4つもあるからだ。■プラス要素1=「契約最終年の踏ん張り」に期待 岩隈はマリナーズとの契約が今季で終わるため、オフにチームを出てFAになった場合、金満球団(ドジャース、ヤンキース、レッドソックス、エンジェルス等)の間で争奪戦になることが予想される。岩隈はメジャーの先発投手の中で最も安定感のある投手の一人と見なされており、日本で考えられている以上に評価が高い。特にレッドソックスは岩隈に強い興味を示していて、昨年末にエースに据える目的でマ軍に右の主砲セスペデスとの交換トレードを申し入れたほどだ。今オフ、岩隈がFAになれば、大金を積んで獲得に動く可能性が高い。 岩隈の場合、年齢がすでに34歳であること、故障リスクあることなどを考えればFAになっても5年以上の契約をゲットするのは難しいだろう。しかし今季、故障せずローテ通りに登板して防御率3・00前後の数字を出せば4年8千万(96億円)〜9千万ドル(108億円)規模の契約をゲットすることは十分可能だ。岩隈本人もそのことはよくわかっているので、それが高いモチベーションを生みだす原動力になる。■プラス要素2=「チームの得点力」が大幅アップ 昨年まで岩隈はマリナーズ打線の貧打に泣かされ、好投しても見殺しにされるケースが多々あった。しかし今季は違う。マ軍はオフに大掛かりな補強を行い、昨年の本塁打王ネルソン・クルーズを獲得。さらにセス・スミス、ルジアーノ、ウィークスといった一発のある打者の獲得にも成功し得点力が格段にアップした。そのため岩隈は6回ないし7回を3点以内に抑えておけば、高い確率で勝ち星が付く可能性が高い。一昨年のようにフルシーズン登板してQS(6回以上を3点以内)を23マークできれば18勝以上も夢ではない。■プラス要素3=「内野の守備力」は最強レベル マリナーズは若い内野手の守備力が大幅にアップ。サードのカイル・シーガーは昨年初めてゴールドグラブ賞を獲得した。ファーストのモリソン、ショートのミラーもハイレベルな守備力を備えている。セカンドにはゴールドグラブ賞を2度獲得したカノーが控えている。そのためマ軍の守備力は急速に向上し、昨季は内野のエラー数がリーグ最少だった。今季もレギュラー陣の顔ぶれは昨年と同じで内野の守備力はトップレベルと評価されている。これはグラウンドボール・ピッチャー(打球がゴロになる比率の高い投手)である岩隈にとって大きな助けになる。トップレベルの守備力を備えた内野陣をバックに投げることができればエラーがらみの失点が減るだけでなく、ピンチをダブルプレーで切り抜けるケースも多くなる。メリットは二重三重にあるのだ。■プラス要素4=プレッシャーの少ない「第2エース」 もう一つ見逃せない要素はマリナーズには大エース、フェリックス・ヘルナンデスがいるため、岩隈はプレッシャーが掛からない第2エースという立場で投げられることだ。地方都市のチームの第2エースという立場はメンタル面では最高の環境と言っていい。 このように今季、岩隈にはプラス要素がいくつもある。しかも、今季はチームのムードも最高。マ軍は'02年以降一度もプレーオフに進出していないが、今季は打線が大幅にレベルアップしたため、メディアの多くはア・リーグ西地区の優勝候補の本命に挙げておりチームにはイケイケムードが漂っている。これも岩隈にとって追い風になるだろう。 一方で、リスク要因もある。最大のものは、なんといっても肩の故障の再発だ。 岩隈は'10年のオフに楽天を出てポスティングでメジャー入りを目指した。このときはアスレチックスがポスティング金1910万ドル(23億円)のほか、岩隈に4年分の年俸1525万ドル(18億3千万円)を提示したが、代理人の要求額が高すぎて契約には至らなかった。そこで楽天に残留し翌年再度メジャーにチャレンジすることにしたが、翌'11年の5月に肩を痛めたため商品価値が暴落。マリナーズと1年150万ドルで契約する羽目になった。 今季もシーズン中に肩を痛めてDL入りすれば商品価値が暴落し、複数年契約は望めなくなる。それだけは何が何でも避けなくてはいけない。スポーツジャーナリスト・友成那智ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は各媒体に大リーグ関連の記事を寄稿。'04年から毎年執筆している「完全メジャーリーグ選手名鑑」(廣済堂出版)は日本人大リーガーにも愛読者が多い。
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スポーツ 2015年04月22日 16時00分
浅田舞が明かしたフィギュア界の“闇”
推定Eカップ巨乳とぶっちゃけトークで、最近、バラエティー番組でひっぱりだこの浅田舞(26)。先日、発売した初写真集『舞』も好評で、ますますメディアの露出が増えていきそうな気配だ。 「海外撮影の水着ショットがあり、巨乳を存分に味わえる。同時期に発売されたAKB小嶋陽菜の写真集には負けているが、綾瀬はるかよりは部数が出ている。かなりの人気作品といえるでしょう。今後はDVDも出すでしょうし、徐々に露出度を上げていくことによって、バラエティーに並行してグラビア系の仕事も切れることはないはず」(芸能ライター) スケート選手としては妹の浅田真央(24)の陰に隠れた格好だったが、現在はタレント活動をのびのびと楽しんでいるように見える。 そんな舞が少し前、フィギュアスケート界の闇を暴露したことがあった。 「高校時代、スケートの練習場から控室に戻ってきたら、舞の荷物や練習道具が全部投げ出されていたというのです。放送はされませんでしたが、現場では同時期のライバル選手の名前が出ていたそうです」(同) フィギュア界にはこういった類の話は多く、渡部絵美は現役時代、海外留学し外国人コーチに習ったことが生意気だと、国内大会のために帰国しても練習リンクを貸してもらえなかったという。 「渡部のケースは選手と連盟との軋轢の一例ですが、そもそもフィギュアは子供時代から練習を重ね、トップ選手になるまで1億円ぐらいかかると言われる特殊な世界。人気コーチになると母親たちによる奪い合いがあり、コーチの食事係、コーヒー係といった一種の序列ができるそうです」(同) 舞のみならず、お騒がせの安藤美姫(27)もタレント転身後、生き生きしているのも分かる気がするが、そうなると気になるのは、進退を決めていない真央の今後だ。
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スポーツ 2015年04月22日 16時00分
監督代行・川相ヘッドが示した巨人の近未来像
川相昌弘ヘッドコーチ(51)の手腕をもっと評価しても良いのではないだろうか。 去る4月14日、DeNA戦が雨天中止となった。原辰徳監督(56)がインフルエンザに感染した件が発表されたのは同日夜のことで、球団は各メディアに伝えるのと同時に、川相ヘッドにも監督代行を要請していた。川相ヘッドも前日までインフルエンザでチームを離れていた。 「川相ヘッドは原監督と入れ代わるようにしてチームに復帰しました。復帰と同時に監督代行を務めることになりましたが、戸惑いは全く感じられませんでした」(ベテラン記者) 川相ヘッドの監督代行は初めてではない。同14日以降、奇しくも巨人は“常勝街道”に入り、首位戦線に浮上した。 川相采配による初黒星は15日の阪神戦だが、その試合を指して、年長のプロ野球解説者がこう評していた。 「7回表、先頭打者の村田が四球を選ぶと、迷わず、代走のスペシャリストである鈴木を投入しました。次打者の犠打失敗もあり、得点には繋がりませんでしたが、早めに仕掛けた作戦は間違っていない」 対戦チーム・阪神には、クローザーの呉昇桓がいる。9回最後の攻撃になれば、得点のチャンスは少なくなる。実際に『対呉昇桓』となった9回表も、相手の失策に付け込み、阪神ベンチをヒヤヒヤさせてみせた。川相采配を高評価するプロ野球解説者も少なくない。ひょっとしたら、この堅実な采配が巨人の監督後継問題にも影響してくるのではないだろうか。 原監督は今季で契約任期が満了する。経営陣がゴジラ松井にラブコールを送り続けているものの、色好い返事は帰って来ない。渡辺恒夫・球団会長は開幕前に催された巨人の応援組織『燦々会』で、「来季以降も」といったニュアンスを含む発言をし、“再々続投”も示唆したのは、松井氏を説得できていない事情も影響していたはずだ。 「いや、この状況で松井クンに次の監督をお願いするのは申し訳ない。有力候補である高橋由伸に対しても同様です。野手陣は世代交代のはざまにあり、若手はまだ一人前に育っていない」(関係者の1人) 原監督の続投が“ゼロ”になっていないのも、そのためだろう。 「松井待望論」が尽きないのは、人気回復のため。巨人は2年連続で主催ゲームの観客数を増やしたが、地上波でのナイター中継数は激減したまま。営業面で期待する向きがあるのは仕方ないとしても、チームの課題は野手陣の世代交代を進めること。松井氏に人気回復、世代交代、優勝の3つを課すのは気の毒な話であり、大田泰示、橋本到、岡本和真らの若手を一人前に育て上げた後に「松井氏か、高橋由伸を監督にし、長期政権を」というのが、もっとも自然な流れだろう。 そこでクローズアップされてきたのが、川相代行の堅実な野球だ。同ヘッドコーチは二軍監督を務めた経験もあり、大田、橋本らの性格も分かっている。『原-川相』の継承ラインもあり得るのではないだろうか。 また、ポスト原が内部昇格ならば、「次はゴジラ松井」というファンの期待も継続できる。 「近年、巨人監督に選ばれたOBは読売新聞スポーツアドバイザー職を務めてきました。その図式から考えると、現在、その職にある鹿取義隆氏も候補の1人です」(前出・ベテラン記者) 本命・ゴジラ松井を招聘する前に、巨人は世代交代という課題をクリアすべきである。
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スポーツ 2015年04月22日 12時00分
【甦るリング】第4回・はかり知れない強さを秘めていた悲運のエース・ジャンボ鶴田
R30世代以降のプロレスファンにとって、ジャンボ鶴田は決して忘れることができないプロレスラーの一人だろう。日本人離れした196センチの長身ながら、抜群の身体能力、運動神経、プロレスセンス、スタミナを持ち合わせ、ジャイアント馬場が第一線を退いた後のエースとして全日本プロレスをけん引した鶴田。その強さは半端なものではなかったが、マイペースな性格からか、なかなか試合で熱くなることはなく、本当の強さが垣間見られた試合はあまり多くなかった。その点では、鶴田はふしぎなプロレスラーであったかもしれない。 1951年3月25日生まれ、山梨県東山梨郡牧丘町(現山梨市)出身の鶴田は、ブドウ農園を営む家で育つ。山梨県立日川高等学校を経て、中央大学法学部政治学科に入学。当初はバスケットボールの選手だったが、アマチュアレスリングへ転向。抜群の運動能力を発揮し、短期間で急激に力を付け、71、72年には全日本選手権のフリースタイル、グレコローマンで2連覇を果たし、ミュンヘン五輪(72年)に日本代表として出場した。 体格、レスリングでの実績を馬場に見込まれた鶴田は、全日本プロレスへの入団を決意。同年10月、入団会見の際には、「全日本プロレスに就職します」との名言を吐いた。入団後、米テキサス州アマリロのザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク)のもとへ修行に行き、翌73年3月、米国でデビュー。 同年10月に凱旋帰国し、いきなり、馬場と組んで師であるファンクスの持つインタータッグ王座に挑戦。60分3本勝負で行われた試合は1-1で時間切れ引き分けだったが、鶴田はテリーからピンフォールを奪う殊勲の星を挙げ、入団1年にして、馬場に次ぐ全日本ナンバー2の座を確保するスピード出世ぶりをみせる。75年2月、米テキサス州サンアントニオで、ファンクスを破り、インタータッグ王座を奪取。76年8月には復活したUNヘビー級王座の決定戦で、ジャック・ブリスコを下し、初のシングル王座を獲得した。 以後、全日本ナンバー2の座を確固たるものにするも、当時、世界最高峰といわれたNWA世界ヘビー級王座や、AWA世界ヘビー級王座に何度挑んでも、タイトルを獲れないことから、“善戦マン”のありがたくないニックネームが付けられた。83年8月、ブルーザー・ブロディを破り、インターヘビー級王座を奪取すると、馬場から全日本のエースの座を禅譲されることになる。 84年2月には、そのインター王座を懸け、AWA世界ヘビー級王者のニック・ボックウインクルとのWタイトル戦を行い、この試合を制して、日本人初のAWA世界王者となる。AWA王座は日米を股に掛けて、16度の防衛に成功。同年5月にリック・マーテルに敗れて王座陥落するまで、3カ月間保持した。 その後、全日本に長州力率いるジャンパン・プロレス軍団が参戦。長州といえば、鶴田と同様、ミュンヘン五輪に出場したレスリングの猛者だったが、85年11月、大阪城ホールでシングル初対決。試合は60分時間切れ引き分けとなったが、体格、スタミナに勝る鶴田は長州を圧倒。鶴田の強さをまざまざと見せつけたこの試合は、今でも語り草となり伝説となっている。 ジャパン軍が新日本プロレスにUターンした後の88年6月、谷津嘉章とのコンビでPWF世界タッグ王座だった鶴田は、インタータッグ王者のロード・ウォリアーズとのWタイトル戦を制し、王座を統一し、初代世界タッグ王者となる。さらに、89年4月、インター王座を保持していた鶴田は、PWF&UN両ヘビー級王者のスタン・ハンセンとトリプルタイトル戦で勝利。見事、3冠を統一し、初代3冠ヘビー級王者となる。これを機に、名実ともにプロレス界のトップとして君臨した。 当時、全日本ではナンバー3の扱いであった天龍源一郎が正規軍に反旗を翻し、天龍同盟を結成。鶴田に牙をむいた天龍との一連の抗争はヒートアップ。ふだんは沈着冷静なファイトをする鶴田だが、こと天龍戦に関しては熱くなり、鶴田がもつ本来の強さが引き出された。その意味で、天龍の功績は大きい。この頃の鶴田は天龍に負けることもあったが、とにかく恐ろしいほど強かった。しかし、90年4月、天龍が新団体SWSへの参画のため離脱。両者のライバルストーリーは突如、終止符が打たれ、後輩の三沢光晴が天龍に代わって、全日本のエースの座を狙う存在となる。 92年8月、三沢が初めて3冠王座に就いた直後の同年11月、鶴田はB型肝炎を発症したことを告白し長期療養に入る。93年10月に復帰したものの、第一線を退き、前座試合にスポット参戦するようになる。その後はプロレスと並行して、学問の道に進み、筑波大学大学院修士課程体育研究科でコーチ学を学び、慶應義塾大学、桐蔭横浜大学、母校の中央大学で講師を務めた。 99年1月に全日本社長の馬場が死去すると、同年2月に取締役を辞任し、引退を発表。同年3月6日、日本武道館で引退セレモニーを行い、全日本を去った。同月、米オレゴン州ポートランド州立大学に客員研究員として留学し、スポーツ生理学を学ぶが、肝臓の状態が悪化。肝移植を受けることを決意し、オーストラリアに渡り臓器提供を待っていたが、フィリピンでドナーが現れ、マニラで移植手術を受けたが、00年5月13日、手術中に大量出血し、49歳の若さで死去した。 プロレス界に大きく、その名を残した名選手の海外での最期は、あまりにも寂しく悲しいものだった。肝炎を患った後の晩年の鶴田の前座でのファイトは、全盛期を知る者にとっては、見るに忍びなかったが、本気になった時のはかり知れない強さをもった鶴田は、紛れもなく、日本プロレス界のトップ中のトップだった。だが、勝負論にこだわると、師・馬場とは直接対決の機会も少なく、一度もピンフォールを奪えないまま、全日本のエースの座を譲られたという点では、“悲運のエース”といえるのかもしれない。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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スポーツ 2015年04月21日 12時00分
【記憶に残るプロ野球選手】第1回・ヘディングで一躍その名を全国にとどろかせた中日・宇野勝
日本プロ野球界は王貞治、長嶋茂雄、野村克也ら多くの偉大な選手を輩出してきた。彼らは数々の凄い記録を残したが、本項では、主に80年代、90年代に活躍した“記憶”に残るレジェンドたちを取り上げていきたい。 第1回は「ヘディング事件」で、あまりにも有名になった宇野勝(56=中日→ロッテ)だ。事件が起きたのは81年8月26日、後楽園球場で行われた巨人対中日戦でのこと。2-0と中日リードで迎えた7回裏二死一塁、巨人の打者・山本功児はショートへのフライを打ち上げて、3アウトチェンジかと思われた。 ところが、宇野は平凡なフライを捕球できず、ボールは宇野の頭を直撃。大きく跳ね上がったボールはレフトフェンス側へ転がり、一塁走者は生還。本塁を狙った打者走者はアウトとなり、同点になるのは防いだ。 当時投げていたのは、後に中日の監督となる“闘将”星野仙一。宇野のエラーで狙っていた完封がならなくなった星野は、激怒しグラブを叩きつけたのだった。試合はそのまま、2-1で中日が勝って、星野は勝利投手になって、ことなきを得たが、この「ヘディング事件」は、“世紀の珍プレー”として終生語り継がれることになり、宇野は一躍その名を全国にとどろかせた。 ちなみに、その年、宇野は128試合に出場し、25本塁打、70打点、打率.282をマーク。それまでで自己最高となる成績を収めている。 宇野の珍プレーはそれだけではない。打った後、前の走者を追い抜いてアウトになったり、ユニフォームを忘れて、コーチのユニフォームを借りて試合に出場したりで、まさに“天然”なプレーヤーだった。 「ヘディング事件」があまりにも有名な宇野だが、その実力はかなりなものであった。千葉・銚子商業時代に甲子園に出場。76年のドラフトで3位指名され、中日に入団。意外な気もするが、宇野は強肩で、当時は遊撃手としての守備が評価されての指名だったという。 3年目の79年に頭角を現し、遊撃のレギュラーを奪取。持ち前の長打力を生かして、82年には初の30本塁打をマーク。84年には37本塁打を放ち、掛布雅之(阪神)と並んで、初めて本塁打王のタイトルを獲得。翌85年には41本塁打を記録したが、これは遊撃手としてのシーズン最多記録だ。 元来、本塁打が多い反面、三振も多く、通算1306三振は歴代18位(4月8日現在)。打率は決して高くはなかったが、89年には1度だけ3割(.304)を打った。92年、若手の台頭で出場機会が減り、成績も下がってしまい、同年オフ、交換トレードでロッテに移籍。ロッテでの2年間は出番も少なく、94年オフに戦力外通告を受けた。獲得する球団はなく、宇野はこのシーズンかぎりで現役を引退した。 実働18年間で打った本塁打は338本で、堂々の歴代32位タイ。中日在籍時に放った334本は、同球団の最多本塁打記録として今でも残っている。現状、中日にホームランバッターがいないため、この宇野の球団記録は当分破られることはないだろう。遊撃手として3回ベストナインを受賞しているが、守備面ではファインプレーが多かったものの、平凡な打球をエラーすることも多く、ゴールデングラブ賞を受賞したことは一度もない。 引退後は名古屋のメ〜テレ(旧名古屋テレビ)や東海テレビで解説者を務めていたが、04年に落合博満が中日の監督に就任すると、宇野はその打撃理論を買われ打撃コーチに抜てきされた。08年までの5年間、コーチを務めて2度のリーグ制覇、1度の日本一に指導者として貢献した。 退団後、再び、東海ラジオやメ〜テレで解説の仕事をしていたが、12年、中日に第2次高木守道政権が誕生すると、コーチに復帰。2年間、務めたが、高木監督の退任とともに退団。14年からは再度、メ〜テレ、東海ラジオで解説者として活動している。「ヘディング事件」で伝説のプレーヤーとなり、一連の珍プレーで笑わせてくれた宇野は、まさに“記憶”に残る選手だった。しかし、残した成績はホームランバッターとして立派なもので、実力も伴った選手だった。(ミカエル・コバタ=毎週火曜日に掲載)
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スポーツ 2015年04月20日 16時00分
絶好調!? 横浜DeNAで急浮上したイチロー次期監督
春の珍事では済まされなくなってきた中畑ベイスターズの快進撃。開幕から15試合を終えて9勝6敗(4月13日現在)。チーム打率.280、64得点、13本塁打はともにリーグトップ。1998年に権藤博監督の下で優勝したあのマシンガン打線に、バズーカ砲をトッピングしたような猛攻軍団だ。 17年前の元祖マシンガン打線は石井琢、鈴木尚がけん引し、谷繁、ローズの主軸が返す高性能銃器。大魔神・佐々木の超ストッパーもいた。それに比べて2015年型は当初、地味な印象だったのは否めない。昨年22本塁打した筒香嘉智は別格としても石川雄洋、梶谷隆幸、倉本寿彦といずれも“無印優良品”。抑えも小魔神、今春に亜細亜大を卒業したばかりのルーキー山崎康晃だ。これでなぜこうも勝てるのか不思議。なにより指揮官はあの天然キャラの中畑清監督だ。 「ワガママ助っ人のおかげですよ。総額5億円で獲得したグリエルに開幕直前にドタキャンされ、チーム構想が大崩壊した。下馬評では今年も最下位候補に挙げられていたのですが、深追いせず、逆に契約解除したことが良かった。予想外の効果をもたらしています。というのも球団はこの5億円をなかったものとして、優勝ボーナスに計上しようとしているのです。昨年の巨人は82勝61敗でリーグ優勝している。今季も優勝ラインは80勝前後でしょう。そこで1勝あたり600万円の特別査定枠を設け、その勝利試合の貢献度に応じて選手個々に年俸とは別にボーナス支給ということのようです。もっとも球団からすれば、あくまで優勝が前提だから支払わないで済む可能性の方が高い。逆転の発想で、グリエルに逃げられた痛手を勝利のエネルギー源にしているのです。万年Bクラスのチームが快進撃を続けるのは、この5億円のおかげです」(スポーツ紙デスク) もう一つ。ベイスターズ急上昇の理由はグラウンド外にもある。任天堂とDeNAの合体だ。 オープン戦真っただ中の3月17日、ゲーム界を揺るがす出来事があった。任天堂とDeNAが資本・業務提携を発表したのだ。 「これで任天堂が誇るマリオやポケモンがスマホで楽しめるようになる−−。市場に与えた衝撃は非常に大きかった。発表翌日の両社の株価はともにストップ高です。任天堂の時価総額は一夜にして4000億円増え、DeNAは売りに対して買いが150倍に達し、1300億円以上の買い注文を残して取引を終了したほど。球界一の巨人の年間選手総年俸は45億円ほどですから、スケールが桁外れに違う。その物差しでプロ野球を経営するのですから、ベイスターズが変身するのは至極当然なのです」(大手広告代理店) アベノミクスに背中を強烈に押され、兜町は日経平均2万円を突破し、経済界はバブル再来に沸いている。自社株を大量に保有するIT企業のオーナーたちはわが世の春、資産をさらに増やした。ソフトバンクの孫正義社長の資産総額は1兆6300億円、楽天の三木谷浩史社長は3900億円。今年からベイスターズの球団オーナーに就いたDeNAの南場智子取締役も400億円で、あのトヨタ自動車・豊田章男社長を上回っている。これだけみても、巨人や阪神が伸び悩むのが理解できる。 今回の業務提携を受け、ベイスターズの若手選手の目の輝きが変わってきたという。シアトル・マリナーズの筆頭株主は任天堂の米国法人。これでメジャー挑戦の夢がぐんと膨らみ、大きな刺激となっているのだ。 いわば、DeNAが米国でも球団を所有するようなもので、この先、どのようにも展開できる。相互の交換留学のような形で、本来認められていないレンタル移籍も事実上可能になる。メジャー進出で先行していた巨人、ソフトバンクはまとめて追い抜かれた格好だ。今後、メジャーを目指す有力選手はベイスターズを無視できなくなる。 その任天堂と切っても切り離せないのがイチロー(41)なのだ。マリナーズ時代の年俸14億円の一部は、現役引退後に備えて任天堂の株式で得ていたともいわれ、結果としてDeNAともつながった。そこで急浮上してきたのが、中畑清の後任監督だ。 今年で監督4年目を迎えた中畑監督だが、支えてくれた春田真前オーナーが退任。ハーバード大学ビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得した“女傑”南場オーナーは任天堂との絡みもあり、イチローの監督招聘を強く望んでいるという。 「横浜は今、大きく変わろうとしています。2020年五輪・パラリンピックを最優先する東京都がお台場のカジノ誘致にブレーキをかけたことで、横浜市の山下ふ頭地区にカジノ場建設が確実になった。そのIR(統合型リゾート)の一環として、同地区に新しいドーム球場の建設計画が持ち上がっているのです。メジャーで活躍した“イチロー監督”なら海外からもプロ野球ファンを呼べ、興行的にも期待できる。この計画を前へ進めるためにも、横浜市の経済界にイチロー待望論が広まっているのです。横浜をプロ野球のメッカにしようということです」(地元記者) もう忘れてしまったかもしれないが、DeNAは今年のオープン戦で“セ・リーグ優勝”。おそらく、ここでも実弾が飛び交っていたのだろう。 ハマのニンジンは半端ではない。
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スポーツ 2015年04月19日 15時00分
周囲も戸惑う白鵬の優等生ぶり
白鵬の改心は、果たして本物か−−。 初場所の一夜明け会見で白鵬がぶちまけた稀勢の里戦の取り直しの裁定に対する不満以来、報道陣との対立は尾を引いたままだったが、ここに来て雪解けムードが漂っている。 「春場所千秋楽、日馬富士を破って優勝を決め、支度部屋に戻って来ても口をつぐんだままでした。そのくせ大勢の観衆が見ている土俵下のインタビューではペラペラですからね…。あれでは支度部屋の取材を主とする活字媒体が憤然とするのも無理ありません。案の定、翌日の新聞の扱いは針を含んだものでした」(担当記者) 一夜明け会見も開始時間を自分勝手に午後にズラして夕刊の時間帯を無視し、問題についても「もう終わったこと」と突っぱねた。 これでは、わがままのし放題で大相撲界を追われた朝青龍と大差ない。そう周辺から冷ややかな視線を向けられ、さすがにこのままというわけにはいかないと思ったか、3月29日から伊勢神宮を振り出しに近畿、関東周辺を回る春巡業が始まると態度を一変させた。 何と巡業初日には春場所とは手のひらを返したように報道陣の質問にもていねいに答え、「巡業中はできるだけ汗をかいていきたい」と抱負まで熱く語ったのだ。 翌日には力士たちを集め、尾車巡業部長(元大関琴風)に志願して、「春巡業の日程は土日中心で不規則で大変だけど、力を合わせて頑張ろう」とあいさつまでした。これには尾車巡業部長もびっくりで、「こんなこと初めてだよ。稽古も先頭に立ってやっているし、まだまだヤル気十分だな」と目を細めていた。 4月4日の神奈川・藤沢市巡業では、報道陣からも対戦相手を求めたほど上機嫌。この優等生ぶり、どこまで続くか見ものである。
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スポーツ 2015年04月19日 13時00分
北島康介を襲う「東京五輪キャスターで出場もムリ」の声
「選手としてできることをやりたいから、キツイ思いをしてきたけど、桜が散った」−−。4月8日、東京辰巳国際水泳場で開催された『競泳日本選手権』男子100メートル平泳ぎで、五輪2大会金メダルの北島康介(32)が“惨敗”を認めた。順位は3位だが、タイムは1分0秒18。国際大会に出場するために必要な派遣標準記録(1分0秒04)にも届かない平凡な記録である。 「他選手も『北島の今後が気になる』と心配しています。大会前、米国で高地合宿を行うなど、北島は復活に懸けていました。今年9月で33歳です…。来年のリオ五輪はもちろん、東京五輪出場はとてもムリでしょう」(体育協会詰め記者) 北島が日本の競泳界に与えた功績は記録だけではない。水泳連盟が前回ロンドン五輪で「金メダル獲得なら3000万円」という、他競技と比べても桁違いな報奨金を用意できたのも、北島人気で協賛スポンサーがゴマンと集まったからだという。好感度の高い北島を競泳界に踏みとどまらせておく方法はないものか…。 そこで真っ先に思い付くのは解説者だが「昨夏のパンパシ水泳での解説を聞いたでしょ? 初めてとはいえ、『スゴい』しか連呼できないようでは…」(同)と、かなり悲観的な声が聞かれた。確かにフィギュアの織田信成のような“三枚目キャラ”とも違い、松岡修造のような“熱血漢”でもない。解説者・北島はテレビ受けしそうにない。 「2009年にマネジメント会社を立ち上げ、ビジネスマンとしての活動も始めています。今年3月から米国企業の日本法人の代表取締役にも就任しており、実業家に専念するつもりなのでは? リオ五輪、東京五輪では、協賛金を出す側にまわるかもしれません」(テレビ局スタッフ) 北島は「来年、桜を咲かせたい気持ちはある」とも話しており、一部で「引退後の収入源は確保しているから、トコトンまで現役にこだわる」との見方もないわけではない。 競泳界は、果たして北島を手放さない“ちょー気持ちいい!”策を思い付くことができるだろうか。
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