スポーツ
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スポーツ 2015年05月12日 12時00分
【記憶に残るプロ野球選手】第4回・ブッ飛んだ言動! “超天然”な新庄剛志
記録より記憶に残るプロ野球選手といえば、1990年代、2000年代に日米を股に掛けてプレーした新庄剛志(43=阪神→メッツ→ジャイアンツ→メッツ→日本ハム)も、決して忘れられない存在だ。そんなに秀でてイケメンというわけではないが、男として抜群のプロポーション、プロ野球選手としては異例な派手なファッションで女性ファンのハートをつかんだ。さらには、天然ぶりを大いに発揮した数々の言動は常に注目の的となった。その上で、選手としても並みのプレーヤーではなかったわけだから、鮮烈に記憶に残る選手だ。 新庄は長崎県の離島・対馬で生まれ、福岡県福岡市で育つ。「プロ野球選手になってほしい」との父親の強い要望で、野球を始めた。西日本短期大学附属高等学校時代、3年生の夏の福岡県予選で決勝まで進むが、福岡大大濠に敗れ、惜しくも甲子園出場を逃した。しかし、その足の速さと肩の強さは各球団のスカウトの間で定評があり、89年のドラフト会議で阪神から5位指名を受ける。もともと巨人ファンだったという新庄は指名順の低さもあり、プロ入りを迷っていたが、父親から「行けなかった甲子園でプレーできるだろう」との進言を受け、阪神入りを決意した。 プロ入り後、当初は外野手だったが遊撃手に転向。2年目(91年)の9月に1軍初昇格を果たす。92年5月、三塁手のトーマス・オマリー(現阪神コーチ)の故障をきっかけに、“代役三塁手”としてチャンスをつかむ。オマリー復帰後も、その活躍が認められて、ポジションは遊撃手を経て、本来の中堅手に戻り、スタメン起用が続いた。この年、新庄は95試合に出場し、規定打席には達しなかったが、打率.278をマーク。高卒3年目ながら、2ケタ本塁打(11本)を放ち、レギュラーへの大きな足掛かりをつかんだ。 93年にはレギュラーに定着。初めて4番を打つなど、102試合に出場し、規定打席にも到達。打率.257ながら、23本塁打を放ち、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を初受賞し、阪神のスタープレーヤーの仲間入りを果たす。その後、順調な野球生活を送るも、ピンチが訪れたのが95年のこと。同年7月、新庄を買っていた中村勝広監督が休養となり、藤田平が代理監督を務めることになったのだが、新庄の成績は下降。故障の影響もあって、わずか87試合の出場に終わり、打率.225、本塁打7本と最悪な成績に終わった。 同年オフの11月、契約更改交渉後の会見で、新庄は「野球センスがないからやめます」と突然の引退宣言。2日後には発言を撤回し、契約を更改したが、まだ23歳のバリバリのプレーヤーの引退発言は大騒動となったのだ。これが、新庄のぶっ飛んだ発言の始まりともいえる。後に明らかになったところによると、引退すると言い出したのは、藤田代行監督との確執が最大の原因とされる。撤回したのは実家から「父親の病気が悪化している」と伝えられ、「ユニフォームを着ている姿を見せるのが、オヤジへのいちばんの薬だと思った」として翻意した。しかし、当時父親が病気であったのは確かだが、新庄に引退を思いとどまらせるため、実際の病状より深刻に伝えたようだ。 その藤田監督代行は96年に監督に昇格したが、成績不振のため、途中休養となった。この年、新庄は113試合に出場し、打率.238ながら、19本塁打をマークした。97年に吉田義男が新監督に就任すると、新庄は初の全試合(136試合)出場を達成。打率は.232と、この年も低かったが、4年ぶり2度目の20本塁打をマークした。98年オフには、野村克也新監督が誕生。新庄の肩の強さに目を付けた野村監督は、投手との二刀流を発案。練習を積んだ新庄は99年のオープン戦で、投手として登板もしたが、左ヒザを故障し、二刀流は断念。公式戦でマウンドに上がることはなかった。同年6月12日、甲子園での巨人戦では、同点の場面の12回裏一死一、三塁で、投手・槙原寛巳が敬遠しようとしたが、新庄は敬遠球を打ってサヨナラヒットとなり、これも“新庄伝説”のひとつとなっている。 00年には131試合に出場し、打率.278、28本塁打、85打点と自己最高の成績を収めた。これも、野村ID野球の成果かと思いきや、後に「ID野球は理解できなかった」といった“らしい”発言を残している。同年オフ、新庄はFA権を行使。ヤクルト、横浜(現DeNA)が獲得に乗り出し、阪神も5年12億円(推定)の破格な条件で慰留したが、新庄が選択したのはニューヨーク・メッツだった。年俸は20万ドル(当時のレートで約2200万円)で、日本に残った場合の10分の1。これについて、「新庄は1ケタ金額を間違えたのではないか?」との逸話もある。01年、当時メッツの監督は元ロッテ監督で日本通のボビー・バレンタインとあって、新庄は開幕メジャー入りを果した。当初はベンチを温める機会が多かったが、じょじょにスタメン出場も増え、4番を打つこともあった。この年、123試合に出場し、打率.268、10本塁打、56打点の成績を挙げた新庄の年俸は135万ドルに上がり、日本円換算で初めて年俸が1億円を超えた。 ところが、同年オフにジャイアンツにトレードされ、02年は118試合出場、打率.238、9本塁打、37打点の成績で、日本人として初めてワールドシリーズにも出場した。同年オフにはFAとなり、古巣のメッツに復帰。年俸は60万ドルに下がった。この年は故障の影響もあって、不振が続き、マイナー落ちも経験。わずか62試合の出場にとどまり、FAとなる。 新庄が新天地に選んだのは、翌年から本拠を札幌に移転する日本ハムだった。新庄は試合前のシートノックで、被り物をして受けるなどのパフォーマンスで、ファンサービスに精力を注いだ。同年、オールスター戦に出場した新庄はホームスチールを成功させるなど、ド派手な活躍が目立った。9月20日のダイエー戦(札幌ドーム)では、同点の9回裏二死満塁の場面で、ホームランを放ったが、うれしさのあまり、二塁の手前で一塁走者を追い越す形となり、アウトとなり、幻のホームランを記録した。幸い、三塁走者の本塁生還は認められたため、チームはサヨナラ勝ち。これまた、新庄らしいエピソードだ。 この年、移転1年目で日本ハムはプレーオフに進出し、新庄は観客動員に大いに貢献。自身も123試合出場、打率.298、24本塁打、79打点の好成績を残した。そして、06年4月18日、東京ドームでのオリックス戦。ヒーローインタビューの際、「今日、ヒーローインタビューという最高の舞台でみんなに報告したいことがあります タイガースで11年、アメリカで3年、ハムで3年…。今シーズン限りでユニフォームを脱ぐことを決めました」と、シーズンが開幕したばかりなのに、突然の引退表明。同年、日本ハムは快進撃を続け、25年ぶりのパ・リーグ制覇。さらに、中日との日本シリーズも制し、新庄にとっては最高の花道となった。 引退後は野球界とは一線を引き、タレント、実業家として活動していたが、10年にはインドネシア・バリ島に移住し、絵画制作やモトクロス競技の練習に没頭。元スタープレーヤーとは思えぬ浮き世離れした生活を送っている。打者としては、1度も3割を打ったことがなく、2000安打にも遠く及ばない(日米通算1524本)新庄だが、ゴールデングラブ賞10回の抜群の守備力、サービス精神、天然キャラで多くのファンに愛された。指導者向きではないかもしれないが、いつの日か何らかの形で野球界に戻ってきてほしい人材だ。(ミカエル・コバタ=毎週火曜日に掲載)
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スポーツ 2015年05月11日 15時00分
レッドソックス上原浩治が日本人2人目の日米通算100勝&100セーブの偉業達成!
MLBレッドソックスに所属する上原浩治投手(40)が、5月10日(日本時間11日)のブルージェイズ戦で今季6セーブ目を挙げ、日米通算100セーブを達成した。 すでに、日米通算129勝をマークしており、日本人では史上2人目となる日米通算100勝&100セーブの偉業到達となった。過去にこの記録を達成した日本人投手は斎藤隆(楽天=112勝139セーブ)ただひとりだけ。日米通算381セーブを挙げた佐々木主浩(横浜など)でさえ、勝利数は50しかなく、なし得ていない大記録なのだ。 NPBでは、江夏豊(阪神など)、山本和行(阪神)、斉藤明夫(横浜)、郭源治(中日)、大野豊(広島)、佐々岡真司(広島)の6人しか達成していない。 上原の記録の内訳は、NPB(巨人)で112勝33セーブ、MLB(オリオールズ→レンジャーズ→レッドソックス)で17勝67セーブ。 佐々木の場合、入団2年目からリリーフに転向し、以降、日米でクローザーとして活躍したため、勝ち星が伸びなかった。100勝&100セーブは、先発、抑えの両方で、活躍しなければ成し遂げられない偉大な記録だけに、日米を股に掛けて、それを成し遂げた上原は立派というしかない。 上原は巨人時代の07年に抑えに転向し、32セーブをマーク。08年オフにFA権を行使して、オリオールズ入り。1年目は先発だったが、2年目の10年はリリーフに回って、13セーブを記録。以降、MLBではリリーフに専念。レッドソックスに移籍した13年途中から守護神となり、同年のワールドシリーズ制覇に大きく貢献。13、14年と2年連続20セーブを挙げている。(落合一郎)*写真はレンジャーズ時のもの
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スポーツ 2015年05月10日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(33)特別編 対談「パンチ佐藤」
ゴールデンウィークも終わり、風は春仕様から夏仕様に変わり始めました。間もなく梅雨。ジメジメした時季に入りますが、それが終われば夏です。ゴルフファンには最高の季節に突入します。 さて、事前予告では今回から「ダイエット編」に入る予定でしたが、今回は特別編。元プロ野球選手でタレントのパンチ佐藤さんと先日、お話しする機会に恵まれました。そこで、本連載にもパンチさんとの会話を反映したいと思い、今回に限り「特別編」としてパンチ佐藤さんとの対談をお届けします。 パンチさんは会話の達人。結構、タメになるお話しですよ。 パンチ佐藤(以下、パンチ)・桃子ちゃんは学生時代、スポーツは何をしていましたか? 小塚桃子(以下、小塚)・テニスとチアリーディングをやっていました。 パンチ・テニスは軟式? 硬式? 小塚・軟式です。 パンチ・テニスとゴルフって共通点があります? 小塚・ありますね。球技という…。 パンチ・球技は勿論だけど…他には? ちなみにゴルフの魅力は何ですか? 小塚・思い通りにいかない事ですね。 パンチ・へええ。この年で思い通りにいかないのが楽しいって言えるの!? 小塚・ある程度の事は思い通りにいくことが多いのですが、ゴルフと仕事は思い通りにいかない…。 パンチ・桃子ちゃんは申年? 小塚・いえ、乙女座…じゃなくて未年です。 パンチ・ウチの娘は申年。(娘の)一コ上だね。娘はそんな事言えないなあ。(ゴルフに)ハマった理由は何ですか? 小塚・両親がゴルフをやっているので。 パンチ・自宅はゴルフ場が近いんだ。 小塚・そうですね。近い所だと車で20〜30分のところにあります。 パンチ・ご兄弟は? 小塚・弟がいます。弟もゴルフをやります。 パンチ・一緒に回るんだ。それはいいねえ。お父さんは娘と回れるなんていうのは夢だねえ。 小塚・家族旅行はゴルフです。 パンチ・いいねえ。(旅行場所は)どこが好き? 小塚・タイが好きですね。 パンチ・えっ!? 海外に行くの!? それもゴルフ旅行で!? それは本格的だ。とはいえ、タイはいいよね。あそこに行くと王様になった気持ちだよね。 小塚・そうですよね! 大好きです! パンチ・桃子ちゃんのスコアはいくつなの? 小塚・アベレージは90くらいです。 パンチ・それは凄い。桃子ちゃんはどういうゴルフをするんですか? よくお酒を飲むとその人の本当の姿が出ちゃうと言うけれど…。 小塚・ゴルフもそうなんですよ! パンチ・お酒はある程度、我慢出来るけど、ゴルフはハッキリ出るよね。 小塚・本当にそうです!。私のゴルフは真剣で、喋れなくなっちゃいます。 パンチ・真剣ゴルフ? 僕はスネスネゴルフ。「なんだよ〜!」とすぐ、スネてしまう。暴れたり大きな声を出したりしないけれど、自分で落ち込んでいっちゃうタイプ。僕は負けず嫌いだから真面目に練習をしたら上手くなる自信があるけれど、練習し過ぎちゃって、本職(タレント業)を放ったらかしにしてしまいそうなので、ゴルフはたまにしかやらない。本来、左バッターだけど、(ゴルフは)右でやる。道具も中古の安いモノ。極めそうだから…。こんな僕にはどんなアドバイスを? 小塚・考え込まない。ポジティブに。ホール毎に気分を変える事が大事です。 パンチ・引きずるんだよね〜。1カ月くらい引きずる。 小塚・ええ? そこまで、ですか!? パンチ・「どうして、あそこで(気持ちが)切れちゃったのかなあ…。クラブを換える余裕はあったハズなのに」とかね。桃子ちゃんは(アベレージが)90なんだ。僕は桃子ちゃんの様な性格になりたいね。お父さんの平均ストロークは? 小塚・80台前半です。 パンチ・凄いね。野球もゴルフも切り替えだね。長所は切り替えの上手い所かな? 小塚・ハイ。(切り替えは)すぐに出来ます。 パンチ・逆に短所は? 小塚・(物事を)あまり考えない…。 パンチ・そんな事は無いと思うな〜。この場合、「短所は気が付いていない」と言った方が良いかもね。いつか僕にゴルフの指導をして下さい。 小塚・分かりました! パンチ・僕は適当にはなれないから…。以前、プロのレッスンを受けた事があるんだけど、「パンチ君はボールを見ないで」と言われて…。適当に打てと言われても適当に出来ない。打とうとした瞬間、「ストップ! まだ適当じゃない」と言われやり直し。今度は頭の中をリラックスさせて打とうと思い、スイングをしたら、又「ストップ!」。さすがにカチンときて「このジジィ、ウルセーな…」と思いならが打ったら、ピューンとまっすぐ飛んだ。皆さんはドライバーが一番楽しいでしょ? ところが、僕はそれが一番憂鬱なの。 小塚・えっ!? どうしてですか? パンチ・偶然でもピーンと飛んだらパーとかボギーで上がれるけれど、「ヒュルーン」や「シュウー」と左右に飛んでいくので、ドライバーは面白くない。 小塚・そうですか? パンチ・先ほどの続きだけど、プロに教えてもらったらまっすぐにすごく飛んだ。これで僕は「掴んだ!」と思ったけれど、これは大間違い。「ヨシ!」と意気込んで次を打とうとしたら、プロから「ストップ! また真剣になっている!」。上手くいかないものだね。 小塚・なるほどですね〜。パンチさんにはドライバーを伝授しますね。 パンチ・切り替えられるような言葉でお願いします。小塚桃子オフィシャルブログ「季節はずれのももリンダ」http://ameblo.jp/koduka-momoko/
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スポーツ 2015年05月09日 18時00分
空のF1「レッドブル・エアレース」日本戦へ向けて室屋選手らが会見
16、17日の両日に千葉県で行われる軽飛行機の世界最高峰レース「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ2015」に出場するパイロットたちが8日、記者会見を行った。 会見には2014年ワールドチャンピオンのナイジェル・ラム選手、今年からレースに参戦しているフランソワ・ルボット選手、そして日本人として唯一レッドブル・エアレースに参戦している室屋義秀選手が出席。レースの魅力や、日本の印象について、和やかな雰囲気でトークを展開した。 2009年より日本人として、そしてアジア人として唯一、同レースに参戦している室屋選手は、日本で初開催となるレースヘの気持ちを「デビュー当時から日本でレースをしたいと強く思っていた。6年たったができることが嬉しい」と語った。また、会場となる幕張海浜公園は、かつて何度も練習で飛んだ場所とのことで、「アドバンテージはあると思う。風の状況もわかるのでリラックスして飛べる」とレースに向けての意気込みを語った。 そんな室屋選手をよく自宅に招待するというラム選手は、「室屋は非常に高い技術があり、手ごわいライバルだ」とコメントしつつも、室屋選手を簡単には活躍させないことを宣言し、「コースの分析、時間をマネージするなどチームはよい状況だ」と、直線の多い今回のコースを、メカニックや情報分析チームと共に、徹底調査していると明かした。 今回千葉県で日本で初開催されるレッドブル・エアレースは、「空のF1」とも呼ばれる飛行機レースで、機動性に優れた軽量のレース専用飛行機を使い、25メートルの高さに設置されたパイロン(エアゲート)で構成する低空の空中コースを周回してタイムを競う。(斎藤雅道)
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スポーツ 2015年05月09日 17時00分
万年BクラスのDeNAがまさかの首位 その原動力は?
中畑清監督の現役時代の決めゼリフではないが、まさに“絶好調”なのがDeNAだ。 プロ野球セ・リーグは5月6日現在、DeNAが両リーグ通じて20勝一番乗りして(14敗)、貯金6で堂々のトップに立っている。4月28日からスタートしたゴールデンウイーク9連戦を、7勝2敗と大きく勝ち越して待望の首位に浮上したのだ。 2位・巨人とは1.5ゲーム差がついており、8日から始まる巨人との首位攻防戦では1勝すれば、負け越しても首位はキープできる。 DeNAといえば、05年の3位を最後に9年連続Bクラス。しかも、08年以降は7年連続5位以下で、万年Bクラスのチーム。それがいったいどう変わったのか? 好調の原動力は投打のバランスがうまくかみ合い、若手が台頭してきた点にありそうだ。例年、DeNAのネックは弱体投手陣だったが、今季はひと味違う。チーム防御率は3.48でリーグ5位だが、先発、救援投手ともに踏ん張っていることが大きい。 先発では、山口俊投手、三嶋一輝投手、ギジェルモ・モスコーソ投手が安定した投球で3勝をマーク。久保康友投手、井納翔一投手も2勝を挙げている。モスコーソは肉離れで離脱したが、1軍に昇格した三浦大輔投手が5日に勝ち星がつくなど、先発にしっかり勝ちがついている。 救援陣では、新人ながらクローザーに指名された山康晃投手がリーグトップの12セーブをマーク。中継ぎの田中健二朗投手も17試合に登板し、11ホールドで防御率2.00の好成績。先発がゲームをつくって、田中、山崎康が締めくくるパターンが確立した。 打撃では、チーム打率は.264でリーグ2位ながら、得点131、26本塁打は断トツでリーグ1位の破壊力を発揮している。 なかでも、昨季初めて3割、20本塁打を記録して4番に固定された筒香嘉智外野手が覚醒。7本塁打、27打点はリーグ2冠王。打率も.321(リーグ3位)で、堂々たる4番打者に成長した。 巨人から移籍して、一塁を守るホセ・ロペス内野手の活躍も見逃せない。6本塁打、18打点、打率.280は十分な数字。昨季の一塁手はトニ・ブランコ内野手(オリックスへ移籍)だったが、とにかく故障離脱が多く計算が立たなかっただけに、ロペスが安定した成績を残しているのは大きい。 11盗塁でリーグトップの梶谷隆幸外野手も、打率.321(リーグ2位)と好調で、走攻守でチームの力になっている。 昨季、二塁、三塁を守り、3割を打ったキューバのユリエスキ・グリエル内野手の来日拒否→契約解除は痛かった。だが、グリエルの加入で出場機会が減ったり、ポジションが変わったりで精彩を欠いた石川雄洋内野手(打率.299)、アーロム・バルディリス内野手(打率.303)が活躍し、グリエルの穴を十分埋めている。 また、野手では嶺井博希捕手、飛雄馬内野手、倉本寿彦内野手、関根大気外野手ら若手が台頭したことで戦力に厚みを増した。 なにせ、打線の破壊力は抜群なだけに、よほど投壊しないかぎり、当分DeNAの勢いは続きそうだ。※成績はすべて5月6日現在(落合一郎)
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スポーツ 2015年05月08日 15時00分
リリーフ成功でも斎藤佑樹は『無期限二軍暮らし』?
5月4日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦前、栗山英樹監督(54)が取材陣の質問に応じ、こう答えた。 「抑えを含め、後ろで投げることでガムシャラになる。より良いボールを選択するように考えると思う」 同日、斎藤佑樹(26)が二軍戦でクローザーとして登板。1イニングを無失点に抑える好投を見せ、そのことについて聞かれたのだ。栗山監督が繰り返していたのは「成長に繋がってくれれば」の言葉。その嬉しそうな表情からは、一見、斎藤への期待を感じさせたが、今回のリリーフ転向は“ラストチャンス”かもしれない。 そもそも、斎藤のリリーフ登板はその適性を見出されてのテストでもなければ、チーム事情によるコンバートでもない。『先発失格』の烙印を押されたのである。 「4月17日の楽天戦で先発し(一軍)、4回途中でノックアウトされ、二軍落ちしました。同24日の二軍戦でも先発マウンドを4回途中で降板しています。『斎藤は打者一巡しか通用しない』みたいな言われ方をされています」(ベテラン記者) 投手目線で見て、1イニング3人として打者一巡するのは3イニング。二巡目以降は通用しないという意味だが、たしかに斎藤は4イニング目に釣瓶打ちにされている。斎藤自身も「毎回、4回に崩れる」と、2戦連続4回途中KOを悔やんでいた(24日・鎌ヶ谷)。 斎藤自身も、相当悔しい思いを抱いているのは間違いない。2戦連続4回途中KOとなった24日が京大卒ルーキー・田中英祐(23)との投げ合いになり、二軍戦では異例の観客数1238人、取材記者約40人を集めたのは既報通り。斎藤はインテリルーキーとの投げ合いになったことを質問されると、 「それはどうでもいい」 と、いつになく感情的な物言いをしている。話題の新人と比較された悔しさをぶつけたのだろうか。初のクローザー登板となった5月4日は、たった5球で3アウトを取ってみせた。同日の斎藤のピッチングについて、対戦チーム・埼玉西武ライオンズの関係者がこう評していた。 「先発のときよりも腕が強く振れていたし、良かったと思うよ」 斎藤がマウンドに上がった9回、スコアは13対11で日本ハムがリード。対戦したのはセラテリ、石川貢、金子一輝の3人。セラテリは1本塁打を含む3安打と大当たりで、石川も2安打を放っていた。金子一は途中出場だが、斎藤と対戦するまでは1打数1安打という状態。ちょっとでも気を抜けば、逆転負けの屈辱を味わったかもしれない。 「野手の正面に(打球が)飛んだから助かった場面もあった。斎藤は真っ直ぐが速くないし、ウイニングショットになる変化球もない。クローザータイプでないことは日本ハム首脳陣も分かっていると思うけど」(球界関係者) クローザー登板は『再生』のための一環のようだ。栗山監督は斎藤の最大の理解者でもあるが、これまでかなり厳しいことも言ってきた。 栗山監督や首脳陣と、斎藤の考え方がいかに違うか、実はこんなこともあった。斎藤がインテリルーキーとの投げ合いに敗れた4月24日のことだ。斎藤は今後の課題として、「配球をたて直す」とコメントした。 その斎藤談話を記者団から聞かされた栗山監督は、「(田中よりも)もっと打たれたんでしょ? もちろん、(斎藤のことが)気になるさ。配球をたて直すというよりも、ファームだって競争してるわけだから、そこで結果を出さないと…。みんな、競争しているわけだから」と、眉間にしわを寄せ、一気にまくし立てた。 栗山監督は斎藤にリリーフ登板させた目的として、「今は短いイニングで、ガムシャラに腕を振る作業が必要」と語っていた。救援投手として結果を積み上げることも大切だが、首脳陣との考え方の違いを埋め、ガムシャラさを具現できなければ、本当に“ヤバイ”のではないだろうか。
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スポーツ 2015年05月08日 11時45分
「先に動いた方が勝ち?」 GT対決で垣間見た指揮官の性格
5月3日の巨人阪神第6戦で、最後に笑ったのは原辰徳監督(56)だった。スコアは10対3。これだけ見れば、巨人のワンサイドゲームということになるが、均衡が破れたのは6回裏。少なくとも、6回表までは緊迫したゲーム展開が続いていた。 「能見を引っ張りすぎたね。6回表に能見に代打を送らなかった時点で、その裏のイニングも投げさせるつもりでいたのは分かりましたが」(プロ野球解説者) 能見篤史(35)が巨人打線に掴まったのは、奇しくもその6回裏。走者を背負いながらも二死までこぎ着けた。しかし、代打・金城龍彦(38)に打たれ、均衡が破れたのである。野球で「もしもの話」はタブーだが、能見は打席がまわってくる前の5回裏を投げきった時点で“お役御免”のつもりでいたのではないだろうか。5回裏のマウンドに上がる前、和田豊監督(52)、もしくは中西清起投手コーチ(53)がきちんと『続投』の旨を伝えていたのか、疑問だ。和田監督にも「能見に勝利投手の権利を」の親心はあったはずだろう。 先のプロ野球解説者がこう言う。 「投打ともに阪神は不調の選手が多い。我慢のしどころというか、選手に復調の兆しがまだ見えないだけに、チームも勝ち星を伸ばせないでいる。もうしばらく苦しい展開が続くでしょう」 能見を見切って6回裏途中で交代させる方法もあったわけだが、和田監督は我慢した。エースが決勝打を許した後だけに、その後に登板したリリーフ陣にもいまひとつ覇気が感じられなかった。 主力選手が不振なのは巨人も同じだ。いや、4番を予定していた阿部慎之助、主将・坂本勇人を故障で欠き、エース・内海哲也も故障でいまだ一軍では1球も投げていない(同時点)。それでも、首位で4月を乗り切った勝因はどこにあるのか…。選手層の厚さもあるだろうが、それだけではないようだ。 巨人ベンチは阿部を欠いた後、4番に坂本を抜てきし、その坂本も戦線を離脱すると、25歳の中井大介に大役を託した。大田泰示が一軍昇格を果たすと、いきなり4番を任せた。若い選手を使うことでチームに勢いを付けようとしているようにも見える。結果論かもしれないが、原監督の積極的な選手起用が功を奏し、ジッと耐えて不振選手のスランプ脱出を待つ和田監督が何もしないうちに試合が終わってしまうようにも見える。 和田監督の『我慢の姿勢』は選手を信頼する証でもあるのだが…。 能見で敗れた3日の試合後、マートンがその苛立ちを報道陣にぶつけたという。同日の巨人先発・高木勇人は本調子ではなく、阪神打線は絶対に捉えられると見ていたはずだ。不振の投手を攻めあぐんで負けるのは精神的にも堪える。今の阪神に必要なのは重苦しい空気を変える起爆剤だ。現有戦力からそれを見出すとすれば、思い切って、不振の外国人選手をスタメンから外すべきではないだろうか。
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スポーツ 2015年05月07日 15時30分
19歳のクローザー・松井裕を登板過多にさせない大久保采配
4月を終えた時点での東北楽天ゴールデンイーグルスの成績は、11勝13敗2分けの5位。オリックスが“開幕6カード連続負け越し”と躓いてなかったら、最下位に沈んでいたかもしれない。しかし、昨季の最終順位も最下位であり、やはり4月終了時点で負け越していた。 4月30日の対オリックス戦だが、先発・菊池が6回を無失点に抑えたものの、後続投手が掴まり、逆転負けを喫した。 試合後の大久保博元監督(48)のコメントが興味深い。 「今日は8回を青山、9回を松井裕で決まると思ったんだけどな…」 下位に低迷しているが、セットアッパー・青山から松井裕に繋ぐ継投策は出来つつある。 松井裕樹(19)は4月18日以降、登板していない(同時点)。クローザーを投入する試合展開に持ち込めないからだが、大久保監督はプロ2年目のこの左腕を「勝ち試合でしか使わない」と決めていたのだろう。 今さらではあるが、松井裕は将来のエース候補として期待され、1年目から一軍マウンドを踏んできた。制球難に苦しみ、二軍降格も経験したが、奪三振数は126(リーグ5位)。同5位タイの岸孝之(30=埼玉西武)が161回3分の1を投げたのに対し、松井裕は116イニングしか投げていない。その奪三振能力の高さを考えれば、「先発で大きく育ててほしい」というのがファンの意見だったが、大久保監督は昨秋キャンプ終盤から、クローザー抜てきを示唆。外国人投手でクローザーを補う選択肢もあったはずだが、最終的には同監督が強く主張し、他コーチ陣を説得したという。 クローザー転向に批判的な声も少なくなかった理由は、「救援投手=連投=短命」の図式があるからだろう。しかし、大久保監督の松井裕を一人前に育ててみせるという重きは本当のようだ。 そもそも、同じ救援投手でも、セットアッパーとクローザーはその調整法が異なる。セットアッパーは勝敗に関係なく、「行け!」と言われたところで投げなければならないが、クローザーは違う。クローザーがブルペンで肩を作るのは勝ち試合のみ。セットアッパーとクローザーの両方を経験したプロ野球OBによれば、「同じ年間50試合に投げたとしても、その疲労度は天と地ほどの差がある」という。大久保監督はクローザーの調整方法を生かし、松井裕の肩を“消耗”させずに経験を積ませていくとの教育プランを選んだのだろう。 「楽天の救援陣は、マーティ・ブラウン監督が就任した年から『セットアッパーも監督、担当コーチが指示した投手以外は投げ込みをやらない』という調整法が浸透しています。セットアッパーは、ブルペンで肩を作っても、先発投手が持ち堪えて登板ナシなんてことも多々あります。だが、ブラウン式のブルペン管理は星野(仙一氏)態勢でも継承され、大久保監督が変更したという話も聞きません」(投手出身のプロ野球解説者) 19歳のクローザーは12球団最年少。連投による消耗は防げるとしても、中盤戦以降の課題は「連敗で登板間隔が空いてしまった場合の調整方法」だろう。来季以降も松井裕を救援で使っていくのかどうかは分からないが、大久保監督が数年後も見越していることは間違いないようだ。
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スポーツ 2015年05月07日 14時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈アントニオ猪木vsウィリー・ウィリアムス〉
「猪木はとんでもないヤツと闘うことになった」 当時、多くのファンがそう感じたものだった。 「まともにやったら殺されるんじゃないか」 1980年2月27日、蔵前国技館。ウィリー・ウィリアムスとの『格闘技世界一決定戦』−−。 このころ、ウィリーのバックボーンである極真空手に対するマスイメージは、まさしく「地上最強のカラテ」であった。極真の道場生が街を歩けばチンピラヤクザもこれを避ける。喧嘩や果たし合いとなれば、これに勝る格闘技はない、と。 こうした印象の多くは、梶原一騎原作の劇画『空手バカ一代』によって作り上げられたものではあったが、それ以上に、当の門下生たちが「極真こそが最強」との矜持を持ち、このことが一層、極真幻想を膨らませていた。 ウィリーはそんなツワモノぞろいの極真空手にあって、さらに規格外。クマと素手で戦い、極真世界大会では反則負けも厭わなかった荒くれ者で、身の丈2メートルにも迫る巨躯から繰り出される正拳突きをまともにくらった日には、さすがの猪木といえども無事に済むわけがない…。 「ただ、ウィリーの“熊殺し”とはあくまでも映画の演出で、実際に闘ったのはいわゆるレスリング・ベアという調教されたクマ。そんなウィリーを最初に見た往年の名キックボクサー・藤原敏男の感想は“ライト級の俺でも勝てそう”という辛辣なものでした。これを藤原の師匠である黒崎健時が猛特訓によって鍛え上げた、いわば発展途上の選手だったわけです」(夕刊紙記者) また極真大会における三瓶啓二戦、襟をつかんでの反則負けも「外国人選手に優勝をさせてはならない」という周囲の圧力からのもので、決してウィリー自身の本意ではなかったといわれている。 だが、同時進行ドキュメントとして週刊少年マガジンに連載されていた、やはり梶原原作の劇画『四角いジャングル』には、もちろんそんな実態は描かれていない。そこに登場するウィリーは、あくまでも極真空手史上最高のバケモノじみた実力者であり、人心を持たない野獣であった。 そうして極真の看板を背負ったウィリーがリングに立つことで、試合は極度の緊張感を帯びたものとなっていった。 ウィリーの師匠である大山茂は「ウィリーが負ければリング上で腹を切る」と、その覚悟を語る(劇画内のことではあったが)。 当日セコンドに就いた極真勢は「いつでも代わりにリングに上がる」とばかり、実際に闘うウィリー以上の闘気をみなぎらせ、その空気はブラウン管越しにもひしひしと伝わってきた。 「ただ、今あらためて試合の映像を見ると、ウィリーの繰り出す上段蹴りはモーションが大きくて、とても猪木を捉えられそうにない。鋭く放たれる正拳突きや膝蹴り、肘撃ちも、急所を狙っているようには見えません」(格闘技ライター) 後には、この試合の実質的なプロモーターでもあった梶原自身も「あれは八百長だった」と暴露している。 2ラウンドでの両者リングアウトから立会人・梶原の裁定で試合続行、そして4ラウンド両者負傷によるドクターストップまで、全てが梶原の筆による筋書き通りだった、と。 しかし、それが真実だったとしても、だからといってこの試合に価値がないかといえば、決してそんなことはない。 「絶対に負けられない闘い」として臨んだ極真勢の意気込みは紛れのない本物で、そこから生まれた緊張度MAXの空気感は、いかなるプロ格闘技興行においても味わえないだけのものが確かにあった。 ウィリーの蹴りに「かすっただけでもKO必至」と固唾をのみ、懸命の防戦から寝技で攻勢に回る猪木に快哉を送る−−。そんな、一時たりとも目を離せない緊張感に満ちていたことに間違いはない。 梶原劇画による事前プロモーションから始まり、周囲までをも本気にさせた舞台設定、そしてもちろん、ピリピリと張り詰めた試合を実現させた猪木とウィリーの両者まで全てがかみ合った、最高の名勝負の一つであった。
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スポーツ 2015年05月07日 12時00分
新加入の巨漢・フランシスコは救世主になれるの!?
ホアン・フランシスコ内野手(27)が5月2日の阪神戦でデビューした。第3打席に放った来日初ヒットが試合を決める決定打となり、本人も喜んでいたが、ネット裏に陣取っていた他球団のスコアラーたちの評価はあまり高くない。巨人が緊急獲得したこのフランシスコは、本当に戦力になるのか−−。 フランシスコは右投左打の内野手。2004年にレッズ入りし、09年にメジャーデビューした。その後、ブレーブス、ブリュワーズ、レイズなどを渡り歩いた。 「試合前のフリー打撃を見ていると、本当に凄い。レッズ時代、デイビット・オーディスと並んでも引けは取らないし、当時は凄い若手が出てきたと期待していたんですが…」(メジャー情報に詳しいジャーナリスト) デイビット・オーディスとは、本塁打王1回、打点王2回、シルバースラッガー賞6回などのバットマン・タイトルに輝いたメジャーを代表するパワーヒッターだ(14年シーズン時点の成績)。その彼と並んでも「引けを取らない大飛球を放っていた」というのだから、かなり期待されていたのだろう。 「フランシスコがその素質を開花させられなかった理由は3つ。とにかく、守備がヘタクソ。サードの守備に付いたこともあるが、守備範囲が狭すぎる。ファーストを守らせても、エラーの数も多い。13年は67試合に出て、10失策。しかも、彼の場合、『スローイング・エラー』も多い。一塁のベースカバーに入った投手に暴投したり…。性格的にもノンビリしているというか、所属チームが『これ以上増えたら罰金』と体重維持・減量を命じても、全然、危機意識がない。罰金を払い、反省を口にしてもまたしばらくすると、体重オーバーで罰金を課せられていました」(前出・同) 3つ目の理由は、自慢の打撃も弱点があるからだという。「変化球が苦手」とされ、とくに、緩急をつけられたピッチングや、スライダー系の変化球に対応ができず、「対左投手が苦手なバッター」とも評されてきた。三振も多いという。 三振。たしかに、デビューからの2試合・8打席で4三振を喫している。また、「対左投手」の成績だが、数値にも表れている。昨季は出場機会に恵まれず、出場試合数は多くないのだが、対右投手の打率が2割3分8厘だったのに対し、対左投手は1割1分8厘まで落ち込む。 デビュー2戦目に対戦したのは、奇しくも全て左投手だった。技巧派・能見からは3打数1安打。しかし、2三振を喫しており、高宮、島本との対戦でも快音は聞かれなかった。「左投手が苦手で、三振が多い」という情報は間違いないようだ。 「12年から13年オフに掛け、巨人渉外担当者が獲得のアタックを掛けております。巨人サイドは高く評価していると思われます」(球界関係者) 変化球に対応できないパワーヒッターが日本球界で成功した例は決して多くない。 こうしたフランシスコの苦手情報は他球団も入手しているはず。しかし、ネット裏のスコアラーたちはデビュー戦を視察し、「ちょっと違う印象」も抱いたという。 前出・スコアラーはデビュー戦の対戦投手が藤浪晋太郎だったことを指して、こう言う。 「変化球が苦手だとは聞いていたが、速いボールにはきちんと対応できるという意味ではなさそうだね。藤浪のように150キロ台後半の球速をマークできる投手は多くないが、速球派投手との対戦では相当苦しむと思う」 苦手とされる変化球についてだが、「視察データがまだ少ないが」と前置きしたうえで、こうも話していた。 「いや、高めの変化球には対応できている。藤浪から放った決勝打はカットボールを打ち返したもの。実は、藤浪は2球続けてカットボールを投げており、その2球目を打たれました。最初に放ったカットボールは低めに決まったが、打たれた方の2球目はやや高かった。低めの変化球にどう対応するか、もうしばらく調査してみたい」 苦手とは言え、全く手が出ないという意味ではないようだ。 フランシスコの加入により、打撃不振が長引く村田修一のスタメン落ちも予想されている。故障の阿部慎之助が帰ってくれば、「一塁・阿部、三塁・フランシスコ」の布陣になるという声と、「捕手・阿部、一塁・フランシスコで固定するのではないか」なる予想の両方がある。いずれにせよ、原辰徳監督がフランシスコに期待していることを前提としての予想だが、セ5球団は急ピッチでのデータ収集を進めている。あまり肩入れしない方が良いと思うが…。
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