スポーツ
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スポーツ 2015年05月09日 17時00分
万年BクラスのDeNAがまさかの首位 その原動力は?
中畑清監督の現役時代の決めゼリフではないが、まさに“絶好調”なのがDeNAだ。 プロ野球セ・リーグは5月6日現在、DeNAが両リーグ通じて20勝一番乗りして(14敗)、貯金6で堂々のトップに立っている。4月28日からスタートしたゴールデンウイーク9連戦を、7勝2敗と大きく勝ち越して待望の首位に浮上したのだ。 2位・巨人とは1.5ゲーム差がついており、8日から始まる巨人との首位攻防戦では1勝すれば、負け越しても首位はキープできる。 DeNAといえば、05年の3位を最後に9年連続Bクラス。しかも、08年以降は7年連続5位以下で、万年Bクラスのチーム。それがいったいどう変わったのか? 好調の原動力は投打のバランスがうまくかみ合い、若手が台頭してきた点にありそうだ。例年、DeNAのネックは弱体投手陣だったが、今季はひと味違う。チーム防御率は3.48でリーグ5位だが、先発、救援投手ともに踏ん張っていることが大きい。 先発では、山口俊投手、三嶋一輝投手、ギジェルモ・モスコーソ投手が安定した投球で3勝をマーク。久保康友投手、井納翔一投手も2勝を挙げている。モスコーソは肉離れで離脱したが、1軍に昇格した三浦大輔投手が5日に勝ち星がつくなど、先発にしっかり勝ちがついている。 救援陣では、新人ながらクローザーに指名された山康晃投手がリーグトップの12セーブをマーク。中継ぎの田中健二朗投手も17試合に登板し、11ホールドで防御率2.00の好成績。先発がゲームをつくって、田中、山崎康が締めくくるパターンが確立した。 打撃では、チーム打率は.264でリーグ2位ながら、得点131、26本塁打は断トツでリーグ1位の破壊力を発揮している。 なかでも、昨季初めて3割、20本塁打を記録して4番に固定された筒香嘉智外野手が覚醒。7本塁打、27打点はリーグ2冠王。打率も.321(リーグ3位)で、堂々たる4番打者に成長した。 巨人から移籍して、一塁を守るホセ・ロペス内野手の活躍も見逃せない。6本塁打、18打点、打率.280は十分な数字。昨季の一塁手はトニ・ブランコ内野手(オリックスへ移籍)だったが、とにかく故障離脱が多く計算が立たなかっただけに、ロペスが安定した成績を残しているのは大きい。 11盗塁でリーグトップの梶谷隆幸外野手も、打率.321(リーグ2位)と好調で、走攻守でチームの力になっている。 昨季、二塁、三塁を守り、3割を打ったキューバのユリエスキ・グリエル内野手の来日拒否→契約解除は痛かった。だが、グリエルの加入で出場機会が減ったり、ポジションが変わったりで精彩を欠いた石川雄洋内野手(打率.299)、アーロム・バルディリス内野手(打率.303)が活躍し、グリエルの穴を十分埋めている。 また、野手では嶺井博希捕手、飛雄馬内野手、倉本寿彦内野手、関根大気外野手ら若手が台頭したことで戦力に厚みを増した。 なにせ、打線の破壊力は抜群なだけに、よほど投壊しないかぎり、当分DeNAの勢いは続きそうだ。※成績はすべて5月6日現在(落合一郎)
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スポーツ 2015年05月08日 15時00分
リリーフ成功でも斎藤佑樹は『無期限二軍暮らし』?
5月4日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦前、栗山英樹監督(54)が取材陣の質問に応じ、こう答えた。 「抑えを含め、後ろで投げることでガムシャラになる。より良いボールを選択するように考えると思う」 同日、斎藤佑樹(26)が二軍戦でクローザーとして登板。1イニングを無失点に抑える好投を見せ、そのことについて聞かれたのだ。栗山監督が繰り返していたのは「成長に繋がってくれれば」の言葉。その嬉しそうな表情からは、一見、斎藤への期待を感じさせたが、今回のリリーフ転向は“ラストチャンス”かもしれない。 そもそも、斎藤のリリーフ登板はその適性を見出されてのテストでもなければ、チーム事情によるコンバートでもない。『先発失格』の烙印を押されたのである。 「4月17日の楽天戦で先発し(一軍)、4回途中でノックアウトされ、二軍落ちしました。同24日の二軍戦でも先発マウンドを4回途中で降板しています。『斎藤は打者一巡しか通用しない』みたいな言われ方をされています」(ベテラン記者) 投手目線で見て、1イニング3人として打者一巡するのは3イニング。二巡目以降は通用しないという意味だが、たしかに斎藤は4イニング目に釣瓶打ちにされている。斎藤自身も「毎回、4回に崩れる」と、2戦連続4回途中KOを悔やんでいた(24日・鎌ヶ谷)。 斎藤自身も、相当悔しい思いを抱いているのは間違いない。2戦連続4回途中KOとなった24日が京大卒ルーキー・田中英祐(23)との投げ合いになり、二軍戦では異例の観客数1238人、取材記者約40人を集めたのは既報通り。斎藤はインテリルーキーとの投げ合いになったことを質問されると、 「それはどうでもいい」 と、いつになく感情的な物言いをしている。話題の新人と比較された悔しさをぶつけたのだろうか。初のクローザー登板となった5月4日は、たった5球で3アウトを取ってみせた。同日の斎藤のピッチングについて、対戦チーム・埼玉西武ライオンズの関係者がこう評していた。 「先発のときよりも腕が強く振れていたし、良かったと思うよ」 斎藤がマウンドに上がった9回、スコアは13対11で日本ハムがリード。対戦したのはセラテリ、石川貢、金子一輝の3人。セラテリは1本塁打を含む3安打と大当たりで、石川も2安打を放っていた。金子一は途中出場だが、斎藤と対戦するまでは1打数1安打という状態。ちょっとでも気を抜けば、逆転負けの屈辱を味わったかもしれない。 「野手の正面に(打球が)飛んだから助かった場面もあった。斎藤は真っ直ぐが速くないし、ウイニングショットになる変化球もない。クローザータイプでないことは日本ハム首脳陣も分かっていると思うけど」(球界関係者) クローザー登板は『再生』のための一環のようだ。栗山監督は斎藤の最大の理解者でもあるが、これまでかなり厳しいことも言ってきた。 栗山監督や首脳陣と、斎藤の考え方がいかに違うか、実はこんなこともあった。斎藤がインテリルーキーとの投げ合いに敗れた4月24日のことだ。斎藤は今後の課題として、「配球をたて直す」とコメントした。 その斎藤談話を記者団から聞かされた栗山監督は、「(田中よりも)もっと打たれたんでしょ? もちろん、(斎藤のことが)気になるさ。配球をたて直すというよりも、ファームだって競争してるわけだから、そこで結果を出さないと…。みんな、競争しているわけだから」と、眉間にしわを寄せ、一気にまくし立てた。 栗山監督は斎藤にリリーフ登板させた目的として、「今は短いイニングで、ガムシャラに腕を振る作業が必要」と語っていた。救援投手として結果を積み上げることも大切だが、首脳陣との考え方の違いを埋め、ガムシャラさを具現できなければ、本当に“ヤバイ”のではないだろうか。
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スポーツ 2015年05月08日 11時45分
「先に動いた方が勝ち?」 GT対決で垣間見た指揮官の性格
5月3日の巨人阪神第6戦で、最後に笑ったのは原辰徳監督(56)だった。スコアは10対3。これだけ見れば、巨人のワンサイドゲームということになるが、均衡が破れたのは6回裏。少なくとも、6回表までは緊迫したゲーム展開が続いていた。 「能見を引っ張りすぎたね。6回表に能見に代打を送らなかった時点で、その裏のイニングも投げさせるつもりでいたのは分かりましたが」(プロ野球解説者) 能見篤史(35)が巨人打線に掴まったのは、奇しくもその6回裏。走者を背負いながらも二死までこぎ着けた。しかし、代打・金城龍彦(38)に打たれ、均衡が破れたのである。野球で「もしもの話」はタブーだが、能見は打席がまわってくる前の5回裏を投げきった時点で“お役御免”のつもりでいたのではないだろうか。5回裏のマウンドに上がる前、和田豊監督(52)、もしくは中西清起投手コーチ(53)がきちんと『続投』の旨を伝えていたのか、疑問だ。和田監督にも「能見に勝利投手の権利を」の親心はあったはずだろう。 先のプロ野球解説者がこう言う。 「投打ともに阪神は不調の選手が多い。我慢のしどころというか、選手に復調の兆しがまだ見えないだけに、チームも勝ち星を伸ばせないでいる。もうしばらく苦しい展開が続くでしょう」 能見を見切って6回裏途中で交代させる方法もあったわけだが、和田監督は我慢した。エースが決勝打を許した後だけに、その後に登板したリリーフ陣にもいまひとつ覇気が感じられなかった。 主力選手が不振なのは巨人も同じだ。いや、4番を予定していた阿部慎之助、主将・坂本勇人を故障で欠き、エース・内海哲也も故障でいまだ一軍では1球も投げていない(同時点)。それでも、首位で4月を乗り切った勝因はどこにあるのか…。選手層の厚さもあるだろうが、それだけではないようだ。 巨人ベンチは阿部を欠いた後、4番に坂本を抜てきし、その坂本も戦線を離脱すると、25歳の中井大介に大役を託した。大田泰示が一軍昇格を果たすと、いきなり4番を任せた。若い選手を使うことでチームに勢いを付けようとしているようにも見える。結果論かもしれないが、原監督の積極的な選手起用が功を奏し、ジッと耐えて不振選手のスランプ脱出を待つ和田監督が何もしないうちに試合が終わってしまうようにも見える。 和田監督の『我慢の姿勢』は選手を信頼する証でもあるのだが…。 能見で敗れた3日の試合後、マートンがその苛立ちを報道陣にぶつけたという。同日の巨人先発・高木勇人は本調子ではなく、阪神打線は絶対に捉えられると見ていたはずだ。不振の投手を攻めあぐんで負けるのは精神的にも堪える。今の阪神に必要なのは重苦しい空気を変える起爆剤だ。現有戦力からそれを見出すとすれば、思い切って、不振の外国人選手をスタメンから外すべきではないだろうか。
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スポーツ 2015年05月07日 15時30分
19歳のクローザー・松井裕を登板過多にさせない大久保采配
4月を終えた時点での東北楽天ゴールデンイーグルスの成績は、11勝13敗2分けの5位。オリックスが“開幕6カード連続負け越し”と躓いてなかったら、最下位に沈んでいたかもしれない。しかし、昨季の最終順位も最下位であり、やはり4月終了時点で負け越していた。 4月30日の対オリックス戦だが、先発・菊池が6回を無失点に抑えたものの、後続投手が掴まり、逆転負けを喫した。 試合後の大久保博元監督(48)のコメントが興味深い。 「今日は8回を青山、9回を松井裕で決まると思ったんだけどな…」 下位に低迷しているが、セットアッパー・青山から松井裕に繋ぐ継投策は出来つつある。 松井裕樹(19)は4月18日以降、登板していない(同時点)。クローザーを投入する試合展開に持ち込めないからだが、大久保監督はプロ2年目のこの左腕を「勝ち試合でしか使わない」と決めていたのだろう。 今さらではあるが、松井裕は将来のエース候補として期待され、1年目から一軍マウンドを踏んできた。制球難に苦しみ、二軍降格も経験したが、奪三振数は126(リーグ5位)。同5位タイの岸孝之(30=埼玉西武)が161回3分の1を投げたのに対し、松井裕は116イニングしか投げていない。その奪三振能力の高さを考えれば、「先発で大きく育ててほしい」というのがファンの意見だったが、大久保監督は昨秋キャンプ終盤から、クローザー抜てきを示唆。外国人投手でクローザーを補う選択肢もあったはずだが、最終的には同監督が強く主張し、他コーチ陣を説得したという。 クローザー転向に批判的な声も少なくなかった理由は、「救援投手=連投=短命」の図式があるからだろう。しかし、大久保監督の松井裕を一人前に育ててみせるという重きは本当のようだ。 そもそも、同じ救援投手でも、セットアッパーとクローザーはその調整法が異なる。セットアッパーは勝敗に関係なく、「行け!」と言われたところで投げなければならないが、クローザーは違う。クローザーがブルペンで肩を作るのは勝ち試合のみ。セットアッパーとクローザーの両方を経験したプロ野球OBによれば、「同じ年間50試合に投げたとしても、その疲労度は天と地ほどの差がある」という。大久保監督はクローザーの調整方法を生かし、松井裕の肩を“消耗”させずに経験を積ませていくとの教育プランを選んだのだろう。 「楽天の救援陣は、マーティ・ブラウン監督が就任した年から『セットアッパーも監督、担当コーチが指示した投手以外は投げ込みをやらない』という調整法が浸透しています。セットアッパーは、ブルペンで肩を作っても、先発投手が持ち堪えて登板ナシなんてことも多々あります。だが、ブラウン式のブルペン管理は星野(仙一氏)態勢でも継承され、大久保監督が変更したという話も聞きません」(投手出身のプロ野球解説者) 19歳のクローザーは12球団最年少。連投による消耗は防げるとしても、中盤戦以降の課題は「連敗で登板間隔が空いてしまった場合の調整方法」だろう。来季以降も松井裕を救援で使っていくのかどうかは分からないが、大久保監督が数年後も見越していることは間違いないようだ。
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スポーツ 2015年05月07日 14時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈アントニオ猪木vsウィリー・ウィリアムス〉
「猪木はとんでもないヤツと闘うことになった」 当時、多くのファンがそう感じたものだった。 「まともにやったら殺されるんじゃないか」 1980年2月27日、蔵前国技館。ウィリー・ウィリアムスとの『格闘技世界一決定戦』−−。 このころ、ウィリーのバックボーンである極真空手に対するマスイメージは、まさしく「地上最強のカラテ」であった。極真の道場生が街を歩けばチンピラヤクザもこれを避ける。喧嘩や果たし合いとなれば、これに勝る格闘技はない、と。 こうした印象の多くは、梶原一騎原作の劇画『空手バカ一代』によって作り上げられたものではあったが、それ以上に、当の門下生たちが「極真こそが最強」との矜持を持ち、このことが一層、極真幻想を膨らませていた。 ウィリーはそんなツワモノぞろいの極真空手にあって、さらに規格外。クマと素手で戦い、極真世界大会では反則負けも厭わなかった荒くれ者で、身の丈2メートルにも迫る巨躯から繰り出される正拳突きをまともにくらった日には、さすがの猪木といえども無事に済むわけがない…。 「ただ、ウィリーの“熊殺し”とはあくまでも映画の演出で、実際に闘ったのはいわゆるレスリング・ベアという調教されたクマ。そんなウィリーを最初に見た往年の名キックボクサー・藤原敏男の感想は“ライト級の俺でも勝てそう”という辛辣なものでした。これを藤原の師匠である黒崎健時が猛特訓によって鍛え上げた、いわば発展途上の選手だったわけです」(夕刊紙記者) また極真大会における三瓶啓二戦、襟をつかんでの反則負けも「外国人選手に優勝をさせてはならない」という周囲の圧力からのもので、決してウィリー自身の本意ではなかったといわれている。 だが、同時進行ドキュメントとして週刊少年マガジンに連載されていた、やはり梶原原作の劇画『四角いジャングル』には、もちろんそんな実態は描かれていない。そこに登場するウィリーは、あくまでも極真空手史上最高のバケモノじみた実力者であり、人心を持たない野獣であった。 そうして極真の看板を背負ったウィリーがリングに立つことで、試合は極度の緊張感を帯びたものとなっていった。 ウィリーの師匠である大山茂は「ウィリーが負ければリング上で腹を切る」と、その覚悟を語る(劇画内のことではあったが)。 当日セコンドに就いた極真勢は「いつでも代わりにリングに上がる」とばかり、実際に闘うウィリー以上の闘気をみなぎらせ、その空気はブラウン管越しにもひしひしと伝わってきた。 「ただ、今あらためて試合の映像を見ると、ウィリーの繰り出す上段蹴りはモーションが大きくて、とても猪木を捉えられそうにない。鋭く放たれる正拳突きや膝蹴り、肘撃ちも、急所を狙っているようには見えません」(格闘技ライター) 後には、この試合の実質的なプロモーターでもあった梶原自身も「あれは八百長だった」と暴露している。 2ラウンドでの両者リングアウトから立会人・梶原の裁定で試合続行、そして4ラウンド両者負傷によるドクターストップまで、全てが梶原の筆による筋書き通りだった、と。 しかし、それが真実だったとしても、だからといってこの試合に価値がないかといえば、決してそんなことはない。 「絶対に負けられない闘い」として臨んだ極真勢の意気込みは紛れのない本物で、そこから生まれた緊張度MAXの空気感は、いかなるプロ格闘技興行においても味わえないだけのものが確かにあった。 ウィリーの蹴りに「かすっただけでもKO必至」と固唾をのみ、懸命の防戦から寝技で攻勢に回る猪木に快哉を送る−−。そんな、一時たりとも目を離せない緊張感に満ちていたことに間違いはない。 梶原劇画による事前プロモーションから始まり、周囲までをも本気にさせた舞台設定、そしてもちろん、ピリピリと張り詰めた試合を実現させた猪木とウィリーの両者まで全てがかみ合った、最高の名勝負の一つであった。
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スポーツ 2015年05月07日 12時00分
新加入の巨漢・フランシスコは救世主になれるの!?
ホアン・フランシスコ内野手(27)が5月2日の阪神戦でデビューした。第3打席に放った来日初ヒットが試合を決める決定打となり、本人も喜んでいたが、ネット裏に陣取っていた他球団のスコアラーたちの評価はあまり高くない。巨人が緊急獲得したこのフランシスコは、本当に戦力になるのか−−。 フランシスコは右投左打の内野手。2004年にレッズ入りし、09年にメジャーデビューした。その後、ブレーブス、ブリュワーズ、レイズなどを渡り歩いた。 「試合前のフリー打撃を見ていると、本当に凄い。レッズ時代、デイビット・オーディスと並んでも引けは取らないし、当時は凄い若手が出てきたと期待していたんですが…」(メジャー情報に詳しいジャーナリスト) デイビット・オーディスとは、本塁打王1回、打点王2回、シルバースラッガー賞6回などのバットマン・タイトルに輝いたメジャーを代表するパワーヒッターだ(14年シーズン時点の成績)。その彼と並んでも「引けを取らない大飛球を放っていた」というのだから、かなり期待されていたのだろう。 「フランシスコがその素質を開花させられなかった理由は3つ。とにかく、守備がヘタクソ。サードの守備に付いたこともあるが、守備範囲が狭すぎる。ファーストを守らせても、エラーの数も多い。13年は67試合に出て、10失策。しかも、彼の場合、『スローイング・エラー』も多い。一塁のベースカバーに入った投手に暴投したり…。性格的にもノンビリしているというか、所属チームが『これ以上増えたら罰金』と体重維持・減量を命じても、全然、危機意識がない。罰金を払い、反省を口にしてもまたしばらくすると、体重オーバーで罰金を課せられていました」(前出・同) 3つ目の理由は、自慢の打撃も弱点があるからだという。「変化球が苦手」とされ、とくに、緩急をつけられたピッチングや、スライダー系の変化球に対応ができず、「対左投手が苦手なバッター」とも評されてきた。三振も多いという。 三振。たしかに、デビューからの2試合・8打席で4三振を喫している。また、「対左投手」の成績だが、数値にも表れている。昨季は出場機会に恵まれず、出場試合数は多くないのだが、対右投手の打率が2割3分8厘だったのに対し、対左投手は1割1分8厘まで落ち込む。 デビュー2戦目に対戦したのは、奇しくも全て左投手だった。技巧派・能見からは3打数1安打。しかし、2三振を喫しており、高宮、島本との対戦でも快音は聞かれなかった。「左投手が苦手で、三振が多い」という情報は間違いないようだ。 「12年から13年オフに掛け、巨人渉外担当者が獲得のアタックを掛けております。巨人サイドは高く評価していると思われます」(球界関係者) 変化球に対応できないパワーヒッターが日本球界で成功した例は決して多くない。 こうしたフランシスコの苦手情報は他球団も入手しているはず。しかし、ネット裏のスコアラーたちはデビュー戦を視察し、「ちょっと違う印象」も抱いたという。 前出・スコアラーはデビュー戦の対戦投手が藤浪晋太郎だったことを指して、こう言う。 「変化球が苦手だとは聞いていたが、速いボールにはきちんと対応できるという意味ではなさそうだね。藤浪のように150キロ台後半の球速をマークできる投手は多くないが、速球派投手との対戦では相当苦しむと思う」 苦手とされる変化球についてだが、「視察データがまだ少ないが」と前置きしたうえで、こうも話していた。 「いや、高めの変化球には対応できている。藤浪から放った決勝打はカットボールを打ち返したもの。実は、藤浪は2球続けてカットボールを投げており、その2球目を打たれました。最初に放ったカットボールは低めに決まったが、打たれた方の2球目はやや高かった。低めの変化球にどう対応するか、もうしばらく調査してみたい」 苦手とは言え、全く手が出ないという意味ではないようだ。 フランシスコの加入により、打撃不振が長引く村田修一のスタメン落ちも予想されている。故障の阿部慎之助が帰ってくれば、「一塁・阿部、三塁・フランシスコ」の布陣になるという声と、「捕手・阿部、一塁・フランシスコで固定するのではないか」なる予想の両方がある。いずれにせよ、原辰徳監督がフランシスコに期待していることを前提としての予想だが、セ5球団は急ピッチでのデータ収集を進めている。あまり肩入れしない方が良いと思うが…。
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スポーツ 2015年05月06日 12時00分
【甦るリング】第6回・“痛みの伝わるプロレス”を体現した天龍源一郎
R30世代以上のプロレスファンにとって、絶対に忘れることができないプロレスラーが天龍源一郎だ。今年2月2日で65歳になった天龍だが、今なお現役を続け、トップレスラーの威厳を保っているが、残念ながら、デビュー39周年となる11月で引退する。天龍は腰部脊柱管狭窄症の治療のため、11年12月から長期欠場に入り、2度の手術を乗り越えて復帰したが、引退理由については、腰の故障ではなく、「夫人の病気のため」としている。 福井県勝山市の農家に育った天龍は幼少期から体が大きく、それがきっかけで相撲界に入ることとなり、中学2年の時に上京。63年(昭和38年)12月に二所ノ関部屋に入門した。64年初場所(1月)で初土俵を踏み、71年秋場所(9月)で新十両、73年初場所で新入幕を果たした。メキメキと力を付けていった天龍は74年初場所で、自己最高位の前頭筆頭まで番付を上げるが、部屋の騒動に巻き込まれてしまう。師匠が亡くなり、押尾川親方が天龍らを引き連れて独立を目論んだが、師匠の未亡人が反対。結局、独立自体は認められたが、希望者全員を連れて行くことはかなわず、天龍は金剛が後継した二所ノ関部屋に戻されたのだ。 金剛とソリが合わなかったとされる天龍は嫌気が差して、相撲を辞めることを決断。76年秋場所(番付は前頭13枚目)で勝ち越しながら、場所後に廃業した。そして、同年10月、全日本プロレスに入門。関取が年を取って引退した後、プロレスに転向した例は少なくないが、まだバリバリの幕内力士がプロレス入りするのは異例なことだった。 入団後はジャンボ鶴田と同じように、米国に渡って、ファンク道場で修行。同年11月13日には、テッド・デビアスを相手にデビューを果たす。同年12月、帰国して日大講堂で断髪式を行うと、再び修行に入る。76年6月11日、ジャイアント馬場と組んで、マリオ・ミラノ&メヒコ・グランデと対戦。天龍がグランデをフォールして、日本デビュー戦を白星で飾る。馬場は天龍を鶴田に次ぐ“全日本第3の男”として期待したが、なかなか殻を破ることができなかった。 そんななか、天龍のプロレス人生を左右する試合があった。81年7月30日、ビル・ロビンソンと組み、馬場&鶴田が保持するインタータッグ王座への挑戦の機会を得たのだ。結果的にベルトは獲れなかったものの、この試合での奮闘ぶりが関係者、ファンに評価され、一気にブレイク。まさに、天龍の出世試合となったのだ。 長州力らが新日本プロレスを離脱して、ジャパン・プロレスを設立し、全日本に乗り込むと、その最前線に立ったのが天龍だった。全日本vsジャパン軍の対抗戦において、天龍は欠かせない存在となり、鶴田との「鶴龍コンビ」として活躍。ジャパン軍が新日本にUターンすると、鶴田に反旗を翻し、天龍革命を決行。阿修羅・原、サムソン冬木(冬木弘道)、川田利明、小川良成らと天龍同盟を結成し、全日本正規軍に対抗。それまで、ジャパン軍などの外敵はいたが、団体内に初めて対立の構図を持ち込み、ライバル・鶴田との闘いは黄金カードとなった。 90年4月、天龍は新団体SWSに参加するため、全日本を離脱。そのSWSは内部分裂のため、あっけなく崩壊。天龍は92年7月、WARを設立し、自身のロマンを追及することになり、新日本との闘いにも挑んだ。94年1月4日の東京ドーム大会では、アントニオ猪木とのシングルマッチでフォール勝ちを収めた。89年11月には、タッグマッチながら、馬場からピンフォールを奪っており、日本人で唯一、馬場、猪木からフォールを奪った選手として、プロレス史に、その名を刻むことになる。残念ながら、WARはクローズしたが、天龍は新日本、大量離脱後の古巣・全日本、WJプロレス、プロレスリング・ノア、ハッスルなどでファイト。10年4月に終着駅といえる天龍プロジェクトを設立し、現在に至っている。 天龍といえば、最も“痛みの伝わるプロレス”を体現した男といえる。受けの強さを発揮して、受けに回った時は徹底して、相手の技を受ける。いったん、攻めに回ると、強烈無比。喉元へのチョップ、グーパンチや顔面へのキックなどで対戦相手を悶絶させ、見ている側にも説得力は抜群だ。ファイトスタイルが無骨であるため、頭も固そうに見えるが、実は正反対。WARを旗揚げ後は、柔軟な発想で、“邪道”大仁田厚と電流爆破デスマッチを行なったり、受けのプロレスの対極にあるUWFインターの高田延彦らと抗争を繰り広げたり、女子プロレスラーの神取忍とミクスドマッチに臨んだり、エンターテイメントプロレス(ハッスル)にチャンレンジしたりと、その振り幅は限りなく広い。インディー団体からオファーがあれば、積極的に参戦する度量の大きさも持ち合わせる。 私生活ではとかく後輩の面倒見がいいことで知られ、後輩を引き連れて、酒を飲みに行くのが好きである。喉にチョップを受けた影響からか、声はかすれて聴き取りづらいが、最近では逆にそれがウケて、バラエティ番組に引っ張りだことなっている。 日本プロレス界の歴史において、欠かすことができぬ存在である天龍。その勇姿が見られるのも、あと半年しかない。思い残すことなく、リングを下りてほしいものである。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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スポーツ 2015年05月05日 12時00分
【記憶に残るプロ野球選手】第3回・珍プレー大賞の常連だった達川光男
“記憶”に残るといえば、かつてフジテレビが放送していた「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」の常連だった達川光男(広島)も忘れられない存在だ。 捕手として守備に就いた際、バッターボックスの打者を惑わすために仕掛けた“ささやき戦術”はあまりにも有名。また、打席に入る際、ユニフォームをわざとダボダボにして、内角に際どい球がくると、「ボールがユニフォームに当たった」と大騒ぎ。投手が投じた球が手の近くを通過しようものなら、自分で手をつねって赤く腫らしてデッドボールをアピールするなど日常茶飯事だったのだ。そんなわけで、達川は“珍プレーの王者”として同番組では格好のネタだったのである。 そんな笑える存在の達川だが、捕手としては一級品。広島の黄金期を支えた一人でもある。生粋の広島っ子である達川は、当時の野球強豪校だった県立広島商業高等学校に進み、2度甲子園に出場。73年夏には全国制覇も成し遂げている。 高校卒業後、東洋大学に進学し、77年のドラフト4位で指名され、地元の広島入り。当時の広島にはレギュラーに水沼四郎捕手がおり、なかなか試合に出ることができなかったが、水沼が中日に移籍した83年に正捕手の座を獲得。以降、10年間、広島のホームベースを死守し、84、86、91年のリーグ優勝に大きく貢献した。 卓越したリードと、明るいキャラクターで投手陣からの信頼も厚かった。バッティングに関しては決して秀でたものはなく、86年の打率.274が最高。10年レギュラーを張った割には通算安打も895で、1000本にも到達していないのは意外だ。ベストナインとゴールデングラブ賞を、それぞれ3回受賞。オールスター戦にも7回出場している。 晩年は巨人でプレーした西山秀二捕手の台頭もあって、92年シーズン限りで引退。引退試合では代打に起用され、号泣したシーンは今でもファンの記憶に残っている。引退後はフジテレビ、ニッポン放送、テレビ新広島で解説者を務めていたが、福岡ダイエーホークスの王貞治監督からオファーを受け、95年にバッテリーコーチに就任した。だが、広島時代の後輩であり、当時、打撃兼守備走塁コーチだった高橋慶彦と選手の起用法を巡って対立したこともあり、わずか1年で福岡を去った。 98年には二軍監督として6年ぶりに広島に復帰。99年には三村敏之監督の退任に伴い、監督に昇格した。高校の大先輩である鬼軍曹・大下剛史をヘッドコーチに招へいし、若手の底上げを図ったが、一朝一夕には選手は育たず。 三村前政権は5年連続でAクラスを確保していたが、99年は5位にとどまり、大下コーチも退陣。達川監督時はとかく戦力が整っておらず、投手陣はボロボロ。99年オフには4番打者の江藤智がFA権を行使して巨人に移籍するなど戦力ダウンははなはだしく、00年も5位に終わった。達川は2年連続5位と成績不振の責任を取り、00年で監督を辞任した。監督として実績は残せなかったが、指導者としては高く評価されていたのも事実。02年には星野仙一監督に乞われて、広島のライバル球団である阪神のバッテリーコーチに就任。この年、阪神は18年ぶりのリーグ優勝を果たしたが、星野監督が勇退したことに伴い、1年でチームを去った。その後、フジテレビなどに戻り、長年、解説者を務めていたが、13年オフ、谷繁元信新監督のもと、再建を目指す中日から声が掛かり、バッテリーコーチに就任。実に12年ぶりにユニフォームを着ることになった。達川起用を決めた落合博満GMとは、これまで何の接点もなかったが、その指導力が評価されての入閣だった。 実は中日は02年にFAで入団した谷繁捕手(現・兼任監督)と入れ替わりに、横浜へ移籍した中村武志以来、自前の正捕手が育っていないという悲しい現実がある。中日で2年目を迎えた今季、谷繁の後を継ぐ捕手を育てられるかどうかが達川に課せられた課題で、バッテリーコーチとしての能力が問われることになる。達川自身も「指導者生命を懸ける」と言い切っている。 福岡に行っても、大阪に行っても、名古屋に行っても使う言葉は広島弁。独特のキャラクターでチームを明るくし、解説者時代も人気だった達川もまた、“レジェンド”のひとりである。(ミカエル・コバタ=毎週火曜日に掲載)
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スポーツ 2015年05月05日 12時00分
松坂復活へ最後の切り札 恩師を頼って侍ジャパン入り?
開幕直後に右肩の違和感を訴えて以来、松坂大輔(34=福岡ソフトバンクホークス)は福岡の西戸崎練習場で孤独なリハビリを続けている。しかし、そんな松坂に『侍ジャパン』入りが囁かれている。実戦から遠ざかり、前半戦の一軍復帰も絶望視されているにもかかわらずだ。 「東尾修氏がいるからですよ。東尾氏なら松坂にキツイことも言えますし、いまのホークスには松坂のお目付役がいません。東尾氏と松坂を接触させる方法は侍ジャパン入りしかありません」(球界関係者) 松坂の年俸は4億円(推定金額)。契約期間は3年ではなく4年との説もあり、そんなVIP待遇の『平成の怪物』に遠慮なく意見できる人物は、球界全体を見渡しても、松坂の新人時代を知るごく一部の西武OBしかいない。東尾氏は西武監督として新人のころの松坂を指導し、交流はメジャー移籍後も続いていたという。東尾氏が松坂を指導するには、氏が総合投手コーチを務める侍ジャパン入りさせるしかないのだ。前出の関係者が「東尾氏が長く代表チームのコーチを務めるのかどうか分からないが」と前置きした上で、こう続ける。 「侍ジャパンの監督はホークスOBの小久保裕紀氏です。侍ジャパンは3月の欧州代表との試合で観客数が伸び悩み、話題作りというか、興行的なテコ入れも必要になりました。広島の黒田を招集できたら最高なんですが、松坂が代表入りすれば、それなりのニュースになります」 松坂は頑固な性格である。佐藤義則投手コーチ(61)が投球フォームの改造を厳しく指導してきたが、松坂は「でも…」と反論し、これまで自分が築き上げてきた理論を返す。佐藤コーチは自分で気づくまで見守るタイプでもあるので、松坂と議論はしない。ダルビッシュや田中将大を育てた佐藤コーチが距離を置いている以上、他コーチも迂闊に手が出せないというわけだ。 「ここから立ち直れば、それは松坂はまた一皮むけた投手になれる。だからこそ、佐藤コーチのように見守ることが大切なんですが、ホークス関係者が心配しているのはそれだけではありません」(同) 松坂は若いホークスナインにとって、憧れのスタープレーヤーでもある。しかし、恐れ多くて必要最低限の会話しかできないという。 「甲子園でオープン戦が行われた際、報道陣に囲まれている藤浪晋太郎のすぐ近くを松坂が通りすぎていきました。藤浪は会釈こそしましたが、それ以上は何もありませんでした。藤浪は『よく知らないから』と話していましたが、いまの20歳前後の選手はみんなそうなのでは…」(ベテラン記者) 侍ジャパン入りすれば、西武時代を知る他球団の年長選手もいるだろう。そこから和が広がっていけば、松坂にも06年以来の日本帰還での“新しいお友だち”もできるはずだ。 もっとも、松坂が代表入りに相応しい復活を遂げなければ、いくらホークスOBの小久保監督でも招集にゴーサインは出せない。 「東尾氏以外に厳しい指導ができる人がいるとすれば、元横浜高校部長の小倉清一郎氏だけでしょう。小倉氏はとってはかわいい教え子の一人でしょうが、プロ選手がアマチュア指導者に学ぶというのは…」(同) 松坂一人のためにアマチュアの指導者をコーチとして起用するわけにもいかない。ホークスの王貞治会長は周囲の反対を押し切って松坂獲得に決断した。松坂がこのまま期待を裏切り続けても、強引なてこ入れをしたとしても、ただでは済みそうにない。
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スポーツ 2015年05月04日 12時00分
阪神・和田監督とオリックス・森脇監督 交流戦までもつのはどっち!?
「怒りが頂点に達し、現場関与に踏み切るとの情報が絶えません」(在阪記者) 関西のプロ野球ファンは裏切られた思いだろう。球団創設80周年を迎えた阪神はオフの補強失敗が響き、下位に低迷。片やオリックスは超大型補強に成功しただけに“Xデー”に関する具体的な情報さえ飛び交っている。 「オリックスの宮内義彦オーナーは怒り心頭です。40試合経過して借金が2ケタ残っていたら、危ないとされています」(同) 4月16日のソフトバンク戦から5連勝し、12あった借金を7まで減らしたが、森脇浩司監督(54)の厳しい状況は変わっていない。 「昨季、巨大戦力のソフトバンクと互角に戦った勝因は攻撃的な投手継投と機動力です。勝利投手の権利獲得までアウトカウント1つとか2つまで迫ったところでも、ダメだと判断すれば容赦なく救援を送り、最後はクローザーの平野につないで逃げ切っていました。1点を積み上げていく攻撃も、大型補強の影響で振り回す雑なスタイルを取らざるを得なくなってしまった」(ベテラン記者) 救援投手陣は不振、故障でそろって二軍落ちしている。森脇監督に同情的な声も聞かれるが、首位戦線に浮上できなければ「一流戦力を扱えない」という評価になるのは仕方ない。 「一方の阪神経営陣は現場を信じる方向性ですが、最近は毎年のように株主総会でタイガースの話題が取り上げられ、このままというわけにはいかない。キューバから助っ人を連れてくる動きもあるようですが、自慢の打線がリーグワーストでは、1人入ったくらいでは話にならない」(前出・在阪記者) 去る4月21日の対DeNA戦、和田豊監督(52)は“大胆な行動”に出ていた。横浜スタジアムは今季からナイター照明機をLEDに変更。電球の数は従来から1割程度減ったが、逆に「まぶしい。外野フライを追っているとき、照明が目に入る」といった声が続出していた。不慣れ故の一時的な苦情だが、同日、阪神は“ぶっつけ本番”で臨んでいる。 「試合には勝ちましたが、もし結果が悪ければ、こういう大事な部分を楽観視している首脳陣は責任を問われかねません」(同) 80周年のメモリアルだからこそ監督を途中交代させる醜態をさらすわけにはいかないとする声もあれば、「だからこそ、手遅れにならないうちに」と進言する向きもないわけではない。 昨季のセ・パ交流戦途中、西武ライオンズは低迷する伊原春樹監督の辞表を受け取った。その後チームは立て直されたが、この序盤戦の大敗が響き、CSには届かなかった。今季は関西の両球団が“決断”をしてもおかしくはない。 さて、どちらが先?
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