スポーツ
-
スポーツ 2015年04月02日 14時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈不屈のファイター アンディ・フグ〉
今では広く使われるようになった“リベンジ”という言葉。そのきっかけとなったのは、1994年9月に開催された『K-1 REVENGE』であった。 同年4月のK-1グランプリ、優勝候補の一角と目されながら決勝トーナメント初戦でよもやの1ラウンドKO負けを喫したアンディ・フグ。このときの勝者パトリック・スミスとの再戦に冠せられたタイトルが「リベンジ」であり、国内スポーツイベントで初めてこの言葉が使われている(もっとも、アメリカではモハメド・アリの時代からボクシング業界の宣伝文句として使われていたフレーズで、日本で広まったのも、後の1999年、西武時代の松坂大輔が使ってからではあるのだが)。 そのリベンジマッチでスミスに快勝したフグ。1分足らずでの膝蹴りによるKO劇という鮮烈さも相まって、一躍K-1のトップスターとなった。 そうして迎えた翌'95年のグランプリ。もはや優勝候補筆頭とも評されたフグであったが、再度一敗地にまみれる。 1回戦の相手は日本では無名だったマイク・ベルナルド。その前年にジェロム・レ・バンナと好勝負した(結果は0-3の判定負け)というだけの実績しかなく、大半の見方は“かませ犬”にすぎなかった。 ゴングと同時に攻勢に出たフグは前評判通り、1ラウンド終了間際、左ハイキックをガードして空いたベルナルドの顔面に左ストレートを打ち込みダウンを奪う。そのまま順当に勝利を得るかと思われた第3ラウンド。フグのハイキックに合わせるように繰り出したベルナルドの左フックをカウンターで食らいダウン。そのままラッシュに持ち込まれてTKO負けを喫してしまった。 さらに同年9月、先年に続いてリベンジマッチが組まれたものの、ここでフグは返り討ちに遭う。前回試合と同様、キックにカウンターパンチを合わされてのKO負けだった。 「踵落としに代表されるハデな上段蹴りを多用するフグの戦法だと、キックをガードされた瞬間ノーガードになってしまう。だからどうしても距離を詰めて闘うボクサータイプの選手とは相性が悪かったのです」(格闘技専門誌記者) まさにそれが'94年のスミスであり、'95年のベルナルドだった。 この敗戦により「顔面パンチに慣れていない空手出身選手はK-1に向いていない」と言われることにもなった。 体重100キロ超、身長2メートル近い巨漢選手がそろう中、体重は90キロ台、身長180センチと小柄なことも不利に働いた。 だが、フグは諦めなかった。 年が明けての'96年グランプリ。KO連勝で準決勝に進むと難敵アーネスト・ホーストも判定で下す。 そうしてたどり着いた決勝のリング。対峙するのは因縁深きベルナルドであった。 ゴングと同時に剛腕を振るうベルナルドに対し、フグは距離を取ってローキックを当てていく。フグは従前から「ファンが高いチケット代を払って試合を見に来てくれるのは非日常を見たいからだ。アマチュアでもできるありきたりの技でなく、難しい技に挑戦する姿を見たいんだ」と語っていたという。 「ローキックでの攻めはそうした信条に反するようですが、フグはもうこのときK-1の人気を背負う存在。ファンからもまず勝利が求められていることをフグ自身感じていたからこそ、あのような戦法を採ったのでしょう」(前出の記者) ローキック攻めは奏功し、3ラウンドに入るとベルナルドは脚を引きずり始め、ついにダウン。これには何とか立ち上がったが、互いにファイティングポーズをとったその刹那、フグの下段回し蹴りがベルナルドの両脚をなぎ払った。 フグトルネード。 後にそう命名された大技は、実は極真時代からの得意技でもあった。 この優勝により名実ともにK-1のトップに立つことになったフグ。時にハデなKO負けを食らいながらも、その度に復活してみせる姿は多くの格闘技ファンの胸を打った。だが、その最後の敵…急性白血病との戦いにはついに勝てなかった。 2000年8月24日永眠、享年35。
-
スポーツ 2015年04月02日 11時45分
あるぞ! 原巨人があのオトコをデビューさせる
開幕カードは勝ち越したものの、第2節の中日戦で連敗…。まだ公式戦5試合とはいえ、原巨人が波に乗れない。 「投打ともに、本調子ではない主力選手が多すぎる。とくに打率1割台の村田(修一=34)が心配です」(プロ野球解説者) 村田の打率は1割4分3厘。規定打席に到達している巨人選手のなかで、ワーストだ。オープン戦から本来の打撃を見失っていただけに、この不振は長引きそうである。 だが、原辰徳監督(56)は不振の村田をスタメンで使い続けている。途中交代もさせていない。実績のあるベテランに対する信頼だろうが、「4番も務めた男に恥をかかせるべきではない。気分転換で休ませ、再調整させてやるべき」(前出・同)の声もないわけではない。 こんな見方もある。 「村田のほかにも三塁を守れる選手はいるが、一発の期待できる控え選手は見当たりません。阿部、坂本、高橋由、片岡も本調子ではないので村田も使わざるを得ないのでしょう。めぼしい控え選手はいない」(球界関係者) 選手層が厚いようで、レギュラー陣と控え選手の力量差が大きい。村田の代役が務まる選手も見当たらないというわけだ。 そんなチーム状況を物語るようにして浮上してきたのが、1位指名ルーキー・岡本和真内野手(18)の大抜てき案だ。 「原監督がオープン戦後半、岡崎郁・二軍監督と岡本の状況について話し合っています。原監督は岡本に経験を積ませたいとし、一軍昇格に前向きですが、岡崎二軍監督は反対しました。時期尚早だと…」(前出・関係者) 岡崎二軍監督以外にも、時期尚早を唱える者は少なくないという。理由は岡本の守備難だ。岡本は智弁学園時代、主に一塁を守ってきた。高校時代から守備がイマイチなのは伝えられてきたが、巨人は「将来の4番候補なのだから、華のあるポジションで」と、三塁でスタートさせることを決めた。 キャンプ中も懸命に守備練習を重ねてきたが、二軍公式戦で2つのエラーを記録している(5試合)。守備に関する不安が、持ち前の打撃にも影響しかねないというのが、岡崎二軍監督以下、反対派のコーチ陣の主張だ。 「巨人は育った補強をしていない。原政権は通算12年目に入り、チームに停滞ムードもある。村田の代役というより、起爆剤として高卒ルーキーを一軍デビューさせたいようだ」(前出・関係者) 前出のプロ野球解説者がこう言う。 「高卒ルーキーの力を借りなければならないチーム状況が、まずおかしいんです。しかし、のちに一流と称されるスター選手の大半は1年目から一軍を経験しています。代打、勝敗の影響のないところで途中から守備に着くくらいなら、少しの間、一軍を経験させてやるのも悪くないと思います」 岡本の一軍昇格の時期が本格的に検討されるのは、巨人が危機的状況にあるか、独走態勢に入ったときのいずれかだろう。 俊足内野手の大累進(24)、岡本の1年先輩で右のスラッガー候補・和田恋(19)、昨秋U18侍ジャパンに招集された辻東倫(20)、中日から戦力外を通告され、巨人に拾われた吉川大幾(22)もいる。今季の戦況によって、岡本の一軍デビューの内容が変わってくるようだ。
-
スポーツ 2015年04月01日 14時00分
広島・黒田とマエケン盃を交わした師弟の密約(2)
黒田がメジャーに渡る前の'07年、前田は新人だったため、接点は“無”に等しかった。一軍と二軍に別れていたためだが、しかし、黒田は自身の後継者として前田に一目置いていた。 「黒田門下生という言葉を使うなら、一番弟子は前田です。前田は今季の帰還を球団よりも早く聞かされていた可能性もある」(同) それだけではない。マエケンは大瀬良たちに対し、「こんなふうに質問しないと、ダメだ」と、黒田との接し方を教示していたようだ。「わからないから教えてほしい」と聞いても、黒田は答えてくれる。しかし、「自分はこう思っているのですが」「こんな練習をしていますが」と突っ込んだ聞き方をしなければ、黒田の教えを自分流にアレンジできないと説いていた。 マエケンは黒田帰還の今季、別の方面でも“異変”を見せている。それは、自主トレ期間中から「開幕投手を狙う」と、ハッキリ口にしていたことだ。これまでは内に秘めていたタイプだが、黒田に「オレに遠慮するようでは成長はない。狙え!」とハッパを掛けられたようだ。 「前田が大炎上した20日のピッチングですが、途中から決め球のスライダーを使わなくなったんです。開幕でぶつかる東京ヤクルトの偵察隊もネット裏にいたはずですし、オープン戦特有の『手の内を隠した』配球だったのかも」(前出・スポーツ紙記者) 黒田の『カープ愛』は25歳の野村祐輔にも伝わっている。野村がまだ明治大学に在籍していたときのことだ。明治大学は米アリゾナのスポーツ施設で新規リーグ戦前のキャンプを行った。そのジム施設で偶然、黒田が練習していたのである。 「明大野球部の一行を見つけると、黒田の方から歩を進め彼らを激励しました。広島県出身の野村の経歴を知っていたらしく、『カープで会おう』と握手を交わしていました」(前出・関係者) そのとき野村は恐縮し、両手で握り返したという。黒田帰還の一報を聞かされたとき、「本当に帰ってくるんだ」と感激していた。 「黒田はオープン戦で好投を続けたものの、日本の軟らかいマウンドに対する感覚をまだ完全に取り戻してはいません。ツーシームと独自の魔球・フロントドアが本領を発揮するのは夏場以降です」(同) 緒方孝市監督は、前任者の野村謙二郎氏が不振でも起用し続けた堂林翔太に対し、あっさりと二軍落ちを命じた。打率2割を切る低迷では当然だが“野村カラー”がなくなり、むしろチームは一丸となったという声も聞かれる。 黒田とマエケンの“男の契り”.新生カープが、Vロードをバク進する。
-
-
スポーツ 2015年04月01日 12時00分
【甦るリング】第1回・長州力が藤波辰巳に下克上宣言した1982年10月8日
プロレスのテレビ中継がゴールデンタイムから消えて久しい。 今の10代、20代の若者にとって、プロレスはマニアックなファンに支えられたジャンルにしか思えないだろう。しかし、かつてプロレスはゴールデンタイムで高視聴率を獲っており、当時の若者にとっては、人気娯楽のひとつだった。 多くのR30、R40世代にとって、少年期に見たプロレスは、それこそ今の人気バラエティー番組を見るかのごとく、日常生活のなかで、欠かせない熱く燃えさせてくれた“テレビ番組”だったに違いない。また、プロレス会場に足を運んだ人も少なくないだろう。 そこで、本項では、特に80年代、90年代を彩ったレジェンド・プロレスラーの「あの日あの時」を記していきたい。第1回で取り上げるのは長州力(63)。いまだに現役を続けている長州だが、昨今ではバラエティー番組で、すっかりおなじみだ。バリバリの頃の長州を知るファン、関係者にとって、今の姿は意外というほかない。 長州は専修大学でレスリングに励み、72年ミュンヘン五輪に出場したトップアスリートだった。同五輪で同じレスリングで出場したジャンボ鶴田(故人)は、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスに入団した。一方、長州は鶴田をライバル視するがごとく、オポジションの新日本プロレスに入団した。 74年、国内でデビュー戦を行った長州は海外武者修行に出発。その後、帰国するも、パッとせず、中堅選手の域を脱せず。全日本で、馬場と並ぶトップスターとして活躍していた鶴田との立場の差は明らかだった。 そんななか、長州はメキシコ遠征に出た。決して、団体の期待があってものとはいいがたかった。現地で長州はメキシコのトップ選手であるエル・カネックを破って、UWA世界ヘビー級王座を奪取して、勇躍凱旋帰国した。しかし、団体内での“序列”は変わるものではなかった。時は82年10月8日、東京・後楽園ホール。長州はアントニオ猪木、藤波辰巳(現・辰爾)と組み、アブドーラ・ザ・ブッチャー&バッドニュース・アレン&SDジョーンズと対戦した。 入場時、今まで通り、長州は藤波より前を歩き、リングアナのコールは藤波より先。プロレスでは格上が後ろから入場し、選手コールは後にされるのが慣例。メキシコで実績をつくって帰ってきたのに、なんら変わらない団体の扱いに、長州は「切れた」のだった。 試合中にもかかわらず、長州は藤波に食ってかかり、下剋上。当時、マスコミでは「藤波、俺はオマエの噛ませ犬じゃない」と発言したとして、2人の抗争が勃発。後に、長州は「このままでは絶対にこいつより上に行けない。絶対に、俺の方が上だと思っていた」といった主旨の発言をしている。 2人の闘いは“名勝負数え歌”として、後に語り継がれることになり、一介の中堅レスラーにすぎなかった長州は一気に大ブレイク。革命軍、維新軍を結成して、2人のライバルストーリーは、新日正規軍との軍団抗争に発展した。今でこそ、日本人による軍団同士の闘いは当たり前となっているが、正規軍と維新軍による抗争は当時のプロレス界では画期的で大ヒットとなった。“革命戦士”と称された長州は時代の寵児となり、金曜夜8時に放送されていた「ワールドプロレスリング」(テレビ朝日)は常に視聴率20%を超え、興行的にも満員御礼が続いた。 その後、長州は84年、新日本を離脱し、新団体ジャパン・プロレスに参画し、ライバル団体の全日本に事実上移籍した。しかし、長州は87年、全日本との契約を解除し、新日本に出戻った。ライバル・藤波との立場は対等となり、長州は団体の象徴であるIWGPヘビー級王座を奪取したり、猪木を破ったりして、文字通り、新日本のトップに君臨することになり、復帰は成功だったといえる。だが、紛れもなく、長州が最もギラギラと輝き、プロレスを見ていた者たちを熱く燃えさせてくれたのは、藤波に牙をむき体制に反旗を翻した82年〜84年のあの頃であったのは間違いない。 基本的にマスコミには一切媚を売らず一線を画して、ファンサービスにも無縁だった長州が、後にバラエティー番組で活躍するとは、いったい誰が想像したか? 60歳をすぎても、なおリング上がっただけで、その発するオーラはただならぬものがある長州。その現役生活は残り少ないものであろうが、限られた時間のなかで、そのファイトをファンの目に焼き付けてほしいものだ。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
-
スポーツ 2015年03月31日 14時00分
広島・黒田とマエケン盃を交わした師弟の密約(1)
これも24年ぶりの優勝に向けた吉凶だろうか。緒方カープの新旧エースがオープン戦で明暗を分けた。 オトコ黒田は“メジャー仕込みの変幻ボール”で対戦チームを翻弄させたが、前田健太の調子が上がってこない。すでに開幕投手の指名を受けているマエケンの不振は、黒田博樹を意識し過ぎての空回りかもしれない…。 「今季、黒田帰還の恩恵を最も受けたのはマエケンだとの声も広島内部から聞かれました。報道陣、ファンは黒田に群がり、マエケンは完全にノーマーク。練習に集中する時間を多く得たので、ベストコンディションで開幕に臨めるのではないかと」(チーム関係者) マエケンが“異変”を表したのは3月20日の対ソフトバンク戦だった。オープン戦最後の実戦登板であったこの日、ホークス打線に捕まり、5回7失点と大炎上。1試合で7点も失ったのは、2009年3月以来となる。マエケンは「球数(101球)を多く投げられたことだけは良かった」と自虐的に語っていた。 一方の黒田は3月22日、同じくソフトバンク相手に貫禄のピッチングを披露。7回を投げ無失点と完璧な内容で、開幕へ向け順調な仕上がりぶりを見せた。 ここで思い出されるのが『両雄並び立たず』の言葉だ。マエケンは“先輩・黒田”を意識するあまり、変に力み過ぎているのではないかというもの。 「大瀬良大地が黒田に心酔しています。黒田がメジャー時代にマスターしたツーシームを習得しつつあり、師弟関係も構築されつつある。でも、新人だった昨季はマエケンが面倒を見ていたんですよね」(スポーツ紙記者) 大瀬良は“黒田ボール”をオープン戦でテスト投球し、手応えも感じている。3月17日の対日本ハム戦で試運転し、「思っていたような感じで投げられました」とコメント。通常、変化球を新たにマスターする場合、1年は要するといわれる。「実戦で使えるまで」という意味だが、キャンプ後半から教わり1カ月弱でここまで来られたのは、まさに黒田効果だ。 「首脳陣が黒田獲得で最も期待していたのは、精神的支柱として若い投手陣を引っ張ってほしいからであり、コンディション作りや投球術を体現してほしかった」(前出・関係者) 4月11日で27歳になるマエケンには、もうその必要はないと思ったのか…。しかし、新旧エースの真の関係は違った。 「黒田がメジャーに渡って以来、2人は毎オフ会ってきました。人目を忍び食事をしながら、黒田は投球術だけでなく、カープ愛や『エースとは』を伝授してきました」(同)
-
-
スポーツ 2015年03月30日 14時00分
阪神タイガース創設80周年シーズンお先真っ暗ダメ虎の兆し
開幕目前になって、トラの球団創設80周年を誰も口にしなくなった。 「ペナントレース本番を想定し、ベストオーダーを組んだのに大敗。あの負けは痛かった」(在阪記者) その一戦とは3月20日の対オリックス戦。4番にゴメスを入れ先発はメッセンジャー、しかもオープン戦の特権であるDH制も使わず、まさに本番モードで臨んだ“関西ダービー”だったのだ。 結果は3安打の完封負け。しかも、うち2本は内野安打というお寒い結果だった。 「この時点から対外試合10戦をさかのぼっても、全部1ケタ安打。開幕投手候補のメッセンジャーも5回5失点では、ワンサイドで負けたのも当然」(同) 80周年メモリアルの開幕投手が外国人というのも寂しい限りだが、若きエース藤浪晋太郎の調子がイマイチなのも気になる。 「藤浪は得点圏に走者を背負うまで“脱力”で投げるマエケン投法の魔法からまだ覚めていないんです。藤浪が15勝に届かなければ、阪神は優勝ラインの80勝強に届かないかもしれません」(ベテラン担当記者) 藤浪は自主トレで広島の前田健太投手に弟子入り。脱力投法はそこで学んだようだが、1カ月程度で完全マスターできるほど甘いものではない。まして、今季は先発投手の頭数が足りない状況でペナントレースに突入する。緊急トレードを模索したが、補強できたのは登録枠で一軍起用することができない5人目の外国人投手だけだ。 「2013年WBCプエルトリコ代表のマリオ・サンティアゴ投手を獲得しました。球団も一軍登録枠がネックなのはわかっての獲得です。要するに、将来、外国人選手を獲るための中南米ルートを確立するためです」(球界関係者) そんな余裕はとてもないはず。加えて守護神・呉昇桓の周辺が、にわかに騒がしくなってきた。 「メジャー行きの噂が再燃しつつある。2年契約を満了する今オフ、米挑戦するとの話が出て、呉昇桓本人が『通訳の間違い』と否定していましたが、投球スタイルがメジャーモードになっているんです」(同) 呉昇桓は“落ちるボール”の必要性をチームから指摘されていた。その中でツーシームを選択したのだが、それはメジャーの“流行ボール”でもある。 「もっとも、不安な材料は呉昇桓につなげるまでの中継ぎ陣なんですけどね」(前出のベテラン記者) 三塁に強制転向させられた西岡剛も、割り切れていないのか打撃不振のまま開幕を迎える。こんな調子では、トラの80周年は悪夢一色になりかねない。ライバル巨人も不調なのが、せめてもの救いだ。
-
スポーツ 2015年03月30日 11時00分
侍ジャパン欧州戦低視聴率の後遺症
強化試合として3月10、11日に行われた侍ジャパン対欧州代表戦の視聴率が予想以上に悪かったため、テレビ放映権の販売方法が改まりそうだ。 「前売り券の売れ行きから鈍く、観客動員数が1万人台に落ち込むとも予想されていました。招待券を配りまくって何とか2万人を超えましたが…。試合を行った2日間とも12球団はオープン戦を行っており、プロ野球ファンを奪い合ったのが最大の原因です。それでも、テレビ視聴率の方は数字を期待していたんですがね」(球界関係者) 各メディアが報じた10日のテレビ視聴率は7.2%。2戦目はBSのみの放送に追いやられた。そういえば、昨秋の日米野球も2ケタに届いていない。2017年までに収益40億円という目標も怪しくなってきた。 「チケット収益は12球団の試合とかち合わなければ何とかなる。視聴率が伸び悩んだままでは、今後の放映権料、広告料に影響してきます。過去3回のWBCにさかのぼって、『国際試合がプロ野球興行の隆盛に直結しなかった』との冷静な意見も出ています」(同) そこで浮上してきたのが、プロ野球興行にも波及する改定案だ。 「検討段階ですが、代表戦の放映権とプロ野球中継数試合をセットで売ってみてはどうだろうか、と。局側にペナントレース2、3試合を好きに選ばせてセット販売すれば、低視聴率を名目に買い叩かれることはない。反響の高い国際試合をやれば公式戦に波及するし、12球団も選手派遣にもっと協力してくれるかもしれません」(同) 侍ジャパンの事業会社社長が日本テレビからの派遣ということを考えれば、まず泣きを入れるのは古巣となるだろう。日テレが巨人戦以外を頻繁に中継する日がくるかもしれない。
-
スポーツ 2015年03月29日 16時00分
巨人開幕ローテに赤信号 経験足らずの二軍選手と新人を大量投入か
原巨人は故障者と不振者が続出し、“野戦病院”状態で開幕を迎えることになりそうだ。 野手陣は選手層の厚さでカバーしていくというが。しかし、投手陣の方はそうもいかないらしい。 「杉内、内海の両左腕を外した6名の先発ローテーションを編成することになりそうです。そうすることで、経験値の少ないも起用せざるを得なくなり、開幕1カ月は勝率5割ラインを行ったり来たりということになるのでは」(プロ野球解説者) 内海哲也(32)は左前腕部の炎症、杉内俊哉(34)はオープン戦での登板で調整失敗。ローテーションに入れることできない状態だ。開幕投手は菅野智之(25)が予想されているが、二番手以降が頼りない。 「新人の高木勇人(25)の評判がいい。菅野も本調子ではないので、『思い切って、この高木を開幕投手に抜てきしても』と推すOBもいるくらいです」(スポーツ紙記者) 高木は海星高校(三重県)から三菱重工名古屋に進み、社会人4年目でようやくプロ入りの夢が叶った苦労人。3位指名なので、さほど有名なドラフト候補ではなかったわけが、本人は指名直後から張り切っており、現巨人投手陣のなかで最も仕上がりがいいと伝えられている。しかし、その仕上がりがよすぎるため、巨人首脳陣は起用法に頭を悩ませているという。 「入団交渉の段階で『救援向きの投手だと思って指名した』と伝えているんです。先発、救援の両方の経験があるからか、本人はリリーフでの起用法に異存はないとし、そのつもりで調整してきました」(球界関係者) 高木勇はドラフト後に巨人が指名挨拶を行った場で「100試合投げます!」と頼もしいことを口にしていた。目指すは同じチームの山口鉄也のポジションだったはずだが、先発投手があまりに駒不足で、高木勇を先発ローテーションに組み込もうかという話が浮上した。どうしても先発投手が足りないならばそうするかもしれないが、原監督はそうは考えていなさそうだ。 「高木勇を勝ちパターンの救援で使うならば、高木が今季のキーマンになるのは確実です。抑え投手に転向した澤村拓一がモタモタしているようなら、マシソンとこの高木でその代役を争うことになる」(前出記者) 高木をセットアッパーでフル回転させ、マシソン、澤村で逃げ切る。これが前半戦における原構想のようだ。見方を変えればそれは、先発陣は5〜6回で降板させることが前提という意味である。 「先発の主軸は菅野。しかし、菅野は昨年に痛めた右肘をかばうような投げ方をしており、無理をさせたくない。長いイニングを投げさせないよう、首脳陣も配慮していくはず」(同) 本来であれば完投もしくは長いイニングを投げることができる菅野だが、今年はそうはいかない。先発ローテーションは菅野の他に新加入のマイコラス、ポレダ、小山雄輝、救援から転向する西村健太朗で編成される。菅野に無理をさせないため、新人を酷使して使い捨てにするようなことは避けたい。だが、巨人は選手層が厚いようで、二軍選手や控え選手は実戦経験が足らずに実力が出し切れないということが多い。 ひょっとしたら、巨人が話題の中心にしたいで高卒野手の岡本和真のスタメンデビューもかなり早い時期に見られるのではないか。
-
スポーツ 2015年03月29日 11時00分
上原故障の原因は新練習のせい? MLBが導入し始めた新調整法
メジャーリーグでいま選手寿命が延びるという新たな調整法が注目を浴びている。 「今季より、レッドソックスがその調整法を導入したことで主流となりつつあります。これまでは一部の球団しか取り入れていなかったんですが」(現地特派記者) その調整法の名前は、Zephyr(以下=ゼファー)という。正確にはゼファーとは計測器の名前であり、アスリートの活動量(運動量)をいままでより精密に計測する調整法が着目されているそうだ。 「従来の計測器はリストバンド型でした。それもかなり優れた商品とされ、野球はもちろん、あらゆるプロスポーツ選手が、脈拍、心拍数、体温、血圧、消費カロリーなどを計測しています。自分がどんな状況におかれたときに心拍数が増えるのかを知ることで、体力トレやメンタルトレーニングのやり方を変えて、パフォーマンスを高めようというわけです」(同) ゼファーが従来の商品よりも優れているとされる点は、アンダーウエアに計測器が装備されていることだ。重さや違和感が全くないレベルの大きさで、より細かい数字を測定できるという。だが、ゼファーを使った練習は、あくまでもコンディショニング調整が主な役割のようだ。 「2013年にパイレーツが21年ぶりのプレーオフ進出を果たして話題になりました。その快進撃を支えたとされるのが、ゼファーを参考にしたコンディショニング調整でした。レッドソックスはベテランの多いチームなので、昨季の後半戦の息切れを解消するため、導入が決まったそうです」(同) レッドソックスはキャンプ中、選手がクラブハウスにいったん引き上げ、ゼファーが縫い込まれたアンダーシャツに着替える場面があった。脈拍等を調べ、トレーニングコーチやコンディショニングの担当チームが選手個々に適した練習メニューを提供する。アクシデントは別として、通常と違う数値が続けば故障の前兆であり、怪我を未然に防ぐことも可能だという。 「この調整法に強い関心を示していた1人に、上原浩治がいます」(米国人ライター) しかし、上原は太ももの張りを訴え、別メニューでの調整が続いている。 「上原はゼファーによる測定で実年齢よりも肉体がものすごく若いことが判明しました。その数値を見て、練習のプログラムを作ったのは医療知識のあるスタッフでした。メジャーの契約は高年齢の選手にドライですが、ゼファーがさらに浸透すれば実年齢より肉体年齢を元にした査定になり、米FA市場にも影響が出るかも」(同) 昨年オフ、2年総額1800万ドル(約21億円)で契約を交わした。あのイチローが移籍先を探すのに苦労し、やっとの思いでマーリンズと契約したが、1年200万ドル(約2億4千万円)だった。上原が異例の高額契約を勝ち取った背景にはゼファーの存在があったようだが、スポーツは数値が全てではない。 ひょっとしたら、上原の故障は「実年齢よりも若い」と言われ、張り切りすぎたのが原因なのかもしれない。
-
-
スポーツ 2015年03月29日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(28)第五部・ゴルフシーズン突入「好きなゴルフ場(ニューカレドニア)編」
前回に引き続き、今回も私の好きなゴルフコースについて展開していきます。 今回は、「週5」ペースで通った事がある「ニューカレドニア」のゴルフコース。このコースは面白かったです。「週5」は無理でも機会があれば又、ハマってみたいですね。 毎日、ティーの位置が変わるゴルフ場はよくありますが、ニューカレドニアは特にそれが顕著。簡単な日と困難な日が二分される「行ってみなければ分からない」というミステリーなコースです。 ティーの位置が比較的グリーン手前にある日はスコアが出やすい。その逆に遠くになる日はタフなコースに変貌を遂げます。前述した様に「コースに行ってみないと何とも言えない」というのがココの特徴です。 常連だった私の経験から判断すると、週末の土曜日、日曜日は込むので、難しいコースには設定しません。比較的空いている平日、それも月曜日、火曜日はタフなコースになる傾向が強いですね。 これはあくまで「傾向」であって、これが「全て」ではありませんニューカレドニアへのゴルフ旅行を計画されている方は、よく注意して下さい。そういったコースですから、何度行っても飽きません。私は通算50〜60回は現地でプレーしました。それだけプレーしても全く飽きません。機会があれば、是非、もう一度チャレンジしたいと思います。 そもそもは、私の先輩がニューカレドニアのゴルフ場が大好きで、そのご縁で私も挑戦するようになりました。グリーンの整備が抜群である事、ピンポジが日々、変化する事とコース自体が平坦では無くアップダウンが激しい事…これが相まって私は虜になりました。池やバンカーも結構あります。100切りを目論むのであれば、このコースは避けた方がいいでしょうね。 私にとって、(ゴルフの)もう一つ初めてのお楽しみは「食事」。ご飯を食べる事です。 初めてのコースでは、第一打を打ち終えた瞬間、キャディーさんに「美味しいご飯はなんですか?」と必ず聞きます。その際、「海老チリが美味しいですよ」などと言われたら、もう大変。頭の中は海老チリだらけになってしまいます。 そうはいってもプレーをしているので、海老チリを頭に残しながらも、気分を切り替えます。続いてキャディーさんに「コースはどんな感じですか?」と質問し、ゴルフモードに持っていくのです。 因みにニューカレドニアの食事は、サバの味噌煮と叉焼丼が美味しかったですよ。 一方、食事が私の好みで無い時、ダイエット中で炭水化物を抜いている時などはテンションが下がります。その場合は枝豆、塩辛…といった「おつまみ系」で我慢。又はコース途中にあるお茶屋さんでおでんや(夏期は)かき氷を食べて空腹を満たします。よくよく考えたら、私はただの食いしん坊ですね。 食いしん坊の私も真剣にゴルフをやる時は「間食をしない」と決意。お昼ごはんも腹七分目にします。満腹になると睡魔が襲い、集中力が無くなる。冗談抜きで「吐きそうになるくらい真剣」にプレーすると90台は出せますね。 かつては好不調に関係なくニューカレドニアを利用していましたが、最近では不調の時は千葉のコースに出ます。ここは平坦で距離も短い。スイング改善や修正するには絶好のゴルフ場です。ここでは、スコアを意識する事がないので、いつも満腹でプレーしています…。*カメラマン波田佳典小塚桃子オフィシャルブログ「季節はずれのももリンダ」 http://ameblo.jp/koduka-momoko/
-
スポーツ
GPWAであのタッグチームが復活?
2007年03月08日 15時00分
-
スポーツ
三沢に負のスパイラル
2007年03月07日 15時00分
-
スポーツ
新日本プチシルマ争奪戦勃発
2007年03月07日 15時00分
-
スポーツ
大日本 関本が破天荒トレ
2007年03月07日 15時00分
-
スポーツ
K-1 シュルト初防衛戦に サップ浮上
2007年03月05日 15時00分
-
スポーツ
K-1新遺恨 魔裟斗vsTBS
2007年02月27日 15時00分
-
スポーツ
棚橋時代到来
2007年02月19日 15時00分
-
スポーツ
アングル 永田 新日制圧へ IWGPヘビー級タッグ王者中西、大森組への挑戦急浮上
2007年02月19日 15時00分
-
スポーツ
ポスト魔裟斗ヘ アンディ・オロゴン 帰化計画
2007年02月06日 15時00分
-
スポーツ
輪島氏 自爆テロ
2007年01月24日 15時00分
-
スポーツ
ハッスル消滅!? 小川H軍休止宣言
2006年12月27日 15時00分
-
スポーツ
大みそかボビー弟と対戦 金子賢 前田道場入り
2006年12月14日 15時00分
-
スポーツ
珍指令 KID 秒殺禁止
2006年12月12日 15時00分
-
スポーツ
生還小橋に捧ぐ 三沢 GHC奪還
2006年12月11日 15時00分
-
スポーツ
猪木 緊急提言 想定外プロレスをやれ!
2006年12月05日 15時00分
-
スポーツ
1・4東京D「レッスルキングダム」 新日本 全日本“乗っ取り”へ秘策 長州3冠戦出撃
2006年11月16日 15時00分
-
スポーツ
復活1・4東京D大会へ秘策 新日本最終兵器サイモン猪木 IWGP挑戦!?
2006年11月07日 15時00分
-
スポーツ
来春ビッグマッチ パンクラス芸能人最強決定戦 坂口憲二 今田耕司 押尾学
2006年10月31日 15時00分
-
スポーツ
大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分