スポーツ
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スポーツ 2018年01月09日 13時20分
澤穂希、歩けないにも関わらず代表戦に出場していた
1月7日に放送された『ビートたけしのスポーツ大将特別編』(テレビ朝日系)に澤穂希が出演。2004年に行われたアテネオリンピック予選の北朝鮮戦を振り返った。 勝てばアテネオリンピックへの出場が決まる大一番で、澤はほとんど歩けないほどのケガをしていたとカミングアウト。「膝の半月板の損傷だったんですけど、(北朝鮮との)試合の前から痛み止めの注射と痛み止めの薬と座薬を入れて試合に臨みました」と満身創痍で大一番のピッチに立ったのだという。 ドクターストップがかかってもおかしくないほどの大ケガだったが、「MRIっていうのは撮っていなかったので、膝の状態がわかんなかった。大丈夫だろうっていう感じだったので」と当時は膝の痛みを完全に把握していなかったようだ。 「勝たないとオリンピックには行けないという大事な試合だったので、北朝鮮相手に勝ったことがなかったんですね。だから、(オリンピック出場は)難しいなっていうのは頭の中にはあったんですけど、絶対勝たなきゃいけないっていう」と一度も勝ったことのない強敵を相手にするということで、膝の痛みなんかで弱音を吐いてはいられないという思いが強くあったと話す澤。 番組内では当時の試合映像が流れ、相手選手にタックルし、ピッチを全力で駆け回る澤の姿が流れた。たけしは「あれは良くぶつかりにいきましたね」と澤の気迫のプレーをたたえる。澤は「私、この試合の記憶がほとんどないんですよ。アドレナリンも出てましたし、足のこともあったので、とにかくその時にできることをやるって感じだったので…」といろいろな思いが錯綜した試合であったため、試合中の記憶はほとんどないと語った。 15歳で女子日本代表デビューを果たし、長きにわたり中心選手として活躍してきた澤。大舞台へと引き上げるための思いが、大きなケガでもピッチで躍動できた原動力になったのだろう。
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スポーツ 2018年01月09日 08時03分
G.G.佐藤が痛恨エラーの本当の原因を告白
1月7日に放送された『ビートたけしのスポーツ大将特別編』(テレビ朝日系)に元プロ野球選手のG.G.佐藤が出演。2008年に開催された北京オリンピックで、痛恨のエラーを連発してしまった本当の原因を初告白した。 「(当時監督を務めた)星野監督が常々言われていたんですけども、闘将なので『金メダル以外いらない』と。準決勝前のダグアウトで『国民に金メダル持って帰るぞ』『金メダルを絶対取りに行くんだ』っていうふうに鼓舞したんですよ。それを聞いて余計緊張しちゃって…」「で、相談しようと思いまして、(当時コーチを務めた)田淵さんと山本浩二さんに相談しようと思ったんですけど、怖くて相談できなかったんです」と自分のコンディションなどを相談しようとしたが、監督・コーチ陣の圧力に押され相談できなかったのだという。 そのため、これまでエラーをしてきた原因を「普段ライトを守っていて、レフトは慣れていなかった」と説明してきた佐藤だったが、「星野監督、田淵コーチ、山本浩二コーチが怖くて、緊張していたのでフライが捕れませんでした」とエラーをしてしまった本当の原因を口にした。 また、オリンピック後の星野仙一氏との関係を聞かれた佐藤。「(オリンピックから)帰ってきて、次の日に手紙を書いたんですよね、星野監督に。『自分自身のせいで負けてしまって申し訳ございませんでした』って手紙を書きました。」「で、星野監督は読まれたみたいで、あとあと(元ヤクルトの)宮本キャプテンから『手紙もらったけれども、気にせずにお前の野球人生を頑張れ』っていうふうに言ってたぞ、って言ってもらいました」と間接的ではあるが心強い言葉をもらったのだという。 星野氏は一見熱く見えるが、細かな気遣いもできる人だ。そんな人だからこそ「監督を男にしたい」と選手に思わせることができたのだろう。星野氏のもとでプレーした選手が、今後指導者として“闘将”の熱い思いを引き継いでいってくれることに期待したい。
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スポーツ 2018年01月08日 22時10分
上原浩治、大谷を打ち取るための配球を語る
1月7日に放送された『S☆1』(TBS系)に上原浩治が出演。今シーズン、メジャーに移籍した大谷翔平への対戦シミュレーションを語った。 番組では、大谷と対戦したら上原はどういう配球をするのか質問。まず、初球は「データがないんですよ、僕の中で大谷選手の。ないですけども、初球はとりあえずインコースで様子を見ますよね。振ってくればファールになるような球を投げる」とインコースのボール気味の球で出方をうかがう。 2球目は「自分の得意球ですね。振ってくれればいいかなと」と得意球のスプリットをアウトコース低めに投げ込む。 3球目は「同じ球を投げます。(球種は)スプリットですね」と、2球目と同じコースに同じ球種を投げるのだという。 4球目は「インハイですね。(球種は)真っ直ぐで」と2球目、3球目と対照的なゾーンを指定した。元巨人の槙原寛己は「これは次の球を活かす意味も込めて、あそこに投げておきたいっていうのもあるんですかね?」と質問。上原は「多分ですね。ここで(2、3球目で)スプリット投げてるんで、(4球目で)真っ直ぐ投げればタイミングが早いと思うんで、引っ張ってファールになる可能性がたぶん高いんですね」「これで2ボール・2ストライクか、1ボール・2ストライクっていう状況に持ち込みたいですよね」と解説した。 そして、5球目は「ここ(低め)にスプリットですよね」とウィニングショットに得意球を投げて仕留めにかかるようだ。 しかし、一通り大谷を打ち取るための配球を語った上原だが、「彼がどういう打者かはわからないので、もうちょっとここに(高めに)真っ直ぐを投げたいっていうのもあるんですよね」と話した。 まだ、上原の今シーズンの所属チームは決まっていない。だが、もし大谷と対戦する機会があれば、上原の配球に注目して見てみると面白そうだ。
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スポーツ 2018年01月08日 22時10分
新シーズンへ Jリーグ、海を越える大物プレイヤーたち
ワールドカップイヤーを迎え、Jリーグもすでに2018年シーズンへと歩みを進めている。各クラブとも今月中旬の始動に向け、ここまで様々な選手たちの移籍が活発に行われてきた。その中でも今年に入り、ビッグネームの選手たちが様々な動きを見せている。■新たな大物助っ人も 鹿島アントラーズへドイツ・ウニオンベルリンから内田篤人の復帰が決まった。 高校卒業後、2006年に鹿島アントラーズに入団、クラブ史上初となる高卒ルーキーでの開幕スタメン出場を果たし、一年目よりレギュラーとしてチームを支え、翌年からの3連覇に大きく貢献した。2010年からドイツへと渡り、8シーズンぶりとなる古巣への帰還は昨季、無冠に終わったアントラーズにとって、王座奪還へのこの上ない補強であることは言うまでもない。故障によりここ二年間出場機会が得られず、またケガの回復具合も気になるものの、6月に開催されるロシアワールドカップへ向け、代表復帰を睨んでの移籍であるとも伝えられている。経験豊富なサイドバックが今シーズン再びアントラーズの背番号「2」を背負い、どこまで存在感を発揮することが出来るか。 今季よりJ1へ復帰の名古屋グランパスには元セレソン加入という、こちらもビッグニュースに沸いた。名古屋は新外国人として、ブラジル・コリンチャンスより191㎝の長身を誇るFW・ジョーの獲得を発表した。ジョーは2014年のブラジルワールドカップにも出場し、昨季のブラジルリーグ得点王(34試合18得点)にも輝いている。ロシアやイングランドなどでのプレー経験もあり、実力・実績とも十二分な長身ストライカー・ジョーは逆襲を目論む名古屋グランパスとともに、早くもJリーグの舞台を席巻する予感を抱かせている。■新天地を求めて海を渡る若手、そしてベテラン 一方では、Jリーグから海外のクラブへと羽ばたくプレイヤーも。 ヨーロッパへの移籍を果たしたのはガンバ大阪の井手口陽介だ。イングランド2部のリーズへ完全移籍が成立するも、労働許可証の関係上、今シーズン終了まではスペイン2部クルトゥラル・レオネサへ期限付き移籍となる。既に日本代表のレギュラーでもある21歳は「更なる成長を求めて挑戦したい気持ちがあった」と語り、戦いの場を念願の欧州へと移す。6月のワールドカップ出場も見据え、若武者・井手口の新天地での躍動に期待がかかる。 サガン鳥栖からは元日本代表・豊田陽平が韓国・蔚山現代FCへの期限付き移籍が発表された。2010年より鳥栖に在籍し、屈強な体格を武器として一昨年までコンスタントに二桁得点を記録している。また、主力としてだけでなく、長きに渡りクラブの『顔』としても役割も果たしてきた。サガン鳥栖が初めてJ1での戦いに挑んだ2012年、エースとしてチームを牽引し19ゴールを挙げる等、J1参入初年度で5位へと押し上げる原動力となった。昨年は5得点に留まり出場機会も減ったことから蔚山現代FCへの移籍を決断。フィジカルコンタクトの激しさが叫ばれる韓国・Kリーグにおいて、ゴールを量産し、かつての輝きをもう一度取り戻せるだろうか。 新たにJリーグに戦いを求める者、そしてJリーグを離れ、海外のフィールドに挑む者。何れの決断もそれぞれの生き様を表現するために海を越えることに変わりはないはずだ。そして、そこには強い決意があるからこそ、我々は今年もそのピッチから目を逸らすことはできない。(佐藤文孝)
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スポーツ 2018年01月08日 21時00分
【DeNA】「頑張って喋りたい」土屋太鳳ファンのドラ1東克樹が入寮、熱烈ラブコール!
▼7日 横浜DeNAベイスターズ選手合宿所『青星寮』 横浜DeNAベイスターズの新人選手が7日、横須賀市内にある『青星寮』に一斉入寮した。即戦力左腕として先発ローテ入りが期待されている東克樹(立命館大)は、女優の土屋太鳳が東に書いた直筆サイン色紙を持ち込み、熱烈なファンであることをアピール。「いつか会ってみたい」と期待を込めてラブコールを送った。 この日は東をはじめ新人全10選手(1名の育成契約選手を含む)が一斉に入寮。8日から30日まで、来月1日から始まる春季キャンプでの一軍デビューを目指して合同自主トレを行い、プロ生活をスタートさせる。◾️東克樹投手 一問一答ーードラフト1位で指名されて周りからは何と言われた?今がゴールじゃないんで、こっから頑張れといろんな人に言われました。ーー初詣は?行ってないです。ーー毎年行かない?いや、今年だけ行かなかったです。今年は元旦から練習して暖かかったんで、ピッチングも投げて。新年一発目にストライクが入ったので、今年はいいのかなとは思いました。ーー新年の1球目は願い事を込めて投げた?毎年いつも1球目ストライクかどうかを気にしながら投げているので。今年はストライク入ったので良い年になるんじゃないかなって。ーー寮の部屋を見た感想は?目の前が海だったので、いい景色というか。今まで海が見える寮じゃなかったので、良い目覚めができるんじゃないかと思います。ーー寮生活の不安は?不安だらけですね。今は不安しかないです。ーー具体的には?生活リズムとかわからない状態なので、そういうところから勉強していかないと。知識がゼロなんで。そこが不安です。ーー合同自主トレはどんな気持ちで臨む?プロの第一歩なんで。初日は怪我なく終わりたいなと思います。ーードラフト1位ということで注目をされるだけじゃなく、ルーキーを引っ張っていく立場になると思うが?ランニングとかメニューにあると思うんですけど、自分は足が遅いので引っ張ってもらう側になるかもしれないですけど、気持ちでは自分が引っ張っていくという気持ちでがんばりたい。ーー初日はラミレス監督も視察するが、どこをアピールしたい?実戦でアピールしていきたいですね。ーー持ち込んだ思い入れのあるものは?土屋太鳳さんの直筆サインです。立命館大学のOBの方が芸能関係の仕事をされていて、いただきました。名前も書いてあるので世界にひとつだけの思い入れ深いものです。ーーファンなんですか?好きです!ーーどんなところが好き?ハッピーな感じというか、静かじゃないじゃないですか。元気いっぱいなところが好きなんです。まだ会ったことがないので、これから機会があれば喋ってみたいなと思います。ーー色紙を見て感じることは?これを見て頑張れば会えるんじゃないかと思いながら頑張っていきます(笑)。ーーもうひとつ持っているのは?これは元旦の集まりのときに小学校2年生の親戚の男の子がくれたお守りです。(うたれてもあきらめるな と書かれている)小学校2年生だからかわいい言葉が書いてあるのかなと思ったら、厳しいことが書いてあったので(笑)。凄い現実的というか、子どもは見てるなと思いました。ーー今シーズンの目標と意気込みは?まずはローテーションに入ること。あとは怪我なくこの1年間をまずはやりたい。怪我をしてしまうと今後の野球人生にも影響が出てしまうので、怪我しない体づくりをしっかりして、シーズンを迎えたいなと思います。ーー昨年、一昨年とチームは左腕のルーキーが活躍しているが先輩に聞いてみたいことは?怪我しない体づくりであったり、食生活であっありとか野球の面も変わっていく上で聞いてみたいですけど、まずは私生活の面からどういう風に取り組んでいるのか学びたいですね。ーー部屋は石田が使用していた部屋になったが?自分も東が使っていたと言われるように、恥じないよう頑張ります。ーーお守りをくれた親戚の子も野球をやってる?いや、サッカーやってます(笑)。ーー練習はどこでやっていた?知人の庭で。凄く広い庭を持っている知人がいて傾斜を使って投げてました。昨年の1球目はボールでしたけど今年はストライクだったので。ーー土屋太鳳さんを好きになったドラマは?作品とかじゃないんですけど、バラエティ見てて面白いというか。今度『チア☆ダン』のドラマ版の主演をやられるそうなんで見ます。頑張って会いたいですね。取材・文 / どら増田カメラ / 萩原孝弘
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スポーツ 2018年01月08日 15時39分
王貞治・張本勲両氏が星野仙一氏を追悼 「対戦して良かったなというピッチャーだった
7日放送の『サンデーモーニング』(TBS系)「週刊御意見番」コーナーで、レギュラーコメンテーターの張本勲氏と、ゲストの王貞治氏が、4日に膵臓がんのため死去した星野仙一氏についてコメントした。 張本氏は星野氏の死について、「残念ですね。現役も監督も全面的に闘志を出した選手だったですね。この方(王氏)は内に秘めるタイプだったけど、彼は表に出すからね。それで、3球団で優勝した監督は、長い歴史のなかで3人なんですよ。三原監督、西本監督。この点は立派ですね」とコメント。 王氏は、「打てるもんなら打ってみろという。彼は本当に真正面からどんどん攻めてきましたね。バッターとしてもつい『よーし』と思って、闘志が湧くピッチャーでしたね」と偲ぶ。 そして、関口が「球で言うと、わりと近い球も来るでしょこの方は?怖くないんですか?」と王氏に質問。すると王氏は「怖いと思ったらできない世界ですから。でも本当、彼はスライダーってのも良かったですし、後半はフォークも良かったですね。変化も大きい」と褒める。 また、張本氏も「何回もやりましたよ。球は速い球じゃないんですよ。やっぱりフォークがちょっと良かったかな。それと1球1球気合を入れて投げてくるから。だいたい遊び球というのがあるんだけどね、遊び球投げても気合を入れた遊び球。そういう感じのするピッチャーだったね」とコメント。さしもの張本氏も、後輩に賛辞を送った。 さらに、王氏も「記憶に残る、対戦して良かったなというピッチャーでしたね。殿堂入りのパーティーのときは元気そうで、まさかこんな早くこんな日を迎えるとは思わなかったですね」と星野氏を褒めつつ、早すぎる死に肩を落とした。 現役時代対巨人、ONに闘志を燃やした星野仙一氏だけに、王氏のコメントは、彼への最高の褒め言葉。草葉の陰で、喜んでいることだろう。 早逝は残念だが、ゆっくりと休み、日本の野球を見守ってもらいたいものだ。
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スポーツ 2018年01月08日 12時40分
闘将逝く 野球を愛した星野仙一氏の「一世一代の直訴劇」
闘将・星野仙一が逝った。享年70、その突然の訃報に球界の関係者たちは「早過ぎる」と口を揃えていたが、この2年間は病との戦いでもあったという。「年末年始は家族でハワイ旅行に行くとし、テレビ番組などの出演は全て断っていました。お元気であれば、2月キャンプに向け、選手を一軍と二軍に振り分ける話し合いが1月半ばに予定されていたので、それが仕事始めになるはずでした」(楽天関係者) だが、年末から体調を崩し、ハワイ旅行はキャンセルしていた。2日に容体が急転し、4日午前5時25分、帰らぬ人となってしまった。 最後に元気な姿を見せたのは、昨年12月1日、大阪市内で行われた自身の「野球殿堂入りを祝う会」だった。「野球に恋をしてきて良かった。野球のおかげで自分はこんなにも…」 ソフトバンク・王貞治会長、阪神・金本知憲監督らの球界関係者のほかにも、故人を慕う政財界の要人たち約950名が集まった。彼らの前でそんなことを話していたそうだ。 監督を務めた中日、阪神、東北楽天の3球団では全て優勝に導いている。最後のユニフォームとなった楽天では悲願の日本一も果たしている。監督通算1181勝は、歴代10位。「強いクローザー」を見出し、先行逃げ切りの采配だった。今日のプロ野球では継投策が重視されるだけに、故人の采配は大きな影響をもたらしたと言っても過言ではないだろう。「野球を愛していた」という故人の言葉で、こんなエピソードも思い出される。 故人は北京五輪・野球競技(2008年)で日本代表チームの監督も務めているが、その「愛する」の言葉を実行に移していたのだ。05年10月16日のことだった。中国・上海でIOC・ジャック・ロゲ委員長(当時)とその一行をもてなす船上パーティーが催されていた。同委員長の訪中目的は北京五輪の準備状況を視察だ。パーティーは有力者のご機嫌を取るためでもあったが、故人はあらゆるツテを辿って、その船内にもぐり込んだのである。それだけでも凄い行動力だが、故人の目的はロゲ委員長と話をすること。そして、頃合いを見計らい、同委員長の前に出て、「オリンピックから野球をなくさないでくれ!」 と、直訴したのである。 3か月ほど前の同年7月8日、IOCは総会を開き、12年のロンドン五輪から野球・ソフトボールを公式種目から外すことを決めていた。野球は「北京五輪が最後」となり、それに対する抗議だった。 パーティーを主催した中国の要人たちは同委員長の機嫌を損ねてはと青ざめたが、闘将と呼ばれた男はひるまなかった。アメリカ、日本で野球がいかに愛され、定着した競技であるかを説明し、「オリンピックの企業スポンサーをもっとも集められる両国の国民をガッカリさせたら、盛り上がらなくなる」とも力説した。 同委員長は通訳を介してだが、故人の訴えに最後まで耳を傾けていたそうだ。「検討してみる」と回答を得るのと同時に故人は「お願いします!」と頭を下げた。同年10月24日、国際野球連盟(IBAF)が五輪野球サミットを開催したが、故人の行動力が契機になったのか、そこにはNPB要人も駆けつけた。次のIOC総会(次年2月)で「見直しの再提議」がされたが、結果は変わらず、今日に至っている。 関係者がこう続ける。「当時の故人の肩書は、阪神タイガースのシニアディレクター。IOC委員長と直接話ができる立場ではありませんでした。でも、野球がオリンピックから消えることを黙って見過ごすことができなかったんでしょう。故人の直訴が、東京五輪の追加種目で野球・ソフトボールが復活した下地になったと思いたい…。追加種目とはいえ、IOCは一度消滅させた野球・ソフトを承認しなかったと思います」 故人が「五輪最後の野球競技」の日本代表監督に決まったのは、直訴劇から1年余が経過した07年1月だった。北京で金メダルを獲ることができなかった悔しさは、故人がいちばん強く感じていたはずだ。2020年、東京五輪での野球・ソフトは故人の眼にどう映ったのだろうか。
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スポーツ 2018年01月07日 21時46分
上原浩治が嫉妬したプロ野球選手とは…
1月3日に放送された『ビートたけしの私が嫉妬したスゴい人』(フジテレビ系)で、上原浩治が嫉妬する人を語った。 上原は「自分と比べて『なんでアイツが?』っていう思いは常に持ってるので。外見も良くて野球も上手くて、すべてが良い方向にいっているので悔しいというか…高橋由伸です」と口にする。 強く嫉妬した理由について「やっぱり同年代にライバル心を持つわけであって、ましてや高橋由伸に関して言えば生年月日が一緒なんで」「名古屋で誕生日だったんですよね。空港で行くじゃないですか。(高橋と)2人で歩いてて、誕生日ですよ?由伸だけプレゼント貰って、僕だけ素通りっていうのはありましたけどね。『何でお前だけやねん』っていうのを言ったような記憶があります。それがムカつくっていうか悔しいじゃないですか」と誕生日が一緒だったため人一倍高橋を意識せざるを得ないシチュエーションを多く経験してきたからだという。 また、「嫉妬しようっていう気持ちがなくなると、向上しようという気持ちもなくなってくると思うので、良い目標、ライバルを作ることができたなって思ってますけどね」と高橋に感謝を述べ、「嫉妬とはパワーの源です。自分が1年でも長く(現役で)やってやろうってなりましたね」と嫉妬を肯定的に解釈していた。 さらに、高橋監督の下で上原が現役でプレーする可能について質問。上原は「アイツに命令されたくないんで行きたくないです。由伸が監督辞めたら、もしかしたらジャイアンツに戻るかも」と答えた。 嫉妬と聞くと「足を引っ張ってやろう」「失敗しろ」と連想されがちだが、一流の選手は嫉妬を「あいつに負けないよう努力しよう」と自身を向上させるためのエネルギーに変えられる。今シーズンも嫉妬を原動力にフル回転で活躍してほしい。
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スポーツ 2018年01月07日 12時55分
【新日本】松井珠理奈アンバサダーの職責を果たす!今年のG1決勝は武道館3連戦
新日本プロレス『レッスルキングダム12』▼1月4日 東京ドーム観衆 34,995人 第1試合開始前、場内のビジョンでカウントダウンVTRとオープニングVTRを上映。続いてリング上に“1・4東京ドーム・スペシャルアンバサダー”を務めるSKE48の松井珠理奈が登場。「この新日本プロレスの激闘を、世界中に届けて行きましょう」とファンに挨拶した。そして、珠理奈がファンと一緒に「みんなでプロレス! イッテンヨン!」のキャッチフレーズを叫び、大会がスタート。 珠理奈は年末の忙しい合間を縫って、1.4ドーム大会に関する発信をし続けた。その甲斐もあってか、試合終了後にグッズテントを覗くと品切れの嵐。ドーム大会でパンフレットが完売したのは何年ぶりだろうか。これは今年に限った話ではないが、大会前もグッズテントの入場列は東京ドームホテルまで延びており、人気アーティストと何ら遜色ない光景である。 珠理奈は3日にディファ有明で開催された『大プロレス祭り』に同じくSKE48の松村香織とともに、2人が出演していた『豆腐プロレス』のトークショーも行っている。ここでも最後に「プライベートでも絶対に1.4東京ドームに行こうと思っていたんですけど、まさかアンバサダーに選んで頂けるとは…。これからもプロレスをまだ知らない方にも広めていきます!」と今後もプロレス布教に一役買って行くことを力強く宣言した。 テレビ解説は、蝶野正洋、松木安太郎とともにゲスト席に座ると、決して知ったかぶることなく、積極的に話していたのが印象的だった。特に最後の2試合は大興奮していたようだが、今年上半期の新日本は、例年以上に大会場を開催を連発する。【新日本プロレス2018年上半期主要日程】▼1月27日(土)&28日(日)『THE NEW BEGINNING in SAPPORO〜雪の札幌2連戦〜』北海道・北海きたえーる▼2月10日(土)『THE NEW BEGINNING in OSAKA』大阪・エディオンアリーナ大阪▼3月6日(火)『旗揚げ記念日』大田区総合体育館▼現地時間・3月25日(日)『STRONG STYLE EVOLVED』アメリカ・ロサンゼルス ロングビーチWalter Pyramid※2度目のロサンゼルス大会。▼4月1(日)「SAKURA GENESIS 2018」両国国技館▼4月29日(日)『レスリング火の国 2018』熊本・グランメッセ熊本▼5月3日(木・祝)&4日(金・祝)『レスリングどんたく 2018』福岡・福岡国際センター▼5月18日(金)『BEST OF THE SUPER Jr.25』開幕▼6月9日(土)『DOMINION 6.9 in OSAKA-JO HALL』大阪・大阪城ホール▼6月15日(金)『KIZUNA ROAD 2018』開幕▼“真夏の最強戦士決定戦”『G1 CLIMAX 28』7月14日(土)&15日(日)東京・大田区総合体育館で開幕7月16日(月・祝)北海道・北海きたえーる▼『G1 CLIMAX』優勝決定戦8月10日(金)、11日(土)、12日(日)東京・日本武道館※『G1』で初めてとなるだけでなく、日本武道館の使用自体が15年ぶり(2003年6月以来)の開催となる。 今年の夏、両国国技館が使用できないという話題は昨年からあったが、その代替として日本武道館を選ぶとは驚いた。しかも3連戦だ。国技館より5,000人は入る武道館を札止めにするには、プロレスを多角的に広めてもらう人材は不可欠。今月末のきたえーる2連戦然り、5月のどんたく2連戦然り、大会場を2日押さえているシリーズも目に止まる。珠理奈のアンバサダー就任と活動内容は、プロレスファンにも概ね歓迎されていたので、今後もプロレスの発信を続けて、会場にファンを呼び寄せてもらいたい。取材・文 / どら増田カメラ / 舩橋諄
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スポーツ 2018年01月07日 12時00分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「アブドーラ・ザ・ブッチャー」人気と凶暴さを兼ね備えた“黒い呪術師”
昭和から平成、そして新元号へと時代が移っても、記憶に残しておきたいプロレスラーがいる。日本で最も有名な外国人レスラーと言えば、これはもうアブドーラ・ザ・ブッチャーで間違いあるまい。 黒光りする究極のアンコ体形に、度重なる流血でギザギザになった額。これらブッチャー個人の特徴は、いまだ悪役レスラーのアイコンにもなっている。 プロレスファンからの人気度では、もちろんスタン・ハンセンも引けを取らないだろう。というか、むしろハンセンを上に見る向きもあろうが、広く一般からの知名度となるとやはりブッチャーが上回る。 例えば、あだ名。肥満体でヤンチャな人物の多くは、一度はブッチャーと呼ばれたことがあるはずで、ひょろっとした長身ならば馬場、あごがしゃくれていたら猪木と呼ばれるのと並び、プロレスラーに由来するあだ名の定番となっている。 これは広くブッチャーのイメージが浸透している証拠であり、残念ながらハンセンではこうはいかない。 ブッチャーという名前の響きも、どこか日本人になじみやすかったのだろう。これが改名前のゼーラス・アマーラというリングネームのままだったら、果たしてここまで受け入れられたか。 また、カラテの型から繰り出す地獄突きも、その分かりやすさと真似しやすさで“プロレスごっこ”の定番となった。 「特に地方の子供たちからの人気は高く、かつて街角で見られた大会の告知ポスターでも、ブッチャーの写真があるとないのとでは、明らかに客入りが違いました」(興行関係者) 最初の来日は1970年(昭和45年)の日本プロレス。すでにアメリカでは図抜けたヒールぶりが評判となっていたが、日本ではほぼ無名だったことから、参加外国人の中では2〜3番手の格付けとされていた。 しかし、その初戦でタッグマッチながらジャイアント馬場からピンフォールを奪うと、それまで日本では見られなかった会場全体を使っての場外乱闘を繰り広げ、悪役人気はうなぎ上り。一気に外国人エースにまで上り詰めた。 ここで注目すべきは、馬場のプロデュースセンスだ。無名の外国人選手が日本人トップの馬場からフォールを奪うことなど、当時の常識からすれば到底あり得る話ではなく、そこには馬場なりの“計算”があったに違いない。 「ブッチャーは必ずトップヒールになれるという読みがあったからこそ、大抜擢したと見るべきでしょう」(プロレスライター) 以後、日プロから全日本プロレスへと舞台を変えて、馬場とブッチャーは34度のシングル戦を行っており、勝敗こそは大きく馬場の勝ち越しとなっているが、そのほとんどでブッチャーは見せ場たっぷりの悪党ぶりを披露している。 「これについては、のちにブッチャー自身も『馬場との試合から日本でウケるコツを学んだ』と話しています。新日本プロレスのリングではイマイチ振るわなかったのも、猪木との相性というよりは、最初からブッチャーの人気頼りだったため、馬場のように積極的にプロデュースする人間がいなかったことが大きかった。ただ、馬場とブッチャーの闘いの中で割を食ったのがブレイク前のジャンボ鶴田で、UNタイトル戦や『チャンピオンカーニバル』決勝戦など、大舞台でたびたび敗戦を喫しています。鶴田を倒して馬場と勝負という“ブッチャー格上げ”のダシに使われた感はありましたね」(同) また、馬場は自分との試合だけでなく、ザ・デストロイヤーや大木金太郎らがブッチャーと抗争する演出もしていた。 中でも大ヒットとなったのが、ブッチャーとザ・シークの地上最凶悪コンビと、ザ・ファンクスによる因縁の闘いだ。 '77年に開催された『世界オープンタッグ選手権』の最終戦、テリー・ファンクの右上腕をブッチャーがフォークで突きまくり血だるまにする凄惨さと、そこからのテリー復活の左ストレート連打は、今でも日本プロレス史に残る名場面として語られるほどである。この一戦があったからこそ、年末のタッグリーグ戦が定着することにもなった。 その後、ブッチャーとテリーの抗争は激化の一途をたどり、'80年の『チャンピオンカーニバル』では、ブッチャーが叩き割ったビール瓶でテリーの胸を刺すまでに至る。この場面はあまりの過激さから、テレビ中継においては動画ではなくストップモーションで放送された。 「近年、こうした大流血戦がマイナーな団体でしか見られなくなったのには理由があって、一つはコンプライアンスの問題。もう一つは血液によるウイルス感染症の危険性が周知されるようになったことがあります。そうした意味で、今後はブッチャーのような極悪レスラーは二度と現れないかもしれません」(同) 人気と凶暴さを兼ね備えた、まさしく歴史に名を残すべきプロレスラーと言えるだろう。アブドーラ・ザ・ブッチャー1941年1月11日生まれ、カナダ出身。身長186㎝、体重150㎏。得意技/地獄突き、エルボードロップ文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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2025年07月21日 12時00分
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宮迫博之「雨上がり決死隊」再結成は「蛍原さん次第」 ドジャース始球式の裏話も明かす
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2025年07月14日 17時00分
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元ザブングル松尾陽介、沖縄で芸人のセカンドキャリアサポート 芸人引退に「心境の変化」
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2025年04月28日 19時03分