スポーツ
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スポーツ 2015年07月30日 14時00分
“延長戦撤廃”“9回打ち切り制導入”の裏に隠された「プロ野球くじ」の黒いカネ(2)
ただし、実際に『プロ野球くじ』導入を検討していく上で、「八百長対策」と同じくらい難題となるのが「試合数の少なさ」だ。 一般的なサッカーくじ『toto』の場合、J118チームとJ222チームの試合の中から、指定された13試合の結果に賭ける。しかも、もともと競技の特性上、「勝ち」「負け」以外に「引き分け」の試合も多く、これがギャンブル性を高めているのである。 一方、12球団で構成されるプロ野球は1日6試合が限界。戦力面や相性、ホーム・ビジター、主力選手の故障者などを総合的に検討しても、Jリーグに較べて、すべての勝敗を予想することが比較的容易でギャンブル性は低い。 また、現在のプロ野球では“12回打ち切り制”が導入されているが、これを“9回打ち切り制”に引き下げると、「引き分け試合」が飛躍的に増えて、ギャンブル性を高めることができるというわけだ。 「結果、試合時間も短くなり、テレビ中継の時間内にプロ野球くじの結果も分かるとなれば、スポンサーも付いて地上波放送も復活。ファンも増えるという皮算用なんです」(前出の広告代理店関係者) 一方、日本プロ野球選手会にも、首脳陣と同様の理由で反対意見が根強かったようだが、こちらは“セカンドキャリア”という問題に直面しており、状況が変わってきたのだという。 「セカンドキャリアとは、プロ野球選手になったものの、ケガや実力不足で退団を余儀なくされた若手選手の再就職問題です。現在のプロ野球界には、退団した選手をケアする組織も費用も不足している。そこで期待されているのが『プロ野球くじ』の収益金。一部を選手会に分配してもらい、セカンドキャリア対策に充てたいというのが本音です」(前出のスポーツ紙デスク) 前半戦を終了し、セ・リーグは「全球団貯金なし」。パ・リーグの強さばかりが際立つが、その要因の一つが「セ・パの試合時間の違い」だと指摘する声もある。 近年、テレビ放映を意識したセ球団はバントを多用し、一発長打よりヒットでつなぐ戦術にスイッチした。一方、パは依然として試合時間に無頓着で、打撃戦にこだわっている。実は、これがパ強セ弱の要因にもなっているというのだ。 「気の毒なのは巨人の原辰徳監督です。圧倒的な戦力を抱えながら、空中戦を封印された結果、能天気な野球を続ける中畑DeNAに首位を奪われている。前半戦を借金ターンしたことで白石興二郎オーナーは原監督の来季に関し、『後半戦が終わってから』と言葉を濁している。実は、プロ野球くじ導入には巨人も賛成で、それを前提にするなら、落合博満・前中日監督の下でスモールベースボールを学んだ川相昌弘ヘッドの監督昇格こそ適任だからです」(別のスポーツ紙記者) さらに、巨人がプロ野球くじ導入に前のめりなのにはもう一つの理由がある。本誌既報通り、東京五輪・パラリンピック後に「新国立競技場」を本拠地球場にしようという狙いがあるからだ。 安倍晋三首相は17日、総工費が予算の2倍以上の2520億円に膨れ上がり、国民の批判が高まったとして、新国立の建設計画を白紙撤回した。これで、森喜朗元首相の悲願だった'19年9月のラグビー・ワールドカップでの“柿落とし”は夢と終わったが、ここにも巨人の影がちらつくのだ。 「安倍首相は1カ月ほど前から見直しの検討に着手していたと説明していますが、この時期はちょうど“巨人の新国立への本拠地移転”が表面化した頃でした。巨人からすれば、天然芝の育成に屋根は不要。それなのに2520億円で建設されては、レンタル料も高額になる。そこで、建設費の充当に検討されていたプロ野球くじの実施に読売グループが協力することで、建設計画の白紙撤回を政府筋に促したという情報もあるんです」(政治部記者) ここに、巨人以外の各球団の思惑なども複雑に絡み合い、『プロ野球くじ』導入に向けて舵を切ったのである。計画実現のために、ベンチ裏では多額の“黒いカネ”も動いているはずだ。
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スポーツ 2015年07月30日 12時10分
100周年 2015年夏の甲子園 「高校野球の転機は金属バット導入」(前編)
高校野球は今年100年を迎える。その長い歴史のなかで、現場指導者たちが「最大の転機」と位置づけているのが『金属製バット』の導入だ。 高校野球の世界で金属製バットが解禁されたのは、1974年第56回夏の甲子園大会だった。同年8月6日付の毎日新聞に興味深いコラムが掲載されていた。タイトルは『金属バット賛否』−−。 「出場34校を平均すると、ほぼ2人に1人が“金属打者”」 正式に解禁が通達されたのは同年3月だが、センバツ大会でお披露目とならなったのは生産が間に合わなかったからで、製品が十分に出回っていない状況も配慮し、「夏の大会から」となったのである。 木製バットは芯を外すと折れてしまうことが多々ある。また、雨天などで湿気を吸ってしまえば使い物にならなくなってしまう。金属バットはその弱点を完全に補っており、耐久性も高い。バットの材料となる特殊な木材の量も限られている。自然保護環境への配慮も含め、導入時点ではもう一つの特徴である『反発力の高さ』はさほど懸念されていなかったようだ。 また、材質、色などに制限が掛けられての解禁となったため、夏の大会で実際に使用できたのは米国社製品だけだった。コラムでは「使用者が2人に1人の割合」とあったが、地方大会を含め、ほぼ全員が金属バットを使用している現在では考えられない。同時期の朝日新聞、読売新聞によれば、解禁元年の同大会で、「東海大相模(神奈川県)だけは全員が金属バットを使用」と紹介されていた。 その東海大相模は3回戦(対盈進/広島県)で16安打13得点と圧勝し、金属バットの快音を甲子園に響かせた。原辰徳・現読売ジャイアンツ監督が一年生ながらベンチ入りしており、翌年春、津末英明(日本ハム−巨人−現巨人職員)とのクリーンアップで攻撃野球を繰り広げていく。 当時を知る元私学職員が東海大相模の攻撃野球を、こう回顧する。 「故・原貢さん(監督/当時)は攻撃的な野球を好む指導者でしたが、金属バットの怖さみたいなことも話しておられました。同校の野球場で、金属バットでのフリー打撃練習をさせたら、ライナー性の打球を追う外野手がフェンスに激突したそうです。その外野手は『捕れる』と判断したから全力で追い掛けたわけで、金属バットで放たれた打球は低い弾道でも外野フェンスまで届くという怖さを認識されていました。外野フェンスにラバーを貼るなど、緊急措置がされました」 しかし、元在京球団スカウトもこんな話をしてくれた。同年、もっとも高く評価されたバッターは銚子商(千葉県)の篠塚利夫(現・和典)だったという。 「2年で4番。彼が使っていたのは木製バット。これまで使っていた木製バットとの違和感で金属バットを使わなかったと聞いたように記憶している。体は細かったが、木製バットをしならせるというか、材質の特徴を存分に生かした打撃を見せてくれた」 調べてみたが、篠塚は同年夏、大会第5号の本塁打を放っていた。 同大会の総本塁打数は11。前年は10本。数値では大きな変化はないが、その後、高校野球は打撃マシンの定着などもあって、1982年に史上初、総本塁打数が30本を越える。当然、金属バットは全球児に浸透していた。(スポーツライター・美山和也)
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スポーツ 2015年07月29日 14時35分
“広島のプリンス”新婚・堂林 期待に応えられず、またも2軍降格
昨季、オールスター戦のファン投票(三塁手部門)で選出されるなど、“広島のプリンス”として、カープ女子に絶大な人気を誇るプロ野球・広島東洋カープの堂林翔太内野手(23)が苦しいシーズンを送っている。 今季、オープン戦中の不振で2軍に落とされた堂林は、開幕を2軍で迎えた。4月5日に1軍昇格したが、結果を収められず、5月30日に2軍降格。7月12日に再昇格を果たし、同日の中日戦では三塁で即スタメン起用されたが、5打数無安打。その後、2度代打で使われ、2打数1安打だった。オールスター戦後は1試合の出場機会もなく、同27日、出場選手登録を抹消され、再び2軍生活を送ることになったのだ。 今回の1軍での成績は7打数1安打。結果が出せなかったというよりも、チャンスがまともに与えられなかった印象が強い。今季の通算成績(同28日現在)は、21試合出場、31打数6安打0本塁打0打点、打率は.194で2割にも満たない惨状。 12年に1軍に初昇格した堂林は、野村謙二郎前監督の期待を受け、全試合(144)に出場し、14本塁打45打点、打率.242の成績を残し、非凡な長打力を発揮。近い将来、広島の中心選手になることを予感させた。しかし、故障もあって、13年は105試合、昨季は93試合と年々出場試合数が減っていた。 野村前監督と違って、緒方孝市新監督はシビア。結果が出ない堂林を使いながら育てようとの意思はなく、三塁は主にベテランの梵英心内野手が起用されており、堂林にとっては厳しいシーズンとなっている。 広島の残り試合は56(同)で、今後、堂林が巻き返しても、自己ワーストの成績に終わることは間違いなさそうで、厳しい冬が待ち受けることになる。 昨年12月25日には、当時TBSの人気女子アナだった枡田絵理奈さんと結婚。枡田さんは堂林をサポートするために、6月18日付で同局を退社し、主婦業に専念。今秋には第1子が誕生予定だ。扶養家族が増えたことで、より一層頑張らなければならない堂林だが、もどかしい状況が続いている。なんとか後半戦で奮起して、来季につなげてほしいものだが…。(落合一郎)
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スポーツ 2015年07月29日 14時00分
“延長戦撤廃”“9回打ち切り制導入”の裏に隠された「プロ野球くじ」の黒いカネ(1)
プロ野球オールスターゲームの第1戦(東京ドーム)が開催された7月17日、都内のホテルで9年ぶりに「監督会議」が開かれた。 同日は「労組・プロ野球選手会総会」も行われ、会場こそ違うが、日本球界のリーダーたちが、それぞれ“密室”に籠もって会合していたのである。 スポーツ紙デスクが言う。 「今回の監督会議は、熊崎勝彦コミッショナーの呼びかけで決まったのですが、これは異例中の異例の事態です。というのも、オールスター期間中は、後半戦のチームの立て直しに向けて、監督自身のクビをかけて戦略を練る大事な時期。それを無視して全監督を集合させたところに、よほどの緊急性と“秘めた意図”が透けて見えるのです」 この監督会議の最大のテーマは、熊崎コミッショナーが就任時から推進してきた「試合時間の短縮」だった。 元東京地検特捜部長の熊崎コミッショナーは、かねてより「3時間を超すダラダラした試合がファン離れの要因だ」と見ており、テレビの地上波放送に合わせ、全試合6時半開始、9時終了という理想を掲げている。 これに対し、座長を務めたDeNAの中畑清監督は“総論賛成”とした上で、「無駄な時間とは何かということを意見交換し、理解し合う時間になった」とコメント。徹底してスピードアップを図ることを申し合わせたという。 「これまでは、野球は“球試合(だましあい)”などと言ってはばからず、『試合時間が長くてなぜ悪い』と反対する球界の長老たちもいて、なかなか慣習を打ち崩せなかった」(某球団幹部職員) しかし、ソフトバンクの孫正義オーナーをはじめ、楽天、DeNAなどの若手オーナーの台頭で状況は一変。ある球団幹部からは、「三振をストライク3から2に減らすとか、四球を4から3に減らせばいい」などという“迷案”も出るほど様変わりしている。 「しかし、これはメジャーリーグの規則にならう日本のプロ野球界では実現不可能。そこでひねり出したのが、延長戦撤廃の“9回打ち切り案”なのです。まだ公には誰も口にしていませんが、監督会議でも密かに協議されたようです」(同) この“9回打ち切り制”の表向きの理由は、熊崎コミッショナーが提唱する「時短で人気回復」だが、真の狙いは別にあるという。 広告代理店の関係者が声を潜めて語る。 「球界首脳はこれまで、興行的にサッカーのJリーグを見下していました。ところが、新国立競技場の建設費が2520億円になるという報道を受けて、あることに気付いた。その財源として、年間総売上が1107億円のサッカーくじ『toto』が検討されていると報じられると、“これがプロ野球に導入されれば、その何倍も売れる”と算盤をはじいたのです」 とはいえ、過去に「黒い霧事件」を経験した球界には、『プロ野球くじ』の導入に拒否反応を示す根強い抵抗勢力があったという。しかし、前述のようにオーナーの世代交代が進み、一気に導入に向けて走り出したというのだ。 「この問題の話し合いが、今回の監督会議の“裏の目的”だったのです」(同)
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スポーツ 2015年07月29日 12時00分
【甦るリング】第17回 とにかく記者泣かせだった田上明
私の20余年にわたるプロレス・ライター生活のなかで、難儀だった男の一人は、文句なしで田上明(54)だ。なぜか? って…。とにかく、田上は見出しが立つようなコメントをしてくれないプロレスラーの代表格だったからだ。 決して、寡黙というわけでもないが、マイペースな田上は、試合後、まともな話をしてくれない。いつも、「くたびれた」といったような調子。それが、たとえ大一番の前であっても、「絶対に勝ちます!」なんて、大きなこともなかなかいってくれないものだから、記者としてはお手上げだったのだ。 そんな田上が、三沢光晴が亡くなった後、プロレスリング・ノアの社長に就任するなど、その数年前に誰が予想したか? 田上は192センチという日本人としては類まれな長身を生かし、大相撲の押尾川部屋に入門し、1980年初場所で初土俵を踏む。後に、師匠の押尾川親方の現役時代のしこ名(大麒麟)から“麒麟”をもらって、玉麒麟と改名し、将来を大いに嘱望された。86年夏場所で新十両に昇進。新入幕が期待されたが、87年名古屋場所の直前に廃業した。その理由は師匠との確執といわれている。当時まだ26歳で、その素質からして、相撲を続けていれば、幕内昇進はかなり高い確率で果たしていたはずだ。 浪人となった田上は、その体格を生かすべく、プロレス転向を決意。天龍源一郎ら多くの大相撲出身者のいる全日本プロレス入りを決め、同年8月にプロレス界の門を叩く。しかし、当初は長州力率いるジャパン・プロレスに入門する。これは、あくまでも“表向き”の措置。前年に全日本は相撲界とトラブルを起こした元横綱・輪島大士を入団させたばかりとあって、相撲界とのあつれきを避けるためだった。 88年1月、予定通り、全日本に移籍すると、同月2日、前座をすっ飛ばして、ジャイアント馬場とのタッグで、外国人選手相手に破格のデビューを果たす。しかし、田上は伸び悩み、ふがいないファイトが続いていた。転機となったのは、新団体SWS設立に伴う、天龍らの大量離脱騒動だった。ジャンボ鶴田のタッグパートナーに抜てきされた田上は、三沢、川田利明、小橋健太(現・建太)らの超世代軍や、スタン・ハンセンら大物外国人選手とのビッグマッチで力をつけていき、92年3月、鶴田とのタッグで世界タッグ王座に初戴冠。その後、鶴田が肝炎のため、第一線を退くと、川田らと聖鬼軍を結成。川田とのタッグでは、「世界最強タッグ決定リーグ戦」を2度制し、世界タッグ王座には実に6度就くなど、後にプロレス史に残る名コンビとなった。 シングルプレーヤーとしても、メキメキ実力を上げ、96年春には「チャンピオン・カーニバル」を初制覇。同年5月には、三沢を破って、3冠ヘビー級王座を初めて奪取。三沢、川田、小橋と並ぶ“四天王”として活躍した。生来、マイペースで、欲があまりなく、自己アピールなど、とんと縁がなかったが、ここ一番の大勝負となると、大爆発することから、その様は“田上火山”と称された。 2000年にノアに移籍してからは、力皇猛、森嶋猛ら、若手選手の台頭もあり、タッグパートナーに恵まれなかったこともあって、なかなかチャンスがなかった。だが、05年11月、ファンの後押しを受けて、力皇の持つGHCヘビー級王座に挑戦。見事にチャンスをモノにして、同王座を奪取した。これが、シングル、タッグを通じ、唯一のGHC王座戴冠となった。 三沢の不慮の死後、09年7月に2代目ノア社長に就任すると、その性格もあって、あっさりトップ戦線から退き、後にスポット参戦となる。そして、13年12月7日、東京・有明コロシアムで引退試合を行い、現役生活に別れを告げた。 現役を退いてからは社長業に専念している。社長になってからも、マスコミやファンの前で、しゃべるのは好まず。必要最低限のことしか話さないため、今でも記者泣かせであるのは変わらない。 “田上火山”が爆発しない時は、ファンをやきもきさせることも多かったが、田上もまた、日本プロレス史に残るレジェンドだ。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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スポーツ 2015年07月28日 14時00分
佐々木800万円、バカンス満喫ハリル2億円の監督年俸格差に上がる皮肉の声
サッカー界の“男尊女卑”はまだ解消されていない。 サッカー日本代表、バヒド・ハリルホジッチ監督(63)が、8月2日から始まる東アジア杯を戦うメンバー50人を発表した(予備登録含む)。国内組中心での選考となったが、「メンバーが代わり映えしない」との声が会見会場に溢れていた。 「ハリル監督は約1カ月間、自宅のあるフランスでのんびりとバカンスでしたからね。東アジア杯を国内組で戦う方針は以前から決まっており、本来ならばJリーグの試合をもっと直接観戦すべきだった。3月の就任以来、無休で働いて疲れていたというのが協会側の説明でしたが…」(担当記者) スタッフが代理視察し、そのレポートを見ただけだから、選手選考にサプライズがなかったわけだ。 ハリル監督が休暇を満喫していた間、必死の戦いを繰り広げていたのが、女子代表・なでしこの面々。W杯2大会連続で決勝戦に進出した佐々木則夫監督(57)の手腕は日本サッカー協会も認めているが、監督自身、「次の(女子代表の)監督になる人には僕の(給料の)10倍は上げてほしい」とも話している。 実際、年俸はハリル監督が2億円なのに対し、佐々木監督は「1000万円にも満たない」(協会関係者)とのことで、その“格差”は歴然としている。 「本当は800万円ぐらいとの話もある。その内訳は協会からの年俸だけではなく、講演やサッカー指導などもこなし、ようやくその金額に届くそうです」(同) 女子選手がギリギリの貧乏生活を送っていることも有名だ。 国際試合、リーグ戦での集客力の差が“生活の差”となっているようだが、FIFA世界ランキングを見れば、女子は4位で男子は50位(7月20日現在)。仮に男子が東アジア大会でブザマな試合しかできなければ、佐々木監督となでしこは“待遇改善”を訴えてもいいはずだ。 「東アジア大会の舞台となる中国の武漢は、特に反日感情が強いことで有名。ただし、カナダで好成績を残した女子を考えれば、完全アウェーは言い訳にもなりません」(前出・担当記者) 佐々木監督の契約はリオ五輪まで。協会は続投の方向だが、役員待遇をチラつかせるJチームへの転向説も囁かれている。女子サッカー界のためにも、もう少し弾んでもいいのでは?
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スポーツ 2015年07月27日 15時23分
“角界のレジェンド”旭天鵬が大記録達成目前で引退
大相撲名古屋場所(7月12日〜26日=愛知県体育館)は、横綱・白鵬が14勝1敗で、2場所ぶり35度目の優勝を飾ったが、その影で、白鵬も”大先輩“として尊敬する“角界のレジェンド”旭天鵬(40)が現役引退を表明し、年寄・大島を襲名した。 名古屋場所を西前頭11枚目の地位で迎えた旭天鵬は、6勝が幕内残留の目安となっていたが、初日から4連敗を喫し、出足につまずいた。足がなかなか出ず、土俵際でも粘れず、あっさり土俵を割ることが多かった。終わってみれば3勝12敗で、十両陥落が濃厚となっていた。 かねて、「幕内に残留できなかったら引退」を公言してきた旭天鵬は、千秋楽の取組終了後、涙を流して花道を引き揚げ、引退を覚悟していた。 これもなにかの因縁か、場所中には通算勝利でモンゴルの後輩・白鵬に抜き去られた。最後の場所で、その白鵬が優勝し、パレードの車に同乗した。 秋場所初日の9月13日で、41歳の誕生日を迎える旭天鵬は、あと1場所、幕内を維持できていれば、史上2人目の幕内在位100場所の大記録を達成するところだった。これは、元大関・魁皇(浅香山親方=107場所)しか成し遂げていない偉大な記録だったが、99場所でついえた。 周囲では、「十両で巻き返して幕内復帰を目指したら」との声もあったようだが、旭天鵬は十両で相撲を取ることをよしとはしなかった。 旭天鵬はモンゴル人力士のさきがけとして、92年2月に元小結・旭鷲山とともに来日し、同年春場所で初土俵。98年初場所で新入幕を果たし、02年初場所で新三役(小結)、03年名古屋場所で最高位の関脇に昇進した。12年夏場所には、平幕で史上最年長(37歳8カ月)優勝の偉業を達成。14年秋場所では、年6場所制以降では初となる40代での幕内を成し遂げた。 通算勝利は927勝、幕内勝利は697勝。幕内出場1470回は歴代最多。 04年1月に日本国籍を取得しており、今後は友綱部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たる。モンゴル出身力士が年寄名跡を襲名するのは史上初となる。(落合一郎)
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スポーツ 2015年07月27日 14時00分
フェンシング太田に女性の影 ファンの女性をとっかえひっかえ?
ロシアで行われていたフェンシング世界選手権で、太田雄貴(29)が男子フルーレ個人の金メダルを獲得した。フェンシングでの金メダルはオリンピック、世界選手権を通じて全種目を見渡しても日本勢で初。快挙を達成した太田には絶賛の声が挙がっている。しかし、その一方で女性問題での評判がよろしくないというのだ。 滋賀県で生まれた太田は、親の勧めで小学3年生からフェンシングを始める。小学生全国大会での優勝を足掛かりに、その後もインターハイや全日本選手権で優勝を重ね、世界で活躍できる選手へと成長した。そして、2008年の北京五輪で銀メダルを獲得し、マイナースポーツだったフェンシングに注目を集めることに成功した。そして20年の東京五輪招致プレゼンターとしても大活躍。日本のフェンシングと五輪の顔として活躍している。 だが、その影で泣いている女性が多いという。その一人がモデルのDという女性。二人は出会ってから急接近し、1年後に同棲生活が始まった。 「Dと太田選手は、太田選手の知人の紹介で出会いました。太田選手が『結婚を前提に付き合おう』と、熱烈に口説いて交際がスタートしています。厳格な家庭に育った真面目な彼女が、同棲していたくらいなので、彼女は太田選手と結婚するつもりだった。しかし、1年後には、彼に新しい恋人ができたということで同棲解消。結婚願望の強かったDは、突然の破局を突きつけられたそうです。我慢強いDが気の毒だった」(Dの友人) その新しい恋人とは渋谷に住む一般女性だそうで、昼間の路上でキスする場面も目撃されていたが、長くは続かなかったという。 「太田選手は爽やかな顔立ちだからモテるんです。最近はフェンシングの会場にも女性ファンが増えた。まるでアイドルタレントとファンとの関係のようになっている。だから、彼の周囲にはいつも女性がいて、いつでも選び放題の環境。それも手伝ってか、太田選手の女性問題でいい話は聞かない。いままでの女性やDみたいに我慢する女ばかりじゃないだろうから、スキャンダルになる日もそう遠くないと思うよ」(女性週刊誌記者) 太田は次の目標に「次は、五輪の団体で金メダルを獲って、みんなで勝利の喜びを分かち合いたい」と話している。その前に、中心選手の自分のスキャンダルで台無しにならなければいいが。
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スポーツ 2015年07月26日 14時00分
カープ不振で緒方監督一時休養説も 代行監督に目されるのはあの男?
シーズン前には優勝候補の筆頭と目されていた広島東洋カープが波に乗り切れない。スタートダッシュに失敗し、「いつか浮上してくるだろう」と言われながらも、エンジンが掛からないまま前半戦を終え、後半戦は黒星スタートで迎えてしまった。この期待外れの連続は、緒方孝市監督(46)の去就問題に発展するかもしれない。 「緒方監督は引退してすぐにコーチ業に転身するなど、将来の指揮官として期待されていました」(スポーツ紙記者) そして昨年オフ、緒方監督は万を持して監督に就任した。しかし、その任期は1年だったことが判明した。 「緒方監督自身、一年一年が勝負ということでそういう契約になりました。フロントは3年以上やってもらうつもりでいましたが」(球界関係者) だが、いまは当時から状況が変わりつつある。というのも、広島が近年、これほどまでに優勝を意識して臨んだシーズンはない。補強にも力を入れた。推定年俸100万ドルという、初年度では球団史上最高となる契約でヘスス・グスマン(31)を獲得した。そのグスマンが開幕で躓き、前年本塁打王のエルドレッド(35)の復帰が予定以上に遅れると分かるやいなや、前レンジャーズのネイト・シアーホルツ(31)を入団させた。シアーホルツは推定年俸116万2千ドルと、グスマンをさらに上回る年俸だった。 投手も黒田博樹(40)の帰還でローテーションの柱を手に入れた。FA宣言者を引き留めないという、本来は財布の紐の固い広島がここまで出資したのは、「今年逃したら、いつ優勝するんだ!?」の思いもあるからだろう。前年Aクラスの戦力に上積みをし、優勝の気運も高まっていたはずだった。しかし、気運も高額出資も勝ち星に繋がってこない。ここまではタブーとされていた緒方監督に対する批判も、チラチラと聞こえ始めた。 「緒方監督はマジメ。球場入りは早出特打ちの選手よりも早く、監督室にこもってデータを調べたり、VTRを観たり。番記者たちもこの熱心さを間近で見てきたから誰も批判しなかったんですが」(スポーツ紙記者) 緒方監督の采配が不味くて負けたという試合はほとんどないかもしれない。だが、現有戦力を使いこなせていないという見方が浸透しつつある。 「緒方監督は二軍コーチ時代、丸(佳浩=26)などの若手を指導してきました。壁にぶつかっている堂林(翔太=23)にも、結果が出ないのにチャンスを与え続けるなど、鬼になりきれない部分もある。どちらかというと、仕掛けて攻める監督ではなく、選手を信じて待つタイプです」(同) また、黒田博樹の帰還が逆効果だったとも考えられる。黒田は全ての変化球のクオリティーが高い。よって、「打たれたら、捕手のリードが悪い」と考えがちになる。守っている野手陣にしても、 「黒田さんが投げる試合は勝たなければ」と妙な緊張感が走り、本来の力が発揮できないでいる。そのためか、黒田ほどの投手にもかかわらず、6勝4敗(7月21日時点)とあまり貯金を稼げずにいる。 こうしたチームの精神状態を上手にコントロールするのが監督の役目のはずだ。 「クライマックスシリーズ進出なら辛うじて続投。それを逃せば、緒方監督自身が責任を感じて辞表掲出なんてことにもなりかねない」(前出関係者) 球団が緒方監督という人材を大事に考えているのであれば、傷つかないように一度休養させる案が考えられなくはない。その際には、カープ女子を喜ばせ、目の肥えた地元ファンを納得させる必要がある。そのためには黒田兼任監督か、それとも前田智徳氏の登板か。緒方監督で優勝するのがベストなのだが、やむを得ないことがあるかもしれない。
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スポーツ 2015年07月26日 12時00分
100周年 2015年夏の甲子園 「甲子園出場のお値段は?」(後編)
高校野球とは、学校全体がスクラムを組んで応援するものでもあるようだ。したがって、応援団、ブラスバンド部、チアガールたちが甲子園球場に持ち運ぶものは野球部員たちの用具同様、試合に欠かせないものとなる。 意外と嵩むのが、運搬費だという。野球部員が使う練習用具を始め、打撃マシン、ブラスバンド部が手荷物として運べない大型の楽器などの運搬費も計算しなければならない。また、雨天順延となったときも想定し、試合をする野球部員の予備宿泊費も計算に入れておく。しかも、大半の高校は甲子園本番に備え、ユニフォームを新調する。バッグ、グラウンドジャンバー、汗出しのウインドブレーカーなども同時注文するため、野球部員「1人あたり約10万円」の出費となる。 常連校のなかには「甲子園用ユニフォーム」を伝統として継承するところもあるが、その都度作り替える学校もある。同じデザインでも、だ。 その際、帽子のイニシァルを少しだけ大きくするなどのマイナーチェンジがされている。甲子園用のユニフォームを作らない、地区予選と同じユニフォームを使うという選択もできるが、学校にも“お付き合い”がある。 「学校に出入りしている地元のスポーツ用品店が、普段、ボール、バットなどを割安で売ってくれます。他運動部にも配慮してもらっているので、お礼の意味合いもある」(同) 平成10年代の話だが、センバツ大会に出場した関東圏のA高校は「2回戦進出を想定し、総予算7800万円」の予算を組み、お隣の県から出場したB私立高校は、「3回戦まで進出し、9200万円以上の出費があった」と話していた。 「関東圏の高校が決勝戦まで進めば、1億円強の出費は当たり前」 こうした“多額の甲子園費用”は学校予算だけでは当然賄えず、学校OB、地元企業、父母会の寄付のほか、学校職員が地元自治体に頭を下げ、補助予算を組んでもらって対応する。先のA高校だが、地元自治体に200万円を出してもらったそうだ。また、強豪校の多い関東圏西北の市は、地元名門校を応援するため、500万円を出したという。 どの高校からも出たのは「不況で地元企業、商店街の財布のヒモが固い」なる言葉だ。 先のA高校教員が「今では笑い話だが」と前置きし、当時の様子を教えてくれた。 「ウチの高校は野球留学生のいない、普通の公立高校です。地元企業、商店街などに寄付金のお願いに行ったら、『隣町のM市、F市、I市から通っている部員も多い』と叱られ、寄付金を渋られました。M市、F市、I市は学区内ですよ」 地元市民は応援したくても、不況などで学校側の希望する額が出せず、思い付きで心にもないことを口にしたのだろう。 野球部が善戦して、予算を立てた時よりも勝ち進んだ場合は『予算オーバー』となる。その場合は、急きょ生徒から5000円を徴収し、一般市民にも寄付をお願いするつもりでいたそうだ。 寄付金は自治体を含めた地元関係者に頼るところが大きい。したがって、寄付金を集める際、高校職員は「地元」という言葉を強く意識させられる。野球留学生の多い高校であれば、“寄付を頼みにくい状況”となる。 「宗教法人系の高校は、比較的寄付金が集まりやすいと聞いているが」 そう語る指導者もいた。 センバツ、夏の甲子園大会ともに大会本部から「ベンチ入り18選手、監督、責任教師(部長)、記録員(女子も可)」の合わせた21名分の費用は大会本部が支給している。宿泊代は一人1泊約7500円、往復交通費、雑費として、チームに一日一律2万円の計算で、開会式リハーサルの前日から試合で負けた日までが支給される(夏の大会は「登録選手数は一校18選手以内」という書き方)。野球部員が50人いる場合、ベンチ入りできなかった32人分の宿泊費、往復交通費などは出場校の“自腹”となり、2回戦まで試合をしたとすれば、約320万円の計算だ。 支給する側の高野連、主催新聞社にしても、1回戦が終了するまでの間、センバツ大会なら約6000万円、夏の大会なら1億円近い出費となる。1回戦が全て終了するまでの間、雨天順延が続けば、高野連も泣きたい心境だろう。(スポーツライター・美山和也)※甲子園出場に関する経費は取材当時の金額であり、地域によって移動費は大きく異なります。当サイトが記載した金額は、関東圏の高校数校を取材した限りのものです。
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