名古屋場所を西前頭11枚目の地位で迎えた旭天鵬は、6勝が幕内残留の目安となっていたが、初日から4連敗を喫し、出足につまずいた。足がなかなか出ず、土俵際でも粘れず、あっさり土俵を割ることが多かった。終わってみれば3勝12敗で、十両陥落が濃厚となっていた。
かねて、「幕内に残留できなかったら引退」を公言してきた旭天鵬は、千秋楽の取組終了後、涙を流して花道を引き揚げ、引退を覚悟していた。
これもなにかの因縁か、場所中には通算勝利でモンゴルの後輩・白鵬に抜き去られた。最後の場所で、その白鵬が優勝し、パレードの車に同乗した。
秋場所初日の9月13日で、41歳の誕生日を迎える旭天鵬は、あと1場所、幕内を維持できていれば、史上2人目の幕内在位100場所の大記録を達成するところだった。これは、元大関・魁皇(浅香山親方=107場所)しか成し遂げていない偉大な記録だったが、99場所でついえた。
周囲では、「十両で巻き返して幕内復帰を目指したら」との声もあったようだが、旭天鵬は十両で相撲を取ることをよしとはしなかった。
旭天鵬はモンゴル人力士のさきがけとして、92年2月に元小結・旭鷲山とともに来日し、同年春場所で初土俵。98年初場所で新入幕を果たし、02年初場所で新三役(小結)、03年名古屋場所で最高位の関脇に昇進した。12年夏場所には、平幕で史上最年長(37歳8カ月)優勝の偉業を達成。14年秋場所では、年6場所制以降では初となる40代での幕内を成し遂げた。
通算勝利は927勝、幕内勝利は697勝。幕内出場1470回は歴代最多。
04年1月に日本国籍を取得しており、今後は友綱部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たる。モンゴル出身力士が年寄名跡を襲名するのは史上初となる。
(落合一郎)