山口敏太郎
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ミステリー 2019年04月06日 23時00分
改元は菅原道真の怨霊を止めるため 平安時代に起きた改元騒動
4月1日、平成に代わる新しい元号「令和」が発表された。 現在の元号は天皇陛下の在位期間を基準とするもので、生前退位に伴って施行されるものだ。 だが歴史をさかのぼると、元号は吉事や凶事があった際に変更することもたびたびあった。吉事の場合はそれを記念して改元されていたが、凶事の際は、これ以上凶事が続いていかないよう願って新元号に代えられていた。 代表的な事例は平安時代、菅原道真の祟り騒動に関するものだ。 優れた政治家であり、右大臣の地位にあった菅原道真は左大臣の藤原時平により「謀反を起こした」という虚偽の訴えを受け、遠く九州の太宰府に左遷され、現地で没することとなる。彼の死後、天変地異が続き宮中にも不幸が重なったこともあり、菅原道真の怨霊を鎮めようと改元されたことがあるのだ。 最初に道真の祟りに遭ったとされるのは、道真が謀反を企てたとして後醍醐天皇に進言した、定国であった。定国は道真の左遷以降、昇進を重ねていたが、906年に40歳で急死する。その2年後には、進言したもうひとりの人物で、定国同様に出世を続けていた藤原菅根が54歳で急死した。死因は落雷だったと言われており、2人の死は道真の祟りではないかという噂が立つようになった。 藤原家に動揺が広がる中、首謀者だと目される時平が、菅根が死亡したのと同じ年に39歳の若さで死去。藤原家に死者が相次ぎ、慌てたのは醍醐天皇であった。道真を慰霊し怒りを鎮めようと、道真の墓に神社を建てることを決め、造営を開始。道真が謀反を起こしたと記述された書物を全て焼くよう指示し凶事が終わることを願い、元号もそれまでの「延喜」から「延長」にした。 しかし道真の怨霊は静まらなかったのか、923(延長元)年、醍醐天皇の皇太子にあたる保明親王が21歳で死去。さらに2年後には、保明親王と時平の娘の間に生まれた慶頼王がわずか5歳で病死した。 これを受けて醍醐天皇は道真左遷の詔(みことのり)を取り消し、右大臣に復位させたが、930年6月26日に醍醐天皇の御所、清涼殿に落雷が起き、道真の左遷に加担した5名が死亡。醍醐天皇もこの後に体調を崩し、3ヶ月後に譲位して崩御する。当時は、干ばつの他に疫病なども蔓延しており、人々はそれらも道真によるものだと信じていたという。 偶然が重なっただけかもしれないが、40年も続いた凶事はそれだけ人々の心に強烈な印象を残したのだろう。この話は長く語り伝えられ、現在も菅原道真は日本三大怨霊の一人、かつ学問の神様として信仰を集めている。(山口敏太郎)
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芸能ネタ 2019年04月06日 21時30分
【放送事故伝説】20世紀最後の衝撃映像!? ナイナイ岡村隆史骨折事故とは?
3月30日、お笑いコンビ『爆笑問題』の太田光が、フジテレビ系のお笑い番組『ENGEI グランドスラム LIVE』の放送中、スタジオで転倒。強く頭を打ち緊急入院した。 これは、『とんねるず』の石橋貴明が持ってきた「爆発するケーキ」の生クリームに足を滑らせたもので、太田は頭からクリームだらけのスタジオの床に頭を打ち付けた。その転び方は出演者も観客も思わず心配するほどで、太田は翌日のテレビレギュラーであるTBS系『サンデー・ジャポン』を欠席するなど、いくつかの仕事に影響が出た。 結果、太田は命に別状はなく、4月2日放送のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』で仕事復帰した。 半年に一度の演芸の祭典『ENGEI グランドスラム』で発生した痛ましい放送事故であるが、頭から受身も取れずに転倒する太田の姿を見て、古くからのお笑いファンの中には、今から20年前に発生した「あの」放送事故が思わずオーバーラップする人も多くいたという。 それは、1999年に5月8日に発生した「岡村隆史骨折事故」である。 20代後半で若手のトップを走っていたお笑いコンビナインティナインは、自身が司会を務めるテレビ東京系の番組『ASAYAN』の収録に挑んでいた。この日のゲストは、当番組がきっかけで誕生した、つんく♂プロデュースのハロプロユニット「太陽とシスコムーン」(後にT&Cボンバーと改名)だった。 軽快にトークが進むナイナイと太陽とシスコムーンだったが、途中、岡村隆史がスタジオを飛ぶハエの存在に気がついた。 「なんか、このあたり(ハエ)おるな」と岡村は回し蹴りでハエを追い払おうとしたものの、誤って腕から転倒。岡村のマイクから「ゴキッ」という鈍い音が集音されており、どうもこの時点で骨折していたようだ。 岡村は当初、苦笑いを浮かべていたものの、腕は上がらず次第に額に脂汗が流れ始めた。最初は「アホや!アホや!」と野次を飛ばしていた相方の矢部浩之も、只ならぬ事態が発生したことを察知し、岡村に処置へ向かうことを提案していた。結果、岡村は右肩を骨折しており、その後の仕事に影響が出た。 なお、今となっては信じられないのだが、『ASAYAN』はこの岡村の骨折する映像をカットせずにそのまま放送。高視聴率を叩き出したという。 1999年といえば、テレビ規制もそこそこに厳しかったはずだが、ナイナイも『ASAYAN』も相当な勢いがあったため、あえてそのまま放送したのではないかと思われる。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2019年03月31日 23時00分
トラウマが日本妖怪の総称を生んだ? 妖怪の呼び名にまつわる諸説
異形のモノたちを示す呼称には「モンスター」「クリーチャー」「化け物」「お化け」などがある。「モンスター」は欧米文化における異形をさす言葉。「クリーチャー」は、映画やドラマでは「創作の怪物」か「未確認生物」と翻訳されることが多い。また「化け物」という言葉は意味の範囲が広くなり、変わった人間を含むこともある。最後の「お化け」は、異形のモノを現す日本の幼児語であり、現代では分離されている「妖怪」や「幽霊」を総括した呼称になっている。 この異形のモノを示す総称の幼児語だが、実は地域性がある。まずは主に西日本に分布する「ガ」や「コ」を含んだ用語群がある。ガオー、ガガマ、ガゴジ、ガッツァン、ガガモ、ガンゴー、ガモ、ゴンゴチ、ゴンゴン、ガンゴーなどが挙げられる。また東日本を中心に分布するのが「モー、モウ」を含んだ用語群である。モッコ、アンモ、モモッコ、モモコ、アモー、モーモー、モモンガなどがある。 これらの言葉がどこから生まれたのか、決定的な証拠はない。だがいくつか推論は出されている。まずは「噛もう」「がおーっ」という、口を開けて幼児を驚かせるアクションや発音から生まれたという説だ。確かに幼児にお化け話を聞かせるとき、このようなアクションや言葉で威嚇した記憶は誰にでもあるだろう。 また、奈良「元興寺(がんごうじ)」に出現した「がごぜ」という古い鬼が伝承して生まれたという推理もある。 さらに、蒙古襲来がきっかけとなっているという説もある。襲来は日本に深刻なダメージを与えており、その恐怖心から、異形のモノは「モ・ウ・コ」という発音がもとになっているという仮説もある。この「モウコ」という発音に起因する幼児語は、主に東日本に多いことから「蒙古来襲の損害を東日本は受けていないではないか」と異議を唱える者もいるが、蒙古襲来は西日本だけではなく、日本中から集められた武士たち全員が共有した”怖さ”であった。ならば、東日本に帰った武士たちが妻や子供に「モウコ」の恐怖を語り継いだ可能性はあり得るし、実際に損害があった西日本では逆に口を閉ざしてしまったのかもしれない。 異形のモノの総称は、今後も歴史の影響や偉人によって変化していくのかもしれない。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年03月30日 23時00分
武蔵と小次郎、剣豪伝説の嘘・ホント
国民的な人気小説「宮本武蔵」は、吉川英治の代表作。吉川は滞在した場所を舞台にして、小説を書くのが好きだったらしい。宮本武蔵の新聞連載中に千葉県の行徳を訪問した吉川は、江戸期に行徳のうどん屋が人気だったと聞くと、作中で武蔵にうどんを食わせ、行徳の徳願寺の檀家が船橋市で開墾した場所があると聞くと、その場所で野伏と武蔵を戦わせた。つまり、吉川の取材先の各地に「小説・宮本武蔵」の舞台があったのだ。 最近、墓石に十字(クロス)マークらしきものが確認され、「実は、隠れキリシタンではなかったのか」という珍説すら出ている佐々木小次郎だが、この小次郎の必殺技・ツバメ返しの開発は、小次郎の故郷にほど近い山口県岩国市にて編み出されたと言われている。具体的な特訓の場所は、岩国の名物・錦帯橋のたもとだったと記述されているのだ。 だが残念なことに、戦国時代から江戸初期にかけて、錦帯橋はかかっていなかった。橋そのものがなかったのだ。実は、吉川英治の定宿「深川楼」からほど近いところにあった錦帯橋に感銘した吉川英治が、創り上げたイマジネーションの産物であったのだ。ちなみに、現実の小次郎の出身地は、豊前か越前が有力で、岩国出身説は弱い。つまり、橋がかかっている、かかっていない以前の問題である。越前生まれの説を詳しく見ると、福井県福井市浄経寺町に存在する、足羽川支流が流れる一乗滝が彼の修行の場であったとされている。 また、巌流島の戦いも、「実は武蔵が卑怯な手段で勝った」という説が強い。当時、試合を検分したであろう門司城代・沼田延元の子孫が1672(寛文12)年に編集した『沼田家記』によると、巌流島での対決は、実際には武蔵が大勢の弟子を率いて集団で小次郎を打ち破っているというのだ。本当だとすれば複数による個人の殺害であり、武芸の試合ではない。 しかも、当時の小次郎は老人であり、中年の武蔵が集団で老人を殺害したという説も存在している。われわれが思い浮かべる若く美青年の佐々木小次郎像は、吉川英治の造形によるものだ。彼は生年が不明で、豊前小倉で細川家に仕えた時点で、経験と実績を重ねた壮年以上の剣士であった可能性も考えられるのだ。そう仮定すると、彼がすんなりと細川家への仕官が決まった理由も納得できる。 現在では、武蔵と小次郎はちょっと変わった決闘を繰り広げている。岩国の錦帯橋を挟み、「佐々木小次郎」というアイスクリーム屋と「武蔵」というアイスクリーム屋がしのぎを削っているのだ。ある意味、平和な時代である。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年03月24日 23時00分
奥の細道で有名な俳諧師・松尾芭蕉は忍者だった!?(後編)
江戸時代の俳諧師で「奥の細道」の著者でもある松尾芭蕉には、正体は忍者だったという話がある。この仮説は昭和のころからテレビ番組や書籍で取り上げられており、近年は都市伝説として流布されている。 その詳細については「前編」に譲るとして、このようなスパイ、調査員を大名や幕府が派遣した事例はほかにもある。有名な例は水戸光圀の「大日本史」編纂事業に関わるものである。当時漫遊していたと言われる光圀は実際にはほとんど漫遊せず、調査員を各地に派遣し歴史や地理を調べ上げている。当時の感覚として藩が違えば完全に「外国」。その外国の調査をするために偽装したスパイを送り込むことは一般的な感覚であった。 このようなスパイは、俳諧師以外でも旅の僧侶である雲水、虚無僧、山伏、薬売りや芸人など、巡回する商売人などがいる。武田信玄が歩き、巫女を各地に派遣し、諜報部隊として活用したことは広く知られている。 芭蕉忍者説の証拠として芭蕉の死後、江戸幕府は芭蕉の弟子であった曽良に第四回諸国巡見の随員として検分依頼を出しているのだ。曽良は旅の途中に死去してしまうが、芭蕉一門が幕府側のスパイであった証拠とは言えないだろうか。 なお余談だが、某タレントが松尾芭蕉の正体が「家康から自由にしてもらった服部半蔵ではなかったのか」とか、また「半蔵という名前は半蔵門という地名から取った」とか、奇妙な仮説を展開している。 だがこの仮説に対して筆者は異論を持っている。松尾芭蕉と家康が使った服部半蔵とでは時代が100年ばかり違う。子孫である四代目服部半蔵ならば芭蕉と時代が合うが、四代目の半蔵は忍びではなく事務官になってしまっていた。また、半蔵門という地名から服部半蔵の名前がついたのではなく、服部半蔵の名前から半蔵門という地名が生まれたのだ。 都市伝説の仮説と言えども、最低限の歴史的常識はカバーしていただきたいものである。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年03月23日 23時00分
奥の細道で有名な俳諧師・松尾芭蕉は忍者だった!?(前編)
松尾芭蕉と言えば江戸時代の俳諧師で、誰しも知っている「俳聖」だ。一方で謎の多い人物でもあり、芭蕉の正体は忍者だったという説がある。この仮説は昭和のころからテレビ番組や書籍で取り上げられており、近年は都市伝説となっている。 「芭蕉忍者説の根拠」だが、出身地が忍者の国・伊賀であったことが理由として挙げられている。忍者の「業務」に従事してなかったとしても、忍びが周辺にいたことは間違いない。唯一、気になるのは芭蕉の健脚ぶりだ。奥の細道において芭蕉は2500キロ(約500里)を5カ月で歩いている。1日平均15〜16キロを歩き、多い時には数十キロを歩いているのだ。具体的には、江戸深川を出発し3日後には日光東照宮に到達している。当時芭蕉は46歳。平均寿命が50代だった江戸時代においては「初老」とも言える芭蕉が、160キロをたったの3日で歩けるものなのだろうか。 また、松尾芭蕉は寛永21(1644)年に、藤堂藩侍大将である藤堂新七郎良清の三男・藤堂良忠に仕えている。この藤堂家は服部半蔵の親類に当たる。芭蕉は大名家や幕府からの依頼を受け、「俳句の旅」と称して偵察旅行に行っていたのではないかと言われているのだ。大名家や幕府がスポンサーだったとすれば、芭蕉の資金源も明白で、納得がいく。 事実、奥の細道が書かれた当時、江戸幕府と仙台藩伊達家は緊張関係にあった。莫大な費用がかかる日光東照宮の修繕を命じた伊達藩から不穏な動きを察知した幕府が、藤堂藩を通じて芭蕉という「エージェント」に「スパイ活動」をさせた可能性はあるのではないか。 よくよく見てみると、奥の細道の道中における芭蕉の動きにも不審なものがある。出発の際、しきりに気にしていた松島では1句も詠まずに、たった1泊であっさり通過している。逆に伊達家の軍事拠点である瑞巌寺や、戦の物資を受け入れる石巻港などは念入りに観察している。明らかに不自然な様子が見られるのだ。 なお、このようなスパイ、調査員を大名や幕府が派遣した事例は他にも存在している。その話は次回に譲ろう。(山口敏太郎)
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社会 2019年03月23日 21時30分
【放送事故伝説】人気番組のスタッフがコカイン所持で逮捕!後、打ち切りへ
俳優・ミュージシャンのピエール瀧容疑者がコカイン所持の容疑で逮捕されてから早くも1週間が経過した。現在も映画・テレビ業界では混乱が続いており、作品の公開延期、出演シーンの一部差し替えなどの対応に追われている。 さて、今回は表に出るタレント側が逮捕となったが、芸能界で大麻やコカインなど違法薬物で逮捕されるのは何もタレントだけではない。裏方つまりはスタッフ側もコカインを所持している可能性があるのだ。 1989年(平成元年)9月30日の朝日新聞によると、この年の8月29日までに神奈川県川崎警察署はコカインや大麻を所持していたとして、10名の容疑者を逮捕している。 この中には、TBSの人気番組『平成名物TV』の人気コーナー、『三宅裕司のいかすバンド天国』(1989年〜1990年)の制作を務めていたフリーディレクターもおり、彼は東京都港区六本木のレストランで売人からコカイン5gを約15万円で手に入れた疑いが持たれていたという。 当時、このニュースは芸能界に大きなショックを与え、また、『いかすバンド天国』は参加する出演者が若手バンドマンということもり、世間から「バンドマン達へ違法薬物を売っていたのでは!?」という疑惑も持たれることになり、『平成名物TV』を含む全番組が放送休止となり、TBSで制作されたスペシャルドラマの再放送で凌いだほか、三宅裕司による謝罪映像も放送された。 なお、『いかすバンド天国』はディレクター逮捕後も放送を続けたが、その約半年後、今度は番組に関わっていた放送作家の男性が麻薬取締法で逮捕(逮捕されたディレクターの事件と関連があるのかは不明)され、さらに、番組そのものも2〜3%と視聴率が急激に下がったことから、2年弱の放送を終えてしまった。 違法薬物の売人はタレントだけではなく、裏方もターゲットにされることを改めて証明した事件だった。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2019年03月17日 23時00分
民間に息づいていた陰陽師「おたゆうさん」
陰陽師と言えば、安倍晴明ら実在した人々の伝説が現代、創作の世界で登場することが多いが、現実世界にも陰陽師は存在する。 現実に、晴明以来の流れを受け継ぐ正当な後継者は北陸に存在する。安部家は土御門と名称を変えて、北陸の地に根づいていたのだ。当然、陰陽道を受け継いでいる。 しかし、歴史上あった数回の断絶により、平安時代の黄金期の片鱗を見ることはできない。どうも後世に流入した密教の影響を強く受けているようだ。 ある学者は、逆に民間に流失した陰陽道の一派の方がその「霊脈」を受け継いでいるという。 奈良・平安以降、いや、卑弥呼の時代から呪術は施政者の武器であった。言い換えれば、テクノロジーとも言えよう。政府や権力者は呪術を独占することで、民衆を操作し、懐柔した。つまり、集団催眠には最も効果的な技術であったのだ。 だが、民衆もばかではない。権力が隠匿する呪術体系をたびたび盗み出し、民衆側の技術に取り入れていった。その民衆側の呪術技術者が俗に言う民間の「陰陽師」であり、同時に後世において「忍者」と呼ばれる集団の先祖となった可能性が高い。 さて、その民間陰陽道は四国にも渡来している。最も有名なのは、高知のイザナギ流であるが、徳島にも似た流儀を行う一派があったと聞いたことがある。少年時代に祖母に一度聞いただけであるが、その陰陽師は「おたゆうさん」 と呼ばれ、狐憑きを落としたり、未来の卦(け)を占ったりして生業を立てていた。 某町の某家にキツネが憑いたときなどは、憑かれた本人が天井まで駆け上ったり大変な騒ぎとなったが、おたゆうさんが祈ると一発で落ちてしまったと伝え聞いた。 今はそんなおたゆうさんの噂も聞かない。いよいよ民間の霊脈も絶えてしまったのであろうか。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年03月16日 23時00分
山口敏太郎が子供の頃に体験した話「咳で死んだおばあさん」
筆者は徳島の生まれである。生まれたのは二軒屋町だったが、その後両親とともに新興住宅地に移ることになった。だが祖母は、二軒屋に残り、祖母の家は自転車で行ける「実家」となった。 今でこそ、俳優の故大杉漣さんらがいたと言われ、それなりに下町として有名になっているが、筆者が少年時代のころは、あまり県内でも有名ではなかった。出身の筆者が言うのもなんだが、ひどく閑散した町であった。 その街で祖母は花屋を営んでいた。某寺の門前町として栄えていた通りで花屋を開いていたのだ。無論、お客は日々、墓参りの客である。 当時、父はサラリーマンとして、八万町という新興住宅地にマイホームを建て、高度経済成長の波に乗っていた。そんな中で、筆者は週末、祖母の花屋に泊まりに行った。 現代チックなマイホームと対照的な祖母の花屋は、筆者の脳髄を刺激した。なんとなく二軒屋に、レトロな日本風景を感じたのである。 ある時、筆者は風邪をひき、扁桃腺を腫らせた。 苦悶する筆者。とにかく、小さいころからやたらに喉がはれる子だったのだ。それを見た祖母は筆者を強引に連れ出した。 「しんどいけん、婆ちゃん、やめて、どこ行くん」 「黙ってついて行きい、咳で死んだおばあさんに頼みに行くけんな」 「せっ、咳で死んだばあさん」 筆者は気が動転した。確かに、咳で死んだおばあさんと祖母は言った。 死人にあいさつに行くとはどういうことだろう。口を開けて、あわあわ言っている筆者はいつの間にか小さな祠(ほこら)の前にいる。ちょうどオッパショ石の斜め前にある祠だ。 「この祠にお参りしとき、風邪から助けてくれるけん」 祖母が言った。 この祠は旅の途中、咳で死んだ人を埋めた祠で、咳に苦しむ人がお参りすると症状が改善するとされている。 「うん、分かったわ」 筆者は神妙に手を合わせた。すると、不思議なことに翌日、筆者の風邪は見事に回復した。 (咳で死んだおばあさんのおかげやな) この時、筆者は怪異と不思議を初めて実感した。(山口敏太郎)
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芸能ネタ 2019年03月16日 21時30分
【放送事故伝説】主役が途中交代した大河ドラマ。あの大スターが大激怒
2019年3月12日深夜、俳優でミュージシャンのピエール瀧容疑者がコカイン使用の疑いで逮捕された。 警察によると、瀧容疑者は東京都内の自宅や宿泊施設などでコカインを使用した疑いがあり、本人も使用を認めている。 この結果、これまで瀧容疑者が出演してきたドラマ・映画が、数多く視聴を制限されるのではないかと噂されており、特に、現在放送されているNHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』は瀧容疑者が主人公・金栗四三がオリンピックで使用する足袋を作る足袋職人としてレギュラー出演しており、この先も、多くの出番が残っているという。 大河ドラマ放送中に出演者が薬物使用によって逮捕されるのは、前代未聞の出来事であり、NHKは今後、瀧容疑者の出演シーンをどうするのか協議を重ねているという。 さて、スケジュール管理も含めて「業界で最も時間に厳しい」とされるNHK大河ドラマ。大規模ゆえに、出演する俳優は徹底的な健康管理が要求されるのだが、実は50年以上の歴史を誇る大河ドラマでは、前代未聞の「主役交代」となった作品が一本だけ存在する。 それが、1974年に放送された『勝海舟』である。 主役である勝海舟は渡哲也が演じていたが、渡が第9回まで務めた後、肋膜炎により倒れ降板。第10回目からは松方弘樹が勝海舟として演じるというハプニングがあった。渡から松方へとバトンタッチが行われた際は、NHK側もタイミングを見計らったようで、渡は青年期、松方は壮年期ということでパート分けがなされたが、やはり無理があったようで、当時の新聞記事などを読むと、松方は「映画育ちゆえドラマ撮影に付いていくのが大変」「芝居は最初に演じた人がいいに決まっている」と記者のインタビューに答えており、やはり苦労はあったようで、1974年11月には『勝海舟』の撮影をすべて終えた松方が、朝日新聞の記者に対し、「所詮、オレは渡くんの代替部品だったんだ」「NHKにはもう出演しない」と不満をぶつけている。 松方がNHKに対し憤怒した背景には、不測の事態で代役で入った松方に対しての、NHKのアフターフォローが足りなかったこと、脚本を担当していた倉本聰が途中で脚本を降板したことについて、松方に誰も知らせなかったことに起因しているという。 松方は公言通り、NHKドラマには出演しない姿勢を崩さず、それは2000年代に入るまで貫いた。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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