山口敏太郎
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ミステリー 2019年02月16日 23時00分
徳川家康は宇宙人と会っていた?
牧墨僊(まき・ぼくせん)によって記された「一宵話」の二巻に奇妙な話がある。あの江戸幕府を開いた徳川家康が、駿府城で小型エイリアンと接触していたという記録が残されているのだ。 1609(慶長14)年4月4日の朝、駿府城の庭に異様な姿をした「ヒトガタ」が立っていた。手足はあるものの、指はなく、ひたすら天を指し示している。不気味な容姿は「肉人」とでも表現したらいいのだろうか。家臣たちは大騒ぎになり、「なんだ!あれは、妖怪か、人か」「こやつは、どこぞの間者(かんじゃ)か」と口々に騒いだが、どうにもならない。騒動が大きくなったので、大御所である家康の耳に入れた。 すると、家康は「どこか、人目のつかぬところに追い払ってしまえ」と指示した。結局、家臣たちが総出で追いかけ回し、城から遠い小山の方まで追い立てて捨ててきたという。 後日、この話を聞いた物知りの人物が嘆きながら言った。 「なんとも惜しいことをしたものだ。大御所さまの周囲にいた家臣たちが『学』がない者ばかりだったため、まれに見る仙薬を入手できないようになってしまった。この『肉人』は、『白沢図』に載っている『封(ほう)』という存在だ。この肉を食べると滋養強壮になり、武勇も増したのに、まったくもったいない」 この話、一見よくある妖怪話に見えるのだが、エイリアンが当時の政権の実力である徳川家康にコンタクトを求めてきたという可能性はないだろうか。現代でも、ロシアやアメリカの大統領に対し、エイリアンがコンタクトをとっていると噂されている。ならば、江戸初期の日本に飛来したエイリアンが家康と接触してもなんら不思議はない。 ちなみにこの「封」の姿を描いた絵は残念ながら存在していないが、その記述から鳥山石燕が描いた「ぬつへつほふ(ぬっぺっぽう)」が似ているのではないかということで、よく引き合いに出されている。よってここでも紹介させていただくが、可能であれば姿を描いた絵を見てみたいものだ。(山口敏太郎)
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社会 2019年02月16日 21時30分
【放送事故伝説】神戸連続児童殺傷事件の直後、テレビ番組が大量にお蔵入り?
今から22年前の1997年、通称「少年A」による「神戸連続児童殺傷事件」が発生した。1997年5月27日の早朝、神戸市にある中学校正門に、男児の切断された頭部が放置された事件を皮切りに、「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る当時14歳の中学生が起こしていた猟奇事件がマスコミに暴かれた事件は、当時の全日本国民に大きなショックを与えた。 さて、「神戸連続児童殺傷事件」が発生した当時、多くのテレビ局は卑劣な事件および未解決事件に配慮して、いくつかの番組は放送を自粛した。当時の新聞によると、特に「人間の体を切り落とす」シーンに関しては、最大限の配慮が行われたようで、NHK教育は同年5月31日に放送された歌舞伎俳優の中村雀右衛門が主演する舞踊「桜の森の満開の下」(原作:坂口安吾)には、山賊が狩ってくる生首を並べて遊ぶという「首遊び」という残虐性の高いシーンがあり、また、雀右衛門が生首を抱えて踊るという、図らずとも事件を連想してしまうシーンがあったことから、放送を差し替えられている。この放送差し替えは、中学校正門での一件から4日しか経過していないということもあり、いくら伝統芸能でも「首遊び」は放送するわけにはいかなかったようだ。 また、民放もNHKと同じような対応をとっており、テレビ朝日は、同年6月14日放送予定だった時代劇『遠山の金さんVS女ねずみ』の「不倫の清算!バラバラ殺人」というエピソードがタイトルの通り、劇中にバラバラ遺体が出てくるために放送できなかった。 また、これは放送後にクレームが発生したパターンだが、事件の数日後、競技型バラエティ番組『TVチャンピオン』(テレビ東京系)で行われた「特殊メイク王選手権」では、参加者が作り物の首を持ち込んだところ、放送後に視聴者からのクレームが相次ぎ、番組の構成そのものを見直すことになったとされている。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2019年02月10日 23時00分
琉球王朝の始祖は源氏だった?源為朝の不思議伝説
源為朝と言えば平安時代末期の武将であり、源為義の八男。有名な源頼朝や源義経から見ると叔父に当たる人物である。為朝は弓の名手であり、2メートル超えの巨躯を使って巨大な弓を豪快に引き、相手を粉砕する豪傑であった。あまりにも粗暴で父親に嫌悪され、九州に飛ばされてしまうのだが、九州でも暴れまくり鎮西八郎という異名をとることになった。その武勇を買われ、保元の乱では父・為義とともに崇徳上皇方につき奮戦するが敗れてしまい、伊豆諸島に流罪となってしまった。 伊豆諸島でも大人しくすることはなく、武勇に任せて伊豆諸島を統一、結局朝廷から送られた討伐軍と交戦することに。いくら豪傑でも多勢に無勢である。最期は戦いに敗れ、為朝は命を落としてしまう。 だが為朝は伊豆に流される前に琉球に立ち寄っており、そこで妻をもらい子供を授かっていた。今帰仁村(なきじんそん)にある運天港(うんてんこう)は為朝が上陸した場所だという伝説が現在でも残されている。妻子を残して為朝は伊豆に旅立つ。琉球に残した子供が琉球王統の始祖・舜天になったと言われているのだ。 これは大和側だけの主張ではない。琉球王国の正史『中山世鑑』、『琉球神道記』、『おもろさうし』、『鎮西琉球記』などに記述されており、江戸や大阪でも滝沢馬琴の『椿説弓張月』などで広く知られるようになった。 もちろんこの伝説は、日本陸軍の大陸支配の正当化に使用された義経=ジンギスカン説と同じように、薩摩の琉球支配の正当化を狙った「日琉同祖論」であり、情報操作である可能性が高い。薩摩を支配していた島津氏も源氏だったため、同族とした方が何かと都合が良かったのであろう。 だが果たして、本当にそれだけの理由でこの伝説が琉球に残ったのだろうか。筆者は琉球国内において、ヤマトの勢力をバックボーンにして王朝内で力を握りたいという勢力が、伝説を琉球国内で広げた可能性も捨てきれないと思っている。幾ら薩摩側の圧力があったとしても、琉球側の資料にはこの説があまりにも多く採用されている。琉球王朝内部にこの為朝伝説を自らの利益のために利用した連中がいた可能性はあるだろう。 また、為朝本人ではないにしても、伊豆諸島の武士たちが海流に乗って琉球に定着した可能性だって十分ある。伝説には何らかのモデルがいる場合が多いからだ。果たして、海を駆けた武将・為朝は琉球に渡ったのであろうか。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年02月09日 23時00分
予言、そして削られた猿…日光東照宮「三猿」にまつわるミステリー
江戸幕府を開いた徳川家康が眠る日光東照宮。家康を東照大権現として祀(まつ)る東照宮には、極彩色のさまざまな彫刻が社殿を飾っている。寺社仏閣の建築は、縁起の良いものを装飾のモチーフとしている。東照宮の場合も龍や象など、神道や仏教で「瑞獣」や「神獣」とされるものを多く扱う。しかし、中にはメッセージ性を持つ変わったものも存在している。 「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿などはその代表格だ。三猿の彫刻は東照宮の神馬をつなぐ厩舎に彫られており、人間の人生を象徴するように8体のサルが彫られている。そのうち、「親元を離れる前には世間の悪いことを見たり (見ざる)、聞いたりせず(聞かざる)、人の悪口を言ったりしてはいけない(言わざる)」という格言に通じる三猿がピックアップして見られるようになった。 また、この三猿の故事は中国の論語に由来するものであり、その故事に合わせてもう一匹「せざる」という猿を加えて四猿だったという説もある。なぜ「せざる」が排除されたのかというと、これは「過ぎた欲(=性欲)は身を滅ぼす」という意味があり、これにしたがうと猿が股間を押さえたポーズをとることになる。訓戒としては良いものであるが、神社の彫刻としてこのような姿を採用するのはいかがなものか、ということ4番目の「せざる」が排除されたという。 また、この「三猿」は、江戸幕府の滅亡を予言していたのではないかと筆者は考えている。三猿が特に有名だが、実は15匹設置されており、徳川将軍の数と一致するのだ。しかも、それぞれの猿が歴代将軍の業績と一致する。 最初の猿は小猿を脇に置いており、長男・信康が信長によって切腹に追い込まれた家康を表しているとも推測できる。また2匹目から4匹目の猿たちは俗に言う「見ざる、聞かざる、言わざる」という三猿だが、この猿たちは江戸幕府の鎖国政策を意味しているのではないか。さらに5匹目から6匹目の猿は「上を見てもキリがない猿、下を見てもキリがない猿」であり、江戸幕府の士農工商に合致する。 また8匹目の猿は周りの猿をいたわる余裕を見せている。この猿こそが中興の祖・徳川吉宗ではないか。13匹目の猿から波に乗り始めるが、これは13代将軍の頃から幕府の屋台骨が揺らいでくることを意味しているのだろうか。最も不気味なのは最後、15匹目の猿である。この猿はどこかに「立ち去る(猿)」姿を見せている。この最後の猿こそが幕府の幕を引いた徳川慶喜ではないのか。 このように謎を秘めた東照宮の猿たちは、徳川幕府がなくなった現在でも参拝客らの前で当時から変わらぬ姿を見せている。(山口敏太郎)
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芸能ネタ 2019年02月09日 21時30分
【放送事故伝説】タレント・スタッフ20名が山で遭難!?過酷すぎたロケ現場!
昭和時代の人気バラエティ番組『川口浩探検隊』(NET・テレビ朝日系)。巨大ワニや巨大蛇など様々な珍獣やUMAを探し求めるドキュメンタリーチックの番組だが、2005年放送の『藤岡弘、探検隊』以降、続編が久しく作られていない状態が続いている。 その要因のひとつには他のバラエティ番組に比べて事故が多かったり、撮影そのものが過酷だったりと制作リスクが高いことが挙げられる。 ところで、日本テレビ内で伝説的に伝えられているエピソードに「ウドラー事件」というものがある。これはウッチャンナンチャンの冠バラエティ『ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』(『ウリナリ』)において企画された、川口浩探検隊のパロディー「天然珍獣ウドラー捕獲大作戦」のロケがあまりに過酷でトラブルが相次いだため、当時の新聞記事で報道された事件を指す。 1995年8月、『ウリナリ』は出演タレント・スタッフ総勢20人でお笑いコンビ「キャイ〜ン」のウド鈴木にぬいぐるみを着せたキャラクター「天然珍獣ウドラー」を山の中で探す企画を東京都奥多摩町の雲取山(標高2017m)で行った。 ロケは当初順調に進んだものの、途中で霧と雨が激しくなり、ロケ終わりの彼らを迎えに行くはずのヘリコプターが山に降りられず、仕方なく徒歩で下山することになった。 キャイ〜ン、南原清隆、千秋ら当時ロケに参加した出演者は「あれは遭難以外の何物でもなかった」「真っ暗で進む道も肩幅くらいしかなく死を覚悟した」と振り返っており、実際に放送された番組でもハプニングがあったことを明かしていた。 それだけならある種の「笑い話」で済むはずだったのだが、『ウリナリ』スタッフはロケで使った荷物やゴミを、ヘリコプターが着地できなかったことで雲取山に放置せざるを得ず、ダンボール5箱分のゴミを山の中に置いてきてしまったのだ。 それを山の管理人が発見し、日本テレビにクレームを入れたことで問題が表面化し、当時の大手新聞にて「ウリナリスタッフが雲取山にゴミ放置」という記事が掲載され、番組側が謝罪するトラブルがあった。 以来、『ウリナリ』では「ウドラー」ロケの続編は作られず、「探検隊」のロケはより慎重に行われたとされている。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2019年02月03日 23時00分
歴史ミステリー「影武者・徳川家康」
天下人・徳川家康には影武者伝説が存在する。実は家康は伝えられているよりも早く死んでおり、途中から世良田次郎三郎という人物が家康を演じたという説がある。 影武者との入れ替わりの時期に関しては諸説ある。桶狭間の戦いから数年後、松平元康は無事に今川家の支配から独立したが、家臣によって討たれてしまい影武者に入れ替わったとも、1600年の関ヶ原の戦いにおいて、徳川家康が討たれてしまい、影武者が徳川家康を演じ続けたとも、大阪夏の陣において真田の猛攻で討たれてしまい、影武者と入れ替わったとも言われている。 確かに、これらの説には不審な点がいくつかある。もし松平信康時代に入れ替わっていたとすれば、長男である信康の切腹も平気で命じたであろうし、後に結城秀康や徳川秀忠になる実子たちのためにも信康を始末したくなる気持ちも分からなくもない。 さらに家康と徳川秀忠は親子であるにもかかわらず、晩年は不仲であった。これが赤の他人であったとしたら納得がいく。それと関連して、筆者が事務所を構える船橋にかつて存在していた船橋御殿(船橋東照宮付近。東金の鷹狩に行く際、家康が何度か宿泊した)に家康が宿泊した際に不審火が出ており、秀忠に命じられた間者が家康暗殺を狙ったのだという伝承が残されている。 また筆者も数年前に取材に行ったのだが、堺の南宗寺には「家康の墓」と称される史跡がある。もちろん、これは近代において関西系の企業家たちが建立したものであり、当時のものではないのだが、もとになった文書はある。『堺鑑』には家康が討たれたという記事があり、寺そのものにも徳川秀忠や徳川家光が墓参りに来た時に、収めた奉納物が残されているという。二代、三代の徳川将軍がまったく縁もゆかりもない堺の寺に参拝に来るであろうか。やはり、南宗寺には大阪で討たれた家康の魂が眠っているのであろうか。 この家康の影武者説は1902(明治35)年に村岡素一郎が『史疑 徳川家康事蹟』という書籍を出版してからブームとなり、戦後は隆慶一郎の『影武者徳川家康』や、同作品を原作としたコミックで一般に広がった。 ちなみに筆者は、家康がひょっとしたら、3回は殺されているのではないかという妄想を抱いている。松平元康時代にも殺され、関ヶ原でも殺され、大阪夏の陣でも殺され、最後は老衰でも死んだ。つまり、家康を演じた人物は本物・影武者合わせて合計4人もいるのではないだろうか……。 ”徳川家康”がある種のプロジェクトチーム名だとしたら、なんと楽しいことだろうか。本物が夏の陣で死んでおり、あとは影武者であったとしたらどうだろうと思っている。むろん、これは真剣な仮説ではない。あくまで小説のタネである。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年02月02日 23時00分
天草四郎は豊臣秀頼の落し種だった?
江戸時代を通じ最も幕府が追い込まれた、最大規模の農民の反乱と言えば、天草四朗が指揮した「島原の乱」であった。最近では「島原一揆」と表記されることも多いが、幕府が本気で潰しに行かないと鎮圧できないほどの破壊力を持っていた。 この反乱軍の象徴であったのは「神の子」天草四郎であった。元和7(1621)年に生まれたとされており、寛永15(1638)年に原城で玉砕するまで、波乱の人生を駆け抜けた。無論、このような青年の力だけで大勢の人間は束ねることは大変だ。背後に欧米の勢力がおり、クリスチャンの信仰心を利用して日本国内にキリスト教徒自治区を作ろうとしていたとも言われている。 天草四郎は、本名を「益田四郎時貞」といい、洗礼名を「ジェロニモ」、または「フランシスコ」と言った。何の変哲もない四郎が突如「神の子」として祀り上げられたのは、マルコス宣教師が国外に追放される際に奇妙な「預言」を残していたからだ。「今から25年後に神の子が出現し、弾圧に苦しむキリシタンたちを救う」というものであった。 それから約25年後の1637年6月頃、小西行長の元家臣たちがマルコス神父の預言を天草・島原の村々に言い回り「神の子」への待望論が拡大。聡明な四郎は「神の子」として認められ、一気にキリシタンの旗印に担ぎ上げられたのだ。 この一連の動きで怪しく思えるのは、小西行長の元家臣たちである。クリスチャンであったのは事実であろうが、わざわざ村々で神の子の預言を言って回るのは不可解だ。しかも、天草四朗の馬印は秀吉と同じく千成病単であり、暗に豊臣家ゆかりの人物であることを示している。また、薩摩の書物では天草四郎の事を「豊臣秀綱」という名前で記している。さらに、大阪夏の陣で破れた豊臣秀頼が真田幸村とともに薩摩に逃れたという噂がささやかれていた。つまり、当時天草四郎は秀吉の孫であり、豊臣家復興の旗印でもあったとも言われているのだ。 これは関ケ原で敗れた大名に仕えていた浪人たちの勢力を、自軍に引き入れるための小西家旧臣たちの戦略のようにも思えるが、天草四郎が豊臣秀頼のご落胤(らくいん)であり、豊臣家の嫡流(ちゃくりゅう)の血が流れているとしたら、徳川幕府があそこまで必死になったのも理解できる。(山口敏太郎)
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芸能ネタ 2019年02月02日 21時30分
【放送事故伝説】昭和の人気刑事ドラマに本物の暴力団幹部が出演!?
2011年8月の島田紳助さん引退騒動以降、テレビ業界および芸能界では暴力団関係者の締め出しが行われている。しかし、時代がおおらかだった1970年代のテレビ業界。ある人気ドラマが現役の暴力団幹部を役者として起用し、新聞沙汰になったことがある。 NETテレビ(テレビ朝日)で1961年から1977年まで放送された人気刑事ドラマ番組『特別機動捜査隊』。日本のテレビドラマとしては、初の1時間連続ドラマとしてスタートした本作は、いわば人気警察ドラマ『相棒』(テレビ朝日)の元祖的作品にあたるのだが、1970年4月15日に放送された「赤い破門状」というエピソードに、本物の暴力団員が役者として登場しているのだ。この人物は都内の巨大暴力団の大幹部にあたるAという人物で、1968年にはピストル5丁などを隠し持っていた容疑で逮捕され、出演当時は保釈中の身であった。 この幹部Aだが、読売新聞の記事によると、『特別機動捜査隊』のプロデューサーが新宿で呑んでいた際、東映系の某有名俳優(誰でも知ってる人です)からの紹介でドラマに出演。Aは極道の世界に入る前は映画俳優を目指しており、「一生に一度でいいからドラマに出てみたい」とプロデューサーに直接掛け合ったのだという。 さて、この大幹部氏、かつては俳優に憧れていたこともあり、顔は男前で貫禄や身長も十分。さらに、演じた役がヤクザの親分ということもあり、現場では名役者ぶりを発揮。結果、幹部Aは計33個のセリフを感情たっぷりに演じきったほか、ラストシーンでは「いいか。二度とこの世界へ戻ってくるんじゃねえぞ……」と更生したヤクザを励ますシーンもあった。 ちなみに、「赤い破門状」のテーマは暴力団賛美では決してなく、暴力団員の更生が主なテーマで、シナリオの監修は警視庁協力の元で行われていた。しかし、キャスティングに関してはドラマスタッフが中心となっていたため、本物の暴力団幹部が出演していることは放送後まで知らなかったのだ。 なお、『特別機動捜査隊』の「赤い破門状」は封印作品となっているわけではなく、衛星放送で放送されている。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2019年01月27日 23時00分
平和な江戸時代が始まったことを示す彫刻 日光東照宮の「眠り猫」
江戸幕府を開いた徳川家康が眠る、日光東照宮。家康を「東照大権現」として祀る東照宮では、極彩色のさまざまな彫刻が社殿を飾っている。寺社仏閣の建築には、装飾として縁起の良いものがモチーフとして用いられている。東照宮でも龍や象など、神道や仏教で瑞獣や神獣とされるものが多くある。しかし、中にはメッセージ性を持つ変わったものも存在するのだ。 そんな東照宮の不思議でかわいい彫刻が「眠り猫」である。眠り猫は東照宮東回廊の中ほど、家康が眠っている奥宮の参道入り口に存在するのだが、この眠り猫は人々がイメージするよりもずっと小さいのである。書籍やテレビではカメラが「寄っている」ため大きく見えるが、実際は他の彫刻に比べると埋もれてしまうほどのサイズなのだ。 そんな小さく、穏やかな彫刻が家康の墓所へと続く参道の入り口にあるのには、ちゃんとした理由があると言われている。一説には、奥宮の入り口であることを踏まえて「不浄なものは鼠(ねずみ)一匹通さない」という意味が込められているという。眠り猫は横から見ると目がちゃんと開いていて、起きていることが分かる。小さな体を丸めているように見えて、猫が獲物に飛びかかる前のように、足に力を込めているように見えるのだ。 そしてもう一つの説は、戦国の世が終わり、平和な時代が訪れたことを象徴しているという説だ。眠り猫の裏には雀の彫刻が存在する。飛びかかろうとしている猫が本当に起きているのであれば、雀は食べられてしまう位置関係だ。しかし、猫は居眠りを選んで雀と共存している。ここから、江戸時代という平穏な時代が始まったことを意味しているとされているのだ。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年01月26日 23時00分
ある人物が見つけだすのに成功していた?武田信玄の埋蔵金
今年で平成が終わるが、平成のテレビ番組で注目を集めていたものに「埋蔵金の発掘」というものがあった。1990年代から数年前まで、赤城山に隠されているとされる徳川埋蔵金を実際に発掘しよう、という企画でTBS系列の特番として放送されていた。 そこで、昔の「埋蔵金伝説」をひもといてみよう。1月20日の原稿では明智光秀の埋蔵金について紹介したが、他にも埋蔵金の伝説は数多くある。 勢力の大きな有名武将には埋蔵金伝説はつきものであった。例えば武田信玄にも埋蔵金伝説がある。武田信玄は日本で初めて金貨を造り、金脈を開発する集団「金山衆」を抱えた。この金山衆、平時は金脈を見つけるための作業に従事し、戦の際には工兵として城の石垣を崩したり、敵の井戸の水源を絶ち、敵の城内へと至る地下道を掘るなど活躍した。まさに武田軍の強さは「金」のおかげだった。 また、軍用金は甲斐の各地に隠したと言われる。有力な候補地が、現在甲州市塩山にある黒川金山だ。最盛期には1000人以上の坑夫がおり遊郭まで存在した場所で、信玄にとって重要な資金源だったところである。幕末にはこの地を旅行で訪れた夫婦が、偶然埋蔵金を発見したが、何者かに惨殺されるといった逸話も。明治の終わりには金山近くの谷で転落死した男の遺体の脇にあった荷物から金の延べ棒10本と、水に濡れて判別できない一冊のノートが発見されている。どうやら、この男は信玄の埋蔵金を発見し、一部だけ持ち出したものの、非情な最期を遂げてしまったものと推測されている。 かっての黄金の国・ジパングと呼ばれたわが国の地下には、まだまだ未知の埋蔵金が眠っているのかもしれない。(山口敏太郎)
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