山口敏太郎
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社会 2019年06月02日 22時30分
【背筋も凍る!女の事件簿】由緒正しい寺が火事により消失! 犯人女性の驚くべき動機とは?
昭和を代表する作家・三島由紀夫の小説『金閣寺』。これは京都府にある鹿苑寺(通称・金閣寺)において発生した実在の放火事件(1950年)を元にした小説で、犯人は同寺の僧侶見習いをしていた21歳の大学生であった。このニュースは当時、日本だけではなく、世界でも報じられ大きな衝撃を与えた。 さて、昭和の事件史において、神社仏閣の放火事件はいくつかあるが、今回はそれらの中でも珍しい、女性による放火事件をご紹介しよう。 1962年(昭和37年)7月25日午前2時ごろ、京都市にある壬生寺(みぶでら)が全焼する事件が発生した。991年(正暦2年)に創建されたこの寺は、古くから地元の人間に愛され、幕末には、かの有名な新撰組が京都における本拠地として、隊士が訓練を行っていた聖地として知られている。 深夜に壬生寺を襲った炎は本堂を丸焼けにし、鎌倉時代の作とされる「壬生地蔵」ら6体が消失してしまうなど甚大な被害を出した。 犯人は最初、「この寺に恨みを持つ人物の仕業」と見て、警察が調査を行っていたが、寺の職員たちには心当たりがなく、捜査は難航すると思われた。 ところが、本事件は迷宮入りせず、あっさり解決してしまった。事故の直後、現場付近をうろついていた27歳の女が、「自分が放火の犯人である」と警察に自供したのだ。 この女は放火当時、家がなく壬生寺の境内に住み付いていた(早い話が野宿していた)浮浪者で、放火の理由に対して、「この寺の職員に腹が立っていたため」と容疑を認めたという。 女は1か月くらい前まで京都府内の飲食店に勤めていたが、勤めが嫌になり退職。その後、新しい職は探さず、ついには住む場所もなくなり、いつしか壬生寺に住み付いた。しかし、若い女性という事もあり、慣れないホームレス生活はうまくいかなかったようで、彼女は困窮からとうとう壬生寺の賽銭箱に手を突っ込み、賽銭泥棒をしてしまった。 この一部始終を見ていたのが、この寺に勤める80代の管理人で、管理人は彼女を強く叱責した。いったんは反省したものの、夜になってくると夏の暑さもあり徐々に壬生寺に対する恨みが沸いてきた。彼女は「こんな寺など燃えてしまえばいい」と怒り、ついには本堂に火をつけてしまったのだ。京都府警は彼女を非現住建造物等放火の罪で逮捕した。 当時の新聞には「賽銭泥棒を叱られて…放火だった壬生寺の火災」とともに、うなだれた表情の犯人の女の顔写真が掲載されている。 現在、壬生寺の本堂は近隣住民の寄付もあり無事に再建されており、消失してしまった壬生地蔵は律宗の総本山・唐招提寺から遷されている。 現在、壬生寺には多くの観光客も訪れるが、放火事件の犯人が若い女性であったことは、あまり知られていないようだ。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2019年06月01日 23時00分
不老不死を求めた秦の始皇帝が探した「蓬莱国」
今から2200年前、我が国では縄文文化から弥生文化へと変わりつつある過渡期だったが、中国大陸では秦の始皇帝が乱立する諸国を統一し、権勢を振るっていた。全ての物を手に入れた始皇帝であったが、唯一手に入れることが出来なかったのが永遠の命であった。 ここで始皇帝に近づいたのが徐福という人物であった。この人物に関する記述は司馬遷の『史記』の「淮南衝山列伝」に見られる。『史記』の記載によると、紀元前219年に徐福が始皇帝にある進言を行う。遥か彼方の東海に蓬莱・方丈・瀛洲という仙人が住む三神山があり、そこに不老不死の妙薬があると述べたのだ。 この徐福なる人物は、中国の方士であり斉国の琅邪の生まれであったとされている。長らく架空の存在だと思われていたが、1982年、江蘇省に徐福村が確認され子孫たちが多数現存することが判明しており、架空の人物ではないことが確定しつつある。 進言を受け入れた始皇帝の命を受けて、徐福は3000人の男女童子・様々な職人を従えて、多額の金銀や五穀の種、農耕機具を持って大船団で東海に向けて旅立って行ったが、平原広沢にて王となり、二度と帰らなかったとされている。たぶん、始皇帝は徐福の甘言に引っ掛かっただけという指摘もあるが、悪意があったのか、何らかの理由で帰れなかったのかは不明である。中国の専門家の中には,徐福=神武天皇と解釈する者もおり、神武東征とは徐福船団の来日ではなかったのかと言われている。どちらにしろ、我が国の成り立ちにこの人物が関与したのは事実であろう。 徐福が目指し上陸した場所は具体的に一体何処であったのだろうか。一行が目指した場所は「トヨアシハラミズホ」であり、「ホウライ」とも呼ばれている不老不死の妙薬のある仙人が住む聖地であったはずだ。 その候補地は幾つかある。最も有力な場所は熊野である。現在の和歌山県新宮市や三重県熊野市波田須には徐福の史跡が残されているという。熊野に定着した徐福一行は、そこで共同体を作り、連れて行った童子たちは周辺の集落の長となったとされている。確かに熊野なら聖地にふさわしい。 他にも沖縄県や愛知県にも上陸伝説はあり、台湾や北米大陸まで行ったという極端な仮説も唱えられている。 正史では徐福の行動は記録されていないと言われているが、富士吉田の神社に所蔵されている『宮下文書』には、徐福が築いた古代富士山国について詳細に書かれているという。徐福の幻の王国は歴史の闇に消えてしまったのだ。(山口敏太郎)
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社会 2019年06月01日 21時30分
【放送事故伝説】平成時代最悪の放送事故「ポケモンショック」のその後
1997年12月、平成時代において、もっとも社会的に影響を与えた放送事故との呼び声も高い「ポケモンショック」が発生した。 これは、1997年12月16日18:30 〜にテレビ東京系で放送されたテレビアニメ『ポケットモンスター』第38話「でんのうせんしポリゴン」の後半部分で、主人公の味方ポケモンであるピカチュウが必殺の電気ショックを放った際、赤と青の光が激しく交差・点滅し、テレビを見ていた子供がめまいをおこし卒倒するなどの被害が出た。自治省(現・総務省)の調べによると、「ポケモンショック」の影響により、最終的に全国600人以上の子供が病院に運ばれるなどしたという。 以上が、「ポケモンショック」の全容であるが、実は当該エピソードの放送から数日後、先ほどの600人に追加して、全国で100人前後のポケモン視聴者が倒れるという事件が全国で相次いだ。 問題のあった38話を録画したビデオを興味本位で視聴した人たちが、本放送時と全く同じ症状を起こし、病院へと運び込まれたためである。 このケースでは、倒れた視聴者は子供だけではなく、いわゆる「オタク層」と呼ばれる大人たちも含まれており、中には42歳の男性が、問題の38話を興味本位で鑑賞したところ、衝撃に耐え切れずに倒れてしまったという大人げない出来事もあった。 また、ポケモンショックの本放送から半年後の1998年5月、この問題の「ポケモンビデオ」を巡り、教育上とても信じられない事件が発生した。 なんと、愛知県名古屋市にある某小学校の男性教諭が授業を中断し、この個人的に所有していた問題のポケモンビデオを小学2年生児童29人に見せていたのだという。教諭がこのビデオを見せた結果、一人の女子児童が「気分が悪い」と訴え、保健室で寝込むことになったという。 ビデオを見せた教諭は、ビデオを見せた行為に対し「子どもが喜ぶので見せた。問題の放送分とはわかっていたが、子どもたちの興味を引きたかった」と証言しており、後日、名古屋市教育委員会から厳重な処罰を受けたという。ポケモンショックから22年が経過した現在、38話は引き続き封印作品扱いとなっており、公式な形で視聴することは不可能となっている。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2019年05月26日 23時00分
咲くのは不吉の前兆?「竹の花」開花が全国で相次ぐ
現在、日本各地で不思議な「花」が目撃されて話題になっている。 それは「120年に一度しか咲かない」と言われる竹の花だ。花と言っても普通の花とは違った形状で、白く細い稲穂のような小さな房が現れ、風に揺れるものだ。 竹の開花の周期は種類によって違うが、咲くまでの期間はかなり長く、人間の寿命より長く咲かないものもある。またほんの数日で散ってしまうため、咲いたところはめったに見られない。 竹の花が咲くというのは、今年の春ごろから日本各地で報告されていた。俗説として「竹の花が咲くと不吉なことや天変地異が起こる」と言われていた。これだけ竹の花の報告が相次ぐということは、日本を何らかの天変地異が襲うのでは……と噂されている。 果たしてこれは事実なのか。 前述の通り、竹の花が開花する周期は非常に長く、開花するタイミングも解明されていないようだ。だが切られたり、環境の変化などの外的ストレスによって開花することもある。また種類によって違いはあるが、開花の後に地上に出ていた部分は枯れてしまう。 竹は一本一本が独立しているように見えて、地下茎でつながっている。生い茂っている竹やぶ一つがまるごとつながっているケースもあるのだ。それぞれの竹がつながっているせいか、開花が連鎖することもある。一斉開花の引き金となる原因や仕組みはまだ分かっていないが、少なくとも不吉なことが起きるわけではないのは確実なようだ。 しかし過去の記録を振り返ると、1960年代から70年代にかけて国内で栽培されていたマダケが、数年にわたり一斉に開花。その結果、全国的な竹不足が起こったとされている。ということは、これから竹不足になることも考えられるのだ。 容易に加工ができ、タケノコが食料にもなる竹。それが一斉に枯死するというのは、昔の人の生活にとってかなりの打撃だったに違いない。「不吉の前兆」という言い伝えはここにも理由があったのではないだろうか。(山口敏太郎)
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芸能ネタ 2019年05月26日 20時00分
【放送事故伝説】止められない生放送!出演バンドが急きょ放送禁止ソングを熱唱
今年2019年は歌手・忌野清志郎がこの世を去って10年(2009年5月2日没)となる。現在でもコンビニエンスストアのイメージソングに楽曲が起用されるなど、根強い人気を誇る彼だが、かつてはロックミュージシャンとして数々のメディアで放送事故を起こす「猛者」として有名だった。 代表的なのが、1989年10月14日にフジテレビ系の音楽番組『ヒットスタジオR&N』で披露した「FM東京罵倒ソング事件」である。 これは忌野清志郎が中心となった「RCサクセション」が覆面バンド「ザ・タイマーズ」として出演、生放送で実在するラジオ局であるFM東京およびFM仙台を罵倒する楽曲を演奏し、朝日新聞や読売新聞など大手新聞でも取り上げられるなどし、大問題となった放送事故である。 この日、「ザ・タイマーズ」は自身の代表曲である『デイ・ドリーム・ビリーバー』を含む5曲を演奏予定であった。しかし、タイマーズは2曲目に演奏予定だった『偽善者』という楽曲を急きょ、FM東京を罵倒する未発表の楽曲にすり替え、「FM東京 最低のラジオ」と歌い切ったのだ。 この楽曲すり替えは、司会の古舘伊知郎ほか他の出演者にも伝えられておらず(一部スタッフには承諾済みだった、との説もある)、関係者は全員、顔面蒼白になっていたという。 この楽曲すり替えは、忌野が作詞を担当した「TEARDROPS」の楽曲『谷間のうた−−素敵な泉』(1989年9月発売)の扱いに対する抗議ではないかとされている。 FM仙台はこの楽曲を「歌詞に問題がある」として放送禁止にし、同じころ東京FMでも「放送は望ましくない」として放送が見送られるという事件があったのだ。 忌野の報復はこれら「楽曲の放送禁止」に対する抗議活動であったと伝えられている。結果、フジテレビはFM東京とFM仙台に謝罪し、タイマーズも3年間「フジテレビ出入り禁止」の処分となった。 本事件は、今でも語り継がれている重大な放送事故案件だが、『ヒットスタジオR&N』のプロデューサーやタイマーズのメンバーは「そんなに大きな問題だとは思っていなかった」と懐柔しており、特に番組プロデューサーは大喜びで、タイマーズの過激パフォーマンスに終始ニコニコしていた、という。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2019年05月25日 23時00分
平家盛伝説 実は壇ノ浦の合戦の後で五島列島に逃げていた!?
「平家にあらずんば人にあらず」は有名な言葉だ。平家最後の頭領となり一時は栄華を手にした平清盛。彼は若い頃、粗暴でありたびたび問題行動も起こしていたため、若い頃は彼がそのまま頭領になることに反対する者も少なくなかったという。 そこで白羽の矢が立ったのが清盛の異母弟・平家盛だった。家盛は御輿(みこし)に矢を射るなど粗暴な行為で評判を悪くしていた兄・清盛に代わり、周囲の推薦もあり頭領になる可能性が出てきた。だが、持病を押して鳥羽法皇の熊野参詣に随行したところ、帰京の途中に宇治川流域の落合で病状が悪化し、命を落としてしまう。 こうして、清盛の頭領は確実になるのだが、あまりにタイミングの良い家盛の死について「御輿に矢を射た清盛のせいだ!」「祇園社のたたりだ」という噂が流れることになった。 この家盛の早い死はのちのち、平氏の滅亡につながっていく。平治の乱によって、捕虜になった13歳の頼朝の顔が、家盛に似ているという池禅尼(家盛の実母であり清盛の継母)の懇願により、命を助けてしまう。この頼朝によって源氏が打倒平氏に動くことになるとは、清盛は思っていなかっただろう。前述の家盛が亡くなった際に「たたり」という言葉が出てくるが、むしろ神が入っているとみなされている御輿に矢を射てしまい、神の怒りを買ってしまい、清盛の代で平家が滅亡する結果につながったとも言えるのではないだろうか。 なお、長崎県・五島列島の宇久島には家盛の銅像がある。実は壇ノ浦の合戦の後、平家盛と名乗る人物が一門と一緒に逃れてきたという伝説があるのだ。家盛は、宇久次郎家盛と名乗り、宇久氏(五島氏)の祖先となったとされている。果たしてこの家盛と名乗る人物は本物だったのだろうか? まず家盛が死んでからかなり年月が経っている上に、もし家盛が頭領の相続争いに負けて隠居の道を選んでいたとしても、後の政争に巻き込まれて謀殺・誅殺された可能性の方が高い。であるから、彼は重盛の子であり名前の似ている平有盛の間違いではないかという説も出ている。ただ、家盛が密かに生きていたと解釈するほうがロマンチックではあろう。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年05月19日 23時00分
日本最大の古墳に埋葬されているのは誰なのか?巨大古墳に隠された大きなミステリー
ユネスコの世界文化遺産に大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」が登録される見通しとなったと5月14日、文化庁が発表した。ユネスコの諮問機関イコモス(ICOMOS)が「(世界遺産一覧表への)記載が適当」と勧告したとのことだ。 さて、百舌鳥・古市古墳群は2つの地域に分かれた45件49基の古墳群をさす。造られたのは古墳時代の最盛期だった4世紀後半から5世紀後半にかけて。代表的な前方後円墳を筆頭にさまざまな大きさの古墳が点在しており、大阪府堺市の百舌鳥地区に23基、羽曳野市・藤井寺市の古市地区に26基が存在する。現存するこれらの古墳群は、傑出した古墳時代の埋葬の伝統や、社会・政治的構造を証明するものであり「顕著な普遍的価値を備えている」と判断されたとのことだ。 さて、この古墳群には有名な古墳も含まれている。日本最大の古墳、大仙陵古墳だ。墳丘部分の長さは480メートル、後円部の直径が250メートル、高さ36メートル、前方部の幅が305メートル。世界でも類を見ない規模の墳墓だ。 みなさまの中には、この大仙陵古墳について「仁徳天皇陵古墳」と習った人もいるのではないだろうか。古代の文献によれば、仁徳天皇の崩御後に古事記では「毛受之耳原(もずのみみはら)」、日本書紀では「百舌鳥野陵(もずののみささぎ)」に葬られたとある。また、平安時代の法令集「延喜式」によると、仁徳天皇は「百舌鳥耳原中陵」という広大な敷地を持つ墳墓に葬られたとされている。「延喜式」では北側に反正天皇陵、南側は履中天皇陵があるとしているため、位置関係から考えても、大仙陵古墳に埋葬されているのは仁徳天皇だとみなされていたことが分かる。 しかし、現代の考古学調査によれば、仁徳天皇の子・履中天皇の墳墓とされる上石津ミサンザイ古墳が百舌鳥古墳群の中では最も古いことが判明している。一方の大仙陵古墳は墳丘上に残された円筒埴輪の形式から、5世紀の半ばから後半にかけて造られたと考えられている。仁徳天皇が4世紀前半に崩御したという記述と比較すると、半世紀ものズレが出てきてしまうのである。 それでは大仙陵古墳に葬られているのは誰なのか。現在、大仙陵古墳は歴代天皇や皇族も参拝しており、宮内庁が管理しているため学術的な発掘調査が不可能となっている。そのため、調査は進まず埋葬者は不明のままだ。 だが、2018年になって宮内庁は古墳保存のため、堺市などと共同で発掘調査を進めると発表。同年11月には埴輪などが新たに発見されている。世界遺産登録をきっかけに調査が進めば、謎めいた巨大古墳の真実が明らかになっていくかもしれない。(山口敏太郎)
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ミステリー 2019年05月18日 23時00分
桂原古墳に「飛行するロケット?」の壁画がある?
世界各地で発掘される古代遺跡の中からは時おり、当時の人は考えつかなかったであろう「未来の技術」の産物に似たものが発掘されることがある。例えばマヤ・アステカの墳墓から出土した石棺のふたには、コクピットに座る宇宙飛行士のような人の姿が彫刻されていた。また、日本の斜光器土偶は、その独特な姿から、宇宙飛行士をモデルにしているのではないかとする説が存在していた。 熊本県不知火町の桂原古墳では、”飛行するロケットの壁画”が発見されている。こちらはジャガーバックス発行の「宇宙人のなぞ」にある日本の宇宙遺跡分布図で紹介されていた。懐疑派、否定派では誰もツッコミを入れていないので、山口敏太郎が指摘を入れてみる。 3000年以上前の壁画と推測されるこのロケット図は、宇宙人が古代日本に渡来した証拠だと言われている。だが、同じ桂原古墳で発見された壁画を見ると、船とイルカの線画もあり、ロケットではなく南太平洋で使用されているカヌーの絵だと推測できる。 桂原古墳は、海に向かって口を開く石室が主流で、彼らの死生観が海に向けられていたことが分かる。海の向こう、誰も知らない水平線の果てに浄土や楽土があるとする考え方は珍しくない。沖縄ではニライカナイと呼ばれる、神の住まう楽土と冥土が合わさったような場所が水平線の向こうにあると考えられていた。 同地で目撃される不知火にも、多くの不思議な逸話がある。 不知火はアイヌ語で”宇宙から降りてくる光“、あるいは“天かける船”という意味であり、太平洋戦争の末期には不知火海上で原因不明の戦闘機墜落事故が相次いだとされている。このエピソードを受けて「九州大学のUFO研究グループがプリズム分光器を使って、不知火と不知火海上に出現したUFOの発光を分析したところ、同じ不連続波長が出た!」という話が同書には記されている。 おそらく不知火の中にはUFOが混じっており、UFOに惑わされて戦闘機墜落事故が起きたということなのだろう。しかし、そもそも最初に目撃されたUFOは、不知火と見間違えたのではないだろうか。最初に目撃されたUFOが不知火であれば、不知火と同じ不連続波長が出ても不思議ではない。もちろん、不知火そのものが蜃気楼の一種であることは、ほぼ確定的なことだ。不知火を知らなかった海外の戦闘機であればいざ知らず、地元の戦闘機乗りが勘違いして操縦を誤ったとは考えにくい。 昔の子供向けオカルト本には、このように当時の読者を楽しませる目的で誇張した記述が多かったのである。(山口敏太郎)
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レジャー 2019年05月18日 21時30分
素材のセッティングミスで大惨事! 放送局が謝罪する事態に【放送事故伝説】
最近ではあまり聞かれない話だが、昭和の時代は「放送素材のセッティングミス」による放送事故が数多くあった。 特に、有名かつ伝説となっているのがテレビアニメ『鎧伝サムライトルーパー』(1988年〜1989年)における「二重放送事故」である。 これは1988年(昭和63年)9月3日、テレビ局のミスで『サムライトルーパー』の全く同じエピソード(第17話『明かされた鎧伝説』)を2週に渡って放送してしまった事故で、放送から30年が経過した今も『サムライトルーパー』といえば、この放送事故が触れられるなど、伝説的な扱いをされている。 この事故の原因は、キー局の名古屋テレビが放送するべきテープを間違えてセットしてしまったためで、その回のエンディングと次回予告時の2回、画面下部にお詫びのテロップを挿入するという緊急措置を行った。 さて、そんな「放送素材のセッティングミス」だが、サムライトルーパー事件の約1年後の1989年、予告していた映画を放送局のミスで違う映画を流してしまうという事件が読売テレビで発生した。 1989年2月8日、読売テレビはフランス映画の名作『レ・ミゼラブル』(1957年版)を放送する予定だった。1957年版の『レ・ミゼラブル』はフランス映画の大スターであるジャン・ギャバンが主演した作品で、古典映画の名作として今もタイトルが挙がる一本である。 映画ファンは『レ・ミゼラブル』の放送を見逃さないようテレビにかじり付いていたのだが、数分後、彼ら映画ファンの期待は脆くも崩れ去ってしまう。 実際に放送された『レ・ミゼラブル』は『レ・ミゼラブル』でも、1978年にイギリスで放送されたテレビ映画版の『レ・ミゼラブル』であり、全く違う映画を放送してしまったのである。 この放送事故の原因は、テレビ局から注文を受けた映画配給会社が間違えて届けたフィルムを、読売テレビのスタッフがろくに確認もせず、間違えて放送してしまったのだという。 読売テレビは謝罪し、後にジャン・ギャバン主演の『レ・ミゼラブル』を改めて放送するに至っている。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2019年05月12日 23時00分
木曽義仲の使った火牛の計は嘘だった?
源平合戦には、多くの魅力的な合戦シーンがあった。那須与一の扇を射抜くシーンや、壇ノ浦で義経が見せた八艘(はっそう)飛びなど、今でも多くの人が思い浮かべられるシーンは多い。中でもインパクトが大きいものは、倶利伽羅(くりから)峠の「火牛の計」だろう。 『源平盛衰記』にも描かれているこのシーンは、倶利伽羅峠で源義仲が、5万の軍勢で約10万と、数で勝る平家討伐軍を打ち破った。その勝利の背景には「牛の角に松明(たいまつ)をつけて敵中に向けて放つ」という「火牛の計」という策が存在したというものだ。 『源平盛衰記』には以下のように書かれている。 「牛四五百疋取り集て、角に続松結付て、夜の深るをぞ相待ける。……時を合せよとて、四五百頭の牛の角に松明を燃して平家の陣に追入つゝ」 400〜500頭もの牛が、夜の闇を切り裂いて敵陣に突っ込む。しかも、どの牛の角にも松明が燃え盛っている…なんともダイナミックな戦闘シーンだ。 しかし残念ながらと言うべきか、当然と言うべきか、この「火牛の計」は創作である可能性が高いと言われている。 牛は臆病な動物であり、非常に目も悪い。頭に火を近づけられると動けなくなるか、混乱して暴れてしまうというのだ。400〜500頭もの牛に松明をつけるだけでも相当時間がかかるのに、牛がおびえて暴れてしまっては自陣が混乱に陥るだけ。作戦どころではなくなってしまう。 また当時、牛馬は物資運搬に用いることができる貴重な軍事資源の一つでもあった。そんな牛を大量に無駄遣いするような策を、当時の戦況でやすやすと実行できるわけがない。 現在、この「火牛の計」は、中国戦国時代に斉国の武将・田単(でんたん)が用いた「火牛の計」のエピソードを下敷きにし、後世になって追加・脚色されたものであろうと考えられている。田単の「火牛の計」は、角に剣、尾に松明をくくりつけた牛を敵陣に放つというもので、突進する牛の角の剣が敵兵を次々に刺し、尾の炎が敵陣に燃え移って大火災を起こすという、火計にアレンジを加えたものである。 この場合、牛は火を目にしてもおびえることはないし、尾の炎も策を仕掛ける直前につければ自軍に影響が出ることもない。また、文字通り尻に火がついた牛が敵陣に向けて真っすぐ走っていくというのも、考えられなくはない。もっともこの策も、牛を使いすぎると失敗する場合もある。自軍への被害の方が大きくなる可能性があるので、実際は小規模なものだったとみられている。 そもそも敵の虚をつき、攻め込むきっかけを作り、自軍に有利に戦局を動かすことができれば策としては十分に成功と言えるだろう。実際の策や計略においては、ドラマチックさやダイナミックさは二の次と考えた方がいいのかもしれない。(山口敏太郎)
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