さて、百舌鳥・古市古墳群は2つの地域に分かれた45件49基の古墳群をさす。造られたのは古墳時代の最盛期だった4世紀後半から5世紀後半にかけて。代表的な前方後円墳を筆頭にさまざまな大きさの古墳が点在しており、大阪府堺市の百舌鳥地区に23基、羽曳野市・藤井寺市の古市地区に26基が存在する。現存するこれらの古墳群は、傑出した古墳時代の埋葬の伝統や、社会・政治的構造を証明するものであり「顕著な普遍的価値を備えている」と判断されたとのことだ。
さて、この古墳群には有名な古墳も含まれている。日本最大の古墳、大仙陵古墳だ。墳丘部分の長さは480メートル、後円部の直径が250メートル、高さ36メートル、前方部の幅が305メートル。世界でも類を見ない規模の墳墓だ。
みなさまの中には、この大仙陵古墳について「仁徳天皇陵古墳」と習った人もいるのではないだろうか。古代の文献によれば、仁徳天皇の崩御後に古事記では「毛受之耳原(もずのみみはら)」、日本書紀では「百舌鳥野陵(もずののみささぎ)」に葬られたとある。また、平安時代の法令集「延喜式」によると、仁徳天皇は「百舌鳥耳原中陵」という広大な敷地を持つ墳墓に葬られたとされている。「延喜式」では北側に反正天皇陵、南側は履中天皇陵があるとしているため、位置関係から考えても、大仙陵古墳に埋葬されているのは仁徳天皇だとみなされていたことが分かる。
しかし、現代の考古学調査によれば、仁徳天皇の子・履中天皇の墳墓とされる上石津ミサンザイ古墳が百舌鳥古墳群の中では最も古いことが判明している。一方の大仙陵古墳は墳丘上に残された円筒埴輪の形式から、5世紀の半ばから後半にかけて造られたと考えられている。仁徳天皇が4世紀前半に崩御したという記述と比較すると、半世紀ものズレが出てきてしまうのである。
それでは大仙陵古墳に葬られているのは誰なのか。現在、大仙陵古墳は歴代天皇や皇族も参拝しており、宮内庁が管理しているため学術的な発掘調査が不可能となっている。そのため、調査は進まず埋葬者は不明のままだ。
だが、2018年になって宮内庁は古墳保存のため、堺市などと共同で発掘調査を進めると発表。同年11月には埴輪などが新たに発見されている。世界遺産登録をきっかけに調査が進めば、謎めいた巨大古墳の真実が明らかになっていくかもしれない。
(山口敏太郎)