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座敷童が住む「緑風荘」 再建後、“でる”「槐の間」が解放 取材後に珍事も

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取材者を囲むオーブ

岩手県二戸市にある旅館「緑風荘」。美しい自然に囲まれた温泉旅館は、南北朝時代から続いているまさに、老舗中の老舗だ。古い歴史だけでなく、この宿には一部の人々からとても有名だ。理由は「座敷童」が出てくるからだ。リアルライブ取材班は緑風荘に泊まり、現当主の五日市洋さんに単独インタビューを実施。座敷童がいて良かったこと、火事からの再建など話を聞いた。

―まず、緑風荘の歴史について教えてください。

座敷童に関しては、先祖がもともと南北朝で南朝に仕えていたのですが、北朝に追われて逃げてきました。道中で6歳の男の子「亀麿(かめまろ)」が病で亡くなってしまいます。亡くなる直前、「末代まで家を守る」と言い残したそうで、その後に守り神「座敷童」として、奥座敷の「槐(えんじゅ)の間」に 現れるようになったと言い伝えられています。そこから始まりました。

ー座敷童について、どのように思っていましたか。

「槐の間」の前を通るときは怖くてドキドキしていました。

―昔から、座敷童を目当てにして、来訪される方は多かったのでしょうか。

昔は知る人ぞ知るという感じで、「槐の間」に泊まりたいという人はまれでした。原敬元総理が宿泊したことで、ご利益があると有名になったようです。噂が少しずつ広まって、いろいろな方が泊まるようになっていきました。
以前は客間として使っていましたが、火事のあとは泊められないようしました。その代わり、誰でも自由に出入りできるようにしています。座敷童は「部屋に出る」のではなく「人に出る」と言われていました。だから、どの部屋に泊まっても、会える人は会えるみたいです。気に入った人の部屋に遊びに行くような感じみたいですね。
緑風荘にある「槐の間」

―座敷童は一人なのでしょうか。それとも、何人かいて、いろいろな部屋に出てくるのでしょうか?

亀麿は一人ですが、仲間はいるみたいです。いまはすごい人数がいるという話もきいたことがあります。

―座敷童がいて良かったと思うことはありますか。

家の守り神ということでありがたいものなのでしょうけど、正直ピンときていませんでした。火事で旅館や家が全焼したんですが、お客さん、従業員、家族はけがもなく無事だったので、本当に守られたんだなと感じています。

―全焼するほどの火事でけが人がでなかったのは、本当に守ってくれたからですね。

でも、再建するまで7年半かかりました。火事になったときは、新しくしろということかなと思い、気長に再建していくつもりでした。そんなにかからないだろうと思っていましたが、実際にはいろいろな問題が出てきて、結局再建まで7年もかかることになったわけです。
火事になったときはマスコミ対応に追われて、辟易していました。でも、ニュースが海外にまで発信されて、再建を待っている方が日本だけでなく、海外にもいらっしゃるということを理解しました。
緑風荘のエントランス

―近くにある亀麿神社は無事でしたか。

神社は無事です。近所の方は着物を着た人が神社に逃げていくところを見たという話も聞きました。

―最後に、これから宿泊を考えている方に何かメッセージをいただけますか。

皆さん、座敷童に会いたくて、来ていただけるのはありがたいことです。目に見えないので、信じるか信じないかはその人次第ですが、私たち従業員は本当にいると思っているので、興味のある方は、ぜひいらしてください。

取材者が泊った際、名刺入れが行方不明になる珍事があった。しかし、数週間後、名刺入れが見つかった。泊った人の体験談の中にも、旅館で物をなくしたけど出てきたというものがある。この珍事ももしかしたら座敷童のいたずらか。富や幸運の象徴でもある座敷童。幸運の前触れだといいが。

取材・文/リアルライブ編集部
現当主の五日市洋さん

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