独自
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社会 2025年06月28日 12時00分
80年前の沖縄決戦末期 砲撃指揮者、米軍司令官を打ち取る
80年前の1945年3月末から始まった沖縄戦は、米軍が日本軍を沖縄本島南部に圧迫し、終盤に向かっていた。運命の6月18日13時15分糸満市真栄里の小高い丘を視察に来た第10軍最高司令官サイモン・B・バックナー中将が砲撃にあい戦死した。リアルライブ編集部は、独自調査で慰霊碑を訪れた。戦死現場の慰霊碑は、傾斜の急な階段を上った頂上左側にあり、木々の隙間を通して、日本軍が砲撃をしたと思しき南方の低い山並みを望むことができる。砲撃を指揮した石原正一郎中隊長は、親交のあった沖縄戦研究家の上原正稔氏に次のように話したという。「真北の断崖上の大物を狙え。全弾発射!」と命令を下した。榴弾砲2門が次々と発射され初弾が目標地点に命中し、黒い煙が上がった。全弾を射尽くす前に敵の反撃が始まった。砲弾がビュンビュン飛んできて、一発の敵砲弾が榴弾砲の端に命中し、その榴弾砲は使えなくなった。石原中隊長は砲弾の破片で腰を負傷し、動けなくなり、米兵に捕まり、野戦病院で手術を受けたそうだ。東京で病床に伏していた石原氏に、沖縄テレビの山里孫在記者が戦後60年企画でインタビューした。石原氏は「砲弾も残り少なくなり、米軍の大物を探していたら、一見偉そうな一団が現れ、これだと思い発射を命じた。ダメージを与えた感触はあった。戦後になって、相手がバックナー司令官だと分かった。上原氏の導きで将軍の遺族と石原氏は恩讐を越えて和解している。摩文仁の洞窟に篭る日本軍第32軍司令部がバックナー中将の戦死の報を知るのは、3日後の21日夜になってからである。八原博通高級参謀(作戦主任)の手記「沖縄決戦」によると、参謀総長、陸軍大臣連名の決別電報で知ったと記している。アメリカ第10軍司令官の死は我々にとって初耳で有り、驚愕すべきビッグニュースであった。私はわが牛島(満)将軍の自決(6月23日)に先立ち、敵将を打ち取ったことに無上の愉悦を感じた。沖縄作戦に、わが日本軍が勝ったかのような錯覚を覚えたほどである。バックナー米陸軍中将は第二次世界大戦で倒れた最高位の軍人となった。6月19日には陸軍96歩兵師団クローディアス・M・イーズリー准将も狙撃されて戦死し、慰霊碑も隣接して建っている。この地は、米軍にとっては将軍2人が戦死する呪われた地となった。九六式十五糎榴弾砲バックナー中将を砲撃したとされる野戦重砲兵第1連隊(連隊長・山根忠大佐)の九六式十五糎榴弾砲は靖国神社遊就館に展示されている。取材・文/照屋健吉 リアルライブ編集部
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社会 2025年06月21日 12時00分
西田参議院議員「アメリカが入ってきて沖縄は解放された」発言に強いハレーション ひめゆりの塔で歴史認識、再確認
筆者は、沖縄の梅雨明け宣言の日となった6月8日にひめゆりの塔を訪れた。苑内(えんない)に入るとガジュマルの大木の枝が、照り付ける太陽を遮り、清涼な空気に満ちて、霊域であることを実感させる。リアルライブ編集部は、ひめゆりの塔について独自取材を実施。西田昌司参議院議員が沖縄で開かれた憲法シンポジウムの講演で「ひめゆり平和資料館の説明ぶりは日本軍が入ってきてひめゆり隊が死に、アメリカが入ってきて沖縄は解放された」と発言したと報じられ、全県的に強いハレーションを引き起こした。県議会、市町村議会が抗議決議をし、石破茂総理が玉城デニー沖縄県知事に陳謝する事態となった。思い付きで事実と異なることを受け狙いで公言することは、厳に慎むべきで言うまでもない。この批判の大合唱について西田議員は月刊誌「正論」7月号で「発言訂正の真意」と題する釈明の寄稿をしている。その肝は、「アメリカが入ってきて沖縄は解放された」という歴史認識が問題というものだと思った。ひめゆりの塔平和祈念資料館沖縄戦の住民の体験記などを調べると、軍と協力して米軍と必死に戦ったとする一方で、沖縄南部に避難した人々が隠れたガマ(壕)を日本兵によって追い出され戦場をさまよい、なけなしの食料を強奪。果てはスパイ容疑で味方と頼った兵士に殺害されたとの証言がみられる。沖縄県公文書館所蔵写真言論統制下に常勝日本軍と喧伝し、住民が頼った兵士が、戦場で住民に牙をむく。住民は失望を通り越して、裏切られたと怒りを引き起こし、味方が敵だったとの認識を与えるものだろう。米軍は戦場で物量に任せて無慈悲に殺りくする一方、投降した住民や兵に対して、食料を与えて保護したのだ。勝者の余裕と宣撫工作という側面は否定できないが、戦場の体験は間違いなく日米兵士の違いを認識させるものだ。沖縄県公文書館所蔵写真平和資料館は否定しているが、現象面では日本軍が入ってきて、必死に傷病兵の看護をしたひめゆり学徒隊が死に、アメリカが沖縄を解放したと言える側面は否定できない。歴史は、事実を基に組み立てられるべきで、たとえそれが受け入れがたいものであっても、未来への警鐘として甘受するべきだと思う。筆者は京都選出の野中広務元官房長官から「タクシー運転手が、嘉数のあの場所で妹が日本兵に殺されたと泣いて訴えた」と聞いた。京都出身兵は宜野湾市嘉数台で勇猛果敢に戦い多くが倒れ、沖縄戦全体で2536柱が京都の塔に祭られている。西田議員の発言には、野中氏が草葉の陰で泣いていると言わざるを得えない。取材・文/照屋健吉 リアルライブ編集部
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社会 2025年06月14日 12時00分
実名報道と匿名報道 人権意識の高まりで、実名公開に二の足踏む警察・報道
沖縄の新聞が事件事故に関して紙面では実名報道を原則としながら、ネット記事では匿名報道をしているのはなぜかと疑問が寄せられた。初めに沖縄の新聞社の事情についておさらい。沖縄本島には創業130年を超す老舗の琉球新報、戦後に創業した沖縄タイムスの2社がある。販売部数、売り上げが拮抗するライバル関係にあり、ともに共同通信の配信を受けている。取材、販売競争をする一方で、購読料金は同額、休刊日を同日にするなど談合ともいえる体質だ。沖縄タイムスはコロナの持続化給付金の不正受給詐欺で逮捕された社員を匿名にしたことで批判をされ、下記のように釈明している。「インターネット上では、一度掲載すると情報が拡散されて長く掲載され、全てを消すことが困難です」警察の逮捕で容疑者として実名で報じた後、不起訴や裁判で無罪になるケース、刑期満了後もネット上に長く残り続ける事で当事者が不利益や迷惑を被る恐れがあるともしている。この態度は、社員容疑者に対す態度としていかがなものかと疑問を感じる。一方で例外として政治家や幹部公務員などの公的立場の人、有名人の事件事故、社会的に甚大な影響を及ぼすような殺人、連続強姦、放火、子どもが巻き込まれるような重大事件では実名で報道することもあると言い訳もしている。ライバルの琉球新報の編成局長に見解を聞いたが、現時点で返答がなく社の方針を聞けなかった。代わりに事件事故報道経歴の長い部長級ベテラン記者に実情を聞くことができた。最近の傾向として警察の事件事故匿名広報が増えていることに一端があると答えている。このように警察が及び腰になっている理由は、逮捕検察送致後に釈放されるケースがあることを挙げ、また、刑事裁判まで行って無罪になった場合、被告とされた人が報道を取り消すよう求めてもネット報道は取り消しが困難で、消去不可能なデジタルタトゥーとなる恐れがあると話している。筆者が地元沖縄の記者をしていた20~30年前には、警察は交通事故や米軍関係で逮捕者が出た場合、実名でためらうことなく広報し、記者も疑問を持たず警察情報を記事化していた事を思い出す。デジタル化と人権意識の高まりで、時代に合わせて警察広報、マスコミ報道も変容してきたと言えそうだ。取材・文/照屋健吉 リアルライブ編集部
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ミステリー 2025年05月24日 11時35分
座敷童が住む「緑風荘」 再建後、“でる”「槐の間」が解放 取材後に珍事も
岩手県二戸市にある旅館「緑風荘」。美しい自然に囲まれた温泉旅館は、南北朝時代から続いているまさに、老舗中の老舗だ。古い歴史だけでなく、この宿には一部の人々からとても有名だ。理由は「座敷童」が出てくるからだ。リアルライブ取材班は緑風荘に泊まり、現当主の五日市洋さんに単独インタビューを実施。座敷童がいて良かったこと、火事からの再建など話を聞いた。―まず、緑風荘の歴史について教えてください。座敷童に関しては、先祖がもともと南北朝で南朝に仕えていたのですが、北朝に追われて逃げてきました。道中で6歳の男の子「亀麿(かめまろ)」が病で亡くなってしまいます。亡くなる直前、「末代まで家を守る」と言い残したそうで、その後に守り神「座敷童」として、奥座敷の「槐(えんじゅ)の間」に 現れるようになったと言い伝えられています。そこから始まりました。ー座敷童について、どのように思っていましたか。「槐の間」の前を通るときは怖くてドキドキしていました。―昔から、座敷童を目当てにして、来訪される方は多かったのでしょうか。昔は知る人ぞ知るという感じで、「槐の間」に泊まりたいという人はまれでした。原敬元総理が宿泊したことで、ご利益があると有名になったようです。噂が少しずつ広まって、いろいろな方が泊まるようになっていきました。以前は客間として使っていましたが、火事のあとは泊められないようしました。その代わり、誰でも自由に出入りできるようにしています。座敷童は「部屋に出る」のではなく「人に出る」と言われていました。だから、どの部屋に泊まっても、会える人は会えるみたいです。気に入った人の部屋に遊びに行くような感じみたいですね。緑風荘にある「槐の間」―座敷童は一人なのでしょうか。それとも、何人かいて、いろいろな部屋に出てくるのでしょうか?亀麿は一人ですが、仲間はいるみたいです。いまはすごい人数がいるという話もきいたことがあります。―座敷童がいて良かったと思うことはありますか。家の守り神ということでありがたいものなのでしょうけど、正直ピンときていませんでした。火事で旅館や家が全焼したんですが、お客さん、従業員、家族はけがもなく無事だったので、本当に守られたんだなと感じています。―全焼するほどの火事でけが人がでなかったのは、本当に守ってくれたからですね。でも、再建するまで7年半かかりました。火事になったときは、新しくしろということかなと思い、気長に再建していくつもりでした。そんなにかからないだろうと思っていましたが、実際にはいろいろな問題が出てきて、結局再建まで7年もかかることになったわけです。火事になったときはマスコミ対応に追われて、辟易していました。でも、ニュースが海外にまで発信されて、再建を待っている方が日本だけでなく、海外にもいらっしゃるということを理解しました。緑風荘のエントランス―近くにある亀麿神社は無事でしたか。神社は無事です。近所の方は着物を着た人が神社に逃げていくところを見たという話も聞きました。―最後に、これから宿泊を考えている方に何かメッセージをいただけますか。皆さん、座敷童に会いたくて、来ていただけるのはありがたいことです。目に見えないので、信じるか信じないかはその人次第ですが、私たち従業員は本当にいると思っているので、興味のある方は、ぜひいらしてください。取材者が泊った際、名刺入れが行方不明になる珍事があった。しかし、数週間後、名刺入れが見つかった。泊った人の体験談の中にも、旅館で物をなくしたけど出てきたというものがある。この珍事ももしかしたら座敷童のいたずらか。富や幸運の象徴でもある座敷童。幸運の前触れだといいが。取材・文/リアルライブ編集部現当主の五日市洋さん
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社会 2025年05月17日 10時50分
豊かな海、埋め立てるべきか相克する沖縄
沖縄県浦添市西海岸に隣接するショッピングセンター「サンエーパルコ」から見下ろす海は、都市部に残る亜熱帯の豊饒(ほうじょう)な海である。この海が那覇港湾施設こと通称「那覇軍港」の移設先に決まり、49ヘクタールの広大な埋立て前の調査作業が進行中である。県内には自然が残る貴重な海を埋め立てるべきではないとの根強い反対論があるが、防衛省、県、那覇市、浦添市が2023年4月20日に那覇軍港の代替施設設建設「浦添軍港」に合意した。現在、防衛省が岩盤の強度を調べるボーリング調査などを実施している。リアルライブ編集部では、独自で現場取材を実施した。浦添軍港案 防衛省のホームページより事の始まりは、那覇市のど真ん中に位置し56ヘクタールの広大な面積を有する米軍那覇軍港を半世紀前に日米が返還合意したことである。返還に当たり、米軍が代替港湾施設を要求して行き先を見付けられずにいたのである。米軍は基地返還に当たっては基地機能の維持を理由に代替施設を要求する傾向がある。読谷村(よみたんそん)にあった電波傍受施設の楚辺通信所、通称「象の檻」は、キャンプハンセンの奥深くに移設された。普天間飛行場は移設条件が付き、市民運動の反対に直面しながらも辺野古で工事が進行しているのはご承知の通りだ。浦添軍港案広域 防衛省のホームページより米軍は陳腐化した基地機能の更新強化、日本政府は安全保障上のチョークポイントと言われる沖縄にアメリカ軍を引き止めるメリットがあるようだ。移設先の浦添市は、埋め立てを最小限にするために長い間、抵抗の姿勢を示していたが、南側に縮小して移設することを条件に防衛省、県、那覇市と合意にこぎ着けた。松本哲治浦添市長は、軍港受け入れは本意ではないとの意向をにじませながらも「返還されるキャンプキンザーの再開発への国、県の協力を得るために苦渋の決断だった」と話していた。一方で沖縄県の玉城知事は普天間基地の辺野古埋め立て移設には強く反対しているが、同じ海を埋め立てる浦添軍港には同意している。この矛盾した二重基準には支持母体から疑問が呈されている。代替地に選定された浦添西海岸は、陸地側の兵站基地、キャンプキンザーの返還が決まり、夕日が見える都市型リゾートとしての発展が期待されている場所である。市民のいこいの場となっている海を維持したいとする心の叫びの一方では、悪化する安全保障環境に協力することで得られる経済的利益の戦いが始まろうとしている。遠い将来に米軍の駐留が終わると港湾施設という巨大なインフラが残るメリットが救いかもしれない。取材・文/照屋健吉 リアルライブ編集部
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社会 2025年05月02日 19時29分
沖縄で新たなテーマパーク「JUNGLIA OKINAWA」今夏オープン パークエリアとスパエリアの2つで構成
沖縄県北部のテーマパークJUNGLIA OKINAWA(ジャングリア沖縄)が、いよいよ今年7月25日オープンする。不振の「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」を成功に導いた森岡毅氏が長年温めていた事業だ。リアルライブ編集部は、独自で現場取材を敢行した。森岡氏はUSJ執行役員時代に沖縄北部の自然環境を生かしたテーマパークを構想したが、同社の賛同を得られずに頓挫していた。独立した森岡氏は株式会社刀を設立、代表取締役兼CEOに就任、満を持してJUNGLIAを開業する。那覇空港から北に約80キロ、車で1時間30分、名護市、今帰仁村(なきじんそん)、本部町(もとぶちょう)にまたがるオリオンビールが所有していたゴルフ場跡地に場所を定めた。現場を見に行ったが、目隠しした工事現場には多くの車両が蝟集し、突貫工事で開業準備をしていることが分かる。沖縄北部は、美ら海水族館、熱帯ドリームセンター、やんばる国立公園(同、世界自然遺産)、ユネスコの世界文化遺産今帰仁城跡など、観光資源が眠っていると指摘されていた。その中では、全国の水族館で最も入場者(年間約360万人)を集める人気の美ら海水族館が孤軍奮闘しているのが現実であった。新たに、JUNGLIAが開業することで、観光客が劇的に増加すること期待されている。JUNGLIA は、主にパークエリアとスパエリアの2つで構成されている。パークエリアは、未開の原始林に恐竜が徘徊する未知の世界を再現するなど盛りだくさんのアトラクションを存分に楽しめるエリア。パークエリア、公式サイトよりスパエリアは、やんばるの山々と自分自身が溶け合うような贅沢を堪能できるエリア。1日かけて両エリアを楽しむもよし、2日滞在して1日ずつエリアを満喫するもよしのワクワク感一杯の施設、サービス内容となっている。スパエリア、公式サイトよりJUNGLIAの開業を当て込み本部町では道の駅を新たに整備する。久米島オーシャンジェット社も那覇本部間に高速のジェットフォイルを運行し、約50分で結ぶ計画を発表している。沖縄県の観光関係者は、観光客が来る可能性の高い北部で回遊する未来像を描くが、課題もある。沖縄県への観光客は宮古八重山の離島も加えて約1000万人であり、その内どれだけの観光客を吸引できるかである。また、東アジアに近い立地を生かしてインバウンド客を集めることが出きるかであろう。従来この地域は、美ら海水族館見学後の観光客が、宿泊に繋がらず地域振興の課題として久しく指摘されてきた。大型テーマパークの開業で宿泊客が増えるのではないかと期待する声は多い。あたかも細長い風船が根元までふくらむように。フードメニュー、公式サイトより取材・文/照屋健吉 リアルライブ編集部
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社会
80年前の沖縄決戦末期 砲撃指揮者、米軍司令官を打ち取る
2025年06月28日 12時00分
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社会
西田参議院議員「アメリカが入ってきて沖縄は解放された」発言に強いハレーション ひめゆりの塔で歴史認識、再確認
2025年06月21日 12時00分
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社会
実名報道と匿名報道 人権意識の高まりで、実名公開に二の足踏む警察・報道
2025年06月14日 12時00分
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ミステリー
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2025年05月24日 11時35分
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豊かな海、埋め立てるべきか相克する沖縄
2025年05月17日 10時50分
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社会
沖縄で新たなテーマパーク「JUNGLIA OKINAWA」今夏オープン パークエリアとスパエリアの2つで構成
2025年05月02日 19時29分