独自
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芸能 2025年09月26日 18時00分
TKO・木下、篠宮との一件を明かす 目標は「タイと日本のハブ」 挑戦に対する厳しい声には「どうでもいい」
タイ移住を発表し、着いた早々に僧侶コスプレしたことで批判され、炎上したのお笑いコンビTKO・木下隆行。最初の投稿こそ批判されたが、移住しての行動という点では新たな一歩を踏み出している。リアルライブ編集部は、渡航前に単独インタビューを実施。タイでの仕事や今後の展望、移住の決め手などを聞いた。ータイへ移住ですが、移住については前から考えられていたのでしょうか。昔からではないですね。今年に入って海外で何かやりたいな、一度の人生、海外で生活してみたいなという思いが出てきました。それで海外移住を決意しました。ータイへの決め手となったことはありますか。いろいろな理由はありますが、タイのエンタメって日本ではあまり知られていませんし、タイで有名になったという日本の芸能人も聞いたことがないです。例えば、アメリカなら渡辺直美やピースの綾部祐二、ニューヨークならキングコングの西野亮廣、シンガポールならオリエンタルラジオの中田敦彦みたいに先に行って活躍している人がいます。タイは好きな国ですし、まだ誰も現地で活躍していません。だから、活躍できて有名になれたらいいなと思いました。タイと日本のハブになれたらうれしいです。ータイでのお仕事ですが、ライブイベントを中心にするのでしょうか。それともテレビに出演されるのでしょうか。いま考えているのは、YouTubeやSNSを使うことです。向こうには日本人が約7万人いて、そこに向けてライブするのもいいかなと思っています。むこうで活動し始めたら、できることも広がっていくでしょう。ゆくゆくはメディアへの進出もあるかもしれないです。現地の制作の方と少し前に会いました。ータイでは、日本の芸能人は知名度あるのでしょうか。今はSNSやYouTubeがあるので、それなりには行き届いているのかなと思います。ただ、日本で活躍している芸能人がタイで人気あるかというと、そうではないと思っていて。僕は向こうでは知られていないでしょうね。向こうの人にもリーチできたらいいなと思って活動しようと思います。タイ語も勉強しています。―日本でも仕事を続けられると思うのですが、日本で仕事があるたびに帰国されるイメージでしょうか。もちろん、呼んでいただければ。片道5時間ですし、日本でも仕事ができたらうれしいです。でも、拠点はタイだと思っています。ー少し前のインタビューで永住する気はないと話されていましたが、永住予定はいまのところないのでしょうか。こればっかりは今決めることはできません。僕は日本にずっといると思っていました。でも、移住することにしました。その時の感情や気持ちを大事にしたいと思っています。もし、タイでブレイクすることができたら、シンガポール進出も考えます。新しい道が広がると思うとワクワクします。いくつになっても夢は持っていたいです。人生の後半に入っていますが、ワクワクすることは続けたいです。ータイ移住に関して日本では厳しい声も上がっていますが、どのように受け止められていますか。はっきり言いますが、どうでもいいと思っています。僕の人生ですし、僕は動くことが一番大事だと思っていますし、動いてなんとかしてきました。一歩踏み出した人が叩いてきたら、心も動くと思いますが、一歩も踏み出さない人から何を言われても響かないです。僕はちゃんと動きました。僕の友達は動いた人たちだらけですが、応援してくれています。それが答えですよね。ーオジーオズボーンの篠宮暁さんとの和解報道が2020年にあり、「ゼニイタチ」で仲直り企画としてパチンコにもいかれました。その後の関係性はどうなりましたか。僕のYouTubeチャンネルにもでてもらい、向こうのチャンネルにも僕が出演しました。僕が言うのは違うと思うのですが、許してもらって、和解できたと思っています。良好っていっていいのか分からないですが、前のような関係に戻れた、という認識です。ー今年のはじめに濱口優さんのパワハラ報道がありましたが、後輩としていかがでしょうか。YouTubeでもいいましたが、パワハラしているところは見たことがないですし、あの人悪やなと思ったこともないです。優しい面しか見てないので、正直びっくりでした。ーこれまでの人生でやらなければよかったと後悔したことがあれば教えてください。人生に無駄なしやっていつも言っています。篠宮にペットボトルを投げたことによって、仕事がなくなりました。いろいろ人が離れていったりもしましたが、手を差し伸べてくれた人もいます。そんな人たちは一生の付き合いになると思います。あのことがなければな、とは一切思いません。篠宮には申し訳ないことをしましたが、そのおかげで「世界で一番ペットボトルを投げない男」になりました。すべて自分の勉強です。同じ過ちは絶対繰り返したらあきませんよね。ペットボトルのことがあっても手を差し伸べてくれる人がいて、愛がある人がいっぱいると分かったので、今度は返していく番と思っています。TKO・木下隆行ー木下さんの今後の展望を教えてください。53歳で正直遅めの海外チャレンジだと思うんですが、僕に残された人生の中で今日が一番若い日と思って何事にもチャレンジを続けようと思っています。今回自分のわがままを許してくれた相方・木本(武宏)のおかげです。木本が「頑張ってこい」って言ってくれたので、裏切ったらあかんなと思っています。日本でもTKOとしてなにか大きいことができればと思っています。芸人の軸をぶらさずに海外でも何かできたらと思っています。オジーオズボーンについても嫌な顔せず話してくれた。その上で笑いに昇華する姿には好感が持てた。タイは日本の芸能界の未踏の地。日本の笑いが通用し、フロンティアとなれるのか、今後の活動に注目だ。
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トレンド 2025年09月19日 10時00分
料理は高い、会場は常に大混雑 「駆け込み」でカオスな万博は行くべきか
「EXPO 2025 大阪・関西万博」(万博)は来月13日の閉幕まで1カ月を切り、駆け込みの来場者で連日にわたって大混雑している。閉幕まで毎日「大変混雑」となり、週末にかけて来場予約の空き枠がない日も多く出現。総来場者数が20万人を超える日も多くなり、平日でも空いている日はない状況だ。今回、9月15日(月祝)に自腹で来場した筆者が、うそ偽りないカオスな現場をリポートしたい。まず、9月15日は来場予約の空き枠がない満員の日となった。万博では、「2カ月前抽選」「7日前抽選」「空き枠先着」と、人気パビリオンやイベントに予約申込できるのだが、当選するのは困難な状況が続いている。筆者も、全てで落選して何も予約できていないまま来場することになった。現在、万博では来場日時の予約が必須で、「9時〜」「10時〜」「11時〜」など、入場する時間の枠を獲得しなければいけない。筆者は「10時〜」の枠に予約したが、2時間前の8時に現地入りした時点で同じ時間帯の入場者の中段より少し前のポジション。入場は前倒して行われたが、会場に入ったのは10時15分ほどになった。ここから当日の空きが出ている枠を予約できるのだが、指定された入場から10分後にサイトにアクセスすると、30分待ちの画面が表示される。たまたま、並ぶことができたパビリオンの行列を待ちながら、なんとかアクセスしたがあまり人気がない国の、夜遅い入場権利を獲得できただけだった。20万人近い来場者の日では、有名なパビリオンは事前予約を獲得した入場者だけが楽しめる仕組みだ。不人気なパビリオンに入れないことはないが、それでも1時間以上待つことが多く、中には5時間待って入場するパビリオンもあったほど。「10時〜」に入場した筆者がこの有り様なので、それ以降の来場者はほとんど何も楽しめない状況になっていたことだろう。また、飲食ゾーンもかなり脆弱(ぜいじゃく)だ。パビリオンに付随している飲食店では行列ができ、1つ2500円以上するカレーを食べるのに1時間以上を要する。やっとの思いで買ったごはんも食べるところがなく、地べたに座って食事するしか方法がない。具があまり入っていない高額なカレーを、酷暑の中で地面に座って食べるのはかなり悲惨な状況だ。しかも、ドリンクを買おうにも行列で、多数の来場者で電波が悪くなり楽天ペイやPayPayがなかなかつながらない始末。全てをキャッシュレスにしている万博なのに、決済画面が開けないという不条理さは、かなり過酷だと言える。ちなみに、無料の給水所も大行列な上に、筆者が水を汲んだ時は生ぬるい状態だった。しかたなく飲んだが、おいしいとはいえない水に30分以上並んだことも報告しておく。こんな状態が夜の閉館まで続くのだが、最後の噴水ショーやドローンショーを見た上で帰宅すると、夢洲駅に着くまでに最短で1時間~2時間の行列に並ぶ必要がある。一度、行列に入ってしまえば抜け出すことも困難で、最後の最後で蒸し風呂状態の行列に並んで帰る試練が待つ。小さな子どもを連れた親子が周りにいたが、見ていてこちらが不憫(ふびん)になるほどに疲弊している様子だった。夢洲駅付近の混雑以上、取材申請もしないで1日券で行ってみた感想は、来場はおすすめしないということだ。もし行くにしても、パビリオンの予約が取れない可能性が高く、会場の雰囲気を楽しんで早めに帰ることをおすすめする。今回、開催前からいろいろと賛否両論があった大阪・関西万博。閉幕までのこれからの期間は、気軽に行けるようなイベントではないとだけお伝えする。
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芸能 2025年09月18日 17時00分
元ボーイフレンド・宮川英二、最大の挫折は「M-1グランプリ」 セカンドキャリアは、芸人やお笑いサークルの学生の就職支援 芸人の給料も赤裸々に語る
2021年にお笑いコンビ・ボーイフレンドを解散した宮川英二。現在は芸人やタレントのセカンドキャリア支援の仕事をしている。リアルライブ編集部は宮川に独自でインタビューを行い、芸人の生活面や挫折、セカンドキャリアの支援の仕事について話を聞いた。ー2021年にボーイフレンドが解散となりましたが、芸人人生を振り返っていかがですか。八王子のなんとも言えない場所に生まれました。それが都心に飛び出してお笑い芸人になり、いいタイミングでテレビに出たり、M-1グランプリで 準々決勝まで進め、なかなか見られない景色を見られたので、いい経験になったと思います。ー解散理由が家庭の事情とインタビューで答えられていますが、ぶっちゃけ生活面は苦しかったのでしょうか。厳しかったですね。アルバイトしなくていい瞬間が一度もなくて、妊娠・出産の時期には物理的にアルバイトにもいけなくなって。芸人の収入は少なく、基本的に二桁に届くかどうかで、アルバイトが二桁ちょっとみたいな感じでした。併せても20万円いくことはあまりなかったですね。コロナ禍のとき、生活が本格的に苦しく、妻の両親から援助を受けていたってことを知りました。それを告げられたとき、自分がやっていることは家族の笑顔になっていなかった、一番笑ってほしい家族を笑顔にできなかったのは、一番きつかったですね。結局2021年がラストでしたが、コロナは大きなターニングポイントでした。ー芸人人生で特に印象に残っている番組やライブ、イベントを教えてください。アメトークの「パクりたい-1グランプリ」にでたときですね。確か2012年ぐらいだったと思うんですが、僕らがメインでやっていた変わったツッコミがあります。相方がラップでボケて、僕が何度もたたくというようなツッコミを入れます。この番組で僕たちを知ってくれた方が多いですね。今している仕事で、大学生と話すことが多いんですが、その人たちがアメトークに出演していたことを覚えていてくれる人たちが結構いました。こういう反響があるとうれしいので、出て良かったなと思います。ー現在のお仕事についてですが、キャリア支援というのは具体的にどのような業務になるのでしょうか。芸能人のセカンドキャリアは、僕のような元芸人や俳優、アイドルを辞めた方が次のステージで活躍するために相談や紹介をしています。僕自身、後輩芸人から相談を受けることもあります。最近のケースだと、タイタンという事務所にいたダニエルズの望月隆寛君。僕が芸人時代に「有田ジェネレーション」で共演したことがありました。僕の地元が八王子で、彼の地元が多摩市ということで意気投合しました。解散後にダイレクトメールを送ったところ「一般職に就職したい」ということだったので、サポートしました。いろいろ相談にのっていると、すごく優秀だったので、一緒に仕事をしようということになり、今年から入社して、今同じチームにいます。もう一つ、メインでやっているのは大学生の就職活動サポートです。主に体育会系の学生が中心です。あとは、一番サポートしたかった、大学のお笑いサークルの子たちです。昨今、令和ロマンをはじめ、お笑いサークル出身の人たちの活躍がすごいじゃないですか。お笑いサークルのライブを見に行って、ライブ後に出待ちしてサポートが必要ないか声をかけています。ー若い人の支援に興味があられたんですね。今の仕事、4年目になるのですが、芸人時代はまったく知らなかった世の中の仕組みや会社の業種がやっと分かってきて、「こういう会社があるんだったら、こういう人を紹介できたらいいな」と考えられるようになりました。基本的な知識が身に付いたので、お笑いサークルの人たちの悩みを解決するお手伝いができたらと思っています。ー今までで一番大きな挫折はどんなことでしょうか。2021年のM-1の3回戦敗退ですね。その前の年は準々決勝まで進めました。2019年くらいから、妻に「そろそろ」っていう話は何度もされてきました。でも、僕は続けたかったです。2020年は準々決勝まで行けて、あと一つで準決勝でした。準決勝までいくと、敗者復活戦もありますし、決勝まで行ける可能性もあります。2021年は準決勝まで行きたかったんです。そうしたら妻にも「前年より上がってるよ」と言えて根拠も話せました。でも、3回戦で負けてしまって、それが辞めなきゃいけない理由になり、大きな挫折となりました。ー挫折した際、どうやって立ち直っていますか。僕は家に持って帰るのが嫌なタイプなので、家の近くのコンビニで発泡酒やアルコールを買って、一息ついて放出して、なくなったなと思ったら帰宅します。家族は「ただいま」で微妙なニュアンスを感じ取るみたいですが。だからM-1の結果は、帰った時に気が付いたみたいです。いまは家族と過ごす時間がリフレッシュになっていると気が付きました。近々家族でキャンプに行くので楽しみです。ーセカンドキャリアで実現したいことはありますか。エンタメ業界にいた方は、エネルギッシュな方が多いです。こういう人たちがいたら、会社に行くのも楽しくなるのかなと思っています。そんな方々を社会に送り出すサポートをしていきたいですね。ー今後のお仕事の展望を教えてください。ダニエルズの望月君と全国のお笑いサークル、アイドルサークル、劇団、体育会系のサークル、そういったところに所属している学生たちのサポートも親和性が高いです。アスリート系の学生やアーティスト系の学生を社会に出せたら、世の中がもっとエネルギッシュでハッピーで楽しい人たちが増えるんじゃないでしょうか。そんな社会を目指せる会社にしたいと思っています。自身の経験から、芸人を目指している若者たちの力になりたいと話す宮川。確かに、表舞台に立てる度胸のある人は、一般企業でも通用しそうだ。芸人時代の生活が大変だったので、仕事を軌道に乗せて、家族の時間が増やせるようにと祈るばかりだ。
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芸能 2025年09月16日 11時00分
misono、家族について「マジで気持ち悪い家族」 「⼦ども⾃然にできると思っていたけど……」と不妊治療の再開、明かす
歌⼿でタレントの misono にリアルライブ編集部は単独インタビューを実施。後編では、炎上への対処や姉・倖⽥來未がどんな存在かなど話を聞いた。ーmisono さんといえば炎上することが多かったと思いますが、炎上した時、どう対処されてきましたか。都度落ち込んで、傷付いています。明るくて元気だから、強いと思われてそうですが。よくいつ会っても笑ってると⾔われるんですが、実際は傷付いています。17 歳から 40 歳まで芸能界にいて、⽣き残れるには強くないと無理だと思うんですよね。それこそ⾃殺されたり、引退される⽅も多いですし。だからよく、芸能界に染まらず、汚い世界でよく汚れなかったねと⾔われます。今話題になってる枕営業や性接待なんかも全く通っていません。そこは恵まれているし、運が良かったと思います。うそ付かずに思ったことをしゃべるので、その分叩かれやすいです。こんな世界で⽣き残れて、すっごいレアと⾔われるので、⾃信につながっています。今も炎上したらへこむし、もう⼆度としたくないと思っています。結局なんの対処もできていないんです。賢かったらもっとうまく⽣られるんじゃないですかね。でも、たびたび炎上してお騒がせしてしまうし、炎上すると思っていないから、投稿したり⾏動しているんですけど。そしたら意外に炎上して、毎回びっくりしています。いつも落ち込んだ後、でも悪いことしてないし、ってところにメンタルがいって、で、また繰り返しちゃうみたいな。相変わらずアホで、懲りないし、何回も同じミスします(笑)。ー⽴ち直りが早いのでしょうか。それとも気にしないのでしょうか。めっちゃ気にします。だから⾝近な⼈からはDMやコメント欄を開くな、エゴサをするな、SNSがヘタだって⾔われます。だから、⽴ち直りが早いというか、考え⽅を切り替えるのがうまいのかもしれないです。炎上しても周りを⾒たらこんなにも味⽅がいるやん。本当に嫌われてたらこんなにいい友達いないし、とかネガティブなくせに前向きになれます。確かに30歳までは性格も悪かったんですけど、今これだけ misono のために動いてくれる⼈がいる訳だから、そういう意味では無敵やんって思っています。人脈が唯⼀の武器かもしれないです。ー改めてお姉さんの倖⽥來未さんは misono さんにとってどんな存在ですか。神。お姉ちゃんが倖⽥來未ってめっちゃいいなと羨ましがられるのですが、倖⽥來未だから⼤変っていうのもあります。misono の誇りで、お姉ちゃんにとっては⾃慢の妹。「misono が妹で本当に良かった」と⾔ってくれてるけど、炎上クィーンって呼ばれたり、いったん芸能界から離れて選挙に出⾺しようとしたので、たくさん迷惑や⼼配させてると思います。お姉ちゃんもお姉ちゃんで⼤変な思いをしてると思うけど、お姉ちゃんがどこいっても misono さんにお世話になっていますって⾔われて、「すごいよね」って LINE がきたこともあります。「普通いない⼈のこと話題に出さないよ」って。いつも自分のことのように喜んでくれるからうれしいです。ウチもお姉ちゃんが倖⽥來未で良かったとつくづく思います。お姉ちゃんは、死ぬまで歌い続けたい、ファンが⼀⼈になっても歌い続けたいと⾔ってて、そこも真逆だなと思います。ウチは死ぬまで歌い続けたくないし、ファンが⼀⼈しかいないなら歌いたくない。A 型と B 型で、考え⽅も違います。だから良かったのかなって。お姉ちゃんは歌って踊る、misono はバンドみたいな感じでした。歌⼿⼀本でやる姉と、マルチタレントとしていろんなことをやる妹だったから2人とも消えずに⽣き残れたし、お互いリスペクトし合えてるんじゃないかと思います。褒め合うからマジで気持ち悪い家族やと思います(笑)。ー今後の仕事の展望、実現したいことを教えてください。実は不妊治療を再開しました。40 歳なのでしんどいですが、ずっと⼦どもが欲しいと思っていました。子どもが好きなので、保⺟さんになりたいと思ってた時期もあります。⼦ども⾷堂や子ども宅食に寄付してるのもそういう理由です。チャリティーやボランティア活動を始めたのも、親のいない⼦どもたちの施設にお邪魔したのがきっかけなんです。休みにファンイベントを⼊れてたら、疲れちゃってたんですが、動物だけじゃなくて子どもたちや福祉の施設を支援するようになって、続けててよかったな、明⽇から頑張ろう、と元気をもらえました。⼦どももすぐにできると思っていたら、中々できなくて。Nosukeが精巣ガンと分かった時、抗がん剤を⼊れるので自然に作っちゃいけなくなりました。そのときに、精⼦と卵⼦を凍結しといたんです。misonoとNosuke⼀度、めっちゃ仕事で忙しいときに不妊治療して、100 万円くらい無駄にしました。順調に育ってたんですが、最後の注射を打ち忘れてしまって。それで全部無駄にしちゃいました。そして今また実業家としてやっていきたくて本業のお仕事も落ち着いているのでもう一度不妊治療に挑戦しようと思いました。飲⾷店とエステサロンについては、2024年のうちに5店舗なくなってしまったのですが「⼈類みな麺類」と「のだ麺」とコラボしたラーメン屋さんからリニューアルオープンしていくことになったので、一気に大変になりましたが(笑)最強で最高の家族がついているので、本当に幸せ者です。炎上について、気にしていないのかと思っていたら、気にしたり落ち込んでたりもするようだ。普段の明るく元気な姿は、周りの人からのサポートと、それに対する感謝があるからだと語る。⼦どもに関しては、今度こそ新しい家族ができることを祈るばかり。動物たちも祝福してくれるだろう。
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社会 2025年09月07日 12時00分
沖縄戦、9月7日降伏調印 サンフランシスコ講和条約までアメリカ軍統治下に
1945年9月2日、戦艦ミズーリ号で連合国が日本政府と降伏調印式を行い、太平洋戦争は正式に終結。その2カ月以上前の6月23日、沖縄守備の第32軍司令官牛島満中将が自決して沖縄戦は事実上の終わりを迎えたこととなる。沖縄は島嶼県で宮古島に陸軍第28師団と2個旅団、石垣島に陸軍1個旅団と海軍部隊(先島集団軍)、奄美大島に1個旅団と海軍部隊が残っていた。沖縄を占領したアメリカ陸軍は、終戦後、宮古島に輸送機を差し向けて、第32軍で生存していた最高位の先島集団軍司令の第28師団長納見敏郎中将を呼び出して嘉手納基地内で9月7日に、降伏調印式を挙行した。降伏文書バックナー中将が糸満市で戦死した後にアメリカ第10軍の後任司令官となったスティウェル大将が主催して納見中将、奄美群島守備の陸軍高田利貞少将、海軍奄美群島司令官加藤唯雄少将が降伏文書にサインをして日本軍が正式に降伏、武装解除に進むことになる。降伏文書を見ると降伏の範囲が緯度経度で示され、北緯30度の十島村口之島以南、東経122度尖閣諸島から東など、第32軍の守備範囲と思われる地域が示されている。口之島から南の十島村の島々は1952年サンフランシスコ講和条約により日本に返還されるまでアメリカ軍の統治下に入った。尖閣については、アメリカは戦後の早い時期に島々の測量を行い実効支配の基礎を築いた。測量はアメリカ海軍が主体となって行い、1951年5万分の1の地図が作成されて、複写が沖縄県立図書館郷土資料室に保管されている。アメリカ政府は、施政権は日本にあるが、主権の帰属は未定との立場をとっている。少なくとも、アメリカ軍は尖閣諸島が琉球(沖縄)の範囲に含まれていると理解していたと言えないだろうか。中国、台湾に配慮して国益を重視する国際関係の冷酷さを垣間見ることができる。さて、降伏文書にサインした納見中将のその後である。納見中将は師団司令部のある宮古島に帰り、1945年12月13日野原越司令部の宿舎で毒を仰ぎ自決した。自決の原因については、納見中将が上海憲兵司令官当時の俘虜取り扱いからBC級戦犯に指定されたからとの記述がみられるが、加えて、陸軍のエリート軍人としての誇りが捕虜となることを避けたためとも思われる。米軍嘉手納基地には1964年に降伏式が行われた場所に記念碑が建立された。降伏碑取材・文/照屋健吉 リアルライブ編集部
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芸能 2025年08月29日 20時30分
「UNtoinette」磨童まさを「人生を表すと炎上」 メン地下の優位性は「稼げる」と断言 言動とは裏腹に世界観を壊さない圧巻のパフォーマンス
アイドルグループ・UNtoinetteのメンバーで、プロデューサーでもある磨童まさを。メンズ地下アイドルになったきっかけや、地下アイドルの優位性、元ジャニーズにいた経歴などについて話を聞いた。ーメンズアイドルになったきっかけを教えてください。バンドやっていたんですが、友人の紹介で始めたという感じです。自分でプロデュースしてみたいと思いました。ー衣装も世界観が表れていて、凝ってるなと感じました。マリー・アントワネットをコンセプトにした世界観があるようにしています。分かりやすくいうと「MALICE MIZER」みたいなフランスの貴族のようなアイドルですね。UNtoinette Seesionーメーク時間もかかりそうですね。1時間から2時間かかってます。プロのメークやスタイリストがやってくれています。普通の地下アイドルグループはそこまでしないです。うちはちゃんとやってもらっています。ーメディアの露出が多いいわゆる地上のアイドルと比べて、地下の優位性はありますか。はっきり言いますと、地下の方が稼げます。地上はほぼ事務所に取られます。自分でプロデュースしているので100%収入になります。その分、制作しないといけないんですが、地下の方が稼げます。地下アイドルってバイト感覚でやってる人が多くて、アイドルを目指すより、稼ぎたいという人が多いです。一時期メン地下ブームがあったんですが、どんな子でも、サラリーマンの初任給を軽く超えてしまう。稼いでる人だと月200~300万円です。―収入源はチェキと聞きますが、本当でしょうか。チェキ産業といわれていて、原価が1枚二桁とかですが、1000円とか1500円で売れます。ー現在、チェキが買えないという話も聞きますが。中国人が買い占めていて、僕たちも入手に苦労しています。昔はヨドバシカメラや電器店で売っていたんですが。仕方がないので転売で買ったり、よそのグループからもらったりします。UNtoinetteーライブの意気込みはいかがですか。僕は天下を取ろうとしか思っていないので、意気込みなんかないです。―天下というのは、地下に限った話でしょうか。いえ、さっさと地下から上がりたいです。うちのグループは地下受けが悪くて。地下にいるけど、クオリティーは高いので。物販や接触やキスみたいなチェキ販売はやりません。アイドルとして見てほしいです。僕が作っているんですが、音楽もこだわっています。地下のファンって音楽を聞かなくて、推ししか見ていないんですよ。僕はグループ全体のコンセプトを好きになってくれるファンを増やしたくて、地上を目指しています。地下のてっぺんを取らないと地上に行けないので、地下のてっぺんを目指します。今いる地下の界隈は露出が少ないので、露出を増やさないと知ってもらう機会が少ないです。TikTokやXで万バズさせる必要があって。うちって定期的にバズっています。メディア出演して、露出を増やしたいです。UNtoinetteージャニーズにいらっしゃったとお聞きしたのですが、辞めた理由を聞いてもいいでしょうか。バンドマンになりたかったからです。それで一時期炎上系のビジュアルバンドをやっていました。人の曲をパクってやっていました。コンセプトが「曲を盗む」でした。「怪盗戦隊ヌスムンジャー」ってバンドで。炎上もよくしていました(笑)僕、炎上が好きで。僕の人生を二文字で表すと「炎上」です(笑)。―曲を盗むというとコピーとは違うのでしょうか。オマージュではなく、面白おかしくしています。元の曲を面白く分かりやすく、パロディーにします。それをやるとバズるんです。XやYouTubeでやっていました。でも、事務所に怒られて、裁判沙汰にもなりかけました。なんだかんだとちょいちょい成功しています。ーヌスムンジャ―を辞めた理由は。僕以外みんな脱退しちゃったからです(笑)。ージャニーズではバンドは難しかったんでしょうか。アイドルなんで、難しいですね。僕はビジュアル系バンドが好きなんで。だから、ヌスムンジャ―ではビジュアル系をパロディーしてました。ー盗むというかパロディーにする基準は何かありましたか。バズるかバズらないか。なるべく人気のところでしたね。UNtoinetteー大きな挫折をした際、どのように立ち直られてきましたか。挫折はないですね。自分は無敵だと思っています。メンタルが強いんです。僕の頭の中には「出世」しかないです。地位と名誉と権力が欲しいしか言わないです。付き合っていた時も「愛じゃなくて地位と名誉が欲しい」といっていました(笑)。ーバズったときの反響はインプレッションや再生回数以外に、何か別の形で現れますか。ライブの客が増えます。何回もバズっているので、これくらいの客が来るというのが体感で分かるようになりました。大体バズったあと3カ月後に客がきます。バズってから3カ月までいろいろ調べるんですよ。人によってはバズった直後にも来るんですが、大体増えるのは3カ月後です。ーUNtoinetteにはどんな方がいらっしゃるのでしょうか。一般人が多いです。アイドルを知らない、アイドルに興味ない方々です。お金もあまり使わないし。いわゆる“ザ・オタク”はお金を使ってくれるんですが、うちにはいろいろなジャンルから来られています。逆に、オタクは少ないです。ー一般の方に届くのがすごいですね。地下にいたくないので、大衆受けするコンテンツを重視しています。メン地下ファンではなく、大衆受けするようにしています。ーテレビも見据えているということでしょうか。テレビも出たいけど、僕が炎上系なので多分出られないです(笑)。ーアイドルとしての野望はありますか。野望って言うのかな。将来的にはアイドルだけで終わりたくなくて、政治家をめざしています。へずまりゅうも迷惑系から政治家になりました。インフルエンサーでフォロワー数が多かったから当選したんです。僕もゆくゆくは出馬したくて。政治家になったら、メン地下の運営を取り締まる活動をしたいです。メン地下って10代の女の子が推しを優先しちゃうんです。それってよくないじゃないですか。まず、自分が第一で、それができて推し活です。そういうのが分かってない女の子が多いです。正しい推し活のやり方を知ってほしくて取り締まります。女の子に健康的に生きてほしいので。楽屋のオフショットー今後の展望を教えてください。2周年を迎え、僕だけお休みしていないので、しばらくプロデュースに専念したいと思っています。メークや衣装はもちろん、楽曲や振り付けのこだわりから分かるように、クオリティーは地上と比べてもそん色ない。バズり方を考えれば、もっと注目を集めてもおかしくない気もする。何度もバズっているとのことなので、いつの間にか一般的な認知度も大きくなるかもしれない。ライブ会場は、最大600人収容できる。フロアは多数のファンが詰めかけいて、ほぼ埋め尽くされていた。ライブも見学したが、圧巻のパフォーマンスに度肝を抜かれた。独特の世界観とそれを表現する衣装、メーク、曲作り。演出や振り付けも異世界へいざなわれている感覚に陥る。SNSがバズるのも納得のライブだった。今後の活躍も注目だ。
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スポーツ 2025年08月29日 17時00分
沖縄尚学優勝、“沖縄教育界のカリスマ”の信念が結実
第107回甲子園高校野球は沖縄代表の沖縄尚学高校が準決勝で山梨学院を5対4で破り、決勝に進出すると、沖縄では甲子園ツアーの申し込みが殺到。関西行きの定期便は満席となり、甲子園を目指す人々で近隣の空港行きも売り切れが続出、中には遠回りして台北経由関空で観戦ツアーに行く人もいたようだ。旅行会社は急きょ、朝6時発関空行きJTA便を手配。甲子園には試合開始20分前に着くという日帰りの弾丸ツアーを急造。このツアーで甲子園観戦に行った友人は、奇跡的に座席を確保し、アルプス席で観戦することができた。3塁アルプス席は団体割引600円で見たが、中には出没したダフ屋から1万や2万円で入場券を買った人もいたという。窓口で当日買ったら1000円だそうだから法外なぼったくり料金だ。緊迫した好試合が展開されたことからダフ屋料金でも、お買い得だったと話していたそうだ。日大三高に1点先行されても、すぐ取り返すナインの活躍に、なぜか負ける気がしなかったと友人は話す。3対1で日大三高を破り優勝を飾った瞬間、3塁スタンドは総立ちとなり、期せずしてウエーブが発生、歓喜の感情が爆発した。居酒屋は、来客が1.5倍に増えたと地元の琉球新報が報じている。沖縄尚学は7月13日の県代表決勝で新興エナジックスポーツを9対1の大差で下して沖縄代表になった。病気療養で入院していた学園創設者の名城政次郎名誉理事長は、看護師の代表選出を伝える言葉に体力の限界の中からVサインで答え、2日後の未明94歳の生涯を閉じた。多くの沖尚関係者は、名城名誉理事長の強い思いが選手たちの活躍を後押ししたはずだと話している。名城名誉理事長は、1930年生まれで「文武両道のたくましい進学校」を目指し、1983年に前身の沖縄高校を継承して沖縄尚学高校を創設、1991年から学校法人化し、尚学学園の理事長を長年務めた。沖縄教育界の輝けるカリスマとして、多くの人材育成につとめた。一方、沖縄尚学の指揮を執った比嘉公也監督は1999年春選抜に沖尚の投手として出場、春夏通じて初の沖縄代表全国制覇の立役者となった。母校の監督として育てたプロ選手は、ソフトバンク東浜巨、嶺井博希、巨人のリチャードと活躍している。沖縄教育界のカリスマ、名城名誉理事長が育てた沖縄尚学は、比嘉監督という指導者を得て、更なる高みを目指す。取材・文/照屋健吉 リアルライブ編集部
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スポーツ 2025年08月28日 18時00分
元プロサッカー選手の内田恭兵氏、プロになれる人となれない人の違いは他のことに“逸れる”かどうか セカンドキャリアに「ピカピカアスリートクリーナーズ」
2021年にAC長野パルセイロを引退した元プロサッカー選手の内田恭兵氏。現在はセカンドキャリアとして、お笑いコンビ・カラテカの入江慎也氏が経営する清掃会社「ピカピカ」の兄弟会社「ピカピカアスリートクリーナーズ」の店長を務めている。リアルライブ編集部では、内田氏に単独インタビューを実施。プロになれる人、なれない人の違いや入江氏との出会いなどについて話を聞いた。―サッカーを始めたころから、プロを目指されていたのでしょうか。目指してはいませんでした。目の前のことをこなしていたら、プロが見えてきたという感じです。始めたときも、好きで始めたというわけでもなく、なんで始めたのか記憶も曖昧です。自分にあっているのかも分かりません。できることが増えていくのが、やりがいにつながっていました。僕は静岡出身で、ジュビロ磐田の下部組織でプレーしていました。大学からはプロの組織ではなく大学のチームでプレーしていたら、当時J2の京都パープルサンガに声をかけていただいて。それが縁で、入団しました。―選手時代に影響を受けた選手やコーチ、監督はいらっしゃいますか。サンガ時代、大黒将志さんは一緒にプレーしてすごい選手だなと感じました。下にも要求がすごいです。文句を言われるわけではないですが、「もっとこうして」とか「俺を見ろ」とか。でも。パスを出すと点を取ってくれるんです。まさにストライカーという感じで、一緒にプレーしてやりやすかったです。いろいろな選手とプレーしてきましたが、一番プレーしやすい選手でした。大黒さんからしたら、全然違うかもしれませんが(笑)―プロになれる人と、才能があってもなれない人の違いはなんだと思いますか。僕は目の前の課題をこなしていくタイプでした。プロになる選手たちは子どものころから世界でプレーするイメージや、プロになってどんな活躍をしているかイメージができているんです。成長した自分から逆算していき、今の自分に何が必要かを考えて、練習しているんでしょうね。多分同じように練習しても追いつけないし、僕の想像がつかない練習や準備をしてるんじゃないかなと。勝手なイメージですけど。各世代で僕より上手い選手はたくさんいました。でも、他のことに逸れてしまって、結局辞めてしまう人も多かったです。続けられるかどうかじゃないのかなと思っています。―ピカピカに入社したきっかけを教えてください。プロを引退して、次何をしようか悩んでいるときに、同じチームの先輩が「ニュースポ」というアスリートのセカンドキャリアを支援する会社を経営している小澤剣人と知り合いで、先輩を通じて相談に乗ってもらいました。それから2年ほどして、京都に出てまた小澤と食事することになり、入江慎也さんと知り合いということで「ピカピカ」という会社を知りました。入江さんは、セカンドキャリアで清掃業をされています。自分もプロを辞めて、京都に来る前にたまたま清掃業をやっていたので、「現場の責任者やってみないか」と誘われました。それがきっかけですね。現場の責任者ということで、スケジュール管理や見積もり、人をそろえるなど基本的な業務は全部担当しています。―前職はどのような清掃業だったのでしょうか。前職は「美装屋」とか「洗い屋さん」とよく言われるんですが、建設業界に近いです。新築の家やマンションが建つとき、いろいろな仕事の方が工事に入ります。そこで、最後に工事の仕事の汚れを落して、引き渡します。そういうジャンルの清掃業にいました。―サッカーや前職などで困難にぶつかった際、どのように対処されてきましたか。難しいですね。自分の中にこう乗り切るとかすごい策みたいなのはなくて、諦めずに挑み続けるですかね。辞めずに続けることで、乗り越えられるチャンスや人との出会いのような転機が訪れます。そのタイミングやチャンスがきたときに、逃さないように準備をしておくという感じですね。―今後挑戦したいことを教えてください。妻が猫と暮らしていたので、初めて猫と暮らしているんですが、動物の保護活動をしたいと思っています。動物が好きでテレビで動物番組が流れているとついつい見ちゃいます。ああいうことをしようと思うと維持費がかかるので、まずは仕事を頑張ってお金をためたいです。プロを辞めたあと、たまたまやっていた清掃業の経験が生きた形だ。動物保護活動は、慈善事業で他のところでの利益が必要となる。夢を実現させるためにも、仕事がうまくいくことを祈るばかりだ。
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芸能 2025年08月05日 23時00分
岡平健治「19」解散は「お金の問題じゃない」 岩瀬敬吾、地元に戻るのを「止められてよかった」 今後はバラエティーで「ポンコツっぷりを見て笑ってほしい」
リアルライブ編集部は岡平健治に単独インタビューを実施。前半では経営者としての一面を掲載した。後半は、吉本興業と契約を結ぶ経緯、「19」での相方・岩瀬敬吾との関係性について聞いた。―吉本興業と契約を結ぶこととなった経緯を教えてください。大分前に、お笑いコンビ・極楽とんぼの山本圭壱さんから「けいちょんフェス」に呼んでいただいて、イベントに参加したのがきっかけになります。他にも「ハマラジャ」(テレビ東京系)というダウンタウンの浜田雅功さんやYOUさん、魔裟斗君たちと番組に出演させてもらっていたので、吉本さん自体とは、つながりがありました。―最近のネットニュースでも浜田さんとの再会が報じられていましたね。はい、プライベートで焼き肉に行って以来、何十年ぶりの再会でした。浜田さんはちょうど静養から復帰されたタイミングです。元気そうでよかったです。吉本に入ったことについて「なんで」とツッコまれました。いろいろな人から同じようなツッコミされています(笑)。ミュージシャンのイメージが強いからでしょうね。タレントとして活動していくと話すと、さらに驚かれます。本当に「なんで」って感じだとは思います。自分でもよく分かっていません(笑)。自分が苦手な分野ってタレント活動なんですよね。実業家としては全部チャレンジしてきて、もうできないことはないと思っています。だから、苦手なことに挑戦したいと思ったことが一番大きいですね。吉本さんとエージェント契約したのも、苦手なものに挑戦したいからです。タレント業は本当に断ってきました。バラエティー番組のオファーはとても多かったです。ミュージシャン像を壊しちゃいけないという、事務所の方針でもありました。例えば、歌いながら落とし穴に落ちるとか、モニタリングのカラオケとかですね。怖くて断ってきました。―「19」の相方の岩瀬敬吾さんとの関係性をどのように捉えていらっしゃいますか。あえて言葉にすると「戦友」ですね。言語化しにくいですが、あのまま解散せず、ずっと一緒に戦って仲間でいたかったんですけど。「19」でデビューして、21歳(本人談)で解散しています。はるか昔の話なんですが、高田馬場の専門学校のボーカル科に通っていたんですよ。1年くらい経ったときに、敬吾君が「才能ない」って言いだして、さらに先生とぶつかって、「もう広島に帰る」っていっていたのを止められてよかったです。そのときに「プロデューサーに会ってみる?」と聞いて、それから「19」が始まりました。敬吾君は僕にとって大事な存在です。今でも連絡しようと思ったら、いつでも連絡できます。本当に大事な存在で、いろいろ助けたいと思います。彼の子どもが大きくなったから、よけいにそう思うのかもしれません。―何事もきっちり決めてからやるタイプとお聞きしていますが、他にこれだけは譲れないというものはありますか。「19」という大事なグループを解散しておいて、真逆のことをしているんですが、人に迷惑をかけないことですかね。仕事をきっちりやるというか。仕事じゃないときはいいと思うんですよ。仕事はお金が絡むのできちんとしないといけないなと思います。実は、僕はたくさん仕事でだまされてきました。例えば、仕事の代金を払ったあとに会社を倒産されたりですね。いろいろ経験して、迷惑かけないことですね。解散させたお前が何言ってんのと思われるかもしれませんが。「19」は僕の中でお金の問題じゃありませんでした。あのときは何十億も稼げることが見えていました。21歳でしたが、「19」を続けていればどれだけ稼げるか、分かっていました。解散する決断が某なんたら先生みたいになってきましたが(笑)―今後も音楽活動は続けられるのでしょうか。はい、レコーディングスタジオも持っているし、社員ほぼ全員がミュージシャンなので。吉本さんに所属しているアーティストさんや芸人さんを音楽でお手伝いできたらと思っています。―最後に今後の仕事の展望を教えてください。バラエティー番組で、僕のポンコツなところやダサいところを見て笑ってください、と思って挑みます。僕には怖いものは何もありません。かっこつけて音楽をするっていう年齢でもありません。人間味たっぷりというか、ポンコツ具合を楽しんでください。「19」解散について、「お金の問題じゃない」と話す岡平。譲れないものがあったのだろう。今後はこれまで避けてきたバラエティーに挑戦するとのことなので、お茶の間をどのように楽しませてくれるのか、期待したい。前編:「19」岡平健治、音楽をやっていなかったら…… 経営者としての信条、明かす
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スポーツ 2025年07月25日 23時30分
野球人生“燃え尽きた”元プロ野球選手・宮國椋丞氏 今後は「周りの人に頼られたり、笑顔にしたい」
2023年に現役を引退した、元プロ野球選手の宮國椋丞氏。最近では宅建をサポートするYouTubeチャンネルに出演し宅地建物取引士(宅建)の資格を取得している。リアルライブ編集部は単独インタビューを実施。影響を受けた選手や印象に残った試合などについて質問した。ー2023年に引退されましたが、約11年間のプロ野球生活を振り返った感想をお願いします。早かったですね。あっという間の選手人生でした。ープロ野球選手を目指したきっかけを教えてください。野球を始めたころからの夢でした。子どもの頃からプロ野球選手を目指し、頑張っていました。ー影響を受けた選手や監督はいらっしゃいますか。内海哲也さん、菅野智之さんにはすごく助けていただきました。師匠みたいな存在ですね。野球だけでなく、プライベートでもいろいろ助けていただきました。ー印象に残った試合を教えてください。初登板、そして菅野さんと投げ合った試合ですかね。ー菅野さんとの投げ合いは、もっと続けていたいというような感じでしょうか。不思議な感覚でした。人生生きていたら、こんなこともあるんだなと感慨深かったです。ー初登板のときの気持ち、まだ覚えていらっしゃいますか。緊張もあったけど、楽しみの方が多かったことが今も鮮明に覚えています。ー巨人から横浜DeNAに移籍するまでフリーエージェントの期間がありましたが、その間はどのようなことを思っていられましたか。僕の中ではあの期間がプラスになっていて、いまも僕の中で生きています。僕にとって大事な時間でした。自分を見つめ直す時間でもあり、野球を見つめ直す時間となりました。ーフリーエージェント期間中に気付きはありましたか。今もそうですが、周りの方に支えられていて、プレイできてたんだなと思いました。周りの方々への感謝しかありません。ー戦力外通告を受けたときの心境はいかがでしたか。僕もそうなるだろうなとは思っていたので、とくにびっくりしたり、落ち込んだりはしませんでした。ー野球人生は“やりきった”という感じでしょうか。はい、燃え尽きました。ー宅建を取られましたが、資格に興味はお持ちだったのでしょうか。何かに挑戦したいという気持ちがあり、頑張ってみようと思いました。ーこれから挑戦したいことはありますか。特に決めてないです。今の仕事を頑張るだけだと思っています。ー最後にセカンドキャリア、セカンドライフについての展望を教えてください。分からないことが多いので、人に教えられるくらいの知識や力をつけたいです。そして、周りの人に頼られたり、笑顔にしたいと思っています。野球とは離れて考えて、できることを探したいです。30代前半と若く、まだまだ可能性がある宮國氏。まだまだいろいろなことに挑戦できる。今後の人生で具体的にしたいことはまだ決めていないようだが、野球と同じくらい興味が持てる物事を見つけてほしい。
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