長い腕に長い脚、耳まで裂けた大きな口、そして頭に生えた小ぶりながらも鋭い立派な角はまさに「鬼の子供」を連想させるにふさわしいものだ。
大きさはさほどでもなく全長30センチほどだったと推測されている。鬼専用(?)の敷物や枕の写真に写っていることから、このミイラは大事に手厚く保管されていたことが伺える。
この鬼の子のミイラが保管されていたのは大分県下毛群にある古刹、羅漢寺。大化元年(645年)にインドの僧、法道仙人が金銅物を持参し羅漢山で修行したことからはじまる歴史の古い寺で、羅漢山の中腹に建てられている。洞窟には3777体もの石仏が安置されており、本堂も岩山に埋め込められたように建っているなど非常に珍しいお寺としても有名である。
たしかにここになら妖怪のミイラがあっても違和感はないが、残念ながら現在この「鬼の子」のミイラはいないという。
1943年に発生した火事でミイラは焼けてしまい、同時に唯一の資料であった「鬼之記」というミイラの出生を記した資料も消失してしまったという。
現存していれば、鬼がどのような経緯で日本に現れ子供を産むに至ったのか、またなぜミイラにされてしまったのかわかる貴重な資料だっただけに非常に残念である。
伝承によると、このミイラは鹿児島で発見されたものという記述があったらしいが、それ以上のことは伝わっていない。
残されたのは数点残された写真と写真を使用した絵葉書のみである。
果たして、このミイラの正体は本当に「鬼の子」だったのだろうか。
(山口敏太郎事務所)