「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿などはその代表格だ。三猿の彫刻は東照宮の神馬をつなぐ厩舎に彫られており、人間の人生を象徴するように8体のサルが彫られている。そのうち、「親元を離れる前には世間の悪いことを見たり (見ざる)、聞いたりせず(聞かざる)、人の悪口を言ったりしてはいけない(言わざる)」という格言に通じる三猿がピックアップして見られるようになった。
また、この三猿の故事は中国の論語に由来するものであり、その故事に合わせてもう一匹「せざる」という猿を加えて四猿だったという説もある。なぜ「せざる」が排除されたのかというと、これは「過ぎた欲(=性欲)は身を滅ぼす」という意味があり、これにしたがうと猿が股間を押さえたポーズをとることになる。訓戒としては良いものであるが、神社の彫刻としてこのような姿を採用するのはいかがなものか、ということ4番目の「せざる」が排除されたという。
また、この「三猿」は、江戸幕府の滅亡を予言していたのではないかと筆者は考えている。三猿が特に有名だが、実は15匹設置されており、徳川将軍の数と一致するのだ。しかも、それぞれの猿が歴代将軍の業績と一致する。
最初の猿は小猿を脇に置いており、長男・信康が信長によって切腹に追い込まれた家康を表しているとも推測できる。また2匹目から4匹目の猿たちは俗に言う「見ざる、聞かざる、言わざる」という三猿だが、この猿たちは江戸幕府の鎖国政策を意味しているのではないか。さらに5匹目から6匹目の猿は「上を見てもキリがない猿、下を見てもキリがない猿」であり、江戸幕府の士農工商に合致する。
また8匹目の猿は周りの猿をいたわる余裕を見せている。この猿こそが中興の祖・徳川吉宗ではないか。13匹目の猿から波に乗り始めるが、これは13代将軍の頃から幕府の屋台骨が揺らいでくることを意味しているのだろうか。最も不気味なのは最後、15匹目の猿である。この猿はどこかに「立ち去る(猿)」姿を見せている。この最後の猿こそが幕府の幕を引いた徳川慶喜ではないのか。
このように謎を秘めた東照宮の猿たちは、徳川幕府がなくなった現在でも参拝客らの前で当時から変わらぬ姿を見せている。
(山口敏太郎)