そんなわけで、当時はちょっとした「埋蔵金ブーム」が起きた。埋蔵金の伝説は日本全国にかなり存在しており、信ぴょう性の高いものから低いものまで、さまざまなものが存在している。
中でも「護法救民の宝」と言われたものが明智光秀の埋蔵金だ。財宝の名前としては不思議な呼称であるが、もともと明智光秀が仏法を信じる人道的な人物であったからこそ、この名前がついたと言われている。
一説によると、光秀が本能寺の変を起こしたのも、仏教を弾圧した信長の残酷さに幻滅したからとも言われる。死んだとされる光秀はあくまで影武者で、その後天海と名を変え、僧侶として戦で死んだ人々を弔い、家康に協力して早く平和をもたらそうとしたと言われている。一方で、比叡山焼き討ちの際 、最も僧侶を惨殺したのは光秀の軍だったという説もある。
伝奇小説での天海聖人にはダーティなイメージがつきまとい、江戸の結界を張るなど“怪僧”のイメージが強い。だが、この「護法救民の宝」伝説で天海は、仏法により民衆を救済したいという志を持った。光秀として武将時代に築いた財産や、もしくは天海として以後に得た財産を世のため人のために使おうとしたらしい。 これほど、イメージがさまざまに伝わる人物も珍しい。
また隠し場所の有力地は光秀の城であった亀山城跡、縁の寺である慈眼寺である。実際、この伝説を裏付けるような古文書が発見され、財宝を探した人物もいたらしいが、結果は失敗したらしく真相は不明である。
(山口敏太郎)