だが、西郷は圧倒的な人気を誇った割には多くの謎がある。中でも一番の謎は西郷本人の「容姿」である。西郷は根っからの写真嫌いであり、西郷を撮影した写真は一枚も残ってないとされている。
有名な西郷を描いた肖像画は外国人画家エドアルド・キヨッソーネが描いたものだ。キヨッソーネは西郷の友人・得能良介のアドバイスを受けながら、実弟・西郷従道や、従兄・大山巌の顔を合成し作り上げたという。このモンタージュのような肖像画と並び、西郷のイメージを作り上げたのが、上野公園に鎮座している西郷像だ。しかし、起工式で西郷の未亡人は「こげんなお人じゃなかった」と嘆いたとされている。この言葉が「銅像の顔が西郷と似ていない」という説の根拠とされている。だが実際には着流しで犬を連れて歩く西郷像に、未亡人が「着流しで散歩をするような人ではない」と、その出で立ちに異議を唱えたのが真実のようだ。
では、西郷本人の顔はどのようなものだったのか。その答えとなるような写真が出てきて注目を集めたことがある。
問題の写真は1872(明治5)年に、明治天皇が造幣局へ行幸された際に天皇写真家の内田九一氏が撮影したもの。造幣局前に正装した兵士たちがずらりと並んでいるが、向かって左端で、旗を持って立つ大柄の人物が西郷であるというのだ。
当時の新聞にも西郷が「錦旗を手に天皇を御先導した」との記述がある。実際に明治天皇に随行して大阪を訪れたと記録されている。また、写真の左下隅に洋犬が寝そべっている。これは愛犬家だった西郷がこの場に存在したことの裏付けだとされている。
だが、実際のところ写真の人物を西郷本人であると断定するのは難しいようだ。写真の人物が実際の西郷よりやや小柄であること、軍服が階級の低い少年兵と同じような服装であることなどが疑わしいというのだ。
しかし厳粛なはずの場にリラックスした状態の洋犬がいることには違和感がある。西郷がこの場にいて、写真を嫌って写らない場所に移動していたのでは、という説も出ている。
結局西郷はどのような姿だったのか。その真相が明らかになるのはまだ先のようだ。
(山口敏太郎)