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関係者に不幸が連続した?高松塚古墳にまつわる噂

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 昭和47年3月21日、7世紀に作られた古墳が奈良県明日香村で発見された。壁画で有名な高松塚古墳である。

 直径18メートルの巨大な円墳内部に施された壁画は、黄泉の国を描いたものとされ、その関係者が続々と死亡している。やはり、墓を暴くと次々と変死に見舞われるものだ。

 昭和47年5月21日、高松塚古墳の発見で浮き足立っていた、明日香村の観光課長のM氏が死亡した。M氏は観光資源である高松塚古墳の発掘に熱心だったが、3月21日の発掘からちょうど2カ月後の5月21日に死亡した。

 M氏の死因は肺がん。ただ、その日に突然苦しみ始め、死亡していた。亡くなったのが21日ということもあり、関係者は驚いた。

 惨劇はまだ続く。同年8月21日の朝、古墳付近に住み、発掘を手伝っていたKさんも突然苦しみ始め、2日後に死亡した。これもまた21日の日付が絡んでいたのだ。

 さらに翌年の8月21日、高松塚古墳のある上平田地区の総代・MSさんが交通事故で死亡した。4人目の犠牲者Nさんは、高松塚古墳に最初のひと鍬を入れた発掘の関係者だった。日頃から悪夢にうなされていたNさんは、物置小屋で農薬を飲んで自殺したのだ。

 そして、昭和49年1月4日、壁画を修復しようと模写していた画家のWさんが交通事故で亡くなった。Wさんは壁画に描かれていた3人の貴婦人を模写している最中であった。

 果たして、高松塚を暴いてたたられたのか、単なる偶然の連続だったのか。ちなみに高松塚古墳の住所は、明日香村上平田4444番地である。

 解剖学の権威で大阪市立大学教授だった故島五郎氏は、昭和47年に発行された高松塚古墳・中間報告書の中で「埋葬された人物の頭蓋骨の破片すら、全く発見されていないのは甚だ不思議である」と報告している。

 梅原猛は「黄泉の王」(新潮社)で「高松塚の封印されていた怨霊は、弓削皇子の怨霊に違いないと思う」と推理している。

 つまり、高松塚古墳の被葬者は埋葬時、すでに白骨化しており、その怨霊の復活を阻止するため、遺体から頭蓋骨を抜き取り、刀身のない鞘(さや)を添えて埋葬したのだ、と梅原氏は推測しているのだ。

(山口敏太郎)

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