また、妖怪名も20、30個ぐらいは容易に列挙できる。
これに関しては、水木しげる、手塚治虫、永井豪など錚々たるメンバーが、妖怪漫画で啓蒙を行った功績によるところが大きいのだが、我々日本人ほど妖怪好きな国民はいない特性も手伝っているだろう。これほど、妖怪に対して理解があるのは、世界を見渡してもわが国ぐらいであろう。
そんな妖怪だが、21世紀の現在、大部分がインターネット上の情報交換によって生まれている。怖い話や妖怪情報を交換するBBS(電子掲示板)やサイト上において、名前も知らない者同士が交流し、新たな妖怪伝説が生まれているのだ。「てけてけ」「ニンゲン」「ヤマノケ」「八尺さま」「ひさる」などネット上から生まれた妖怪は様々だ。その内容は、必ずしも現代的なものではなく、土着的な民話や妖怪像の系譜を引いているのが面白い。我々が怖いと思うモチーフやファクターは意外と古臭く泥臭いものなのだ。
基本的に妖怪や伝説(現代では都市伝説であるが)は、人々がコミュニケーションすることによって生まれる。ゆえに人間の生々しい交流が無くなった現代では、せいぜいネット上の交流ぐらいしか、妖怪を生み出すことはできないのだ。人間同士の交流を阻害したり、少なくすると批判されたネットが、妖怪を生み出す媒体になったとは裏腹である。
このネット以外に、妖怪を生み出す媒体がある。それが“学校という共同体”である。かつては血縁的、地縁的な結びつきをベースにした“村や町という共同体”が、人間のコミュニケーションの場となり、多くの伝説や妖怪を創り出してきた。
その“村や町という共同体”が崩壊した後、出てきたのが“学校という共同体”であった。この共同体は、都会や田舎に関係なく存在し、過疎などで崩壊することはない。勿論、私立学校ならば倒産することもありうるのだが、大部分の学校が卒業生を送り出し、新入生を迎え入れることで世代交代を繰り返しながら、存続していく。
つまり、新入が誕生であり、卒業が死なのだ。このように世代交代が可能ならば、伝説のストーリーが上級生から下級生に伝聞されることにより洗練され、より面白い“学校の怪談”や“学校の妖怪”が生まれうるのだ。
平成以降は、この学校怪談が主流となっていたが、最近は新しい共同体が生まれつつある。それが“会社の怪談”である。「こどもおとな」が増加した企業では、職場で多くの怪談や妖怪が生み出されているのだ。共同体がある限り、人と人とのコミュニケーションがある限り、妖怪や伝説が生まれていく。まったく、妖怪や伝説が生まれない日が来たら、それこそ人類は危ない状況なのかもしれない。
(監修:山口敏太郎)