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古代ムー大陸と古代日本人との関係

 古代世界には二つの大陸があった。一つは大西洋のアトランチス大陸、そしてもう一つは、太平洋のムー大陸だという。

 この二つの大陸は、相互に現在からおよそ、1万2000年前に時をほぼ同じくして滅んだと言われている。ちなみに、現在の月は古代アトランチス人とムー人による戦争の傷跡だと言う説も存在する。
 しかしながら、ムー大陸に限って今回は述べようと思うのだが、その年代には太平洋上に巨大大陸が存在しなかったことが科学的に明らかになっている。では、ムー大陸とは当初はどんな大陸だったのだろうか。
 ムー大陸を世界で初めて発表したのはイギリス人の元軍人大佐であるチャーチワードだとされている。彼の説によると、インドの寺院から、古代ムー大陸に関する石板を見せられたという。古代ムー大陸は太平洋上に存在し、そこでは女王ラ・ムーによる支配が行われていたが、大洪水により一夜にして海底に没したとされる。その痕跡はイースター島のモアイ像だと言う。
 しかし、イースター島のモアイ像は明らかに年代的な隔たりがある。モアイ像はわずか1000年ほど前に制作された物にすぎないのだ。チャーチワードの想像はそのレベルだったのである。

 しかし、この日本から出土される縄文式土器は世界最古級の歴史を誇るものであり、最古の物では1万6千年前もの歴史がある。伝説上のムー大陸の滅亡前から縄文式土器は存在していたのである。しかも、当時の縄文人は海を渡っていたのである。日本からはるか離れた南米のボリビアからは、何と縄文式土器が出土するのである。その制作方法も縄文土器と変わらないと言う。
 チャーチワードの言っていたムー大陸は存在しなかったが、当時の縄文人による太平洋渡航が事実となりつつある現在、古代ムー大陸人とは古代日本の縄文人だったのではあるまいか。
 その証拠に、日本人と南方ポリネシア人との言語的な類似性なども、韓国や中国とは異なり多く見られるとのことである。更に与那国の海底では古代殿跡が存在する。
 古代日本人は広大な海を渡って、ひとつの縄文文化圏を創っていたのである。(藤原真)

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