しかし、当局の捜査によっても出火原因は解明されず、やがてモロ・キャッスルの残骸は解体された。また、急死した船長の遺体は火災で白骨化しており、簡単な検視の後に埋葬されたという。やがて、人々の関心は船員の責任を裁く法定劇へ移り、連邦裁判所での審理が終わった1937年ごろには、すっかり忘れ去られていた。ところが、事故から半世紀ほど経過した1980年代に、アメリカの大手ケーブルテレビ局が放送した事故のドラマは、通信士が船長を毒殺し、時限発火装置で放火したという説にもとづいていたのだ。
ドラマの根拠となったのは、事故から3年後の1938年3月に警察署小包爆弾を送りつけた犯人の告白だった。かつてモロ・キャッスルで通信士を務めていた彼は、事故の後に警察の通信士として再就職したが、なんらかの理由で上司へ小包爆弾を送りつけ、そしてかつての職場でも上司である船長を殺害、放火したという…
告白した元通信士は、第2次世界大戦中に技術者として早期釈放されたが、その後はモロ・キャッスルについて語らず、殺人事件を起こして服役中の1958年に死亡した。真相はいまだ解明されていないが、アメリカにはモロ・キャッスルを事故ではなく、大量殺人事件と考える人が少なくない。
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